2017年08月11日

納涼!日本の夏、着物美人

戦前の婦人雑誌のスクラップ帳より、涼し気な夏の和服女性の画像を選んでみました。

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汗いつぱいになつていらつしやつたお客様に、直ぐに、氷を扇風機をと、大騒ぎしておもてなしするよりも、見たゞけでも涼しさうなお客間に、お通しゝて、暫時お待たせする方が、どんなにおよろしいでせう。

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「レート白粉(おしろい)」の広告。楽しそうな満面の笑みがイイですね〜

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アレカヤシの爽やかなトロピカル感と和服の取り合わせがエキゾチックでお洒落な雰囲気ですね。

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戦前の広告とは思えない力強く大胆で現代的なグラフィックデザインですね。

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縁側と団扇。ザ・日本の夏!といった感じですね。

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海からお帰りの皆様のクリームです!

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『先日の、お花の會には、お見えになりませんやうでしたが、どうか遊ばしまして?』主人は、巧みに話題を作つて、お客様に暑さを忘れさせます。お客様のお話を、妨げないやうに、何氣なく扇いで上げるのも、主人の優しい心遣ひです。

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水まきをする熱海芳枝(女優、歌手)。
タグ:着物 古本
posted by 八竹釣月 at 06:14| Comment(0) | 古本

2017年08月02日

日本雛形理論と地図のロマン

◆日本雛形理論

地図帳を眺めていて、「オーストラリアと四国ってにてるなぁ」とか「ニュージーランドって日本列島に似てるなぁ」と思った人は多いと思います。こうした考えは昔の人にもあったようで、明治時代あたりに、そうした地形の類似を考察したユニークな『日本雛形理論』というオカルティックな仮説が登場しました。『日本雛形理論』とは、日本列島の形は世界の全ての陸地の縮図になっているという思想で、実際にけっこう類似点は多く、偶然だとか思い込みとかで退けるのはもったいないくらいにワクワクする面白い仮説です。霊界旅行で有名な日本のスウェデンボルグ、出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう)が唱えたことで一躍有名になりましたが、それ以前から世界と日本の地形の類似を指摘した仮説は明治時代初期から存在していたようで、明治2年に発行された作者不詳の奇書『神典図説(しんてんずせつ)』にも、日本と世界の対応図が描かれていたようです。世界の陸地の全容がある程度はっきりしてくるのが16世紀頃ですから、もっと前の時期にこのような発見をする人がいてもおかしくない気がしますが、日本は長い間鎖国してたので、黒船によって世界と対峙せざるをえなくなってきてからやっと日本以外の世界の有り様というものに関心が向いたというのもあるかもしれませんね。

日出(ひ いづ)る国の日の本(ひのもと)は、全く世界の雛形ぞ。神倭磐余(かむやまといわれ)の君(きみ)※が大和(やまと)なる、火々真(ほほま)の岡に登り坐(まし)、蜻蛉(あきつ)の臀嘗(となめ)せる国と、詔(のら)せ給ふも理(ことわり)や。我(わが)九州は阿弗利加(アフリカ)に、北海道は北米に。台湾島は南米に、四国の嶋は豪州(オーストラリア)に、我(わが)本州は広くして、欧亜大陸其儘(そのまま)の、地形を止(や)むるも千早振(ちはやふる)、神代(かみよ)の古き昔より、深き神誓(ちか)いの在(いま)すなり。

※神倭磐余の君=神武天皇

『いろは神歌』出口王仁三郎 大正7年(1918年)


この『いろは神歌』にも歌われているように、王仁三郎の日本雛形理論では台湾を南米大陸と照応させています。台湾は明治28年(1895年)から昭和20年(1945年)までの間は日本が統治してましたから、そうした時代的な背景もあって、ちょうどうまくこの理論が成立している感じですね。各パーツの照応にはいくつかバリエーションがあって、南米を北海道に当ててたり、また別の説では淡路島を南米に当てているケースもあるようですが、やはり王仁三郎の雛形説が一番しっくりハマっている印象があります。

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これは通常の世界地図です。この地球上の主な陸地に、雛形理論が成立した時代に日本の一部だった台湾を含めて当てはめてみると以下のようになります。

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この説をはじめて知ったときはけっこう似てるのに驚きました。四国とオーストラリアの類似はかなりのそっくりさんですね。本州も複雑な地形ながら、意外に一致点は多く、アラビア半島と紀伊半島、インドは静岡あたり、インドシナ半島は伊豆半島に対応しているのがわかります。九州や台湾が共に南の暖かい地域に割り当てられている所や、北米と北海道も形状だけでなく、共に新しい開拓地という歴史的な意味合いまでも通底したものがあって意味深なものを感じます。

四国とオーストラリア、九州とアフリカはとくに似てますよね。ユーラシア大陸と照応しているのは本州で、その最大の湖である琵琶湖の位置がカスピ海の位置に近くにあります。ほかに、富士山とエベレスト山、伊勢神宮とメッカ、世界最多人口を抱える中華人民共和国は日本最大の人口を抱える都市、東京の位置と重なります。形の一致だけでなく、宗教的な聖地や、人口などまで一致点があり、なかなか神秘なロマンを感じさせます。コジツケと呼ぶには出来すぎているようにも感じますし、理性では根拠のない珍説だと否定しますが、本能的にそれだけではない何かを感じます。オカルト界隈で有名な説といううさん臭さが邪魔して真剣な議論にならない珍説ということになってますが、コジツケというには同じようなノリでコジツケ出来る国は他にあまり見当たらないですし、個人的には何か見えない世界からの霊妙な意志を感じます。出口王仁三郎はまた「日本で起こる事件は世界でも起こる。(逆もあり)」という国家規模の趨勢も対応していると説いたことも知られていますね。

突っ込みどころを探せば「完全に一致してるわけじゃない」「似てない部分は無視している」などいくらでもでてきますが、人間の親子でさえ双子のように似てるわけじゃないですから、このレベルで似てるなら十分に何かの意味=Aつまり超越的な次元での寓意を感じてしまいますね。このような日本を特別視したモノの見方をするのは、そのつもりがなくても自民族の優越性を自慢してるような居心地の悪さを感じる面もありますが、また一方で「自分や自分の属している国が特別であってはおかしい」という無意識的な考えも根拠のない固定観念にすぎません。

日本人に限らない話ではありますが、日本人はとくに、ポジティブな情報よりもネガティブな情報を信じるようなところがあり、都合のいい話より都合の悪い話のほうが信憑性があると考えがちなところがあるように思います。しかし、都合の悪いことも都合のいいこともどちらも存在してるのがこの世界ですから、都合がいい話なら普通にラッキーということで楽しめばいいいのかな、とも思います。

マジックショーを見ても、その不思議さを純粋に楽しむより、まずは種明かしにこだわるような国民性なので、何度もマジックブームがおこってもいつも短命で終わってなかなか定着しないのは、種明かしにこだわりすぎるなど、マジックの楽しみ方がよくわかっていないからかもしれません。このような国民性は、16世紀に日本に初めてキリスト教を伝えたことで知られるフランシスコ・ザビエルの書簡でも指摘されていて面白いです。

日本人はどの国民より何ごとでも道理に従おうとします。日本人はいつも相手の話に聞き耳を立て、しつこいほど質問するので、私たちと論じ合うときも、仲間同士で語り合うときも、話は全く切りがありません。(p89)

『ザビエルの見た日本』ピーター・ミルワード著 松本たま訳 講談社学術文庫 1998年


ザビエルは宣教師ですから、当然神についての質問も日本人からたくさんうけます。神が完全に善なる存在ならなぜこの世に悪があるのか?とか、なぜ悪魔を創ったのか?いくら生前に罪をおかしたとはいえ、なぜ地獄というものまで作って永遠に魂を責め続けるのか?慈悲の心がない神なのか?などと、懐疑主義的に直球で問題の核心を突いてくる日本人に、「悪魔ももとは善いものとして創造されたが、その過失のために悪者になり、そのために永遠の罰と責め苦にさらされているのだ」などと教条主義的な苦しい受け答えに終始しています。

日本人は、この万物の創造主である神は善いものか悪いものか、また、それは善悪双方の根源であるかないかについていろいろ質問しました。私たちは、創造主である神は一人おられるだけで、それは至高の善であり、悪はみじんも混じっていないと答えました。
日本人はこの答えに満足しませんでした。悪魔は生来悪者で、人類の敵だと彼らは考えていて、もし神が善だとすれば、それほど悪いものを創造するはずはないと言いました。この主張に対して私たちは、悪魔ももとは善いものとして創造されたが、その過失のために悪者になり、そのために永遠の罰と責め苦にさらされているのだと答えました。これに対して日本人は、人間をそれほど厳しく罰する神はあわれみ深い者ではないと反論しました───では神が、私たちが教えたような方法で人類を創造したとしたら、神はいったいどういうわけで神を礼拝するために人間を世界に送り出しておきながら人間が悪魔に誘われたり苦しめられたりするのを許したのか。神が善なら、神はどうして人間をこれほど弱くて、罪に傾きやすくて、すべての悪を逃れることができない者にしたのか。そしてまた、神がこれほど恐ろしい責め苦を永遠に耐え忍ばなければならない者に対して何のあわれみも持たずに地獄という牢獄を創造したとすれば、それでも神は善だと言えるか。(p87〜88)

『ザビエルの見た日本』ピーター・ミルワード著 松本たま訳 講談社学術文庫 1998年


当時の日本人はキリスト教的な宗教観は全くの未知のものであったはずですが、かなり的確な指摘をしていますね。日本は仏教というロジカルな宗教を先に受け入れていたせいか、神学的な内容にも論理的に反駁していて、このあたりのやりとりは小気味いいです。この時代のキリスト教者の神観はかなり教条主義的で融通がきかないところがあるのがザビエルの書簡集を読んでいても感じますね。まぁ、ザビエルの所属するイエズス会という組織自体が、「教皇の精鋭部隊」とも呼ばれ、世界中への伝道活動を積極的に行うアクティブな団体でしたから、一般のクリスチャンの考えよりもそうとうに原理主義的な傾向があったのかもしれません。こうしたある意味屁理屈で矛盾を解釈する部分にはヨーロッパ人でさえ不信感をもっていましたし、異文化圏の日本ではなおさらだったのでしょう。

ザビエルは日本人を、合理主義者で知識欲が旺盛、好奇心に満ち、どの国民よりも盗みを嫌う民族であると絶賛していますが、布教の内容は正直いただけない印象があります。キリスト教自体を知らない当時の日本人の先祖は、当然生前に洗礼をしていないわけですが、そうしたご先祖様はザビエル的には皆地獄で永遠の責め苦に苛まれていると断じています。そして、その地獄にいる先祖を救う方法も皆無であるとしてるので、そうとう当時の日本人は困惑したみたいです。ザビエルの論法だと、そもそもイエス・キリストの生まれる前の世界では、すべての人類は死んだら地獄のみへの一方通行でひとりも天国には行けないということになります。こうした昔のキリスト教の情緒的な善悪二元論的な解釈は整合性を著しく欠くもので、ニーチェは厳しく批判していましたし、ヘルマン・ヘッセやユングもキリスト教的な抑圧にあるヨーロッパの解放を東洋思想に求めました。近年は、ジョセフ・マーフィーをはじめとするニューソート思想で再解釈されたキリスト教や、パラマハンサ・ヨガナンダなどヒンドゥー教の聖者によるキリスト教の解釈などの影響で、昔の教条主義的な解釈をされたキリスト教だけがキリスト教の本質ではないことが認知され、新たな価値を持ってきたように思います。

話が横道にそれましたが、『日本雛形理論』に話を戻しますと、こうした仮説はなにかとイデオロギー的に解釈されることが多く、実際にそういう面もなきにしもあらずですが、ふつうにこのユニークな偶然の一致は面白いと思いました。なんというか、見えない世界からの精妙な影響力のようなものの一端を垣間みているような感じで好奇心をくすぐる説です。

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今度は逆に世界の陸地を使って日本列島っぽく組み合わせてみました。

「日本雛形理論」で検索すると、全国各地と世界各国との詳細な対応を解説したサイトなどもヒットしますので、興味のある方は調べてみると面白いです。

メモ参考サイト
日本雛形理論(ニコニコ大百科)



◆世界のミニチュアとしての地図

『日本雛形理論』の面白さは、日本という国自体が縮小された世界、つまり世界地図の役割をしているという入れ子構造にあると思います。日本の国土そのものが地球の地図になっているというところがこの仮説の魅力ですね。そもそも地図自体がロマンあふれる魅力的なものですから、世界を新聞紙くらいの大きさに縮めて携帯できるようにしてしまった地図という存在は、その実用性を超えてコレクションの対象にもなっている事もうなづけるところです。

想像力の冒険王! テーブルの上のアメリカ大陸を一日二往復目 目で走破しても
息切れしない私は 魂の車輪の直径を
メートル法ではかりながら
「癌の谷」をいくつも越え捨ててきた

『ロング・グッドバイ』(抜粋) 寺山修司



大好きな詩、寺山修司の『ロング・グッドバイ』の序盤に出てくる描写ですが、「地図」という言葉を全く使わずに地図を拡げたテーブルを描いています。逆に、地図という言葉を省いたからこそ、サボテンと荒野が続く広大なアメリカ大陸をテーブルの上に幻出させる言葉の魔術が成功しているともいえますね。

学生時代など、なにげなく地図帳を開いて「エロマンガ島」とか「スケベニンゲン」の位置を確かめたりした方も多いと思います。そういうのもまた地図の愉しみのひとつですね。

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江戸時代初期に描かれた世界地図の屏風絵。北海道がまるまる消えているのがミステリアスです。

地図というもの自体が、現実の空間を二次元的に縮尺したミニチュア世界ですから、それ自体で胸のときめくロマンチシズムを感じるのは前述したとおりです。技術が未熟だった過去の時代につくられた不正確な古地図などは、正確な今の地図よりも、当時の時代の技術力や世界に対する好奇心や憧れまでもが封じ込められていて、格別の味わいがありますね。未踏の地は、誰も情報として存在が未確認であるために、事実上存在しない土地ということになっているのもミステリアスなムードがあります。江戸時代の古地図に、北海道がまるで存在しないかのように消えているものがいくつもありますが、こうしたものもなかなか不思議な感じがします。北海道の場合は、存在自体は昔から知られていましたが、19世紀初頭に日本の管轄下となった新しい地なので、それ以前の地図ではそうした政治的な理由で消えてるのでしょうね。イデオロギーによって無い事になっている土地というのも不思議な感じがします。

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「ヨーロッパの新しい平野と完全な地図 (New Plain and Exact Map of Europe)」 17世紀
ニコラス・ビッシャー(nicolaes visscher)による地図を元にした、ヨアン・ブラウ(Joan Blaeu)による英語版の地図。欧州の地図にも北海道が消えてるものが複数あります。


メモ参考サイト
江戸時代の世界地図(google画像検索結果)

初期の世界地図(ウィキペディア)

また、数年前の都市伝説ブームで話題になった杉沢村などの地図に載っていない村≠フ話も興味を惹かれますね。本来リアル世界と一対一対応しているはずの地図という案内板に無い場所というのは、異世界っぽい幻想をかきたててとてもミステリアスです。隣町の路地裏など、我々にとって足を踏み入れていない未知の場所は身近にも無数にありますから、地図というのは、目的地にたどり着くために必須の頼りになる案内役です。案内役ですから、嘘つきでは困りますので、地図はいつも正直で正確であることが求められます。こと近年では地図情報の更新は頻繁に行われるようになってきたので、いつしか地図に載っている情報は正しくて当たり前のように思い込んでいるフシが我々にはあります。そういう意味では、地図上の世界もまたリアル世界に影響を及ぼすもうひとつの世界でもあります。そこにあるはずの場所が載ってなかったり、無いはずの場所が載ってたりすると、とたんに平凡な日常に異次元の扉が開いてしまったような不可思議な違和感を感じるのだと思います。地図に無い街の話は杉沢村の都市伝説が流行るよりもずっと前にSF界の鬼才、P・K・ディックが短編小説で披露していたのを思い出します。以下に、その原作を幻想小説研究家だった時代の若き日の荒俣宏が短くリライトした逸品を引用します。


地図にない町
P・ディック原作

スペード「そんな駅ありませんよ!」

 その小男は、窓口へ五ドル札を差し出した。
「切符を一枚。メイコン・ハイツ行きのを。」
「メイコン・ハイツ?」
駅員は、驚いて路線図を調べた。
「お客さん、そんな駅はありませんよ。」
「ない? 冗談きついな。私はメイコン・ハイツに住んでいるんだぞ。」
「ないものはないんです。ほら、この路線図を見てください。ありもしない駅の切符なんか、おいてあるわけないでしょう?」
「そんなバカな! 私はもう半年もこのB電車を利用しているんだ。」
 小男は路線図をひきよせると、熱心にそれを調べだした。ふいに小男の姿がパッと消えた。路線図だけがパタンと床に落ちた。
 駅員は驚きで息が詰まりそうになった。
 数分後、駅員はまたあのことばを聞いた。
「切符を一枚。メイコン・ハイツ行きのを。」
 さっきの男だった。駅員は青くなった。が、今度は男を事務室のなかにひっぱりこんだ。
 すると、その男はむくれだした。
「切符を一枚買うのになんだって手間をとらせるんだ。なぜいつものように売ってくれない!?」
 助役のペインがとんできて、男に言った。
「あなたはホントに、いつもこのB電車を利用なさっているんですか?この路線には、メイコン・ハイツという駅はないんですがね。」
「イヤになるなあ。きみたちは自分の鉄道のこともよく知らないのか! この駅からちょうど49分のところがメイコン・ハイツだ。人口は5000ぐらいかな。私は二年ほど前から、その町に住んでいるんだ。」
おかしいな。その町は地図にもないし、市町村名簿にものっていませんよ。私たちは…。」
 ペインはことばをとぎらせた。目の前で、男の姿は吹き消すように消えてしまったのだ。

スペード四次元の停車場

電車は殺風景な平野を走っていた。ところどころ丘があり、ハイウェイにそって走る車が見え、電柱が次々に現れては消えていく。
 ペインはまた腕時計を見た。乗ってから41分すぎていた。彼はメイコン・ハイツというところがあるかどうか、確かめにきたのだ。
 太陽がちょうど地平線に沈んで、夕暮れが平野をつつみはじめた。
 あの男のいった49分にあと1分、50秒、40秒…。ペインは緊張し、息を殺した。
 そのとき彼は、平野の上に半透明の煙幕のようなものが横に長くたなびいているのを見た。
 なんだろう? かすみにしては変だ。
 急にブレーキの音がし、電車が停止した。
 ペインの向かい側にすわっていた背広の男が立ち上がってドアのほうへ行き、電車から地上へ飛び降りた。
 男は足早に野原を横切っていき、あの煙幕のようなもののほうへ歩いていった。
 男のからだが宙に浮いた。彼は地上から30センチほどのところを歩いていた。それがだんだん高くなり、地上1メートルの高さになった。やがてその姿は煙幕の中に消えてしまった。
 ペインはあわてておりようとしたが、もう電車はスピードをあげていた。
 彼は車掌室のほうへスッとんでいった。
「おい、今の停車はどういうわけだ?」
「え? あそこにはいつも止まりますが…!?」
「バカをいえ。あんなところに駅はない!」
「B電車はメイコン・ハイツにはいつも停車します。きょうも平常どおり、時刻表どおりです。」
 車掌が差し出した時刻表をペインは見た。
 ウソではなかった。メイコン・ハイツ駅は、確かにそれに出ていた。
 夕闇の中で、あの巨大な煙幕のようなものは、急速に形を整えていた。一つの町が生まれつつあるようにも見えた。

スペード「過去」がひっくり返った!

 翌朝、ペインは恋人のローラが住んでいるアパートにやってきた。
「どうだった? わかったかい?」
と、ペインはせきこんでたずねた。彼はローラに、メイコン・ハイツという名について、図書館で古い記録を調べてもらったのだ。
「わかったわ。七年前に、郊外に新しく三つの住宅地を開発する計画がたったの。ところが三つのうち決まったのは二つで、一つはとりやめになったのね。それがメイコン・ハイツよ。たった一票差で議会で認められなかったのよ。」
「そうだったのか───。」
 ペインは考えこんだ。メイコン・ハイツはあと一票で承認されるところだったのだ。つまりそのときの空間と時間の流れはきわめて不安定だった。その時期がすぎたあと、まだ完全にかたまっていなかった過去に変化が生じたのだ!

 ペインはまた電車に乗って、メイコン・ハイツへ急いだ。
 彼の予感はあたった。駅におりると、午後の日差しをあびてきらきら輝くメイコン・ハイツの町があった。24時間前にはただの荒れ地だったところに、商店街が、スーパーが、銀行が、そして住宅がたちならんでいた。
 ごくふつうの人々が、町を歩き、買い物をし、喫茶店やスナックで楽しそうに話していた。
 ペインは、女の子のひとりにきいてみた。
「どれくらいこの町に住んでいるの?」
「そうね、もう二年になるかしら。」
 青ざめた顔で彼は町をながめた。信じられなかった。だが、町はまちがいなく実在していた。
 ふいに、彼はすべてを理解した。
《過去が変化すると、現在もその影響を受け、変わってしまうことになる。そうだ、このメイコン・ハイツは広がっているのだ。丘の向こうへの、自分の町の中へもこの町の人たちははいりこんでいるのだ! 自分の町も今、変化しつつあるのだ!》
《すると、恋人のローラはまだそこにいるだろうか? 自分の生活に変化はないだろうか?》
 彼は恐怖にとらわれた。もう、メイコン・ハイツどころではなかった。彼はタクシーをつかまえ、自分の町へ向かってぶっとばした。
 町なみが矢のようにすぎていく。やがて自分の町へはいってきた。彼は町を見回した。
《大きなデパート。あれは前にはなかったぞ。あれ、ここにあった肉市場はどうしたんだ!?》
 すべてのものが変わりつつあった。
 心臓が破裂しそうだった。彼はタクシーをおり、恋人のローラのアパートへかけこんだ。
「ローラ、きみは大丈夫か!」
 彼は絶叫した。台所からローラが目をまるくしてとびだしてきた。
「まあ、ジミーが目をさましたじゃない!」
「ジミー? い、いったいだれだ、それは?」
「あら、あなた、私たちの子ども忘れちゃったの?」
 ローラはそういって、かたわらのベッドに寝ている赤ん坊を見て、にっこり笑った。(完)

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『世界の恐怖怪談』荒俣宏、武内孝夫著 学研 1977年


時空の歪みという壮大なテーマをごく普通の一般人の目線で描いていて、異世界に迷いこむリアルさを感じる傑作だと思います。たった一票差で議会の承認を得られなかったメイコン・ハイツという存在しないはずの住宅地に迷いこんでしまった男の話ですが、一票差で町そのものが生まれるかどうかが決まるなどのギリギリの決断をしているようなバランスの悪い♂゚去はとても不安定で、ちょっとしたきっかけがあると、もう片方の可能性で成立して分岐していた世界に迷いこんでしまう事がある、というようなことを匂わせる描写がとてもユニークで面白いです。何か次元を超えたあるショックが生じるとその影響で、不安定な時空のある箇所は、線路が切り替わるように、可能性の高い近隣の平行世界の時間線に接触したり融合したりする場合がある、という感じでしょうか。未見ですが、先頃米国でドラマ化された「もしも第二次大戦でナチスと日本の同盟国が勝利していたら?」という平行世界を描いた『高い城の男』もそういえばディックの作品でしたね。どちらも、あり得た可能性のあるもしもの世界≠描いた作品ですね。

2004年に2ちゃんねるの書き込みが元で広まったといわれるネット発祥の都市伝説「きさらぎ駅」の話も存在しない駅の話でしたね。それ以前の2002年にサウンドノベルゲームの『最終電車』でも似たようなシナリオで異世界に列車ごと迷いこんでしまった不思議な話がありましたが、電車とかバスとか飛行機や船など、乗物系の不思議話は独特のムードがあって面白いです。スティーブン・キング原作の映画『ランゴリアーズ』は飛行機ごと異次元に迷いこんでしまった話で、独特の時間≠フ解釈がとても面白かったですね。

乗物とは見方を変えれば動く密室≠ンたいなものですから、「もしかしたら意図しない目的地に連れていかれるかもしれない」という空想が入り込む余地があるのかもしれません。そうしたところが、何かの拍子に別世界に通じてしまいそうな、不思議な感覚を誘うのでしょうね。

メモ参考サイト
きさらぎ駅とは?(ピクシブ百科事典)

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かつてオーパーツではないかと騒がれた「ピリ・レイスの地図」 1513年

地図のミステリーというと、オーパーツで有名なピリ・レイスの地図がありますね。1513年に作成されたこの地図には、当時まだ発見されてされていなかった南極大陸(1820年に発見)が描かれている!ということで話題になりましたが、「南極に見える部分は実際は南米大陸なのではないか?」という懐疑的な主張も説得力があるために、今ではあまり取り上げられることも少なくなりました。理性的に解釈すれば、懐疑派の言うことのほうが合理的かつ論理的ですから、一般にはこのピリ・レイス地図はオーパーツではないということで決着してしまってるかのような雰囲気ですが、オーパーツである可能性もゼロではないですし、不定形の羊皮紙に宝島の地図のようにデコラティブに描かれた風情も相まって、未だにそこはかとない神秘な雰囲気を醸し出していて素敵な地図だと思います。

メモ参考サイト
ピリ・レイスの地図(ウィキペディア)

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カボチャ型にぐにゃりと歪んだ地球に描かれた世界地図。その北極点に結んだロープで地球を軽々とつまんで持ち上げる神の右手がなんとも神秘的でイイですね〜 よく見ると右上の端っこにサツマイモみたいな形にひしゃげた日本が描かれてますね。これは1602年にウィリアム・キップ(William Kip)によって作られた、わずか8センチほどの直径に描かれたオカルティックな世界図の版画です。世界に二つしか現存しない非常にレアな地図で、イングランドのアマーシャム(Amersham)という町に在住するS・イスラー(S.Isler)氏と大英博物館のみが所蔵している地図のようです。書き込まれている碑文のほとんどはヘブライ語の「エホバ」を除いてラテン語で書かれています。

こちらのオカルティックな味わいのレアな世界地図も南極大陸発見以前に作られたものですが、ふつうに南極が描かれています。調べてみると、すでにプトレマイオスが南極の存在を2世紀頃に予言していて、ずっと想像上の仮説のままではありましたが、南極に大陸が実在する可能性はずっといわれ続けてきたようです。この図の南極は実際よりもすごく巨大に描かれてますが、「北半球の陸地とバランスをとるようにそれに匹敵する面積の陸地が南の果てにあるのではないか?」という仮説に則ったもののようです。この当時考えられていた南極大陸の存在って、ほとんどムー大陸とかアトランティス大陸とかと同じくらいにミステリアスな存在だったのでしょうね。ちなみに地図上に描かれた南極大陸に横断して書いてある「TERRA AUSTRALIS INCOGNITA」というラテン語の文は「南の未知の土地」という意味です。

メモ参考サイト
メガラニカ(ウィキペディア)
メガラニカとは、かつて想像されていた仮説上の南極大陸の名前です。

位置情報ブログ内関連ページ
秘境探検
posted by 八竹釣月 at 04:40| Comment(0) | 精神世界

2017年07月11日

おかしなひらがな

今回は先日古本市で見つけたイタリアで復刻された18世紀フランスの百科事典「Encyclopédie di Diderot e d'Alembert」という本をご紹介します。イタリアで復刻されたので書名はイタリア語ですが、直訳すると「ディドロとダランベールの百科事典」となります。フランスの美術批評家ドゥニ・ディドロ(Denis Diderot 1713〜1784年)と、同国の哲学者、数学者、物理学者であるジャン・ル・ロン・ダランベール(Jean Le Rond d'Alembert 1717〜1783年)による共同編集による百科事典で、この本は彼らの代表的な仕事として知られているようです。フランス語のオリジナルの原本のタイトルは『Recueil de planches, sur les sciences, les art libéraux, et les arts mécaniques, avec leur explication(科学、リベラルアーツ、工芸品などのコレクションと解説)』となっています。

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とにかく大きいです。400×270mmくらい、タブロイド新聞とだいたい同じ判型です。比較のために文庫本を置いてみました。


私が手に入れたのはイタリアのグラフィック・デザイナー、フランコ・マリア・リッチ(1937年〜)による編纂の復刻本で、1970年代に全18巻のシリーズで出されたものです。ゲットしたのは、このシリーズの2巻目です。

中身は18世紀の科学技術や工芸、伝統的な紋章などの図版が、百科事典らしく雑多にたくさん収められています。中でも目を引くのは中程のページに収められている世界各国のアルファベットで、アラビア語や中国語、はてはどこの異次元世界の言語か?と思うような見た事の無い文字まで、68ページに渡って紹介されています。

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紹介したい珍奇な図像はたくさんありましたが、とりあえず今回は日本の「ひらがな」が載っているページをご紹介します。よく見るといくつか間違いはあるものの、大筋では正確とも言える微妙な感じが、18世紀という時代の情報伝達のレベルを感じさせる興味深い図像だと思います。

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「Alphabets Japonois(日本語のアルファベット)」と題されたプレート。ひらがな、カタカナに並んで元になった漢字も添えられています。大筋合ってますが、ところどころ怪しい部分があって、そこがまた面白いところです。そもそも致命的なのは、この表の作成者が、ひらがなとカタカナが同じ漢字を崩して出来ていると勘違いしているらしいところですね。対応する漢字のところをよく見ると、ひらがなの元の字だったりカタカナの元の字だったりとマチマチです。表を作りながら、「いったい、どういう崩し方をすればこうなるんだ!」と混乱しながら作成したことでしょう。

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へんてこな文字をいくつか拾ってみました。草書体の日本語からアルファベット表を作成していますから、かなり苦労したのではないでしょうか。連綿(文字同士の繋がり方)によってさらに崩れた文字は日本人でも読解に苦労するほどなので、異国人が作成したわりにはけっこうがんばって解読してると思います。「ふ」とか「ゆ」など、はじめて外国人がひらがなを見たら、たしかにこんな感じに見えてもおかしくない気がしてきます。

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よく見ると「う」と「ん」が重複していますね。「う」も「ん」も実際の発音は、外国人からは似たように聴こえるのかもしれないので、こういう誤記の理由もそのあたりにあるかもしれないですね。

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「お」と「を」も重複しています。ここまで一致してると、表の作成者もさすがに気づいていながら作ってると思います。たしかにこれは日本人でも発音を区別しない事が多い文字なので、作成した人も混乱しながら「同じだろ!」と思いつつ作ったのでしょう。

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参考までに、現代の書道でも手本として参照されるかな草書の達人、紀貫之(872〜945年)の達筆な書です。こういう感じの文字が書かれた資料を、日本語をはじめてみる外国人が解読しようとすると、あのようなアルファベット表になるのは、ある意味当然の成り行きかもしれないですね。

18世紀というまだまだ世界が無限に広かった時代と、ヨーロッパという当時の世界最先端の学問、科学、技術を誇っていた人たちの目から見た世界というのは、なかなか興味深いものがあります。人間の文化はほんの百年遡っただけでもとたんに別世界ともいえるほどガラリと様相が変化していきますが、そういうとこが歴史の面白さですね。

12世紀あたりから続いて来た欧州の黒歴史、魔女狩りがようやく治まるのが17世紀後半なので、18世紀というと、そうした迷信の時代から科学の黎明へと脱皮を遂げる時代だったのでしょう。こうした百科事典が出版されるような科学と文化の発展が見られた時代でもあり、アメリカの独立宣言(1776年)やフランス革命(1794年)などもあったりと、新時代への変革に伴うエネルギッシュな熱気に満ちたものを感じる時代ですね。

話を戻して、今回の本についてですが、古本市では、この百科事典の2巻目しか置いてなかったので他の巻に何が載っているのか気になって調べてみました。そしたら、な、なんと当時モノのオリジナルの百科事典を全ページをスキャンしたデータがネット上にありました。恐るべしインターネット。

原本『Recueil de planches, sur les sciences, les art libéraux, et les arts mécaniques, avec leur explication』の全ページが無料公開されてました。
https://archive.org/details/fre_b1886824

今回ご紹介した妙なひらがなの該当のページはこちらです。
https://archive.org/stream/fre_b1886824#page/n951/mode/2up

毎回、こんなマイナーなものはさすがにネットに転がってないだろう、と思ってるものが当たり前のように転がってるのを目の当たりにすることが多いですが、まさしくネットの世界も「電脳コイル」の世界みたいに、どんどん現実世界と拮抗する底知れない世界に膨れ上がっているような錯覚を感じる昨今です。
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2017年06月11日

【音楽】ふと聴きたくなった音楽選集

るんるんSimon & Garfunkel「Scarborough Fair」
美しいメロディに乗せられて輪唱みたいに歌われる幻想的な歌詞がなんとも素敵な曲ですね。繰り返される「Parsley, sage, rosemary and thyme(パセリ、セージ、ローズマリー、そしてタイム)」の歌詞、聴いてるだけで心地いいハーブの香りがしてきます。サイモン&ガーファンクルといえば、「サウンド・オブ・サイレンス」「明日に架ける橋」「冬の散歩道」などなど20世紀のポピュラーミュージックを代表するような名曲をいくつも送り出した有名なフォークデュオですが、この曲は中でもひときわ心惹かれます。元になっているのは英国の民謡だそうですが、オリジナルの歌詞に付け加えられた反戦歌のような歌詞が輪唱のように歌われるのがユニークです。曲が発表された1966年はベトナム戦争(1960〜1975年)の真っ最中のようですから、そうした時代背景を踏まえて聴くといっそう深みを感じます。「And to fight for a cause they've long ago forgotten(そして、彼らはずっと前に忘れてしまった理由のために戦う)」のくだりなど、永遠に続くかのような泥沼の戦争のただ中の時代に漂うメランコリックなムードを感じます。メインで歌われる歌詞は牧歌的なラブソングだけに、輪唱される厭世的な反戦詩がミステリアスな印象を醸し出してます。

メモ参考サイト
「Lyrics - 訳詩の世界」様による和訳



るんるんYael Naim「New Soul」
2008年にアップル社の製品「Mac Book Air」のCMで使われたことでも知られる大ヒット曲ですが、歌詞もいかにもジョブズが好みそうな感じのスピリチュアルなテイストでユニークですね。歌詞の主人公は、この世界に生まれたばかりの命そのもので、彼が人間なのか、あるいは他の生き物なのかはわかりませんが、自分がまさに生まれた事への喜びと、これから過ごすこの奇妙な世界への期待感を瑞々しく表現していて面白いです。本来言葉を持たない生まれたての魂≠ェ、もしもあえて言葉で、自分がこの世界に誕生したことを表現したとしたらどうなるか?というのがこの曲のコンセプトだと思いますが、斬新なようでいて同時に普遍的な、とても秀逸な着眼点に感服します。もしかしたら、私たちは皆、この曲の主人公のように、この地球というワンダーランドで、楽しく愉快に遊ぶために生まれて来たのかもしれません。「この宇宙は遊戯です。神のように踊りなさい、歌いなさい。それで十分です」というインドの聖人ラーマクリシュナの言葉がありますが、まさにそのように人生を満喫して生きたいものですね。

メモ参考サイト
「名曲から学ぶ英単語」様による和訳



るんるんThe Third Rail 「Run, Run, Run」
るんるんThe Third Rail 「Invisible Man」
ザ・サード・レールは60年代後半に活躍したアメリカのバンド。音的にはブリティッシュロックっぽい感じでかっこいいですね。キャッチーな曲作りながらいい具合に実験的なひねりもあってセンスを感じます。


るんるんEagles「Hotel California」
言わずと知れたロック史に輝く名曲「ホテル・カリフォルニア」です。定期的にふと聴きたくなる曲です。けだるい空気感とどこかメランコリックな耳に残るメロディに乗せたつかみどころのない謎めいた歌詞が魅力です。サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」(過去の記事)と並んで、神秘的な寓意を感じる好きな曲です。後半の哀愁のギターソロも、ギターが何か言葉にならない言葉を必死で伝えているような雰囲気でシビレます。歌詞の途中で主人公はホテルマンにワインを頼みますが、「We haven’t had that spirit here Since nineteen sixty-nine(こちらには1969年以降のスピリットは置いていません)」という答えがかえってきます。スピリット(spirit)はここでは蒸留酒を指してますが、「魂」という意味も重ねていて、アメリカのニューヨーク州で行われた伝説的なロックフェスティバル「ウッドストック」の開催された年が1969年であることから、「1969年以降のロックには魂はなくなってしまった」という暗喩が込められているといわれてますね。奇妙なホテルから脱出を試みる主人公にガードマンが落ち着いた風情で口にするラストの台詞がゾッとさせます。松任谷由実の「時のないホテル」の歌詞もこの「ホテル・カリフォルニア」を意識した曲だといわれていて、ユーミンの曲の中ではかなり異質で、シュールでミステリアスな歌詞は一聴の価値があります。

メモ参考サイト
「MAGICTRAIN Music Blog」様による和訳



るんるんBlossom Dearie「Charade」
可愛らしい少女のような声が持ち味のジャズシンガー、ブロッサム・ディアリーによる映画「シャレード」のテーマ曲のカバー。ミステリアスな旋律がかっこいいですね。映画はまだ見てないですが、オードリー・ヘプバーン主演のサスペンス映画ということで、機会があればいずれ鑑賞したいです。


るんるん水曜日のカンパネラ「千利休」
るんるん水曜日のカンパネラ「アラジン」
ヒューマンネイチャー≠ノツボりました。センスのあるノリのいいメロディアスな曲とナンセンスなギャグソングの絶妙なコンビネーションがクセになる水曜日のカンパネラ、いまさらですがイイですね〜 コミックソングは、おうおうにして歌詞だけでなく曲も面白系な感じに作曲してしまいがちですが、そこをあえて曲調までお笑い路線にしないところが新鮮ですね。コムアイさんの一所懸命な感じの文系テイストのボーカルがまた絶妙で素晴らしい。


るんるんJames Blackshaw「River of Heaven」
12弦ギターの深みのある豊穣な音色が素晴らしい!ジェームズ・ブラックショウは英国のギタリスト。まだ30代半ばという若さながら、去年(2016年)の4月に引退を発表したそうです。2012年に来日公演があったみたいですが、もう生で聴く機会がないというのは寂しいですね。

メモ参考サイト
2012年来日時のインタビュー(「dacapo」様より)


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タグ:音楽 邦楽 洋楽
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2017年05月12日

図解・幼女お遊戯「タンタン狸」

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婦人雑誌『主婦之友』(昭和8年[1933年]12月号 発行:主婦之友社) より、可愛らしいおかっぱ幼女によるお遊戯「タンタン狸」の振り付け写真をご紹介します。「タンタン狸」というと、「風も無いのにぶ〜らぶら」でお馴染みのあの牧歌的な下品ソングを一番に思い浮かべてしまいますが、記事にある踊りの解説文を見ると解るように、どうもあの歌ではなさそうです。歌詞の語調からいっても、例の俗歌とは全く違う曲っぽいですね。まぁ、さすがにいたいけな幼女にあの俗歌を振り付けて踊らせるような企画が、普通の雑誌の記事として掲載されてたらびっくりですが。しかしこの謎の童謡「タンタン狸」ですが、ネットで調べても、あの下品な俗歌の事しかヒットしないので結局解りませんでした。

ちなみに下品な方の「タンタン狸」の曲は、なんと賛美歌の曲が元ネタになっているようです。どういう経緯でこの俗歌が生まれたのか気になる所です。

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