2017年03月04日

トランプゲーム『大富豪』について

専用ゲーム機でFFシリーズなどを遊ぶのも楽しいですが、面白ければ面白いほどゲームは「止め時」が難しく、ほんの時間つぶしのつもりではじめてみたものの、結果的に貴重な睡眠時間を削ってしまった、という経験のある人も多いと思います。そういうこともあって、ここ数年私は、花札やオセロなど、サッとプレイできてサッと止めれる無料オンラインゲームのほうがプレイする機会が多くなりました。昔からあるボードゲームやカードゲームの定番は、勝負がつけばそこで終われて、ロールプレイングやアドベンチャーゲームのようにいったんステージクリアしても「次のステージが気になる!」という後引きがありません。

前置きはそろそろ切り上げて本題に入りますが、そうした定番ゲームの中のひとつ、トランプの『大富豪』をオンラインゲームで遊んでいるときにフト思う事があったので、その勢いで記事を書いてみた次第です。『大富豪』というゲームは、なんとなく欧米とかで昔からあるゲームのように思ってましたが、(類似のゲームは海外にもありますが)一応日本発祥のゲームらしいですね。『ポーカー』とか『ブリッジ』などはいかにも海外のゲームといった名称ですが、『七並べ』も外国から輸入されたゲームのようです。で、『大富豪』は、Wikiの記述では、70年代あたりの学生運動が下火になりかけた頃に広まったゲームであるという、作家の三田誠広(みたまさひろ)氏の説を取り上げていますね。たしかに「富豪」、「平民」、「貧民」などに振り分けられたりとか、マルクスとかの階級闘争っぽい概念が垣間見えるネーミングで、なるほどといった感じがします。

そうして考えてみると、このゲームをスリリングなものにしているユニークなルールのひとつ「革命」など、モロにソレっぽい感じがしてきて、学生運動にかかわった学生から発祥したという説もそれなりに信憑性があるように思えてきます。いうまでもなく、このゲームでは大富豪になった者が勝ちです。学生運動というとプロレタリアート(労働者)の主導する社会を理想とする、みたいなイメージがありますが、そうした中で誕生したワリに、ゲームではみんな素直にあこがれの大富豪≠目指してしまってます。なんとなくイデオロギーを超えた人間の本音が垣間みれて面白いところです。

で、一番言いたいのは実はそのことでもなく、このゲームのルールについてです。日本発祥のトランプゲームの中で『大富豪』はもっとも親しまれているゲームで、そのため全国で様々なローカルルールが存在しているようです。そうした細部は置いておき、根本的なルールは「最初に手持ちのカードを全て使い切った者から勝者が決まっていく」というものです。つまり、この『大富豪』というゲームは、自らの資産(手持ちのカード)を競って減らすゲームであり、先に自ら富をゼロにした者が大富豪≠ニ呼ばれ勝者となります。学生運動時代に生まれたというところから、ここに皮肉めいたものも感じたりもしますが、もうすこし素直に考えてみると、どこか奥深いものを感じます。

老子は、何も持たないことは全てを所有することと同じである、というような思想を説いてましたし、イエス・キリストも「与えよ、さらば与えられん」と、得るためにはまず自らが他者に与えることが必須であるといっています。大雑把にいえば、古来からの多くの聖典では、多くを与えた者が多くを得るという見えない世界の法則に言及しています。仏教でいう無執着という考えもまた、単純に欲しいモノを諦めろ≠ニいう思想ではなく、執着しないほうが執着してるより多くを得るということを暗に示しています。先に自分を空っぽにした者から上がりになる『大富豪』というゲームのルールの中に、なんとなくそうした精神世界でのルールを感じた、ということであります。『大富豪』が人気のトランプゲームになったのも、そうした真理の欠片がルールの中に仕込まれているせいなのだろうか?とフト思った次第です。

メモ参考サイト
無料で遊べる『大富豪』(「ゲームのつぼ」様のサイトより)

まぁ、『ババ抜き』や『七並べ』も競って手持ちのカードを減らすゲームではありますが、その減らしてゼロにした者を『大富豪』と称する部分がスピリチュアルな示唆を感じるところです。そういえば『ひぐらしのなく頃に 解』のラストのクライマックスで、『ババ抜き』に関する台詞がとても印象に残っています。これもまた精神世界の深淵を貫くような暗喩があって感銘をうけました。大長編シナリオの画竜点睛ともいえる台詞でしたね。

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1840年に作られた風変わりなトランプの復刻版です。数札がすべてゲーテの作品に想を得た絵柄にスート(トランプのマーク)を組み入れたものになっているお気に入りのデックです。石版画っぽい妖し気な図案にワクワクしますね。いわゆる一般のカードは絵札(J、Q、K)が凝ったデザインですが、このカードの場合は上位札よりも数札がこのようにとても凝った作りになっていてとても面白いです。このような絵柄の中にスートを組み込むデザインのカードは「トランスフォーメーション(transformation 変容)」と呼ばれ、主に欧州のメーカーによっていろいろバリエーションが作られています。コレクターにとってなかなか魅力的なジャンルのカードです。写真のカードは、「GOETHE(ゲーテ)」というタイトルで、イタリアのLo Scarabeoというメーカーによる復刻版です。現在でもアマゾンや楽天などで入手可能です。

トランプ自体は前々から神秘主義的な背景をもったカードという魅力があり、コレクションもしていて個人的になみなみならぬ存在であるのですが、それに加えて昨今話題の絶えない第45代アメリカ大統領が奇しくもプレイングカードの日本での呼び名と同じトランプさんということで、今回の記事も含め、何か自分の中で今年はトランプ≠ェいろんな意味でキーワードになりそうな気がしています。
posted by 八竹釣月 at 03:36| Comment(0) | ゲーム

2017年02月26日

篆書(てんしょ)の魅力

版画用ビニール板で自作落款(らっかん)作りにハマっているところですが、またあれからいくつか彫ったので写真を撮ってみました。このような、名前や雅号などの署名的な意味から外れた趣味的なハンコは遊印(ゆういん)ともいうようですね。

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篆書体で「星体遊戯」と彫ってます。星体とはオカルティズムでいうところのアストラル・ボディのことです。幽体離脱などで言われる「幽体」のこと、といったほうが解りやすいでしょうか。これは人形師の吉田良一さんの初期作品集のタイトルからの引用なのですが、「幽体」ではなく「星体」というところが洒落てますよね。アストラル (Astral) とは、「星の」「星のような」「星からの」「星の世界の」などを意味するようなので、むしろ「星体」という単語のほうが正確なのでしょうが、「天体」の意味との誤用を避けるためにオカルティズムでは幽体のほうを使用しているのでしょうね。

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篆書体の「北斗七星」に柄杓型の星の配置図を入れてみました。

趣味というのは、最初はいい加減な気分で遊び半分で気軽に手を付けつつも、いつのまにか本気でハマっていく、というケースが多いですが、もしかするとこのハンコ作りも新たな趣味になりそうな気がしてきました。

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本腰を入れてシャチハタのスタンプ台を導入しました!さすが百均のスタンプ台よりきれいな印字です。何度か試印して版面の油分が取れてインク馴染みが良くなればもっときれいに印字できるようになるかもしれません。

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(左上)版画用ビニール板。(右上)百均にハンコの持ち手にちょうどいいサイズにカットされたウッドブロックがありました。(下)なにげに自作ハンコも数が増えてきたので木箱にしまっています。

ハンコの白くしたい部分は、白抜き文字なら問題ないのですが、白地の面積が多いデザインの場合、デザインカッターだけではカットしていくのが難しいので、思いきってパワーグリップシリーズの1.5ミリ丸と3ミリ丸の彫刻刀を思いきって買ってみました。さすが切れ味がよく、小気味良くカットしてくれるのでスムーズに彫れるようになり、また一段と落款作りが楽しくなってきました。

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『篆刻字林』服部畊石・編 三圭社 昭和23年(1948年)
昨日古本市で見つけた篆書体辞典です。

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先日の記事でご紹介した篆書体辞典は書道などで書かれる標準的な篆書体なのですが、こちらの辞典には、標準形のほかに印鑑用に整えられた篆書体「印篆(いんてん)」や、金石文字などの古代文字まで併記されていて、ハンコの図案の参考にすごく役立ちそうなのでゲットしました。

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「田」のところなど面白いですね。なんか「田≠チぽいことが雰囲気で通じればなんでもアリ」な感じでイイですね〜

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「山」の印篆はなんと15もの異字体が紹介されています。先日「福」の異字体を百種類書く書道のモチーフ『百福図』についてちょっと触れましたが、漢字って奥が深過ぎます。ただでさえ文字数の多い漢字ですが、さらに個別の文字にも異字体がてんこ盛りというのが面白いですね〜

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「山」の印篆が載っている箇所の拡大。いくつかは「山」と判別できますが、中にはこうした辞典で調べない限り判読不可能な異字体もありますね。

現代使われている印篆は中国の漢の時代に成立したものだそうで、印篆もまた紀元前から伝わる伝統的な文字のようです。ちなみに印篆はハンコ用に整えた篆書体なので、基本的にすべての漢字が正方形に収まるような形に整形されています。たしか、ハンコの天地左右にまんべんなく埋めるためにこのような書体になっているというのを何かで読んだことがあります。ハンコの四隅のどこかに空きがあると気≠ェ滞るから、という理由だった気がします。印篆にはそうした易学的な意味があるみたいで、そうしたところもますます魅力を感じます。

posted by 八竹釣月 at 03:04| Comment(0) | 創作

2017年02月24日

夢散歩

「夢」という言葉は、睡眠状態の時に経験する件の現象という意味の他にも、将来の理想や願望を意味しますが、たまに「なんで同じ言葉を当てているのだろう?」と思う事があります。意味的にも睡眠時に見る夢のほうは、一般に生理現象とされていますし、これが将来の希望などをも意味するというのは昔からなんとなく気になっていました。英語でも同様にどちらもDreamですから、もしかすると世界的にそうなのか?と思って調べてみると、どうも日本で将来の希望を「夢」と言い表すのは明治時代あたりからと比較的新しい表現のようで、英語と同じなのは、そもそも英語のDreamを訳すときに「夢」としたために、Dreamの二重の意味も「夢」に当てられたことが現在の慣用になっていったみたいですね。そうなると、じゃあ英語ではなぜ「ドリーム」に二重の意味があるのか?と気になってくるところですが、どんどん話がズレていってしまうので掘り下げずに進みます。

今回は睡眠時に見るほうの「夢」の話です。昨日変な夢を見たので忘備録替わりに書いてみようというのが趣旨です。他人の夢の話ほどくだらぬものはない、という一般論がありますが、個人的には「夢」というのはとても関心のある現象なので、他人の夢にもけっこう興味があります。夢判断みたいな興味はあまりなくて、純粋に、夢の不条理で突飛な世界に興味があるのです。

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昨日見た夢。なぜか異常なほど狭いエレベーターに乗っている。途中の階で止まり、扉が開くとエレベーターを待っている夫婦と目が合う。どう考えても自分ひとりしか乗れるスペースの無い狭すぎるエレベーターなので、申し訳無さそうにペコリを頭を下げて早々にドアを閉めようとする。

フロイトは「夢は無意識に至る王道である」と言ったそうですが、まさに夢は、広大で自由でとりとめのないパワーを秘めた潜在性を、目覚めた意識が捉える常識的な世界で普段生活している我々に気づかせてくれる何かのチャンスのような気がします。フロイトが夢を手がかりに人間の奥深くに封じ込められている無意識の領域に光を当てたのは科学というより、人類文化的な革命だったと思います。フロイトにつづいて無意識の探検家ユングも実に興味深い研究をしていますし、精神分析だけでなく、芸術にも影響を与え、アンドレ・ブルトンを先頭にヨーロッパを席巻したシュルレアリスム運動が興りました。もっとも成功したシュルレアリスト、サルバドール・ダリもフロイトの影響を強く受け、夢の世界を現実世界を写生しているかのように写実的に描いてみせて世界中を驚かせました。

ダリだけでなく、現代でも多くのクリエイターが物理法則までなにかおかしい夢の中の妙な世界にヒントやアイデアを得て創作に生かしているのは周知のところで、そうした夢を意識的に作品に取り入れている作家というと、画家の横尾忠則や漫画家のつげ義春、蛭子能収や小説家の筒井康隆など、いくらでも出てきますね。夏目漱石の「夢十夜」も文豪の巧みな観察眼で10の夢を描き出した作品で印象深く思い起こされます。夢は、自分の理性で思いつく以上のアイデアをもたらす宝庫ですから、これをうまく活用できるようにすることは、チャレンジしがいのあるレッスンですね。

メモ参考サイト
夏目漱石『夢十夜』(「青空文庫」様)

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先日見た夢。身体から切り離された手首を手にしている。これは自分の手だというのが解る。しかし、ちゃんと腕からのびる手は二本ともついているので、これは頭にある手を取り外したモノであることに気づく。だんだんと手首が紫色に変色していく。早く元通りにくっつけないと手首に血液が滞って腐ってしまい、二度とくっ付けることが不可能になってしまうので焦りはじめる。(下の絵につづく)

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手首を頭上に乗せてグリグリとはめ込む。やった、うまくハマって元通りになった。頭上の手首はみるみる血色がよくなり元気にグーパーをしている───。
頭に手首が生えていることを全く疑問に思っていないところが夢の世界独特の感覚ですね。普段の常識も夢の中では全く考慮されてなくて、とことんフリーダムです。


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久住昌之『夢蔵』 情報センター出版局 1995年
漫画家、エッセイストの久住昌之さんが友人知人から聞き描きしたたくさんの夢をスケッチしたキテレツな夢画集。面白くてシュールでなんともいえない存在感をもった一冊です。「一人乗りロープウェイ」の図など、上記の私の夢「狭いエレベーターの夢」と通じる異世界独特の変な設備ですね。絵のタッチもラフスケッチっぽくもあり、かつ意外に緻密でもあるような、まさに繊細なんだかいい加減なんだかわからない夢の独特な世界を上手くあらわしている絶妙なタッチで惹き込まれます。つげ義春さんや吉田戦車さんの絵っていつも夢っぽい≠ニいうか、夢の世界のリアリズムをスケッチするのに適した絵柄だなぁと思っているのですが、久住さんもまた夢っぽいタッチを駆使する異才であることを認識させられた一冊です。現在は『mangaum』と改題されて刊行されていますが、新たに新作の書き下ろしが12点あるらしいのでこの新版のほうも見てみたいですね。


オカルティストの言うような「寝ている時に体験する別世界」としての夢というのも惹かれる概念ですし、シュタイナーやカスタネダなど、多くのオカルティストは夢を単なる生理現象としてではなく、世界の真理を探究するためのひとつの方法論として扱っていますね。無意識の世界は想像を超えた広大な領域なので、理性の範疇を超えた何かスゴイものが潜んでそうです。私も昔「明晰夢」を見る訓練を少しやったことがあり、なかなか面白かったです。夢はなんとなく現実よりもチャチくてアバウトな世界、というイメージがあると思いますが、これはたいてい目覚めたときにはほとんど詳細は忘れてしまうために、夢の世界のディテールが抜け落ちているせいです。

明晰夢とは、自分が夢を見てることを自覚している夢のことで、以前、私は明晰夢を見ることに成功した時に、「夢の世界の事物は現実と較べてどこまで繊細で緻密なのだろうか?」ということが気になって、たまたま夢の中で歩いていた道の脇にあった雑木林の中の一本の木から葉っぱを一枚ちぎり、その葉っぱの葉脈がどうなっているか目を近づけて見てみました。どうせ夢の中の葉っぱだからテキトーな感じなのだろうとタカをくくっていたのですが、実際に夢の葉っぱはものすごく緻密な葉脈がはしっていて、じっと見てると本物よりも瑞々しく、オーラのように光を発しはじめたりしました。おそらく、注意を向けたモノは注意を向けた分だけエネルギーを得るために、どんどん緻密さを増したのだと思います。夢の中の本屋でダリの画集を見ると、ダリが絶対描いていないであろう未知のダリ作品が載ってますし、こういう本が欲しいと思っているものがそのまま出て来たりするので、夢の探索は興味がつきないものがあります。

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アントニオ・ガウディ『カサ・ミラ』
去年の春頃に、人気の無い田舎のあぜ道を歩いている夢を見ました。道の脇は桑畑で、歩いている途中に唐突に巨大な建物がそびえています。H・R・ギーガーの絵を彷彿とする印象で、有機的な曲線が連なっている建物です。とても印象深く、起きた後もしばらく気になっていました。そんなある日、本屋で偶然夢と同じ建物が写った写真を発見してビックリ。それはアントニオ・ガウディの「カサ・ミラ」でした。たしかにガウディの建築って見方によればギーガーっぽいな、と改めて感心しました。それ以来、急にガウディに興味がわき、続いてガウディに影響を与えた当時の芸術様式であるアールヌーヴォー(とくに家具)にとても惹かれるようになりました。以前はグニャグニャして曲線ばかりのノリが気持悪いとさえ思っていたアールヌーヴォーですが、夢をきかっけに俄然パラダイス感を持った魅力的な様式という感じで180度印象が変わりました。


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つげ義春『必殺するめ固め』 晶文社 1981年
つげ義春の夢を漫画にした一連の作品がすごく好きで、つげさんの「夢をできるだけ新鮮なまま表現したイラスト」というか「夢を見ながらその場でスケッチしたかのような」そんな雰囲気がたまりません。『ねじ式』はそうした夢をモチーフにした最初の作品であり、また漫画史に残る大傑作ですが、その後のそうした夢を題材にした本で一番ショックを受けたのは『必殺するめ固め』に収録された作品群です。「そうそう夢の世界ってほんとこんな感じなんだよね〜」と膝を叩きたくなるような秀逸な作品の数々、まさに夢の作品集です。


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『エドガー・エンデ画集』 岩波書店 1988年
夢っぽい世界を描く画家はダリやマグリットなどシュルレアリスムの画家に数多くいますが、ジョルジオ・デ・キリコの雰囲気に通じるエドガー・エンデの独特な静寂で哲学的な幻想とでもいうべき世界は、夢の風景にある奇妙なムード感をするどく描き出していて惹かれます。エドガー・エンデは、『はてしない物語』や『モモ』の作者として知られるドイツの児童文学者ミヒャエル・エンデの父でもあります。超個性派ファミリー、といった感じで、芸術の雰囲気に満ちあふれた羨ましい家族を想像しますが、実際は父エドガーが愛人をつくって同棲して絶望のどん底にたたき落とされた母をミヒャエルが支えになって賢明に助けたりなど、波瀾万丈なところもあったみたいで、やはり深みのある作品を作る作家はそれなりに人生の深淵を見て来ているのだなぁ、と感じます。
posted by 八竹釣月 at 11:48| Comment(0) | 精神世界

2017年02月20日

落款(らっかん)主義でいこう

中国の清の時代に編纂された絵手本図鑑『芥子園(かいしえん)』の復刻版を絵の技法などの参考や、そのまんま画集のように楽しんだりなど、ページをめくる機会が多いです。そうしてるうちに中国の芸術に興味がわいてきていろいろ見たりするようになったのですが、知れば知るほど、中国美術が日本の美術に与えてきた影響などが具体的に解ってきて勉強になります。日本美術との共通点が多いのは当然として、それよりも、日本が取り入れてこなかった部分、中国美術独特の表現形式の面白みにハマっています。

今回テーマは落款(らっかん)ですが、これは書道の作品によくある隅っこに捺されている赤いハンコのことです。これがまた奥が深くて、たんに作家の名前を入れたハンコだけでなく、画面に独特の調和を醸し出すために身分、干支、年号、季節などさまざまな意匠を凝らしたハンコを押すような慣習が元の末期(1300年代頃)に生まれたようです。こうした、単なる署名の意味を超えて画面の調和を出すために作品の一部として積極的に捺す落款の文化が生まれました。この中国美術の慣習が日本にも伝わり、平安時代あたりから日本の書画人も落款を署するようになっていきます。

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郎 世寧『白鷹』(部分)清朝
空間の中央に風雅に留まっている白鷹を囲むように絶妙なバランスで配置された落款が美しいです。絵師の郎世寧(ろうせいねい)とは清朝の宮廷画家として皇帝に使えていたイタリア人、ジュゼッペ・カスティリオーネ(Giuseppe Castiglione)の中国名です。その西洋画の技法を中国画に取り込んだ魅力的な作品の数々は目をみはる素晴らしさがあります。


ただ、やはり日本では落款はあくまで署名捺印の意味合いが強く、あまり落款を主体にした作品は見かけないので、私も落款はたんに署名的な意味合いでみていました。しかし中国美術をいろいろ調べていくと、落款そのものが主体になっているような作品があることを知り、その面白さに惹き付けられているところです。ハンコを見せるために作られたような作品など、ある意味すごく前衛的なのですが、それらが700年以上も前の作品であったりすることに心地よい衝撃を受けました。落款の面白さは、印が捺されることで生まれる空間の美学にあります。何も描かれていない空間の広がりを印を捺すことでより「空間」を強く認識させたりするところは、手塚治虫が何も音がしない無音の空間に「シーン」とあえて擬音≠入れることでより無音であることを意識させたことを連想しました。落款によって調和した空間の風流な雰囲気はとても心惹かれるものがあります。

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趙 孟頫『鵲華秋色図』(部分)1295年
趙 孟頫(ちょう もうふ 1254-1322年)は、南宋から元にかけての政治家、文人(書家、画家)。Wikiにこの作品の全図があります。まさにハンコ楽園な感じの逸品。どこか淋しげな風景なのに大量に捺された落款のリズム感によってパラダイスな雰囲気を醸し出しています。落款の不思議な魔力を感じさせる作品です。


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仇英『水仙蠟梅』1547年
仇英(きゅうえい 1494年頃〜1552年)は明の時代の画家。図柄自体はいたって普通の水仙の絵なのに、落款が捺されることで風流で味わい深い楽しいリズム感が生まれ、実に美しい空間の調和を引き出しています。落款そのものに美意識を反映させるノリが実に面白いですね。


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文徴明『湘君湘夫人図』
文徴明(ぶんちょうめい 1470-1559年)は中国明時代の中期に活躍した画家。上記の仇英と並び、明代の代表的な絵師のひとり。あえて広く贅沢に空かした空間が周囲に捺された落款によって際立っていますね。様々なデザインの落款が楽しめるユニークな作品です。


と、そうした落款への興味が深まるにつれ、いつしか自分専用の落款が欲しくなってきました。しかし、ハンコ専門店に作ってもらうと、けっこういい出費になってしまうようなので、とりあえず自作でなんとかできないものか、と早速自作ハンコの情報を検索してみました。すると消しゴムで作るハンコがいくつもヒットしました。一番手軽なのは消しゴムハンコのようですが、消しゴムは素材としてかなり脆く、また消しゴム同士をくっつけたままにしておいたり、プラスチックケースに入れっぱなしにしておくと、接地面が溶け出してくっ付いてしまったりなど、けっこうデリケートなので気の進まない素材であるのがひっかかったので、他に良さげなものは無いかとさらに調べていくと、版画用のゴム板でスタンプを自作している方のブログを見つけ、制作の手軽さにくわえ、保管も気を使わなさそうな感じだったので、さっそく参考にさせていただきながら試行錯誤してみました。

メモ参考サイト
「ゴム板はんこの作りかた。」(「実録ハンコ修行@はざまの庵」様のブログより)


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気分が醒めないうちに近所の百均で材料調達。デザインカッターはあったのですが、肝心のゴム板が版画用ではなく家具の振動防止用などに使う普通の天然ゴムを固めた板でとりあえずチャレンジ。しかしやはり柔らかく弾力があるせいで上手く削れません。まだ消しゴムは試してませんが、おそらくコレよりは素直に消しゴムに彫ったほうが細密に削れそうです。

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というわけで、次の日に版画用ゴム板を近場を探しまわって見つけてきました。はがきサイズで一枚60円でした。さっそく版画用ゴム板で自作落款にチャレンジ!細かいチマチマした作業が性に合っているのかどうか、思ったより楽しくて、ひとつ完成するたびに別の絵面でチャレンジしたくなります。参考にさせていただいたゴム板マスターの方に較べると稚拙さが気になるところですが、まぁ落款はキッチリしたものより、ある程度アバウトというか稚拙さがあったほうが味わいがあるそうなので、ゴム板ハンコの初チャレンジとしては落款はちょうどいいテーマだったのかもしれません。右上は「桃源郷」を篆書体で彫ったもの。左下は「福」の異字体をふたつ彫ったものです。上の「福」はなんとなく「福」を感じさせる書体ですが、下の道教のお札にありそうな記号っぽい文字も「福」の異字体のひとつです。書のモチーフのひとつに「百福図」という「福」の異字体を百種類書いた作品がありますが、そこからふたつ選びました。

メモ参考サイト
百福とは?(「東京書道教育会」様)

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道教の護符のデザインも好みなので、「仙術入門」という妖し気な本に載っていた「諸願成就して富貴になり幸運をつかむことができる霊符」を彫ってみました。

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田口真堂「仙術入門」大陸書房 1973年 より

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彫ってもそのままではスタンプしずらいので取っ手をつけることにしました。百均で角材を調達して適当なサイズに切り落とします。切り口が雑なので、見栄えを良くすると同時に手に馴染みやすくするため、サンドペーパーで角を丸く削ります。彫ったゴム板と接着剤でくっ付けて完成。

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落款は篆書体でつくるとソレっぽいです。押し入れの奥に死蔵していた篆書体辞典が役に立つ日がやっと来ました。

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『篆書体字典』マール社 1988年

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百均のデザインカッター(上)より細かい彫りが出来るのか気になって、オルファの安めのデザイナーズナイフ[216BSY](下)も使ってみました。刃の角度はどちらも30度ですがオルファのほうは刃の胴の部分が細い分、多少細かい作業が楽になりました。ある程度熟達してくれば別かもしれませんが、今のところは百均のデザインカッターでもそれほど不満は感じませんでした。落款は、本来は象牙とか石の印材に彫るもので、そうした材質の風合いもまた味ですから、いずれは石でチャレンジしてみたいです。
posted by 八竹釣月 at 05:42| Comment(0) | 創作

2017年02月05日

自作サイコロ「異次元骰子」

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異次元な雰囲気のサイコロのイメージ図。手前のモノはサイコロの目を「目」に置き換えたもの。後ろはお月様ダイスと西夏文字のダイス。西夏文字の 一〜六 を振り当ててます。数字のような多用する文字まで画数が多いので実際に使われていた時代はさぞや面倒だったでしょうね。西夏文字は、平行世界のアジアの文字っぽい異世界感覚があって興味を惹かれます。

こんなサイコロあったら欲しいな〜という感じで、たまにアイデアメモにサイコロの落書きをしてたのですが、実際に作って現物を見たくなったので、とりあえず紙で作れるサイコロを自作してみました。本当は硬質プラスチックで作れたら理想なのですが、素材的にハードルが高いのでとりあえず紙でチャレンジしてみました。

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インクジェット用の厚紙用紙にプリント。紙工作をしてると、いつしか「できるかな」のテーマが脳内で何度もリピートをはじめます。

テーマは「異次元骰子」。異世界の玩具というイメージで作ってみました。夢の中の玩具屋で売られていそうな感じのシュールでちょっとオカルティックな雰囲気を意識しています。

私がよく見る夢で、本屋とか骨董店に入るシチュエーションがあります。そこに並べられている珍妙な本やオブジェに驚喜しているという内容の夢です。夢の中のオブジェですから、実際には存在しないわけですが、目覚めてからそれらの本やオブジェを思い出すと、なるほど非存在の物体らしい独特の珍奇なオーラがあるモノばかりで、起きたときに運良く思い出せたものはなるべくメモするようにしています。

それにしても、現実よりも夢のほうが、自分の予想を超えたモノが出てくるのが不思議ですね。現実は自分以外の力学で動いているようでいて、実際は自分の想定を超えた事象にはなかなか出くわしませんが、夢というのは、自分の脳が生成しているはずなのに、自分の予想を超えたモノがちょくちょく出てくるので面白いです。まさに乱歩の名言「うつし世は夢、よるの夢こそまこと」を実感として感じるのがそういう時です。

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プラスチックで作れたら最高なんですが、紙でもそれなりにシュールな存在感があります。

オカルティズムでは、夢とはアストラル界(現世と霊界の中間くらいにあるとされる世界)にトリップしている状態を断片的に思い出したものである、という説があり、昔は眉唾で聞き流していましたが、精神世界をいろいろ調べていくと、そういう世界は意外にリアルにあるかも?という気がしてきます。そういう不思議な異世界にある珍奇なアンティークショップというのはロマンが尽きないテーマです。

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せっかくなので、上の展開図2枚の高画質バージョン(300ppi)をZIPで固めたものを用意しましたので、作ってみたい方はお試し下さい。ファイルはA4サイズで、1枚に4個の展開図を入れてあるのでムダが少なく経済的!

【一口メモ】
※ 切りとった紙の断面に表面の色と同じ色を色鉛筆かマーカーなどで塗っておくと、組み立てたときに紙の白い断面が見えるのを防げて見栄えがよくなります。
※ 折り曲げるラインをあらかじめ定規の角などで強めになぞっておくと奇麗に折れます。
※ 中を空のまま作ると軽くなりすぎるので小石を少し入れたりなど多少の重みのあるものを中にいれておくと置いた時に安定します。


高画質「異次元骰子」展開図(1MB)ダウンロードはこちら

ここのところはインドの古代思想に興味があっていろいろ調べていて、そのうちインドに関する記事も書きたいとおもっているのですが、調べるほどにこの世は目に見えてるだけの世界ではないことを思い知らされます。ヨーガの思想では例えば「チャクラ」という肉体を超えた次元の身体に具わっているスピリチュアルな器官を想定して、それを前提にチャクラを活性化させるノウハウがありますが、単なる妄想ではなく、実際にチャクラを開発することによって身体能力だけでなくメンタル的にも強靭になっていくことは多くの人が経験している事実ですし、指圧や鍼灸などの中国のツボの概念も後追いで科学的に根拠が証明されましたが、それと同じようにチャクラというのも実際に身体に作用する何らかの根拠があるものだと思います。

なので、ルドルフ・シュタイナーなどが言う人体の複数の層、肉体に重なるように霊的な身体、エーテル体とかアストラル体があるという説も、あながち妄想でもないと思いますし、そうした次元の異なる身体で夜に肉体を抜け出して体験する出来事が「夢」として目覚めた時に断片的に想起されるという話も、もしかしたら本当かもしれません。まぁ信じたほうが楽しそうですしロマンがあります。このところは真偽が分からないものについては面白いほうを取ることにしてます。

エンデの「はてしない物語」に出てくる古書店やハリー・ポッターに出てくる魔法グッズのお店など、別世界にある物体というのは果てしない魅惑を感じます。「千と千尋の神隠し」で、千尋の親は異世界の食堂で、異世界の食べ物を身体に入れてしまったために異世界から出られなくなってしまいますが、これなどは古事記で語られている黄泉戸喫(ヨモツヘグイ)、つまり異界の食べ物を食べてしまうと異界に縛られて脱出できなくなるという霊的な法則を描いているのだと思います。異界のモノは、食べ物に限らず、そこにあるモノはすべて基本的に現世に持ち込めない不可侵のモノです。異界に存在する景色もモノも、ただ見聞することだけが許されているのみですから、古来から魔術師やシャーマンはソコへ行って見聞し、また無事に帰ってきて部族の者に異界で授かってきた智慧をシェアしてきたのでしょう。

メモ参考サイト
黄泉戸喫(ヨモツヘグイ)とは [「日本神話・神社まとめ」様より]

異界を見聞した経験はないですが、もし行けたとしたら多分神話の世界のような古代世界ではないでしょうね。霊的な身体でしか参入できない世界だということは、この世界よりも物理的にも精神的にも自由度が高い世界である可能性が高いですから、現世よりもあらゆる面で発展していると思われます。そうした世界にある古書や骨董はどんな感じのモノなのか?というのを想像してると、とてもわくわくして楽しいです。
posted by 八竹釣月 at 03:37| Comment(0) | 創作