2018年03月10日

電氣ノ世界(3)珍奇図像

今回は、電氣関連の古書コレクションの中から、昭和7年発行の『最新科學画輯』(朝日新聞社発行)をご紹介します。全編モノクロですが、全ての見開きが右に文章、左に図版というビジュアルチックな構成になっていて、ページをめくるたびに電氣のビリビリ感を感じるような、わくわく電氣ランドといった感じの楽しい本です。けっこう珍奇な図像が多くてイイ感じです。

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『最新科學画輯』朝日新聞社発行 昭和7年(1932年)

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(同上『最新科學画輯』より)

トビラのデザイン。活字でなく、レタリングされた旧字が味があります。

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米国のロバート・J・ヴァングラーフ博士が原始構造破壊用の150万ボルト超電圧を実験している所で、この装置は200万ボルトまでは出せる。(同上『最新科學画輯』より)

頭上のふたつの球体の間を電氣がビリビリいいながら放電していますね。そういえば、よくデパートの科学系の玩具を売ってるコーナーとかに、放電の面白さを鑑賞するサンダーボールとかプラズマボールと呼ばれている玩具がありますが、身近に放電を鑑賞できるとはなんと素晴らしいんだろう、なんて最近思うようになってきてるので、そのうちゲットしたいです。

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13万2000ボルトの変圧器を巻いているところ。(同上『最新科學画輯』より)


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(上)世界大戦の時、米国政府が窒素工業用として創設したウイルソン・ダムの大発電所。(下)大変圧器。米国ジー・イー会社製作のもので、スイッチを入れてから2秒後には150万馬力の変圧をするもので、有名なナイヤガラ発電所のものの2倍ある。(同上『最新科學画輯』より)


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腕木を数多持った電柱の例。(同上『最新科學画輯』より)

ムカデ電柱とでも名付けたくなるキテレツな電柱ですね〜 現在の電柱と比較して見てしまうので、どこかの異世界に迷いこんだようなシュール感を感じますが、当時の人は電柱といったらこういう電柱だったのでしょうから、当時の人には普通に近代化されたモダンな光景に写っていたのかもしれないですね。昨今は電柱や電線のある風景は美観を損ねるということで、電線を地下に通すような開発が進んでいますが、無くなったら無くなったで、「昔あの頃いつもあった電柱が懐かしい…」ということになるような気もします。個人的にはむしろ電線好きですし、現代のアニメには意識的に電線がバンバン出てくる背景を使ったりする作品もよくあるので、意外に「電線は美観を損ねる」というのは、それほど強固な常識ではなく、電線に親しみを感じる層もけっこういそうな気がします。

こんな電氣関係の記事を書きながら電氣について考えを巡らせていると、似たようなモノが引き寄せられてくるようで、書いてるうちに上記の図版のようなムカデ電柱の図版がいくつか出てきましたので、それも紹介します。

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「図説 発明狂の時代」レオナルド・デ・フリーズ著 本田成親訳 JICC出版局 1992年 より
1890年に描かれた米国ペンシルベニア州フィラデルフィアのムカデ電柱を描写した絵。電線てんこ盛りな感じで凄い光景ですね。

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1940年代の米国カリフォルニア州ロサンゼルスの某所の光景。写真だとさらにインパクトがありますね〜 「Water and Power Associates」という水力発電に関する情報をまとめているアメリカのサイトの、昔の電気工事の様子を写した写真を掲載しているページより。「Water and Power Associates」は、ほかにも電力関係のビリビリくるようなヴィンテージ写真が満載の面白いサイトでしたので、興味のある方はご覧になってください。

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(左)扇風機の冷却装置をした高圧器。(右)花畑発電所の154K・V・アレスター。(同上『最新科學画輯』より)

(左)要塞のような厳つい風貌の変圧器がかっこいいですね〜 (右)こちらは現代アートのインスタレーションみたいなユニークな造形美を感じますね。

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大きな方のランプは、5万ワットで15万燭光を出し寿命100時間を有っているが、小さな方は50万燭光を有する写真用フラッシュ・ランプで50分の1秒間に燃えてしまう。(同上『最新科學画輯』より)

ものすごい大きさの電球を持った女性の絵面がインパクトありますね。よく見るともう片方の手には小さな電球も持っていますね。もはや時代はLEDの時代に移り変わった感がありますが、やはり真空ガラスの中でフィラメントが発光するロマンチックさが失われていくことに一抹の寂しさを感じます。そういう気持ちは人類に共通した感情のようで、さっそくフィラメントの電球ソックリのLED電球も開発されていろいろ売られてますね。それまで空気のように気にしてなかったのに、失われると急に求めだすのは人間のサガのようで、私も今頃になって白熱電球のいい感じの灯りを楽しみたいなぁと思うようになってきました。メインの照明はLEDにまかせて、点灯頻度の低い場所には味のあるエジソン電球の贅沢な灯りを味わいたいですね。

メモ参考サイト
エジソン電球(Google画像検索)
フィラメントの形ってけっこうバリエーションがあって、そのままアート作品のようですね。電球は、まさに人間が生み出した人工太陽のような存在で、夜に光をもたらした電球の発明は、よく考えるとものすごい偉業であることに気づかされますね。確認のために、本当にエジソンが電球を最初に発明した人物なのか検索してみたら、予感は当たっていたみたいで、電球を発明したのは実はエジソンではなく、英国のジョセフ・スワンという人のようでした。さらに、その電球を光らせるための電力システムはエジソンの弟子だったニコラ・テスラの功績で、エジソンはうまく彼らの才能に便乗したみたいですね。エジソンとニコラ・テスラとの確執など、このあたりの事情には興味の尽きないエピソードが多く、映画や小説などでもしばしば扱われたりしてますね。

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ネオンチューブで作った脳髄の構造。これを作るに約一千個のチューブを要したもの。(同上『最新科學画輯』より)

レトロSF的というか、スチームパンク的というか、味のある珍妙な写真ですね。ネオン管で脳みそを作るという発想が骨董科学とでもいうような味わいがあります。真空管テレビへの郷愁みたいなものと似たノスタルジーを感じますね。

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トーキーの映写装置。人物はメトロ・ゴールドウィ・メーヤー女優ドロシー・ジョルダン。(同上『最新科學画輯』より)

メカニックな物体と美女の取り合わせは、現代版「美女と野獣」という感じのシュールな美があります。異質な組み合わせの妙からきている面白さなわけですが、現代では女性もコンピューターや先端テクノロジーを駆使していても違和感のない時代ですから、やはり昔の画像のほうが不思議テイストを強く感じますね。現代の二次元イラストでも「メカ少女」というのはもはやひとつのジャンルになっていますが、意外に普遍的な面白さのツボがひそんでいるテーマなのかもしれないですね。

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(上)電氣溶接装置によって、変圧器を溶接しているところ。花火は人の持っている人の持っている極と写真の右下から電源に繋がれている高圧器そのものの間に飛ぶ。(下)回転変流機。富士電氣製造株式会社製の2250キロワット、直流側300ボルト・8500アンペア、交流側6相、回転数300、周波数60。(同上『最新科學画輯』より)


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交差点の四角にある市内電車の信号灯。(同上『最新科學画輯』より)

「信号」の垂れ幕や丸いライトに「進」の字とか、なんかシュールで面白いです。寺山修司の映画『百年の孤独』に、記憶を無くしていく病気にかかった主人公が、柱に「柱」、水瓶に「水瓶」と家中に紙を貼り、はては自分に「俺」という貼紙をしていくシーンがありましたが、あれも記憶の喪失という意味的なものよりも、寺山的には、現実の物体を言葉という現実のイミテーションと並列にすることでシュールな哲学的な絵面を見せたかったように思います。そういえば以前の記事にも書きましたが、実験的なショートフィルム『Rabbit』も、庭のチューリップに「tulip」、窓に「window」、電気スタンドに「lamp」という具合に、学習絵本のようにいちいちモノに名称の文字が付随しているシュールな絵面がユニークで、とても感銘を受けた作品でした。

TVRun Wrake「Rabbit」
海外の古い学習絵本から抜け出てきたようなノスタルジックでシュールな絵面の魅力もさることながら、錬金術を思わせるオカルティックで寓意的なストーリーがまた奇妙で独創的です。作者のラン・レイクさんは、ロンドンを拠点に活躍していたアニメーターで、ミュージシャンのPV映像などで評価の高い気鋭のクリエーターでしたが、久しぶりにプロフィール確認のために検索してみたら、なんと2012年に46歳の若さで惜しくも急逝されてしまったみたいですね。遅まきながらご冥福をお祈りします。

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原町対米送信所。(同上『最新科學画輯』より)

送電塔がバベルの塔チックなミステリアス感があってたまりませんね〜

電気は、その名前に「気」が付いていますが、「気」のつく言葉って、思いつくだけでも、空気、熱気、元気、邪気、本気、勇気、火気、蒸気、正気、狂気、病気、根気、などなど、物理的なモノから精神的なモノまで幅広く使われていますね。共通するのは、何か根源的なエネルギーを「気」と呼んでいることですね。気が病≠でいれば「病気」であり、木のように地に根≠フ張ったような辛抱強さを「根気」とよんだり、感覚的に納得しやすい使われ方をしていて面白いですね。言葉の中には、生命力をもっているようなパワーを感じる言霊的なものも含まれていますが、この「気」も、なかなか奥が深そうです。

旧字の「氣」が「気」になったのは、表向きは単なる簡略化であることになっていますが、言霊的に考えると、日本人の生命力の源である米のエネルギーを取り去って、×印で塞き止めてしまうことになるので、文字のエネルギーを弱体化させているという意見もあるようです。いわれてみれば、たしかに呪術的な意味では旧字のほうがパワーがありそうですね。まぁ、ここではそこまで考えていませんが、なんとなく雰囲気的に「氣」の文字が好きなので、この電氣テーマの記事では氣のほうを使っています。「氣」といえば、中国の氣の概念がすごく面白いので最近気になっているところです。気功の話とか、チャクラと経絡のツボの考察とか、太湖石にみる氣の思想とか、中国の氣の文化を考察した記事もそのうち書いてみたいです。
タグ:電気 古本
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2018年03月04日

電氣ノ世界(2)絵本

電氣は現代文明に欠かせない多くの機械の元になるエネルギーですから、事実上電氣というのは文明を動かすエネルギーといっても差し支えないような気がします。人体もまた脳や筋肉などは電氣を発生して身体を制御していますから、これをアナロジカルに地球にあてはめると、人間の機械文明(鉄道網や航空網、さらにインターネットや電信電話等のコミュニケーションネットワークなど)の拡大は、そのまま地球の身体≠走る神経ネットワークのように思えてしかたありません。

地球の生み出す電氣というと、大空のうっぷんが爆発したかのような雷のような恐ろし気な現象もありますが、天空を覆う虹色のカーテン、オーロラの原理も電氣的なものであります。オーロラの原理は、太陽風や地球の磁力線などの作用によるものという一応の解釈がありますが、未だに詳細はよくわかっていない現象でもあるようです。神秘的な見た目のとおり、その正体も謎めいているところもまたオーロラの魅力ですね。オーロラの幻想的な姿は、まるで神々の住まう天界の様子がつかの間この世に現出したかのような感じで、人生で一度は実際に見てみたいものです。

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オーストラリアの探検家であるダグラス・モーソン(Douglas Mawson)が1900年代初頭に南極大陸で観察したオーロラの図。

メモ参考サイト
オーロラ(ウィキペディア)

オーロラの動画(Youtubeより)
2014年2月27日に、スコットランド北部で発生したオーロラを撮影した動画。

前置きはこのくらいにして、今回は、そうした様々な魅力と実用性を兼ね備えた電氣の啓蒙を目的とした学習絵本をご紹介します。まずは、『デンキノチカラ』ですが、これは昭和16年に講談社から発行された絵本で、絵を担当しているのは私のもっとも心酔している絵師のひとりでもある金子茂二先生です。戦前戦後にかけて児童雑誌の挿絵などをメインに筆をふるっていた画家で、あの極彩色パラダイスな夢の絵本『幼女の友』のメインの絵師として活躍していたことでも知られています。この絵本ではちょうど戦争の真っ最中に発行されているせいか、持ち味の楽園感覚はおさえられて表現してますね。しかし金子先生の気持ちのいい線の魅力は十分堪能できると思います。

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『講談社の繪本 デンキノチカラ』絵・金子茂二 文・柚木卯馬 大日本雄弁会講談社発行 昭和16年(1941年)

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同上。アールデコなデザインのラジオと、デルビル磁石式壁掛電話機がイイですね〜 恐いものの代名詞として江戸時代あたりから「地震、雷、火事、親父」という言葉がありましたが、この絵のヒゲのお父さんを見ても、この時代もまだまだお父さんは恐い存在だったであろう頼もしい存在感がありますね。

メモ参考サイト
デルビル磁石式壁掛電話機(郵政博物館様)

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同上。この時代の電気機関車(国鉄EF55形電気機関車)の漆黒のレトロなフォルムがかっこいいですね〜

メモ参考サイト
国鉄EF55形電気機関車(ウィキペディア)

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同上。家庭の身近な電気器具を並べた見開き。どれもお洒落なデザインですね。機能的には現代の製品のほうが何倍も便利で高機能ですが、昔のアイテムには、豊かな暮らしへの憧れ、みたいな人間の夢が詰め込まれているようなところがあって惹かれます。どれも大事に使われてそうな感じで、機械たちも嬉しそう。

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同上。紡績工場で働く工女さんたち。生き生きとした群像の表現力も金子先生の持ち味ですね。

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同上。歯医者さんで治療をうける子供の図。レトロな治療マシーンのメカニックな感じが江戸川乱歩的なシュールさがあってぐっときますね。

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同上。模型の電車で遊ぶ兄妹。

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同上。「ヤサシイ デンキノ オコシカタ」と題する見開き。身近なもので簡単に電氣を発生させることもできます、ということを説明しています。静電気はホコリ取りとか手品のタネなどの地味な利用のされ方をしている印象がありますが、何か画期的なアイデアで化けそうなエネルギーのような気もしますね。


次は『電気のはたらき』という絵本です。こちらも講談社発行の絵本で、先の『デンキノチカラ』から12年後、昭和28年の発行で、戦後復興を果たして活気を取り戻している感じの時代ですね。この年には日本初のテレビ放映が開始された年です。絵本からも明るい希望が伝わってくる感じですね。基本的にこの絵本は先の『デンキノチカラ』をリニューアルした感じの構成になっています。戦争に関するところだけ差し替えられて別のテーマになってますが、多くのページで金子先生の構図などをほぼ踏襲して描かれていました。

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『電気のはたらき』絵・谷口健雄 文・満田清剛 大日本雄弁会講談社発行 昭和28年(1953年)

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同上。よく見ると、右上の家族団らんとか、右下の歯医者の絵など、先に紹介したページとの類似が解ると思います。微妙に家庭の電化製品のアイテムが時代を反映して新しくなってるのも見所ですね。

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同上。当時の街の様子が垣間みれますね。路面電車が昭和感があっていいですね〜

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同上。夜の繁華街。現代のイメージからすると、この絵の夜の街は暗い印象がありますね。しかし、逆に、夜は暗いものという当たり前の事すら忘れて暮らせている東京などの現代の都市生活というもののほうが、ちょっと行き過ぎているのかもしれません。この絵から感じるような「夜のワクワク感」みたいな感覚も時代と共に薄れてきてる感じもします。たしかに夜の灯りは、防犯に非常に役立ってますし、人々に安心感を与えますが、それとは別のところで、「夜の健全な暗さ」を忘れてしまう生物としての怖さ、みたいなものもありますね。まぁ、すべてがプラスだけの社会というのはあり得ない話ですから、何かを得れば何かを失うのは何ごとにおいても覚悟すべきなのでしょうね。
posted by 八竹釣月 at 05:32| Comment(0) | 古本

2018年02月27日

電氣ノ世界(1)随想

「電気」に対する関心はけっこう以前からありましたが、それは科学としてではなく、神秘のエネルギーといった不思議な畏敬の混じったものでした。おそらく、子供の頃、コンセントをイタズラして感電した経験(ちょっとビリビリしただけの軽度のもの)も影響してるような気もしますが、「電気」という言葉自体が持つシュールで、どことなく鋭さと、危険さ、あるいは、浅草名物「電気ブラン」に見るように、「モダン」の意味が込められた昭和な響きでもあり、明和電気、電気グルーヴなど、テクノ系カルチャーを象徴する言葉でもありますね。まぁ、言葉にしずらい感覚なのですが、とにかく電氣な感じ≠ノ惹かれます。電気という言葉も、電気の気を旧字の「氣」にすると、さらにロマンあふれる感じになってグッときます。

電気(でんき、英: electricity)とは、電荷の移動や相互作用によって発生するさまざまな物理現象の総称である。

「電気」ウィキペディアより


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高圧放電による空気中やガイスラー管の発光現象(1898年)
「図説 発明狂の時代」レオナルド・デ・フリーズ著 本田成親訳 JICC出版局 1992年 より

電氣感≠フある音楽というと、YMOの「磁性紀」は、なんというか、電氣楽園といった感じの雰囲気があって好きです。なんとなくヤバげな陽気さというか、危ない遊園地みたいな、妙に歪んだパラダイス感が凄い曲ですね。YMOといえば、まだシンセサイザーの黎明期だった頃に、どでかい箪笥を積み上げたような機械の箱にプラグを抜き差ししながら演奏している姿にはものすごいインパクトがありました。戸川純、上野耕路、太田螢一の3人組ユニット「ゲルニカ」も、産業革命による戦後復興を成し遂げる架空の戦後日本をテーマにしているような感じのレトロかつ電氣な感じの曲を多く発表していて面白かったですね。電磁石への想いをテーマに歌うという異色の「磁力ビギン」など、未来派音楽っぽいノリが素晴らしいです。そのものズバリ「電力組曲」というのもありましたね。ゲルニカはフルオーケストラでの重厚な演奏をメインにして別世界の郷愁感を表現しましたが、あえてシンセなどの電氣楽器を使わずとも電氣っぽい雰囲気は十分表現できるものなのだなぁ、と感心しました。

るんるんYMO「磁性紀」
フジカセットのCMの映像がものすごく良くて、あのCMを収録しているDVD「Visual YMO the Best」もゲットしました。ほんとにYMOというのは日本の80年代カルチャーを象徴するカリスマですね。テクノブームの主導的牽引だけでなく、音楽のみならず、ファッションやグラフィックデザインなど、当時の文化のあらゆるところにその影響が垣間見えます。

るんるんゲルニカ「磁力ビギン」
YMOメンバーだった細野晴臣が主催するレーベル『YEN』からデビューしたレトロで未来派でドイツで産業革命な感じのカルトなユニット「ゲルニカ」。80年代のカルトスター、戸川純のかかわったプロジェクトの中で、個人的にゲルニカが一番好きです。太田螢一の歪んだレトロ趣味と、上野耕路の類い稀な音楽センスが見事に結晶化した夢のユニットですね。

るんるんStereolab「Spark Plug」
ついでに「スパークプラグ(点火プラグ)」という、電氣な感じのタイトルのステレオラブの逸品。名盤「Emperor Tomato Ketchup(トマトケチャップ皇帝)」からの曲で、すごくいい感じです。

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CDのコレクションを漁ってたら電氣な感じのジャケットが出てきたのでついでにこちらも紹介します。ヴィンテージなピンナップガールの左脇にピンクの帯になにやら妖しい図版が。上のほうにHot Airとか小さく書いてあるので、温風器か、あるいは冷却装置かなにかの構造図なのでしょうか。連なるドーナツ型のコイルにたくさんの矢印が絡み付いているイメージが奇妙で、脇のレトロガールと絶妙なコンビネーションを見せていて、グラフィックデザインとしてもただならぬ個性的センスを感じます。昔のアングラなCDのジャケットアートは、こんな感じの屈折したアート趣味が炸裂しているものがよくありますね。このCDは、90年代にコアなマニアの間で話題になったStock, Hausen & Walkman(ストック・ハウゼン&ウォークマン)なるサンプリングを多用した音のコラージュを特徴とする3人組ユニットのアルバム「Giving Up」です。現代音楽の大家、カールハインツ・シュトックハウゼンとは何の関係もありません。音はノイジーな実験的なノリですが、レトロでモンドなテイストがあり、妙な味わいもあって、独特な個性を感じます。

るんるんStock, Hausen & Walkman「Schweitzer」
だいたいほとんどのアルバムで、中身の半分以上は一発ネタっぽいいかれた感じの短い曲が締めているのですが、こういった味のある曲もたまに混じっています。何か出てくるかよくわからない箱の中に手を入れてクジを引いてるような感じになってくるのがストック・ハウゼン&ウォークマンのアルバムです。

そろそろ音楽の話はこの辺りにして、今回は電氣のビジュアルイメージをテーマに、古本コレクションなど紹介しつつアレコレ語ってみたいと思います。電氣、それは目に見えないながらも現代生活に欠かせない重要なエネルギーでありますが、あえて電氣をビジュアルでイメージすると、ニコラ・テスラのあの衝撃的なテスラ・コイルの放電現象などの、あの放電の花火のような稲妻が思い浮かびます。あとは変電所とか、電柱などでよく見る白いセラミックの蛇腹っぽいアレとか、すごく電氣っぽいフォルムだと思ってます。アレでは伝わらないので調べてみると、アレは碍子(がいし)という名前のようで、電線を絶縁するための器具のようです。蛇腹っぽく見えるのは、円形の碍子をいくつも重ねているからで、この数が多いほど送電線に流れる電圧が高いということになるようです。高圧電線からは有害な電磁波も周囲に放たれ、人体の健康や、作物の生育などにも影響があるようで、電氣の利便性と危険性は表裏一体というところでしょうか。しかしまぁ、よく考えてみれば、薬も量を間違えれば毒になりますし、食べ物も必要以上に摂取すれば病気を引き起こしますから、厳密には良い面だけの存在というのはこの世には存在しません。この世界のあらゆるものは、そのモノ自体は良くも悪くもなく存在していて、全ては扱い方次第なのでしょうね。

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参考写真がないかと散歩中にデジカメで撮ったスナップの中から探してみたら、碍子の写ってるものがいくつかありました。一時期よく電線を撮ってたのですが、碍子は電線の魅力を支える名傍役ですね。

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こちらも碍子を写したスナップ。

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これも碍子がいい味だしてますね。

メモ参考サイト
碍子(がいし)(ウィキペディアより)

テスラ・コイルのダイナミックな放電の図。(ウィキペディアより)
激しい放電の側で平然と読書をするニコラ・テスラ、有名なシーンですが、つくづくシュールな絵面ですね〜

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「電力」岩波写真文庫90 岩波書店 1960年 第4刷 表紙
この碍子の林のごとき壮観な変電所の写真が圧巻です。電氣感バリバリな感じが素敵です。まさに電氣楽園というか、まぁ、楽園と呼ぶにはかなりデンジャラスな感じの威圧感を感じる光景ですが、それもまた電氣の魅力でもありますね。ちなみに、この写真は南川越変電所を写したもののようです。見てるだけで強力な磁界に巻き込まれそうですね。

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同上。高圧送電線を紹介するページ。線画のように空間にそびえる数本の腕を持っている無骨な塔、見ていると、鉄塔同士が送電線を使ってあやとりをしているような感じがしてきます。

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同上。変電所の変圧器などの写真。ビリビリきそうな感じですね〜

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「子供電氣學」山本忠興著(小学生全集第58巻)興文社 昭和4年(1929年) 
小学生向けの学習読物の全集のうちの一冊ですが、大人が読んでもためになるくらいに内容は充実しています。トビラページのタイトルロゴが昭和モダンな雰囲気があってイイですね。

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同上。当時の家庭用電気器具を見開きで紹介しているページ。メカメカしい金属製品が標本のように並んでいる感じが素敵ですね。深緑のインクがまたシュール感を出していてぐっときます。

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同上。「電氣」づくしの目次が壮観ですね。文字量の多い本ですが、電氣感のあるメカニックな感じの図版も多く楽しい本です。

ほかに、電柱や電線、テレビなどのアンテナなども、電氣の妖しいイメージをかき立てるアイテムです。あの、いろいろな怪し気な形状をしたアンテナは、どこからともなくやってくる目に見えない電波を受信する装置でありますから、世界のどこかでは、この世の発信者の存在しない異世界からの情報をキャッチしてしまってるのかもしれない、などと、とりとめのない空想をしてると、不思議な気分になってきます。まさに、そうした空想をかき立てる余地を感じるところが、アンテナというオブジェの魅力でもあります。電波という、空中を飛び交う不可視の情報をチャッチするアンテナという存在には、どこかミステリアスな魅力があり、いい感じのアンテナを街中で見つけたときに運良くカメラの持ち合わせあれば必ずパチリとやってしまいます。以下、自前のスナップ写真の中からいくつかそういったアンテナ美を感じるものをチョイスしてみました。

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昨今、現代生活の必需品となったスマホなどの携帯型電話機の普及により、あちこちに電波を中継するための基地局に立てられている鉄塔を見かけるようになりましたが、あの鉄塔もマグリットの絵を見るときに感じるのと似た妙なぞわぞわ感があって惹かれますね。

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幻聴や妄想などは俗に「電波」と言われてたりもしますね。90年代あたりから言われだしたサブカル的な流行語でしたが、うまく現象を言い表してる便利さもあるためか、すっかり定着してしまった感があります。こうした俗語の定着も、電氣という奇妙なエネルギーへの恐れのようなものが無意識にあるためなのかどうか、気になるところです。妄想の類いには、しばしば「国家権力から脳波を盗聴されている」とか「隣の家から毒性の電波攻撃を受けている」とか、電波や電氣に関するものが多い印象がありますし、10年以上前に「スカラー電磁波」による攻撃から身を守るためという理由で白装束に身を包んだ某団体が世間を騒がせた事もありましたね。人魂もUFOもプラズマが原因だと主張する某教授とか、アメリカはプラズマ兵器で人工地震を世界各地で起こしている、といったプラズマ陰謀論のようなものなど、なにかと電氣に関連するさまざまな現象や物理的な力について、事実なのか妄想なのか区別のつきにくい様々な憶説、言説が無数にあります。こうしてみると、今やあらゆる現代文明の利器が電氣を頼っている時代でありながら、なおも電氣というものに、原始人が恐る恐る手にした火と同じような畏れがあるような気がしますし、そうした言説の背後にあるのは、そのような電氣への謎めいた神秘や畏れなのかもしれませんね。

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散歩中にふと空を見上げたら電線がいい感じだったので思わずシャッターをきった一枚。夕暮れの太陽を反射してきらめく電線が奇麗ですね。
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2018年02月03日

アニメ『いぬやしき』感想

『いぬやしき』なんとなく見始めて、第1話からぐいぐい惹き込まれて一気に最後まで見てしまいました。ロボット老人という設定の妙は、なんとなく大友克洋&江口寿史の『老人Z』を思い起こしますが、物語自体のテイストはまったく別物で、原作が『ガンツ』の作者ということもあって、ナンセンスな設定を用いながらリアルな現代社会の風刺や、生きるとはどういうことか、人生にはどんな意味があるのか、などの哲学的な問いを、壮絶なアクションをはさみながら畳み込むように描いていて、最後まで飽きさせません。

冴えないサラリーマン・犬屋敷 壱郎(いぬやしき いちろう)は、犬の散歩中に宇宙人のUFO墜落現場に居合わせてしまったせいでいったん死亡してしまいますが、宇宙人も良心が傷んだのか、そのままにはせずに急いで出来合いの機械パーツを使って元とそっくりの機械人間として蘇らせます。身体のパーツが全部入れ替わっていますが、心は元の犬屋敷壱郎のままです。しかし、オリジナルの人間の犬屋敷壱郎≠ニは部品が全て違うのだから、この犬屋敷壱郎だと思い込んでる「心」も、もしかしたら入れ替わった機械が犬屋敷壱郎をシミュレートしてるだけで、本当の自分ではないのではないか?という実存的なジレンマに壱郎は苦しむ事になります。このあたりの哲学的なテイストは、物質的に別のモノでそっくりに組み立てられた「自分」は、本物の自分なのだろうか?という問いを投げかける「ガンツ」と通底する部分ですね。

主人公壱郎は、自分は元の「人間・犬屋敷壱郎」なのだ、という確信を得たくて、人助けなどの人間らしい″s為をしながら、人間としての実感を取り戻そうと生きることになります。時を同じくして、同じ場所でUFO事故に巻き込まれたもうひとりの主人公である高校生、獅子神 皓(ししがみ ひろ)も、壱郎と同様の機械の身体を得ます。彼は壱郎と正反対に、人を殺すことで自分が生きているという実感を確かめようとして、無慈悲な殺害を淡々と繰り返していきます。冴えない初老の男でありながら正義の心をもった壱郎と、他人への共感能力に乏しいイケメン高校生が巻き起こす殺戮、という明快かつユニークなコントラスト。明快な設定と激しいアクション&哲学的テイストというのは作者の持ち味なのでしょうね。そうした「ガンツ」から引き継がれた持ち味に、人間愛や家族愛などの情緒的な部分も丁寧に描いたことで、とても魅力的な作品に仕上がっていますね。

機械によって超人的な能力を手に入れたふたりの人間が、その能力をまったく対照的な目的のために行使するユニークさがこの作品の背骨になっていて、正義の老人、壱郎の人助けのエピソードは弱きを助ける必殺仕事人っぽいノリで王道のヒーローもので楽しいです。方や皓(ひろ)のエピソードは、愛に飢えた孤独な少年が、身近にいる母や恋人や幼なじみだけを心の支えに、大事な彼らを守ろうとして結果的に利己的な殺害を繰り返すという、切なくも殺伐としたものです。彼の犯した冷酷な殺人の数々を考えると、同情の余地はないはずなのですが、一方で、皓(ひろ)の狂おしいまでの寂しさや人恋しさが伝わってもくるので、彼のキャラを自分はどう扱い、どう評価したらよいのか悩みました。ある意味、皓(ひろ)は壱郎の闇の部分であり、壱郎は皓(ひろ)の光(理想)を象徴する存在なのでしょうね。壱郎だけのエピソードでまとめあげてもよかったのではないか、とも途中ふと思ったりしましたが、エピソードを重ねるごとに、皓(ひろ)という冷酷さと繊細さを持った、生きる事にとことん不器用なキャラがどうも憎みきれない感じになってきて、見ているうちに、「ああ、そういえば壱郎もまた、皓(ひろ)と同様に、不器用にしか生きれないキャラだったな」ということに気づき、彼をからませるその意図になるほどと合点がいったのでした。

今回は「ガンツ」と違って、宇宙人は裏方というか、最初の「事故」以来どこかに去ってしまって物語には出てきません。なので、より人間描写や社会風刺を掘り下げて描写していて社会派SFっぽいノリもあって面白かったです。ラストはとても考えさせられますね。ネタバレになるので書きませんが、同じ立場だったら自分ならどういう選択をしただろうか?と考えずにはいられない秀逸な結びでしたね。

メモ参考サイト
ウィキペディア『いぬやしき』

『いぬやしき』公式サイト
posted by 八竹釣月 at 18:24| Comment(0) | 雑記

2017年12月25日

UFO、その謎とロマン

 UFO写真!

この前メル友のTさんから、な、なんと!UFOの生撮り画像!を送っていただきました。ブログへの転載許可をいただきましたので、お披露目したいと思います。UFO関係の記事も書きたいと思ってたところだったので、合わせて文章をまとめているうちに今頃になってしまいました。

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黄色い建物の屋上にあるテレビアンテナの隙間から謎の光体!星にしては大きすぎるし明るすぎます。

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しばらくすると斜め上のほうに移動しています。

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埋め込まれた撮影時刻のデータによればこの2枚の撮影間隔は2分ほどであるのが確認できます。とすると、飛行機にしては遅すぎますから、ますます謎は深まります。別の日に目撃した似た光体からはUFO子機らしきものが出てきたそうです。

TさんのUFO写真は、7月初旬に撮られたもので、Tさんいわく、UFOそのものではなく、UFOが出現するワープゾーン(あるいは母船でしょうか)とのことです。Tさんはこうした謎めいた光を頻繁に目にする機会があるそうです。2枚の写真に楕円状の光が写っていますが、たしかに星にしては大き過ぎです。これはTさんからのご指摘ですが、画像ファイルの詳細情報を見ると2枚の写真は2分ほどの間隔で撮られています。となると飛行機だとしたら移動速度が異常に遅過ぎます。ますます謎のUFOっぽさが増してきてワクワクします。

TさんはとくにUFOやオカルトのビリーバーではなく、あきらかに疑わしいものは無理に信じようとはしない方ですが、実体験として不思議な体験もちょくちょくしてる方で、今回のUFOも、そうしたTさんの不思議現象を引き寄せる体質が招いたものだったのでしょう。今回の撮影では、UFOが出る前にTさんは寝ていたそうで、その夢の中でUFOを見せてくれるという予知夢を見たとのことです。たしかに、事前に出るのがわかってなければ撮影は難しいですね。今回の写真は三脚を立ててきっちり撮っておられるので、そこまで準備万端にセッティングできたのは予知夢のおかげだったのでしょう。

UFOというと、異星人の乗物というイメージばかりが先行しがちですが、今回のTさんの事例や画家の横尾さんをはじめとしたUFOコンタクティーに共通するのは、UFOはどういうわけか人間の心に反応する傾向があるということです。来てくれと願うと来る確率が上がるし、光り方や飛び方などこちらで注文するとけっこう応じてくれるものらしいのです。かつてユングも指摘していたように、UFOと人間の無意識というのは、どこか通底する何かがあるような気がしています。


 アメリカ政府はUFO情報を隠蔽しているのか?

この前の米国の大統領選挙でヒラリーさんが「政府の隠蔽している極秘のUFOファイルを開示させる」と公約を発表していたのはご存知の方も多いと思います。トランプさんに負けたのでうやむやになってしまいましたが、米国ではUFO問題を大統領選挙の公約に掲げるほどに国民的な関心が高いという所のほうに私はびっくりしました。エリア51とかメン・イン・ブラックとかMJ12とかロズウェル事件などなど、有名なUFO関連のワードのほとんどは米国発ですから、ある意味、比喩ではなくUFO問題は米国の神話≠フような面があるのかもしれません。

米国政府は長年政府機関としてUFOの調査をしてきたことは有名ですが、UFOとはすなわち未確認飛行物体のことですから、宇宙人の乗物かどうかはさておき、正体不明の飛行物体というのは、国家目線で考えれば、敵国のスパイ行為、あるいは他国からの攻撃の意図を考慮する必要がありますから、軍事的な目的でUFOの調査というのは当然ありえます。もしかしたら、UFO極秘文書というのは多くはそうした軍事機密に属するようなもので、UFOマニア的見地からはあまり面白いものじゃないのかもしれません。しかしながら、見間違いや勘違いや意図的なトリックなどを排除してもなお残る謎の物体は依然としてあります。まだまだUFOは謎めいたロマンあふれる存在であるのはたしかです。

そういえば、最近のUFOマニアがいうような銀河連邦やレプティリアン云々という話は、現実離れしすぎていてまだ信じられないですが、面白い話なのは確かです。そういうのもあってもいいとも思いますし、コンタクティーの人の多くは、そうした話に理解を示す人が多いので、もしかするとそういうSFみたいな話も現実にあるのかもしれません。コンタクティーも多くは眉唾な体験談を語る人が多いですが、とても面白い話が聞けるので、あきらかに嘘っぽい話は別として、面白い見解をもったコンタクティーの話は真偽は保留にして楽しんでいます。後述するハイネック博士の本でも宇宙人と直接コンタクトをした人の体験談とか載っているので、もしかしたらそういうのもあるのかもなぁ、くらいには思っています。まぁ、真偽が不明なものは、否定するより楽しんでしまうのが有益だと思っているので、UFO情報においてはあらゆる可能性を担保して考えてみたいですね。有る無し論争より、人生を豊かにしてくれるかどうか、という視点で捉えるのがUFO(あるいはオカルト全般)に関しては正しいのかな、と思ったりもします。

メモ参考サイト
「UFOの極秘ファイルを開示する」ヒラリー・クリントン氏が前代未聞の選挙公約(The Huffington Post様)



 頭上にいつもある無限

数年前に話題になった宇宙人の屍体解剖の極秘ビデオというのは検証の結果、残念なことに捏造の可能性が高いという結論でしたが、UFOや宇宙人関連の話の多くは、そういったインチキか、あるいは見間違い、勘違いがほとんどを締めるというのはUFOマニアであっても常識のようなところがありますから、私も「またか」という気分になりました。しかしそれでもまた、トリックでも勘違いでもなく、まさに正体不明の飛行体は少なからず今も現実に空を飛んでいるのは間違いないとも思っています。深海には謎の生物がまだまだたくさん生息しているわけですが、海よりも広大な空には、その何倍も謎が蠢いていてもおかしくないように思います。

考えてみると空というのは不思議な空間です。日常の人間の視点は自分の身長の高さで平行に世界を見ているので、いつも有限な世界に生きている錯覚をしてしまいがちですが、ふと空を見上げるだけで、突如無限に底なしの天空が広がっている事実に向き合います。空のどこを見ても、無限に遠く、果てのない空間です。いつも人間は、その頭上に無限≠背負いながら、地球という有限の世界が全てだと、ワザと錯覚しながら生きています。それは、自分はいつかは死ぬ存在だということを無意識に考えないようにして生きているのと似ています。この世的な考えでは、無限というのは扱いにくく、不安なモノだからです。しかし、元を辿れば人間もまた、この無限なる宇宙を母体にして誕生した存在ですから、あえて死とか宇宙などといった無限≠象徴する存在と、正面から向き合って対峙したときに、本来のパワーが目覚め、より人生をパワフルに生きれるのではないか、とも感じます。



 北米インディアンとスターピープル

アメリカのUFO関連のユニークな最近のトピックとして私が関心をもっているのは、インディアン自治区での頻繁なUFO飛来に関するものです。特定のインディアン自治区では、UFOはかなり頻繁に目撃され、宇宙人にさえちょくちょくコンタクトをとったりしているという人も珍しくないらしく、そうしたインディアン自治区における特殊な事情をレポートした『「YOUは」宇宙人に遭っています』という本が最近気になっているところです。まだ未読なのですが、著者がインディアンの血をひく大学の研究者で、そうした出自の利点を生かしたインディアン自治区でのUFO問題のフィールドワーク、という、タイトルのうさん臭さとは逆にけっこう真面目に書かれたもののようです。そのうち読んでみたいと思っている本です。

メモ参考サイト
『「YOUは」宇宙人に遭っています』レビュー(「毎日がエドガー・ケイシー日和」様のブログより)

北米インディアン自治区でのUFO現象は、ケーブルテレビのヒストリーチャンネルで以前『HANGAR 1 〜UFOファイルが眠る場所〜』というタイトルで放映された番組(現在はhuluでも配信されているようです)でも紹介されていて、シーズン2の第5話目「スターピープルの存在」というサブタイトルで、インディアン自治区での不思議なUFO目撃談の数々を紹介していて、すごく興味深いです。アメリカ先住民族である彼らは、古来から宇宙人(スターピープル)とコンタクトをとっていたようなのです。UFOというと、未来的というかSF的なイメージがありますが、このエピソードはUFO問題にしては毛色が変わっていて独特の民族学的なテイストがそそるものがあります。諸星大二郎の短編『商社の赤い花』は普通のサラリーマンが宇宙船で遠い惑星に単身赴任する話ですが、宇宙を舞台に生活感のある話を描いているのがすごくユニークでした。番組もそういうのに似たノリが面白く、インディアンのUFO目撃や宇宙人との遭遇も、ごく普通の日常の出来事みたいに語るインディアンの青年のインタビューにグッときます。目撃談も、巨大な銀色の葉巻型UFOを至近距離で見た話など、UFOの窓から宇宙人がこちらを覗いているところまで証言していて、迫力があります。



 生きている宇宙

UFO問題をいろいろ調べていくと、UFOというものは単なる物理的な物体が飛んでいるというだけではないような気がしてきます。現在の科学の常識では、遠い星から地球に宇宙人がやってくるというのは非現実的に思えますし、環境の異なる星の生物なら、地球上に存在するウイルスや微生物に免疫がないでしょうから防護服も無しに地球に降り立ったりするのもおかしい話です。また、コンタクティの多くが遭遇する宇宙人が人間型、とくにアングロサクソン系が多いのも、どこか地球的な価値観が反映されているような気もします。しかし、途方もない距離の移動には途方もない時間がかかるはずだ、というのもまた常識という名の固定観念ですし、常識に外れているものは存在しないとは言い切れないのも事実です。ある意味UFOは理屈を超えた存在なので、理屈で解釈しても面白くなりません。

よく考えてみれば、我々がモノゴトの真偽を計るモノサシにしている「常識」というものも、地球上の人間だけに通用するだけのモノサシです。この宇宙における生命の発生パターンは、まだ我々の地球上での1パターンしか知らないのが現状ですから、ヒューマノイドが宇宙における知的生物の定番のフォルムなのか、異質でレアなフォルムなのか、全く解りませんし、仮にコンタクティーがヒューマノイドタイプにばかり遭遇しているとしても、それがその異質な体験を否定する根拠にはならないでしょうね。

メモ参考サイト
プラズマ状態で「無機的な生命」が誕生――最新の物理学研究(WIRED様)
人間は地球上での生命の発生パターンしか知らなかったために、永らく「生命の発生には水が必要である」とか「生命体は炭素で出来ているはずだ」とかという常識が支配していましたが、最近の研究ではプラズマ状態の中で無機的な生命体が発生する可能性を示唆しているようですね。こうしたタイプの生命が存在するならば、地球型生命体のパターンを基準に考えられてきたハピタブルゾーンに限定しなくても、もっと多様な可能性がひらけるわけですから、案外宇宙における生命の発生というのは、今まで考えられてきたよりもレアなものではなく、意外とこの宇宙は生命に満ちた世界なのかもしれませんね。

自らも宇宙存在である人間が、面白い℃魔良しとしたり、好んだりするのは、この宇宙自体が面白い事に肯定的であるということだろうと思います。つまり、この宇宙は、つまらない事よりも、面白い事のほうが起こりやすい仕組みになっており、つまらない事よりも、面白い事のほうが真理である場合が多いような、そういうシステムで宇宙は存在しているように思います。一見、つまらない事のほうが頻繁に起こっているように感じるのは、人間のマインドが、この世的な、有限性の罠に陥っているからであり、思考のダイヤルを本来の宇宙の性質である無限に合わせると、面白い事のほうが圧倒的に頻繁に生じているのがわかってきます。

リチャード・モーリス・パックの神秘体験「宇宙が死せる物質によって構成されているのではなく、一つの生ける¢カ在であることを知った」という言葉にあるように、ふだん有限に囲われている心がふとした瞬間無限に開かれると、世界の様相はまったく見た目を変えずに質が逆転します。コンピュータのクロック周波数など、一昔前にいわれていた物理的な上限を今や軽く飛び越えてしまっているように、人間が「できる」と固く 信じた事は、なぜか必ずできてしまうようにこの世界はできているような気がします。これは、宇宙から与えられ人間にそなわった無限≠フ魔法によるものなのでしょう。

天才といわれる数学者や物理学者は、真理はつねに美しいはずだという漠然とした確信をなぜかもっていたようで、正しい答えを必死で求めるというよりは、美しい解法を求めていくうちに歴史的な発見をしたりしたといった逸話を目にしますが、それは逆に言えば、真理に近づくほどソレを美しいと感じるようなアンテナを人間は持っているからかもしれませんね。

私は基本的にUFO肯定派ですが、キャトル・ミューティレーションやミステリー・サークルなどは、懐疑派の主張のほうが説得力があるように思えますし、なんでも信じるというよりはケースバイケースですが、逆にマトモな肯定派(科学的な推論によって解釈する山本弘さん系の懐疑主義的なUFO肯定論者)なら信じないようなことの中にも意外な真実が隠れてる気がしています。宇宙人と頻繁に遭ってコミュニケーションしているとされるコンタクティーの人たちの話は、金髪美人の金星人とデートしたとか突拍子も無い話をする人もいますが、中には真偽は別にして、横尾さんや秋山眞人さんなどの、捨て置けない興味深い体験談を話すコンタクティーもいます。横尾さんはUFOをどこか霊的な現象とよく似た捉え方をしており、そういうところも面白いです。



 J・アレン・ハイネック博士

 私は最初、まったくのUFO懐疑論者だった。つくり話のような(当時の私はそう信じ込んでいた)UFO目撃報告を、片っ端から見破ってはひとり悦に入り、満足していた。UFOが宇宙船であれとこよなく願う円盤狂信者のくやしそうな顔を思い浮かべては、溜飲をさげていたものである。彼らにとっては、たぶん、私は仇敵であったろう。
 だが、そんな私も、徐々にUFO肯定論者になっていった。1960年代の後半になると、完全な肯定派になっていた。これは、当初まったく予想もしなかったことである。
 現在、私は寸暇を惜しんでUFO問題に取り組んでいる。私に変身をとげさせ、これほどかりたてる理由は、UFO現象はたしかに存在するものであり、それを調査し、理解し、最終的には解答をあたえることが、人類の宇宙観にはかりしれない影響を与え、変革への大きな足がかりになると信じているからにほかならない。
───J・アレン・ハイネック

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『ハイネック博士の未知との遭遇レポート』J・アレン・ハイネック著 青木榮一訳 二見書房 1978年


UFO問題の権威というとハイネック博士に言及せねばなりませんね。天文学者のJ・アレン・ハイネック博士は、アメリカ空軍のUFO調査機関「ブルーブック」の顧問であったという過去を持ちながらも、調査を積み重ねていくうちに、たんなる誤認やインチキだけでUFO問題を片付けられないという考えに至り、肯定論者に転向したという特殊な経歴を持つUFO界の重鎮です。「第1〜3種接近遭遇」などのUFO目撃事件の分類を提唱したことでも有名で、UFO映画の金字塔であるスピルバーグの『未知との遭遇』ではアドバイザーをつとめました。肩書き的にも社会的な信用をもった人がUFOに肯定的な情報発信をするのは珍しいですし、それなりにUFO問題が単なるテレビのバラエティネタとしてでなく、人類にとってなんらかのけっこう重要なメッセージを秘めた真面目なものなもののようにも思えてきます。

ハイネック博士によるUFO接近遭遇の分類

第一種接近遭遇
 空飛ぶ円盤を至近距離から目撃すること。

第二種接近遭遇
 空飛ぶ円盤が周囲に何かしらの影響を与えること。

第三種接近遭遇
 空飛ぶ円盤の搭乗員と接触すること。

ウィキペディア「接近遭遇」より


ハイネック博士の著書に、UFO目撃から宇宙人との遭遇まで幅広く証言を集めて分類したものがありますが、やはり宇宙人との直接コンタクトの証言はインパクトがあって興味深いですね。宇宙人と呼ばれている存在が、ほんとうに外宇宙からの使者なのかどうかはさておき、そのような出所不明の謎めいた知的生物が地球のどこかに平然と暮らし、時折人間とコンタクトしている、と考えるととてつもないロマンを感じます。

プロジェクト・ブルーブック(※米国空軍に実在したUFO調査機関の名称)が、夜間の発行物体、空飛ぶ円盤、第一種と第二種の接近遭遇のどの場合にせよ、「信用ある目撃者の語る信じがたい話」をまじめにとりあつかうのを拒否しているのだから、生物≠フ存在をともなうUFO目撃事例、つまり第三種接近遭遇を邪険にあつかったとしても、なんの不思議もない。空飛ぶ円盤≠フ目撃より、生物≠ニの遭遇のほうが認めがたいのは、どうしてなのだろうか?ひとたびわれわれ以外の生物の存在をあえて認めれば、まず競争と敵対関係が怖いだけでなく、未知の存在に対する恐怖の深淵に直面せざるをえないからだろう。p196

『ハイネック博士の未知との遭遇レポート』J・アレン・ハイネック著 青木榮一訳 二見書房 1978年


UFOを単に好奇な珍現象としてだけでなく、真面目な研究対象として確立させたのはハイネック博士の大いなる貢献で、1967年に米国テキサス州に発足した世界最大のUFO研究団体「MUFON(ムーフォン)」でも、ハイネック博士の分類に準じて資料を集めているようです。MUFONは民間団体であり、また調査員も研究員も基本的にUFO肯定派ですから、真偽がグレーのものはシロとして扱ってしまう側面はありますが、それなりに精査して資料を収集しているので捨て置けない情報も多く眠っているようです。このMUFONという組織自体にスポットを当ててUFO問題をマニアックに紹介した米国の番組が上記でも触れた『HANGAR 1 〜UFOファイルが眠る場所〜』というシリーズで、毎回興味深い切り口でUFO問題を紹介していくとても面白い番組でした。UFOに興味のある人には機会があればぜひ全話視聴をお勧めしたいです。




 第三種接近遭遇(=宇宙人との接触)

オカルト好きで有名な音楽家の細野晴臣氏は、昔の雑誌の記事で『ムー』と『UFOと宇宙』を愛読していることが書かれていて、『ムー』は知ってましたが、『UFOと宇宙』という雑誌がどんなものなのか気になっていました。『UFOと宇宙』というと、子供の頃、親戚のお兄さんの本棚にUFO関係の本といっしょに挟まっていたのを覚えているくらいで、よほどコアなUFOマニアが読む雑誌なのだろうという漠然とした印象だけがあったのですが、最近古本市で安価で大量に見かける機会が何度かあり、思いきって何冊かゲットしてみました。

『UFOと宇宙』(14 隔月刊 1975年10月号 ユニバース出版社)には表紙に「特別取材」という煽りで「円盤をよく見る人」という大いにソソるタイトルが書かれており、ものすごく気になったので入手してみました。記事の内容は、イラストレーターの池田雅行氏による詳細な目撃事例がメインで、ものすごい至近距離でのスリリングな目撃事例や詳しい図解などが興味深く紹介されており、またそれだけでなく、第三種接近遭遇、つまり宇宙人との遭遇体験まで含む驚くべき内容で、「信じる気マンマン」の体制で読んでいた私もにわかには信じがたい内容でした。しかしながら、UFO問題でもっとも面白いのがこの第三種接近遭遇の事例であります。そうした事が実際にこの世界では知らない所でちょくちょく起こっているのかもしれない、という気分に浸るのは楽しいです。そうして第三種接近遭遇の事例として宇宙人コンタクティの体験談などに関心が芽生え、関連情報を集めていくうちに、宇宙人とのコンタクトというのは、一般に考えられているほどトンデモでもなく、妄想でもないのではないんではないか?という気分になってきました。UFO問題は、この第三種接近遭遇の事例を受け入れるかどうかがターニングポイントで、ここを超えると一般に真性ビリーバーとして映ってしまうことは避けがたくなってきますが、同時にここを避けて通るとUFO問題の本質に触れることはできませんから、このラインを超えて信じるのはそれなりに勇気のいる決断です。

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UFO専門誌『UFOと宇宙』(右・No.43 1979年2月号、左・No.14 1975年10月号 ユニバース出版社)

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『UFOと宇宙』No.14に掲載されたUFOコンタクティーを紹介する記事。UFOを至近距離で目視したり、新宿駅で宇宙人と遭ったりと、かなりディープなコンタクティーであります。ここまでくるとなかなか信じられないレベルの体験ですが、逆にもっとあいまいで不確かな体験であれば信じるのか?というと、それはそれで疑いの余地がでてきますから、信じるかどうかよりも、まずはありうるかもしれないひとつのファンタジーとして楽しんでしまうのもひとつのスタンスなのかもしれません。

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上記の記事にあるUFOスケッチ部分と目撃情報の図解。ここまで至近距離でUFOを見れたら面白いでしょうね。でも実際にこういう場面に出くわしたら、楽しいというより、怖いかもしれないですね。

UFOとの接近遭遇は、第一種、第二種と進むにつれて信憑性が疑われる度合いが高くなり、第三種、つまり宇宙人などUFO搭乗員との遭遇に至ってはUFOマニアですら意見の別れる事が多く、一般にはほとんどデマ扱いになってしまうのが現状だと感じます。私も、懐疑的であった時期ですら目撃談くらいなら誤認の可能性もありますから真偽は別にして変な飛行物体を目撃することは「ありうる」と思っていました。しかし「宇宙人とコミュニケーションした」とか「UFOに乗って宇宙を旅した」とかいうレベルになると、妄想か虚言のどちらかであるとしか思えませんでした。でも、もしUFOが地球製の物体でないなら、中の人も地球人でない可能性のほうが高いのですから、UFOを目撃するのも宇宙人と話すのもいっしょのようにも思えますし、信じた方が面白いというのもあって、今では、第三種接近遭遇にすごく興味がわいてるところです。

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雑誌『[荒俣宏・責任編集]ボーダーランド』1997年4月号 角川春樹事務所

第三種接近遭遇へ興味がわいたきっかけはたまたま雑誌『ボーダーランド』で横尾忠則氏が語った宇宙人とのコンタクト体験談を読んだことでした。横尾さんといえば、グラフィックデザイナーの時代からオカルト全般に興味を持っていたことで知られますが、横尾さんは芸術家であって荒俣宏のような学者ではないので、オカルトへの距離感がなく、浮き輪の無い状態でオカルト世界を潜水している感じで、横尾さんのオカルトの話はとても直接的でリアルなところが荒俣先生とはまた違った面白さがあって好きです。横尾さんの宇宙人コンタクト体験は、チャネラー(宇宙人や天使や守護霊など、異次元的な存在とコンタクトする人)を通したりするコンタクトの他に、ドリームコンタクト(夢の中で異次元的な存在、霊的な存在とコンタクトすること)がメインだそうです。ただの夢と断じる意見もあると思いますが、ルドルフ・シュタイナーのいうように神秘学的には、夢は単なる脳の生理的な現象ではなく、実在するアストラル界(幽界。霊界と物質界の中間の世界)であるとされています。

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『私と直感と宇宙人』横尾忠則著 文春文庫 1997年
UFOを呼び出すだけにとどまらず、宇宙人との直接コンタクトまで頻繁に行う横尾さんの、相当にディープなコンタクティーとしての側面が垣間見える奇書。


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『優しい宇宙人』秋山眞人・坂本貢一著 求龍堂 2000年
テレビなどでもお馴染みの日本オカルト界の古株、秋山さんの宇宙人とのこれまたディープなコンタクト体験が綴られています。UFOに乗せてもらったり、UFOを操縦させてもらったりという、2百回を越える驚愕の超常体験が次々と語られていきます。と学会の『トンデモ本』シリーズでも取り上げられてましたが、そこでは過剰に思えるようなバッシングをされていて、同意しにくい批判内容でした。秋山氏の容姿を馬鹿にしたり、内容が突飛だから嘘に決まってる的な安直な批判はいただけません。初期のと学会はオカルトを茶化しながらもきちんと論理性をもった批判をしていて安易な中傷は少なかった印象がありますが、後に会長の山本弘さんが脱会したりなど、いろいろトラブルがあったようで、と学会の後期の本はとりあげる本の批評にも少し問題があったように感じます。とはいえ、横尾さんや秋山さんの体験は、理性的なUFO研究家なら退けてしまいそうなぶっとんだ話であるのも事実ではあります。しかしそうしたマトモな常識とやらに揺さぶりをかけてくれる快感もまたあって、私はそうした話を応援したい気持ちがあります。この本も、一方ではトンデモ扱いされながらも、ディープなオカルトファンにはひそかに支持されている本でもあり、古書相場はけっこう高値で取り引きされているレア本だったりもします。


調べていくと、宇宙人コンタクティは思ったより希少でもなく、現代でも、世界中に、また日本にも意外に多くのコンタクティが存在しているみたいで、だんだんと第三種接近遭遇という未知の領域への敷居も低く感じられてきます。第一種、第二種の接近遭遇は、目撃や痕跡など、未知の存在との間接的な遭遇ですが、第三種になると直接的で個人的な体験で、体験という圧倒的なリアリズムの凄みがあり、すべてのコンタクティが事実を証言してるとはさすがに思いませんが、中には真実の体験もあると思いたいですね。

映画やドラマでは、宇宙人は地球を侵略するためにやってきたという設定で描かれる場合がけっこうありますが、米国のサイエンス系の番組でお馴染みのNY市立大学のミチオ・カク教授(理論物理学)は、宇宙人が地球に来ているのだとしたら、彼らはおおむね平和的であるはずだという発言をしたそうです。地球外惑星から地球に来れるほどの科学力ということは、彼らは地球人より軽く数百、あるいは数千年は進んだ文明をもっているはずであり、それだけ長い事文明を維持できたのなら、戦争や犯罪や宗教や差別などの様々な問題はとっくに解決しているはずだというのが根拠で、なるほど科学者らしい合理的な推理だなぁと思いました。たしかに、無駄な争い事が繰り返されていたら、なかなか文明の維持は難しいでしょうし、みんなが協力する社会なら、あらゆる学問や技術が飛躍的に発展していくでしょうね。

ふと思い出すのは「人間だもの」で大ブレイクした相田みつをさんの言葉です。彼の言葉で一番感銘を受けたのは「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」です。これほど人間社会の矛盾を端的に突いた言葉はないですね。この世のあらゆる問題の多く、エネルギー、お金、食料などは、奪い合って足りなくなることで人を不幸にしますが、そのどれもが実は「分け合えば余る」ようなものばかりです。人が人を疑えば、奪うことでしか得られない世界ができますが、人と人が信じあえるならば、分け合ってみんながいっぺんに幸せになれる世界が生まれるのかもしれませんね。

メモ参考サイト
相田みつを「わけ合えば」(相田みつを美術館様)



 赤瀬川原平とUFO

赤瀬川原平といえば、ユーモラスで哲学的な、四畳半シュルレアリスムというか、庶民派前衛芸術家ともでもいうべきか、とても個性的でありながら親しみを感じる独特の表現で昭和を駆け抜けた天才ですが、彼もまたUFOに見入られたひとりでした。UFOというと、宇宙ロマンな存在で、ブームのきっかけはアメリカからの舶来のものですから、なんとなく原平さんの世界とは違和感があるような気がしてましたが、実際に著書『円盤伝説』のページを開いていくと、さすがのUFOも原平さんの世界観に引きずられて、畳の空間が似合う物体になっていて面白いです。日本のごく平凡な庶民の暮らしの中から深遠な哲学的な謎を掘り起こすような独特の原平さんの目線がUFOの考察に独自の切り口を見せていて興味深かったです。

『円盤伝説』は、著者の赤瀬川原平さん本人を主人公に、UFOをお馴染みの哲学的なユーモアで考察していく漫画イラスト集です。絵もシュルレアリスム的で面白いですが、考察の内容も面白いです。第1話の「円盤からの手紙」の中で、UFOの運転手から聞かされるUFOの真実がユニークです。

「そうですよ。この円盤には足がない。だからフワフワ飛ぶんです。だから空飛ぶ円盤なんて実際には存在しないんです。エンジンの音なんて聞こえなかったでしょ?」
「はァ、私もヘンだとは思ったんですが……」
「エンジンがあるとああいうふうにフワフワとは飛べないんです。人間だってそうでしょう。足があればどうしてもエッチラ、オッチラ歩くことになる。足があるのに幽霊みたいにフワフワ飛ぶことなんて出来ませんよ」
p22

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赤瀬川原平著『円盤伝説』 青林堂 1989年


円盤から降りてきた運転手の幽霊が、自分が操縦しているUFOもまた幽霊、つまり霊的なモノだと証言しているくだりです。お話はフィクションではありますが、なかなか興味深い説です。UFOは現実的な物質で出来ているのではなく、そもそもこの物質世界のマテリアルが材料なのではなく、霊的な、別の次元の物体であるということです。この本は、1978年に青林堂から『虚構の神々 超科学紙芝居』という題で出た作品の改題復刻版です。このユニークなUFO幽霊説は、実はあの日本SF界の第一人者、星新一も同じ考えを常々漏らしていたようです。

 敬愛するSF界の大先輩、星新一さんは、私の顔を見るたびに、同じ質問をする。「ねえ、UFOの正体わかった?」そして判で押したように、こうつけ加えるのである。「ぼくはUFOは宇宙から来るのではなく、幽霊だと思うんだがね」
 星さんが隠れたUFOファンであることは知る人ぞ知るだが、べつに専門的データを集めて研究しているわけではない。恐らく作家としての直感からそう言われるのだろうが、案外それがUFO現象の本質を言い当てているのではないかと、いつも内心ぎくりとさせられる。

「UFOは本当に宇宙から来るのか」南山宏 (『月刊ポエム』8月号「特集=星の詩学」 すばる書房 1977年)



UFO現象を正体不明の物理現象としてではなく、そもそもその現象自体が物理的なものではなく幽霊のような心的な現象なのではないか、という星新一の推察は、けっこう鋭いものだと思います。というのは、UFOの目撃も、たまたま目撃するケースだけでなく、頻繁に目撃する人もおり、そういう人は多くの場合、受動的に偶然多く目撃できているのではなく、積極的にUFOが現れるようにテレパシーを送り、かつて流行ったUFO呼びかけの呪文「ベントラ、ベントラ」みたいにUFOを自覚的に呼び寄せるという方法をとるケースもよくあり、もしUFOが人間が念じるとそれに応えてやってくるのであれば、物理現象というより心の関係する領域の現象としてUFOを考えてみるのも有効であるように思えます。深層意識が空に投影されたものがUFOである、というユングの仮説も、またそうした「呼びかけに応えるUFO」を解釈する仮説のひとつだと思います。



 思念とUFO

精神分析学の巨人、ユングもUFOは人間の無意識が空に投影されたものだという風変わりな考察をしていました。

魂はプラトンの「世界霊魂」になぞらえて球形と考えられていたが、現代人の夢の中にも同じシンボルを見ることができる。この古いシンボルの起源をさかのぼれば、すべての「イデア」が貯えられているプラトンの「天外の清浄界」という宇宙空間にまで達するだろう。したがってUFOを単純に「魂」と解釈して一向にさしつかえない。もちろんUFOが現代風に理解された魂というのではない。そうではなく、ある無意識内容、つまい個人の全一性を表す「円環 rotundum」の、自然発生的な元型的、神話的なイメージなのである。p34-35

第二次世界大戦以後、とくに頻繁に現われているようだが、それは共時的現象、つまり意味上の一致であると考えられる。人類の心的状態と物理的現実としてのUFO現象のあいだには、たがいになんの因果関係も認めれない。両者は意味において一致して見えるのである。その意味による結びつきは、一方では投影によって、他方では投影された意味に都合のよい円形や円筒状という、古来対立物の統一を表す形によって生じたものにほかならない。p196

『空飛ぶ円盤』C・G・ユング著 松代洋一訳 朝日出版社(エピステーメー叢書)1976年


文中に出てくる「共時的現象」というのは、今や一般的な名詞に昇格した感のある「シンクロニシティ(synchronicity)」の和訳です。よく例に使われるのは、「久しく会ってない友人のことを思い出していたら、偶然その当の友人から電話がかかってきた」というようなものです。昔の友人の記憶を思い出すことと、その友人から電話が来ることは、合理的な因果関係は存在しないはずなのに、ふたつの事象には偶然で片付けがたい意味的に共通する一致点がある場合に、そうした事象をシンクロニシティ(共時性)とユングは命名しました。凡人ならふつうは単なる偶然として見過ごしがちな現象に着目して研究対象にしてしまうところにユングの並々ならぬ非凡さを感じますね。

ユングの言う、UFOを物理的存在としてでなく、心的な、あるいは霊的な存在として解釈する説はメジャーではないものの、少なからずあるようで、コリン・ウィルソンが著書『ミステリーズ』の中で、科学者でUFO研究家のトマス・ベアデンの奇妙な説を紹介しています。

個人の無意識は物質世界に直接影響を与えることがある。ポルターガイスト現象、サイコキネシスがその直接的な例である。集合的無意識は個人的無意識よりはるかに強力であり、適切な条件のもとでは思念の形を直接具体化できる。それは物体かもしれないし、生物のことすらある。現われ出てくる思念の形(タルパ)は集合的無意識の中の元型として出発し、実体化する途上で通過しなければならない無意識の比較的浅い層によってしだいに変容され、形成されていく。UFO、妖精、天使、サスカッチ、ネス湖の怪獣等は、このようにして無意識のタルパが物質化したものである。つまり、それらは人類の「夢」なのだ。───トマス・ベアデン

『ミステリーズ』コリン・ウィルソン著 工作舎 1987年



トマス・ベアデンなる人物は、もっぱら疑似科学として有名な謎の電磁波「スカラー波」の提唱者といううさん臭いところがある人ですが、それゆえに直球のオカルトな説を唱えていて、この論は仮説としてはけっこう面白いと思いました。タルパというのは最近はネットでも見かける単語になりましたが、元はチベット密教の奥義にある秘術のようで、精神の力で人工的に人間や動物などの生命体を物質化させたものを指します。術者の力が弱いと、術者本人にしか見えない淡い存在しか生み出せないですが、達人になると他人にも見えるレベルで物質化できるみたいです。これは中国の道教の秘法、仙道でも「出神」といって、自らの氣を練りあげることで人間や動物などの形をとった僕(しもべ、式神)を生み出す術がありますし、西洋魔術でも錬金術師のパラケルススや魔術師のアレイスター・クロウリーがホムンクルスと呼ばれる人工生命体の生成に成功したという伝説がありますから、そうした秘術は洋の東西を問わず古(いにしえ)から秘伝として存在したのでしょうね。誰しもが寝てる時に見る「夢」では、実在するようにしか見えない人間や世界そのものをいつも当たり前のように生み出しているわけですから、現実世界にタルパを生み出すようなパワーが人間に秘められていてもおかしくないように私は思います。実際タルパの生成に成功した現代人の体験談はネットを検索するとけっこう出てきますし、チャレンジすれば意外にそれほど難しいものではないのかもしれません。UFOも、そうしたタルパ的な存在であるという説も、赤瀬川原平や星新一の幽霊説と同様、いわばUFOを物質面ではなく唯心論的な視点から解釈したもので、意外に真相に近い説なのではないか、と思います。

空は、ある意味人間の無意識を象徴する空間≠ナ、普段の日常の目線で見る街や人などの有限の世界(=理性、有限の象徴的世界)と対になったものであると解釈することもできると思います。学校、会社、自宅など、日常で経験する目線の世界を毎日9割がた眺めて生活していますが、目線を空に向けるだけで、その何万倍も広大な無限の空間にいつでもアクセスできるわけで、それは当たり前のようでいて、よく考えてみると底知れない不思議さを感じます。よく、大海に浮かぶ浮き島の水面から上の見える部分が理性(顕在意識)で、その下の9割がた水面下に沈んでいる部分が無意識(潜在意識)だという例えを聞きますが、空もまたそうした無意識が現出したものであるのだとしたら、理性を超えた部分を担当している「空」に人間の思念が物質化してUFOとなって飛んでいるという考えは、意外にしっくりくるところがありますね。UFOコンタクティーの人や、UFO目撃者の多くが、UFOを念じて呼んだり、UFOに「まだ消えないで」と心で願うとそれに応えてくれたりするという話をよく聞きますが、そのように、UFOが人の精神に感応するのは、UFOの真相に、何らかの形で「心」が深くかかわっているのかもしれませんね。
posted by 八竹釣月 at 23:59| Comment(3) | 宇宙