2017年10月17日

バベルの塔とバベルの図書館

バベルの塔について

「さあ、町と塔を建てて、その頂を天に届かせよう。そして我々は名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」
旧約聖書・創世記:11章



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19世紀フランスの画家、ギュスターヴ・ドレ(1832-1883年)の描くバベルの塔の版画。頂上が雲で見えなくなってしまってる荘厳な描写が圧巻です。天に届くかのようなものすごい高さを暗示させる絶妙な表現ですね。人々が塔の周囲で嘆き悲しんでいる様子ですが、ちょうど神の技で言葉を乱され互いに意思疎通が不可能になった瞬間を描いているのでしょうね。人々は互いにコミュニケーションがとれなくなってしまい、塔の建設どころではなくなっている、という場面ですね。

塔というのは、実在の建築物として存在していながらも、古くは宗教的な目的で建造されてきた歴史もあって、もともと居住を目的とする建物というイメージは全く無いですし、それゆえ実用を超えた目的性が、ある種の違和感を呼び起こし、どこか見えない世界の超越的な事象を寓意的に表しているいるかのような、不思議な印象を抱かせます。そうした意味での塔というと、まさに聖書に登場するバベルの塔、あの人類の潜在意識の雲間を破ってそびえ立つかのようなバベルの塔の強烈なイメージがやはり大きく影響しているような気がします。子供の頃に横山光輝原作のアニメ「バビル2世」の再放送を見てた記憶も手伝って、無限に空にそびえる魔性の塔のイメージに遊ぶことはとても甘美な愉しみでもあります。

バベルの塔の最も著名なイメージはピーテル・ブリューゲルによる2枚のバベルの塔の油彩画であろうと思いますが、個人的には、もうちょっと高い塔が好みなので、ギュスターヴ・ドレやアタナシウス・キルヒャーの版画に描かれる異常に高いバベルの塔のイメージのほうにより惹かれます。神話の世界の話にでてくる塔なので、実在したかどうかはともかく、「本物のバベルの塔」というものを見た者はいないわけで、だからこそ画家にとっては想像力をかきたてるチャレンジしがいのあるテーマであるに違いありません。

バベルの塔の伝説のルーツは旧約聖書の創世記11章の序盤にあるわずか十数行程度の記述で語られる物語です。通説では、天に届くような塔を建てようとすることは、神と等しくなろうとする人間の傲慢であって、それが神の怒りにふれて民の共通の言葉を混乱させて意思の疎通ができないようにしたため、塔の建設を諦めて各地に散った、とあります。バベルの塔を象徴しているといわれるタロットカードの塔のカードでは、天の怒りを表すカミナリが塔に落ちて塔の上部にいた人々が足場を失って落下する様子が描かれているので、なんとなくバベルの塔は神の雷(いかづち)で破壊されたかのようなイメージがありますが、聖書の記述では、神が民の言葉を混乱させたことで、塔の建設を諦めたという話になっていますね。つまり神が塔を壊したわけではなく、人間側が単に塔を建造するのを途中で止めた、ということですね。神が人類の言葉を混乱させた、というところから町の名前がバラル(乱す)とバビロンをかけてバベルとなった、とのことですから、正確にはバベルというのは塔につけられた名前ではなく、塔を建てようとした町の名前なんですね。バベルという響きにも長年に渡って人類がその言葉の中に様々なイメージを練り込んできたおかげで、独特の怪し気な波動を発するユニークな単語になっているように感じます。

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タロットカードの「塔のカード」

バベルの塔の事件が起こる前には、あのノアの箱船の物語がありますから、つまりはバベルの塔建設を企てたのは大洪水を生き残ったノアの子孫ということになります。地球を飲み込む大洪水という、未曾有の危機を乗り切った人類の生き残りがこの話の主要なキャストなわけで、だからこそ、「全地のおもてに散るのを免れよう」、つまり生死を共にした絆の深い親族たちとずっといつまでも健やかに一緒に暮らせるようにと町を作ろうとしたわけですね。人情としてすごく理解できるので、そうした人間達の結束を壊すのは神のイジワルのようにもみえます。しかし、一カ所に固まって暮らしてたら、天災や事故などで人類が絶滅するリスクが高まりますから、神としては、人類の種の保存のために、各地に散らばらせていろんな環境に適応させたかったのかもしれませんね。

そうしたことからも、私が思うに、天に届くような塔を建てようとすること自体は神的にはどうでもよくて、せっかく生き残った人類が狭い町に固まって生活しようとすることにダメ出しをしただけのようにも感じます。バベルの塔というのは傲慢の象徴というよりは、わずかに生き残った人類の結束のシンボルという印象をうけます。前代未聞の大洪水を経験している生き残りの子孫ですから、また洪水が起こっても水没しないだけの高い建物を作ろうと考えるのは傲慢どころか、普通の人間心理ともいえます。しかし神の視点で見れば、大洪水で数が激減してしまった人類が一カ所に固まって暮らすというのは生存の可能性を狭めるだけのリスキーな選択でしかなく、愛のムチで人類の言語を混乱させて人々を世界に分散させることのほうが大局的には人間のためであると考えたのかもしれません。「生めよ、増えよ、地に満ちよ」(創世記:1章)というのが当初から人間に与えられた神の指令ですから、そういう意味では一貫しているともいえます。と、まぁ、筆に任せて適当に解釈してみましたが、創世記は聖書の中でもとくに寓意に満ちた神話的な部分なので、いろいろ想像がふくらみますね。

ノアの箱船の残骸が発見されたとか、バベルの塔は実際にあった、とか夢のある仮説もいろいろあるようですが、神話の中の話だと思われていたトロイの遺跡を発掘したシュリーマンのような前例もありますし、聖書の寓話も、何らかの実話を元にしている可能性もあるかもしれませんね。

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ピーテル・ブリューゲルによるバベルの塔はふたつのバージョンが現存していて、1563年作(左)と1568年作(右)です。2作目のほうがより高く重厚感が増していて、2枚を並べてみると、作りかけだった塔が完成していく様子を時系列で眺めている感じで面白いですね。先日の「バベルの塔展」で来日したのは塔建造の完成に近づきつつある様子の2枚目のバージョンのほうです。生で見れた人がうらやましい!ブリューゲル以前のバベルの塔の図像は円錐形よりは四角い筒のような形状の教会風のデザインの塔をみかけますが、もしかするとお馴染みの螺旋状の塔の形状もブリューゲルがハシリだったのでしょうか。

バベルの塔のビジュアルイメージといえばブリューゲル。ブリューゲルのバベルの塔といえば、先日まで東京、大阪で開催されてた「バベルの塔展」ですが、行こうかな〜どうしようかな〜と思っているうちに結局行きそびれてしまいました。そのうちまた縁があれば見てみたいです。調べていくとブリューゲル以外にもバベルの塔を描いた画家はたくさんいて、けっこういい感じのものもあります。ブリューゲルの塔は、自分が想像しているバベルの塔よりも低く、もっと天を突くくらいの高さが欲しいと常々思ってたのですが、そういう絵も調べてみるとけっこうあって、そうした絵を見てると空想をかきたてられて楽しいです。

アタナシウス・キルヒャー(1601-1680)といえば、主に荒俣宏の啓蒙で日本でも広く知られるようになった17世紀のドイツ出身の奇想の博物学者ですが、そのキルヒャーの本に、ブリューゲルよりバベル度の高いバベルの塔が載っていて、とてもいい感じの雰囲気です。神話的な塔であるにもかかわらず、建築の図面のように図鑑の絵らしく真面目に描かれているので、かえって奇妙な雰囲気を醸し出してしまっているのがキルヒャー流といった感じですね。

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アタナシウス・キルヒャー著『バベルの塔』に所収されているバベルの塔の版画。(ニューヨーク公共図書館・デジタルコレクション より)

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こちらも同書に所収のものと思われるバベルの塔。
上記のと違って、こちらはブリューゲル版のバベルの塔をスタイリッシュにしたようなフォルムでお洒落ですね。1679年の作品のようですが、どことなくロシア・アヴァンギャルドのアーティスト、ウラジミール・タトリン(1885-1953)の代表的な作品、「第三インターナショナル記念塔」を思わせる雰囲気もあって、現代的なかっこよさを感じますね。


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赤瀬川原平著『櫻画報激動の千二百五十日』青林堂 1974年
なんともシュールな「バベルの青林堂」。件の「アカイ、アカイ、アサヒ、アサヒ」のアレで、朝日ジャーナルの回収騒動を起こしたことで知られる赤瀬川原平の初期の代表的な仕事のひとつ『櫻画報』をまとめた作品集からのヒトコマです。朝日ジャーナルの連載が打ち切りになった後に漫画雑誌「ガロ」に発表の場を移したことをユーモラスに表現しています。ガロの出版社、青林堂といえば作家に原稿料を払えないほど厳しい経営状態が慢性的に続いていたのは有名で、朝日ジャーナルでの問題のコピーをもじって「アカイ、アカイ、アカジ、アカジ」と書き入れていますね。茶化すだけでなく、掲載の場をつくってくれた青林堂をバベルの塔のような立派すぎる社屋で描き、あからさまにヨイショしてるのが原平さんらしくて笑えます。この後、青林堂の経営はさらに厳しくなり、80年代には材木屋の二階に間借りして編集を続けたのはもはや伝説的な語りぐさになりました。とはいえ、原稿料が出ないかわりに作家の作品に編集が一切手を入れないという独自のシステムにより、自由な表現の場を求める有名無名の錚々たる作家達を惹き付け続け、日本のアンダーグラウンドカルチャーの重要な育成機関になっていたので、とくに漫画文化の躍進を裏で支えていたのはガロのような雑誌だったのかもしれません。

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ちなみにこの本、昔古書店で手に入れたもので、原平さんのサイン入りです。家宝ものですね。哲学的空想とシニカルなユーモアあふれる独自の表現で日本の戦後芸術に影響を与えてきた原平さんでしたが、生活そのものを芸術として遊ぶような、人生を楽しむセンスも今も学ぶ所が多いです。

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ロジェ・カイヨワ著『文学の思い上がり その社会的責任』中央公論社 1959年
原題は『Babel, orgueil, confusion, et ruine de la littérature(バベル、誇り、混迷、文学の荒廃)』で、バベルの塔のことについて書いてある本ではなく、辛辣な戦後文学の批評がテーマです。単純に装丁に使われている原題からのBABELの文字がかっこよかったので入手しました。束に金色のインクが塗られていてお洒落な本です。中身は超辛口の文芸批評ですが、フランス人批評家らしい知的な語り口が絶妙に刺々しさをオブラートに包み込んでいる感じのポエティックな文体で、勉強になりそうな本です。



メモ参考サイト
「バベルの塔、教訓と絵画集」(のぶなが様のサイトより)
いろいろなバベルの塔を紹介されています。

ブリューゲル以前のバベルの塔。15世紀の画家、マイスター・デ・ミュンヘン・レジェンダ・アウレア(Meister der Münchner Legenda Aurea)の作。
ブリューゲル以前のバベルの塔は宗教色が濃い感じで、塔の形状も教会っぽいゴシック様式ですね。神が怒りだすほど高い塔に見えないですが、そんなところも愛嬌があって微笑ましい図像です。この高さで神罰がくだるなら、現代ではマンションや団地でさえ普通にこれより高いですから、東京都庁とかサンシャイン60とか、かなりけしからん建物ということになりそうです。

ルーカス・ヴァン・レッケンボル (Lucas van Valckenborch 1535-1597)のバベルの塔。1594年作(ウィキペディア・コモンズ)
ブリューゲルのバベルの塔の建設がさらに進んだ感じの雰囲気で、だいぶ完成に近づいてきてる様子ですね。

トビアス・ヴェルハヒト(Tobias Verhaecht 1561-1631)作のバベルの塔。
コロッセオを積み上げたようなスタイリッシュなローマ様式の建築がいいですね。天に向かって増殖していく塔の階層構造がかっこいい!

ポール・ゴセリン(Paul Gosselin 1961- )によるバベルの塔。
現代のベルギーの画家による2011年の作品。昆虫の巣みたいな感じですね。たしかに、ブリューゲル系のバベルの塔を完成させると、仕上がりはこんな感じになるでしょうね。こうして見ると、やはりバベルの塔は未完成だから美しいものなのかもしれません。

イラクの螺旋の塔、マルウィヤ・ミナレット(ウィキペディア・コモンズ)
イラクの至宝と評される螺旋式の塔、マルウィヤ・ミナレット(Malwiya Minaret)もバベル感のある神秘的な塔ですね。852年に建造されたこのミステリアスな塔は、螺旋状に天に伸びる形状が神話的でぐっときます。調べてみると、そもそもドレやブリューゲルをはじめとした西洋人の描くバベルの塔のイメージは、まさにこのマルウィヤ・ミナレットがモデルになっているそうで、言われてみるとさもありなんといった感じですね。




バベルの図書館について

バベルの塔は、もしも神様のダメ出しが無かったとしたら、無限に天に向かって建造されていったのかもしれませんね。バベルというと、以前の塔をテーマにした記事でも触れたホルヘ・ルイス・ボルヘス『バベルの図書館』が思い起こされます。バベルの塔の全ての階に本棚を設置して無限の本を収納していくというのはビブリオマニアの甘美な空想ですが、ボルヘスの想像した図書館は、そういう判りやすい構造ではなく、塔というより宇宙そのものを図書館に見立てたような突拍子も無いアイデアです。寺山修司を心酔させた南米文学を代表する巨匠だけあって、その哲学的で深遠な作品は読む者を思考の迷宮に誘いこみます。

その宇宙(他の人々はそれを図書館とよぶ)は、中央に巨大な換気孔がつき、非常に低い手摺(てすり)をめぐらした不定数の、おそらく無数の六角形の回廊から成っている。どの六角形からも、はてしなく上下の階がみえる。回廊の配置は不変である。一辺につき五段の長い棚が二十段、二辺を除くすべての辺をおおっている。その高さ、すなわち各階の高さは、ふつうの図書館の本棚の高さをほとんどこえていない。棚のない一辺はせまいホールに通じ、それは最初の及び他のすべてのものと同じもう一つの回廊に通じる。(p55)

言いかえれば、あらゆる言語で、およそ表現しうるものはすべてである。そこにはあらゆるものがある。未来の詳細な歴史、大天使の自伝、図書館の信ずべきカタログ、何千という偽のカタログ、これらのカタログの虚偽性の論証、王たちのグノーシス派の福音書、この福音書の注釈、きみの死の真実の記述、それぞれの本のすべての言語による翻訳、すべての本の中でのあらゆる本の書きかえ。(p58)

ボルヘス『バベルの図書館』より

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(ホルヘ・ルイス・ボルヘス著 篠田一士訳『伝奇集』所収 集英社 1984年)


ボルヘスの「バベルの図書館」は、六角形が基本構造になっています。6という数字は数学的にもユニークな数字で、自然数で最初の完全数でもあります。完全数とは自分自身を除いた全ての約数の和がそれ自身と等しくなる数のことです。6の場合は、約数が1、2、3で、それらを全て足すと1+2+3=6となり、それ自身と等しくなります。また六角形というのは自然界では蜂の巣などにも見られる頑丈な構造(ハニカム構造)で、工業的にも有用なものですし、亀の甲羅や雪の結晶や水晶の結晶など、自然界の様々な場面で六角形が姿を現します。おそらく、そうした暗示もバベルの図書館の構造にはあるような気がします。

図書館のイメージとしては蜂の巣のような感じで同階層の前後左右に無限に連なり、また上下にも階段を通じて無限に空間を埋め尽くしているという感じで、前述したとおり「バベルの」というわりには「塔」のイメージとはほど遠い建造物といったイメージです。どことなく映画『CUBE』の部屋の構造(こちらは六角形ではなく立方体ですが)にも通じるようなところがありますね。上下左右に無限に部屋が連なっているということは、すべての空間がこの六角形の部屋で埋め尽くされているということであり、これはボルヘスも最初に「その宇宙」と言っているように、まさに別世界のもうひとつの風変わりな宇宙そのものです。その宇宙ではたくさんの本が書架に並んだ無数の六角形の部屋だけで宇宙の全ての空間を満たしているという異様な世界です。

想像してみると、上の階層に行きすぎれば登山のように酸素が薄くなりそうですし、ものすごく下の階層では気圧もものすごいことになってしまわないだろうか、とか心配になってきます。まぁ、こういう宇宙であれば、「そもそもどこから酸素が供給されているのか?」などといった疑問も含めて、こういう宇宙なりの都合に合わせた物理法則がありそうですし、全ての空間における気圧やら重力やらの設定値は一定に保たれてるのかもしれません。しかし、本を収めるための部屋しか存在しないような宇宙では、本を書くにしても、読むにしても、この本だらけの部屋について以外のことは経験できないはずですし、読書体験を生かすための外の世界もありません。空の青さや広さという概念すら想像で補うしかない状態では、物語というのが成立しがたく、そもそも本に書かれた内容を理解するための最低限の素養や人生経験が無い状態での読書とは何か?とか、考えだすと思考の迷宮に入り込むような感じです。ボルヘスはあえてそういう切り口では書いていないため、逆にそういう諸々の思考実験を楽しめる余地があり、そうした所もこの作品の魅力なのかもしれません。

まぁ、この図書館のイメージは、そのように物理的な実在としてヤボなつっこみをいれても意味はなく、それは書物フェチの妄想する観念の遊戯としての世界ですから、ボルヘスといっしょにこの異様な図書館に入り込んで、思う存分に夢の迷宮世界に遊び、その官能の世界に浸りきるのが正しい読者の在り方ではありますね。

ところで映画『CUBE』では、上下左右に無限に連なった立方体に登場人物たちはいつのまにか閉じ込められていた、という設定でしたが、「バベルの図書館」でも同様に、この話に登場する語り手や司書たちといった登場人物は、入り口も出口も無い「バベルの図書館」という壮大な閉鎖世界にどうやって入り込んだのか?という肝心な部分の詳細をあえてぼかしているために、カフカや安部公房などの作品に通底するような不条理な感覚がありますね。

しかし、よく思い起こしてみれば、私たちもまた、「バベルの図書館」を徘徊する司書達と同じように、この宇宙にあるこの世界に、理由も目的も知らされないままに産み落とされて、いつのまにか存在しているわけですし、『CUBE』の登場人物たちが自分たちのいる立方体の部屋について何の情報も持たないまま置き去りにされているのと同じように、この宇宙はどういう仕組みで何のために機能している世界なのかを知らない状態で私たちは生きています。そういう意味ではボルヘスやカフカなどをはじめとした文学や映画などの不条理劇は、単に不条理な物語というよりは、我々の現実の実存をそのままリアルに写し出している鏡のような世界でもあります。「バベルの図書館」は、人生や宇宙の謎を図書館に収蔵された書物に例えて、自らが生まれ落ちたこの世界の謎を読み解こうとする人類の営みを寓意的に象徴しているのかもしれませんね。


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映画『CUBE』ヴィンチェンゾ・ナタリ(Vincenzo Natali)監督 1997年 カナダ
低予算作品ながら抜群に面白い発想とシナリオが人気を呼んだ『CUBE』、後年いくつかの類似作品が作られましたが、やはり原点であるこの作品を凌ぐことはできませんでしたね。無限に連なる立方体の部屋に閉じ込められた7人の登場人物による脱出劇です。素数などの数学的要素がカギになってるあたりもツボでした。


メモ参考サイト
バベルの図書館の図解「草子ブックガイド 早稲田文学編 第6回」(玉川重機様)(PDF版)
ボルヘスの「バベルの図書館」を漫画家の玉川重機さんが絵で丁寧にビジュアルに説明されています。たしかに文章だけでバベルの図書館の構造をイメージするのはけっこう難しいので、こうした噛み砕いた解説はとても参考になりますね。

「バベルの図書館」の構造(pastel-gras様のブログ「集積---イメージ・ことば」より)
記事によりますと「バベルの図書館」が収録されている短編集『伝奇集』は初版の1944年版と後の1956年版とでは図書館の構造に関する重要な部分に加筆修正がされているという興味深い指摘がされています。最初のアイデアでは、「バベルの図書館」はバベルの塔のイメージをそのまま象徴する感じで上下に無限に伸びる塔ような構造だったみたいですね。

「バベルの図書館」のビジュアルイメージ(Googleイメージ検索)
ボルヘスの夢想した図書館は、具体的にどういう構造で、どういう見た目なのかというのは、ボルヘスファンでかつ絵心のある人ならチャレンジしたくなるテーマですね。案の定、多くの絵師により様々なビジュアルイメージが作り出されているようで、見ているといっそう空想に拍車がかかりそうです。

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「バベルの図書館」を再現したサイト(ジョナサン・バジル様)
web上で「バベルの図書館」を仮想体験できる風変わりなサイト。作成したのはニューヨークの作家ジョナサン・バジル(Jonathan Basile)氏。アクセスして「Browse」をクリックすると図書館に入り込めます。原作に書かれている設定どおりに、六角形の部屋の壁に本棚が設置されており、すべての本は410ページで構成されています。使い方をいまいち理解していないのですが、任意の書架をクイックすると本棚が正面に現われるので、適当な本をさらにクリックすると中身が閲覧できます。文字列はランダムに生成されるようなので、意味のある文章が出てくるまで本を物色してたら人生が終わってしまいそうです。

「バベルの図書館」の蔵書数は?(「巨大数研究 Wiki」様)
我々の宇宙の広大さと物質のバリエーションに較べたら、六角形の部屋が重なってるだけの単調な「バベルの図書館」という名の宇宙は、さほど驚愕するにあたらない世界のように思ってしまいますが、「バベルの図書館」の蔵書数を実際に計算すると、上記サイト様の計算によれば、その蔵書を全て収める図書館を作るためには、どうやら現在観測可能な我々の宇宙を軽く上回る程度に広大な敷地を必要とするようですね〜

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塔のロマン
posted by 八竹釣月 at 11:16| Comment(0) | 古本

2017年09月26日

古本散策日記

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先週から古本市などで手に入れた本を適当にご紹介します。適度に離れた距離に古書会館があり、毎週のように近隣の古書店が複数参加しての古本市を開催していて、散歩がてらいい気分転換になっていますが、だいたいソコで良さげなものが見つかるので最近はあまり遠出して古本市に出かけることは無くて、近場の古本市や古書店に行く事が多いですね。古書会館で催される古本市は、デパートなどで開催される古本市より場所代が安いためか、平均してかなり安価で売られているのも魅力です。古書会館に足を運ぶようなマニア濃度が高そうな客層を意識してか、安いだけでなく、レア度もそれなりに高いものをよく目にします。今回ご紹介するのは、とくにレアなものではないですが、こうして集めた本をあらためて見てみると、最近自分の関心のあるテーマが何なのかが客観的に確認できて面白いです。




中国の好色美術『春宮画』の魅力

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『YUN YU , ÉSSAI SUR L'ÉROTISME ET L'AMOUR DANS LA CHINE ANCIENNE』Nagel社 1969年

世界の好色美術を紹介する大型美術本のシリーズの中の一冊で、これは中国の好色美術をテーマにした画集です。シリーズには、中国のほかにインド、アラビア、ローマ、ギリシャ、アフリカ、そして日本の春画を紹介した本も出ています。世界の好色美術の中でもここ最近は中国の春画が気に入っていて、そうした本もすでに何冊も持っているのですが、まだ見た事の無い図版がいくつも紹介されてたのでゲットしました。

フランス語の本なのでフランスで出版された本かと思いきや、スイスのジュネーブにある出版社から出されたもののようです。スイスはドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つを公用語とする国ですが、6割以上はドイツ語で他は少数派みたいですね。

日本の、主に江戸期に流行った好色絵画を一般に春画と呼びますが、この言葉も元は桃山時代に中国から伝わった春宮秘戯図(春宮画)が語源だという説があります。日本の春画は庶民文化が花開いた江戸時代に作られたために、庶民の性生活がモチーフになっているものが多いですが、中国の春宮画は宮廷生活を背景にしたブルジョワ感ただよう華美なものが中心で、そうした違いも見てて楽しいです。春宮画に限らず、中国美術に頻出するモチーフ、芭蕉の木、主に太湖石などの奇石、幾何パターンの中華模様などがエキゾチックなパラダイス感を醸し出していてなんともいえない魅力があります。

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(上)芭蕉の木が南国っぽい情緒を醸し出していて不思議な楽園感覚がありますね。(下)西洋にもこうした歪み絵(アナモルフィックアート)の伝統がありますが、中国でもこういう絵が描かれてたんですね。

メモ参考サイト
現代の美術家によるアナモルフィックアート(「ラビトーク!」様)




かな草書に憧れて

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『書体字典 かな編』野ばら社 1965年

かな草書の勉強に、と思って手に入れました。同じ字でも書家によって崩し方は実に多様ですね。バランスを良くするためや、リズム感をつけるため、また次に続く文字と繋げやすくするために、例えば「も」だったら「毛」だけでなく「母」を崩した「も」を使う場合もあり、とても感覚的で奥が深いです。現行の仮名の変わりに、変体仮名を使ったりすると玄人っぽくてかっこいいですよね。




仙人の性生活

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『世界性学全集13 東洋性典集』性問題研究会編 河出書房新社 1958年

世界の性学(Sexlogy)を集めたシリーズの13巻目。他の巻はフロイトをはじめとした西洋の性学で東洋の文献を紹介しているのはこの巻のみです。古本市の書架でこの本をパラパラとめくってたら、老子がこう言ったとか、彭祖(ほうそ。荘子などに登場する超長寿の仙人)がああ言ったなどという文が出てくるので、てっきり中国の房中術関係の文献集かな、とおもってゲットしたのですが、収録されている文献は主に江戸期に日本で書かれたもので、中国の房中術(道教の性技術)や養生術(道教の健康法)関連の古典を編纂したり解説した本を紹介しているものでした。まぁ、当たらずとも遠からずで、けっこう興味深い文献が多く紹介されていて面白いです。

中国の性学、とくに道教系の、仙術に関するテクニックに房中術というのがあって、かつて諸星大二郎の短編『桃源記』にも言及がありましたが、これは大まかに言うとセックス健康法みたいなものです。仙人になるための性行為という視点なので、いわばセックスで超人になる術という、壮大なロマンを感じるテクニックが開発されていてすごいです。仙人というと眉唾なイメージで捉えられがちですが、古代中国の房中術は、古代インドのタントラと並んで、現代の西洋でもエナジーオーガズムとかマルティプルオーガズムなどに取り込まれ、性テクニックを超えた、ある種の覚醒を伴うスピリチュアルな側面もある性の技術として見直されてきてます。よくオナ禁すると健康や運勢にものすごい効果があるという俗説をネットで見かけることがありますが、古代中国の仙人が行っていたのもそれと似ていて、男性であれば、とくに40歳を越えたら1滴も精液を漏らしてはいけない、とされています。仙人のセックスは一言でいうと「接して漏らさず」で、これは、性交しても精液を漏らすべからず、という意味です。むしろ、精を出すのではなく、男性器の精管から女性の生命エネルギーを吸い取るような術もあるようで、まさに仙人というのは東洋の魔術師のような存在ですね。

この男女の性生活における正しい方法は、きわめて容易でありながら、人はその方法を知らない。その方法とは、一夜に十人の女と関係しても、一回も(精液を)漏らさないだけである。これができるようになると正しい性生活の方法は卒業である。以上述べたことの他に薬餌(やくじ)をたやさず使うようにするのである。そうすれば気力は盛んになり知恵は日々発達していくであろう。しかもこの方法は神仙になる術にほかならないのである。

『東洋性典集』 医心方巻第二八(房内) p20


このような「接して漏らさず」的な言及は中国の房中術の根幹にある教えのようで、他の文献でもたびたび言及されていますね。上記の引用は『東洋性典集』に収録されている日本最古の医書、『医心方』からの抜粋です。982年に書かれたもので、著者は鍼博士丹波宿禰康頼(はりはかせたにはのすくねやすより)、康頼は中国からの帰化人のようです。隋、唐の膨大な医学書を編纂した本のようで、仙人になるための健康法や性技術などが書かれていて、なかなか興味深い文献です。黄帝(紀元前2500年頃に中国を統一した皇帝)が彭祖素女などの仙人に教えを請う中で、様々な性技術や健康法などが解説されていくような部分もあり、読物としても面白いです。他にも呪術的なノリに満ちた東洋性学の面白い文献をたくさん紹介してあるので、また何か発見があれば追々ご紹介していこうと思います。

メモ参考サイト
マルチプル・オーガズム開発法(◆i880BAKAok様)
仙道やタントラなどの秘術を取り入れつつ現代風にアレンジした異次元の性感を得るためのノウハウ。エロも正しく極めれば悟りのような覚醒の境地に誘う有効な術になりそうですね。この手の内容の本は古書相場が高騰していて入手しずらいこともあり、こうした情報が手軽に得られるのはありがたいことです。このサイトは未翻訳の洋書からの翻訳のようなので、ここでしか読めない情報が盛りだくさんで凄いです。運営者様に感謝ですね。




オカルト界の巨星、ルドルフ・シュタイナー

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『シュタイナー思想入門』西川隆範著 白馬書房 1987年 

ルドルフ・シュタイナーといえば、西洋のオカルティストの中でもつとに有名な重要人物で、オカルティズムという、どこか日陰のイメージのあるジャンルを飛び越え、教育思想など実践的なアプローチでも有名で、現実教育に霊性を育むことの重要性をうったえ、今もその教育方針を実践する学校も存在していますね。精神面を重視した学校というと、一般には宗教系の学校が多いですが、教条主義を超えて自由に霊性を伸ばす教育を目指したシュタイナーの思想は注目すべきものがあります。

この本は、教育思想ではなく、シュタイナー本来の独特の神秘思想を解説する内容になっています。シュタイナーの神秘思想は、けっこう難解なので、かみくだいた内容の本が欲しかったところだったので入手しました。シュタイナーだけでなく、現近代のオカルティストは、グルジェフにしろ、ブラヴァッキー夫人にしろ、難解な思想を持った人物が多い印象があります。シュタイナーの「アカシャ年代記」の思想など、人間の霊性の進化を土星や金星などの遊星に当てはめて解釈しているのですが、遊星と人間の精神を結びつけることにどういう意味があるのか、とか、とまどうところがあったので、そのあたりを理解したかったのが手に入れた理由です。グルジェフも同じく惑星を関連づけたオカルト思想を唱えたりしてましたが、こういうのはやはり何か、高い精神のレベルで見えてくるような特殊な世界観なのでしょうね。

メモ参考サイト
シュタイナー教育(ウィキペディア)




基本から覚えるヨガ

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『一億人のヨーガ』番場一雄著 人文書院 1988年

ヨガナンダの影響で、インド思想にハマってきているというのもあり、インドといえばやはりヨガを押さえておくべきだろうということでゲット。基本的なところから解説している感じの本で、健康法としてのヨガだけでなく、インド思想の中で捉える本質的な、ヨガとは何ぞやみたいな部分の解説も興味深いです。番場一雄先生はNHKの教育番組でもヨガの講師として出演していたみたいで、YouTubeなどで当時の番組の一部が見れます。

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人体におけるチャクラの位置

この本はヨガの一般書として書かれているので、オカルティックな側面は詳しく書かれていませんが、人間の身体は肉体だけでなく、霊的なボディが幾層も重なっているという思想がヨガにはあります。肉体の他に幽体(アストラル・ボディ)やコーザル体など、いくつかの霊的な身体を纏っているという考えがあります。これは中国の仙道にも同じ思想はありますし、西洋の神秘学でもルドルフ・シュタイナーなど何人か同様の指摘をする神秘家がいます。霊的なボディには霊的な器官が具わっており、よく耳にするチャクラというのもそうした霊的な身体器官です。最近そのチャクラを活性化することに興味がわいてきてるので、そうしたこともあって基本からヨガを知ろうと思った次第です。




古代ローマの驚異!

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『Marvels of Ancient Rome』Giacomo Lauro画 Regione Lazio発行 1992年

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イタリアで発行された『古代ローマの驚異』と題するジャコモ・ラウロ(1584-1637年)というイタリア人画家による版画集の復刻です。絶妙にパースやデッサンが狂っているところが逆にシュール感を増していて、キルヒャーの版画を見てるような怪しい雰囲気がたまりません。詳細はわかりませんが、おそらく普通に古代ローマの文化を想像力豊かに描いたものなのでしょうが、当時の時代の空気なのか、ジョルジオ・デ・キリコの絵に出てきそうな怪し気な雰囲気をただよわせているのがイイですね。ネットで詳細を調べていたら、なんとこの画集の1641年発行の当時のオリジナルらしきものが高解像度でアップされてましたのでリンクを貼っておきます。古代ローマの不思議世界をご堪能あれ。

メモ参考サイト
『Marvels of Ancient Rome』Giacomo Lauro(ハーバード美術館提供)
posted by 八竹釣月 at 22:05| Comment(0) | 古本

2017年08月11日

納涼!日本の夏、着物美人

戦前の婦人雑誌のスクラップ帳より、涼し気な夏の和服女性の画像を選んでみました。

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汗いつぱいになつていらつしやつたお客様に、直ぐに、氷を扇風機をと、大騒ぎしておもてなしするよりも、見たゞけでも涼しさうなお客間に、お通しゝて、暫時お待たせする方が、どんなにおよろしいでせう。

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「レート白粉(おしろい)」の広告。楽しそうな満面の笑みがイイですね〜

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アレカヤシの爽やかなトロピカル感と和服の取り合わせがエキゾチックでお洒落な雰囲気ですね。

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戦前の広告とは思えない力強く大胆で現代的なグラフィックデザインですね。

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縁側と団扇。ザ・日本の夏!といった感じですね。

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海からお帰りの皆様のクリームです!

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『先日の、お花の會には、お見えになりませんやうでしたが、どうか遊ばしまして?』主人は、巧みに話題を作つて、お客様に暑さを忘れさせます。お客様のお話を、妨げないやうに、何氣なく扇いで上げるのも、主人の優しい心遣ひです。

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水まきをする熱海芳枝(女優、歌手)。
タグ:着物 古本
posted by 八竹釣月 at 06:14| Comment(0) | 古本

2017年07月11日

おかしなひらがな

今回は先日古本市で見つけたイタリアで復刻された18世紀フランスの百科事典「Encyclopédie di Diderot e d'Alembert」という本をご紹介します。イタリアで復刻されたので書名はイタリア語ですが、直訳すると「ディドロとダランベールの百科事典」となります。フランスの美術批評家ドゥニ・ディドロ(Denis Diderot 1713〜1784年)と、同国の哲学者、数学者、物理学者であるジャン・ル・ロン・ダランベール(Jean Le Rond d'Alembert 1717〜1783年)による共同編集による百科事典で、この本は彼らの代表的な仕事として知られているようです。フランス語のオリジナルの原本のタイトルは『Recueil de planches, sur les sciences, les art libéraux, et les arts mécaniques, avec leur explication(科学、リベラルアーツ、工芸品などのコレクションと解説)』となっています。

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とにかく大きいです。400×270mmくらい、タブロイド新聞とだいたい同じ判型です。比較のために文庫本を置いてみました。


私が手に入れたのはイタリアのグラフィック・デザイナー、フランコ・マリア・リッチ(1937年〜)による編纂の復刻本で、1970年代に全18巻のシリーズで出されたものです。ゲットしたのは、このシリーズの2巻目です。

中身は18世紀の科学技術や工芸、伝統的な紋章などの図版が、百科事典らしく雑多にたくさん収められています。中でも目を引くのは中程のページに収められている世界各国のアルファベットで、アラビア語や中国語、はてはどこの異次元世界の言語か?と思うような見た事の無い文字まで、68ページに渡って紹介されています。

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紹介したい珍奇な図像はたくさんありましたが、とりあえず今回は日本の「ひらがな」が載っているページをご紹介します。よく見るといくつか間違いはあるものの、大筋では正確とも言える微妙な感じが、18世紀という時代の情報伝達のレベルを感じさせる興味深い図像だと思います。

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「Alphabets Japonois(日本語のアルファベット)」と題されたプレート。ひらがな、カタカナに並んで元になった漢字も添えられています。大筋合ってますが、ところどころ怪しい部分があって、そこがまた面白いところです。そもそも致命的なのは、この表の作成者が、ひらがなとカタカナが同じ漢字を崩して出来ていると勘違いしているらしいところですね。対応する漢字のところをよく見ると、ひらがなの元の字だったりカタカナの元の字だったりとマチマチです。表を作りながら、「いったい、どういう崩し方をすればこうなるんだ!」と混乱しながら作成したことでしょう。

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へんてこな文字をいくつか拾ってみました。草書体の日本語からアルファベット表を作成していますから、かなり苦労したのではないでしょうか。連綿(文字同士の繋がり方)によってさらに崩れた文字は日本人でも読解に苦労するほどなので、異国人が作成したわりにはけっこうがんばって解読してると思います。「ふ」とか「ゆ」など、はじめて外国人がひらがなを見たら、たしかにこんな感じに見えてもおかしくない気がしてきます。

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よく見ると「う」と「ん」が重複していますね。「う」も「ん」も実際の発音は、外国人からは似たように聴こえるのかもしれないので、こういう誤記の理由もそのあたりにあるかもしれないですね。

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「お」と「を」も重複しています。ここまで一致してると、表の作成者もさすがに気づいていながら作ってると思います。たしかにこれは日本人でも発音を区別しない事が多い文字なので、作成した人も混乱しながら「同じだろ!」と思いつつ作ったのでしょう。

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参考までに、現代の書道でも手本として参照されるかな草書の達人、紀貫之(872〜945年)の達筆な書です。こういう感じの文字が書かれた資料を、日本語をはじめてみる外国人が解読しようとすると、あのようなアルファベット表になるのは、ある意味当然の成り行きかもしれないですね。

18世紀というまだまだ世界が無限に広かった時代と、ヨーロッパという当時の世界最先端の学問、科学、技術を誇っていた人たちの目から見た世界というのは、なかなか興味深いものがあります。人間の文化はほんの百年遡っただけでもとたんに別世界ともいえるほどガラリと様相が変化していきますが、そういうとこが歴史の面白さですね。

12世紀あたりから続いて来た欧州の黒歴史、魔女狩りがようやく治まるのが17世紀後半なので、18世紀というと、そうした迷信の時代から科学の黎明へと脱皮を遂げる時代だったのでしょう。こうした百科事典が出版されるような科学と文化の発展が見られた時代でもあり、アメリカの独立宣言(1776年)やフランス革命(1794年)などもあったりと、新時代への変革に伴うエネルギッシュな熱気に満ちたものを感じる時代ですね。

話を戻して、今回の本についてですが、古本市では、この百科事典の2巻目しか置いてなかったので他の巻に何が載っているのか気になって調べてみました。そしたら、な、なんと当時モノのオリジナルの百科事典を全ページをスキャンしたデータがネット上にありました。恐るべしインターネット。

原本『Recueil de planches, sur les sciences, les art libéraux, et les arts mécaniques, avec leur explication』の全ページが無料公開されてました。
https://archive.org/details/fre_b1886824

今回ご紹介した妙なひらがなの該当のページはこちらです。
https://archive.org/stream/fre_b1886824#page/n951/mode/2up

毎回、こんなマイナーなものはさすがにネットに転がってないだろう、と思ってるものが当たり前のように転がってるのを目の当たりにすることが多いですが、まさしくネットの世界も「電脳コイル」の世界みたいに、どんどん現実世界と拮抗する底知れない世界に膨れ上がっているような錯覚を感じる昨今です。
posted by 八竹釣月 at 05:00| Comment(0) | 古本

2017年05月12日

図解・幼女お遊戯「タンタン狸」

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婦人雑誌『主婦之友』(昭和8年[1933年]12月号 発行:主婦之友社) より、可愛らしいおかっぱ幼女によるお遊戯「タンタン狸」の振り付け写真をご紹介します。「タンタン狸」というと、「風も無いのにぶ〜らぶら」でお馴染みのあの牧歌的な下品ソングを一番に思い浮かべてしまいますが、記事にある踊りの解説文を見ると解るように、どうもあの歌ではなさそうです。歌詞の語調からいっても、例の俗歌とは全く違う曲っぽいですね。まぁ、さすがにいたいけな幼女にあの俗歌を振り付けて踊らせるような企画が、普通の雑誌の記事として掲載されてたらびっくりですが。しかしこの謎の童謡「タンタン狸」ですが、ネットで調べても、あの下品な俗歌の事しかヒットしないので結局解りませんでした。

ちなみに下品な方の「タンタン狸」の曲は、なんと賛美歌の曲が元ネタになっているようです。どういう経緯でこの俗歌が生まれたのか気になる所です。

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posted by 八竹釣月 at 23:09| Comment(0) | 古本