何年か前に、池袋にあった江戸川乱歩の家が公開されるというイベントがあり、行きたかったのですが何かの都合で行けなかったことがあり、残念だった覚えがあります。しかし、先日偶然に池袋をブラブラしてたら「江戸川乱歩邸公開」の看板が!これは行くしかないでしょう!ということで日本ミステリー小説の首領であり、日本アンダーグラウンドカルチャーの父でもあった昭和の巨星、江戸川乱歩邸へ向かったのでした。


立教大学の脇にある路地の入り口の角に池袋のマスコットのフクロウが乱歩邸を案内しています。フクロウがとまっている木の部分には、ファンにサインをせがまれると必ず書いていたという乱歩お気に入りの一文、「うつし世はゆめ、よるの夢こそまこと」の文字が刻まれてました。この名文句は、20世紀前半の英国の幻想小説家
ウォルター・デ・ラ・メアの言葉を乱歩流にアレンジしたもののようです。「うつし世はゆめ、よるの夢こそまこと」、最初知ったときは、たんに常識のアベコベを言っただけの単純な言葉にしか思いませんでしたが、いうなれば般若心経の世界のような、この世界の「現実」というものの現実感の無さを見抜いた言葉でもあるんですよね。最近になってその含蓄の深さに感銘を受けている感じです。
この言葉には、「現実は夢で、夜見る夢のほうが実体である」というような、荘子の
「胡蝶の夢」を匂わせる含蓄も、もちろんあるとは思いますが、もっとシンプルに、「うつし世はつまらない。夜の夢のほうが面白い」というのも真意のように思えます。「この世の現実という味気ない"幻"よりも、夜の夢という"幻"にあらわれる幻想怪奇でシュールな異世界のほうがワクワクする」といった乱歩独特の人生観が反映されているのでしょうね。乱歩邸にも、この言葉が書かれた大きな色紙が公開されていて、そこのパネルにも興味深い乱歩の人生観が書かれていて面白かったです。
乱歩邸は立教大学のすぐ隣にあり、大学脇の路地をちょっと入った所にありました。ちょっと歩けばすぐ池袋西口という贅沢な立地に、庭付き蔵付きの邸宅がドーン!という感じで、さすがは大作家の家!という貫禄です。

本名「平井太郎」の表札がかけられた門を入ると、庭木に囲まれたそこそこ長い玄関に続く通路が。異界に繋がっている小道のようでドキドキします。しかしまぁ、「江戸川乱歩」という筆名の妖しさムンムンのオーラと比べ、本名の「ごく普通の人」な感じのギャップが面白いですね。

乱歩邸の庭を歩いていると、ふと乱歩の幻影と一緒にいるような気がして、魂の奥からじんわりと癒される気がしました。「ここをあの偉大な魔法使い、乱歩も歩いたんだ」と思うと、とても感慨深いです。展示してある色紙の一枚に「われわれは色盲ではないのか、まだ見ぬ色があるのではないのか」というのがありました。普段知覚している世界だけでなく、この世界は自分の認識できる以上の広大で深く不思議に満ちたものなのではないか、という示唆を感じますね。

引っ越し魔の乱歩が最後の住処にしたのがこの乱歩邸ですが、この邸宅に移ってから他界するまで30年ほどの間住み続けたそうですから、乱歩の描く理想の空間がここでやっと完成したのかもしれません。妖しい蔵や、重厚なアンティーク机、暖炉のある応接間など、乱歩の作品に描かれるあやかしの空間が現実に投影されたのがこの住居だったのかもしれませんね。暖炉の上に飾られた乱歩の肖像のまなざしが、この日の日差しのように暖かく感じました。

いかにも乱歩、な感じの漆黒の壁に囲まれた妖しげな蔵。東西のミステリー小説、幻想文学はもとより、文学史的な価値のある稀覯本などが所狭しと所蔵されたリアル幻影城です。
旧江戸川乱歩邸公開記念サイト上部に、丸囲みで5つのコンテンツへのリンクがあります。乱歩邸の公開は、どうやら毎年1回はされているみたいですね。リンク先には一般公開されていない住居の内部の映像もありました。今回の公開は5/15〜5/27まで。まだ公開中ですので、興味のある方は足を運んでみてはいかがでしょうか。

乱歩の魔法にかかると、この世は妖しい虹色の魔境と変容していくような錯覚に陥ります。子供の頃にポプラ社の乱歩シリーズを読んだか読まないかというのは、その後の嗜好にかなりの影響があると思います。乱歩の描く世界は倒錯的な異端の世界であり、そこが持ち味ではあるのですが、なぜそのようなマニアックな作風の作家がこれほどに高名で日本中で愛されているのか、というのも不思議といえば不思議なところですが、やはり少年探偵団、怪人二十面相などの児童向けのミステリーに力を注いだのが大きな理由でしょうね。日本ミステリー界における最も有名な探偵といえば乱歩の生んだ明智小五郎と、横溝正史の金田一耕助ですが、横溝正史も乱歩の力添えで世に出た大作家ですから、日本の大衆文学における乱歩の貢献の偉大さがうかがわれます。