はじめに神は天と地とを創造された。
地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
旧約聖書 創世記 第1章(wikisourceより)
今回はもっとも身近で最も不思議な「光」について話してみようと思います。普段から光の神秘について思いめぐらす機会がちょくちょくあったので、いろいろ書きたかったので記事にしてみました。最も有名な宇宙創成の神話というと上に挙げた旧約聖書の創世記ですが、宇宙創造の最初に「光」をもってくるのが意味深ですね。森羅万象を読み解く古代中国の学問「易経」も、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」で知られる八卦の元となる陰陽が元になってますから、やはり光と闇という根本概念が万象を生成する元になっていると考えたのでしょうね。神話の時代だけでなく、現代科学でも光は宇宙の解明の大きな鍵になる重要な物理現象であり、かつ物理的な実体でもあります。現代社会を支えているコンピュータは0と1の膨大な組み合わせで動作する二進法マシンですが、二進法自体のルーツは古代中国の「易経」の概念にあるというライプニッツの論文を荒俣宏さんが著書(「99万年の叡智」平河出版社)で紹介していたのを思い出します。そんな感じで、いつも身近にある光ですが、同時に謎めいていて不思議な魅力も感じます。
光のふしぎ
光の速度は人間の生活の範囲だとほとんどゼロ秒に思えるほどの高速で、そもそも光というものに、伝わるための速度が存在していることすらふだんは気付きません。子供の頃は、光というのはたんなる自然現象で、たき火とか電灯とか、何かの化学反応によって生じる現象であって、光は無限の速さで伝達されるものと思ってました。後に学校や本などで、光はそれ自体が光子という物理的な実在で、重さを持たず、そのスピードは有限(秒速約30万km)らしいということを知り、とても不思議な気分になったのを思い出します。また一般には、光速はこの宇宙における最高速度といわれてますが、無限の可能性を秘めた宇宙にもスピードの上限があるというのは、どこかミステリアスなものを感じます。
相対性理論という人類の知のパラダイムシフトは人類全体における衝撃的な革命をもたらしたと思います。光速を宇宙のスピードの上限とすることは、同時に、時間や空間などの「当たり前」に思っていた定常的に扱っていた概念が粘土細工のようにグニャグニャと歪むものであることを証明することになりました。そうした科学のもたらした新しい知見によって、よりいっそう「この世界の真相はいったいどうなっているんだろう?」という問いに魅力を感じていきます。
日常生活のスケールを超えた領域では、マクロな世界もミクロな世界も、いままで生きてきた中で培ってきた常識がひっくりかえることがしばしばです。太陽が東から昇ってやがて西に沈み、夜がきて朝が来る、といった当たり前の一日も、視点を変えれば、果てしなく広い宇宙の片隅の銀河系の端っこの太陽系の第3惑星だけに起きる非常にレアな現象でもあります。
視点を変えると常識がひっくり返ってしまう感じといえば、昔テレビかなにかで聞いた、とある思考実験を思い出します。それはアインシュタインが子供の頃に空想したとされる思考実験です。いわく「もしも自分がとほうもなく大きな巨人だったとして、ある日の正午に地球の赤道上に立ち、自転と反対方向に自転と同じ速度で歩き続けたとしたら、巨人にとって世界はどう見えるだろう?」というもしもの世界≠ナす。この場合、巨人が体験する世界は、「太陽は頭上に静止したまま動かず永遠に昼のまま」というもので、巨人はその歩みを続ける限りとてもシュールな現象を体験することになります。いわばセルフ白夜という感じでしょうか。このアインシュタインの思考実験を聞いたとき、日常のスケールをちょっと逸脱するだけで、当たり前だとか、常識だと思っていたことがいとも簡単にひっくり返るのだなぁ、と感慨にふけったものでした。
そのように、この世界に生まれ落ちて生活しているうちに自然と体感していく当たり前の現象、光とか重力とか、そういうものも、「では、それは具体的にどういうものなのか?どういう仕組みで存在しているのか?」と考えたとたんに巨大な謎としてたちはだかってきます。といいますか、よく考えてみれば、この世界のほとんどの部分は謎でできており、人間がわかっているものはごくわずかであります。人間は、人間社会という、人間だけに通用する小さなコロニーの中で人間同士のコミュニケーションだけうまくこなせていれば、とりあえず生きていけるようなシステムを造り上げたおかげで、そうした謎に興味を持たずとも生きていけるようになりました。しかしまた逆に、そうした謎に興味をもてば古今東西の賢者の思想をネットや本などで知ることができるようにもなりました。世界はある意味「打ち出の小槌」で、求める心があればちゃんと応えて出してくれるような仕組みになっているのでしょう。
光は遅い?
光は1秒間に地球を7周半するほどの高速なので、地球上にいる限り、光の伝達速度を考慮する必要がほとんどありません。地球上の、砂漠とか海の上などの、何の障害物も無い場所で身長180cmの人が見渡せる距離は約4.8km、そのままぐるりと360°周囲を見渡す場合、その範囲の面積は約81km2です。つまりこれは地球の表面積(約5億1千万km2)の約600万分の1程度しか人間は把握できないことになります。実際の日常では、建物や山の起伏などさまざまな障害物がありますし、そもそも現代人の一日はほとんど建物の中で過ごすことが多いわけですから、地球の600万分の1どころか、もっともっと狭い世界を生きていることになりますね。ちなみに東京スカイツリー第二展望台(高さ450m)から見渡せるのは地球の約2万5千分の1の範囲になります。このような人間のスケール感ですと、地球を1秒で7周半もする光は、体感ではゼロ秒に近い感じで、ほぼ瞬間的に伝達するとんでもない高速なものといえますね。
しかし、その光も宇宙という舞台ではときに亀のように遅く感じます。宇宙には地球より大きな星は無数にあり、例えば木星は地球の体積の千倍以上(1,321倍)で、直径は11倍です。木星の直径を光が横切るには0.48秒もかかり、赤道を一周するのに約1.5秒もかかります。太陽系最大の星はもちろん太陽で、ケタ違いに大きな星であり、直径は木星の10倍もあります。太陽を光が一周するのに約14秒ほどかかります。光が太陽の直径を横切る場合には4.6秒かかるので、太陽の脇を光が通過するだけで4.6秒もかかるということですね。とてつもない大きさです。

しかし宇宙という大舞台では上には上がいます。現在観測できている星の中でもっとも大きいとされる「はくちょう座V1489星」は、直径が太陽の1650倍(22億9792万2千km)で、この星を仮に太陽系の太陽の位置に置くと、木星と土星の軌道の間あたりがこの恒星の表面になるくらいのとんでもない大きさです。「はくちょう座V1489星」を直径1mの大きなバランスボールに例えると、太陽は直径0.6ミリの砂粒のような大きさになります。だいたいボールペンの先っちょの玉くらいですね。(ちなみにこの比率でいくと地球の直径はベビーパウダーの粒子ひとつ分よりも小さくなり、約5.5マイクロメートル、ミリ換算で約0.0055ミリとなり、肉眼では見えないサイズになってしまいます)この巨大な星の直径を光が横切るには2時間8分ほどかかります。光が星ひとつ横切るのに、映画まるまる1本分鑑賞するくらいの時間を要するというのがとてつもないですよね。

この図は惑星同士の距離というより各惑星の軌道までの距離感です。各惑星は軌道上のどこかにいることになりますから、太陽の反対側に来る場合もありますし、そうなると実際はもっともっと離れていることになりますね。

ついでに、地球の大きさを直径1cmのパチンコ玉だと見立てて計算してみました。その場合は太陽は直径約1.1mの両手で抱えるくらいの大きなバランスボールくらいになり、その比率のままはくちょう座V1489星≠ノ当てはめると直径1.8km(甲子園球場を約10個並べたのと同じくらいの直径)の超巨大なボールとなります。ほとんど街ひとつがすっぽり収まるほどの直径の球体とパチンコ玉との比較を考えるとあまりの非現実的なサイズ感に頭がクラクラしてきますね。不動産屋さんの店先の物件紹介の貼紙とかにある「駅から徒歩○○分」というのは「80m=徒歩1分」という計算らしいですが、これでいくと1.8kmのはくちょう座V1489星≠ノ見立てた球の脇(直径)を歩いて横切るだけで20分以上かかる計算になります。そんな比較で想像してみると、宇宙の壮大さの片鱗をわずかながらでも実感できますね。
宇宙は星の無い空間のほうが圧倒的に多いのに、光が星一つ分を通過するのに2時間以上かかるというのを考えると、宇宙を把握するモノサシになっている光がいかにゆっくりなのかがわかりますね。太陽系に最も近い恒星、ケンタウルス座α星まで光の速度で4年以上かかるので、現在の科学の常識では恒星間旅行など永遠の夢物語です。ブラックホールのような時空の歪みを利用する航法など、恒星間探索のいろいろな仮説がありますが、どれも非常識なコストがかかる非現実的なものです。恒星間を行き来するような宇宙時代は必ずしも夢物語だとは思いませんが、恒星間探査を可能にするのは、相対性理論が発見された時のような、常識が180度ひっくりかえるくらいのパラダイムシフトが物理学やテクノロジーの分野で起きることが必要でしょうね。
情報のみの伝達に限っても、光速のリミッターがこの宇宙にはたらいているので、ケンタウルス座α星のようなご近所と連絡をとるのにも4年もかかりますが、もし量子もつれのようなテレポーテーションまがいのチート的な手段が情報伝達に転用できるような革新的な発見があればどんなに遠い星同士でも瞬間的な情報伝達が可能になるかもしれませんね。量子論自体が当時天才の代名詞でもあったアインシュタインさえ首を傾げたほどに不思議な理論でしたが、現在では量子コンピュータも近い将来実用段階に入りそうな感じで、量子論はそのくらい現実に即した影響力をもつリアルなものになってきました。いまだに量子論はどこか現実離れした不思議な理論のように扱われる機会が多いですが、そうした不思議な仕組みが素粒子レベルのミクロの世界では常識なわけで、他にもそうした理論的な抜け道がこの宇宙には意外とたくさん用意されているような気がしますね。そうした新しい手段によって、銀河同士で会話できるようなレベルの瞬間的な情報伝達が発見されたら、この宇宙がいっそう楽しい場所となることでしょう。
光のドップラー効果
ドップラー効果というと、救急車などのサイレンの音が、近づいてくる時と遠ざかる時とでは音の高さが変わってしまうアノ現象のことで、これは音の伝達速度が秒速約340mと遅い事によって人間に知覚可能な変化として認識されます。光もまたこれと似た現象が起こり、光速に近づくほど進行方向の景色は青に、遠ざかる景色は赤の方向にズレることになりますが、光は音速の10万倍のスピードで伝達するので、人間の日常生活ではその変化はほとんどゼロに近い微々たる変化になるので気付きません。もっと巨大な場、宇宙に目を向けるとこの現象は「赤方偏移(せきほうへんい)」という現象によっても確認されており、これは天体の観測で遠い星ほど速く遠ざかるために星が赤っぽく見える現象です。
光のドップラー効果について思い出すのは著名な天文学者、カール・セーガン(1934-1996)が、1980年に制作した『コスモス(COSMOS)』という宇宙を興味深く解説する全13回シリーズのドキュメンタリー番組です。日本でも放送され、これによってカール・セーガンの名前が日本でも一般に広く知れ渡る事になりました。20億円の巨費を投じて制作されたようですが、この番組の第8回目の『時間と空間の旅』の内容が、光のドップラー効果を説明するために、ユニークな思考実験を映像化していたのがすごく印象に残っています。その映像を見たとき、この世界にはこんな不思議な仕組みが裏ではたらいているのか!とすごくワクワクした感動を思い出します。
その映像というのは、もしも光の速度が時速60kmほどだったら世界はどう見えるか?をシミュレーションしたビデオです。光速が時速60kmほどと仮定すると、スクーターで走っただけで容易に光速に近づいてしまうため、普通の日常生活にモロに相対性理論の効果があらわれますが、それがこの映像の面白いところです。

Carl Sagan - Cosmos - Traveling - Speed of Light (Youtube)
映像は、カール・セーガン自身による解説の後、広場で数人の同世代の友達と遊んでいた主人公の少年がスクーターで村を一周して、また元の広場に戻ってくる、といったシンプルな内容ですが、なにしろ光速がスクーターの最高時速とそう変わらない世界の話なので、奇妙な現象がいろいろ起こりまくるのが面白いです。
光に近い速度のバイクに乗っている少年は、他の人から見ると押しつぶされたように横幅が縮んで見え、さらに光のドップラー効果で青く見えるとか、バイクから見る景色は光速に近づくと虹色になって前方に固まって見えるとか、不思議の国にでも迷いこんだかのようなサイケな情景が次々にあらわれます。バイクでちょっと散歩しただけなのに、広場に戻ると自分の弟が相対性理論のウラシマ効果でよぼよぼの老人になってしまい、広場にいた同世代の友達は皆他界してしまって広場はガランとしている、というオチで、小さな村をバイクで一周しただけで何十年もの時間のズレを生じてしまうところがまさに「世にも奇妙な物語」な感じです。光というものの奇妙な性質をわかりやすく視覚的に表現していてとても秀逸なビデオですね。
光速に近づくと世界はどう見えるのか?」を手軽に体験可能なムービーが公開中(GIGAZINE様)
こちらは2018年にベルギーの大学で作られたビデオを紹介しています。光速が時速20kmの世界でボートに乗ったときに見える景色のシミュレーションです。360°ムービーになっており、再生中もマウスで任意の方向に画面を動かすことができます。光速に近づくにつれて周囲の風景は歪みはじめ、色合いも光のドップラー効果でサイケな感じに変化していきます。実際に日常では経験することのない光速の世界も、あえて日常レベルのスケールに落とし込むことで、その奇妙な性質を実感させてくれるこうした映像は、ちゃんとした科学的な理論を背景にして作られているだけに、より不思議感があって面白いですね。

『ライフ・サイエンス・ライブラリー 時間の測定』サミュエル・A・ハウトスミット、ロバート・クレイボーン著 小野健一監修 タイム・ライフ・ブックス発行 昭和50年刊
ライフの科学図鑑シリーズはユニークな図版が多くて楽しいですね。これは時間をテーマにした巻で、上図は「相対性に破れたスパイ作戦」と題されたユニークな絵物語の一枚です。物語の内容は、原発への爆破テロを企てたスパイが相対性理論に無知だたっために計画が頓挫してしまうというストーリーです。絵は、光速の4分の3の速度(秒速22万キロ)で走る「相対性特急列車」に乗り込んだ主人公のスパイが、車窓から外にいる仲間の見張りの男を見た時の様子を描いた挿絵です。見張りの男はたしか小太りのはずだったのに、なぜかほっそりしています。というより、あきらかに横に圧縮されたような不自然な姿です。これは光速に近いスピードで走る列車から外を見ているせいで景色が横に収縮して見える「ローレンツ収縮」といわれるものを絵にしたものです。モノを見るということは、モノに当たった光の反射を見ていることと同じですが、観測する人が光速に近い運動をしている状態では、光が当たって目に映るまでの光の動きもズレてくるのでこうした現象が起きます。こういう絵って、頭で空想した幻想画とはまた別の、シュールな味わいがあって大好きです。見た目はキテレツでも理論上はありえるというところが面白いですよね。


上図下図とも『ガモフ全集1 不思議の国のトムキンス』ジョージ・ガモフ著 伏見康治訳 白揚社 1950年
光速がものすごくゆっくりな世界で起こる奇妙な光景を描いた絵。一般的な自転車を最速でこいでも時速30kmほどだということなので、自転車で走るだけでローレンツ収縮が起こるということは、この絵の世界は光速が時速30〜40kmくらいのようですね。これらの挿絵は第1話の「のろい町」(呪いではなく遅いほうののろい≠ナす)の挿絵です。この架空の世界でも、光速は最高速度なので、タクシーだろうが電車だろうがみんな自転車と同じくらいのスピードしか出ません。街角のおまわりさんもスピード違反を注視する必要もないためいつもヒマそうにしています。
光の時代
そういえばアインシュタインが第三次世界大戦はどうなるかについて問われて「第三次世界大戦についてはわかりませんが、第四次大戦ならわかります。石と棍棒でしょう」と答えた、という話がありますね。原爆や水爆といった、一発で都市をまるごと壊滅させるような兵器が存在するようになった現代において、もしまた世界規模の大戦が起きれば人類そのものの文明すらほとんど壊滅してしまい、その次の第四次世界大戦では、兵器工場どころか文明すら消え去った世界なので原始的な武器、つまり石と棍棒で争うような原始的な戦争になるだろうという皮肉なブラックジョークですね。最終戦争後の世界というと、北斗の拳もそういう感じでしたし、FF10の舞台、スピラもそういえば最終戦争後の世界を舞台にした世界観で、高度に発達した科学文明そのものが破壊された後の、原始的な文明に退行した世界を描いていたのを彷彿としますね。私たちの世界がそういう世界にならないためにも、これからは心の教育などが重要でしょうし、精神の豊かさを育むような社会へとシフトしていかなければ、人類自体がそのエゴによって消滅してしまうかもしれませんね。
占星術の世界でも、70年代あたりから「アクエリアスの時代」つまり水瓶座のことですが、それまでの魚座が支配していた物質偏重のエゴイズムな世界から、水瓶座が支配する時代に移り変わることで、精神面に重点を置いた協調的な自然主義の世界観にシフトしていくだろうといった説が話題になったことがありましたね。アメリカのコーラスグループ、フィフス・ディメンション(The Fifth Dimension)の60年代後期のヒット曲『輝く星座』は、原題は『Aquarius(アクエリアス)』で、まさにこの占星術の予言、水瓶座の時代をテーマに、悲しみの時代の終わりと幸福な時代の訪れを歌ったスピリチュアルな歌詞のファンタジックな曲でしたね。
フィフス・ディメンション『輝く星座(Aquarius)』(Youtube検索結果)
約2160年ごとに支配する星座が変わるということですが、占星術的には現代がそのターニングポイントになるという説が広く流布されているようです。アセンションとか、次元上昇とか、最近では風の時代などという似たようなファンタジックな説を目にする事がありますが、まぁ、そっち系はあまり深入りしないでおこうと思ってます。それを信じる信じないというより、そういう話題に関心が集中するほど、この世界が精神性に目覚める世界になってほしいという願望のあらわれでしょうね。そういう願いに似た気持ちがそういった説に投影されて流布されているのだろうな、と感じます。
人類の文明は、生物としての生存にかかわる大きな問題、衣食住をかなりの程度まで安定的に享受できるようなレベルまで進んできましたし、そういう面では物質的にはもうかなりのレベルで満たされているといえるでしょう。だからこそ、これからの時代は、人類最大の目標である「幸福」という心の問題に真剣に目を向けるべきなのかな、と感じます。
政府が発表して話題になった「ムーンショット目標」では、労働やコミュニケーションなどの人生にのしかかるいろいろな義務から解放された理想の未来のビジョンを示していて興味深いです。どこまで本気か気になるものの、実現すればそれこそアクエリアスの時代にふさわしく革命的な意識改革が起こるでしょうね。どこかマトリックスの世界を思わせるSFっぽい目標ですが、2050年までに実現させることを目標にしてたりと、わりとリアルな感触もあって、ちょっと期待してしまいます。
このまま人類が破滅的な戦争をすることなく、科学技術を発展させつづけていけば、AIやロボットの進化によって生きるための労働から解放されたり、より自由でチャレンジしがいのある人生を過ごせるようになるかもしれませんし、そうしたテクノロジーの進歩は宇宙開発へも当然向けられるでしょう。そうなればいずれは光速に近い推進力のロケットも実現できるかもしれませんし、そうした未来では、光のドップラー効果をはじめとする相対性理論でいわれてきた奇妙な現象が、ロケット開発におけるリアルな現実の課題になっていくのでしょう。さらに技術が進めば、光の速度でさえ恒星間を行き来するには遅過ぎますから、そうした未来ではワープ航法のようなチート的な技術も可能になっていくかもしれませんね。
人間社会は、ある意味宇宙の縮図のような面もありますし、生きるための労働にしても、一生懸命働くという以外にも、宝くじとか株とかいろいろとチートが存在しているのがこの世界ですから、宇宙にもそのような、光速の呪縛を突破できるような様々な仕掛けや抜け道がありそうに思う昨今です。

はくちょう座V1489星(ウィキペディア)
はくちょう座V1489星は、地球から見てはくちょう座の方向に約5250光年離れた位置にある赤色超巨星。2012年時点で観測されている恒星の中では最も直径の大きな恒星。それまで最大の恒星とされていた「たて座UY星」は、再計測の結果以前より半分近く直径が短いことが判明したため1位の座を奪われたそうです。なんというか、半分近く短くなるほど誤差が出てたというところも驚きです。宇宙が相手となると、誤差のレベルも驚異的に壮大ですね。
近い恒星の一覧(ウィキペディア)
直径の大きい恒星の一覧(ウィキペディア)
地上から見渡せる距離や範囲の計算機(ke!isan様)
【PDF】「なぜ光の速さを超えられないのか―わかりやすい速度の合成則の導出―」近藤良彦、西川哲夫 國學院大學人間開発学研究 第9号〔平成30年2月〕
【PDF】「光の正体を探ろう!〜量子の世界への招待〜」(北海道大学大学院情報科学研究科光エレクトロニクス研究室小川和久、松岡史晃)
量子論の概論や量子コンピュータについてイラストをふんだんに使って解りやすく解説していて勉強になります。『量子コンピュータが得意なこと』と題する章に、組み合わせ爆発などの計算量が膨大な問題を例に、4GHzでCPUが動作するパソコンだと20兆年近くかかる計算を量子コンピュータは1.75 × 10^−8秒(0.0000000199秒)で算出してしまうようなことが書かれてますね。今のパソコンでおよそ20兆年(宇宙の歴史138億年の約1449倍!)かかる計算をほとんどゼロ秒で答えを出してしまうって、まるでリアルHAL9000(映画『2001年宇宙の旅』に登場する万能コンピュータ)の世界ですね〜 ただ、速いかわりに精度が落ちるとか、計算にも得意不得意があるようで、量子コンピュータが実用化しても現行のコンピュータが無くなることはないという話も聞きますね。とはいえスパコンの1億倍以上のスピードで計算するといわれるかつてない機械仕掛けの頭脳、量子コンピュータが実用化されるようになったらいろいろな常識もひっくり返って、社会や人間の意識自体にとてつもない変化が起こるでしょうね。
コスモス (テレビ番組)(ウィキペディア)
「ムーンショット目標1 2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」(内閣府サイト)
【PDF】「太陽系の大きさを体感する」(JAXA)
なかなか実感のつかめない宇宙や星のサイズ感ですが、身近なモノや場所におきかえて類推するれば宇宙のイメージを具体的に実感できたりするので楽しいですね。このPDFでは、太陽系のスケール感を実感するための興味深い比較をいろいろ紹介していて面白いです。惑星同士の距離感も、漠然と等間隔に並んでいる様をイメージしがちですが、実際は水金地火までは太陽の近くに密集していて、そこから木星までは一気に過疎化して距離が遠くになります。そうした距離感の感覚を広場などで実際に惑星に見立てたボールを使って縮尺どおりの軌道の位置に置き、惑星間を歩いて実感してみる実験などが紹介されており興味深いです。
【動画】「Bill Nye Demonstrates Distance Between Planets」 (Youtube)
上のPDFと同じような実験を実際に行っている海外の動画。直径1mのボールを太陽に見立て、サイクリングコースの出発点に置き、その縮尺にそった大きさの惑星を縮尺どおりの軌道の距離に置いて、自転車でその惑星同士の距離感を実感してみる実験動画。火星までは次々に通過していきますが、それ以降がやたら遠くなります。自転車乗りの人がユーモラスで楽しいです。音楽やメーターなどの演出も凝っていて面白いですね。大宇宙とか銀河系などのスケール感からすれば太陽系はちっぽけに感じますが、こうして見ると地球のスケール感からすればとほうもない壮大さですね。それと同時に、天王星とか海王星などのそんなにも遠くにある小さな惑星まであの大きさの太陽がその重力でつなぎ止めているというところも感慨深いです。
「もしも月が1ピクセルしかなかったとしたら・・・太陽系の退屈で正確な地図」(Josh Worthさん制作のサイト)
グラフィックデザイナーのJosh Worthさんが作成した興味深いサイト。月がモニタ上の1ピクセルとした場合の太陽系惑星の大きさと距離感をシミュレーションしています。画面を右スクロールしていくとお馴染みの惑星が現われてきますが、こうして実際にマウスを動かしながら体験してみると、頭で想像している以上に惑星同士の距離が遠いことにびっくりしますね。アンドロメダ銀河と我々の天の川銀河が遠い将来衝突するが、星同士がぶつかる可能性はほぼ無いという話がありますが、たしかに、太陽系がこれだけスカスカで、しかも一番近い恒星まで4光年以上と、さらにとてつもなく離れているのを知ると、実感として納得できますね。