2018年02月03日

アニメ『いぬやしき』感想

『いぬやしき』なんとなく見始めて、第1話からぐいぐい惹き込まれて一気に最後まで見てしまいました。ロボット老人という設定の妙は、なんとなく大友克洋&江口寿史の『老人Z』を思い起こしますが、物語自体のテイストはまったく別物で、原作が『ガンツ』の作者ということもあって、ナンセンスな設定を用いながらリアルな現代社会の風刺や、生きるとはどういうことか、人生にはどんな意味があるのか、などの哲学的な問いを、壮絶なアクションをはさみながら畳み込むように描いていて、最後まで飽きさせません。

冴えないサラリーマン・犬屋敷 壱郎(いぬやしき いちろう)は、犬の散歩中に宇宙人のUFO墜落現場に居合わせてしまったせいでいったん死亡してしまいますが、宇宙人も良心が傷んだのか、そのままにはせずに急いで出来合いの機械パーツを使って元とそっくりの機械人間として蘇らせます。身体のパーツが全部入れ替わっていますが、心は元の犬屋敷壱郎のままです。しかし、オリジナルの人間の犬屋敷壱郎≠ニは部品が全て違うのだから、この犬屋敷壱郎だと思い込んでる「心」も、もしかしたら入れ替わった機械が犬屋敷壱郎をシミュレートしてるだけで、本当の自分ではないのではないか?という実存的なジレンマに壱郎は苦しむ事になります。このあたりの哲学的なテイストは、物質的に別のモノでそっくりに組み立てられた「自分」は、本物の自分なのだろうか?という問いを投げかける「ガンツ」と通底する部分ですね。

主人公壱郎は、自分は元の「人間・犬屋敷壱郎」なのだ、という確信を得たくて、人助けなどの人間らしい″s為をしながら、人間としての実感を取り戻そうと生きることになります。時を同じくして、同じ場所でUFO事故に巻き込まれたもうひとりの主人公である高校生、獅子神 皓(ししがみ ひろ)も、壱郎と同様の機械の身体を得ます。彼は壱郎と正反対に、人を殺すことで自分が生きているという実感を確かめようとして、無慈悲な殺害を淡々と繰り返していきます。冴えない初老の男でありながら正義の心をもった壱郎と、他人への共感能力に乏しいイケメン高校生が巻き起こす殺戮、という明快かつユニークなコントラスト。明快な設定と激しいアクション&哲学的テイストというのは作者の持ち味なのでしょうね。そうした「ガンツ」から引き継がれた持ち味に、人間愛や家族愛などの情緒的な部分も丁寧に描いたことで、とても魅力的な作品に仕上がっていますね。

機械によって超人的な能力を手に入れたふたりの人間が、その能力をまったく対照的な目的のために行使するユニークさがこの作品の背骨になっていて、正義の老人、壱郎の人助けのエピソードは弱きを助ける必殺仕事人っぽいノリで王道のヒーローもので楽しいです。方や皓(ひろ)のエピソードは、愛に飢えた孤独な少年が、身近にいる母や恋人や幼なじみだけを心の支えに、大事な彼らを守ろうとして結果的に利己的な殺害を繰り返すという、切なくも殺伐としたものです。彼の犯した冷酷な殺人の数々を考えると、同情の余地はないはずなのですが、一方で、皓(ひろ)の狂おしいまでの寂しさや人恋しさが伝わってもくるので、彼のキャラを自分はどう扱い、どう評価したらよいのか悩みました。ある意味、皓(ひろ)は壱郎の闇の部分であり、壱郎は皓(ひろ)の光(理想)を象徴する存在なのでしょうね。壱郎だけのエピソードでまとめあげてもよかったのではないか、とも途中ふと思ったりしましたが、エピソードを重ねるごとに、皓(ひろ)という冷酷さと繊細さを持った、生きる事にとことん不器用なキャラがどうも憎みきれない感じになってきて、見ているうちに、「ああ、そういえば壱郎もまた、皓(ひろ)と同様に、不器用にしか生きれないキャラだったな」ということに気づき、彼をからませるその意図になるほどと合点がいったのでした。

今回は「ガンツ」と違って、宇宙人は裏方というか、最初の「事故」以来どこかに去ってしまって物語には出てきません。なので、より人間描写や社会風刺を掘り下げて描写していて社会派SFっぽいノリもあって面白かったです。ラストはとても考えさせられますね。ネタバレになるので書きませんが、同じ立場だったら自分ならどういう選択をしただろうか?と考えずにはいられない秀逸な結びでしたね。

メモ参考サイト
ウィキペディア『いぬやしき』

『いぬやしき』公式サイト
posted by 八竹釣月 at 18:24| Comment(0) | 雑記

2016年07月04日

七変化

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散歩してると、たまに見かける不思議な花が無性に気になったので撮ってみました。同じ個体から様々な色や形の花が咲くという摩訶不思議な、そして可愛らしい花です。後で調べてみると、この花はランタナ、和名を「七変化(シチヘンゲ)」と呼ぶということがわかりました。七変化、たしかに、まさしく不思議な性質をそのまま言い表していて、ストレートながらなんとなく忍者っぽいユーモラスなネーミングでもあります。

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というわけで、近くの公園で撮影した七変化の写真を並べながら、あれこれと雑談してみたいと思います。

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七変化の花言葉は『厳格』『合意』『協力』『確かな計画』。花言葉というのは、花に想いを託して相手に向けるメッセージで、あえて言葉でなく花に語らせるというのが優雅ですね。花言葉というのは西洋が起源で、かなり古い風習のようですが、はじめて花言葉が本にまとめられたのが19世紀初頭のようで、実質このあたりから、行き当たりばったりでなく、それぞれ花に固有のキャラ付けがされてきたのでしょうね。モノに宿る象徴性を読み解く文化は、西洋魔術の自然魔法、万物照応論などに見られ、万物は、動物、植物、天体、方位、数字など、すべて固有の意味と象徴によって結びついているという考え方がありますが、もしかすると花言葉も、そうした西洋のオカルティズムの影響から発生したものなのかもしれませんね。


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万物照応というと、数字に秘められた象徴を駆使して世界を読み解こうとするカバラ秘術の「ゲマトリア(数秘術)」とか興味があります。歴史上の有名人の名前を数字に変換して演算してみたりすると、その隠された意味があらわになる、という話をよく聞きますね。歴史的な事件事故の起こった日付などをいろいろ足したり掛けたりして意味を探ろうとするのは陰謀論でよく見かけるお馴染みのもので、基本的には眉唾でみていますが、さりとて全く無意味だとも思っていません。「偶然」というのは、ただ人間の認識が追いつかないものであるにすぎず、すべての事象には秘められた意味があり、なんらかの象徴によって互いに影響し結びついているという発想は惹かれるものがありますし、もしかするとそうした思考法にもなにがしかの真理が含まれてそうな気もします。最近では、もっとライトな感じの数秘術「エンジェル・ナンバー」が流行っていますね。いろいろそのあたりの話も書きたいところですが、あまり話が逸れるのもなんなので元に戻します。

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七変化(ランタナ)は、それほどレアではないので公園の植え込みや住宅街などで見かけますし、ご存知の方も多いと思いますが、日常に潜むこうした身近な不思議にふと気づくたびに、地球という博物館が出してくるアイデアあふれる生命の多様さに感動します。植物は、その本来の機能、大地に酸素を供給するとか、蝶などの虫にエサを与えるとか、そうした事のほかに、おそらく、いや確実に「人間を楽しませるため」という目的性も持ってますね。花は、その美しさ可愛らしさゆえに、人間の生存にとってさして必要不可欠でもない花までもが好んで保護育成され、人間が美しいと感じるということがそのまま種の存続に役立っています。

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人間が現在のところ地球の支配者ですから、人間に好かれるという要素は地球上の生命にとって意外に重要な生き残りの鍵になっているのでしょう。環境の変化で絶滅しそうになる個体も、人間がそこに憐憫を感じれば無理矢理にでも環境が保護されます。コアラは動物として競争力がとことん弱く栄養豊かなエサがある場所では生き残れなかったのか木の上に昇り栄養が少なく毒もあるユーカリを体内で解毒して生きています。養分の少ないユーカリしかエサを獲得できなかったっために体力維持のために一日20時間近くを睡眠に当てるというコスパの悪い生き方をしています。しかし、「可愛い」と人間に感じさせる容姿を持っていたために現在では人間によって全力で保護される生き物になることができました。キャベツも、あのように葉っぱが内側に重なっていては光合成がうまくいかないので、植物としての進化は失敗しているものの、人間に「おいしい!」と思われたために大量に栽培される種となりました。

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地球上の生命は、少なくとも人間が生命体のヒエラルキーの頂上にいる間は、人間にどう思われるか?という事が非常に大事な要件になっているように思われます。だからこそ、人間は人間のみの狭い視野でなく、地球規模でのマクロな視点で環境を扱っていく責任がありますね。よく「人間は地球のガン細胞だ」という厭世的な意見を耳にすることがありますが、人間がちゃんと地球が望む役割を果たしていけば、地球という一個の生命体の脳細胞として機能することになりますから、地球に好かれるように人間は謙虚に自然と向き合うことが大事なのでしょう。

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宇宙論において最も魅力的な考え方に「人間原理」があります。宇宙は人間が観測することによって存在しているという、科学というより哲学っぽいニュアンスを感じる不思議な説ですが、上記の話のように、現在の地球がすでに物理的にも人間原理で説明できそうな状況になりつつあるのが面白いと思います。人間原理というのは、宇宙を人間中心に考えるので、いかにも非科学的なイメージをもってしまいがちですが、そもそも科学というのは人間の知覚しうる範囲で世界を把握する技法なので、演繹的に宇宙を科学的に捉えていこうとすると最終的には人間原理に行き着かざるを得ないのかもしれませんね。

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posted by 八竹釣月 at 18:28| Comment(0) | 雑記

2016年04月05日

櫻便り

春の訪れを満開の桜がビジュアルで教えてくれる時期になりましたね。一斉に咲き乱れ、いつもの景色が一変して楽園に迷い込んだような不思議な感覚をおぼえます。短い開花の時期に一年分の生命力を一気に放射している桜の乱舞を見ていると、命の激しいパワーを感じます。桜並木を歩いていると、春の雪景色といった異世界感覚があって楽しいですね。

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絵本「童幼の国 春のうた特集」第5巻第5号 昭和30年(1955年) 発行:文教堂

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同上。当時の少女雑誌などでも活躍していた叙情画絵師の糸賀君子の筆による耽美な春の景色。

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以下気の向くままに撮った桜のスナップ写真をいくつか貼ってみます。

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「尋常小学 国語 巻一」昭和8年(1933年)の教科書
posted by 八竹釣月 at 01:55| Comment(0) | 雑記

2015年11月24日

フラクタル・カリフラワー

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フラクタルな造形美が面白いロマネスコ。以前よりは見かけるようになった気もしますが、それでも流通量が少ないのか、年に1、2度スーパーでたまに見かける程度なので、見つけるとついついじっくり観察したくなります。そういうわけで、またロマネスコの写真を撮ってみました。

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異世界を感じるSF的な造形ですね〜

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遠い星の地表であるとか、未知の生物の住んでいる都市建造物だとか、いろいろと空想がふくらみます。

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見事なスパイラル形状ですね。鉱物の結晶などのように、自然界は生育を邪魔するノイズが無い理想的な状況下では、おのずと幾何学的で秩序だった構造になりそうですが、日常世界ではノイズがある状況が普通なので、逆にこうした造形が不思議に見えるのでしょうね。

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そう考えていくと、この世界って、極小の世界では原子は球状の形をとりますし、極大の世界、たとえば星なども球状ですね。原子がまるいのは、原子核を周回する電子が軌道半径上のあらゆる場所に確率的にほぼ等しく存在するから総体としてまるく見えるということだと思いますし、星がまるいのは、一定以上の大きさになると自分自身の重力の影響により、重心から均一になるように作用するため自然と球体になってしまうからですが、そう考えると、人間の生きている世界のスケールというのは実に絶妙だなぁ、と思いますね。もっとも形状のバリエーションが存在するスケールが人間世界なのでしょうね。また、このスケールの範囲でしか高等な知的生物が存在することは不可能ともいえるわけで、一般に極論として受け取られがちな人間原理も、実のところは意外に的を射ているんじゃないか、と思っています。

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などと、この不思議な形状を見つめていると、いろいろ空想がひろがっていきます。よくあるブロッコリーの2倍ほどの値段でしたが、大きさもブロッコリーの2倍ほどあるので、物珍しい品種にしては手頃な感じですね。

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とまぁ、いくら生物らしからぬ形状とはいえ生ものですから、新鮮なうちにサクッと!二日ほどフラクタルな美を鑑賞してからサラダにして食しました。
posted by 八竹釣月 at 21:49| Comment(3) | 雑記

2015年04月05日

さくらさくら

世の中にたえて桜のなかりせば
春の心はのどけからまし

在原業平(825-880) 『伊勢物語』より


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桜が咲き、日本が最も日本らしく彩られる時期ですね。観光地でなくとも、普通にどこでも、公園や施設の庭や民家でも植えられていて、この時期ちょっと散歩してるだけで、そこかしこに桜の木が植えられていたことに気づかされます。

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「二ねんせいのおんがく」教育藝術社 昭和29年
古風で雅な響きの「さくらさくら」は、日本の伝統音楽という先入観がありましたが、幕末につくられたものらしく、意外に新しい歌なんですね。

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雪景色のように咲いた満開の桜に囲まれた道を歩いていると、ふと異世界に迷い込んだような錯覚をおぼえます。

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林唯一(はやし ただいち):画 「童謡と童画」國民社 昭和16年

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薄紅の白い団子状にゴージャスに開花したソメイヨシノ。日本では、桜といえばソメイヨシノですが、これも比較的新しい品種で幕末から明治初期にできた品種のようです。古今和歌集で歌われている「春ごとに 花のさかりは 有なめど あひみむ事は いのちなりけり(詠み人知らず)」は、ヤマザクラを詠んだもので、古典文学に登場する桜のほとんどはヤマザクラだそうです。ソメイヨシノは葉っぱを付ける前に一斉に花開くので、満開のソメイヨシノは雪景色のように見事に真っ白に風景を彩り、まさに豪快優美、花見にベストマッチな品種ですが、ヤマザクラの風情感もなかなか古(いにしえ)の日本を感じさせる趣がありますね。

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「欧州管弦楽合奏之図」楊洲 周延(ようしゅう ちかのぶ 1838-1912)

清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ 逢う人 みなうつくしき
与謝野晶子(1878-1942)


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いかにも桜が似合いそうな古都、京都にふさわしい「桜石」。温泉地としても知られる京都府亀岡市稗田野町湯の花で採取されたものです。何年か前に鉱物のイベントでゲットしました。桜の花のような可愛らしい形に結晶しています。桜石は、菫青石(きんせいせき)が分解され六角柱状の結晶形だけを残して白雲母などに置き換わった仮晶です。

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こちらは母岩付きの桜石。可愛い形と銀に輝くシブイ光沢が日本らしい鉱物ですね。

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こういう時期に京都や奈良、あるいは伊勢神宮など、コテコテに日本っぽい場所で花見するのは最高の贅沢でしょうね。

桜花 ちらばちらなん ちらずとて ふるさと人の きても見なくに
惟喬親王(これたかしんのう 844-897) 「古今和歌集」
posted by 八竹釣月 at 01:05| Comment(2) | 雑記