先日「ひぐらしのなく頃に」の外伝、漫画「蛍火の灯る頃に」を読んだ勢いで、ひぐらし熱がぶりかえしてきたので、今回は筆に任せてひぐらし関連の話を綴ってみようと思います。

竜騎士07さんの出世作「ひぐらしのなく頃に」。今も根強い人気作品ですが、最初はコミケで細々と売られていたノベルゲームが、あれよあれよという間に全国的なヒット作品へと成長していく様は、ジャパニーズドリーム的な華やかさを感じますね。ひぐらしの成功は、日本の同人、一般のマニア層のレベルが商業作品に匹敵するレベルに到達したことの証左ですね。その後間もなくして2chの書き込みが映画(電車男)やCD(のま猫)や漫画(師匠シリーズ)になったりする時代になり、今やネット発祥のヒット曲や漫画なども珍しくなくなった感があります。
「ひぐらしのなく頃に」出題編となる前半の数編は、連続怪死事件の謎を追うミステリーもののようなシナリオであることや、当時の「正解率1%」などの煽り文句での宣伝もあって、推理ものという前提で作品を手に取り、謎解きに真面目に取り組みながらストーリーを追っていた人も多かったせいか、解決編での展開に当時はかなり賛否両論あった気がします。私は細かい整合性よりも面白ければそれが正義だと思ってますので、むしろあの展開でいっそうひぐらしが好きになりました。前半はホラー展開する場面が多いですが、後半の解決編では、村のラスボスお魎を説き伏せて村が一丸となって沙都子を救出するシーンなど、ぐっとくる熱いシーンが多くなっていき、登場キャラたちの魅力が増していく快感に浸っているうちに、あれだけ超長編だと思ってたひぐらしがあっという間に終わってしまい、読後はしばらく雛見沢村が自分のもうひとつの故郷になってしまったかのような郷愁を感じたのでした。
ストーリーが寒村の秘められた風習、みたいな民族学的な雰囲気があり、諸星大二郎ファンの私としてはそういう面でも惹き込まれました。日本から取り残されたいわくありげな寒村で起きる奇妙な事件、という伝奇ロマンな雰囲気はとても好みです。気になるのは、ホラー的な緊張した空気を和らげるためか、「部活」のシーンがかなり冗長に描かれるところくらいでしょうか。まぁ、そうしたおちゃらけ展開から一気に空気が変わる緩急具合もまたひぐらしの魅力でもありますから、作品的には必要な要素なのでしょう。すっかり今ではグロい描写や痛そうなシーンなどは苦手になってしまって、猟奇的なシーンは飛ばしながら見るようになってしまいましたが、作品自体は魅力的なので今でもたまに好きな編をアニメや実況動画などで繰り返し見たりもします。陰鬱で怖い場面の多い出題編とうってかわって解決編の「ひぐらしのなく頃に・解」では爽快なシーンが増えていくので、そうした部分も魅力が尽きないですね。
実は本編よりも外伝的な漫画「ひぐらしのなく頃に 宵越し編」のほうを先に読んでいて、それがきっかけで本編に興味をもってPS2版の「ひぐらしのなく頃に・祭・カケラ遊び」をプレイしました。その後アニメ版も見て、ますますその作品世界にどっぷりとハマることになりました。原作での最後のエピソード「祭囃し編」はゲーム版では少し違った展開をする「澪尽し編」になっていますが、個人的にはラストエピソードは原作かアニメ版のほうが好みです。ひぐらし関連の音楽もいい曲が多く、個人的にはアニメ版の「ひぐらしのなく頃に・解」のED曲「対象a」がとても好きです。
続編、というかキャラも舞台も一新した別作品「うみねこのなく頃に」も大好きで、推理が論理学的なややこしさがあるもののキャラがみんな魅力的なのでグイグイ惹き込まれます。ひぐらしよりもさらに濃い世界観が展開されて面白かったです。縁寿と真理亞のエピソードが印象深く好きです。魔法とはどういうものか?というのを正面から描いているところがいいですね。うみねこで描かれる魔法は、アニメの魔女っ子のような万能のファンタジックなものではなく、魔法には魔法なりの法則があり、物理法則と同じように力の発動には条件や縛りがあるものとして描いており、これはほぼ実際の魔術と同じでリアル感がありました。縁寿が学園生活でつらい目に遭いながら霊的な存在である七杭の姉妹を心の拠り所にして交流し、やがて決裂するエピソードでは、霊的な世界の法則がリアルに描かれていてわくわくしました。

ひぐらしキャラでは大石刑事が一番好きということもあり、一番好きなエピソードは「暇潰し編」です。圭一が雛見沢村に引っ越してくる以前の番外編的なエピソードなので、登場する部活メンバーは梨花ちゃんのみです。物語はベテラン刑事の大石と公安の新人警察官だった頃の赤坂がメインで活躍するオヤジ回で、ダム推進派の政治家の孫の誘拐をめぐる事件をベースに、しっかりまとまった構成になっていて、とても好きなエピソードです。梨花ちゃんが赤坂にむかって未来に起こる数々の事件を予言をするシーンは圧巻でしたね。大石が赤坂を怒鳴りつけて発奮させるラストのシーンもシビれました。「暇潰し編」では他の出題編と比べてグロい残酷表現がほとんどないので、そういう点でも安心して楽しめるのも魅力です。麻雀はやったことがないので、麻雀のシーンは理解不能なセリフが多かったです。しかし麻雀シーンは能條純一先生の「哭きの竜」をパロった展開ということもあって、麻雀を知らなくても能條節でクールに豹変する赤坂がけっこう面白かったです。
アニメやゲーム版で大石に声を当てている声優、茶風林さんもこの作品の影響もあって大好きになりました。滝口順平さんや雨森雅司さんや野沢那智さんなど、異世界の住人のような非日常感のある、それでいてどこか懐かしく、奥深いヒーリング感のある独特の声質の声優さんが大好きです。茶風林さんもそうした芸術的な声の持ち主ですね。(調べてみると学生時代に滝口順平さんの歌舞伎の演目を収録したカセットテープを手本に滑舌を訓練していたそうです。声の感じが似てるのはそういうことだったのか!と合点がいきました。滝口さんご本人とも縁が深かったようで、生前から役の引き継ぎもあったようです)
茶風林さんはコナンの目暮警部とかちびまる子ちゃんの永沢くんとか、ワキを固める個性的な役に声を当てているイメージの方ですが、ひぐらしはかなり長丁場のストーリーなので、茶風林さんの大石の演技もたっぷり贅沢に聴けて楽しめます。大石刑事の演技によって、茶風林さんが単に個性的な声の声優さんというだけではなく、そうとうに高度な演技力をもつ実力派であることに気付かされました。ちなみに茶風林の芸名の由来はチャップリンからだそうですね。茶、風、林、と、当て字の漢字もいい具合に千利休的な風情があって、当て字の完成度も「エドガー・アラン・ポー/江戸川乱歩」レベルの完璧さを感じます。
昨今なぜか盛り上がっているFF10のワッカの声の中井和哉さんもいい声してますね。中井さんは「サムライチャンプルー」でファンになりました。個人的に理想のカッコイイ声の代表格のような感じです。声優関連では、なぜか可愛い少女声よりも、味のある渋いオヤジ声に惹かれるところがあります。
なんだかさほど詳しいわけでもないのに声優談義に話が逸れそうになってきましたが、つまり声優の方々に関心が芽生えたきっかけが「ひぐらしのなく頃に」だったのでした。大石役の茶風林さんをはじめ、魅音詩音の二役を演じきったゆきのさつきさん、鷹野役の伊藤美紀さんの素晴らしい声の演技にはどぎもを抜かれました。(そういえばゆきのさつきさんはゲーム「街」で、ゲーマー刑事の桂馬のパートナー役、麻生しおりさん役で出演されてるというのを知って、さらに「街」の再プレイが楽しくなりました)
閑話休題、話を戻しまして、先にも触れたひぐらしにハマるきかっけになった外伝作品である漫画版の「宵越し編」ですが、この作品は雛見沢大災害後のその後を描いたミステリーもので、昭和ではなく平成が舞台です。登場人物はいつもの部活メンバーではなく、この作品ではじめて登場する数人のキャラが物語を動かしていきます。唯一登場する部活メンバーは魅音で、大人になった魅音がサブ的な役回りで彼らを手助けしていく感じです。芥川龍之介の「薮の中」をモチーフにした作品というだけあって、不思議な余韻のある作品になっています。

「僕だけがいない街」(三部けい 2012年 KADOKAWA)、こちらはアニメ版のほうを見ました。主人公の藤沼悟の職業は漫画家。漫画では喰えないために宅配ピザ屋でバイトをしている。というのが序盤です。しかし彼にもひとつ凡庸でない特殊能力があり、それは避けるべきアクシデントが起こる直前の世界に何度もタイムスリップしてしまうというもの。自分で「再上映(リバイバル)」と呼んでいるこの能力、戻った時間の世界でアクシデントの原因を取り除くことが可能になるので、一見とても便利で良さげですが、自分の意志とは関係なく発動する能力なので、実際にはたいして便利ではないようです。逆に、リバイバルによってアクシデントを回避することで、かえって自分に別のマイナスな状況を引き起こすことが多く、主人公・悟はあまりこの能力が備わっている事を快く思っていません。
このやっかいな能力によって結果的に母親殺しの冤罪をかけられてしまうハメになるのですが、主人公は自分の潔白の証明のために結局はまたリバイバルの力を借りることになります。無駄のないスリリングな展開で飽きさせず、犯人探しの謎解きのミステリー要素が秀逸で面白かったです。また、友情あり、恋愛あり、そして人生とは何か?という深いテーマまで感じさせる素晴らしい作品でした。傷つくのを恐れて人と深く関わろうとせず、いつも付かず離れずの浅い人間関係だけで生きてきた主人公が、事件をきっかけに人や社会と正面から深くかかわらざるをえなくなり、それによって得難い人生の価値を見いだしていきます。事件が真相に近づくのと歩調を合わせて、主人公自身も人間的に成長していく感じがよかったですね。
この作品は「ひぐらしのなく頃に」のオマージュがいくつも散りばめられており、それを探すのももうひとつの楽しみです。「ひぐらしのなく頃に」でで描かれたいくつかのシーン、クラスメートを家庭内暴力から救うために児童相談所に相談するとか、廃棄されたバスが子供たちの秘密基地的に使われるところなどは、「祟殺し編」や「皆殺し編」を思わせるシチュエーションですね。「僕だけがいない街」は、主人公の名前が悟で、その母親が佐知子ですが、「ひぐらしのなく頃に」の沙都子と悟史を連想させる名前ですね。ヒロインの雛月加代も雛見沢村の「雛」つながりを匂わせます。ループ的な仕掛けもひぐらし感がありますね。全体的に見ればオリジナルの部分がメインで展開していきますし、本筋は謎解きミステリーなので、シナリオの感じはいうほど似てるわけではなく、逆にあえてそういうひぐらしオマージュに気付かせて楽しませるのを意図してるようにもみえます。そもそもひぐらしも「かまいたちの夜」のオマージュ(フリーのカメラマンの美樹本/富竹など)がありますし。
全体の雰囲気は、ひぐらしよりも「テセウスの船」(東元俊哉 2017年 講談社)のような雰囲気ですね。「テセウスの船」も過去を修正することによって運命を変えようとする話で、こちらもとても面白かったですね。


「ひぐらしのなく頃に」はいろいろと語りたいことが多い作品ですが、ここで焦点を当てて話してみたいのは、この作品におけるアナグラム的な仕掛け、主に「数字」に関する部分です。雛見沢症候群の研究者だった高野一二三(ひふみ)、その研究を引き継ぐことになる鷹野三四(みよ)、三四の本名は田無美代子ですが、尊敬する一二三の研究を継ぐものとして、123の後を続けて34を名乗るという設定や、その研究の末に開発した雛見沢症候群を強制的に発症させる劇薬「H173」もH(雛見沢の頭文字)と173(ひなみ)の組み合わせだったりなど、数字の語呂を意識したネーミングがちらほら現われるのに気づきます。そうした事を考えながらひぐらしを振り返って見ていたら、他にもいくつか気になる数字に関する仕掛けが気になったので、忘備録代わりに記事にしてみました。
まず、鷹野三四と富竹ジロウとの関係ですが、数字にすると34(三四)と26(ジロウ)です。富竹の想い人、鷹野三四(34)は、本名のほうは美代子なので345(みよこ)とすると、つまり富竹の2と6の間にスッポリ収まる数字(23456)になります。高野一二三(123)を次ぐ者としての偽名34と、富竹と相性のよさげな本名の345。三四は悪魔のような存在でしたが、素顔の美代子は夢見がちな無垢な存在でありました。鷹野が34のままだと富竹の26との間に5という隙間ができてしまいますが、美代子(245)ならキッチリ収まるというところが意味深なものを感じます。三四には五(悟)が足りないわけですね。
あとは部活のメインメンバーのひとり沙都子と悟史です。数字にすると沙都子(さとこ、3と5)、悟史(さとし、3と4)です。妹の方が数字が大きいのは、皆殺し編で、「あなたを守ろうとした悟史の強さを知り、それを受け継いで強くなりなさい」という梨花の説得で沙都子は「鉄平が雛見沢に戻ってくると沙都子が壊れる」という頑丈な運命の袋小路≠フひとつを打ち砕くことになります。結果的に沙都子は悟史の精神を受け継ぐ可能性を秘めたキャラなので「+1」なのかな、となんとなく思いました。
沙都子の兄、悟史ですが、フルネームは北条悟史です。悟史(3と4)、足すと7で、北にある7というと、北斗七星が思い浮かびます。古代中国では北斗七星は北極星を守護する星座ですから、影から見守ってる感じの悟史のキャラを象徴しているようにもみえます。悟史がいなければ詩音の活躍は良くも悪くも物語に影響を与えなかったでしょうし、悟史のバットは初回の鬼隠し編から強烈なキーアイテムとして登場します。出番は少ないもの、悟史はけっこう物語をささえる重要キャラですね。
物語の最大のキーパーソンは鷹野三四ですが、この三四(34)という数字はけっこう重要なものであるのか、至る所に見つかりますね。例えば、沙都子と詩音は惨劇に至るほどの最悪のペアだったものが、最後は実の姉妹以上の絆で結びつきます。沙都子と詩音、頭の数字を並べると3(沙)と4(詩)です。主要キャラである園崎姉妹も魅音と詩音で3(魅)と4(詩)です。そして、鷹野とは別の視点でキーパーソンな悟史はそのまんま(悟史=3と4)です。3+4=7ですが、7というと主人公の圭一以上にひぐらしのシンボリックなキャラである竜宮レナ(07)、また作者も竜騎士07氏、そしてサークル名も07th Expansionと、7はひぐらしだけでなく、作者の創作活動全般において重要な数字であり、7を分解した3と4が作中に頻出するのは偶然ではないのでしょう。
作者が意図していたかどうかは別にして、傑作というのは往々にして偶然も味方に付けるパワーがあるものですし、そのような意図しないシンクロまで含めて「作品」であるように思ってます。
数字以外にも園崎の「園」はカコミ部分が身体を覆う皮膚の暗喩でその中に臓器が入っている文字で「崎」は「裂き」で、腹を「裂く」綿流しの儀式を司る家系であることを示しているとか、園崎家の直系の名前には「鬼」の付く字が使われるとか、御三家のひとつ公由家の名字は「鬼」を分解した文字(鬼=ハ+ム+由)であるとか、古手家の「古」という字は「占」という字に羽入(鬼)が交わって角が加わり「古」という字になったとか、パズル的な細かい設定があり、そうした細部へのこだわりも印象深い世界観を構築してますね。先に意味を考えてから名付けたのか、名付けてからその意味に気付いたのか気になりますが、創作って往々にして、作者自身にも見えなかった伏線に後々気付くという現象がよく起きますから、後者の可能性もありそうですね。

「ひぐらしのなく頃に」は大ヒットしただけあって、映画、アニメ、漫画などメディアミックス展開して、外伝的な作品や後継的な作品も多数ありますが、後継作品にはグロ表現がさらにキツくなったりしてるらしいというのもあり、シリーズ新作の「業」と「卒」もちょっと気になっていますが、まだ未見です。本編以外で触れたことがあるのは先の「宵越し編」くらいでした。そんな中、先日読んだ漫画「蛍火の灯る頃に」はなかなか面白い作品でした。
漫画「蛍火の灯る頃に」(竜騎士07・作、小池ノクト・画)を読もうと思ったのはひぐらし関連からの興味ではなく、別の小池ノクトさんの作品、「蜜の島」に感銘を受けたことがきかっけです。「蜜の島」がとても面白かったので、小池さんの他の作品への興味から「蛍火の〜」を手に取りました。「蜜の島」は戦後間もない日本を舞台に、隔絶した謎の島で起こる猟奇事件をめぐる伝奇ミステリーです。事件の謎解きや島の真相などを全4巻で無駄なくまとめあげていて、後半は若干急ぎ足のような感はあるものの、全体としてかなり良質な作品に仕上がっています。諸星大二郎の妖怪ハンターやマッドメンが好きな人はハマるのではないでしょうか。
話が逸れましたが、「蛍火の灯る頃に」はそうした経緯で手に取ったわけです。「蛍火の灯る頃に」は、過疎化した村に、祖母の葬式で帰省した主人公とその親族がまきこまれる怪異を描いた物語です。こちらも宵越し編と同じように、時代は平成で、部活メンバーではなく新規のキャラがメインのお話になります。舞台は雛見沢村ではなく平坂村となってます。民族学とか日本神話に興味のある人はこの村の名前でピンとくると思いますが・・・・まぁ、だいたい予想通りです。しかし、そのあたりのネタは早い段階で解明されて、サバイバルのスリルがメインになってきますのでそれ自体はとくに問題はありません。
序盤で描かれる二つの太陽の異変など、思わせぶりなツカミの秀逸なアイデアはさすが竜騎士さんだなぁ、とうならされます。こういう印象的なツカミがあると一気に物語に惹き込まれますね。作り手の視点で考えると、ミステリーものにおいては往々にして序盤は状況説明やキャラ紹介といった地味なシーンが続きがちになるので、そこを退屈させないようにするためのインパクトのあるツカミを最初のほうにもってくるのはかなり重要な要素だと感じました。
キャラも新規ということもあり、途中までひぐらしとの関連はなさそうに思っていると、登場人物たちをサポートする役回りであの鷹野三四さんがいいタイミングで現れます。お子様ランチの国旗がはいった蒐集箱とか、ひぐらしファンをニヤリとさせるシーンがところどころ出てきます。寒村の怪し気な風習や伝説に目が無い鷹野さん、雛見沢村の次に目をつけたのが今回の村だったのでしょう。
一癖も二癖もありそうな親族が田舎に集結する話というと「うみねこのなく頃に」を思い出しますが、ああいった感じの話にはならず、こちらは霧に覆われ異界と化した村で鬼≠ゥら逃げながら食料を確保するサバイバルがテーマになっています。章のつなぎに実用的なサバイバル術を解説するコラムが挿入されていて、そうした雑学もいい感じに物語と相乗効果でサバイバルのリアル感を高めていてよかったです。
孤立した空間で複数の人間が集まる場面では、必ずワガママを言い出す人物が出てきて状況をかき乱したりするのは定番ですね。大変な状況のときにかぎって面倒くさいことを言い出したりするキャラが必ず現れるというアレです。現実では迷惑千万ですが、物語においては話をややこしくさせるキャラがいないと話に起伏ができないのでしかたありません。しかしまぁ、こういう極限状況に自分が置かれたら、冷静を保っていられるのかどうかは、そうなってみないとわからないもので、あながちそういう面倒くさい人間に自分がならないとも限りませんね。そのようなシーンを読んでいると、自分だったら利他的に振る舞えるのか、それとも利己的に振る舞ってしまうのだろうか、とふと考えてしまいます。
この作品の舞台は霧の村ということで、サイレント・ヒルやスティーブン・キングの「ミスト」などを彷彿とさせる雰囲気がありますね。この村の真相を暴き、村から脱出するのが主人公たちの主なミッションで、謎解き的な要素もサスペンスを盛り上げていて面白かったです。こういう都市伝説的なミステリーの独特の異世界感ってドキドキしつつも、この世界とは違う別の世界というのはどこか冒険譚のようなワクワク感もあって興味を惹かれますね。いわくありげな村の謎というと奇しくも「蜜の島」もそういうところがある物語です。後から考えてみると、偶然だと思いますが「蜜の島」(2013年刊)での島の謎と、「蛍火〜」(2016年刊)の平坂村の謎とは日本神話関連の共通したモチーフが見受けられます。「蛍火〜」のほうは絵は小池さんですが原作は竜騎士さんで別ですし、多分たまたまかぶったのでしょう。作品を手に取った順序になんとなく個人的にシンクロニシティを感じました。