2014年05月09日

ポエジー、魔法の言葉

本高岡修
高岡修という詩人をご存知でしょうか?先日私はふとした気まぐれから古書店で手に取った「蝶の髪」という俳句集ではじめて知りました。なんとはなしにページをめくると、衝撃に継ぐ衝撃!といった感じでした。恐ろしいまでの鋭利な言葉のパワーにすぐさま圧倒され、即購入。詩にはそこそこ関心があったものの、しばらく疎遠なままだったのですが、「蝶の髪」によってひさびさに詩というものに関心が高まりました。追々高岡修氏の他の作品にも触れていきたいです。
どれだけ凄いのか、実際に読んでみないとピンと来ないと思いますので、4作品ほどピックアップさせてもらいます。

脳室の ドアひとつあけ 月を出す

白昼の 死へ初潮する 花椿

月光を 飼育しえざる 檻ひとつ

眼の午後に 死蛾きて遊ぶ 冬のテラス


いや〜カッコイイです。寺山修司の句集「田園に死す」を都会的に、というか現代的にアレンジしたようなテイストが小気味いいですね。ということで、今回は「詩」をテーマに、適当に語ります。

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高岡修句集「蝶の髪」かごしま俳句文庫2 発行:ジャプラン 2006年

本寺山修司
詩の楽しみ方がわからなかった頃は、なんとなく、詩(ポエム)というと、恋多き乙女の日記帳などに書かれた黒歴史のようなイメージや、あるいは、ランボーの詩集をはじめて読んだ時に感じる難解そうなイメージ、ハードルの高い文学のジャンル、という否定的な印象がありました。詩には、かならずしもストーリーを必要としませんし、通常の文章とはかなり異質な文学形態ですから、のんびりと時間をかけてその「面白がり方」を覚えていくようなジャンルですね。

「詩」に興味を持つきかっけになったのは、寺山修司の詩集からです。初期の詩の代表的な傑作「ロング・グッドバイ」には、とても感銘を受けたのを思い出します。文庫などでは数ページほどの散文詩です。「血があつい鉄道ならば、走りぬけてゆく汽車はいつかは心臓を通るだろう」とはじまる詩で、シュールでありながら熱気を帯びた力強い言葉のリズムに一気に惹き込まれました。
「ロング・グッドバイ」は五つの場面から構成されていますが、最初のひとつだけ引用します。

ロング・グッドバイ(抜粋)
寺山修司

血があつい鉄道ならば
走りぬけてゆく汽車はいつかは心臓を通るだろう
同じ時代の誰かが
地を穿つさびしいひびきを後にして
私はクリフォード・ブラウンの旅行案内の最後のページをめくる男だ
合言葉は A列車で行こう だ
そうだ A列車で行こう
それがだめなら走って行こう

時速一〇〇キロのスピードで ホーマーの「オデッセー」を読みとばしてゆく爽快さ!
想像力の冒険王! テーブルの上のアメリカ大陸を一日二往復 目で走破しても
息切れしない私は 魂の車輪の直径を
メートル法ではかりながら
「癌の谷」をいくつも越え捨ててきた

血があつい鉄道ならば
汽車の通らぬ裏通りもあるだろう
声の無人地域でハーモニカを吹いている孤独な老人たち! 木の箱をたたくどこからとなく這い出してくる無数のカメたち!
数少ないやさしいことばを預金通帳から出したり入れたりし 過去の職業安定所 噂のホームドラマを探しながら
年々、鉄路から離れてゆく


ジャズから古典文学、はてはつげ義春の「ねじ式」まで、寺山の個人的な好みや趣味でさまざまに引用され、それら引用された言葉がひとつの遊園地のような場を形成していくパワフルでリズミカルな詩です。寺山修司の詩は、技巧的で遊戯性に溢れているところがとても好きですが、それだけでなく、普段見過ごされがちな日常を生きる人間への優しいまなざし、深い哀愁を込めているところが独特の味わいを醸し出していますね。彼は大の競馬ファンだったことも有名ですが、競馬界の伝説の馬「ハイセイコー」の引退にむけて作られた「さらばハイセイコー」という詩があります。それほど長い詩ではないのですが、長編映画を見終わった時のような読後の印象を受けるほど想いの凝縮した名詩です。競馬には私自身は全く興味はないのですが、それでも心が揺さぶられるような感動がありました。

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「寺山修司全歌集」著:寺山修司 発行:沖積舎 1990年
寺山修司の俳句と短歌を収録した作品集。歌集で一番好きなのはやはり映画にもなった「田園に死す」ですね。中でも一番好きな歌は「大工町寺町米町仏町老母買う町あらずやつばめよ」


本谷川俊太郎
谷川俊太郎は寺山修司とビデオレターを交わすほど親交の深かった詩人で、「鉄腕アトム」の作詞でも知られる現代詩人の代表格です。その詩作もアニメの主題歌から前衛的な現代詩まで幅広く、彼もまた天才と呼ぶにふさわしい人物だと思います。アニメの作詞というと、方やライバルだった寺山修司は「あしたのジョー」の作詞が有名ですね。

初期の詩集「二十億光年の孤独」に収録されている表題作は、寺山修司もいたく感銘を受けて自分のエッセイでも紹介しています。それはたしかに寺山でさえ唸らせるのも納得のすてきな詩です。短い詩ですが、とくに後半の流れが飛び抜けて秀逸です。

二十億光年の孤独(抜粋)
谷川俊太郎

万有引力とは
ひき合う孤独の力である
 
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
 
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
 
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした


「万有引力とはひき合う孤独の力である。宇宙はひずんでいるそれ故みんなはもとめ合う。」照れくさくなるほどピュアな詩ですね。そして、それが単なる言葉遊びの比喩だけでなく、人間関係を実に的確に捉えていて、妙な説得力さえ感じるところに天才の片鱗をうかがわせます。

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「二十億光年の孤独」著:谷川俊太郎 発行:サンリオ 1992年
この本は新装版で、「二十億光年の孤独」の初出は1952年、創元社からの発行です。


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谷川俊太郎の現代詩で好きな2冊。左は「日本語のカタログ」思潮社(1984年)、右は「定義」思潮社(1975年)。「定義」は、そもそも定義する必要さえなさそうなものをあえて定義していく感じのナンセンスさがコンセプトながら、安部公房的というか、カフカ的というか、不条理なシュール感のただよう逸品です。

本北原白秋
北原白秋(明治18年[1885]〜昭和17年[1942])といえば、「ペチカ」「待ちぼうけ」「この道」「あめふり」など、数々の有名な童謡の作者として知られています。ここで取り上げたいのは彼の処女詩集「邪宗門」で、心和ませる童謡の作者というイメージとは対極にある魔的な力が充満した作品集です。

「邪宗門」とは、キリスト教の事で、江戸時代、徳川幕府が異国の宗教であるキリスト教を敵視して名付けた用語です。北原白秋の詩集では、そうしたキリスト教に馴染みの薄かった時代の日本人の視点から、恐れを伴った憧憬や神秘、ある種のオカルティズムのように捉えられたキリスト教的なムードをユニークに表現しています。キリスト教が、ほとんど魔術と同一視した不思議な宗教として描かれ、未知の世界であった西洋に対する警戒心と憧れの入り交じった感覚に溢れた奇妙な詩集です。

邪宗門秘曲(抜粋)

われは思ふ、末世の邪宗、切支丹(キリシタン)でうすの魔法。
黒船の加比丹(かひたん)を、紅毛の不可思議国を、
色赤きびいどろを、匂鋭きあんじやべいいる、
南蛮の桟留縞(さんとめじま)を、はた、阿刺吉(あらき)、ちんたの酒を。


全文は青空文庫で読めます。明治42年に発表された詩集のようですが、今読んでも新鮮で、どこか現代詩のような言葉の技巧を感じますね。

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「邪宗門」北原白秋 名著復刻全集 近代文学館 刊行:近代文学館
明治43年に易風社から発行された原本を忠実に再現した復刻版。装丁は石井柏亭。


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妖しく美しく神秘でレトロ。とても自分好みな詩集です。

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外来語の当て字ってムードがあっていいですね。こうしたテイストは、後に稲垣足穂や小栗虫太郎などが意図的に文体に取り入れて独特の方向性を確立した感があります。現代では長野まゆみなどの耽美系作家などに受け継がれてますね。

本雑談
古来日本では、言葉には魂が宿る、という考えから「言霊」という概念が生まれましたが、「詩」は、まさにそうした言葉の力を現代に蘇らせるための魔術的な試みでもあるように感じます。文学のジャンルの中で最も売れないのが詩集だと思いますが、最も奥の深い文学のジャンルでしょうね。

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「マルドロールの歌」ロートレアモン 訳:栗田勇 発行:思潮社 1987年
ランボーより乱暴で、ボードレールより悪質な、背徳と憎悪のネガティブなパッションが、ネガティブすぎて逆にパンク音楽のような爽快感に昇華してしまった希有な詩集。ロートレアモン伯爵ことイジドール・デュカスは、その歴史的な詩集「マルドロールの歌」を発表した1868年には、ほとんど世間は無反応だったそうですが、その過激すぎる内容から、その後もなかなか出版にこぎ着けることが難航したそうです。24歳の若さで無名のまま謎の死をとげましたが、その後の名声と影響力はいわずもがなです。日本でも寺山修司をはじめ、多くの詩人に影響をあたえた"もうひとりのランボー"ともいうべき人ですね。

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70年代の「現代詩手帖」(思潮社)。林静一の描く風流で可愛い少女の表紙画が素敵です。林静一というと、キャンディの「小梅ちゃん」のキャラが一番有名ですが、70年代にガロなどで発表した漫画作品は、まさに詩的情緒を漫画にしたような作風で脚光をあびました。この時代の「現代詩手帖」は、他にも中村宏などのユニークな絵師が表紙画を担当していて面白いです。
posted by 八竹彗月 at 09:13| Comment(0) | 芸術
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