2013年12月25日

ニッポンの聖夜

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昭和20〜30年頃の少女画の第一人者、勝山ひろしの描く賛美歌を歌う少女の絵葉書。光文社発行の雑誌「少女」12月号の付録ポストカードのようですが、年代は不明です。

世間はクリスマスということで、外では至る所でジングルベルのメロディが鳴ってますね。まぁ、この時期楽しく過ごせるのは学生くらいまでで、社会人になると年内で最も忙しい時期ですから、それどころじゃない人も多いでしょうね。私も今月は何故か今日から急に忙しくなってきそうで、正月をゆっくり過ごすために年末近くまでバタバタしそうな感じです。

とはいえ、クリスマスという目立った行事を華麗にスルーするのも味気ないので、気分だけでも当ブログに来訪された方々と共に浸ろうと、適当にコレクションの中からクリスマス関連の古本などをご紹介していこうと思います。

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私は、コレクション好きですが、雑誌類も、あまりコンプリート欲はなく、気に入った号を適当に集めてます。その中で、たまたま12月号が混じってるので、主にそこからチョイスしました。

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「幼女の友」昭和8年12月号 幼女の友社
戦前の絵本を集めるのが最近のマイブームなのですが、そのきっかけになったのはこの雑誌「幼女の友」です。なかなかお目にかかれる機会が無かった夢の雑誌だったのですが、先日ようやく何冊かゲットしました。大正時代から昭和20年代頃まで続いた雑誌で、とくに大正〜昭和10年代あたりの号は、どれも夢の世界に誘われるような最高のパラダイス感が味わえる逸品揃いです。昭和の初め頃から休刊するまで主にこの雑誌で活躍していた金子茂二先生の絵がものすごく素晴らしく、今では金子茂二先生は自分の中では世界で最も崇拝する絵師です。金子先生の単独の絵本も存在するので、これからコレクションしていきたいです。ちなみに、この表紙画の絵師は金子先生ではないかもしれません、絵師不明です。

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上記「幼女の友」より、幼女の寝込みを襲おうとするかのような妖しいサンタさんの絵。総じてこの雑誌には絵師のクレジットは一切なく、絵柄で推測するしかないのですが、この絵は先にも触れた天才絵師・金子茂二先生の筆によるものに違いないと思います。

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「小学三年」昭和22年12月号 二葉書店
ホラー映画に出てきそうなサンタの怖いお面を持って楽しそうに談笑する少年少女。川口雄男:画

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「三年の学習」昭和29年12月号 学習研究社
(左)大正から昭和初期にかけての石版画っぽいタッチや、浮世絵、錦絵テイストは、昭和20年代あたりから消えていき、このような油絵風というか、コッテリした感じの塗りの絵を目にするようになっていきます。だいたい昭和30〜40年頃くらいまでの児童雑誌で、こうしたテイストの絵をよく見ますね。
(右)裏表紙の「森永ミルクキャラメル」の広告。昔の広告図案は癒されますね。昔のホーロー看板にも興味があるのですが、財布事情や置き場所の問題などで当分手を出さないようにしようと思っています。お洒落な黒人の図案のカルピス看板が憧れのアイテムなのですが、調べてみると、ホーロー看板マニアの中で一番人気くらいに需要のあるものらしく、とんでもなく高騰していますね。

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同上「三年の学習」昭和29年12月号より。
昭和初期を代表する人気絵師の武井武雄による聖夜の図。私はとくにファンではないですが、アールデコを日本的に解釈した独自の作品群は、時代を代表する絵師であるのは間違いなく、その人気も理解できます。

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同上「三年の学習」昭和29年12月号より。
「ストップにいちゃん」などの作品で知られる当時の人気漫画家、関谷ひさしの漫画も載ってました。流麗で可愛らしいタッチのほのぼのとしたユーモア漫画の全4ページです。クリックすると漫画も読める程度に大きくなります。

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「三年の学習」昭和25年12月号 学習研究社
クリスマスツリーを自転車の後部荷台に乗せて家路を急ぐ仲のよい兄妹の図。

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「女学生の友」昭和26年12月号 小学館
(左)ヒイラギの冠をかぶった西洋人っぽい可愛い少女の表紙絵。岩崎良信:画。(右)表紙裏のページに描かれた可愛らしい少女の絵。人気絵師の勝山ひろしが描いてます。

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同上「女学生の友」昭和26年12月号より
暖炉の前で読書をするご令嬢。勝山ひろし:画

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同上「女学生の友」昭和26年12月号より
「メリー・クリスマス」というタイトルの3ページの短い感動物語。タイトル下に書かれている文字にありますが、オルコット作「四人の姉妹」からのエピソードのようですね。けっこうイイ話なので、ちょっと引用して書いてみます。七五調でリライトしているため、海外の物語なのに、妙に和風なリズムを感じるところがユニークです。

メリー・クリスマス
オルコット作「四人の姉妹」から
野長瀬正夫・文 梁川剛一・画


さらさら粉雪の十二月。年のおわりの十二月。外は暗くてつめたいが、おへやの中はストーヴが、パチパチ燃えておりました。もうすぐ楽しいクリスマス。その日も四人の姉妹はめいめい椅子に腰掛けて、仲良く編み物していたが、何を悩んでいるのでしょう。ときどき顔を見合わせてホッと、ため息をつくのです。

ふと、編み物の手を止めて、姉のメッグが言いました。「ああ、おとうさまがいらしたら…」すると、小さいエイミーが、「わたし、ほんとにさびしいわ。プレゼントのないクリスマス。こんな年ってあるかしら…」二人の言葉を聞いていたベスが小声で言いました。「でも、お母様がいらっしゃる」その時、ジョウが立ち上がり、ベスの両手を握りしめ、大きな声で言いました。「そうだわ、元気を出しましょう。パパは病気でいないけどママはもうすぐお帰りよ」

やさしい四人の姉妹は、それで元気を取り戻し、父のかわりにこんな日も、よそへ仕事に行っているママの帰りを待ちながら、お部屋の掃除をはじめます。メッグと小さいエイミーは、不平を言ったりしたことが恥ずかしくさえなりました。それから、四人で相談し、みんなが貯金を出し合ってママに素敵なプレゼントをしようと約束したのです。

世界の平和を守るため、父は遠くの軍隊に招集されて行ってから、病気で入院しているが、こんな手紙をくれました。
『自分の義務を果たすよう、心の敵と戦って、どうか良い子になるように--------』
賢い四人の子供らはその言いつけを良く守り、明るい心でクリスマスを迎えることになりました。

雪は朝から降っています。隣のロレンスじいちゃんは、孫のローリーと連れ立って明るいうちから来ています。メッグの友達ブルックもニコニコ顔して見えました。ママは四人の子供からお祝いの品を差し出され大喜びでありました。「これでパパさえいらしたら、ほかに望みはないのだが…」

その時、戸口でベルが鳴り、誰かお客が来たようです。見ると、そこには父親のマーチが立っているのです!「あッ、お父さんが帰ったわ」みんなは、父を取り巻いてワーッと声をあげました。これは夢ではあるまいか。なんて素敵なプレゼント!お情け深い神様は、マーチ一家に何よりの恵みを与えてくださった。楽しい、楽しいクリスマス。


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レトロ&キュートな不二家のケーキのマッチ広告。
posted by 八竹彗月 at 11:11| Comment(10) | 古本
この記事へのコメント
クリスマスって、物欲を賞賛してるみたいで、子どもの頃は嫌いでした。
プレゼントをくれるような親でないので僻んでたんだと思います(笑)
でも、大人になってからは、「プレゼントを期待する子」というシチュエーションがなんか微笑ましく思えてます。
>四人の姉妹...
キャラ名で思い出しました。若草物語ですね。ジョーが作者で、ほぼ自伝だとか。
姉妹で、唯一名前を変えてないベスがホントに(若草物語執筆前に)死んじゃってるのが悲しい。
姉妹の成長の物語は後まで書かれてるけど、やっぱり4姉妹の物語が一番好きです。
うん、いい話ですっ。
Posted by あっきー(t_aki) at 2013年12月31日 03:28
私の幼少期のクリスマスのイメージは、きれいにデコレーションされた甘いケーキが食べられる日、という感じでした。
日本人にとってのクリスマスって、どちらかというとお正月までの消化試合というかサブイベントみたいな感じで、家庭ではけっこうアッサリすましてしまうところが多かった印象がありますね。もともとはキリストの生誕を祝う日ですが、なんか日本では恋人同士が愛を深める日のようなイメージが定着してますね。調べてみると、これはあっきーさんがご指摘されてるとおり、バブル期に消費を煽るためにでっちあげられた日本独特のクリスマスのようで、本場の西洋では家族や親戚が集まって過ごすお正月的なイベントのようですね。

>キャラ名で思い出しました。若草物語ですね。

なるほど、そうだったんですか。勉強になります^^ 私は本好きなわりに読書量が少ないのですが、これも原作は未読で、気づきませんでした。
Posted by イヒ太郎 at 2014年01月05日 00:17
私も、「幼女の友」の絵が好きで、
何冊か集めています。
この当時の絵雑誌は、作者の表記がほとんど無く、
(サインもないことが多い)
困っています。
金子茂二さんの名前も最近知りました。
表紙の絵はどなたが描かれているのでしょうかねえ。
独特な雰囲気が好きです。
Posted by 郷愁倶楽部 at 2014年05月16日 15:13
郷愁倶楽部様、ご訪問ありがとうございます!
戦前のイラストレーションへの興味は、蕗谷虹児、高畠華宵、中原淳一にハマってから徐々に芽生えてきましたが、「幼女の友」はじめ、戦前の絵雑誌一般に関心をもった大部分は「郷愁のイラストレーション」様を拝見したことがきかっけです。中原淳一や松本かつぢなどのメジャーな絵師以外にも埋もれた天才絵師がてんこもりの時代であることに開眼させていただきました。まさかお越しいただけるとは大感激です。とても光栄です^^
しばらく更新されてませんでしたが、御復活されてたのですね。早速愛読させていただこうと思います^^

大正時代、ただでさえ美しいイラストが満載だった「幼女の友」が昭和に突入すると金子茂二先生が全面的に筆をとることでいきなり雑誌の完成度があがりましたね。何年か前、都内の古書市で「母 -おかあさん-」(金子茂二:絵 興田準一:文 昭和16年、『ニッポン・エホン』シリーズ 金井信生堂発行)という絵本に出会いました。これは、「幼女の友」に掲載された絵のうち、母子のコミュニケーションをテーマにしたものだけをピックアップしたもので、この本によって、ようやく幻の絵師の名前がわかり、スッキリした覚えがあります。

表紙の絵師、たしかに、こちらも独特のタッチで魅力的ですよね。私もまだわからずモヤモヤしたままです。「幼女の友」は昭和20年代になると、中身は絵師や執筆者のクレジットが入るようになるので、もしやと思い、昭和20年代の「幼女の友」を確かめてみたところ、表紙画のクレジットだけは無く、あいかわらず謎のままです。
Posted by イヒ太郎 at 2014年05月17日 23:34
お立ち寄りいただき、ありがとうございました。

幼女の友は昭和14年発行のものまでしか持っていないのですが、
昭和20年代に入っても刊行されていたのですか?
絵のテイストは変わっていないのでしょうか?
今検索してみると、国会図書館に昭和24年のものがあるようですが、
出版社が暁書房となっていました。

いつ頃まで出版されていたかも興味のあるところです。
Posted by 郷愁倶楽部 at 2014年05月18日 10:04
>昭和20年代に入っても刊行されていたのですか?

昭和20年代は、昭和25年新年号だけしか持っていないのですが、たしかに発行は暁書房となっていますね。表紙タイトルまわりのデザインの類似などはありますが、幼女の友社から引き継がれたものなのか、出版社名の変更があったのか、事情は不明です。幼女の友社は東京市牛込区(後に牛込区は淀橋区、四谷区と合併して新宿区に)、暁書房は千代田区神田神保町のようですね。大戦をまたいでいるので複雑な経緯がありそうですね。

昭和25年の「幼女の友」でも、金子茂二先生の絵が見られますが、この頃になるとかなりのご高齢になっているせいなのか、従来の繊細なタッチはなくなり、雰囲気も黒崎義介風の昭和20年代当時の童画に似通ったテイストになっています。

この号では、従来の戦前の繊細な絵雑誌のノリではなくなり、昭和20年代の同時代の児童雑誌「こどもクラブ」などとあまり変わらない編集やデザインになっていて、本来の「幼女の友」の魅力は失われています。相場も戦後のものは低くなっていて、比較的手頃な値段で入手できました。
Posted by イヒ太郎 at 2014年05月18日 22:32
戦後の「幼女の友」をお持ちですか、うらやましい。
社名と住所も変わっているとすると、経営者が変わったのですかね。
実は、「幼女の友」の発行人の親戚?の方から、
コメントをいただいたことがあるのです。
いろいろお聞きしたいことがあったのですが、
こちらからお聞きする手だてがなかったので、残念なことをしました。
金子茂二さんの生年、没年はごぞんじですかね?
先日、検索したところ、
イヒさんのブログに行き着いたという訳です。

Posted by 郷愁倶楽部 at 2014年05月19日 06:43
戦前の出版物は、東京大空襲や関東大震災などでかなり散逸してしまって、なかなか全貌がわからなくなっているようで、中原淳一の携わった有名な「少女の友」でさえ全号を所蔵している図書館は皆無のようです。実業之日本社でさえそうなのですから、戦後消えてしまった幼女の友社などの版元は現在でも謎につつまれているようですね。

金子茂二先生の生没年は私もまだわかっていません。ネットの古書情報をいろいろ調べてみると、大正7年の「幼年世界」の挿絵まで遡れますね。「幼年世界」は大正6年のものを何冊か持っていますが、金子先生の絵はなかったです。大正7年から挿絵画家としてデビューしたのかもしれませんね。

戦後は昭和33年の小学館の絵本「おもちゃ」で複数の絵師の中の一人に名前があります。およそ40年間ほど絵の仕事を続けられていたようですね。20代から活躍しはじめたとして、そうした所から類推すると、明治末期に生まれ、昭和40〜50年代には他界されていると考えるのが妥当な線でしょうか。
Posted by イヒ太郎 at 2014年05月20日 03:18
やはり、生年月日などはわかりませんか……
絵雑誌関係の絵師の方はほとんど分かりませんね。
「コドモノクニ」あたりになると名前が出て来るようですが…

幼女の友は、最初の方を「細木原青起」さんがメインで描かれていて、
ある時期から「金子茂二」さんに替わられたような気がします。
表紙もそれに合わせて著者が替わっているようです。

この度は、
ご丁寧にお答えいただき、ありがとうございました。
Posted by 郷愁倶楽部 at 2014年05月20日 23:22
いえ、こちらこそいろいろご教授くださりありがとうございました。お力になれずすみません。
もしかしたら昔の画家名鑑のようなものに載っている可能性もあるので、機会をみて図書館で調べてみようと思います。今後何か新事実がわかればお知らせ致します。
Posted by イヒ太郎 at 2014年05月22日 03:07
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