2013年08月18日

グノーシスの神秘

あなたは、神であると同時に悪魔でもあるような神が存在するはずだということを、聞いたことがおありですか?僕の聞いた話では、そういう神も本当にいたそうです」
音楽家は、その大きな帽子をちょっと後ろへずらし、広い額に垂れていた黒い髪をぱっと振り払ったが、そうしながらも、刺すような目でじっと僕を見つめ、テーブル越しに、顔をこちらに寄せてきた。
 緊張した、小さな声で男は聞いた。「君が今言った神の名は、何というんだい?」
「残念ながら、この神のことで知っているのは、ほとんど名前だけで、あとはまぁ、何も知らないって言っていいんです。名前はアブラクサスです」
 (略)
「アブラクサスなんて名前、どこから聞いた?」
「偶然耳に入ったんです」
男がテーブルを叩いたので、男のグラスから葡萄酒がこぼれた。
《偶然》だって?君、馬鹿な・・・いい加減なことを言うのはよせ!アブラクサスなんて名は、《偶然》耳に入るってシロモノじゃない。こいつは、覚えておいたほうがいいぜ。この神については、もっといろいろ話してあげよう・・・・・ちょっとばかし知ってるんだから」
ヘルマン・ヘッセ『デーミアン』浜川祥枝 訳 世界の文学 中央公論社 昭和38年(オリジナルのドイツ語版初出は1919年)


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ヘルマン・ヘッセ(1877〜1962)

世界的に著名なドイツの文豪ヘルマン・ヘッセ、よく学生時代に夏休みの読書感想文の課題図書に『車輪の下』を見かけたことがある程度で、悩み多き青春みたいなテーマを描く、大人が子供に読ませたがる類いのいかにもな作家なんだろうなぁ、という印象だけで遠ざけていました。ある日、かさばってきた本の山から捨てる本を選んでいて、ふと抜き取ったのがヘッセの作品集でした。読まずに捨てるのもなんだからということで、何気なくタイトルで惹かれた「デミアン」を読みはじめました。ほんの暇潰し程度の軽い気持ちで読み進めた「デミアン」でしたが、そのサスペンスフルでオカルティックなとてつもない娯楽性あふれる物語の展開に惹き込まれ、徹夜で読破してしまった思い出があります。ヘッセの代表作として一般によく言及される「車輪の下」発表の後に第1次世界大戦が勃発します。この時期精神的にとても疲弊していたヘッセはユングの弟子たちに精神治療を受けたりする中で、ユングも研究していたグノーシス主義に彼も触れる機会を得ますが、そんな中で書かれたのが「デミアン」です。

神をあらゆる生命の父として讃えるなら、性生活の全体だって、それと全く同じ原理で、生命の基礎なのに、こっちのほうは、ばっさり黙殺されるばかりか、場合によっては、悪魔の仕業だとか罪だとか言われる。
(略)
僕たちは、世界のうちの人工的に切り離された、この公認の半分だけを崇拝したり神聖視したりするのじゃなくて、世界の全部を、《すべてのもの》を崇拝し神聖視すべきだ。つまり、この理想が実現したら、僕たちは神を礼拝するのとならんで悪魔も礼拝しなくちゃならん。僕はそれがいいと思う。それが嫌なら、自分の中に悪魔も抱え込んでいるような神、至極当たり前のことが行われるたびにいちいち目をつぶる事を要求したりなんぞしない神を作る事だ」
「デミアン」ヘルマン・ヘッセ

「人工的に切り離された、この公認の半分」というのは、神の恩恵によって保たれた善なる世界のことです。地球は太陽光の当たっている半分の世界だけでないように、その裏側の闇も含めた「全体」を受けとめることからしか真実は見えて来ないのだという事をデミアンは説いていきます。

タイトルの「デミアン」は、敬虔なクリスチャンの家庭で育った主人公ジンクレールが、生まれ落ちたこの世界に対する違和感に苦しむ中で出会う理知的な美少年、謎めいた転校生の名前です。主人公はデミアンとの出会うことでそれまでの価値観を揺るがされ、それからの運命に決定的な道筋を与えられることになります。この作品にはデミアンをはじめ、奔放な女性ベアトリーチェ、オカルティストの音楽家ピストーリウス、など人生の案内人めいたユニークなキャラクターが登場し物語を盛り上げます。

僕たちが・・・君と僕、それにほかの連中が一人か二人加わって・・・いつかこの世界を改造してみせることができるかどうか・・・これは、いまにわかることだ。でも、自分の心の中では、僕たちは、毎日、世界を改造しなくちゃいけない。でないと、僕たちの存在価値なんて、まるでなくなってしまう。
「デミアン」ヘルマン・ヘッセ


「ジョジョの奇妙な冒険」でおなじみの荒木飛呂彦氏、その漫画のなかで、私が一番好きなのは「魔少年BT」なのですが、デミアンの雰囲気や性格はまさにBTの数年後みたいな感じで惹かれます。「魔少年BT」も主人公はBTではなくジンクレールと似た気弱な少年です。

「デミアン」で描かれた謎めいた神、アブラクサス(Abraxas)とは、2千年近く前のローマ帝国時代に現れ短命で消えていった不思議な宗教思想「グノーシス」に登場する神の名前で、ヘッセがこの「神」に興味を持つきっかけになったのはユングが仲間内にだけ配布したという小冊子「死者への七つの語らい」であるとする説があります。(この文書は「ユング自伝 2」みすず書房 1973年 の付録に収録されています。)「死者への七つの語らい」はユングが二世紀初期に実在したグノーシス派のバシリデスになりきって書いたグノーシスの福音書めいた体裁です。後にユングはこの文書を書いたことを黒歴史のように後悔したそうですが、内容は「デミアン」でも言及されることになる不思議な神「アブラクサス」についてとても興味深い考察がされています。
ちなみにギリシャ語で書かれるアブラクサスの名前は数秘術(文字を数とみなして言葉に隠された意味を探るオカルティズム)によると365になり、一年の日数と同じになるそうです。

「鳥は、卵から抜け出ようと努力する。その卵は、世界だ。生れ出ようとするものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は、神のところへ飛んで行く。その神の名はアブラクサスという」
「デミアン」ヘルマン・ヘッセ


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古代グノーシス派の護符に刻まれたアブラクサスの図像。雄鶏の頭と蛇の足を持つ。

アブラクサスは知ることの難しい神である。その力は、人間がそれを認めることができないので、最大である。人は太陽から最高の善を、悪魔からは最低の悪を経験するが、アブラクサスからはあらゆる点で不確定な「いのち」、善と悪との母なるもの、を経験する。p251
「死者への七つの語らい」カール・グスタフ・ユング 1916年(みすず書房刊「ユング自伝 2」より)


グノーシス主義は当時の教会や国家と対立し弾圧を受けていたためか、きちんと体系化された思想として完成されることなく断片的なまま歴史に埋もれていってしまったようです。グノーシス研究は19世紀あたりから活発になり地道に続いていたようですが、近年、グノーシス主義に世界中が注目することになる大事件、『ナグ・ハマディ文書』の発見により、失われかけた思想が一気に息を吹き返しました。その内容はとても刺激的な内容で、学術的な研究ばかりにとどまらず、SF作家フィリップ・K・ディックの作品「ヴァリス」のモチーフだったとか、アニメ「エヴァンゲリオン」のミステリアスな世界感はグノーシス主義からインスパイアされた設定を用いたとかいう話もありますね。

「私は汝であり、汝は私である。汝のいるところ、私はいる」(グノーシス主義の文献『エヴァ福音書』より)

「死海写本」と並んで20世紀最大の考古学的発見と呼ばれることになるグノーシス主義の古文書『ナグ・ハマディ文書』の発見の経緯も、なかなかドラマチックです。
1945年12月。エジプトのナグ・ハマディ村の近くでひとりのアラブ人の農夫が偶然に洞窟内の土中から古い壷を掘り出しました。発見者のムハンマド・アリーは最初は壷の中に精霊が入っているかもしれないと思い畏れていましたが、黄金が入っているかもしれないと思い直して壷を壊します。中にあった皮で装丁された13冊のパピルス本は無造作にかまどの近くに放置されたため、母親が火をつけるために藁といっしょに本の大部分を焼いてしまいました。なんとも歯がゆいくらいもったいない話です。ムハンマド・アリーは後に殺人の罪で警察に捕まりますが、文書を警察に奪われるのを恐れ知り合いの神父に託します。その後闇市に流れたり偶然にも途中でC・G・ユングの蔵書になっていた時期もあったりしつつ流浪しますが、最終的には1975年エジプトのコプト博物館に所蔵されることになります。

『ナグ・ハマディ文書』は1〜4世紀に地中海周辺で勢力を持った神学的な思想であるグノーシス主義の文書です。この思想はひとつのまとまった体系は無く、グノーシスというのは現在残されている文献に通底する思想傾向を指すものです。ユダヤ教キリスト教的なモチーフをかなり批判的に捉えている思想で、おおざっぱにいえば、「この世界は邪悪な勢力の仕掛けた罠である」という、どこか今流行りのクトゥルフ神話めいたユニークな概念があります。それはキリスト教的な神の概念の否定であるため、多くの学者による見解では、時の国家や教会によって弾圧されたことが歴史から消えた根拠として挙げられています。またもうひとつの理由として、その際立った選民思想自体が普及を困難にしていたことも挙げられます。いわゆる世界三大宗教(仏教、イスラム教、キリスト教)その他多くの宗教が「万人への普及」を目指しているのに対し、グノーシス主義では選ばれた知的エリートのみが真理に到達することが可能であるとされていました。これは信者の獲得という部分において決定的な弱点ですが、ある思想が真理に到達するための共同体を構想した場合、その運動が真面目であるほどそうした秘密結社的な内向きのサークルになるでしょうね。真理は手軽に得られるものではないのですから。とはいえ、下記の事例のように、思想だけでなく、行動もかなり奇異な面があったようで、客観的にはけっこう怪しい団体に映ったでしょうね。

儀礼的性交や性器の分泌液を集めてそれを聖体として儀式的に消費することは、放縦なグノーシス主義者の一派、フィビオナイト派によっても行われてきた。p168

「立て。そして兄妹と恋をせよ」するとその不幸者たちは互いに交わった。p181(グノーシス主義フィビオナイト派による集会を記述したエピファニウスの著作からの引用部分)

経血や精液の中に込められた力を彼らは霊魂(プシケ)と呼び、これは集められ食べられるのだという。(『パナリオン』26.9.3-4)p183

ミルチャ・エリアーデ「オカルティズム・魔術・文化流行」(未来社 1978年)より


エリアーデが引用しているエピファニウス(126〜202年)はキリスト教の司教でグノーシス主義批判の急先鋒的な人物のひとりです。なので、そのまま記述を鵜呑みにはできませんが、真偽はどうあれ、当時の社会でグノーシス主義者が相当に嫌われていたということがわかります。こうした批判とは正反対に、グノーシス主義者の共同体では、結婚や出産さえも禁じるほど性にストイックであった、とマドレーヌ・スコペロは著書「グノーシスとはなにか」(せりか書房 1997年)の中の序章で述べてたりするので、当時のグノーシス批判には偏見が多分に含まれているとみるべきでしょうね。

グノーシス主義者の思想の面白い所は、キリスト教に批判的であり反キリスト的なニーチェっぽいものというよりは、超キリスト教的というか、創造主より上位の神を想定していた所です。下位の神である創造主(デミウルゴス)の造りたもうたこの宇宙は、理想郷などではなく、人間の神性を封じて閉じ込めている檻であるという考えから、物質と精神は平等な概念ではなく、物質よりも精神に絶対的優位性があり、人は知恵(グノーシス)によってのみ囚われの状態から抜け出して神の真理に到達できるのだ、というのがグノーシス主義のおおまかな輪郭でしょうか。創造主を悪意的な存在として描いているので、キリスト教者ならまったくもってけしからん受け入れがたい概念なのだろうと想像します。

文化によって「神」の概念は様々な姿をとりますが、すべての文化における「神」に共通するのは「人知を超えた存在」であることですね。
では「神」とは一体どういった存在なのか?それについて神話学者のジョセフ・キャンベルは実に端的に定義しています。

超越者(神)は思考のあらゆるカテゴリーを超越している。存在と非存在−それがカテゴリーです。「神」という語は本来あらゆる思考を超えたものを意味しているはずなのに、「神」という語そのものが思考の対象になってしまっている。
さて、神は非常に多くの形で擬人化されます。神はひとりか、それとも多くの神がいるのか。それもまた思考のカテゴリーに過ぎません。あなたがそれについて語り、考えようとしているものは、そのすべてを超越しているのです。p123
ジョセフ・キャンベル「神話の力」飛田茂雄訳 早川書房 1992年


これは面白い定義です。人間が考えうる全てすら超越した存在が神であり、神の実体や真相を人間の思考によって捉えることはできない。これはなにも人間が知覚することは出来ない存在が神であるということではなく、知覚できるとしてもそれは神の部分的な側面だということでしょう。

どこか現代哲学風のロジックを思わせる「神の定義」ですが、ふと哲学者ウィトゲンシュタイン(1889〜1951)の思索を思い出しますね。彼は言語学の研究を進める中、ふとある絶望的な壁に打ち当たります。それは、言語によって言語を捉える事は不可能であるということで、言語とは何なのか?を検証するには言語の外側から言語を俯瞰するしかありません。しかし言語の外に出るには言語というツールは役に立ちません。まるで禅の公案のような感じですね。

ジョセフ・キャンベルは20年ほど前にNHKで何度か繰り返し放送された「神話の力」によって日本でも大反響を呼び、その賢者のような洞察力と、平易に深い思想を伝える語り口の上手さは人々を虜にしました。ジョージ・ルーカスは「スターウォーズ」制作にあたって神話学者ジョセフ・キャンベルの著作を読んで未来世界の舞台の基本構造の中に神話的な構造を組み込もうとした、というエピソードもあるそうです。上記で引用した本は放映された対談を収めたもので、神話と宗教をテーマにしたとても興味深い内容です。これでいっぺんに私もキャンベルの大ファンになりました。「神話の力」をはじめ、彼がしばしば引用する「トマスによる福音書」はグノーシス主義の文献のひとつで、近年発見された件の「ナグ・ハマディ文書」に収められているものです。

「トマスによる福音書」はイエス・キリストの箴言集です。冒頭に「これは、生けるイエスが語った、隠された言葉である。」と書かれ、次にトマスの言葉が書かれます。

「この言葉の解釈を見いだすものは死を味わうことがないであろう」
「トマスによる福音書」(「ナグ・ハマディ文書 II 『福音書』」岩波書店 1998年)


全部で114のイエスが話したとされる箴言が書かれていて、多くは聖書でも言及されている言葉が含まれますが、東洋思想を思わせるような言葉も散見され、興味深かったです。

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(上左)「オカルティズム・魔術・文化流行」ミルチャ・エリアーデ著 未来社1978年
カリスマ的宗教学者エリアーデによるオカルティズムの考察。
(上中)「ユング自伝(思い出・夢・思想) 2」A・ヤッフェ編 みすず書房 1973年
精神世界の探求者ユングの自伝の下巻です。ヘッセの「デミアン」に影響を与えた付録にあるレア文献「死者への七つの語らい」を読むために購入しました。
(上右)「グノーシスとは何か」マドレーヌ・スコペロ著 せりか書房 1997年
グノーシス主義についてざっと理解するために購入しました。あらましを理解するのに役立ちます。内容の構成も上手いので読みやすかったです。
(下左)「ナグ・ハマディ文書II 福音書」岩波書房 1998年
「トマスによる福音書」を含む6つのグノーシス派の福音書の翻訳。研究者向けの内容ですが、本物のグノーシス文献のリアリティにぞくぞくします。
(下中)「ナグ・ハマディ写本」エレーヌ・ペイゲルス著 1996年
グノーシス主義研究を一気に進ませるきっかけになった大発見、ナグ・ハマディ文書の発見の経緯から、その興味深い内容まで解説されています。名著です。
(下右)「神話の力」ジョセフ・キャンベル&ビル・モイヤーズ著 早川書房 1992年
遠い過去の遺物のように思われている神話も、実は現代に通じる瑞々しい知恵の宝庫であることをキャンベル先生が解りやすく語ってくれる素晴らしい良書です。たんなる神話の解説ではなく、この本を読む読者ひとりひとりにハッとする覚醒をもたらしてくれます。この対談のビデオ、ぜひとも販売してほしいものです。
posted by 八竹彗月 at 16:56| Comment(0) | 精神世界
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