2012年10月05日

映画『アシュラ』を鑑賞

1970年少年マガジンに連載され有害図書として発禁問題を起こした問題作が40年の沈黙を破り映画化。恥ずかしながら原作は未読なので、予備知識や先入観をあまり持たずに鑑賞できたのは、それはそれで良かったのかなと思いました。見終わって、感動の余韻にひたりつつ作品を振り返ると、なぜこれが「有害」なのかに首をかしげます。少年誌だからマズいということなのかもしれませんが、少なくとも「有害」という名称で貶めてよい作品ではないと思いますね。ジョージ秋山作品は読んでなかったんですが、想像以上に凄い作家だったんだな〜と痛感します。テーマは重いですが、ここまで重いと暗いとか湿っぽいとかというレベルも超越して清々しささえ感じます。3Dのモーションを多用した作品ということですが、とくに違和感もなく、セルアニメとはまた違った新鮮な動きの表現に最近のアニメのコンピュータ化技術の進歩もかいま見れて興味深かったです。声優陣の魂のこもった熱演も見事。とにかく素晴らしい内容の作品でした。ぜひ原作も読んでみたいと思います。

序盤にひとりの身重の狂女が廃屋で子を産む壮絶なシーンから物語は始まりますが、人間も犬も鳥も大地さえも腹を空かせているような地獄のような世界で、狂女は喰えそうな食料が我が子しかいないという現実にわずかに残った理性で激しく葛藤します。普段当たり前すぎて気にかけることの少ない「食べる」という行為。当たり前に食べ物が手に入るということが、どれほど特殊な状況で恵まれた状態なのだろうか。陳腐な感想ですが、そういうことを考えずにいられませんでした。黒澤明の名作『七人の侍』でも米さえ満足に食べれない貧しい農村が舞台で、「食」について考えさせられましたが、現代の先進国でさえ餓死する人はいますから、食べ物に困らない状況というのはそれだけで天国なんだろうなぁと。『アシュラ』は、「問題作」といわれるだけの猟奇的な断片はたしかにありますが、作品全体から受けるメッセージはそのような至極まっとうなものであり、描かれる世界はなにも中世の特殊な世界なのではなく、もしかしたら現代に生きる人間の本質的な姿を、アシュラというアウトサイダーの視点から描いているようにも思いました。

現代文明の中で生まれた私たちは、物心つかないうちから文明の洗礼を受けて育ち、教育を受け、社会に出ます。ヒトもこの地球上で進化した動物なので、野生動物のような獣性は確実にその内部に抱えて生きているわけですが、文明の中でそれに気づく事無く大人になってしまいます。しかし中世の貧しい時代に生まれ落ちた主人公アシュラは文明の洗礼を受ける機会を逃し孤独にただ生きることだけを目的に成長していきます。人肉食というセンセーショナルなテーマは、ただ見世物的な好奇心や興味本位の猟奇趣味で描かれるのではなく、人肉を食らうことでしか命をつなぎ止めていくことができない究極の状況の中で描かれます。齢8歳にして人の命を奪うことでしか己を生かす術が無く、人の心を育む機会を逃して育ってしまったアシュラは、殺して喰うつもりだった放浪の法師によって人の道を教わり、行き倒れの彼を介抱してくれた少女によって人の心を取り戻していきます。心に突き刺さる名シーンが盛りだくさんでいろいろ語りたいところですが、これから見る方もいらっしゃると思うのでこの辺りで控えて筆を置こうと思います。
posted by 八竹彗月 at 16:44| Comment(0) | 映画
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