2011年12月28日

少女椿

80年代に小劇場ブームというのがあって、数々の個性的な劇団が雨後のタケノコのように現れました。その中の注目すべき一つに飴屋法水主催の「東京グランギニョル」があり、俳優の島田久作、漫画家の丸尾末広など、個性的な面々が参加していました。今回のテーマは「少女椿」ですので、丸尾末広氏の同名作品について少し書いてみます。

丸尾末広の漫画「少女椿」は、吉屋信子や川端康成などの連綿たる昭和の少女ロマンと対峙する、さかしまの少女ロマンとも言える作品だと思います。高畠華宵などの昭和の叙情画絵師の影響を受けた流麗な線画で描写される暗黒の少女ロマン。えげつなく、グロく、そして美しい作品ですが、それゆえ極端に人を選ぶ作品のひとつですね。この作品の本質は、グロい描写ではなく、道徳や倫理をいともすんなりと飛び越え、差別、偏見と真面目に、そして不真面目に向き合う作者のアナーキズムにあるように思えます。短編などでも、そうした持ち味は発揮されているのですが、「少女椿」は、同名の古い紙芝居を下敷きにしている事で、より明確に正統への反逆精神が浮き彫りにされていることが永く支持されている理由なのかもしれません。丸尾氏の反逆精神はある意味とても健全で、彼はほとんど政治的な事柄に関心がありません。彼は政治なんかよりも本質的な「文化」と対峙しようとしているのかもしれませんね。それは「正統なるもの」をまるっきり破壊しようというテロリズム的発想ではなく、あくまで「正統なるもの」との対峙によって生まれる価値の創造で、澁澤などの「異端」の系譜に属する作家なんでしょうね〜

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雑誌「太陽」の絵本特集より 1979年 no.191 平凡社
古本市で購入した太陽の絵本特集ですが、特集は絵本に限定せず、紙芝居や定期刊行の絵本なども紹介してありました。主に昭和初期のものです。資料的な意味もありますが、ピックアップした画像、紙芝居「少女椿」に背中を押されました。おそらく丸尾末広の代表作のひとつ「少女椿」はここから発想されたんだろうな〜という、原点を発見したような嬉しさで購入。この紙芝居の主人公の名もみどりちゃんです。父親が蒸発して貧乏暮らしの中いじましく生きるみどりちゃん、悪漢にさらわれレビュー団の芸人として働かせられ「椿みどり」の名で売り出され・・・といった感じのようで、丸尾氏の作品もこれをなぞりつつ、大幅なエログロな猟奇趣味の脚色を加えて描かれたもののようですね。

サーカス団にみどりちゃんというと、シンガーソングライターの森田童子の曲「セルロイドの少女」もそういう歌でしたね。この曲も同じくミドリちゃんという名の子が旅回りのサーカス団でがんばる歌詞になっています。丸尾作品より以前に曲は作られているので、もしかすると、この歌も発想のひとつになっている可能性もありますね。
森田童子「セルロイドの少女」
http://www.youtube.com/watch?v=zBSqy8G1sSA

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丸尾氏の漫画作品「少女椿」は「地下幻燈劇画・少女椿」として劇場公開の紙芝居風の映像作品が作られました。以前六本木だったかの映画館でひっそり上映されてたのを運良く見ることができ、いろんな意味でインパクトを受けました。というのは、映像だけでなく、映画館の通路から、スクリーンの周囲に至るまで怪しげなインスタレーションが施されていたからです。たしか、首の無いニワトリのオブジェとか、灯籠とか、作品の舞台である怪しいサーカス団のテントに入り込んでしまったような奇怪なムードを漂わせる雑多なオブジェが飾られていたような記憶があります。検索してみると、この作品は製作から公開、今に至るまでとても数奇な運命を辿っているもののようです。監督の原田浩氏(「少女椿」では絵津久秋名義)と付き合いの長いエディターの樋口ヒロユキ氏が詳しい顛末を書いており、とても面白い内容でしたので紹介します。表現の自由とは何か?を考えさせる興味深い記事です。
逆境哀切人造美少女電脳紙芝居『少女椿』
全6ページにわたり、詳細が書かれています。監督に近しい人の考察なので貴重な情報ですね。
http://www.tinami.com/x/report/13/index.html

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樋口氏の記事にもある「マンション地下室興行」のチラシ。記事を読むと、かなり凝った上映だったようで、行っておけばよかったかな〜と今になって思います(^□^;
寺山修司の市街劇を彷彿とする実験精神に満ちた上映会だったようですね。

映像作品のほうはYouTubeにアップされてました。あらゆるタブーを越境する不道徳博覧会といった感じで、この作品の映像化はかなり奇跡的な事だと思い知らされます。

http://www.youtube.com/watch?v=JoOoln9JtnI

丸尾末広といえば、国民的アニメ「ちびまる子ちゃん」に、よく似た名前の「丸尾スエオ」というキャラが出てきますが、昔、ガロかなにかのインタビューに、とくにさくらももこ氏からの断りはなかったと丸尾氏が発言してたのを思い出します。「僕よりみぎわさんのほうが可哀想だよね」と笑いながら答えてた部分をよく覚えてます^^ 「まる子」の中では、花輪くんやみぎわさんなど、ガロ系漫画家をもじったキャラが出てきますが、さくらももこも表向きメジャーな作家ですが、「コジコジ」や「神のちから」などでも感じるように、けっこうサブカル嗜好のある人なんでしょうね。ちなみに、丸尾氏の作品の多くは青林堂から出てるのでガロ系作家のイメージがありますが、作品の初出はほとんどアングラ雑誌かSM雑誌だったりで、ガロに掲載された作品はほとんど無く、本人もガロ系作家でカテゴライズされることにとまどいがあるというような事も何かのインタビューにあった記憶があります。
posted by 八竹彗月 at 15:59| Comment(2) | 芸術
この記事へのコメント
少女椿を映画館で観たとは羨ましいです。日本では入手困難ということで、ネットでのアップロードで近年やっと観ることができました。
寺山修司の『田苑に死す』によく似たシーンがあったので、どちらがどちらに影響を受けたのか気になってたのですが、やはり『少女椿』が『田苑に死す』の影響下にあるんですね。どちらにも、音楽でJ.A.シーザーが関わっていますし、親子的な作品なのでしょうか。

丸尾末広は、あまりに鮮烈な作風ゆえ、影響を受けすぎると危険な気がするので、少々避け気味にしてる絵師ですが、あの作品の持つ毒気は見習いたいものがありますねえ。
Posted by スカイエイプ at 2011年12月29日 21:47
>少女椿を映画館で観たとは羨ましいです。

かなり手の込んだ演出が映画を見る前からあったので、作品自体よりそっちの印象が強かったですね〜
推察ですが、製作自体がお金や人材などの不足のため作品世界の完全映像化というには不満足なところがおそらく監督自身あって、そういう部分の補完的な意味もあの過剰な演出にはあったのかもしれませんね。

>田園に死す

サーカス団の描写に端的に影響がうかがえますね^^ 私も後から記事をちょうど補足しようかどうか迷ってたところでした。
丸尾氏の趣味からいっても「田園に死す」は当然見てたと思いますね。

>音楽でJ.A.シーザーが関わっていますし、親子的な作品なのでしょうか。

「少女椿」は同名の紙芝居の暗黒アレンジで、「田園に死す」は寺山自身の虚偽の自叙伝がテーマですから、作品同士の関連性はあまり無いと私は思います。元ネタの紙芝居ではミドリちゃんはレビュー団で働くことになるようですが、丸尾作品で見世物っぽいサーカス団に変更したのは、フリークスをいっぱい描きたかったからなのかな〜と個人的に思ってます。そのあたりのサーカスの描写に「田園に死す」の影響が表れているのかもしれません。

>あまりに鮮烈な作風ゆえ、影響を受けすぎると危険な気がする

たしかに、そういうところはありますね。あの方向性はよほど精神力がないと大変だと思います。なにしろ、「自分でも嫌だと思うようなもの」について常に向き合う必要がありますからね〜 今回丸尾氏を取り上げたのは、ちょっとした懐古趣味で、現在はそっち方面はかなり距離があります。駕籠真太郎とか面白い作家だな〜と思って数冊作品集を買っちゃったんですが、未だになかなか読む込む勇気が出ません。

絵面の過激さだけなら楳図かずお先生をはじめ古賀新一や御茶漬海苔など、ホラー作家にいっぱいいますが、丸尾氏や駕篭氏や早見純氏もそうですが、ホラーのジャンルから外れた作家のグロ表現ってホラー以上にショッキングなところがありますね(^□^; 精神に直接ダメージが来るというか。自分でそういう表現をしたいとは思わないんですが、なんかそういう表現の彼方を描こうとする作家って、どこか惹かれるのも確かです。

私は猟奇的な描写はそんなに好きなほうではないのですが、それでも丸尾作品に惹かれるのは、作品自体がコラージュ作品のように、いろいろな引用に溢れているからですね。どちらかというと、長編の代表作よりもシュールな短編のほうが好きです。バビル2世のロデムみたいに何にでも化けれるなめくじの化け物と友達になった少年が、なめくじに美少女になってくれるように頼んで性行為をはじめる話とか、幻想的な味わいの短編が好きですね^^ 
Posted by イヒ太郎 at 2011年12月30日 00:23
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