『ふるさとは遠きにありて思うふもの』という室生犀星の有名な詩の一節がありますね。故郷というのは、今そこにない遠くにあるからこそ心の中に憧憬を呼び覚ますような場所、ある意味それは思い出の中の中で美化された理想郷のようなものなのかもしれませんね。人間が桃源郷やユートピアやシャンバラなどの理想郷を求める気持ちも、もしかすると、かつて生まれる前にずっと住んでいた前世の霊的世界への郷愁、魂のふるさとへの切なる想いによるものなのかも、となんとなく思う昨今です。
まぁ、そう深く考えなくても、単純に理想郷のイメージはファンタジックで心躍るものがありますし、昨今のフィクションにおける異世界ブームも、現代風の理想郷のイメージの投影のようなものなのでしょうね。
今回補修する本は百田宗治(ももたそうじ 1983[明治26年]〜1955[昭和30年])の詩集『蓬莱』ですが、この本を手に取ったきっかけは、タイトルの蓬莱(ほうらい。仙人が住むといわれる海の彼方にある伝説の島)に、上記のように常々いだいていたユートピア願望が刺激されてググッときたからでした。中身の詩は、最初手に取った時に想像していたユートピア的な耽美なものではなく、質素な生活の中に今そこにある豊かさを発見していくような、清貧の心地よさを表現した詩集でした。そういえば桃源郷の語源になった陶淵明の詩『桃花源記』も、外界から何百年も隔絶されたまま人々が平和に暮らしている小さな隠れ里の話でしたね。物質的な豊かさではなく、精神的な至福の中にユートピアを見るところが、東洋的ですね。つげ義春の『李さん一家』のような感じの、貧しくとも悲壮感はなく、時間に追われない自由の中でひょうひょうと日常を生きる等身大の充足感が気持ちいい詩集でした。
と、まぁ、中身の話は、また後でお話しするとして、さっそく補修にはいりましょう!
『蓬莱』百田宗治著 有光社 昭和18年9月1日初版(三千部限定)
全体的にけっこうボロボロです。まぁ、中身の詩のテイストを考えると、こうした古びた情緒も絶妙に似合っているのではありますが、今回も背表紙が判読出来ない状態なので、本棚に入れても解るようにカバーを作ろうと思います。
背はこんな感じでダメージがひどく、題字が読めません。
オリジナルのカバーは検索にかかってデザインは判明したのですが、とくに凝ったデザインなわけでもなかったので、今回は画像のように、表紙デザインをそのままカバーにした感じで作成してみました。
百均のクラフト紙を先日買ったので、これにプリントしてみます。
プリントしました。まぁ、詩集なので、変に自分で勝手にデザインしないほうが良さそうですし、今回はこれでいいかな、と思います。
元の表紙とほぼ同じ感じのデザインです。
A4プリンターだとソデの長さが足りないので、ソデのパーツを別に用意します。
ソデを透明な補修テープでくっ付けました。仕上がり後にテープの跡が目立たないように、折り返しの内側にテープが来るような位置で張り合わせてます。
完成!
ひとまず上手くいった・・・・と言いたいところですが、
クラフト紙が厚めだったので、折り目が凸凹した感じになってしまいました。カバーにするには厚口でないほうが良さそうですね。今後の反省点です。まぁ、題字を読めるようにすることが目的なので、これで良しとしましょう。(刷り直すのも面倒なので…)
味のある古書が並んだ棚に入れてみました。まぁ、けっこう馴染んでいるのではないでしょうか。
以下、中身について少し触れつつ、感想などを書いていこうと思います。
中扉です。表紙と同じロゴですね。石碑の書体みたいな、味わいのある手書きの文字がいいですね。
以下、ぐっときた中身の詩をいくつかご紹介しようと思います。
『質素なる人生』
寝床があり、
明日食うだけの米があり、
台所に幾ばくの炭があれば、
───家のうえに屋根があり、
屋根のうえに月があるを思うのみにて
わが心足る。
われはかかる質素なる人生を愛す。
『屋根』
わたしの家は炭箱のように小さい。
わたしの寝床は鳰(にお)の巣のように狭い。
わたしの家の裏には井戸があって、
晴れた夜はそこから星が覗く。
わたしの家の屋根は亜鉛(とたん)ばりで、
木の実が落ちかかるように時雨がそれを叩く。
───さて月夜の晩には
古池のようにそのうえを月が滑ろう。
『野心のない道』
一生 詩をかいて
この貧乏な野心のない道をゆこうよ。
『呪文』
詩を書くとき
言葉はすべて呪文となり、
どんなつまらぬ一語一語も
すべて翼生えてかの遠き空に召されてゆくごとし。
質素な生活の中に楽園を見出すその視点に癒されますね。こうしたモチーフの詩は、とかくリアリズム的な切口で書かれることが多いイメージがありますが、百田は、独特のファンタジックな目線で今ここにある豊かさを描き出していて心地よいですね。自身のしっかりした人生哲学が、どの詩にも滲み出していて、言葉遊びに終わらない一本背骨が通った世界を描き出していてグッときますね。
『詩人の怒り』
詩人の怒りは理不尽であればあるほど真剣である。それもまたその夢なのだから。しかしその夢のなかから手をさし出して人を打とうとすると、かれはいつも空を擲(なげう)っていなくてはならないだろう。
このような、詩以外のエッセイ的な文章も、唸らせるものがあります。詩という芸術と向き合う詩人としての気骨を感じますね。
『二人の友』
萩原朔太郎はかつて新詩風の台頭に対する私の態度を臆病であるときめつけ、犀星は私を永遠の受験生だと言って百田の苦笑を買ったと書いた。私はこの二人の先達のともだちの飾らない評言を受け入れざるをえない。なぜならこの朔太郎の果敢さと犀星の洞察のそのいずれをも、私は自分に持ち合わせないからである。
けっこう手厳しい評論をぶつけられても腐らずにきちんと受け止めて糧にしようとする前向きな姿勢がかっこいいですね。この本に出会うまで、寡聞にして百田宗治という詩人に関しての知識は白紙の状態だったので、歴史に埋もれた名の無い市井の詩人のひとりなのかな、と不敬にも思っていましたが、調べてみると、聴き馴染みのあるあの童謡『どこかで春が』などでも知られる、大正〜昭和初期の高名な詩人のようでした。本を読むたび、知識が増えるどころか、世の中自分の知らない事ばかりだなぁ、と自らの見識の未熟さに気付かせてくれることのほうが多いですね。百田は新潮社の詩の雑誌の編集に携わったりと、けっこうアクティブに活躍していたようで、この文章からも、室生犀星や萩原朔太郎などの著名な文学者とも交流があったことをうかがわせます。やはり戦争をくぐり抜けてきた時代というのもあるのか、芸術に対する姿勢もピリピリした緊張感を感じますね。ウィキペディアをみると、百田の家は戦中に東京大空襲で焼かれてから北海道に移り住み、次に引っ越した千葉で生涯を終えたそうで、時代に伴うご苦労もいろいろあったようです。
(2026/5/31追記)
懐かしい童謡、『どこかで春が』ですが、ちゃんと歌詞を味わってみたくなり、検索してみました。壮大な自然の変化を等身大の日常の中に見出す見事な詩に、あらためて感服しました。花鳥風月を感じさせる日本的美意識をぬくもりのある言葉で描き出していて癒されますね〜 作曲は「夕焼け小焼け」などで知られる草川信(くさかわしん 1893-1948)で、涼やかな情緒あるメロディも気持ちいいですね。歌詞に出てくる「東風」が、なんとなくYMO感を感じてしまうのは世代のせいでしょうか。YMOの『東風』はゴダールの映画のタイトルが由来ですが、『どこかで春が』の歌詞に出てくる「東風」は「こち」と読ませて、冬の終わりから春にかけて、北風から東の風に変わっていく様を春の兆しとして詠んでいるようです。現代では耳慣れない言葉になってしまったこともあり、東風を「そよ風」などの解りやすい単語に置き換えた音楽の教科書もかつてあったようですね。
(追記おわり)
『檸檬』
梶井基次郎君が死んだ。牛込の若松町にいた頃、一、二度あの赭顔(しゃがん。赤ら顔のこと)で訪ねて来てくれたことがある。去年の秋、稲野の草深い田舎からくれた手紙の文字もまだ目の前にある。
中央公論に載ったという小説はとうとう読まずにしまったが『檸檬』は古い燭台や、刀剣や、甲冑やといっしょに、塵埃(じんあい。塵や埃)にまみれた古典的な文章作品のなかに燦然として新鮮に遺されるであろう。
梶井基次郎とも交流があったんですね〜 梶井の『檸檬』は中学校の国語の時間に習ったような覚えがあります。何気ない日常を檸檬ひとつでドラマチックに一変させる言葉の魔法に感服した思い出があります。百田も梶井の『檸檬』をいたく気に入っていたようで、この文章でも31歳の若さで肺結核で急逝した文学界の鬼才を讃えていますね。調べてみると、梶井は百田より8歳若いですね。付き合いのあった新進気鋭の作家の突然の死に対する哀悼の中に、赤ら顔の梶井の人間的な側面がさりげなく触れられていて興味深い一文ですね。
(同日に追記)
梶井基次郎といえば『檸檬』も有名ですが、私のフェイバリットはなんといっても『桜の樹の下には』ですね。「桜の樹の下には屍体が埋まっている」の書き出しからはじまる、なんともメランコリックでシュールな幻想を、雰囲気に酔うことなくとても冷徹な文体で、まるで真実を暴き出しているかのように描いていて、とても衝撃をうけた作品です。桜の花のあまりの美しさに、ふと、梶井は想像します。もしかしたら、あんなに桜が美しいのは、その根元に埋まっている屍体の養分を吸い上げているからではなかろうか、と。実際には、ただきれいに咲いている桜の木があるだけなのですが、梶井の脳内に浮かんだその幻想によって、現実の光景はそのままなのに、まるで奇妙な異世界のように世界が反転していくかのような感覚にハッとさせられた傑作です。これもまた『檸檬』のように、言葉の魔力で日常をスリリングな劇場に一瞬にして変容させてしまう梶井の類い稀な才能を感じさせてくれますね。
桜というのは、日本人にとっては、ただ美しいだけの花ではなく、つかの間 満開に咲くその刹那の美と、その散り際の潔さから、日本人の潜在意識に横たわる死生観にも強く影響を与えている花だと思います。梶井の『桜の樹の下には』は、そうした日本的な美意識を独特の奇妙な視点から切り取って視覚的に表現していて見事でしたね。光が強いほどその影は黒く濃く見えるように、美というものも、あまりに美しいものは、その美しさを維持するための影の部分があるのではなかろうか、という詩的な演繹が桜と腐乱した屍体を結びつけているわけですが、そういえば、似たような桜幻想を描き出した作品に坂口安吾の『桜の森の満開の下』がありますね。
梶井の『桜の樹の下には』も、安吾の『桜の森の満開の下』も、どちらも桜の絢爛の美の裏に潜むダークな幻想を描いている作品なので、なんとなく梶井の作品に影響されて書いたものなのかな、と漠然と思ってたのですが、いい機会なのでこれも調べてみました。結論からいうと、安吾の発言や手記などにその作品が梶井からの影響で書かれたことを示唆するようなものは存在しないため、よく似たモチーフを扱っているものの、その影響を受けて書かれたものなのかどうかは確証はないようです。まぁ、安吾が件の作品を全く知らなかったとは考えづらいので、実際にはけっこう影響はあるんじゃないでしょうか。ただ、ウィキに興味深いことが書いてありました。
いわく、『安吾が後に書いたエッセイ『桜の花ざかり』には、東京大空襲の死者たちを上野の山に集めて焼いたとき、折りしも桜が満開で、人けのない森を風だけが吹き抜け、「逃げだしたくなるような静寂がはりつめて」いたと記されており、それが本作執筆の2年前に目撃した「原風景」となっているという。』とのことで、戦争の強烈な体験があのモチーフの根底にあったようですね。題名からして梶井へのオマージュっぽさがあからさまなように思ってましたが、もしかしたら、天才同士の直感が偶然同じビジョンを見せていたということもあるのかもしれませんね。まぁ、ともあれ、美と死が拮抗しながら同居しているような視点は、三島由紀夫など昭和の文学のそこここに散見されますし、いろいろと興味をそそるテーマですね。
(追記おわり)
中扉のタイトルと向かいのページには『惣舜蔵書』と蔵書印が捺されています。立派なハンコですよね。最終ページには蔵書の主の名前も筆で記されていて、「中屋惣舜」とありました。まぁ、普通の一般人の愛書家だろうと思ったものの、ためしにぐぐってみると、この蔵書の主、中屋惣舜(なかやそうしゅん)氏は昭和2年の東京生まれ、こけしの蒐集が趣味のようで、こけし関連の本まで何冊か出しているということが判明しました。蔵書印って基本的には古書の価値を下げるダメージ扱いであることが多いですが、今回のように、人から人へバトンリレーされる本の履歴を生々しく感じられる古書ならではの楽しさもありますね。
ということで、このたびもご清覧ありがとうございました!