2026年03月17日

古書を補修してみました!「粟津潔・デザイン夜講」編

今月はいつになく何かと忙しいですが、それでも合間をぬって息抜きにつげ義春展に出かけたり、古本市に行ってきたりしました。仕事だけでなく、周囲の様々な心配事が一気に湧いてきてる感じで、これも運命的な何かが動き出している兆しなのかな、などと思ったり。せっかく隙を見てつげ義春展に行ってきたので、その記事を書こうと思ったのですが、ある程度テンションを高めてから書きたいので、今回はまた補修の記事でも書きつつ気分を盛り上げていこうと思います。

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粟津潔『デザイン夜講』筑摩書房 昭和49年8月初版
装丁ももちろん粟津潔によるもの。
ご覧の通り全体の周囲に汚れやシミが目立ちます。今回はそれを解消するのが目的です。

今回の補修は、先日の古本市で見つけた『デザイン夜講』という本で、著者はグラフィック・デザイナーの粟津潔(1929-2009年)です。粟津潔といえば、個人的なイメージでは60〜70年代のアングラ演劇のポスターやATG等の映画ポスター、寺山修司の本の装丁など、なにかと異端のニオイのするデザインが思い浮かびます。名字の刻まれた三文判の印鑑がたくさん捺されたデザインや占いの人相図や指紋など、怪し気な素材を駆使してデザインされる独特の異世界的なムードは70年代のサブカルチャーの象徴的なイメージとして根強いのではないか、と感じています。

いい機会なので調べてみると、その一方で、そうしたアングラ系以外では、大阪万博をはじめ、けっこう国際的なプロジェクトでも手腕を発揮しており、思ってたよりもメジャーな舞台でも活躍したデザイン界の重鎮のようでした。1990年に紫綬褒章受章。2000年、勲四等旭日小綬章受章などの受賞歴があり、日本を代表するグラフィック・デザイナーのひとりといっても過言ではないようですね。

メモ参考サイト

今回この本を入手したのは、寺山修司のビジュアルイメージの一端を担ってきた粟津潔というデザイナーへの興味もありましたが、なんといっても決めては粟津潔ご本人のサイン入り!という点でした。通常著者のサインは表紙を開いたときの見返し部分か、最初のトビラ部分の空きスペースに書くのが一般的ですが、この本は、見返しは見開きに全面写真が敷かれており、トビラも怪し気な模様で埋め尽くされていて白地のスペースが無いため、目次の次に来る7ページ目の簡素なサブ的なトビラに当のサインがあります。すぐには分りづらいところにサインがあるので、もしかしたら安価の理由も古書店の店主さんがサインを見逃したせいなのかもしれませんね。なんにせよ、粟津潔のサイン入り本が300円という値札だったので、直筆サインの価値だけでもモトはとれるな、と踏んで購入したのでした。

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芸能人などサインを書くのが日常の人は、読めないレベルで崩した字のサインの場合が多いイメージですが、サインをもらう側の立場からすればこういう感じで普通に読めるサインのほうがありがたいですよね。このような自著へのサインなら予想がつきますが、色紙のサインだったりしたら読めないサインは誰のものか判別不能ですからね。

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と、いうことで、さっそくカバーの汚れをとる作業に入ります。カバーの黄色い紙は画用紙のような質感のマットな紙で、カバーで一般的なよくあるPPコート加工されたものではないため、汚れがつきやすく、水を吸い込むので水や洗剤系での汚れ落としができません。なので、まずはとりあえず消しゴムで汚れをざっと落としました。


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背のあたりに点々とシミが付いています。これは繊維に食い込んだ汚れのため、消しゴムでは落ちません。紙が白地なら漂白剤で落ちるタイプの汚れですが、この紙に漂白剤をつけると汚れだけでなく地の黄色も白くなってしまうため、別の方法で目立たなくすることにします。

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困った時のアクリル絵具です。これで地色に近い黄色を作り、シミの上に塗ってシミを目立たなくしていきます。

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白と黄色を混ぜて地色に似せた色合いの絵具でシミをひとつひとつ消したところ。
シミが前ほど目立たなくなりました。

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他に汚れが付着している箇所をひとつづつ塗りつぶしていったところ。
明らかな目立つ汚れはなくなりました。

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このまま終わってもいいのですが、今後汚れが付着するのを防ぐためA4のOPP袋を2枚使ってカバー全体を包みました。デザイン的な意図としては、デコボコしたワイルドな画用紙風の紙(ワトソン紙?)の質感が、街角に貼られた小劇場のチラシのようなカバーデザインの野性味によく合っていて、テカテカしたOPPで表面保護をするのはちょっと邪道な気もしますが、ここは汚れからの保護のほうを優先しようと思います。

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クリーニングしたカバーで本体を包んだところ。

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裏表紙はOPP袋のつなぎ目がありますが、思ったほど目立たない感じになりました。このくらいなら許容範囲でしょう。

中身はこれから読もうと思いますが、パラパラとページをめくっていると、デザインの話を中心に、小松左京との対談やら、粟津のふたりの親友、松本俊夫と寺山修司に関する評論など、面白そうなエッセイが散見され、意外と読み応えがありそうな本のようで、サインに釣られてgetしたものの、良い収穫でした。

粟津潔といえば、しばしば粟津のデザインで扱われる印鑑や指紋や人相図などの呪術的なエレメントが印象的ですが、こうしたイマージュへのこだわりについて言及している話もあって興味深かったです。

印鑑や活字、指紋などの押しの仕事から、シミへの興味の変化には数年かかっている。それからさらに、表現イメージの変化が起こり、方位とか人相図、家系図、それに地図や海図などの美しさにひかれるのは、それからのちのちのことであったような気がする。p200

粟津潔『デザイン夜講』筑摩書房 昭和49年8月

これは、思潮社版の「マルドロールの歌」(ロートレアモン著 栗田勇訳 1965年)の装丁について話す中で言及される興味深い話です。粟津潔は自分の唇に墨を塗って紙に写した拓本を拡大し表紙のメインビジュアルとして使用するという、デザイナーというよりほとんど前衛芸術家のような奇抜な発想のデザインを試みますが、その話題について書かれた「装丁のこと」というエッセイの中で言及されてました。件の自分の唇の拓本を装丁に使うという非凡な発想は、どうも指紋とか印鑑などの「押し」のデザインにこだわってた時期にうまれたアイデアだったみたいで、そうした創造の舞台裏についての話ってとても刺激になります。


私は大学に行かなかったので、いつも他人より知識面で遅れているのではないかと思っていた。事実そうであったから、少年時代には「街は偉大な教師」であり、青年期は、「劇場であり映画館であり、書物であり、印刷物が私の教師」になることになった。p189

学ぶということは本来自己主体的なもので、本人次第の感受の仕方や在り方であると思う。どんな事物からでも、本来教わる事ができるはずで、それへの関心や情動がはたらくのが先決だろう。私は父がいなかったから、父から教えられた事もなく、学校もろくに行かなかったので、そこで学んだ憶えがないが、教わるということは、多分、事物や事柄や、人間や環境、歴史や伝説について、どこまで主観的、客観的に質問しつづけることができるかだと思う。大いなる質問こそ、大いなる学問であるのだろう。p191

粟津潔『デザイン夜講』筑摩書房 昭和49年8月


これは、粟津が1960年代の半ば頃に武蔵野美術大学商業デザイン学科(現・視覚伝達デザイン学科)助教授に就任、学生へのデザイン教育に携わっていた時期の思い出や「人にモノを教える」ということについての難しさを述べたエッセイの中で言及されていた文章ですが、「街は偉大な教師」だとか「大いなる質問こそ大いなる学問である」などの言い回しなど、とても寺山修司な感じの詩的で哲学的な視点を感じる文章で面白いですね。

粟津がはじめて寺山と出会ったのは昭和36年の春とのこと。大江健三郎の『飼育』が大島渚によって映画化されたとき、ロケ地の群馬の山奥に宣伝用のポスターの打ち合わせのために来ていた粟津は、映画の取材か何かの用事で来ていた寺山とはじめて出会ったそうです。以後粟津が手がけた寺山関係の仕事は、歌集『田園に死す』(白玉書房 1965年)、長編詩『地獄篇』(思潮社 1970年)、『ドキュメンタリー家出』(ノーベル書房 1969年)などの装丁や、戯曲『犬神』のドイツ公演のための舞台美術とポスターなどがあります。寺山への論評を読むに、気の合う友人というよりは、ピリピリした表現者としてのとしてのライバル意識が伝わってきますが、他の文章から感じる隠そうともしない粟津の寺山節から察するに、6歳年下の寺山の飛び抜けた才気に心酔している自分への照れ隠し的な意味合いのようにも感じました。寺山の逝去は1983年ですから、この本の発行年はまだ寺山は存命なので、そういう点からも、忌憚なく意見を戦わせながら互いの才能を認め合う関係だったのかな、という雰囲気を感じました。

ということで、今回の補修は粟津潔著『デザイン夜講』の表紙カバーのクリーニングでした。
御清覧ありがとうございました!


2026/3/18 追記)


今回は粟津潔の本のカバーを補修しましたが、ついでに

以下、蔵書の中から粟津デザインの本をいくつか挙げたいと思います。


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(左)『地獄篇』寺山修司著 粟津潔デザイン 思潮社 1983年
(右)『粟津潔デザイン図絵』粟津潔 青幻舎 2006年

寺山修司の長編詩『地獄篇』のカバーは、粟津の手書きで紙にビッシリ書かれた寺山の詩『地獄篇』の抜粋が地紋のように背景に敷かれています。粟津潔のデザインのユニークなところは、こういう前衛的な手法と呪術的な情念のようなものが同居しているところですね。中身の寺山の詩も、タイトルはおどろおどろしいですが、寺山らしいアングラ遊園地といった感じのシュールで情念的なオモチャ箱のような詩集です。右は粟津潔の初期の作品集『粟津潔デザイン図絵』で、オリジナルは田畑書店から1970年に刊行され、この青幻舎版はその復刻版です。こちらも70年代当時のアングラでサイケな空気感が猥雑に濃密に詰め込まれた粟津のデザインとアートの作品集で、とてもスゴイ内容です。


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『粟津潔デザイン図絵』より。印鑑のモチーフは粟津潔デザインのシンボリックなイメージですよね。呪術的シュルレアリスムとでもいった感じの粟津独特のセンスに彩られたビジュアルがこれでもかと詰め込まれた作品集です。ページをめくる楽しさに満ちた傑作。序盤に載っているレアな18ページの粟津の漫画「因果説話・すてたろう」も見所ですね。


メモ参考サイト
1970年刊行の田畑書店版の復刻本。私のもってるのはこちらの復刻版のほうです。出版社の青幻舎さんのサイトに数ページサンプルが載ってましたので気になる方はぜひご覧ください。こういう感じのサイケでアヴァンギャルドな462ページの作品集になっています。元の田畑書店版は古書店のサイトにいくつか画像があったので確認しましたが、オリジナルは赤い箱入りの装丁で、こちらもまた怪し気なオーラがあって素敵ですね〜。『粟津潔デザイン図絵』は、分厚い辞典のような存在感のある本で、中身は本業のグラフィックデザインの仕事から、アート作品、などが縦横無尽にカットアップされたまるで一冊の実験映画のような本。造本から中身のアーティスティックなグラフィック構成は、講談社から刊行された横尾忠則の『横尾忠則全集』を思わせますが、調べてみると発行年は田畑書店刊行の『粟津潔デザイン図絵』のほうが1年早いですね。横尾さんも当時は画家ではなく粟津潔と同じ同業のグラフィックデザイナーでしたし、当時の横尾さんもけっこう粟津潔の影響を受けてたのかもしれないですね。


松本俊夫との親交も今回補修した『デザイン夜講』に書かれてましたが、そういえば松本俊夫のBOXのデザインも粟津テイストだったな、と思い出して引っ張り出してきました。『松本俊夫全劇映画』。クレジットを見ると、やはり粟津デザインでした。この地層のような、あるいは瑪瑙のような波打つ線のパターンも特徴的な粟津デザインらしさを醸し出していますね。このボックスは、松本俊夫の長編映画をすべて収録したセットで、大好きな『ドグラマグラ』と『薔薇の葬列』を目当てに購入しました。気になって中古価格を検索してみると、定価の2〜4倍のプレミアが!当時定価で買っておいて正解だったようです。こういうマニアックな商品は定価が多少高めでも、買い逃すともっと高額に化けてしまうので、好きな作家のものは思い切って買うしかないですね〜

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『松本俊夫全劇映画』2004年 販売元 エスピーオー

(追記終わり)
posted by 八竹彗月 at 05:41| Comment(0) | 古本
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