2025年08月06日

庄司浅水・愛書狂の世界(1)つんどく礼賛

20250806_sensui1_01.jpg

書物に関する本を並べた書架の一角を撮ってみました。本好きゆえに惹かれるテーマということもありますが、「本に関する本」というラッセルのパラドックスめいた自己言及を彷彿とするトリッキーなジャンルというところも魅力があります。とくに気にして集めたわけではないですが、いつの間にかこのジャンルの本も増えてきました。


積読(つんどく)礼賛!の話

庄司浅水といえば、最初に読んだのが世界の不思議な話を集めた『奇談 千夜一夜』(現代教養文庫667・1980年第20刷[初版1969年]・社会思想社)だったせいか、元祖南山宏先生的な、オカルトライターのハシリのようなイメージがありました。実際、児童向けに世界の不思議な話を著したシリーズ本なども精力的に出していた時期があるので、間違いではないものの、メインは書誌学、書物研究で、古今東西の書物に関する論説を記した著書もいくつも出しており、今では庄司浅水といえばビブリオマニア(愛書狂)のイメージに取って代わりました。

20250806_sensui1_02.jpg

庄司浅水(しょうじせんすい 1903-1991年)
宮城県仙台市に生まれる。作家、書誌学研究家。メインの書物研究のかたわら、戦後には世界の不思議な奇談を紹介する著書にも着手し、そうした方面のノンフィクションライターとしても活躍しました。著者近影写真は桃源社刊『書物の楽園』(1963年)より。机上に開かれた重厚な装丁の海外の古書は、題字から検索して調べてみたら、昨今注目され直している有名な19世紀英国のテキスタイルデザイナー、ウィリアム・モリスの書いたファンタジー小説『The Story of the Glittering Plain(輝く平原の物語)』の1891年刊行の初版本のようで、設立した自社の工房の最初の刊行本として発行、250部刷られたうちの一冊のようです。さすがビブリオマニア、かなりの稀覯本をお持ちですね〜


私が思い浮かぶ有名な愛書家というと、もともと珍奇というか、不思議大好きというか、シュルレアリスム的なものが好きだったせいか、種村季弘、荒俣宏、澁澤龍彦のお三方を思い浮かべます。お三方とも、普通の愛書家という感じではなく、よくある珍本レア本蒐集家でも、いわゆる雑学王というでもなく、ジャンル的には異端で珍奇な方面に特化した嗜好を表現された方々であり、そうした不思議な別世界からの情報をもたらしてくれていた現代のシャーマンのようなイメージがありました。実際に旅行するよりは読書や芸術鑑賞などで内面に広がる異世界にトリップするほうに興味があるので、ノンフィクション系よりそうした傾向の作家や芸術家には惹かれますね。

私の場合、読書といっても、けっこう「つんどく」が多く、これは本に限らず、音楽も映画もCDなどの物体を手に入れると、コレクター気質のせいなのか、とたんに満足してしまい、実際にすぐ鑑賞することはあまりないのが実際のところです。せっかく手に入れたのにもったいない、という罪悪感めいた気持ちはあるものの、義務感で読書するのも何か違うような気がして、最近は「つんどく」も読書のうち、という無理矢理っぽい言い訳を自分にしたりしてました。とはいえ、読書嫌いなわけでもないので、気分がのったり、何かインスピレーションがやって来たりしたりするとおもむろに本棚から引っ張り出して読みはじめます。私の場合はそんな衝動的な読書になることが多いですね。

庄司浅水の書物に関する雑学や評論を集めた本は数冊持ってましたが、先日古本市で『蠧魚無駄話』という昭和8年刊の本を見つけ、すでに持ってる浅水の本もろくに読んでないので今回はスルーしようか、と思いつつ、一応手に取って中身を斜め読みしていたところ、ある一文が目にとまり、考えを急遽改めてお迎えすることに決めたのでした。


20250806_sensui1_03.jpg
庄司浅水著『蠧魚無駄話』昭和8年12月5日初版 ブックドム社
発行元のブックドム社は昭和5年頃に浅水の設立した会社で、主に書物に関する本を中心に刊行する出版社でした。昭和8年には愛書家のための雑誌『書物趣味』の刊行もしていました。

その一文は、まさに上記のような私の本に対する姿勢を全肯定してくれているかのようなもので、「つんどく」こそが愛書家の証!くらいの勢いの小気味いい意見でした。あの日本を代表するビブリオマニアの庄司浅水が太鼓判を押しているのですから、もう「つんどく」の罪悪感もゼロとはいわないまでも大幅に軽減されようというものです。


 私は或る人がカフェーやバーで惜しげもなく金を使いながら、一冊の本代に金を出し渋るからといって、別段その人を責めようとはしない。その人にとっては、本に金を使うよりもカフェーやバーで使う方がはるかに有意義なのであろうから。私の酒代、煙草代は全部書店に支払われる。時には米代、衣服代までが。

庄司浅水著『蠧魚無駄話』昭和8年12月5日初版 ブックドム社 p259

米代、衣服代まで本につぎ込むのは愛書家のレベルを超えてもはや愛書狂ですよね。でも気持ちはわかります。今では私もそれなりに計画性を立てて本を買いますが、むかしは仕事をサボって神保町に通ったり、借金したりしてでも本を買ったりしてた時期もあったので笑えません。なんでそれほど本を欲しがったのか、今となっては理解に苦しむところですが、まぁ、若気の至りの一種なのでしょう。

衣食住など物質面がある程度満足してくると、次に人は心の糧、芸術や音楽などを求めはじめる、とOSHOが書いてましたが、たしかに、そういうところはありますね。人によっては、それが映画とか腕時計とかゲームとか、いろいろあると思いますが、それがたまたま本だったということでしょう。浅水は続けてこう書いています。

 書店のカタログを見ているうち、自分の欲しい本、自分の日頃から探していた本の名が目に映じた時位、嬉しいことはない。近いところなら走ってゆく。電話をかける。遠いところなら電報を打つ。

庄司浅水著『蠧魚無駄話』昭和8年12月5日初版 ブックドム社 p261

昔はネットなど便利なインフラはありませんでしたから、欲しい本を手に入れるのもけっこう労力が要ったのでしょうね。私も書店に頼んで本を取り寄せたりは何度かしたことがありますが、電報まで駆使して本を取り寄せる感じは、執念めいたものを感じます。思い返せば、はじめて書店で取り寄せを頼んだのは中学生の頃で、創元推理文庫から出ていたラブクラフトの選集の二冊でした。これはそのスジでは知られた学研ユアコースシリーズの一冊『世界の恐怖怪談』(荒俣宏、武内孝夫共著 1977年)でラブクラフトを知り、その勢いで探したのだと思います。当時は文芸雑誌に載ったいくつかの翻訳を除けば、ラブクラフトのめぼしい翻訳はこの二冊くらいしかなかった気がします。書店からの入荷の電話を毎日ドキドキしながら待ちわびた記憶が蘇ります。

今ではアマゾンをはじめ「日本の古本屋」や、各々の個人経営の古書店のウェブショップもたくさんありますから、そういう意味ではいい時代になりました。とはいえ、逆に出版不況が続いているのも現代であり、市場はシステム的には便利になったものの、それに反比例してニーズが減っているのが悲しいものを感じます。これはかつての娯楽の王様、テレビとかもいっしょですね。



20250806_sensui1_04.jpg
 電報まで売って買い求めた本であっても、よくよくのものでない限り、直ちに読もうとはしない。序文と目次に一通り目を通したら、中身をパラパラと繰りながら、面白そうなところを二、三ページも拾い読みすれば上の部である。それから机の上に置かれる。一週間経っても二週間経ってもそのまま、一向に手に取ろうとしない。ひと月もそのままになっていることすらある。そして最後に書架の一部にその住処を与えられる。だからといって、所有者の心に忘れられているのではない。

庄司浅水著『蠧魚無駄話』昭和8年12月5日初版 ブックドム社 p262

庄司浅水ほどの愛書家でもけっこう「つんどく」なんだ!と心地よい驚きを感じたのがここの部分です。私も苦労して手に入れた本でも手に入ったとたんに安心してしまい、そのまんま何年も本棚に入れっぱなしということがよくあるので、自分がとくに異質なわけでもないんだ、と安堵したのでした。かといって、それなりに欲しくて迎え入れた本ですから、ページを開くきかっけさえあればすぐにでも本棚から引き抜いてページをめくりたいと思っているのも事実で、そうした本を読みはじめるタイミングについて、なかなか粋なシチュエーションを浅水は描いています。

 雨の夜の徒然なるままに、何か本を読もう、そんなつもりで、書架に一通り目を通す、そんな時、ひょっくり目に触れたのが、先日、電報まで打って買い求めた本である。見るともなしに手に取ってみると、面白そうだ。そんな具合で読みはじめてみると、なかなかどうして止められない。とうとう夜明かしまでして読み終わったというようなこともある。

庄司浅水著『蠧魚無駄話』昭和8年12月5日初版 ブックドム社 p262-263

この感じ、すごく分ります。自分の場合はヘルマン・ヘッセの『デミアン』がそういう本で、夜明かししてまで引き込まれたのでした。本が増えすぎたので捨てる本を選んでいたときに手に取った本でしたが、いくらなんでも中身を全く読まずに捨てるのもなんだかな〜という気分で、退屈したらすぐ捨てる候補にするつもりで読みはじめたのでした。それまでは夏休みの読書感想文の課題図書などでヘッセの名前だけは知っていたので、どうせ大人が子供に読ませたがるたぐいの退屈で真面目な話なんだろう、とたかをくくっていました。が、しかし、読み進むうちに思惑に反して想像以上に面白すぎて、早く寝ないと次の日仕事だというのに、次のページが気になり、結局徹夜して読んでしまったのでした。

 また、読まなくともよい。ただ、椅子に腰掛け、書架に並んでいる書物を見るだけでも、こよなき楽しみである。大きい本もある。小さい本もある。革の本もあればクロスの本もある。黒い表紙の本もあれば赤いのもある。五百冊あれば、五百冊とも皆違う。一冊といえども同じものはない。黙ってそれらの本を見ていると、知らず知らずのうちに、各々が色々のことを話しかけてくる。男の声もあれば女の声もあり、若いのもあれば老人のもある。言葉も日本語をはじめ、英語、ドイツ語、フランス語なんでもある。これはたんなる幻想ではない。
 私の家の書架には、数千年前の人から現在世に生存している人のもある。その生まれを異にし、国を異にし、時代を異にし、性を異にし、境遇を異にし、あらゆるものを異にし、かつては敵味方であった者すら、今では仲良くひとつ書架に隣り合わせで住まっている。

庄司浅水著『蠧魚無駄話』昭和8年12月5日初版 ブックドム社 p263

この感じもすごく分りますね〜 本棚に並んだ背表紙を眺めながら飲むコーヒーは格別です。昔の本は、本文に使う大きさ以上の活字はあまりなかったので、表紙に入る題字の多くは手書きのロゴや筆文字だったりするので、背表紙を眺めるだけでも古(いにしえ)の書物のなんともいえない芳香を感じます。潤沢な遊興費があって、無尽蔵に蔵書を迎えれるなら、背表紙のデザインだけで気に入った本をバンバン買って本棚に並べたい欲があります。今は残念ながらそういう状況ではないので、さすがに中身を読む気が全く無い本を背表紙の好みだけで買ったりできませんが。

そういえば、昔のゲームで、赤川次郎原作の『夜想曲』という作品がありましたね。ストーリーは、平凡な大学生の主人公が、講義を怠けすぎて単位が足りなくなり、卒業も危うくなっていたところ、担当教授から必要な単位を取得するための条件として山奥にある怪し気な洋館にある図書室の本を管理するバイトを紹介される。という発端で、収蔵されているいわくありげな幾多の本にまつわる奇妙な事件にまきこまれていく、というものです。この人里離れた山奥の洋館にある怪しい図書室というシチュエーションがグッときますよね。こういう古書にまつわる物語って、本フェチにはたまらないものがあります。

アニメ『R.O.D』は読子が主人公のOV版は神田神保町が舞台で、馴染みのある古書店街の描写にワクワクが止まりませんでした。香港三姉妹が主人公のTV版も傑作ですね。TV版は『serial experiments lain』に通じるような、哲学的というか、衒学的なシナリオのエピソードもいくつかあって、すごく面白かったですね。また通して視聴してみたくなりました。OVもTV版もOPが岩崎琢によるインストがカッコよかったですね。OV版のOPのアニメーションでスタッフの名前がボディペインティングの止め絵になっているところもシビれました。
どちらも紙使い≠ニ呼ばれる特殊な能力を持った愛書家の少女が主人公で、文系少女のアクションものという切口が新鮮でしたね。



メモ参考サイト


posted by 八竹彗月 at 17:02| Comment(0) | 古本
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。