腹パンチで気絶するあのシーン
漫画などの特有の表現で、フィクションのお約束ながら実際には間違っているモノ、というのはけっこうありますね。有名なところでは相手の脇腹にパンチを入れると失神して一時的に昏睡するシーンとか。実際には気絶するほどの威力でパンチを入れると内臓に深刻なダメージが入り、絶命に至る危険性があるそうですし、首の後ろ(延髄)を手刀でトン!とやると気絶する描写も、実際にはこれも絶命の可能性もある危険な行為みたいですね。まぁ、ほとんどの人は、漫画独特のお約束な演出として理解して見てるわけですが、こういう描写は子供の見る娯楽でよく使われる演出効果なので危ういといえば危ういものがありますね。実際に試して大事に至ったという話は寡聞にして聞いたことがないので、みんなフィクションの中だけで通用するお約束ということはけっこう周知されているということでしょうか。
腹パンチで気絶、というと、今すぐ思い出すのはFF10の序盤で、リュックがティーダに「ゾレン!(ごめん!)」とアルベド語で言いながら腹パンチするシーンです。腹パンチで失神というのはもはや記号化したお約束シーンの定番ですが、初出はいつごろのどんな作品だったのか気になるところです。また海外の作品では腹パンチ気絶のシーンはあまり見かけたことがないですが、腹パンチは日本独特のあるあるシーンなのか?も気になるところですね。こういう漫画などで良く見るあるあるシーンの考察や分類、初出などのデータを集めた本などあったら読んでみたいものです。
そういえば、昔の特撮ヒーロー系やアクション漫画などで悪役がよく言うセリフ「飛んで火にいる夏の虫」という言葉がありますが、これは元を辿ると中国の歴史書、『梁書(りょうしょ)』に出てくる「飛蛾(ひが)の火に赴くが如し」という一文が由来のようですね。
リュックが腹パンチでティーダを気絶させるシーンなど。
森の中に埋めるシーンと富竹のシャツの謎
こういう有名なあるあるネタは、広く周知されてるので、ある意味ほぼほぼ無害なものかもしれないですが、中には嘘と真実の境目が微妙なネタもあったりしますね。たとえば、「ひぐらしのなく頃に」の「祟殺し編」や、「ザ・ファブル」などで見られる死体を森の地面に穴を掘って埋める≠ニいうぶっそうなシーン、これもこの2作だけでなく、他も映画などでもたまに見るそこそこよくある演出ですよね。これも実際には人目につかない程度にうっそうとした森の地面は木々の根っこが想像以上にビッシリと土の中を這っているので、人を埋めれるほどの穴を掘る時点でかなりの重労働となり、漫画のようにスコップ一本で一晩程度で穴を掘るということは非現実的なようです。
たしかに、田舎に帰省したとき、生ゴミを醗酵させて肥料にするための仕掛けを作るために大きめの木が生えている近くの地面を掘ったことがありますが、土の中を縦横無尽に根が張っていてちょっと深い穴を掘るだけでも大変でした。死体を埋めなきゃならない機会などほとんどの人には無縁ですが、それゆえに意外と疑問をもつことなく見過ごしてしまうシーンですね。ひぐらしでは、埋める行為よりも、その罪悪感の重圧に苦しむシーンのほうが鬼気迫るリアリティがありましたね。殺す行為よりも、殺した事実と今後一生向き合って背負っていかねばならない消せない重圧のほうが何倍も恐ろしいということを痛切に感じさせられました。ひぐらし解のEDソング「対象a」でも唄われているように、この作品を通して罪と罰の考察と哲学が根底にあって、グロテスクな表現も多々あるものの、いろいろと考えさせられる部分も多い傑作ですね。
ひぐらしといえば、何度も再プレイしていると「アレ?」と気付くシーンがあります。毎回ほとんどのエピソードで途中で他界して物語からリタイアしてしまう時報男≠フ富竹さんですが、最期の夜は綿流しの祭りの終盤、罰ゲームで圭一たち部活の面々からシャツにマジックで寄せ書きをされるシーンがあります。富竹さんのシャツはノースリーブの黒いシャツなので、そこにマジックで字を書いても見えないのでは?と、重箱の隅を突くような考えが毎回よぎるようになってました。まさか富竹さんがゲームでビリになることを予期して白いマーカーをわざわざ用意してたというのも不自然ですし、白い不透明マーカーが一般に市場に出る時代を考えても微妙なところもあります。
しかし、好意的に考えてみれば、それこそゲームのお約束で、キャラの同一性を分りやすくするため(プラス、作画の手間を省くため)に、キャラの服装はできるだけ同じコーディネイトで通すというのは多くの漫画やアニメなどではよくありますから、見た目は黒のシャツであっても、この時の実際の富竹さんのシャツは黒マジックの文字が見える程度の色味のシャツを着ていた、ということで良いのかもしれませんね。
クロス探偵物語の天蓋ベッドのあのシーン
何度かゲーム関連の記事でもふれてきた大好きなゲーム「クロス探偵物語」でも、そういえば気になるシーンを思い出しました。まぁ、フィクションの細かい矛盾などは基本的に気にしない主義ですが、あら探しというよりは、単純に「これは実際にどうなのだろう?」と気になったシーンがあります。最終話の「タランチュラ」で、犯人のモンスターの企みを事前に予期した剣は先に殺された山咲さんの死体を次の犠牲者予定の美樹夏子の部屋のベッドに寝かします。その晩、天蓋付きのベッドの仕掛けが作動して上の部分が落ちてくるのですが、美樹さんは剣の部屋に避難していたため無事で、美樹さんのベッドでは身代わりに山咲さんが重い天蓋の下で潰されていた、という場面です。それまで犠牲者が出ても冷静だったマークも「お前、山咲さんに祟られるぞ!」と動揺してましたね。
ゴダールの「アルファビル」で「死人の特権とは、二度と死なないことさ」というセリフがありましたが、もう死んでいる山咲さんが身代わりに天蓋の下敷きになってもまた死ぬことはないので、倫理的にはどうかと思うものの、初回プレイではとくに気にせず遊んでました。しかし、何度かプレイしてるうち、フト、こういうのは死体損壊罪に触れないのかな?という疑問が。モンスターを拘束してあとは警察の到着を待つばかりとなった一同は、剣とマークの存在を隠して現場から立ち去らせますが、これも後々残ったメンツは事情聴取で剣とマークの不在を偽証しないとならなくなりそうですし、山咲さんの死体が美樹さんの部屋に運ばれていた理由を聴かれた場合も、事前に口裏を合わせておかないと剣の存在なしに説明するのは難しそうです。そもそもモンスターもこの後すぐ逮捕されてるわけなので、モンスターが剣やマークに少しでも言及したらすぐバレますし、それ以前に何人もの死人が出ている館なので鑑識が細かく指紋などの痕跡を調べるでしょうから、剣とマークが館にいた事実はかなりの高確率でバレそうであります。鹿鳴館を無事に脱出した美樹さんをはじめパパラッチ石倉や制服フェチの今村などその他のメンバーは、後々取り調べで偽証が速攻でバレてこってり怒られてそうですね。
死体損壊については、剣も天蓋が落ちてくるというトリックまでは予想してなかったでしょうし、せいぜいモンスターが部屋に忍び込んで美樹さんと勘違いして山咲さんの死体にナイフを突き立てるなどの何らかの行為をするだろう、くらいしか思ってなかったわけで、そういう場合はセーフなのかどうか、法律に詳しくないので検索してみてもよく分らずモヤモヤするところでした。剣が損壊したわけではないものの、損壊の可能性が高い状況に死体を運ぶという行為ですし、微妙なところですよね。
そういえば、剣の父の死の謎を巡るキーパーソン、大川さんですが、彼の声をあてているのは今やベテランの谷山紀章さんなんですね。『街』ではご本人がジェロニモ役でイイ味の演技をしておられましたね。大川さんは、出番は少ないものの、剣の捜査の重要なポイントでちょいちょい手助けをしてくれるキャラで、しかも声優関連に疎い私でも知ってるような有名声優が声を当ててるということは、後々出番が多くなるはずの重要キャラなのではないか?という想像がふくらみます。真犯人、タランチュラの一味っぽい疑惑がふくらみますね。しかし、谷川さんのウィキペディアを見てみたら、クロスの出演は1996年に声優デビューしてから三年目で、まだ駆け出しの時代のようですから、著名声優が単なる端役の声をあててるはずがないという予想は的を射てなさそうです。
EVEシリーズも最初のバーストエラー以外は菅野さんの手を離れて作られてますし、クロスも神長さんが業界を引退したとはいえ、なんとかどこかのメーカーで引き継いで完結させてほしいものですね〜(もちろん玉置一平さんの作画で)
『街』の動物つながりのキャラの話
ゲーム話のついでに、クロスと同じくらい好きな『街 〜運命の交差点〜』ですが、こちらは最近「もしや?」と思った点があったので書いておきます。馬部と牛尾のシナリオは、登場するキャラのほとんどに動物の名前が入っているという、ユニークな縛りのあるシナリオで、主人公の馬、牛をはじめ、監督はカバ沢ですし、若き窪塚さんはサギ山でしたね。他のシナリオをまたぐキャラ、プロデューサーの木嵐も下の名前は袋郎(フクロウ)で、牛馬編や美子編では三枚目だった木嵐も市川編ではぐっとくる名演を見せてくれてたのが印象的でした。
シナリオをまたいで活躍するキャラというと、他には竜雷太演じるヤクザ組織、白峰組の組長、白峰忠道がいますね。この白峰親分ですが、それまでずっと気付かなかったのですが、この白峰ももしかしたら動物繋がりのキャラでは!?というのが今回の小さな発見です。つまり、白峰(しらみね=虱ね)では?とフト思ったのでした。ざっと検索したところ、とくにそういう指摘をしている記事がなかったので、書いてみました。もしかしたら意図せず偶然の可能性もありますが、何年もたってこういう小さな発見があると『街』への愛着もじわじわ深まりますね。