2025年05月20日

お話面白寳典(小林一茶、松尾芭蕉の話)

前回に引き続き昭和13年の少女倶楽部付録「お話面白寳典」より、有名な俳人 小林一茶と松尾芭蕉の俳句がらみのユニークなエピソードをご紹介します。まずは小林一茶のこんな話から・・・・

小林一茶

 小林弥太郎は俳名を一茶といって、信州の貧しい農家の生まれでありました。江戸へ上ってきて浅草蔵前にいた随齋成美(ずいさいせいび)を訪ねました。
「ごめんくださいまし」
「はい」
 取り次ぎの女中さんが玄関へ出ると、見るからに汚い着物を来た乞食のような旅姿の男が立っていました。
「あの、旦那さまはおいでなさいますか?」
 女中さんはびっくりして、家(うち)の旦那様はこんな乞食に知り合いがいるはずがないと思って、
「お留守でございます」
 と、即座に答えました。
「ああ、お留守なら仕方ない。いつごろお帰りでございますか?」
お帰りのほどはちょっと分りかねますが・・・・遠方へお出かけのようですから・・・・」
「奥様は?」
「奥様もごいっしょでございます」
「では、お家の衆は?」
お留守の男衆(おとこしゅう。男の奉公人のこと)がおります。めっぽう力の強い・・・」
そう言わぬとこの乞食が、女とあなどって何をするか分らぬので、女中さんは機転をきかせて予防線をはったつもりでおりました。
「ああ、さようか」
 一茶は驚きませんでした。
「それなら私は帰る、・・・・お戻りになられたら旦那様にも奥様にもよろしくお伝え願います・・・・こうして土産を持ってまいりましたが、どうしましょうか・・・・ああ、そうだ、ここへ撒いてしまいましょう」
 袋に入れた信州名物のそば粉を玄関に撒いたので、まるで雪がつもったようでありました。
「これは、私がこちらの旦那様にあげようと思って、わざわざ夜なべ仕事にひいてきた粉であります・・・・そう申してくださいな」
 この男はそう言いながら指先で白い粉の上へなにやら文字を書いて、
「はい、さようなら」
 と言い残して、そのままプイと出て行きましたが、驚いたのは女中さんでした。何かいわくがありそうなので、奥にいた主人の成美(せいび)に、この次第を打ち明けると、成美(せいび)は、
「そりゃ、一茶さんだ!」
 と、あたふたと玄関へ出てみました。そうして女中さんに後を追わせましたが、その時はもうどこへ行ったか、姿は見えなくなっていました。白い粉の上へ記されたのは次のような俳句でした。

 信濃では 月も仏と おらが蕎麦

「ああ、やっぱりそうだった!」成美(せいび)はその粉の上の文字を消すのが惜しいかのように、じっと見つめておりました。
それはこのような想いが込められた俳句でした。
信州は山の国。月の明るい晩は、とりわけそれが美しく見えるが名物のひとつ。長野にある善光寺も名物のひとつ。このふたつに加えて、もうひとつは私の手作りのこのそば粉であるぞよ。せっかく持ってはきたが、主(あるじ)が留守で残念だ

少女倶楽部第16巻第1号付録「お話面白寳典」 大日本雄弁會講談社 昭和13年1月1日発行 より

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たしかに女中さんの対応には問題があるにせよ、歴史に名を残す有名な文人のイメージからは大人げない気もしないでもないビミョーな逸話ですね。まぁ、人間らしいといえば人間らしくはありますが。しかし、やり場のない怒りをそのままストレートに女中さんにぶつけることなしに、得意の俳句で気持ちを伝えるところは粋ですね。

一茶がはるばる訪ねてきた随齋成美(ずいさいせいび)ですが、調べてみると、この人も有名な俳人のようです。随齋は俳号で、本名は夏目成美(なつめせいび)とのこと。この後に江戸で一茶の食事の面倒をみていたこともあるくらいに目をかけてくれることになる先輩俳人のようですね。そうなると、余計に件の一茶の行動も、もう少し寛容に対応しておけばよかった、と後々後悔したかもしれません。つくづく今も昔もアンガーマネジメントは重要な課題ですね。

この一茶のエピソードで思い出すのは、中国や日本において書聖として仰がれる書道界の帝王、王羲之(おうぎし)の以下のエピソードです。

王羲之は興に乗ると手近な物に字を書いてしまう習性があった。
ある日のこと、酒屋で酒を買って帰る時に、店の主人が酒代を請求すると、羲之は酒代の代わりに壁に文字を書いたという。主人がその文字を見ると「金」という文字であった。主人がその文字を薄く削って売ったところ、莫大な値になり、その主人はおかげで裕福になったという。
またある日のこと、嘗て門人の家に行き、机の表面が非常に滑らかなのを見てそれに字を書いたのだが、門人の父親がこの落書きを見つけて削ってしまい、後でこれに気付いた門人は、何日もふさぎ込んでいたという。
またある日のこと、羲之が町の中を歩いていると、一人の老婆が扇を売っており、彼は売っている扇の何本かに五文字ずつ字を書いたところ、老婆は「どうしてくれる」と色をなして詰った。すると彼は「『これは王羲之という人が書いたものです』と言って売れば、少し高くいっても、きっと買ってくれます」と言ってその場を立ち去っていった。数日後、同じ場所を通ると、先日の老婆が彼を見つけて、「今日はこの扇に全部書いてください」と頼んだのだが、彼はただ微笑んだだけで、そのまま立ち去っていったという。


書の達人らしいエピソードですね。そういえばピカソにも似たような逸話がありましたね。昨今、グラフィティと呼ばれるいわゆる違法な落書きがしばしば問題になってますが、そうしたグラフィティの被害に悩むガレージを所有するとある店主の貼紙が話題になったことがありましたね。うろ覚えですが「バンクシー以外落書き禁止!」みたいな感じだったと思います。王羲之の逸話も良く考えれば勝手に他人の売り物に文字を書いてしまうという非常識な行為でありますが、その非常識な男が誰あろう王羲之であるならば、常識も逆転して落書きも高価な美術品になってしまいます。

この世の価値というのは絶対的なものではなく、結局は人が欲しがるものに価値が生まれるわけですね。昔「誰でもピカソ」という番組がありましたが、考えてみると、浅いようでいて深いような気がするタイトルでしたね。誰でもピカソのような絵がかけるという意味にとると、容易いこと(ピカソ以降にピカソのように描いてもそれは模倣でしかないので)ですが、誰でもピカソのような天才性を潜在的に持っているのだ、という意味にとると、その潜在的な天才性を顕在化させない限りは意味がなく、顕在化させるにはそれなりに自分でがんばるしかないわけで、それは簡単ではありません。誰でもピカソであり、かつ、誰もがそのままピカソになれるわけじゃない、ということですね。また、天才というのは最終的には自分ではなく、世間が決めることなので、天才であっても必ずしも世間的に成功するとは限らないものでもあります。

むかしはピカソの良さが全く理解できませんでしたが、最近になって急にピカソに惹かれるようになってきました。それは、美術史的な、絵画の常識を破った前衛的な先駆者としてではなく、もっと単純に、あの味わいのある「線」の魅力によってです。ブルース・リーではないですが、「考えるな!感じろ!」という感じでしょうか。ピカソの良さに覆いをかけていたのは「ピカソを理解しよう」と思っていたからで、絵というものは理解するものではなく感じるものだ、ということに気付くと、とたんにピカソの絵≠サのものの味わい深さを素直に感じれるようになりました。ピカソの味わいがわかってくると、ベルナール・ビュッフェや池田満寿夫などの良さもわかるようになってきて、最近は美術鑑賞の愉しみの幅が広がったように感じます。


メモ参考サイト




次は、こちらも旅を人生の住処とした著名な俳人、松尾芭蕉のエピソードです。

ロウソクの心

 松尾芭蕉が、俳諧をはじめた頃、あるところの席へ招かれました。
 月のある美しい晩でした。一同、芭蕉翁を上座にすえて、俳諧のお話をしていると急にロウソクが暗くなったので、そこへ、この家の小僧さん(年少の使用人のこと)が出てきて、ロウソクの芯を切りました。昔は、電燈などというものはなかったので、こういう催しごとのあるような場合は、百目ロウソクといって大きなロウソクをロウソク立てに立てて、あたりを明るくしたのですが、時々、その芯を切らないと暗くなるのです。どうしたはずみか、小僧さんが芯を深く切りすぎたため、今まで燃えていた灯りがふっと消えてしまいました。
「こらっ!」
 この家の主(あるじ)というのが、ひどく短気な性分だったので、こう怒鳴りつけました。
「不調法をして、相すみませんでございます、どうかお許しください」と、詫びたが、
「お前が不行き届きだからこんなことになる、けしからん奴だ!」
 と、主はいきなり手をあげて、小僧さんの頭を殴りつけました。
 芭蕉翁も困ったことになったと思ったが、
「まぁ、ご主人、そうお怒りにならんで、わたしの話を聞いてください。・・・わたしが今、俳句を作るので、あなたは、後の句をつけてごらんなさい、何より勉強になりますから・・・」
と、申し出ました。
「かしこまりました。では、とにかく先生の前句をうかがいましょう」
「では申し上げます・・・
ロウソクの 芯切りすぎて 灯は消えぬ
こんな感じでいかがでしょう」
「さようでございますか、まぁたやすいことでございます。ありのままに続けたらそれでよろしいですかな」
「まずはそういった調子でどうぞ」
「しからば、一句できました!
小僧の頭 はりとばしけり=v
一同はどっと笑いました。しかし芭蕉は困った顔で「ロウソクの 芯切りすぎて 灯は消えぬ 小僧の頭 はりとばしけり=E・・、まぁ事実はその通りでございますが、そこを何とか美しく言い表してもらわねば困りますな」
「それなら先生ならどうなさいますか?」
主は問い返しました。どこまでも気が短い性格とみえます。
「そうですな、わたしならこう続けましょうか。
折りこそよけれ 山の端の月
 小僧さんがロウソクの芯を切りすぎたので、灯は消えた。しかしそのおかげでちょうど山の端にかかった月がかえって明るく見えてよかった、と詠みました。それが本当の俳諧の心というもので、あなたのようにいきなり小僧さんを殴りつけてしまっては、歌にも句にもなりません。句をつくるということは、何も文字を十七字に並べるということではなく、それによって人の心をみがくことなのでございます。そこをよくお考えいただきまして御修行願います」
 芭蕉翁にこう言われては主も大変後悔しましたが、おかげでその後はずっと場はやわらいだということです。

少女倶楽部第16巻第1号付録「お話面白寳典」 大日本雄弁會講談社 昭和13年1月1日発行 より

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こちらも天才俳人ならではの粋な逸話ですね。文人も、極まるとただ文章が上手いとか作品が優れているとか、そうしたことさえ超越して、人生そのものが俳句と一体になるような境地に達するのだろうなぁ、と感じさせます。芭蕉を招待できるほどの俳諧の席を用意できるということは、主催者もけっこうなお金持ちで、町の盟主的な権力者でもあるでしょうから、多少気になる言動があっても、かなりの覚悟がないと、なかなか注意したりするのは勇気がいることだと思います。芭蕉も人間ですから、かなり勇気を出して主催者を諌めたのでしょうね。だからといってストレートに注意したのでは角が立ちますから、このケースでは、俳人らしく俳句で場を治めていますね。文芸や娯楽だけの俳句ではなく、コミュニケーションを円滑に行うための術としてとっさに俳句を駆使できるところが流石松尾芭蕉ですね。

人はどんな正論であろうが、間違いを間違いだと指摘されるだけでも気分を害してしまうところがありますから、他人の過ちを角を立てることなく諌めるというのは、たんに言葉だけではなく、相手を納得させれるだけの説得力のある雰囲気や度量など、トータルな人間力がモノを言うようなところがありますね。同じ言葉も、言う人によって印象も説得力も変わってきますし、世の中、必ずしも正しいことが通じるとは限らず、その正しさも、人によって基準も常識も違うので、まったく他人とぶつかることなく人生を送ることはほぼ不可能でしょう。結局は多様な場面にうまく対処できる人間になれるように自分なりに成長していくしかないのでしょうね。他人を変えれるのは、自分を変えれた者だけなのかもしれません。
posted by 八竹彗月 at 15:37| Comment(0) | 古本
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