2023年08月04日

最近見た映画の話

ここ最近久しぶりに立て続けに映画鑑賞したので忘れないうちに感想でも残しておこうと思い立って、見た映画の中から面白かったものをピックアップしてレビュー記事のようなものを書いてみることにしました。

映画鑑賞といってもDVDですが、そういえばここ最近映画館に行ってないですね〜 直近ではアニメ映画の「アシュラ」(2012年)を映画館で見たのが最後なので、かれこれ10年くらい足を運んでいませんね。昔はイメージフォーラムのシアターで寺山修司の実験映画やブラザーズ・クエイのクレイアニメなどを見たり中野の怪し気な映画館でジョン・ウォータースの『ピンクフラミンゴ』を見てトラウマになったりと、そこそこ行動的でしたが、ここのところは自宅で見られるDVDなどのコンテンツも豊富なこともあってか映画館から足が遠のいています。よほど気になる作品があれば別ですが、やはり自宅でのんびりくつろいで見れるDVDが性に合ってるようです。今ではサブスクが主流のようですが、毎月見たい作品があるわけではないので、自分的にはレンタルやセルのDVDで見るほうが安上がりです。何年も全く映画を見なかったり、ふと気まぐれで一気に何本も見たりするような感じなので。レンタルビデオといえば最近はめっきり店舗数も減って、残った店も規模が小さくなってしまい、古い名作映画やマニアックな作品は直接DVDを買うとかしないと見れなくなってきましたが、話題作や人気作くらいはさすがにおさえてあるはずなので、逆にハズレを引くことも少なくなったと思えば良いのかもしれません。ということで、さっそくレビューに移りたいと思います。


ハッピー・デス・デイ
(2017年/アメリカ/クリストファー・ランドン監督)

インパクトのある不気味なお面の宣伝アートにビビりますが、レビューを読んでる限り、スプラッタもグロもなく、ホラーというほど怖くはなく、笑えるシーンすらあるとのことで、めっきりホラーが苦手になってしまった昨今の私でも問題なく見れそうなので見てみました。怖くないホラーというと、それってつまり面白くない映画ということでは?となりがちですが、この映画の場合は、怖いお面を被った殺人鬼という、「ホラー映画のお約束的な外形を踏襲したループもののSF青春映画」といった感じのユニークな作品でした。

自分が殺される1日間を何度もループする主人公のツリーですが、そのうちどうせ殺されるんだから何をやってもリセットされるんだし無茶苦茶やっちゃってもOKなのでは!?ということに気付いたツリーは、真昼のキャンパスのど真ん中で全裸で闊歩したりなど、SNSで炎上する方々のやりがちなことに挑戦しはじめます。ループもの作品を見ていていつも思う「自分だったらどうするだろう?」というのを様々な角度で実践してくれている感じが面白いですね。ひぐらしなどの往年のループものと違い、ループのスパンが一日と短いため、頻繁にループするのが新鮮で面白かったです。死ぬたびに毎回若い男のベッドで目覚めるのですが、ループするたび受け答えがちょっとづつ変化していくのが笑えますね〜 何度も殺されてるうちに慣れてきたのか不気味な殺人鬼に正面から物理攻撃で反撃していくところが新鮮ですね。この強い女性と意外と弱そうな殺人鬼という取り合わせもユニークで楽しかったです。

一応、死ぬたびに前回の死のダメージが蓄積されていくようで、無限に蘇れるわけじゃないらしいことに気付いた主人公は本気になって自分を殺した犯人をつきとめようと推理しはじめます。そうしたミステリー的な謎解きの面白さもあって、最後まで飽きずに一気に見れました。美術に関してはお面に力を入れてるくらいで、他はいかにも低予算のB級感があって芸術性は無い作品ながら、気負わず気軽に楽しめる娯楽作品としてはなかなかの作品だと思いました。殺害される瞬間は見せないなど、ホラー耐性のない層への気配りにも好感です。ループを通して主人公の内面的な成長を描いているのが良かったですね。ホラー関連では、最近話題の「ヴァチカンのエクソシスト」も面白そうですね。70年代にヒットしたウイリアム・フリードキンの『エクソシスト』は、マイク・オールドフィールドの素晴らしいテーマ曲も手伝って個人的に印象深い作品ですが、単なるホラーを超えて、善と悪との戦いという抽象性の高い哲学的な部分を具体的にビジュアルに表現したところが琴線にふれました。


イップ・マン 完結
(2020年/香港/ウィルソン・イップ監督/ドニー・イェン主演)

イップ・マン・シリーズは多いですが、やはりドニー・イェンのイップ・マンは格別ですね。ブルース・リーの師匠であったイップ・マンを主人公に据えたカンフー映画『イップ・マン 序章』(2008年)のヒット以来、数々のイップ・マンの映画が作られましたが、ドニー・イェンの演じるイップ・マンは『序章』『葉問』『継承』ときてこの4本目の『完結』で最終作になります。

今回はガンに冒され余命少ないイップ・マンの晩年を描いています。息子との親子愛を軸にした物語で、息子の留学先を見つけるために渡米するイップ・マン、すでにアメリカで成功しているブルース・リーとの交流を描くシーンも多く、今作も興味深いシナリオとなっています。数あるバトルシーンも見事で、キレのあるカンフーアクションは見ていて気持ちいいですね。

イップ・マンは実在の人物ですが、映画は史実に忠実であるより娯楽性を重視してほぼオリジナルストーリーになってます。ブルース・リーとアメリカで再開するエピソードもおそらく創作だと思いますが、まぁ、過去の偉人たちと同様に、いろんな尾ひれがついて神格化されていく過程をリアルタイムで見届けているようなところもあって面白いですね。

香港に残してきた息子の面倒を友人のポー刑事(ケント・チェン)に頼み、渡米したイップ・マンは、毎晩10時に自宅に来てもらっているポー刑事に電話を入れるのですが、このポー刑事がすごくイイ味の役者で、すごく惹かれました。ドニー・イェンの他のイップ・マン・シリーズにも出演していますが、このポー刑事役のケント・チェンはウィルソン・イップ監督の下積み時代にとても良くしてくれた恩人でもあるそうです。香港のイップ・マンの自宅で電話番をしているだけの地味な役所ながら、その人間味溢れる魅力的な演技に癒されました。

そういえば、ジャッキー・チェンの『蛇拳』『酔拳』の師匠役で知られるユエン・シャオティエンも素晴らしい存在感の役者でしたね。ジャッキーの演技と同等くらいにこの方の演技もほれぼれして見てました。師匠役をこなすだけあって香港映画界で初の武術指導をした人物でもある達人のようです。wikiによれば、武術指導というと、とくに彼の活躍していた時代は体罰当たり前みたいな風潮だったそうですが、シャオティエンは弟子や役者を殴ったりして教えるようなことは一切なかったそうで、そういう面でも周囲の人から尊敬されていたそうです。香港映画には、日本にはあまり見ないこういうタイプの味わいのある役者がたびたび出てくるので楽しいですね。

実際のイップ・マンの人物像も、やはりユニークで実直な方だったようですね。

表情だけを見ても、歳をとるたびに味わい深い素敵なイイ顔になっていきますね。

ジャッキー・チェンの『蛇拳』『酔拳』の師匠役の人。


カンフー・ハッスル
(2005年/中国、アメリカ/チャウ・シンチー監督・主演)

事前情報無しで、ジャケットの紹介文程度を斜め読みして勢いで借りた作品でしたが、思いのほか面白く、個人的にはかなりの掘り出し物でした。強い男になりたいということが行動原理の主人公のシン。強さに異常に憧れる原因は幼い頃のイジメ体験でした。唖者の少女がいじめられているのを助けようと、覚えたてのカンフーでガキ大将グループに喧嘩を売るがあっさりやられてしまい、屈辱的な仕返しをされたというトラウマがシンにあります。そのトラウマが冷酷非道なギャング団に憧れて不良の道を突き進むきかっけになったのでした。

とある貧民窟となっているボロアパート(といってもどことなく世界遺産「福建土楼」を思わせる凝った建築の貧乏長屋で、建築としても面白い造形です)に恐喝に出向くシンとその相棒でしたが、そこはただのボロアパートではなく、カンフーの達人たちが住んでいるとんでもないアパートだった!というのが序盤です。ここから凄まじいトンデモ展開をしていくのですが、さすがは『少林サッカー』で名を馳せた監督だけあって、『少林サッカー』の上を行くトンデモ展開と、ベタながらも心がキュンとするペーソスが実に巧みに構成されていて、心地よい笑いと感動を体験させてくれました。

男塾を実写化したような中二病全開のシュールで痛快な数々のバトルシーンは圧巻です。クライマックスの大技「如来神掌」のとてつもない壮大な奥義は、前代未聞の最高の迷シーン(褒め言葉)でした。感動と笑いを同時に感じさせてくれる希有な作品でとても楽しかったです。


ブータン 山の学校
(2019年[日本公開2021年]/ブータン/パオ・チョニン・ドルジ監督)

世界一幸福度の高い国として知られるブータン。そのブータンの僻地にある電気も通っていないヒマラヤ山脈の標高4800メートルにある実在の村ルナナ。そこに赴任することとなった現代っ子の教師ウゲンの視点で、短くも濃密な村人たちとの交流を淡々と描いている作品です。主人公のウゲンはオーストラリアに渡ってミュージシャンになりたいという夢があったので寒村への赴任は乗り気ではなく、最初はふてくされて村人にも不遜でぞんざいな対応ばかりしていましたが、村での生活に慣れ、村人の優しさに触れていく中で、心を開いて村のためにがんばるようになっていきます。

まずびっくりするのは街から赴任先に行き着くまでに8日もかかるところです。この序盤の描写から「いったい国内移動に8日かかる村とはどんな僻地だろう?」という興味で画面を追っていくことになります。途中途中で、通過する村の名前と標高が字幕で出るのですが、標高が高くなるたびに村人の数は減っていき、人口0人という村も出てきてあっけにとられます。人口0人の村よりも標高が高い村に目的のルナナがあるのですが、この序盤の山登りの描写も好きな場面です。

日本から地球の裏側であるブラジルまで飛行機で1日弱という現代において、自国内の村まで8日もかかるというのがものすごいですよね。アフリカの道路も舗装されてない僻地などは、ジープなどで移動したりなどはテレビの旅番組などで見かける映像ですが、高地の僻地となると、車も走れない山道を歩かないとらならず、橋もかかってない川をそのまま横断したりなどで、「なるほど、これでは8日かかるのも無理はない」と思わせるリアリティのあるシーンが続きます。山での遭難避けのおまじないで、石を積み上げて神に祈るシーンがありますが、これなどはFF10の序盤でビサイド村の山の頂上にある奇石に旅の無事を祈るシーンを思い出しました。神に道中の無事を祈るという習慣は、昔は全世界どこにでもあった習慣だと思いますが、ルナナに住む人は、山を上り下りするたびにこうした習慣を続けているわけで、人類の多くが忘れ去ってしまった文化が生き残っているというのも感慨深いものを感じます。

ルナナに着いてさっそく第一回目の授業の日に寝坊して、山の学校のクラス委員の少女、ペムザムちゃんに起こされるシーンがありますが、彼女がこれまたとてもチャーミングで、彼女の清涼でイノセントな微笑みにハッとさせられました。とくに彼女が大活躍することはないのですが、彼女の存在はこの作品をラストまで興味を持続させる重要なモチベーション的な存在で、広告美術にも微笑んでいる彼女の写真が使われていますね。

物語としては、特別な起伏があるわけではないシナリオながら、それが逆に厳しくも美しく壮大な自然の映像美を際立たせていて癒されます。淡々と寒村の日常を描いているわけですが、日本での一般的な日常とは全く違う異世界でもあるわけで、寒村ルナナでの日常には、今の自分の置かれている日常の有り難さと共に、今の自分に何が欠けていいるのか、ということも教えてくれるようなところがあって、壮大な自然を見ながら、人間の進むべき方向は今のままで良いのだろうか?もっと別の方向はないのだろうか?など、いろいろと考えさせられる映画でした。自然に回帰したいという思いもあるものの、引き換えに現代の便利な文明を捨てれるか、といえばそこまでの覚悟はなかなか難しいわけで、世の中そう簡単にいいとこ取り≠ヘできないものなのだなぁと映画を見ながら感じていました。

物流に乏しい村なので、火をたくにも薪などではなくヤクという牛の仲間のフンの乾燥したものに火をつけて使います。貴重な労働力でもありミルクを与えてくれたりなど生活の多くを支えてくれているヤクはこの村では神聖な動物で、家族同然に飼われています。村人の全てがヤクに捧げる歌まで作って歌うところなど、もののけ姫のような世界観がそのまま息づいている感じが興味深かく、心が洗われるような清涼感のある作品でした。


まだ見ていないけど気になってる作品
『黒薔薇の館』と『非現実の王国で』の話

まだ見ていない気になってる作品をあげるとすれば、今の所パッと思い浮かぶのは、深作欣二監督、美輪明宏主演の『黒薔薇の館』(1969年)と、アウトサイダーアートの筆頭、ヘンリー・ダーガーの自伝的映画『非現実の王国で』(2004年・アメリカ)です。『黒薔薇の館』は、『黒蜥蜴』のヒットに続いて作られた作品で、これまた丸山明宏時代の美輪さんの耽美な存在感がすごそうなのでぜひそのうち見たいですね。『非現実の王国で』は、ヘンリー・ダーガーへの興味もさることながら、トム・ウェイツがテーマ曲を歌っているというところも興味を惹かれました。アウトサイダー・アートが90年代のアートシーンの話題だった頃に、その特異な創作スタイルと人物像によって一気に注目をあびたのがヘンリー・ダーガーでしたね。ダーガーはひとりの偏屈で人間嫌いな低所得層の掃除夫としてひっそりとした毎日を送っていましたが、仕事を終えて自室に戻ると退屈な毎日に抗うようにコツコツと壮大な物語を構想して描きつづけていました。

ダーガーの晩年は階段を上がるのも困難になってきたためアパート暮らしを断念し老人施設に転居したそうですが、転居して1年も待たずに死去。アパートの自室に残された持ち物は生前のダーガーに捨ててくれと頼まれた大家でしたが、その膨大でユニークな作品に魅了され、捨てずに大切に保存し、あえて世に出すことでダーガーの希有な才能の真価を問いました。この世を旅立ったとはいえダーガー本人にしたら「捨ててくれ」と大家に言うほどなので、おそらく自分の作品は黒歴史のようなものだったのでしょう。それが死後とはいえ世間に向けて自分の作品が発表されてしまうというのは、あの世でダーガーがどう思っているのか気になる所です。黒歴史が白日の下にさらされた羞恥に悶え苦しんでいるのでしょうか?あるいは、外見上は地味で寂しく終えた自分の人生でたったひとつ残された自分が生きていた証(あかし)が世界中に認められた幸運に歓喜しているのでしょうか?

アウトサイダーアートが注目を集めてから、ダーガーの展覧会は日本でも何度かありましたが、ダーガーの日本版の画集が出た時期あたりに私も都内のギャラリーで催されたダーガー展に足を運びました。横長の大きな模造紙いっぱいに描かれたサイケデリックな非現実の王国で舞うように戦う少女たちの姿を描いた作品群は圧巻でした。『黒薔薇の館』と『非現実の王国で』、どちらの作品も中古DVDを手に入れて見るしかなさそうですが、そこそこプレミアがついているので決断に迷う所です。見たい!というボルテージが高まってきた頃合いを見て手に入れて鑑賞したいと思います。
posted by 八竹彗月 at 12:20| Comment(0) | 映画
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