2019年06月15日

タイムマシンにお願い!・その2(タイムマシン関連の雑記)

先のタイムマシン関連の記事の補足的な感じで、タイムマシンに関する余談をあれこれ語ってみたいと思います。

190615-TM-icon.pngタイムマシンのある生活

タイムマシンという夢のマシーンに憧れるのは、それがあれば人生をもっとパーフェクトなものにできるのではないだろうか?という願望でもあるでしょうね。昨日に戻ってあの会社での失敗を取り消したいとか、未来に行ってこれから起こる事業の失策などがあれば回避したい。あるいは、過去のアクシデントで壊してしまった骨董の花瓶が壊れる前に戻って破壊を回避させたいとか、未来に起こる災害や事件を知ってあらかじめ対策をたてておきたい、など。たしかにタイムマシンがあれば、理想の人生、はては人類永遠の夢である戦争の無い世界すら可能になるかもしれませんね。

しかし、本当にタイムマシンが実現して、それこそ自動車に毛の生えたような日常的な乗物になっている時代が来たとしたら、本当に私たちは幸福になれるのか?と考えると、それもそれで疑問に思えてきます。過去は修正がきかないからこそ私たちは「今」にベストを尽くそうとするのですし、未来が不確かでも、それでも何かを信じてチャレンジするからこそ成功の達成感もあるわけです。タイムマシンがあれば、誰もが失敗することのない人生を送る事ができるかもしれませんが、失敗した経験が無いということは、本当に幸せなのだろうか?とも思えてきます。失敗が無いということは、成功しかない人生ということになりますが、失敗が存在しない世界は成功という概念も無い世界です。欠乏感がなければ学ぼうとする気力や動機を自発的に保たねば成長できませんから、心が幼いままで一生を終えてしまう可能性もあります。ヴィヴェーカーナンダの名言に「失敗は人生の美であり、それがなかったならば、どこに人生の詩があるだろうか」「幸福よりも一層多くを教えてくれるものは不幸である。富よりも一層多くを学ばせてくれるのは貧乏である。また、内面の火をかきたててくれるのは、賞賛よりも攻撃である」という言葉がありますが、まさしくこの世は、人も歴史も、まるで物理法則のように例外無く、幸と不幸が波のように繰り返すようになっていますから、幸福のみを求めるという不可能状態を夢見るよりは、不幸からいかに学び成長できるかということに着目していったほうが、結果的には人生を幸福なものにしていくことになるのかもしれませんね。

とはいうものの・・・視点を変えてみれば、タイムマシンが当たり前に存在する世界には、そういう世界なりの苦労があるでしょうし、実際は意外と問題なくうまくやっていくのかもしれないなぁ、とも同時に思います。洗濯板で家族の服を洗っていた時代に「洗濯機なんて普及したら人間が怠惰になってしまう」と心配したり、PCが普及しだした時代に「コンピュータに仕事を奪われてしまう」と懸念したりするようなもので、実際は洗濯機によって楽になった分、別のところに時間を配分したり、生活の質を高めれるわけですし、コンピュータ社会なりの新しい仕事(プログラマやオペレーターなど)がたくさん生まれました。そのうえコンピュータによって仕事の効率が上がったり利便性が高まったりするメリットのほうがあたったりしたわけで、タイムマシンも変に心配しなくても、あったらあったなりに上手く運用しながら意外と大した不都合無くやっていけるのかもしれませんね。いくら過去や未来を書き換えることが可能になろうとも、人間の喜びや苦しみは物質的な問題ではなく心の問題ですから、タイムマシンがある時代には、そういう時代なりの心の問題がありそうですし、そういう時代なりの苦労や試練もでてくるのでしょう。

タイムマシンよりは実現の可能性の高い、来るべき未来のテクノロジーの筆頭にクローン技術やAI(人工知能)がありますが、これらも似たような問題がありますね。どちらも実現すれば人の幸福に多大な貢献をしてくれそうな技術ですが、同時に倫理的な面などで懸念や不安がささやかれているのもご存知の通りです。クローンもAIも、つきつめれば「人間に限りなく近い新しい存在の人権などをどう考えるか」などの複雑な問いを含んだところがあって、なかなか明確な答えが出しづらい問題です。クローン技術は最終的には人間の複製をも可能にするはずですし、AIも最終的には人間と同等の知能や感情、はては人格まで持ったコンピュータに行き着きます。そうなれば、単に倫理だけの問題ではなくなり、そういった存在を社会的にどう扱うべきか、という法整備などが必要になりますから、人間社会にとってだけでなく、個人個人にとっても、革命的な意識改革が必要になってきそうですね。

しかし、多分、それらの技術も、かつて産業の機械化やコンピュータなどの先進技術が当初は漠然とした不安をもって迎えられていたようなもので、普及して一般化してしまえば、そういったものが当たり前に存在する社会なりのシステムに安定していくのでしょうし、意外と上手くやっていけてしまいそうでもあります。



190615-TM-icon.png時間停止と加速剤

日常的な時間から逸脱した世界のロマンというと、「時を止めた世界」というのも興味深いものがあります。これもSF漫画などでたまに見かけるモチーフですね。そういえば昭和のアニメに「ポールのミラクル大作戦」という作品がありましたが、その作品では異世界に行くための入り口を開くための段取りとして、時間停止の描写が演出されていてユニークでしたね。

最近はアダルト動画でも「時間を止めた世界でエッチなことをする」といったタイプのジャンルが流行ってるようで、こういうドラえもん的な道具でエロ的な世界を描く作品というのは、どこか少年時代のドキドキするようなエロティシズムがあります。しかし実際に時間が止まるわけではないので、そういう系のビデオに出演する女優さんは、カメラが回っている間は瞬きが出来ないためにかなり大変みたいですね。エロの世界でも裏では見えない努力によって支えられているんだなぁ、と感心してしまいます。少年漫画でも、昔ジャンプだったかチャンピオンだったかの読み切り作品で似たような「時間が止まった世界でエロいいたずらをする」的なエッチな作品を読んだ記憶がありますが、そうしたものがヒントになって出来たジャンルなのかもしれないですね。

止まった時間モノは、自分以外、あるいは自分と特定のキャラ(時間を止めれる能力者など)以外の世界の時間の流れが止まる、という設定のものですが、実際に時間が止まった世界を考えるといろいろ破綻する部分が多く、タイムマシンものよりもそれらしい理屈を考えるのが大変そうなジャンルでもあります。エロ系の話の場合は適当に、単純に自分以外の全てが止まった世界、ということで済ませてますが、時間が止まるということは、光も進まなくなるので暗闇になりますし、分子の動きまで止まりますからモノに触れば鬼のように冷たいでしょう。時の止まった世界で、女子の胸を触ってもダイヤモンドより硬いはずですし、そもそも空気との摩擦もものすごいものになりそうですから、歩くどころか、ちょっとの身動きも大変そうです。空気の振動も無いので音も聞こえないでしょうから相当に寂しい世界でしょうね。時間が停止した世界というと、ビデオを一時停止したような、静止画のような単純な世界ではなく、上記のような寒く、暗く、音も色も無い、退屈と苦痛だけしか無いような、まるで地獄のような世界でしょうから、実際には時を止めてみても良い所はほとんどなさそうですね。

H・G・ウェルズのアイデア「加速剤」は、そうした不都合を緩和するアイデアで、自分の身体能力の全てを異常に加速させる薬を飲むことで、筋肉だけでなく思考も加速するため、周囲の時間が遅く流れているように感じるようになる、という架空の薬です。この加速の程度によっては、ほとんど周囲の世界の時間が止まった状態になるのですが、主人公視点でもわずかづつ時間は流れるため、光の問題などはクリアできますし、話にもそれなりにリアリティを持たせれる良いアイデアだと思いました。ただ、やはり他者の肉体の反応や物理現象も遅くなるので、人間の体に触ってもカチカチに固いんでしょうね。

加速剤はSFの世界にしか存在しない架空の薬ですが、LSDなどの幻覚を誘発する系の麻薬は、視覚的な混乱だけでなく時間の感覚も歪んでくるらしいので、そういう意味では実在する「時間を操る薬」のようなところがありますね。違法な薬物ですし、余計なリスクは抱えたくないので、まぁ試す機会は無いと思いますが。依存性はほとんど無く、むしろアルコール依存の治療薬として使われていた薬みたいですが、とりあえず現代では、仮にチャンスがあっても「君子危うきに近寄らず」というのが一番ですね。

LSDは1950年代前後に本格的な研究がはじまった新しい薬だったため、60年代半ばくらいまでは法整備が整っていなかったようで、アメリカを中心とした当時のアーティストやヒッピーなどの間でLSDによるトリップ体験をテーマにしたアートや音楽などの分野でサイケデリックなサブカルチャーが流行りました。画家の横尾忠則さんも若い頃にアメリカでLSDを体験していたそうで、そういうエッセイを昔読んだ覚えがあります。数人で友人の部屋でLSDを服用してとんでもないリアルな幻覚を見たそうで、尿意をもよおしてトイレのドアを開けたら、いきなりドアの向こうがナイアガラの滝になっていてびっくりした、というようなエピソードを読んだ記憶があります。60年代のレコードジャケットやポスターなど、サイケデリックアートは60年代のサブカルチャーの代表みたいなところもあり、そういったアートで表現されてるような原色がチカチカするめくるめく虹の世界が実際に見えるというのは楽しそうでもあり、また恐そうでもありますね。

自然界を見ると、生物の寿命は数百年も生きる貝(ホンビノスガイ)とか、250年ほど生きると言われるゾウガメなどもいれば、一年の寿命のハツカネズや、わずか一日で寿命が尽きるカゲロウの成虫などさまざまです。ということは、以前話題になった『ゾウの時間ネズミの時間』で言及されているように、それぞれの生物が体感している「時間」は、おそらく人間が感じるような早さでは流れてなくて、寿命の短い生物にとっての時間は速く流れ、寿命の長い生物の時間は遅く流れているのかもしれません。そうして見ると、ネズミが見る人間は、まるで加速剤を服用したSFの主人公のように超スローに動いているように見えてるのかもしれませんね。

そんな感じで、加速剤を使えば時間がゆっくり進む世界を体験できますが、逆に自分が加速するのではなく、ひとつの街全体の時間が遅く進む世界を描いた作品もありましたね。タイムマシンものばかり書き続けた時に憑かれた作家″L瀬正の短編、「化石の街」という作品がそれです。アメリカの片田舎に住む26歳の青年が主人公で、休日に趣味の写生をするために遠出して立ち寄ったある町の様子がおかしい事に気づきます。町の人がみんな蝋人形のように凍り付いたように固まっていているのです。何か伝染病のようなものがこの町に蔓延しているのか、などと青年は不安になりますが、次の日またその町に来てみると、昨日と同じ場所にいた人がわずかにポーズが変わっていることに気づきます。実は、この町は、街ごと時間が異常に遅延しているようで、24時間で1秒程度しか時間が進まない町なのでした。という感じの内容です。主人公の青年が書き残した遺書という体裁の短編で、映画「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」みたいなドキュメンタリー風なノリで書かれていて、不思議な味わいのある面白い作品です。広瀬正著『タイムマシンの作り方』(集英社文庫)にも収録されていますが、タイムマシン系のアンソロジーにもよくチョイスされる作品です。

メモ関連サイト
時間停止(ニコニコ大百科)
時間停止の能力を持ったアニメなどのキャラの紹介が列挙されていますが、時間停止って思ったより意外とたくさんの作品で重宝されているんですね。

ゾウの時間・ネズミの時間 本川 達雄 氏 - こだわりアカデミー (「at home」様のサイトより)
90年代初頭に話題になった『ゾウの時間ネズミの時間』の著者であり、生物学者の本川達雄氏への興味深いインタビュー。ネズミとゾウはどちらも心臓は一生のうちに15億回打って止まるようです。しかしネズミは短命でゾウは長寿です。これは、鼓動の速度が異なるせいで、ネズミは一回の鼓動が0.1秒であるのに対しゾウは3秒とのこと。人間の尺度で感じる時間だけが唯一の時間ではなく、生物ごとにそれぞれ独自の時計を持っているのだ、といった話を筆頭に、とても興味深いテーマを語っていて勉強になります。

ポールのミラクル大作戦 第1話「よみがえったベルト・サタン」(YouTubeのTatsunokoChannel様より)
タツノコプロの公式チャンネルで公開されている懐かしの昭和アニメ「ポールのミラクル大作戦」です。この作品では異世界に参入する前段として時間停止を扱っています。9:03あたりから時間停止の描写がありますが、時間が停止した世界をモノトーンの版画のようなタッチで表現していて、とても秀逸な演出ですね。時間が止まった世界は、上述したようにビデオの一時停止のような単純な世界ではなく、原子の運動も止まった凍てつく状態でしょうし、光の運動さえも停止した暗黒の世界だと思うので、まさにこのアニメの凍てついたような冷たさのある時間停止の演出には妙なリアリティを感じます。時間停止した世界でオカルトハンマーなる魔法のハンマーで適当な場所を叩くと異世界の扉が開く、という段取りなのですが、この異世界への扉の紋様も雰囲気がありますね。どことなくFF10の「試練の間」のスフィアを置く場所にある不思議な「印」のデザインを連想させる感じで、いかにも不思議な世界にありそうな感じがグッときます。



190615-TM-icon.png時の旅人・サンジェルマン伯爵とジョン・タイター

タイムマシンの製造は不可能であることの根拠のひとつに、「歴史上タイムマシンが訪れたという記録がない」というものがあります。タイムマシンが時間を自在に移動できるなら、すでに過去のいろいろな時点に未来人が来てるはずで、未来人が歴史的な大事件に調査に訪れたり、歴史上の人物に会見したりした記録がたくさん残っていてもおかしくないはずです。なのに、それらしき記憶が全く無いということは、そもそもタイムマシンの製造は不可能で、どんな遠い未来においても作られることはないのではないか、という推論があります。これは、至極真っ当な指摘ですが、本当に未来人が過去に干渉した証拠は皆無なのかというと、意外とそうでもなく、真偽が不確かながらも、オーパーツ的なものとか、それらしい痕跡がいくつか発見されているのも事実です。

そういった逸話の代表格というと、不死の人とか、時の旅人とか言われたサンジェルマン伯爵が有名ですね。彼が食事をしているところを見た人はないないとか、何十年たってもいつも40代前の精悍な風貌で全く歳をとらなかったとか、様々な分野の専門知識があり、音楽、絵画にも熟達した芸術家でもあり、錬金術にも通じていてときおり人前でその秘術を披露したとか、かなり謎めいた人物であったようです。ルイ15世、ルイ16世をはじめ、1700年代の社交界において実際に彼と面識を持った貴族や識者、著名人は多く、不死者かどうか別にして、サンジェルマン伯爵なる人物が実在したのはたしかなようですね。

190615-Saint-Germain.jpg
サンジェルマン伯爵の肖像画

同時代の哲学者ヴォルテールはサンジェルマン伯爵を「決して死ぬことがなく、すべてを知っている人物」と評したとのことで、当時の知識人からも、その超人的な博識ぶりは本物だったのでしょう。また、過去の歴史的事件をさも実際に立ち会ってきたかのように話したりしていたことから、不老不死というよりは、彼はタイムトラベラーなのではないか、とまで言われるようになります。不老不死とかタイムトラベラーとか、一般にはトンデモなオカルト系のイメージがありますから、このサンジェルマン伯爵の超人的なエピソードのほとんどは彼のホラ話なのでは、という見解もあり、たしかに常識で考えれば、そっちのほうが理性が納得する解釈で、オカルト関係に寛容なコリン・ウィルソンでも彼をペテン師のような感じに捉えているみたいです。しかし、ホラ話であるという証拠もなく、ただのホラ吹きにしては上流社会のマナーに通じていたり、博学だったり、裕福な生活をしてたりしていたようで、タイムトラベラーかどうか別にしても、そうとうに超人的な人物で、かつ私生活が謎に包まれたミステリアスな人物であったのは事実みたいですね。個人的に思うに、タイムトラベラー説は置いとくとしても、ただ者ではなさそうですし、それなりに別の面白い真相がありそうな気もします。

そういえば諸星大二郎の傑作『暗黒神話』の中では、武内宿禰(たけうちのすくね。4世紀前半頃、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五朝にわたって朝廷に仕えていたとされる伝説上の人物)の正体はサンジェルマン伯爵だった、というユニークな仮説を描いていて面白かったですね。

サンジェルマン伯爵の生まれは通説では1700年前後といわれていて、主なエピソードも18世紀ヨーロッパにおけるものがメインですが、マリーアントワネットの処刑も前もって知っていたかのように予言めいた忠告を残していたとか、はては聖書のヨハネ福音書に書かれているカナの婚礼のイベントに立ち会ったとか、古代の出来事も体験談のように話していたそうです。また、サンジェルマンは1784年2月27日にリューマチと鬱病を煩い死去したという記録がドイツのエッカーフェーデ教会の戸籍簿に記録されているとのことですが、その翌年にはドイツのヴィルヘルムスバートで開かれた秘密結社の集会に出ていたという記録や、さらに死後7年後の1791年にはアントワネット王妃の侍女アデマール夫人と会って話もしたようで、生前の彼を知っている夫人は幽霊が現われたのかと驚いたほどその人物の容姿はサンジェルマン伯爵と瓜二つだったようです。彼女は伯爵の葬儀にも参列していたそうなので、見間違いとも断言しがたく、また彼は自身をサンジェルマン本人を名乗っていたようなので、これも不思議なエピソードです。

他には、ナポレオンと会ってたとか、第二次大戦中にチャーチル首相に会い、ヒトラー戦の助言をしていたとか、謎めいた噂も多いですね。こうした逸話を、サンジェルマン伝説に尾ひれがついて広まったデマ話と片付けるのは容易ですが、ヨガナンダの本に出てくるヨガナンダの師匠の師匠のそのまた師匠であるヨガマスター、ババジも似たような不老不死の神人として書かれてますし、サンジェルマンのような達人(アデプト)がこの世に一人や二人くらいいてもらったほうが楽しい世界になりそうです。

そういえば、タイムトラベルもののヒット作、「シュタインズ・ゲート」に、件のサンジェルマン伯爵の現代版であるタイムトラベル界のニュースター、ジョン・タイターが何度か言及されていましたね。「シュタインズ・ゲート」におけるタイムトラベルの理屈は、ほぼこのジョン・タイターによる時間理論を元にしたもので、タイターの言及している「世界線」などの解釈はなかなかユニークで興味深いものを感じます。ジョン・タイターは、2000年にインターネット上に現われ、自称2036年からやってきた未来人を名乗り、その書き込み内容がそれなりにリアリティのある理論や設定であったために、一躍世界的な有名人になっていったようです。未来人を名乗っているだけに、未来に起こりうる歴史的な事件などを予言したりもしていますが、予言内容を見ると、中国の宇宙進出とか当たってる予言も少しありますが、ほとんどはハズレてるので、こちらはやはり本物の未来人と見るには少し条件が足りない感じがします。まぁ、実際、それらしいネタをネットに投下して楽しんだ愉快犯というのが常識的な見方だとは思います。しかし、時間旅行の理論や、タイムマシンの構造など、なかなかそれらしい感じではありましたし、予言が外れる事も「世界線のズレ」による影響という解釈によって、それなりに説明に整合性を付けてる所が芸が細かく、また、ネットから消える最後まで野暮なネタバレをしないまま去ってくれたおかげで、完全否定もまた出来ないままロマンの余地を残してくれた感じではありますね。

考えてみれば、タイターがいなければ「シュタインズ・ゲート」も無かったわけですから、彼は少なくとも日本のゲームやアニメなどのサブカルチャーにはそれなりの影響を与えたわけです。サンジェルマンのほうは、数ある不思議な逸話のほとんどは多少尾ひれがついていると思うものの、かなり謎めいた怪人物には違いなさそうではあります。タイムトラベラーかどうかわかりませんが、魔術師的な能力はかなりのレベルだったのではないかと推察します。

サンジェルマンもタイターも冷静に考えればタイムトラベラーと断定するには疑問の余地がありますが、完全否定することを少し躊躇せざるをえないくらいには「それっぽさ」があって、もしも正体が単なる詐話師であったにせよ、彼らの言動がこの世界をちょっと面白い愉快なものにしてくれているのは確かですから、そう考えると、ある意味人々に夢を与えて社会貢献している立派な人たちのようにも思えてきますね。

メモ関連サイト
サンジェルマン伯爵(ウィキペディア)

ジョン・タイター(ウィキペディア)
posted by 八竹彗月 at 04:21| Comment(0) | 雑記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: