2019年02月27日

ネット空間のシミュラークル

ネットに流布されている有名ないくつかの名言の出所を調べていくうちに、なんか面白くなってきてテンションがあがってきました。書いていたらなんとなく筆が乗ってきたので、今回の記事はかつてネット空間に跋扈していた懐かしい都市伝説や最近見かける怪しい名言などをテーマに勢いで書いてみました。

喫茶店911の都市伝説「Q33NYC」

911事件のショックが世界を覆っていた当時、とある興味深い話が世界中を飛び回ったことがあります。911、つまりアメリカ同時多発テロ事件ではさまざまな都市伝説が発生しましたが、事件から間もない時期にメールなどを通じて世界中に拡散されていた「Q33NYC」の噂は、私も最初は驚きました。当時からけっこう騒がれた都市伝説なのでご存知かと思いますが、「Q33NYC」とは、ツインタワーを崩壊させたテロリストが乗っていた航空機の機種番号で、これを「Wingdings」というフォント(絵文字記号のフォント)で、変換するとテロ事件の予言が現われる!といったものです。つまり何年も前からこのテロは事前にシナリオができていたのだ、という都市伝説ですが、後にさらに拡散されていく中で、「Q33NYC」は機種番号ではなく、ビルに突撃した飛行機の経路を示す『クイーンズ区の33番通りニューヨークシティー』を意味している、というふうに変化していきました。件の飛行機の機首番号はQ33NYCではありませんし、飛行機の経路も実際は噂とは全く違った経路になっていることがほどなくしてあきらかになり、騒動も急速に下火になっていきました。噂が発生して間もない当時、日本ではこの噂の真偽を確かめている記事がどこにもなかったので、海外のフォーラムなどを翻訳かけながら調べた覚えがあります。うすうす思っていたとおり、あの「Q33NYC」の噂は全くのデマであると説明している海外のブログがあって、個人的には「な〜んだ」ということで決着しました。この頃から、なんでも一応調べてみるのは大事だなぁ、と感じたものでした。

190227-Q33NYC.jpg
「Q33NYC」をWingdingsという絵文字フォントで変換すると、いわくありげな絵文字が羅列されます。「33」が便せん2枚に置き換わりますが、二つ並ぶとたしかにツインタワーに見えますね。左から見ると、飛行機がツインタワーに向かって悲惨な結果(ドクロ)になる、という感じの並びの後にダビデの星とグッドを示す手首、というのが意味深です。まぁ、そうなるように組んでから逆算したのが「Q33NYC」というのが真相なのでしょう。しかし、単純にそれで片付けるのもモヤモヤしたところがあります。それは、このフォントで「USA」を置き換えると以下のようになるという事実です。
190227-USA.jpg
「USA」という単語をWingdingsで変換すると、今度は十字架と流血とピースサインという意味ありげな不気味な並びになります。十字架はキリスト教の国を意味するのか、あるいは墓標を意味するのか。「キリスト教に血が流れし後に平和がくる」というメッセージであるとか、それらしい解釈もあるようですが、意図的でないにせよ、Wingdingsというフォントには何かタロットカードのような占術的な意味合いのツールとして使えそうな不思議なものを感じますね。このことと関連して連想するのは「イルミナティ・カード」と呼ばれる不思議なカードです。ここ数年よくオカルト系のサイトで話題になっていますが、このカードの予言もまたミステリアスで興味深いものを感じますね。

人は基本的に面倒くさがりやなので、便利なネット空間であっても不確かな言葉についてちょっと検索してみる、ということをあまりしないことがほとんどなので、911の例のように意図的でなくてもいつのまにかウソやデマが拡散しやすくなっている面があると思いますね。そのあたりは、私も同様なので、記事を書くときなどはなるべくできる範囲で事実確認のできるものはするようにしています。しかし、それも限度がありますし、事実かどうかを判断するのも自分の主観的なものでしかないですから、あまり気にしても仕方ない部分でもあります。とりあえずは自分にできる無理のない範囲で気をつけていればOKくらいに考えています。

ネット空間が特殊なのは、リアル空間が主に発話によるコミュニケーションが主体であるのに対し、ネットのそれは書き言葉を主体としたコミュニケーションであるからで、そうした違いによってリアルではなかなか起こりえないことが起こりやすくなったり、その逆もあったりしますね。たとえば、ネット上で拡散していく誰かの名言などは、拡散されていくうちに出典があいまいになっていき、言葉だけが一人歩きするような事がしばしば見受けられます。リアルでは流言飛語も自然な伝播力にまかせているだけなのでそれほど強力な拡散力はないですが、ネットは一瞬で世界中に拡散することもあります。

そういう例でいえば、ネットでよくまことしやかに流行していく「名言」のたぐいも、調べていくと、どこにも出典が見当たらないものであったりする事もよくあるので、そういうものも注意していかないとついうっかり騙されてしまいがちですね。まぁ、そういうたぐいはさほど害のあるものではないですし、誰かがデマであることに気づいていく中で自ずと軌道修正されていくのもネット空間であり、そういう伝言ゲームのような言葉の変遷を客観的にウォッチングしてみるのも面白いです。某さんの言葉だと流布しているものが、実はその某さんのものではなかったことがわかったり、さらに、実はやっぱり某さんのものだった!という証拠が見つかったり、など、ややこしい事例も少なからずあったりして、そういうのを観察するたびに、物事の真偽というのはなかなか見極めがたいものなのだなぁ、と実感します。

喫茶店ヴォルテールの名言?

ネットでよく目につくその類いの例では、ヴォルテールの名言とされている「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」というのがありますね。この言葉を私が最初に聞いたのはかなり昔で、10年くらい前にニュース系の某掲示板で名無しさん同志が議論していた中で出てきたのがこの言葉でした。一目でなかなかイイ言葉だな〜と惚れ込んでしまう「ザ・名言」という感じの言葉で、案の定その後ネットで良く見る名言の定番となっていきますが、そんなイイ言葉を発するヴォルテールさんとはどんな人なのか?とか、その名言の出典となっている本を読んでみたい、とか気になって調べていくと、そもそもあの名言はヴォルテールの言葉ではないという情報も出てきて驚きました。定番のネット百科事典、ウィキペディアによれば、件の名言はヴォルテール自身の著作には存在しないようで、別の作家の本の中に引用されているヴォルテール関係の記述の中で出てくる言葉のようです。しかもそれはヴォルテールの言葉として書かれているわけでもない、といった興味深い情報が載っていました。詳細は実際にウィキを見ていただくとして、件のヴォルテールの名言は本当に彼が言った言葉かどうかはかなりグレーなもののようですね。

まぁ、出典が怪しいというのは置いといて、言葉自体に罪はないですし、やはり含蓄のある言葉は人生の指針になったりしますし、上手く活用していきたいものです。おおざっぱに解釈すれば、「他人の意見が自分と異なっていても寛容であれ」ということで、それを「命を賭けて」などのドラマチックな装飾によって人を魅了するポエティックな箴言になっているのがこの言葉です。しかし、「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」、ある種の理想ではあるものの、これはあからさまにパラドキシカルな構造をもった言葉なので、現実にはそういったポリシーで生きるのはいろいろ問題がでてきそうにも思います。まともに実践すると「敵に塩を送る」ようなリスクを自らわざわざ背負い込むような理屈でもありますから、とてつもなく絶妙なバランス感覚の中でしか実践の難しい態度のようにも感じますね。

実際のヴォルテールは他人の異論にそれほど寛容な人ではなかったようで、論敵を監獄送りにしたりなど、ほとんど言論封殺まがいのこともしていたという記事もありました。まぁ理想と現実は違ういうことで、人間らしいといえば人間らしい所ですね。この世はなんとなく、約束するとそれを破らざるを得ない状況が待っていたりしますし、何かの理想を掲げたとたんにその理想に反する行動をとらざるを得ないような試練が必ず来るような所がありますね。「お前はその理想を言葉だけでなく、行動で示せるのか?」という天からの試験のようなものなのかもしれません。そういう意味では、約束を破らない人間になるには、極力約束などしないことでしょうし、何度も約束しなくてもいいくらいに信頼される人間になるように精進するというのも良い目標かもしれませんね。

話を戻しますと、そもそも議論というのは異なる意見同士の戦いですから、最近はできるだけ議論自体を避けるようになりました。むかしは議論好きだったのですが、議論というのは勝っても負けてもろくな結果にならないので、少なくとも自分には向かないものなのだと思うようにしています。これに関する言葉で、ネットに司馬遼太郎の「龍馬がゆく」からの引用で、まさに我が意を得たりという言葉を見かけました。以下引用。

竜馬は議論しない。議論などは、よほど重大なときでないかぎり、してはならぬといいきかせている。もし議論に勝ったとせよ、相手の名誉をうばうだけのことである。通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと持つのは負けた恨みだけである。

司馬遼太郎「龍馬がゆく」


同じような言葉を、たしかヴォルテールの「寛容論」でも読んだ記憶があるのですが、今その本は手元にないため未確認です。いずれ本を入手したら確認して追記するかもしれません。どちらかというと、同じヴォルテールなら、こちらのような言葉のほうが個人的にはしっくりきます。そうなんです。人は議論ごときでは持論を曲げませんし、その意見がアイデンティティの根幹にかかわるポリシーのようなものならなおさらです。なので、無駄に議論をするのは不幸を招くだけで、思うほどの収穫はないというのが経験上の実感です。議論になるのは「自分が正しい」と思いたがるエゴの心なので、議論をしないように心掛けるだけで、けっこうスピリチュアルな訓練になります。本当に正しいのは喧嘩にならないような状況を作れる言葉であって、自分の主張を押し通す言葉はいくら正しいように思っていても、高い次元で俯瞰すれば間違っているのでしょうね。世の中、いろいろあるので全く議論しなくて済むのかといえば、そうでないケースもありますが、どちらにせよ必要以上の議論は控えるようにしたいものです。

他にも、最近よくネットで見かけるようになった名言、辛辣な文明批評を含んだSF「1984」の作者、ジョージ・オーウェルの言葉とされる言葉。いわく「ジャーナリズムとは報じられたくない事を報じることだ。それ以外のものは広報に過ぎない」ですが、これも出典を検索してみるとはっきりした情報が見当たらず、出所の怪しい名言のようですね。もともとは英語圏で流布していた言葉らしく、日本語訳されて日本でも拡散されていった、というのが経緯のようです。こうなると、いつも座右の銘にしているようなあの言葉もその言葉ももしかしたら?などと気になってきますが、全て完璧に事実を把握するなんてことは誰しも不可能ですから、そんなこんなも含めて寛容の精神で気楽に楽しくネット空間で遊ぶのが吉なのでしょう。

メモ関連サイト
ヴォルテールの名言とされてきた文言(ウィキペディア)

ヴォルテールは嘘つき?仏歴史家が明かす寛容論の真実(「アゴラ」様より)

坂本龍馬が教える人望を失わないための法則(「JB PRESS」様のサイトより)

ジョージ・オーウェルの言葉じゃない? 「ジャーナリズムとは〜」(「pelicanmem」様のブログより)
posted by 八竹彗月 at 11:18| Comment(0) | 雑記
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