
ルパン三世といえば、言わずと知れたモンキー・パンチ原作の国民的な作品で、ご多分に漏れず私も好きです。といっても、アニメ版の1stシリーズが好きすぎて、1stシリーズ以外はあまり興味がなく、映画版にもそれほど食指が動きません。なので、ルパン三世のファンではあっても、1stシリーズと原作漫画のファンであると言ったほうが正確かもしれません。久しぶりにまた1stシリーズを見返しているところなので、1stルパンへの思い入れなどをちょっと語ってみたいと思います。1stルパンの大塚康生作画の魅力は言うに及ばず、山下毅雄(やました たけお)のモンドでサイケでジャジーな音楽も、ルパン一味が生息する窃盗や殺しといったアウトローが跋扈する裏社会の妖しい世界観をじつに上手く表現していますね。そのサイケでアダルトな妖しいムード感はルパン三世の世界観をより魅力的なものにしています。ルパンの音楽といえば、大野雄二さんの存在感も大きいですし、大野ルパンのほうも大好きではありますが、個人的な好みではやはりヤマタケさんの醸し出す音楽は1stシリーズ特有の「危険でエロスな香りのするルパン」にぴったりの、妖しく退廃的なムード感が濃厚に表現されていて、琴線に触れるものがあります。
作中の重要シーンでよくかかる「ヤパッパ、パパーヤ♪」のコーラスが印象的な「Afro Lupin '68」とかとくに大好きです。ほんとに絶妙なタイミングで本編で使われている曲で、この曲が流れると一気にテンションが上がりますね。山下毅雄は超個性的なセンスをもった天才肌の音楽家のイメージがあるので、寡作な人のようなイメージもありましたが、調べてみると他にもアニメ「ガンバの冒険」のOP、ED曲や、サイケなお色気アクションドラマ「プレイガール」などなど生涯数千曲を手がけた多作な人だったみたいで意外でした。「クイズ・タイムショック」や「パネルクイズアタック25」のテーマもヤマタケさんの曲ですが、あの「ショック!ショック!」や「アタック!」のかけ声は本人によるものだそうですね。
「ルパン三世 ’71 ME トラックス」1999年 VAP
1stシリーズのサントラは時折聴きたくなります。このサントラは、当時のオリジナル音源は紛失しているため、効果音がかぶっている音素材を繋いで復元して作成されており、銃声や足音などの入った曲もあったりします。ノイズの無いオリジナルが失われているというのはもったいない話ですが、まぁ、無い物はしょうがないですし、再演奏よりは元の状態に近い形で出してくれるだけでありがたいものでもありますね。

「Afro Lupin 68」山下毅雄(YouTube検索結果より)
ヤマタケ・ルパンの傑作音源ですね。曲名の由来ですが、曲名自体が当時は付けられてなくて、1980年発売のCD『テレビオリジナルBGMコレクション ルパン三世』に収録されるさいにはじめて付けられた曲名だそうですね。ところでなぜアニメ化するよりも前の年である68の数字がタイトルに冠されているのかが気になるのでざっとネット検索してみたものの、なぜ68なのかは分からずじまいでした。
山下毅雄(ウィキペディアより)
2018.12.26追記
上述しましたとおり、ルパン三世関連の音楽の中で「Afro Lupin '68」が個人的にもっとも好きな曲なのですが、この楽曲はもともと劇伴(げきばん=劇中に使われる音楽)として作られたもので、歌詞は歌手のチャーリー・コーセイさんのアドリブらしく、正式な歌詞は存在していないようです。そこで、なんとなく歌詞が気になってきたので調べてみると、なんとチャーリー・コーセイさんご本人に歌詞を確認していただいて正式な歌詞が判明したという記事を見つけてビックリしました。「Afro Lupin '68」の出だしなど自分では適当に「Be Feeling Year〜!」とか雰囲気で聴いてたのですが、実際はこの出だしは「P-38(thirty eight)」が正解で、ワルサーP38の事を言っていたようですし、途中でしばしば聞こえる「キッコーマン!」は「it's cool man」だとか、記事を読みながらへぇボタンをバンバン押したくなってきました。

ルパン、次元、五ヱ門、不二子、といった黄金のキャラは、ドラえもんキャラと同じくらいに日本人なら誰でも知っているお馴染みのキャラクターですね。無国籍な雰囲気の舞台と登場人物が跋扈する作品の中で唯一コテコテの日本人キャラである五ヱ門の存在は、異質でありながら、その異質さがいい具合にルパン三世という作品に独特の個性を出していて、当初から好きなキャラでした。パイロットフィルム版のデフォルメの強い浅黒い五ヱ門もカッコよくて好きです。1stシリーズの第9話を除く第4話〜第15話のOPに使用されている人物紹介の作画もパイロット版からの流用なのですが、五ヱ門の作画が本編とあきらかに顔が違うので昔からなんとなく気になってました。「アフロ・ルパン68」をバックに人物紹介していくこのOPも大好きです。峰不二子も顔が違ってますが、こういう作画の不二子も70年代感があってイイですね〜
五ヱ門登場シーンの冒頭で、五ヱ門がその華奢な刀身の日本刀で、アナログなバッティングマシーンみたいな装置から放たれる3本の斧や、頭上から落ちて来る鉛の塊をまっぷたつにしたり、次元の早撃ちのピストルの銃弾をその刀ですべて切り捨てるシーンであっけにとられ、そしてそのシーンのインパクトによって、五ヱ門だけでなくルパン三世という作品自体に魅入られてしまったような気がします。金属もスッパリと斬ってしまう架空の日本刀「斬鉄剣」の使い手というインパクトのある設定は、分厚い金庫やマシンガンの弾までまっぷたつにしてしまうという、他作に類例のないオリジナリティ抜群のアクションシーンを生み出すことに成功しました。個性的なアクションといえば、アニメ「R.O.D」で「紙」をアクションに使うという斬新なアイデアに感服したものですが、斬鉄剣にしろ「紙」にしろ、こうした意外性のあるアイテムによるアクションシーンというのは、作品のオリジナリティと娯楽性を高めますね。北斗の拳も、「経絡秘孔(けいらくひこう)」という、鍼灸のツボのような概念で、人間の秘められた急所である特定の経絡秘孔を突くと、その直接的なダメージだけでなく、関連した人体内部が破壊され、頭が爆発したりなどする、奇妙なアクションシーンがお馴染みですが、このように、独自のビジュアルチックなアクションシーンはヒット作に共通するところですね。野球漫画では魔球モノとかもそうですね。こうした独自のアクションシーンのある作品は、多くのファンを惹き付ける重要な要素になっていますね。
五ヱ門といえば今でこそルパン一家の固定キャラですが、五ヱ門が登場するのは原作では第28話、アニメでは1stシリーズの第5話目からで、途中で追加されたキャラである事が推察されます。実際の五ヱ門誕生のきっかけは、モンキー・パンチ氏のインタビュー記事などで何度か言及しておられましたが、作者のモンキー・パンチ氏がアメリカのサンディエゴで行われたイベントに参加したさいに、現地のアメリカ人女性から、日本の漫画なのに東洋的なテイストに乏しいという指摘をうけたのが原因だそうで、それで急遽あからさまにオリエンタル感のあるキャラとして五ヱ門を登場させた、というのが経緯のようです。モンキー・パンチ氏の漫画は、アメコミのような「日本人作家らしくない」作風が持ち味ですから、「日本ぽくない」という意見は、ある意味ピントのずれた指摘のようにも思いますし、普通ならそういった、ファンならまず出てこないであろうズレた意見は一蹴してしまいそうですが、なぜかそういう一見むちゃくちゃに思える意見を素直に作品に取り入れたのは、なにか直感的な啓示があったのではないか、と勘ぐってしまうほど絶妙なものを感じます。結果的に五ヱ門は、ルパン三世という作品の個性を際立たせている重要なキャラになってますから、当時のモンキー・パンチ氏の柔軟な対応には、なにか運命的なものがありそうですね。もしルパン三世に五ヱ門がいなかったら、作品が欧米風無国籍漫画という作品傾向がそのまま表現されたものになったでしょうし、もしかしたら作風が調和しすぎて印象も薄くインパクトに欠ける作品になって埋もれてしまっていたかもしれません。
2018.12.30追記
印象深い五ヱ門初登場の第5話「十三代五ヱ門登場」ですが、そういえばこのエピソード中で流れる演歌っぽい曲がありましたね。ルパンとの初決闘の夜に五ヱ門はひとり寝室で正座して深夜ラジオの女性DJのトークを聴いているというシーンがあるのですが、そのラジオでかかる演歌調の曲がふと気になって調べてみたらあっさり曲名が判明してスッキリしました。毎回インターネットの重宝さには感動します。五ヱ門がうっとりした表情で聴き入っていたアノ曲は、小柳ルミ子の「お祭りの夜」という曲だそうですね。ウィキペディアにも詳細が書いてありましたが、大ヒットしたデビュー曲「わたしの城下町」の次にリリースされた2ndシングルがこの「お祭りの夜」みたいです。曲そのものも、味わい深くてなかなか聴かせてくれる素敵な曲ですね。
小柳ルミ子「お祭りの夜」(ウィキペディア)
小柳ルミ子「お祭りの夜」(YouTube検索結果より)
2022.1.27追記
「Afro Lupin '68」にナレーション(「俺の名はルパン三世〜」からはじまるアレ)をかぶせたOPの第二バージョンで使用されている絵柄が本編と違うという話ですが、あれは単純に作画担当者が異なるためです。本編は大塚康夫さん、パイロット版は芝山努さんが担当していますが、OPは第一バージョンも含めパイロット版からの借用も加わっていて、デフォルメの強い浅黒い五エ門も芝山作画によるものです。芝山作画はオリジナルのモンキー・パンチ先生のタッチに近いこともあり、パイロット版の妖しい空気感も大塚作画の本編に匹敵するほどの魅力を感じます。『ルパン三世研究報告書』(スタジオ・ハード編 双葉社 1999年)には、パイロット版を含めたPart.1~3までの各キャラの設定画が収録されていて、芝山ルパンもそこそこページを割いて紹介してありました。その本はあまり触れられてこなかったレアな芝山ルパンを堪能するためだけに入手したんですが、内容もTV版だけでなく劇場版やグッズの紹介からそれぞれのOPのコマ撮り比較などマニアックに作品を解剖していて読み応えがあります。五エ門の表記も、初期の頃は五エ門、五ヱ門、五右エ門など複数の表記揺れがありますが、東京ムービーの見解では現在は「五エ門」で統一するのが望ましいようで、ウィキペディアでも五エ門になってますね。この記事ではそのあたりに気付かず、アニメ版での五エ門初登場の回(「十三代五ヱ門登場」)のサブタイトルを尊重して「五ヱ門」の表記で書かれてます。この記事ではほぼ1stシリーズの話しかしていないため「五ヱ門」のほうが合ってそうな気もしますので、あえて訂正せずそのままにしておこうと思っています。ご了承ください。

主人公ルパン三世はモーリス・ルブランの生んだ怪盗アルセーヌ・ルパンの孫という設定で、それに対になるような存在が銭形平次の子孫である警視庁の銭形警部です。五ヱ門は、安土桃山時代の盗賊の首長であった石川五右衛門の13代目の末裔ということですが、残りの次元と不二子は完全なオリジナルキャラですね。彼らのネーミングの由来もユニークですね。四次元などの「次元」という言葉が好きだったから名付けたとか、「事件大好き→じけんだいすき→じげんだいすけ→次元大介」になったとか、峰不二子は仕事場の壁にかかってた富士山のカレンダーに「霊峰富士」と書いてあったのを見て思いついたとか、なんかどれもあまり深く考えずにフワっとした思いつきで決めてる感があって好きなエピソードです。後世に残る傑作って、意外にそのようにふとした思いつきとか直感がかかわってたりするというのはよく聞きますし、実際そういう自力でウンウン唸ってひねり出したアイデアよりも、ふわっと思いついた直感のほうが正確に物事を見通すことって実際の日常でもよくありますね。次元大介も峰不二子も、どちらも比較的画数の少ないシンプルな見た目の名前ですが、最初見た時からそれぞれの文字並び方に独特なオーラのような、あるいは文字の繋がりのリズム感の面白さとか、名前の響きと文字面の両方が相乗的に醸し出すシュールで不思議なざわざわ感のようなものを、なんとなく感じていたような気がします。
現代の漫画などでは、キャラクターにクセのある特殊な響きや変わった文字面の漢字を使った名前を意図的に選んで付けてるような傾向が強い印象がありますが、うまくいけばキャラに独自の個性付けができて読者にも忘れがたいキャラに成長してくれるメリットがありますが、その反面、かえって感情移入しづらくさせてしまったり、キャラ名を覚えづらくさせてしまい、読者に微妙な心理的負担をかけてしまう場合もあり、諸刃の剣でもありますね。その点でも、次元大介、峰不二子、という名前は、絶妙なバランスで「ありそうでなさそうな感じ」を出していて、ただの思いつきで名付けたとは思えない運命づけられた名前のようにも思えてきます。いやむしろ、そうした運命を操る見えない世界の情報をキャッチする場合にこそ、思いつきというか、直感がモノをいうのでしょうね。江戸川乱歩が、単純にエドガー・アラン・ポーを当て字であらわしたペンネームでありながら、字面から漂う妖気のようなオーラは抜きん出たパワーを感じますし、そういうところも大衆を虜にした要因でもあると思ってますが、そのように、名前って力を抜いた精神状態で直感的に付けてしまうのがベストなのかもしれませんね。
そう考えていくと、そもそもルパン三世の生みの親からして秀逸ですね。このモンキー・パンチというペンネームも、主人公ルパン三世の別名でもおかしくない感じがしてきます。ルパンの顔はあの特徴的な髪型のせいか、動物に例えるとまさに猿っぽい(注:いい意味で!)ですし、まるでルパンの別名みたいなペンネームなのが面白いなぁ、と思って調べてみたら、なんと当時の漫画アクションの編集長に勝手に付けられたPNだったようで、当時は気に入っておらずいずれ改名しようと思っていたそうですが、作品がヒットしてしまったため機会を逃してしまったとのことです。これもまた不思議な運命の糸というか、運命の意図を感じますね〜 さらに、アニメのルパンではたまにわざと自ら猿っぽい変顔をする時がありますが、そうした猿系キャラが定着した原因であるあのスポーツ刈りっぽい短髪の髪型、これも最初は当時流行っていたビートルズやタイガースなどのグループサウンズなどがしていたロングヘアをルパンの髪型にしようと思てったそうです。しかし結果的に週刊連載時の負担を減らそうと楽に描ける短髪の髪型にしたというのが今のルパンの髪型になった理由なようです。こうなってくると、今や国民的作品になっているルパン三世の、ルパンらしい特徴から、次元、不二子などのサブキャラ、はては五ヱ門を登場させる理由にいたるまで、ほとんど偶然とか直感とかが関係していて、まるで神が采配したような不思議な作品に思えてきますね。
「100てんランド・アニメコレクション4・ルパン三世 PART-1 旧シリーズ全収録1」双葉社 昭和57年発行
1stルパンのビジュアルムック。設定資料や各話紹介、キャラクター紹介、拳銃などの小物の解説から、まめ知識的な記事など、より深く1stルパンを堪能できました。五ヱ門初登場シーンで、次元の銃弾をすべてまっぷたつに斬り捨てるシーンがありますが、斬られた銃弾の画像のキャプションには「五ヱ門に切断されたマグナム弾はなぜか薬莢ごと発射されていた」と厳しいツッコミが入ってたりして容赦ないです。日本では銃器の所持は禁止されてますから、馴染みの無いアイテムだけに勘違いして描いちゃったのでしょうね。

ルパン三世 (TV第1シリーズ) (ウィキペディアより)

最初ルパン三世にハマった頃は、その妙に欧州っぽい日本という無国籍な舞台設定の雰囲気の中でひときわ異彩を放つコテコテのサムライキャラである五ヱ門のミスマッチ感が大好きで、初代の作画と大塚周夫氏の声が「本物の五ヱ門の声!」というインプットがされてしまいました。初代五ヱ門のキャラデザインはもちろん、女好きのくせに硬派ぶってるカッコ可愛い性格なども含め、自分の脳内に完璧な五ヱ門像ができあがってしまったせいで、その後の五ヱ門にはどうしても違和感があって馴染めずにきてしまいました。1stシリーズは、もともと大人の鑑賞に堪えれるアニメを、というコンセプトが当初にあった作品であることはファンなら周知の有名なエピソードだと思います。第1話では、レアなクロノグラフの腕時計が大写しになったり、第6話に出てくる不二子の子分、通称「お子様ランチ」の乗ってる愛車がルノーで、次元も「ルノーか。お子様ランチにゃお似合いだぜ」と言わせたり、要所要所でアイテムに語らせるようなハードボイルド風の文法が生かされているところも、アダルト感があってぐっときたものです。
腕時計にそれほどこだわりも興味もなかったので高級腕時計というとロレックスくらいしか思い浮かばなかったですが、この機会に調べてみたら、車どころか家一軒買えてしまうくらい高価な腕時計が存在していてびっくりしました。最高峰はパテックフィリップというメーカーのようで、そうした値段になるのはハリボテのブランド力とか宝石などの高価な素材を多用することが原因なのではなく、それ相応の非常に難易度の高い精巧なメカニックを搭載し、そういう機構を実際に作れる腕を持った一流職人を抱えているメーカーであることも大きな理由でもあるようです。最近、トゥールビヨンなる腕時計の超複雑機構について知ったばかりなのですが、こうした過去の一流職人の技ものは、最新のテクノロジーに匹敵する魅力がありますね。ふとオーパーツで有名な「アンティキティラ島の天体観測機械」を彷彿としました。どんな時代にも、その時代の最高峰の技術というのは時代を超えて賞賛されるに値する芸術なのかもしれません。
トゥールビヨンをはじめとする腕時計の超複雑機構、実用品でありながら実用の範囲を超えてしまってるところなど、ルパンの第10話「ニセ札つくりを狙え!」に登場したニセ札作りの職人イワノフを彷彿としますね。イワノフはあまりに器用過ぎて、ルパンいわく本物よりも精巧なニセ札≠作ってしまうほどの腕前です。しかし工芸品ならいざしらずニセ札が本物を超えてしまったらかえって役に立たないのでは、とかついつい野暮な考えが頭をよぎってしまいますが、まぁ、そういうレベルのものは腕試し的に作成してるだけで、実際の仕事≠ナは、本物と同じモノを作ってたのでしょう。本物と全く同じレベルの偽物は、本家を上回る腕がないと作れませんからね。そういえば、このエピソードの舞台は奇しくも時計繋がりの時計塔でしたね。
第1話でルパンや次元がつけていたクロノグラフのメーカーは、どちらも実在するブランドのものらしく、以下の関連サイトのリンクに詳細を調査された方の記事がありましたので、リンクを貼っておきます。ルパンのクロノグラフを追ううちに、意外な出会いがあったりなど、とてもいい話を知ることができました。

「ルパンの腕時計 YEMA meangraph super Marine model」(三葉(みつば)様のブログより)
第1話「ルパンは燃えているか?」に印象的に登場するルパンと次元が付けているクロノグラフ。この腕時計のブランドが気になって調べていたら、とてもいい話を知ることができました。しかし腕時計の世界も奥が深いですね〜
腕時計のロマンがつまった7大複雑機構を徹底解説(「ダンディズムコレクション」様のサイトより)
一般に高級腕時計といえばロレックスの名が思い浮かびますが、世界の最高峰はさらに次元が違うようで、こちらのサイト様では超高級腕時計に搭載されている複雑で緻密なメカニックをいくつか紹介されています。ここまでくると実用の領域を超えた芸術品のレベルですね。
アンティキティラ島の機械(ウィキペディア)

1stシリーズの放映は1971年10月24日〜1972年3月26日とのことで、当時の日本は寺山修司や唐十郎のアングラ演劇とか、サブカル漫画のハシリである「ガロ」や「COM」などが発行されていた時期と重なりますから、けっこうヒッピーでサイケな感じの若者文化が花開いていた時期っぽいですし、1stルパンからも、そうした時代の空気をビンビン感じます。ルパン三世のロゴ自体もいかにも70年代のサイケ感があって好みですし、OPの要所要所で、動きの途中でスケッチ画風の止め絵が入ったりする演出とか、不二子の踊るシーンの背景に西洋の偉人やピンナップガールのグラビア写真やフルーツの盛り合わせなどの雑多な写真がフラッシュバックするところなど、70年代の妖しい空気感が濃厚でうっとりします。
この時代には日本屈指の実験映画の傑作が多産された時期でもあり、松本俊夫「薔薇の葬列」(1969年)、寺山修司「書を捨てよ町へ出よう」(1971年)、大島渚「新宿泥棒日記 」(1969年)、若松孝二「新宿マッド」(1970年)、勅使河原宏「他人の顔」(1966年)などなど、個人的に思い入れのある日本映画の多くが1970年前後に発表されています。また音楽でも、日本はこの時代はフォークブームで、「日本のウッドストック」ともいえる中津川フォークジャンボリー(1969〜1971年)の開催された時期ですね。フォークソングというと、なんとなく牧歌的で慎ましい青春な感じの、当時の中産階級の大学生とかがキャンプ場で輪になって歌ってそうなステレオタイプなイメージがありますが、実際当時のフォークソングを聞いてみると、そういう真面目なイメージとは真逆のパンクな音楽で、社会に対する痛烈なメッセージや、人生の苦悩をえぐるような言葉と音で表現した激しい音楽もけっこう多く、想像以上に振り幅の大きな、当時の若者文化を席巻していた文化なのだなぁという印象を持ちました。
元来の牧歌的なフォークミュージックの定義から外れて爆発的に流行したフォークソングですが、このブームは当時すでに世界的に若者を惹き付けていたカリスマ、ボブ・ディランの影響によるものが大きかったと思います。当時のヒット曲「学生街の喫茶店」(ガロ 1972年)では、行きつけの喫茶店で頻繁にかかっていたボブ・ディランを聴いていた思い出を歌っています。ここからも70年代にはボブ・ディランはすでに日本の若者文化の中に馴染みきっていた様子が伺えると思います。ボブ・ディランのかかっているフォーク喫茶といえば、当時大阪にあった喫茶店「ディラン」(もちろん店名の由来はボブ・ディラン)からとったバンド名のザ・ディランII(ザ・ディラン・セカンド)というグループもありましたね。ディランIIは、ヒット曲「プカプカ」が収録されているアルバム「きのうの思い出に別れをつげるんだもの」(1972年)を聴きましたが、「プカプカ」以外では「君の窓から」「その時」などの曲もグッときました。そういえば吉田拓郎の曲「親切」(1972年)でも、ボブ・ディランの話ばかりする友人にうんざりしている様子を歌っていましたね。
フォークソングのフォークはフォークロア(folklore=民族的な伝承、風習、民話、民謡)からきているだけに、元々はもっと素朴で土着的な音楽を指してましたが、ボブ・ディラン以降は、ただフォークギターとハーモニカで演奏してればどんな過激な音楽性でもフォークソングと呼ばれるようになったような感じですね。遠藤ミチロウのスターリン以前にすでに情念のシンガー三上寛はパンクでしたし、そうした過激なフォークシンガーといえば友川かずきや遠藤賢司もものすごい個性派でユニークな存在感をもってましたね。叙情的でキャッチーなメロディが印象的な吉田拓郎も、初期の曲はほとばしるメッセージと詩情に満ちた熱い音楽が多く、初期も傑作が多いです。当時のフォークソングは、その魅力にハマって復刻CDなどを探したりしていろいろと聞きまくった時期があります。そうしたフォーク漁りでの個人的な収穫アルバムは、あがた森魚の「噫無情」、斉藤哲夫の「バイバイグッドバイサラバイ」、吉田拓郎(初期はひらがなのよしだたくろう*シ義)の「青春の詩」などで、今でもたまに聞きたくなる名盤は多いです。
「かぐや姫」のヒット曲「神田川」が、いわゆる暗いジメジメしたフォークのイメージが定着したきかっけになったような気がしますが、そういう先入観を持たずに聴くと、非常に味わい深い名曲でもあります。貧乏学生の恋愛を描いたその曲の影響で、そうしたテイストの一連の曲を指して「四畳半フォーク」というような俗称も生まれました。(ちなみに実際に歌詞で歌われているのは「三畳一間の小さな下宿」なのですが、「四畳半」という言葉は貧乏暮らしを意味する象徴的な単語みたいなものなので、語呂もいいことからそうネーミングされたのかもしれませんね)しかし、そういう曲ばかりでなく、日本的な美意識を叙情的に描いた傑作「夢一夜」などの名曲も生んだグループでもあります。「かぐや姫」といえば、あえて特筆したいのは、民謡の「田原坂(たばるざか)」をパロった隠れた珍曲「変調田原坂(へんちょうたばるざか)」というレア曲。曲の合間にちり紙交換のアナウンスの口上を挿入したりなど、「かぐや姫」っぽくないアヴァンギャルドでユーモラスな感じが面白い変な曲です。自分の中では「老人と子供のポルカ」(歌・左卜全とひまわりキティーズ)に匹敵する昭和のナンセンスソングの傑作だと思っています。
70年代頃に発表されたフォークソングの名盤を復刻したCD。井上陽水、吉田拓郎、斉藤哲夫、あがた森魚、泉谷しげる、友部正人、五つの赤い風船、遠藤賢司などは今でもたまに聞きたくなりますね。
「1970年全日本フォークジャンボリー」キングレコード 1990年
日本版ウッドストック、中津川フォークジャンボリー(または全日本フォークジャンボリー)での貴重なライブ音源を収録した2枚組アルバム。なぎらけんいち「怪盗ゴールデンバットのうた」とか、ひがしのひとし「ハナゲの伸長度に関する社会科学的考案」とか、どんな曲なのか気になる変な曲名の作品もお楽しみのひとつですが、とくに凄いのは遠藤賢司の初期の代表的な曲のひとつ「夜汽車のブルース」のライブです。かき鳴らすギターの激しさに観客も一体となってテンションが上がっていく緊張感のある演奏が圧巻です。
植草甚一編集の雑誌「宝島」1976年4月号より
あがた森魚によるボブ・ディランのアルバム「欲望」についてのレビュー記事
70年代の「宝島」はジャズ、ミステリー、映画評論など多岐にわたる執筆で知られた稀代の雑学王、植草甚一が編集していて、とても時代を反映した雑誌になっています。植草甚一編集の時代の「宝島」は、1冊まるごとマリファナ特集みたいな号もあったりして、サイケデリック、ヒッピー、ビートニクなどの当時の先鋭的な若者文化を旺盛に取り入れた大胆な編集が見所です。この号は、アメリカ建国200年を祝した号で、1冊まるごとアメリカ万歳な号ですが、そこは植草甚一編集だけあって、ドラッグカルチャーやロックやSFなど、カルトな切り口でアメリカを賛美していて面白いです。このページは、当時すでに日本の若者を虜にしていたカリスマ、ボブ・ディランの17枚目となる当時のニューアルバム「欲望」について、5人のレビュアーがひとり見開き2ページ分担当して語りまくる「ファイブ・アルバム・レビューズ」という企画の中の一部です。このページではあがた森魚さんがボブ・ディランをレビューしていて、興味深いです。あがた森魚というと、当時のフォークシンガーの中でも異質で、フォークソングのテーマにありがちな社会批判とか苦悩の青春とかラブソング的なものとは一線を画して、宮沢賢治的な天体ロマンとか鉱物愛的な歌とか大正ロマンな情緒など、とても虚構性の高いテーマを表現していてユニークなアーティストですが、そういうあがた森魚さんでもやはりボブ・ディランというのはかなり大きな存在だったみたいで、そういう所がちょっと意外で興味深い記事でした。

四畳半フォーク(ウィキペディア)
念のためにウィキを検索してみたら、なかなか面白い事が書いてありました。「四畳半フォーク」という言葉は松任谷由実(当時は荒井由実)が当時のフォークを揶揄して使った言葉だとする説など、興味深い雑学を紹介してますね。
田原坂(たばるざか)(ウィキペディア)

初代ルパンは音楽や作画や声優など、全般に渡って好きですが、まず最初に見たときに惹かれたのは構図のカッコよさです。といっても、はじめて見たのは小学生の子供の頃なので、構図がどうとか、そういう美術的な知識はなかったのですが、それでもなおグッとくるものがありました。「カッコよさ」という漠然とした概念を具体的に絵で表したものを見たときの感動がそこにはありました。例えば、大好きな五ヱ門初登場の第5話(まぁ、初代のエピソードは全部好きなのですが)に描かれたこの構図(下図参照)です。初めて見た時の衝撃は忘れられません。なんというかっこよさ!これは原作のモンキー・パンチ先生の天才的な構図のセンスをアニメに上手く持ち込んだシーンのひとつですね。子供心に思ったのは、「人間の身体って、みんな似たような形だと思い込んでいたけど、こういう角度から見ると、こんなにかっこ良く見えるんだ!」という事でした。
この構図のカッコよさには子供でもしびれるものがありました。高速道路を走る車の群れの中、車の背を飛び石(庭園などに飛び飛びに置かれている石)を渡るように飛びながら、このときは敵対している五ヱ門と決闘をするシーンです。
このシーンは原作を確認していないのですが、おそらくモンキー・パンチ先生の絵をそのまま参考にしていそうな典型的モンキー・パンチな構図ですね。たなびくスリムなスラックスから覗く極細の足首もなんかカッコよさを感じてました。また、腕毛やすね毛が描かれたアニメというのも斬新で、「うーんマンダム」のCMが流行した70年代らしく、まだ男臭い男がカッコイイとされた時代ならではの「カッコイイ」の記号だったのでしょうね。この後、80年代に入ると、だんだんメンズファッションも中性的なものがウケるようになっていきますが、そういう意味でもルパン三世における「男」の描き方というのは時代を写していて、ルパンのいる世界は一見無国籍な異世界のようでいて、意外と時代を反映している所も多いですね。
あと、グラフィック的な面白さというと、ルパン三世のロゴのサイケ感とか、オープニングでロゴに撃たれる弾丸の痕とか、サブタイトルのタイプライター音とか、今となってはどれも「ルパンっぽさ」を醸し出すエレメントになっている感がありますね。ルパン三世のロゴは微妙に何度も変遷がありますが、初代の第3話までに使用された細いウェイトのロゴがスタイリッシュで怪しさも出ていて70年代特有のサイケ感まで匂ってくる感じで一番好きです。第4話からロゴがぽってりした太いフォントになるのですが、おそらく制作側の意図ではなく、視聴率不審からくるスポンサーやTV局側の大人の事情(もっと目立つロゴにして欲しい、とか)によるものじゃないかと推測します。このあたりは本当の事情を知りたいところですね。
前述したルパン三世のサブタイトルのタイプライター風の表示は、ネット上でもいろいろシミュレーションできるジェネレーターを公開されているサイトもあって、なかなか楽しいですね。
初代ルパン三世のOPでお馴染みのサーチライトに追いかけられながら逃げるルパンも象徴的です。焦るどころか追いかけられるのを楽しんでいるように不敵な笑みを浮かべるこのOPのルパンの表情がまた素晴らしい。
これは第1話にあるシーンですが、このヘルメットのかぶり方のアクションも独特で、いかにもルパンな感じのアクションの典型だと思います。こうした細かい個性的な描写が積み重なってルパン三世の唯一無二の世界観が構築されているのだと思います。
「漫画アクション・コミックス ルパン三世 第1集」モンキー・パンチ著 双葉社 昭和43年
モンキー・パンチ先生の絵の才能は比類の無いもので、原色の鮮やかな配色を用いながらもスタイリッシュに魅せるセンスや、キャラの独特の大胆なポージングなど、ものすごい才気を感じる画面構成に圧倒されます。絵のタッチからただよう妖しい空気感なども天性のものを感じますね。ジャッキー・チェンの映画の素晴らしい日本版ポスターなども手がけられていて、イラストレーターとしての腕前も一級です。また集大成的な作品集出して欲しいですね〜
同上。アニメの第2話「魔術師と呼ばれた男」の原作「魔術師」のヒトコマ。パイカルという「酔っぱらっちまいそうな名前」は、中国のお酒「白乾児(パイカル)」からとったものですが、字面に「白」があるからか、パイカルはアニメでは真っ白のスーツを着てましたね。原作では白以外に色付きのスーツを着用しているシーンがあります。また、アニメでは、パイカルの3つの謎(火炎放射する指先、銃弾を跳ね返す肉体、空中浮遊)をルパンひとりで全部解いてしまいますが、原作ではルパンお抱えの専任科学者に依頼して解析してもらっています。また、アニメのラストではルパンとパイカルはお互いを炎で焼き合いますが、ルパンもパイカルの使用しているのと同じ耐熱防弾効果のある皮膜を生成する薬品を使用していたため無事で、パイカルのほうは薬を塗ってから時間がたっていたため効果が消えかかっていて、焼け死んでしまうというオチでしたが、原作ではパイカルが焼死してしまったところまでは同じですが、専任科学者がルパンのアソコにだけ薬品を塗り忘れていたために股間を大やけどしてしまったというオチになっています。けっこうアダルトな表現が多めの印象のあるアニメ版第2話ですが、原作と比較すると、それでもかなりマイルドに抑えられていることがわかりますね。

冷静に考えると、泥棒という、犯罪者を主人公にした作品が国民的に愛されるようになったのも不思議な感じがしますね。手塚治虫作品の中で大好きな作品の筆頭に「ブラック・ジャック」があるのですが、この作品もまた法を逸脱した無免許の天才外科医が主人公でしたね。70年代あたりの漫画には、こうしたそれまでの品行方正な「正義の味方」像がかならずしも子供のヒーローでなくてもかまわないんだ、というパラダイムの転換を感じます。当時勢いのあった学生運動などの影響も多少ありそうな価値観ですが、またそうしたものと同時に、ルパンはある種の「自由」の象徴でもあり、そこに人々は憧れたのではないか、とも感じます。
ルパン三世1stシリーズ初放映の1971年10月には、ルパンと同じく今でも人気の長寿作品「ゲゲゲの鬼太郎」の第2シーズンの放映も開始されています。この鬼太郎のアニメOPではお馴染みの「お化けにゃ学校も試験もなんにもない!」という印象深い歌詞がありますが、これは原作者の水木しげる先生本人の作詞で、先生の思想のエッセンスである「幸せの七ヵ条」を彷彿とする哲学がうまく練り込まれた秀逸な歌詞だなぁと感心します。普通、お化けというと、ある意味「恐怖」や「不安」などの感情を擬人化したような存在で、どちらかというとネガティブな存在という一般通念がありますが、水木先生の詩では全く逆に、お化けは学校も試験も無い自由な存在で、むしろ彼らは人間より愉快で充実した人生を送っているんだよ、といったような、どこか憧れの対象であるかのような存在としてお化けを捉えているところがとても面白いです。お化けというのは、見えない世界の住人です。人間側がそれを恐ろしい邪悪な存在だと認識した場合に彼らは「お化け」と呼ばれますが、社会がまだ文明の洗礼を受けていない時代では、そういう存在はポジティブに捉えられていて、見えない世界の住人は集落を守護する精霊だったり、実りをもたらす神々だったりします。水木先生は戦争中、ニューギニアの現地人と親しく交流していた事を語っていますが、そうした経験もあって、見えない世界は迷信でも妄想でもなくちゃんと実在しているのだという確信があったのでしょうね。
「ゲゲゲの鬼太郎」では、しばしば社会に束縛されて苦しむ人間と、すべてのしがらみから自由に生きる妖怪のコントラストが描かれますが、これは本来の水木しげる先生本人の思想にもあるように、「ゲゲゲの鬼太郎」を通して「自由とは何か」を描いている面もあるのでしょうね。妖怪やお化けも、ある意味暗黒街を住処にする犯罪者であるルパンとその仲間たちと同じアウトローといえますが、ルパンたちもそういえばお化けたちと同じく、学校とか試験などの束縛や社会の法律からも自由な存在であります。そうした意味でも、ルパン三世は、単なるアンチヒーローではなく、人生の「自由」を獲得した存在でもあり、そうしたルパンたちの自由さが人々を惹き付けてるのではないか、とふと思いました。

水木しげる「幸せの七ヵ条」(「grape」様のサイトより)

そんなルパン一味が生息しているのは、盗みや殺しが日常的に起こっている暗黒街の片隅です。そこはなにやら殺伐とした恐ろしい世界のようですが、でもルパンや次元のような、単純に「悪人」ともいいきれない魅力的な男たちが闊歩する魅惑の世界でもあります。また、単純にヤクザやマフィアが生息する実際のアウトローの住む世界というよりは、この世界と真逆の法則が支配している「鏡の国」のような異世界っぽさもどことなく感じる妙な世界です。物語に何度も出てくる「殺し屋」という風変わりな職業などがいい例ですね。菅野ひろゆき氏のゲーム「EVE」や「探偵紳士」などに出てくる探偵(ゲーム内の世界では、探偵業を営むには世界的な探偵のギルドから発行されるライセンスが必要とされている。実際は探偵を開業するために特別な資格は無い)みたいな感じで、ルパン内の世界でも実際とは別のルールで存在する「殺し屋」がいい具合に異世界感がありますね。物語内で描かれる殺し屋はマフィア的な組織の仕事の一部としての殺しではなく、どうも殺し請負を専門にしている組織のようで、殺し屋プーンのエピソード(第9話「殺し屋はブルースを歌う」)や五ヱ門の師匠、殺し屋百地の話(第5話「十三代五ヱ門登場」)などを見るに、けっこう大規模な組織っぽく、このあたりの虚構性の高さというか、ファンタジーなノリが、平気で主人公一味が敵を殺害する1stルパンの殺伐としがちな空気を和らげています。
ルパンたちの暮らす「暗黒街」、そこは実社会の日陰に生きるアウトローの住む世界というような深刻な世界でもなく、表社会の鏡像のようにモラルや法などのあらゆるシステムが正反対になった異世界のような奇妙な世界です。そもそもがルパン三世の舞台になっているのは日本家屋よりも洋館率の高い日本のようで日本でないような無国籍な世界ですから、最初からルパン三世はある種の異世界の住人であるようにも思えます。第9話「殺し屋はブルースを歌う」では、そうした独特の異世界的な裏社会のテイストを描き出していて、ルパンと出会う前の峰不二子が所属していた殺し屋組織でのエピソードが語られて興味深いですね。
五ヱ門の師匠である殺し屋百地の話によると、どうやらその裏社会では殺人の数を競うオリンピックみたいなものがあるらしく、暗黒街でルパンや五ヱ門がブイブイ言わすようになるまでは百地が殺しの世界チャンピオンだったことが第5話で描かれています。子供の頃は、大人の世界の裏側では、日常感覚から隔たったそういうアナーキーな世界があるのかもしれないなぁ、などと素直に思ってましたが、これはこれでナンセンス風味の効いたブラックユーモア的な設定でユニークではありますね。こういうあきらかにフィクショナルな設定が、ルパンの犯罪をもどこかファンタジーな魔法と同じ扱いで見ることができるために、安心して子供も楽しめるような作品になってるのかもしれないですね。
「殺しの世界チャンピオン」というパンチの効いたフレーズでふと思い出すのは、こちらもよくネットで話題になった「木曜日のリカ」(小池一夫原作、松森正漫画)での主人公リカの名台詞「世界でただひとり…ノーベル殺人賞をもらった女よ…」。どこの世界のノーベル賞だ!とつっこまずにいられないインパクトのある台詞ですが、原作はギャグ漫画ではなく、けっこうシリアスなピカレスクロマンっぽいですね。ギャグでなく、大真面目にこの台詞が出てくるからこそインパクトも最大ですね。ラッキーなことに、数ヶ月前に安価で「木曜日のリカ」の単行本を古本市で見かけたことがあるのですが、その日の気分的に、ネタ要素としての興味だけで購入する気になれなかったこともあってスルーしてしまいました。
ノーベル殺人賞でまた思い出したんですが、そういえば70年代を代表するロックバンド「頭脳警察」のサードアルバム「頭脳警察3」に、「指名手配された犯人は殺人許可証を持っていた」というインパクトのある曲名の作品が収録されていました。演奏時間が10秒足らずというのも斬新というか実験的な曲で、歌詞はそのまんま曲名を言うだけの作品です。この「殺人許可証」という物騒でありながら異世界感のあるフィクショナルな響きも「ノーベル殺人賞」に匹敵する怪しさがありますね。頭脳警察はむかしハマった時期があって、とくにアルバム「頭脳警察セカンド」「仮面劇のヒーローを告訴しろ」「悪たれ小僧」の3枚はよく聴いてました。過激なロックだけでなく哲学的で詩情のある曲も多いのが頭脳警察の魅力ですね。
頭脳警察のCD。「悪たれ小僧」のジャケットデザイン、70年代テイストが濃厚でイイですね〜 バンド名の「頭脳警察」というシュールなネーミングも秀逸ですね。由来はフランク・ザッパの曲名で「頭脳警察ってのはどいつらなんだよ? 」(Who Are The Brain Police?)から取ったものだそうです。過激な曲に混じってヒネリのある知的な曲があったりするのがこのバンドの魅力で、ヘルマン・ヘッセの詩をモチーフにしたといわれる「さようなら世界夫人よ」とか、ブリジット・フォンテーヌの「ランボオのように」の日本語歌詞バージョンとか、パンタさんのそのセンス溢れるインテリ不良っぽい所にシビれます。

「木曜日のリカ」の例の名台詞(google画像検索結果)
ルパン三世第2シーズン風のサブタイトルを作って遊んでみました。(「真※いぬ小屋」様のサイトのジェネレーターをお借りしました)

ウィキの「次元大介」の補足に、次元大介は、「ルパンを長髪にして髭と帽子を付け加えて完成されたキャラ」であるという面白いエピソードがありますね。この説は、原作者のモンキー・パンチ氏自身がテレビ番組「トリビアの泉」で語ったということなので、本当のことなのでしょう。たしかに、子供の頃よくルパン三世の似顔絵を描いてたときがあって、まさに次元ってルパンが衣装を変えただけのような外見だなぁ、と思ってました。そういう記号的で、没個性に徹したような風情が、逆にとても魅力的です。まさしく次元はルパンと不可分なキャラで、ルパンの影のような寓意的存在なのかもしれないですね。そういえば次元大介は服装も黒ずくめで、まさにルパンの影≠象徴しているかのような存在です。こうなるとどこか神話的なものまで感じてきますね。ふと思い出すのは、アニメの第1話がすでに、レーサーの格好をしたルパンと次元が入れ替わるトリックが見せ場になってたことです。第1話は印象的なシーンが盛りだくさんで、拘束された不二子のコチョコチョハンドによる羞恥責めとか、例のクロノグラフの大写しなどの大胆な編集に目を奪われてしまいますが、ルパンと次元の双子のような、あるいはジキルとハイド的な陰陽の関係性をストレートに描き出しているエピソードでもあったわけですね。意図的なのか結果的にそう見えるのか、どちらにせよルパン三世の主要キャラクターたちはそれぞれほんとによく出来てるなぁ、と感心します。

モンキー・パンチ先生による次元大介誕生の逸話(ウィキペディアより)

ルパンは変装の名人、という設定ですが、第4話「脱獄のチャンスは一度」で次元はお坊さんに、第6話「雨の午後はヤバイゼ」で不二子はルパンそっくりに変装しています。それぞれ元の人物と全く同一の姿形に変装できているので、ルパンだけが変装の名人というわけではなく、ルパン一家はみんな基本技能として変装術は達人のレベルにあるのでしょうね。ルパンの変装術には2パターンあって、全く別の人物にソックリに化けるパターンと、素顔に付け髭とカツラをかぶっただけなのになぜか見破られない謎の変装というものです。後者は単純に漫画アニメのお約束的な表現であって、別人に変装してしまうと絵面として都合が悪いエピソードの場合によくこの「視聴者にはルパンにしか見えないのに、銭形などの物語内のキャラにはなぜか見破られない」ような変装をしますね。このパターンでの傑作は第14話「エメラルドの秘密」ですね。このエピソードではルパンはニップル伯爵と称する謎の貴族に変装します。
このニップル伯爵、これもまたルパンが付け髭とカツラを付けただけのアバウトな変装です。さっそく銭形に不審に思われてしまい、職務質問されそうになるのですが、変装した不二子が気を利かせて「ベルモント王朝の末裔のニップル伯爵ですわ」と助け舟を出します。このエピソードでのルパンのミッションは、「ナイルの瞳」と呼ばれる大粒のエメラルドを盗むというもので、豪華客船という動く密室を舞台にスリリングでユーモラスな駆け引きがとても面白かったです。エメラルドの隠し場所の謎を解くという王道のミステリーをテンポよく20分足らずで表現してしまうシナリオも凄かったです。1stルパンのミステリー系エピソードの中では第11話「七番目の橋が落ちる時」と並んで好きなエピソードです。先日久しぶりにこの「エメラルドの秘密」を見返してたんですが、ふと「そういえば、なにげなく無意識にスルーしていたけど、よりにもよってニップル(Nipple=乳首)なんてきわどい名前をなぜつけたのか?」というのが気になってきました。まぁ、もともとルパン三世1stシリーズは「大人の鑑賞に堪えうるアニメ」というコンセプトが当初はありましたし、当時のアニメでは珍しいエロチックな表現も持ち味でしたから、おそらくそうしたノリであえて乳首伯爵にしたのだろうと思ってました。しかし、念のために調べてみると、どうもアテが外れたようで、ニップル伯爵のニップルは「Nipple(乳首)」ではなく、ルパン(LUPIN)の逆さ読みでニップル(NIPUL)になったようです。長年のニップルな謎が解けてスッキリしました。
変装ネタといえば一番ショッキングだったのは、第20話「ニセルパンを捕えろ!」の序盤で、謎の組織が変装を解くシーンです。謎の組織の一員が、別人になりすました顔のマスクを剥ぐと、中からガスマスクをつけた顔が出て来るというシーンがあるのですが、いくらなんでもガスマスクの上から変装用のマスクというのはアクロバティックすぎる表現でしたね。まぁ、ここまででなくても、ルパン三世の世界では、変装用のゴムマスクはかなり万能なアイテムと化してますから、第20話という後半戦では、感覚が麻痺してそうした変装の万能性に拍車がかかっていたのかもしれませんね。まぁ、そういうびっくりシーンはあるものの、物語自体は、この謎の組織を追ってルパンが泥棒村に潜入するというお話でかなり面白いエピソードでした。
変装モノというと、江戸川乱歩の生んだ怪人二十面相も魅力的ですね。発表当時の少年雑誌の倫理規定の問題で、当初は「怪盗二十面相」とするつもりが「盗」の字を使うのはマズいということで、「怪人」になったというのは有名な逸話ですが、結果的に「怪盗」より「怪人」のほうが怪し気なインパクトが出ていて、むしろ「怪人」のほうが人間離れした怪しい二十面相らしさが出ていてイイですよね。昨今の倫理規制は行き過ぎた言葉狩り的な面も指摘されたりして、こういう規制というものは規制したい側とされる側では許容するラインが異なってることが多いのでサジ加減が難しいものだとは思いますが、この「怪人二十面相」に関しては、規制が逆にプラスの効果になっているかなり珍しいケースですね。また百とか千ではなく「二十」と控えめな所が変に奥ゆかしいですよね。調べてみると二十面相というのは、トマス・W. ハンシュー作「四十面相のクリーク」からアイデアを得たネーミングだそうですが、ちゃんと40以下にしているところなど、オリジナルに対する敬意のようなものを感じます。怪人二十面相の、盗みはするが殺人や暴力は絶対にしないというポリシーからして魅力的で、泥棒なのに紳士のような感じも面白いですね。絶対私生活ではお金に困ってそうになく、家柄もハイソっぽいのに、なぜか泥棒を天職みたいにして世間を楽しませているエンターティナー、それが怪人二十面相やルパン三世なのかもしれません。
2019.6.16追記
インチキ貴族ニップル伯爵に扮したルパンが活躍する第14話「エメラルドの秘密」ですが、ありがたいことにYouTubeの公式チャンネル「TMSアニメ55周年公式チャンネル」で無料公開されてますね。他にも第1話「ルパンは燃えているか」、第2話「魔術師と呼ばれた男」など選りすぐりの傑作エピソードも公開されています。うーん、1stルパンはやはり最高ですね〜 期間限定公開のようなので、気になる方は早めに視聴していただくのが吉です。

裏社会のトップクラスに君臨するルパン三世とその一味は、毎回様々なライバルや敵に遭遇します。普通の悪人に混じってときおり、空中浮遊したり指先から火炎放射する暗黒街の魔術師とか、タイムマシンを使ってルパンを殺そうとするタイムトラベラーだとか、ぶっとんだ敵もいて、そういう絶妙なナンセンス加減も1stルパンの魅力で、そういう一見チャチになりそうなSF的な設定も、大塚作画、ヤマタケサウンド、ルパン一家の初期声優たちの魔法で、とてもカッコイイエピソードに見事に料理してみせていて素晴らしいです。中でもとびきり異質だった敵は、最終話のひとつ前、第22話に登場するコンピュータ≠ナす。人間相手なら、長年裏世界を生き延びてきたノウハウが生かせますが、前代未聞のコンピュータが相手ということで、さすがのルパンも苦戦を強いられます。
昔のアニメとかに出てくるコンピュータでお馴染みのこんな感じの紙テープ。(図の穴の開け方は適当です)かつてコンピュータの情報を記録するために使われたアイテムで、自動パンチ機で穴をあけ、穴の有無で0,1の信号を記録する仕組みだったようです。
このコンピュータ、70年代の漫画によくある定番のパンチ穴の開いた紙の帯(鑽孔テープ)を読み取る式のヴィンテージなコンピュータが微笑ましいです。しかしこのコンピュータ、現代のマシンよりも先を行っていて、ルパンの身長体重や過去の犯罪歴などの様々なデータを元に、今後のルパンが起こすであろう犯罪も未然に予知して、さらにその対策もはじき出してしまうというスグレモノです。この時代はまだパソコンも普及しておらず、コンピュータといえば「人間の頭脳の何百倍も高速に演算をするバケモノのような機械」というアバウトなイメージが一般にあったように思われます。こういう万能コンピュータのイメージは、おそらく当時(1972年)の4年前、1968年に世界的に大ヒットしたSF映画の金字塔「2001年宇宙の旅」に登場する架空のコンピュータ「HAL9000」の影響も大きいでしょうね。第22話以前にも、五ヱ門が初登場する第5話「十三代五ヱ門登場」にも、すでにそういう万能コンピュータがちょろっと出てきます。第5話では、五ヱ門の師匠である百地(ももち)が、殺し屋の世界でのトップの座を脅かすルパンと弟子の五ヱ門をも抹殺しようと画策しますが、五ヱ門にバレて逆に返り討ちにされそうになります。その時に百地は「コンピュータに命令されたんだ!」というデンパな言い逃れの嘘をつくのですが、その嘘の回想シーンで出てくるのがなんでも予測する件の万能コンピュータです。意識的に誇張している面はあるにせよ、けっこうコンピュータに対する現実以上の買いかぶりは一般に当時かなりあったのではないか、と感じますね。
第22話では、ルパンは実際にそういうコンピュータと対決し、結果的にはルパンはコンピュータに勝つのですが、コンピュータを打ち負かしたルパンの戦略は、なかなか含蓄があります。ルパンが対峙しているのはコンピュータというよりも、哲学的な味わいのある問い≠サのもので、これは言い換えれば「自分のすべての行動を完璧に予測する者が仮にいたとして、そうした者を相手にする場合、どうすれば相手の裏をかくことができうるのか?」ということでもあります。ルパンは最初は己の天才的な頭脳を過信して、論理的思考によってコンピュータを出し抜こうとしますが、思考ではじき出す戦略というのは、つまり理性を武器にした戦略ですから、このコンピュータにとってはそうした戦略は、すでに入力されているルパンという人間の全データ≠元に予測してしまいます。理性によるどんな戦略も予測解析可能という設定のマシンなので、それに勝つには非理性的なアプローチしかありません。それに気づいたルパンは非理性的な戦略に切り替えます。ふとした思いつきで計画を途中でコロコロ変えていくという、直感≠ノ従った行動をとったのです。すべて思考が相手に読まれていることを承知で、牢屋に捕らえられた仲間を助けるために厳重な警備の中ルパンは単身敵の手中に乗り込みますが、気まぐれにちょいちょい計画をその場で変えていき、ルパンは見事仲間の救出に成功します。幽閉されていた仲間の元に現われたルパンはこういいます。「コンピュータの裏をかくには気まぐれ≠ェ一番なのさ」。
まぁ、細かい事を言えば、気まぐれというのも人間ならかなりの頻度で起こるはずで、以前は私も、「すべてを予測するコンピュータなら、そういう気まぐれも予測できないと役に立たないはずだ」と思ってました。が、しかし、そういうのは野暮でもありますし、よく考えてみれば、野暮どころか、少々未熟な指摘でもあるように思えてきます。視点を変えれば、そういう表面的なつっこみどころよりも、このエピソードは論理的思考と直感、理性と無意識、みたいな対立項が骨格になっており、むしろソコがこの作品の魅力の本質ではないか、ということに気づきます。いつも事前に犯罪を予告して遂行する計画性のあるルパンが、最終的には頭で考えることを止めて直感に頼ることを余儀なくさせる結末が、なんとも皮肉めいていて教訓的というか、寓意的で面白いです。ある意味では、それまで経験を生かした自力の戦略で生きてきたルパンが、はじめてこのエピソードで過去に培ってきたノウハウを捨て去り、まったく新しい戦術をとっています。奇しくもこの次のエピソードで1stシリーズの最終話となるわけで、そういう意味でもこの第22話はルパンというキャラの限界を示すと同時に、別の新しい伸びしろを伺わせる象徴的なエピソードのように思えてきます。

万能の人工知能コンピュータといえば、先に触れた「2001年宇宙の旅」のHAL9000のインパクトが大きいですが、そういえばゴダールの映画「アルファヴィル」にも似たような機械が出てきたな、と思い出し、やはりゴダールも「2001年〜」の影響を受けてたんだな、とにやにやしながら、ふと念のために調べてみたのですが・・・なんとゴダールの「アルファヴィル」のほうが「2001年〜」よりも3年も前に作られてたようでビックリしました!う〜む、ゴダール、天才すぎる!「アルファヴィル」はゴダール作品にしては異質のSF映画ですが、未来都市の設定なのに、普通に当時のパリ市街で撮影されてた、というのもユニークなエピソードとして有名ですね。この映画もまたゴダールらしいポエティックなカッコイイ台詞が頻発してて印象的な映画でした。主人公が万能コンピュータ「アルファ60」と会話するシーンがあって、主人公はコンピュータといくつか問答するのですが、特に印象に残っているのは、コンピュータが「死者の特権とは何か?」と質問してくる場面です。
「死者の特権とは何か?」その質問に主人公はこう答えます「二度と死なないことさ」。まず普通の日常会話では出てこない知的でお洒落なやり取りですが、そういう詩的でかっこいいシチュエーションを描くのはゴダールの持ち味ですね。ゴダールの映画は、お洒落で知的なフランスというステレオタイプなイメージをそのまま映像にしたような感じで、難解でとっつきにくい面がありつつ、理解できなくてもいいから見てみたいと思わせる変な魅力があり、むかしは気合いをいれて鑑賞しまくった時期があります。それは「ゴダール映画を知ってる俺って知的でかっこいい」と思いたいという俗物的な思惑も大いにあったわけですが、そういうステイタス的な魅力も含めてゴダールの魅力だと思います。実際鑑賞してみると、それだけでなない収穫もたくさんありましたし、見ておいてよかったと思います。上記のような、スタイリッシュでポエティックな台詞の応酬とかは、ゴダール作品特有の個性ですし、出世作「勝手にしやがれ」では、まさに前述したルパンの第22話のように、毎日その場で考えた脚本を次の日に撮影していくという、気まぐれや思いつきを生かした実験的な作品で、即興演出や斬新な編集など、ヌーベルバーグを代表する傑作ですし、見ておいて損は無い作品でした。「気狂いピエロ」なども代表的ですが、個人的には「女と男のいる舗道」「男性女性」あたりの作品がお気に入りです。ゴダールの独特のノリに慣れると楽しく見れるようになってきますし、なによりものの見せ方、会話のリズム感など、今でも勉強になる部分の多い監督ですね。自分が好きなものやこだわっているものを世間受けを気にせずけっこうストレートに作品に持ち込む監督で、そういう所も好きです。
フォークソングの話のところでもちょっと触れたあがた森魚の傑作アルバム「噫無情(レ・ミゼラブル)」(1972年)ですが、このアルバムの中の一曲「最后のダンス・ステップ(昭和柔侠伝の唄)」に印象的なゴダールの引用がありましたね。この曲は緑魔子さんとデュエットしているのも注目したい点で、緑魔子といえば現在は俳優の石橋蓮司さんの奥さんとしても知られていますが、名前のインパクト通り当時はアングラ演劇や前衛的な映画で活躍した女優さんです。彼女は当時からゴダールの大ファンだったようで、このあがた森魚とのデュエットでも、序盤に入る「私の名は朝子です」からはじまる緑魔子さんの少女っぽく初々しい語りは、ゴダールの「女と男のいる舗道」をアレンジして引用したもののようです。たしかにCD付属の歌詞カードを参照してみると、歌詞の中に「J・L・ゴダール「女と男のいる舗道」より)とクレジットがあります。映画のほうはだいぶ昔に見たきりなので、どういうシーンからの引用なのか覚えてませんが、なんとなく気になるのでそのうちDVDなどで見直してみたいです。日本の音楽とゴダール、といえば、このあがた森魚の曲のほかに、YMOの「マッドピエロ」(映画「気狂いピエロ」がタイトルの元ネタ)や「中国女」や「東風」もゴダールの映画のタイトルを引用した曲として有名ですね。また、沢田研二さんの往年のヒット曲「勝手にしやがれ」もゴダールの映画タイトルが元ネタになっています。こうしてみると、意外とゴダールというのは日本の大衆文化のあちこちで引用され重宝されている側面もあったりして面白いですね。お洒落さや知的感性を象徴する権威、というかある種箔付けのような意味合いでゴダールが引用されている面もあるとは思いますが、そういうものも含めた魅力があるのもたしかですし、私がそうだったように、そうした魅力がゴダール映画を鑑賞してみようという動機になったりすることも多いわけですから、入り口はファッション感覚でかまわないのかな、とも思います。結果的にそれが人生を少しでも豊かにしてくれるものなら儲け物です。
ゴダールは作品も素敵ですが、本人もめちゃくちゃカッコよくて、顔面にパイ投げされたハプニング映像を昔見たことがありますが、その時のリアクションがかっこよすぎたのが記憶に焼き付いていて、私の場合、それもあってゴダールが気になる監督になっていったような気がします。一昔前、世界的に当時暗躍していたゲリラ的な集団で、気に入らない有名人の顔にパイを投げつけてクリームまみれにして、そのかっこ悪い姿やリアクションをビデオにとってマスコミに流し、世間のさらし者にするという、反権力が生き甲斐みたいなノリの悪趣味な集団で、日本でもちょっと取り上げられたことがありました。たまたまその時の報道映像で、ハリウッド俳優やビルゲイツなどの著名人にまじってゴダールがターゲットにされた時の映像がありました。件の集団は「パイ投げスナイパー」と呼ばれる集団で、ベルギーを拠点に活動していたようです。パイを投げられ顔中クリームまみれになったゴダールは、口のまわりのパイをぬぐいそれまでくわえていた葉巻をまたヒョイとくわえます。突然のハプニングなのに、実にスマートに反応をしていてシビれました。お洒落って、ファッションのことではなく、こういうにじみ出る人間力のことなんだろうなぁ、と思わずにいられない映像でした。
パイ投げスナイパーのリーダーをしているのは、調べてみたら作家や俳優などをしているノエル・ゴディンという人物のようです。屈強なガードマンの防御をかいくぐりビル・ゲイツを奇襲したことで世界的に有名になってしまったようですが、それにしても人によってはユーモアや冗談だけで済まなさそうなギリギリな活動ですよね。パイ投げ団のそんな冗談に命かけてる感には苦笑を禁じ得ません。
ルパンの記事なのになんかゴダールの話が長くなってしまいましたが、まぁルパンもモーリス・ルブラン原作のアルセーヌ・ルパンの孫という設定で、なんとかフランス繋がりではあるので、とりあえず良しとしましょう!

ゴダールの映画「アルファヴィル」(ウィキペディア)
ゴダールの傑作映画『勝手にしやがれ』予告編(YouTube)
カンヌでパイを顔に当てられるゴダールの映像(YouTube)
鑽孔テープ(「邪悪な波動に目覚めたアルマジロ」様のブロマガより)
鑽孔テープの雑学と、それが出てくる娯楽作品について書かれていて興味深いです。鑽孔(さんこう)テープとは、上記でも触れた昔のコンピュータの描写によくあるパンチ穴の開いた紙テープのことです。
2019.6.16追記
ルパンの話から、最後に無関係なゴダールの話で締める、という行き当たりばったり感の詰まった記事でしたが、ふと「いやそういえばゴダールもルパン1stシリーズに出てたような・・・?」と思い出し、ちょっと付け足したく追記します。第18話「美人コンテストをマークせよ」は、ある富豪が南国の孤島で美人コンテストを催すという出だしで、裏では美術絵画の闇オークションを行い、思惑を嗅ぎ付けたルパン一味が騒動を起こす、というエピソードです。各国の選ばれし美人は、裏ではそれと対応した絵画が割り当てられており、審査員による美人コンテストの採点がそのまま絵画の売買価格と連動している、という企てです。この審査員たちが実は闇オークションの参加員である怪しい金持ち連中なのですが、審査員のひとりにゴダールという名前の外国人が登場しています。作画ではゴダールというより肥満のジャン・ポール・ベルモントみたいな風体のマフィアのボスみたいな雰囲気の男ですが、一応ちゃんとルパンシリーズにゴダールという名前のキャラが出てくるわけで、この記事でゴダールに触れたのも1ミリくらいは関連性のある話題だったのではなかろうか、と思う次第です。この闇オークションの審査員役のゴダールですが、彼が購入した絵画が日本の浮世絵、歌麿の版画であるというところも、ちょっと面白いですよね。この第18話も、ユニークなアクションが多くて楽しいエピソードですが、五ヱ門をコンテストに乱入させつつ美人コンテストの裏に隠された秘密を暴いていくルパンの頭脳戦もなかなかに魅せてくれましたね。