2018年08月28日

【雑談枠】黄金郷通信 vol.2

なんとなく更新が滞ってきたので、せっかくなので雑談的に今回もとりとめなく興味の赴くままに語ります!ここのところ、月のロマンとか宇宙に関する珍奇なビジュアルなどをテーマに何か書きたいとネタを暖めているところですが、とりあえず最近気になっているテーマなどをいくつか雑多に取り上げてみました。



el_icon.pngチベットの聖者ミラレパ

チベット仏教において最も有名な聖者だといわれているのがミラレパ(1052〜1135年)だそうで、その名前だけは何かの本で出てきたためかなんとなく知っていましたが、実際どのような人物なのか調べてみると、想像以上に波瀾万丈で興味深かったです。実在した人物とは思えないほどの不思議な人生を送った聖者で、ウィキペディアをはじめ、検索するといくつかミラレパの人生をテーマにした記事がヒットしますので興味のある方は調べてみると面白いと思います。チベット仏教というと、輪廻転生によって引き継がれてきた最高指導者、ダライ・ラマとか、OSHOばりにアナーキーなチョギャム・トゥルンパなどが思い浮かびます。また「チベット死者の書」や、シャンバラ伝説など、チベット自体が神秘に満ちた不思議な地域の印象があります。チベットは現代はややこしい状況になっていますが、なんとか良い方向に改善されることを期待してやみません。

さて、ミラレパに話を戻しますが、彼はチベットの裕福な名家の生まれで何不自由の無い幼少期を過ごしたそうです。しかし、ミラレパが7歳の頃に父が病死してから運命は一転します。叔父と叔母の画策によって父の遺産を強奪され、さらにミラレパの一家は彼らの奴隷にされて悲惨な暮らしを強いられることになります。一家を奈落の底に陥れた叔父と叔母に復讐するために母はミラレパに黒魔術を学ばせます。誦咒(しょうじゅ)、厭勝(えんしょう)、霰(せん)の3つの魔術をマスターしたミラレパは、叔父と叔母だけでなく、彼らに加担して自分たちを虐待した村人35人をも呪殺してしまいます。それでも気が納まらなかったのか、天候を操る秘法によって村の全ての農作物を壊滅させてしまったそうです。実在の人物のエピソードというより、神話の話のようですね。この頃の日本は平安時代後期ですから、余計に不思議さを感じますね。でも、西洋の黒歴史、魔女狩りは、15〜18世紀と、意外にそう遠くない時代に起こってますので、それ以前のミラレパの生きていた11〜12世紀頃の世界は、想像以上に神話の世界に近い様相だったのかもしれませんね。

というわけで、復讐を完遂したミラレパでしたが、黒魔術とはいえ、そこまでの呪法をマスターしたほどなので、もともと魔術師的な素質があったのでしょう。そういえば、昔「復讐するは我にあり」という映画がありましたが、このハードボイルド風なタイトルは実は聖書の言葉(ローマ人への手紙)が元ネタのようで、「我」とは神を指しています。意味は「自ら復讐に手を染めてはならない。ただ神の怒りに任せなさい」ということのようです。精神世界の教えでは復讐というのは相手だけでなく自分にも悪いカルマを背負う愚かな行為です。「人を呪わば穴ふたつ」とはまさに至言で、人を呪って仮に相手が不幸になっても、同じくらいの不幸を自分も背負うことになります。自分で復讐しなくても、人を不幸にした者は同等の報いによって購わせられるという法則が、まるで物理法則のようにはたらくことは、多くの聖典で述べられていますし、実際自分の経験に照らしてみても、そういうはたらきがあるように感じます。なので、復讐したいくらい憎い相手なら、自分で手を下して自分までカルマを背負って苦しむよりも、すべて神(=天の法則)に任せてしまったほうが、結果的にはノーリスクで復讐が完遂するのだから、そっちのほうが得ですよ、ということですね。

しかしまぁ、ミラレパの蒙った理不尽さは、なかなか一般の人間が経験できるようなレベルを越えていますし、憎しみの動機も痛いほど解るので、ミラレパの復讐を単純に責める気にはなれないところもありますね。しかし見えない次元ではたらいているカルマ的な法則は自動的にはたらきます。後に聖人と呼ばれるほどになったミラレパですから、そうした天の法則にもうすうす気づいたのか、自分の犯した悪のカルマの報いを恐れるようになり、正しい仏法を探求するようになります。そうして出会ったのが生涯の師、マルパ師でした。

後に聖人となる人物の師匠ですから、マルパ師もそうとうな達人で、出会う前から夢の知らせでミラレパが特別な弟子であることを知っていました。ミラレパはゆくゆくは世界を照らすほどの救いの光明をもたらす人物となること、それには犯してしまった黒魔術による殺人や村の破壊などの悪業を浄化する必要があること、その浄化はマルパによって可能であること、などが夢で知らされたそうです。そういうこともあってか、ミラレパが弟子になると、ミラレパにひとりで石造りの塔を建てさせ、完成が近づくと自分でそれを壊すように命じたりと、理不尽な仕打ちを何度も続けました。苦労して石を運び、こつこつと積み重ね、仏塔を造りつづける毎日、しかし完成の一歩手前で、それを壊せと命じられる苦しみ。ミラレパは、完成の喜びさえ味わうことを許されない重労働を、何度も何度も強いられました。さらに、ミラレパを他の弟子の前で罵倒したり、公衆の前で殴り、蹴り付けたりと過酷な目に何度も合わせました。これもミラレパが積んでしまった悪業の浄化のために必要なミソギでした。多分、そういう真意があろうともミラレパにした理不尽な仕打ちのカルマをマルパ師は背負うことになるはずです。しかし、神から託された弟子をちゃんと解脱せるのが自分の使命であることも承知しているので、覚悟の上で心を鬼にしていたのでしょうね。

悪行の浄化のためとはいえ、あまりの厳しい虐待にマルパ師の元から逃げ出したりもしますが、結局最後までマルパ師の元で厳しい修行に耐えて最終奥義を授けられます。師の元を離れた後、ミラレパは人里離れた洞窟で苦行に励み、とうとう最終的な悟りの境地に至ったといわれています。ミラレパの伝記をけっこう端折って紹介しましたが、ほかにも興味深いエピソードが多いので、興味のある方は調べてみると面白いと思います。

メモ関連サイト
ミラレパ(ウィキペディア)



el_icon.pngカバラの動画

カバラと聞くと、どうしてもマニアックな秘教的オカルト思想をイメージしてしまいがちなのですが、「ブネイ・バルーフ カバラ教育研究所」という組織が数年前からYoutubeなどにアップしている動画をたまたま見ていたら、意外に精神世界全般に通じる普遍的な教えが根底にある思想であることを知り、がぜん興味を持ちました。たしかにカバラというとゲマトリア(数秘術)に代表されるようなオカルト要素に惹かれるところではありますが、もともとカバラの母体であるユダヤ教自体が、歴史的にキリスト教と通底するところがあるだけに、カバラもまた万人の心に響くものを根底に持った思想なのだなぁ、と感じました。ブネイ・バルーフ カバラ教育研究所は、イスラエルを拠点としたカバラの啓蒙を目的とした非営利組織だそうです。ユダヤ教とかカバラというと日本人に馴染みの薄いところがあって、それゆえに神秘な匂いがたまらないところがありますね。

TV動画
カバリストはどんな意識状態に到達したのか?(ブネイ・バルーフ カバラ教育研究所)
オプションで日本語訳の字幕を表示できます。

いろいろ興味深い動画があがっていましたが、例えば上記の動画では、人間は特有の脳のトリックによって、心の内側で生じるさまざまな現象を、あたかも「外側」で起きている事象のように錯覚しているのだ、というユニークな見解を解説していて面白いです。内側と外側という境界はただ脳の都合でそう認識しているだけで、本来違いは無い、という立場は、ヒンドゥー教や仏教ではお馴染みの思想ですが、カバラでも同じ視点にたっているところが興味深いですね。

メモ関連サイト
カバラ(ウィキペディア)

ブネイ・バルーフ カバラ教育研究所日本語版公式サイト



el_icon.pngヴィンテージでオリエンタルなファッション写真・孫郡(Sun Jun)

孫郡(Sun Jun)は、ファッション写真に伝統的な中国美術の要素を取り入れたヴィンテージ感漂うユニークな作風で注目されている写真家です。漢詩の世界のようなオリエンタルなポエジーを感じる写真がとてもユニークです。モダンなファッションと風流な東洋的レトロ感が絶妙で、とくに、何もない空間を大胆に作る禅庭を思わせる東洋的な美意識が心地いいですね。孫郡は7歳の時から中国画を学び始めたそうで、そうした素養が実に見事にファッション写真というある意味ミスマッチな分野で発揮されたというところも面白いですね。

以前、中国人ファッションデザイナー、ヴィヴィアン・タムの『China Chic』という本(ファッションの写真集というよりは、彼女のイマジネーションの源流をコレクションしたような、古今の中国文化をビジュアル的に構成したイメージブックという体裁)に感銘を受けて、現代の中国人クリエイターに関心を持ちはじめていたのですが、そうした中で孫郡の作品を見つけ、さらに関心が深まりました。

メモ関連サイト
孫郡(Sun Jun)の作品(中国語のブログ「The FEMIN」様より)

孫郡(Sun Jun)の作品(google画像検索結果)



el_icon.png偶然という名の必然・シンクロニシティについて

アメリカといえば、フリーメーソンが建国にかかわっていた、とか、ドル紙幣にまつわる都市伝説とか、UFOや超能力の研究を国家機関が行っていたとか、歴史の浅い新しい国という割には、いろいろと不思議ネタに事欠かない底知れない魅力に満ちた国でもあります。そうしたネタのひとつにアメリカ大統領、リンカーンとケネディの不思議な共通点の話があり、子供の頃に読んだオカルト系の本に載っていたせいで、とても印象深く記憶にあります。アメリカ本国では案の定オカルト系の本でよく取り上げられていた題材のようで、検索してみると、かなりたくさんの一致点があるみたいで、ひさびさにびっくりしました。代表的な一致点というと以下のようなものがあります。

リンカーンとケネディ

 ジョン=ケネディ大統領とリンカーン大統領は、共通点がある。
(1) リンカーンが大統領に選ばれたのは1860年、ケネディが選ばれたのは百年後の1960年。
(2) ふたりの大統領のあとをついだのはどちらもジョンソンという名前の人。生まれた年は、これまたちょうど百年違い。
(3) 暗殺者の生まれた年も百年違い。リンカーンの暗殺者は1839年、ケネディの暗殺者は1939年生まれ。
(4) リンカーンの秘書の名はケネディ、ケネディの秘書の名はリンカーンといった。
 これらの事実は、偶然だろうか・・・・。

「超科学ミステリー」斎藤守弘著 学研 昭和49年(1974年)刊 p137より


メモ関連サイト
リンカーン大統領とケネディ大統領の共通点(ウィキペディア)
けっこうありますね。私は上記の4つ程度しか知らなかったので、思ってた以上に共通項が多くてびっくりしました。

歴史に名を残すような人物は、それだけ世界に影響を与えている人物でもありますから、シンクロニシティめいた現象が起こりやすいといえます。シンクロニシティとは、ある種、見えない次元を支配している法則のひとつで、この世がたんなる物質同士の反応だけで存在している世界ではない事を人間に知らせてくれます。アメリカ大統領のような影響力の大きい人物であれば、なおさら霊的次元での影響も大きいはずで、だからこそシンクロニシティという形で解りやすくこの世に投影されやすいのだろうと察します。

日本でいえば、天皇陛下や総理大臣なども影響力が大きいですから、探せばいろいろとシンクロニシティ的なものが見つかりそうですね。そういえば、皇室にまつわる不思議なシンクロニシティの話が一時期話題になった時がありましたね。雅子様と紀子様は共に皇室に嫁いだことで日本中で話題になりましたが、このおふたりには偶然にしては出来すぎたあるシンクロニシティがありました。それは、おふたりの名前に関するもので、ご存知の方も多いと思いますが、ご結婚前のフルネーム、小和田雅子(おわだまさこ)、川嶋紀子(かわしまきこ)を一字づつとばして交互に読むと、お互いの名前に一致するというものです。

180828_el2_masako,kiko.jpg

天皇の家系は神話の時代まで遡ることができますし、三種の神器というモロに神話のアイテムを引き継ぐことで継承していくわけですから、この目に見える世界だけでなく、霊的な影響力も相当なように感じます。そうした霊的なパワーを継承していく選ばれた家系に入っていく人も、民間人とはいえ、高い次元では、前もって決まっていた方々だったのかもしれませんね。

シンクロニシティの興味深い事例として印象的なのは、1950年代にアメリカのある教会で起きた奇妙な事件です。昔、南山宏さんのコラムかなにかで読んだ記憶があるのですが、以前「トリビアの泉」というテレビ番組で紹介されたこともあるみたいなので、ご存知の方も多いと思います。この事件は当時の有名なニュース雑誌『LIFE』にも載ったそうで、信憑性も高そうです。その事件とは、「1950年3月1日、ウエスト・サイド・バプティスト教会において午後7時25分、ガス漏れによる事故で教会が爆発し全壊した」というものです。爆発した時間帯には、ちょうど聖歌隊のメンバー15人が全員集まって練習する予定であったにかかわらず、奇跡的に全員が£x刻したために難を逃れたのでした。しかも、遅刻の理由は15人それぞれに別々の理由(宿題が終わらないので遅れた、とかラジオ番組に夢中になって忘れていた、とか)というのも実に神がかった奇跡です。

メモ関連サイト
「トリビアの泉」で紹介された教会ガス爆発事件で起きた奇跡の内容(「日本発ニュース」様)

偶然で片付けてしまうのは簡単ですが、この宇宙は多くの科学者が考えているように、厳密になんらかの法則に支配されているはずで、そういう意味では「偶然」は存在しないともいえます。人間世界で起こる社会現象も、目線を変えれば宇宙で起きている物理現象のひとつでもありますから、一見人間的で物理法則とは無関係に思われている怒りや友情や恋愛などの感情や、人間関係で起こる様々な出来事なども、すべてその背後にはまだ解明されていない次元での見えない法則が影響しているように思います。奇跡を偶然と片付けるのもひとつの見方ではありますが、「起こりうる最も理想的な成り行き」を奇跡と呼ぶわけで、聖典などでいわれているのは、主にそういう「偶然」をいかに「偶然」として片付けずに、むしろ積極的に人生に活用していくべきかを語っており、そういうところが精神世界に惹かれるところでもありますね。

シンクロニシティについて考察していくと、「偶然とか何か?」という問題が気になってきますし、数学で扱う偶然「確率論」にも興味がわいてきます。数学で扱う「偶然」も、「モンティホール問題」などを筆頭にけっこう面白いものが多く、いずれ項を改めて記事にしたいと思います。
posted by 八竹彗月 at 23:58| Comment(0) | 雑記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: