冴えないサラリーマン・犬屋敷 壱郎(いぬやしき いちろう)は、犬の散歩中に宇宙人のUFO墜落現場に居合わせてしまったせいでいったん死亡してしまいますが、宇宙人も良心が傷んだのか、そのままにはせずに急いで出来合いの機械パーツを使って元とそっくりの機械人間として蘇らせます。身体のパーツが全部入れ替わっていますが、心は元の犬屋敷壱郎のままです。しかし、オリジナルの人間の犬屋敷壱郎≠ニは部品が全て違うのだから、この犬屋敷壱郎だと思い込んでる「心」も、もしかしたら入れ替わった機械が犬屋敷壱郎をシミュレートしてるだけで、本当の自分ではないのではないか?という実存的なジレンマに壱郎は苦しむ事になります。このあたりの哲学的なテイストは、物質的に別のモノでそっくりに組み立てられた「自分」は、本物の自分なのだろうか?という問いを投げかける「ガンツ」と通底する部分ですね。
主人公壱郎は、自分は元の「人間・犬屋敷壱郎」なのだ、という確信を得たくて、人助けなどの人間らしい″s為をしながら、人間としての実感を取り戻そうと生きることになります。時を同じくして、同じ場所でUFO事故に巻き込まれたもうひとりの主人公である高校生、獅子神 皓(ししがみ ひろ)も、壱郎と同様の機械の身体を得ます。彼は壱郎と正反対に、人を殺すことで自分が生きているという実感を確かめようとして、無慈悲な殺害を淡々と繰り返していきます。冴えない初老の男でありながら正義の心をもった壱郎と、他人への共感能力に乏しいイケメン高校生が巻き起こす殺戮、という明快かつユニークなコントラスト。明快な設定と激しいアクション&哲学的テイストというのは作者の持ち味なのでしょうね。そうした「ガンツ」から引き継がれた持ち味に、人間愛や家族愛などの情緒的な部分も丁寧に描いたことで、とても魅力的な作品に仕上がっていますね。
機械によって超人的な能力を手に入れたふたりの人間が、その能力をまったく対照的な目的のために行使するユニークさがこの作品の背骨になっていて、正義の老人、壱郎の人助けのエピソードは弱きを助ける必殺仕事人っぽいノリで王道のヒーローもので楽しいです。方や皓(ひろ)のエピソードは、愛に飢えた孤独な少年が、身近にいる母や恋人や幼なじみだけを心の支えに、大事な彼らを守ろうとして結果的に利己的な殺害を繰り返すという、切なくも殺伐としたものです。彼の犯した冷酷な殺人の数々を考えると、同情の余地はないはずなのですが、一方で、皓(ひろ)の狂おしいまでの寂しさや人恋しさが伝わってもくるので、彼のキャラを自分はどう扱い、どう評価したらよいのか悩みました。ある意味、皓(ひろ)は壱郎の闇の部分であり、壱郎は皓(ひろ)の光(理想)を象徴する存在なのでしょうね。壱郎だけのエピソードでまとめあげてもよかったのではないか、とも途中ふと思ったりしましたが、エピソードを重ねるごとに、皓(ひろ)という冷酷さと繊細さを持った、生きる事にとことん不器用なキャラがどうも憎みきれない感じになってきて、見ているうちに、「ああ、そういえば壱郎もまた、皓(ひろ)と同様に、不器用にしか生きれないキャラだったな」ということに気づき、彼をからませるその意図になるほどと合点がいったのでした。
今回は「ガンツ」と違って、宇宙人は裏方というか、最初の「事故」以来どこかに去ってしまって物語には出てきません。なので、より人間描写や社会風刺を掘り下げて描写していて社会派SFっぽいノリもあって面白かったです。ラストはとても考えさせられますね。ネタバレになるので書きませんが、同じ立場だったら自分ならどういう選択をしただろうか?と考えずにはいられない秀逸な結びでしたね。

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