2017年08月29日

『あるヨギの自叙伝』を読んで

ようやく念願のパラマハンサ・ヨガナンダ(1893-1952年)の主著『あるヨギの自叙伝』を手に入れて読みました!ちょうど今の自分の波長に合ったタイミングで読んでいるせいなのか、これは想像以上に面白いです!今回はこの『あるヨギの自叙伝』を読みながら思ったことや感想などを書いていこうと思います。インドの有名な聖者は自分で本を書く人は少ないようで、多くの場合、弟子達が教えをまとめた本でその人物像を想像するしかないのですが、『あるヨギの自叙伝』は聖者ヨガナンダ自身が執筆した著書であることもあり、聖者とはどんな事を思い、どんな人生を歩んでいる人なのか?という素朴な興味にひとつの応えを返してくれます。

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パラマハンサ・ヨガナンダ著『あるヨギの自叙伝』 森北出版 1983年
1946年にアメリカで出版された英語版の『Autobiography of a Yogi』の日本語訳。デザインは異なるものの、表紙に使われている眼力鋭い肖像写真は同じものが使われています。本を手に取る読者の心の内まで鋭く見透かすような神秘的な眼光が印象的ですね。


この本の序盤では、ヨガナンダはかなり小さい頃から神を知りたいという強い欲求を持って精神世界を探求していった人であることが分かります。映画スターでもなく、コミックのヒーローでもなく、いきなりこの宇宙で最強のヒーローである神≠ノ、子供の頃から最大の関心を寄せるというのは、やはり子供時代からしてタダ者ではないですね。インドはシバ神やガネーシャ神など神様のポスターやカード、または像などが日本でいえばアニメやアイドル写真のように普通に日常に溶け込んでいるようなところもあり、世界で最も神様が身近な国というイメージもありますから、もしかするとヨガナンダ少年のような子はそれほど珍しくはないのかもしれませんが、宗教や文化などのフィルターを通したある種架空の存在や何かの方便としての神ではなく、もっとリアルに実在する神を直球で求めようとする所は希有なものを感じます。かといって、いわゆる神童のようなエリート的な雰囲気の子供というのでもなく、神への探究心以外は、自分の意見を通そうと親にゴネたり学校の勉強も嫌いな、ふつうの子供っぽい感じで親しみがわきます。

第11章で、神への信仰心だけで豪華な無銭旅行に成功する少年時代の興味深い不思議な話が紹介されてます。あまりに俗世に執着が無く、神ばかりを求めているヨガナンダ少年に、現実的な兄はいつもお説教していたそうです。「何といっても先立つものは金なんだ。神様はそれからでも間に合う。長い人生には何が起こるかわからないんだぞ」といつものように粛々と説教してくる兄に、ヨガナンダ少年は躊躇無く「いいえ、何よりもまず神です。お金なんか神の奴隷にしかすぎません」と切り返します。あいかわらずの弟の返答に、業を煮やした兄はヨガナンダ少年にひとつの賭けを持ちかけます。その内容は、現在地であるインドのアーグラからブリンダバンの町まで、一銭も使わずに行って帰ってこいという課題です。お金より神が人生の最重要事なら旅費も食事も神がなんとかしてくれるはずではないか?という兄の提案です。しかも条件は厳しく、食べ物やお金を他人にねだるのも、自分たちの事情を誰かに訴えるのも禁止。しかし食事はちゃんと取らないといけない。これらの条件を守って今夜十二時までにこの家に戻ってくる事≠ニいうものです。このミッションでは、友人のジテンドラという少年がヨガナンダに付き添って旅をすることになります。ジテンドラはどちらかといえば兄のように懐疑主義的な人間で、いわば監視役ですから、旅するうえでのズルやゴマカシもききません。これはヨガナンダ兄からの本気モードの挑戦です。ヨガナンダ少年はうろたえることなくこの難易度の高いチャレンジを受け入れます。

アーグラからブリンダバンといってもピンと来ないと思うので、調べてみると、およそ70kmほど離れていて、電車で数時間かかる距離のようです。日本でいうと東京から伊豆くらいの距離です。結論から言うとこの兄の賭けに見事勝利する話なのですが、行く先々で起こる数々の奇跡の連続が見所です。神は奇跡を通じてその存在を人間に知らせることがよくありますが、このエピソードも、そうした具体例のひとつとして興味深いものを感じます。奇跡というと、ついつい私たちは、超常的なレアな偶発的なもののように考えがちですが、精神世界の視点から見ると、奇跡というのは、疑念とか不安などの何のノイズも入らない状態で物事が完璧にスムーズに展開する事≠フように思います。気候の変化と無関係な地下深くの完璧な状況下では、二酸化ケイ素が結晶化すると見事に六角柱状の幾何学的な形状をした水晶に育ちます。それと同じように、人間界の出来事も、悪意や不信などのノイズを限りなくゼロにした理想的な状況下では、そこで起こる出来事も完璧に理想的な展開、つまり奇跡が起こりやすくなるのだと思います。ヨガや禅など、多くの精神修行が目的とする事のひとつは、健康や精神衛生のほかに、そうした人間の肉体や心の内部のノイズをゼロに近づけることで意図的に奇跡を起こせるようになることでもあります。

そんなこんなで無事にミッションをクリアし、アーグラに帰ってきたヨガナンダ一行ですが、彼らを見て兄は仰天します。一銭も持たずに出て行ったヨガナンダが札束を抱えて帰ってきたからです。追いはぎでもしたのでは!?と不安をあらわにする兄に、不思議な奇跡が次々に起きた旅の顛末を説明すると、兄はやっと納得し、またそれまでの考えを180度改めて「私はお前が俗世の富や宝に無関心でいる理由が今やっとわかった!」と神の実在を受け入れ、友人のジテンドラと共にこの日、即座に弟ヨガナンダの弟子になったそうです。

神≠ニいうと、宗教くさい印象を受け取りやすいですが、具体的には究極の真実、または宇宙的な全てを含有する大きな超越的な法則、あるいはそれ以上の定義しがたい存在でありますから、逆に神≠ニいう言葉を使ったほうが手っ取り早いのも確かです。極論すれば、科学もまた宗教とは別のアプローチで神(=究極の真実)を知ろうとする試みであるといえるかもしれませんね。

メモ参考サイト
インド、アーグラからブリンダバンまでの地図(Google Map)

と、まぁ、上記のような自伝的なエピソードも面白いものが多いのですが、この本の他には無いユニークな価値は、とにかく不思議な能力を持った聖者がたくさん紹介されているところです。単に「そういう聖者がいるらしい」という伝聞ではなく、紹介されている人間離れした聖者たちのほとんどに直接合って教えを受けたりしているところが生々しくて凄いです。そもそも、ヨガナンダの師匠であるグルのスリ・ユクテスワ師からして超人的にスゴイ聖者なのですが、さらにユクテスワ師の先生であるラヒリ・マハサヤ、さらにその師匠である不死のヨギー、ババジと、直系の師匠たちからして想像を超えた超人揃いで、ひさびさに読書の快楽に浸れました。読みながらこの世の秘められた広大な可能性にワクワクしてきます。ヨガナンダの紹介する聖者たちの話は、どれも日常の一般的な常識を逸脱したエピソードのオンパレードなのですが、ヨガナンダ自身不思議な生涯を送った聖者なので、それらのエピソードを確信をもって語っており、深遠な説得力があって引き込まれます。前回のヨガナンダの記事で、ビートルズのレコードジャケットにヨガナンダが登場していることに触れましたが、他にも『あるヨギの自叙伝』に登場するヨガナンダの師匠ユクテスワ師や、ラヒリ・マハサヤ師、そしてババジ師も写っていて、ビートルズ、とくにジョージ・ハリスンのヨガナンダへの傾倒は並々ならぬものを感じます。

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1967年に英国で発売されたビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)のジャケットアートに登場するヨガナンダとその師匠たち。スリ・ユクテスワ(Sri Yukteswar 1855-1936)はヨガナンダの師匠、ラヒリ・マハサヤ(Lahiri Mahasaya 1828-1895)はユクテスワの師匠、ババジ(Babaji)はラヒリ・マハサヤの師匠です。師弟の順にババジ→ラヒリ・マハサヤ→スリ・ユクテスワ→パラマハンサ・ヨガナンダ、となります。

不思議な事は、非日常なイメージがあるので、体験しない限りは信じられないと思っていた時期も私にありましたが、日常が「不思議に乏しい世界」である原因は、そもそも人間社会が日常から不思議を排除することで「この世界は(常識の枠内に収まるような)秩序だった世界なのだ」という幻想を作り上げたせいでもあります。そうしたほうが、様々な人間の集う共同体を維持するために都合がいいからそうしているだけで、そうしたあらかじめ社会から与えられた常識的思考の枠組み≠ちょっと外してみるだけで、一挙にこの世界は謎と不思議に満ちたスリリングな世界に豹変します。

この本に登場する不思議な聖者達のエピソードは、精神世界に馴染みが薄いと、にわかに信じがたいものが多いかと思いますし、精神世界に馴染みがある人でも、超常現象的な派手なものは求道の本質から外れるものとして嫌う人もいます。ですがそうした超人的な部分は一般には一番興味深い部分でもありますし、また、インパクトが強いからこそそれが求道のきっかけになったりする場合もあります。また人間の可能性の限界まで到達したヨギーとはどういう存在なのかを示すひとつの側面であるのも確かですから、そうした話を包み隠さず書き残した『あるヨギの自叙伝』は貴重な資料ともいえるような気がします。

私たちは飛行機などの交通機関の発達や、インターネットなどで、なんとなく世界の全てを知ったような気分に陥りがちですが、実際問題、遠い異国どころか、つい隣町の路地裏など、行ったことも見た事もない未踏の場所は身近にも無数にあります。ストリートビューから外れた地域はネットだけで確かめる事も不可能です。宇宙の謎どころか、地球上の謎すら未解明の事のほうが多いです。という感じで、この世界は自分の認識や常識を超えた部分のほうが圧倒的に多いのが現実です。人間は、人間に具わった肉体的な感覚器官(目、耳、鼻、口など)を通じ、その刺激を解釈する事で、この世界に一定のイメージを割り当てて解釈していますが、当然、本当のリアリティというのは、部分的に伝わってくる肉体的な刺激だけで把握する事は不可能ですから、ブッダなど、多くの賢人が言うように、人間が常識的に考えているこの世界の解釈は根本から何かを勘違いしている可能性があります。

もしも、人間の視覚が捉える波長の範囲(可視光線)が紫外線、または赤外線領域に大きくズレていたとしたら、まったく違った世界を見ることになりますし、波長の違いを「色」として捉えている脳が、そうした世界をどんな「色」で認識するのかは、全くの謎です。瞑想というのは、そうした肉体的な感覚器官に頼らずにリアリティを捉えようとする試みのひとつで、自分を宇宙そのものが持つ感覚器官のひとつとして機能させることで、宇宙に溶け込み、知性ではなく、感覚的に宇宙的リアリティを体感するものともいえるでしょう。ヨガナンダは、他の著書『人間の永遠の探求』でも、瞑想を「神を知るための最も有効な手段」であると明言しています。まぁ、そうした超越的な価値だけを目的にせずとも、瞑想は普通に精神衛生にも良いですし、頭もスッキリして気持ちいいので、習慣にして損することはないと思います。

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パラマハンサ・ヨガナンダ著『人間の永遠の探求』 森北出版 1998年
こちらはヨガナンダの講演集です。『あるヨギ〜』は、自伝中心なのでインパクトの強い聖者達のエピソードに圧されてヨガナンダ自身の思想は控えぎみに書かれている感じですが、こちらの講演集は、『あるヨギ〜』では語りつくせなかったヨガナンダの教えに関する話が中心になっています。瞑想の話など、実践的な内容が多く、こちらの本もなかなかに興味深く、面白いです。


『あるヨギの自叙伝』は、序盤は少年期の神を探求するヨギーへの憧れから生涯の師匠になるユクテスワ師の元での修行にはじまり、中盤では、自己の内面の霊的なレベルが上がるにつれて知り合う聖者の超人具合もエスカレートしていき、何もない空間からモノを物質化させるヨギーや、半世紀も不食で生きるお婆さんや、死者を蘇らせたり、同時に2カ所以上に偏在できる聖者など、次から次に超人的な聖者が紹介されていきます。しかも、その多くには具体的な名前と場所、また聖者の肖像写真も掲載していて、すこぶる具体的に記述されていて臨場感があります。後半ではさらに凄い展開で、自らの意志で肉体の死を迎えた師匠のユクテスワ師が蘇り、高次元の幽界での活躍を弟子のヨガナンダに語るエピソードが圧巻です。常識では信じがたい話ばかり出てきますが、この世界は私の知るちっぽけな常識程度なら楽々飛び越えるくらいには広大なものであるのは確実だと思っていますし、何より、面白くて役に立つものなら、ある意味ちまちました常識よりも価値のあるものだと思うので、私としてはヨガナンダの話を全面的に思いっきり信じようと思ってます。おそらく、もし1年ほど早くこの本に出会っていたら、私は信じなかった気がするので、ちょうど受け入れ態勢が整った時期に良いタイミングで読めて良かったです。

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(左)ラデシャム著『ババジ伝』 森北出版 1995年
『あるヨギ〜』で紹介される聖者の中でもとびきり超人的な聖者がマハーアヴァター(偉大なる神の化身)と異名をとるババジです。この本は、3世紀初頭にこの世に現われ、以来千数百年も肉体を持ったままこの現世に留まりつつ人類を導くと伝承されている謎めいた聖者ババジに関する本です。なんとも不思議な聖者ですが、けっこう写真もバンバン撮られているようで、ネットでも「Babaji」で検索すれば気さくに笑う若々しいババジの姿がたくさん見れます。まだ手に入れたばかりの本なので未読ですが、読むのが楽しみです。
(右)スワミ・スリ・ユクテスワ著『聖なる科学』 森北出版 1983年
ヨガナンダの師匠であるスリ・ユクテスワによる著書。聖書とヒンドゥー教の根本的一致を解明する本を書きなさい、というババジからの指示で書かれたとされる本で、100ページ未満の短い内容ながら、無駄な描写をいっさい省いた凝縮された内容です。精神世界からの視点で書かれた宇宙論が序盤で語られ、真理に基づいた生き方などの実践的なノウハウなどを中心に、肉食に否定的なユクテスワ自身の思想なども盛り込まれ、奥が深いながらも興味深く読ませる内容になっています。
posted by 八竹彗月 at 04:32| Comment(0) | 精神世界
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