2017年02月24日

夢散歩

「夢」という言葉は、睡眠状態の時に経験する件の現象という意味の他にも、将来の理想や願望を意味しますが、たまに「なんで同じ言葉を当てているのだろう?」と思う事があります。意味的にも睡眠時に見る夢のほうは、一般に生理現象とされていますし、これが将来の希望などをも意味するというのは昔からなんとなく気になっていました。英語でも同様にどちらもDreamですから、もしかすると世界的にそうなのか?と思って調べてみると、どうも日本で将来の希望を「夢」と言い表すのは明治時代あたりからと比較的新しい表現のようで、英語と同じなのは、そもそも英語のDreamを訳すときに「夢」としたために、Dreamの二重の意味も「夢」に当てられたことが現在の慣用になっていったみたいですね。そうなると、じゃあ英語ではなぜ「ドリーム」に二重の意味があるのか?と気になってくるところですが、どんどん話がズレていってしまうので掘り下げずに進みます。

今回は睡眠時に見るほうの「夢」の話です。昨日変な夢を見たので忘備録替わりに書いてみようというのが趣旨です。他人の夢の話ほどくだらぬものはない、という一般論がありますが、個人的には「夢」というのはとても関心のある現象なので、他人の夢にもけっこう興味があります。夢判断みたいな興味はあまりなくて、純粋に、夢の不条理で突飛な世界に興味があるのです。

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昨日見た夢。なぜか異常なほど狭いエレベーターに乗っている。途中の階で止まり、扉が開くとエレベーターを待っている夫婦と目が合う。どう考えても自分ひとりしか乗れるスペースの無い狭すぎるエレベーターなので、申し訳無さそうにペコリを頭を下げて早々にドアを閉めようとする。

フロイトは「夢は無意識に至る王道である」と言ったそうですが、まさに夢は、広大で自由でとりとめのないパワーを秘めた潜在性を、目覚めた意識が捉える常識的な世界で普段生活している我々に気づかせてくれる何かのチャンスのような気がします。フロイトが夢を手がかりに人間の奥深くに封じ込められている無意識の領域に光を当てたのは科学というより、人類文化的な革命だったと思います。フロイトにつづいて無意識の探検家ユングも実に興味深い研究をしていますし、精神分析だけでなく、芸術にも影響を与え、アンドレ・ブルトンを先頭にヨーロッパを席巻したシュルレアリスム運動が興りました。もっとも成功したシュルレアリスト、サルバドール・ダリもフロイトの影響を強く受け、夢の世界を現実世界を写生しているかのように写実的に描いてみせて世界中を驚かせました。

ダリだけでなく、現代でも多くのクリエイターが物理法則までなにかおかしい夢の中の妙な世界にヒントやアイデアを得て創作に生かしているのは周知のところで、そうした夢を意識的に作品に取り入れている作家というと、画家の横尾忠則や漫画家のつげ義春、蛭子能収や小説家の筒井康隆など、いくらでも出てきますね。夏目漱石の「夢十夜」も文豪の巧みな観察眼で10の夢を描き出した作品で印象深く思い起こされます。夢は、自分の理性で思いつく以上のアイデアをもたらす宝庫ですから、これをうまく活用できるようにすることは、チャレンジしがいのあるレッスンですね。

メモ参考サイト
夏目漱石『夢十夜』(「青空文庫」様)

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先日見た夢。身体から切り離された手首を手にしている。これは自分の手だというのが解る。しかし、ちゃんと腕からのびる手は二本ともついているので、これは頭にある手を取り外したモノであることに気づく。だんだんと手首が紫色に変色していく。早く元通りにくっつけないと手首に血液が滞って腐ってしまい、二度とくっ付けることが不可能になってしまうので焦りはじめる。(下の絵につづく)

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手首を頭上に乗せてグリグリとはめ込む。やった、うまくハマって元通りになった。頭上の手首はみるみる血色がよくなり元気にグーパーをしている───。
頭に手首が生えていることを全く疑問に思っていないところが夢の世界独特の感覚ですね。普段の常識も夢の中では全く考慮されてなくて、とことんフリーダムです。


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久住昌之『夢蔵』 情報センター出版局 1995年
漫画家、エッセイストの久住昌之さんが友人知人から聞き描きしたたくさんの夢をスケッチしたキテレツな夢画集。面白くてシュールでなんともいえない存在感をもった一冊です。「一人乗りロープウェイ」の図など、上記の私の夢「狭いエレベーターの夢」と通じる異世界独特の変な設備ですね。絵のタッチもラフスケッチっぽくもあり、かつ意外に緻密でもあるような、まさに繊細なんだかいい加減なんだかわからない夢の独特な世界を上手くあらわしている絶妙なタッチで惹き込まれます。つげ義春さんや吉田戦車さんの絵っていつも夢っぽい≠ニいうか、夢の世界のリアリズムをスケッチするのに適した絵柄だなぁと思っているのですが、久住さんもまた夢っぽいタッチを駆使する異才であることを認識させられた一冊です。現在は『mangaum』と改題されて刊行されていますが、新たに新作の書き下ろしが12点あるらしいのでこの新版のほうも見てみたいですね。


オカルティストの言うような「寝ている時に体験する別世界」としての夢というのも惹かれる概念ですし、シュタイナーやカスタネダなど、多くのオカルティストは夢を単なる生理現象としてではなく、世界の真理を探究するためのひとつの方法論として扱っていますね。無意識の世界は想像を超えた広大な領域なので、理性の範疇を超えた何かスゴイものが潜んでそうです。私も昔「明晰夢」を見る訓練を少しやったことがあり、なかなか面白かったです。夢はなんとなく現実よりもチャチくてアバウトな世界、というイメージがあると思いますが、これはたいてい目覚めたときにはほとんど詳細は忘れてしまうために、夢の世界のディテールが抜け落ちているせいです。

明晰夢とは、自分が夢を見てることを自覚している夢のことで、以前、私は明晰夢を見ることに成功した時に、「夢の世界の事物は現実と較べてどこまで繊細で緻密なのだろうか?」ということが気になって、たまたま夢の中で歩いていた道の脇にあった雑木林の中の一本の木から葉っぱを一枚ちぎり、その葉っぱの葉脈がどうなっているか目を近づけて見てみました。どうせ夢の中の葉っぱだからテキトーな感じなのだろうとタカをくくっていたのですが、実際に夢の葉っぱはものすごく緻密な葉脈がはしっていて、じっと見てると本物よりも瑞々しく、オーラのように光を発しはじめたりしました。おそらく、注意を向けたモノは注意を向けた分だけエネルギーを得るために、どんどん緻密さを増したのだと思います。夢の中の本屋でダリの画集を見ると、ダリが絶対描いていないであろう未知のダリ作品が載ってますし、こういう本が欲しいと思っているものがそのまま出て来たりするので、夢の探索は興味がつきないものがあります。

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アントニオ・ガウディ『カサ・ミラ』
去年の春頃に、人気の無い田舎のあぜ道を歩いている夢を見ました。道の脇は桑畑で、歩いている途中に唐突に巨大な建物がそびえています。H・R・ギーガーの絵を彷彿とする印象で、有機的な曲線が連なっている建物です。とても印象深く、起きた後もしばらく気になっていました。そんなある日、本屋で偶然夢と同じ建物が写った写真を発見してビックリ。それはアントニオ・ガウディの「カサ・ミラ」でした。たしかにガウディの建築って見方によればギーガーっぽいな、と改めて感心しました。それ以来、急にガウディに興味がわき、続いてガウディに影響を与えた当時の芸術様式であるアールヌーヴォー(とくに家具)にとても惹かれるようになりました。以前はグニャグニャして曲線ばかりのノリが気持悪いとさえ思っていたアールヌーヴォーですが、夢をきかっけに俄然パラダイス感を持った魅力的な様式という感じで180度印象が変わりました。


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つげ義春『必殺するめ固め』 晶文社 1981年
つげ義春の夢を漫画にした一連の作品がすごく好きで、つげさんの「夢をできるだけ新鮮なまま表現したイラスト」というか「夢を見ながらその場でスケッチしたかのような」そんな雰囲気がたまりません。『ねじ式』はそうした夢をモチーフにした最初の作品であり、また漫画史に残る大傑作ですが、その後のそうした夢を題材にした本で一番ショックを受けたのは『必殺するめ固め』に収録された作品群です。「そうそう夢の世界ってほんとこんな感じなんだよね〜」と膝を叩きたくなるような秀逸な作品の数々、まさに夢の作品集です。


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『エドガー・エンデ画集』 岩波書店 1988年
夢っぽい世界を描く画家はダリやマグリットなどシュルレアリスムの画家に数多くいますが、ジョルジオ・デ・キリコの雰囲気に通じるエドガー・エンデの独特な静寂で哲学的な幻想とでもいうべき世界は、夢の風景にある奇妙なムード感をするどく描き出していて惹かれます。エドガー・エンデは、『はてしない物語』や『モモ』の作者として知られるドイツの児童文学者ミヒャエル・エンデの父でもあります。超個性派ファミリー、といった感じで、芸術の雰囲気に満ちあふれた羨ましい家族を想像しますが、実際は父エドガーが愛人をつくって同棲して絶望のどん底にたたき落とされた母をミヒャエルが支えになって賢明に助けたりなど、波瀾万丈なところもあったみたいで、やはり深みのある作品を作る作家はそれなりに人生の深淵を見て来ているのだなぁ、と感じます。
posted by 八竹彗月 at 11:48| Comment(2) | 精神世界
この記事へのコメント
お久しぶりです。 ご無沙汰してますっ。
夢の世界にはボクもとても興味があります。なにせ、起きてるときは思いも寄らない体験とか出来るので。しかもリスク無しで。

ボクはけっこうとんでもない夢...得体の知れない何かと握手。とか、道案内されて建物の外壁を飛び降りながら移動とか...夢の中では、自分は絶対安全だという根拠のない自信が何故か有るので、どんなとんでもない夢でも、見てる最中はとても楽しんでます。が、リアルに観察した事が無い...夢を見てる最中は、そこまで考えが及ばないのが残念。
Posted by あっきー ( t-aki ) at 2017年07月16日 01:44
こちらこそ、コメントありがとうございます^^
夢は、夢に興味を持っていると、どんどんリアルになっていくように感じます。夢に期待しながら寝ると面白い夢を見やすくなりますね。

夢は思いがけないアイデアが得られるので、面白い夢を見たら、忘れてはもったいないので、起きたら忘れないうちにメモするようにしています。

「建物の外壁を飛び降りながら移動」、これは、私もよく見ます^^ 夢の中では、重力などの物理法則も自分の信念や思い込みで決まるので、ものすごいジャンプ力で飛び回れたりしますね。「進撃の巨人」の立体機動装置みたいな感じで。

他に私がよく見る夢で好きなものは、懐かしい田舎道を歩いている夢です。歩いていると、さも当然のように変な建物がよく出てきます。アンコールワット遺跡の出来損ないみたいな妙な建造物の廃墟を見つけて探検したりするのですが、これがまたすごく楽しいです。
Posted by 八竹釣月 at 2017年07月16日 02:27
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