2016年08月22日

宇宙旅行の夢 (2) 火星人襲来!

宇宙ロマンな感じの古本などを紹介しつつ、またアレコレと雑談していこうと思います。今回は人間にとって身近なお隣の惑星、火星を主に語っていこうと思います。

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『宇宙旅行』小学館 昭和47年(1972年) イラスト:中島章作
宇宙関連のイラストは80年代にはエアブラシによる表現が主流になり、写真のような臨場感のある表現が可能になっていきますが、私はむしろこの時代の筆の味わいのあるタッチで描かれる宇宙のほうがレトロフューチャーな感じで好みです。


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同上。 「小惑星ヒダルゴから見た土星」
土星、かっこいいですね。


参考サイト
TVもしも土星が地球の近くを通り過ぎたら
土星さんが自分の公転軌道を周回するのを止めて、突然地球に向かってやってきたらどう見えるかをシミュレーションした面白い実験動画です。土星の重力の影響とか細かいことは抜きに、土星という巨大な惑星が地球を横切るとどう見えるかというシュールな絵面を楽しむためのものでしょうね。土星の近くを廻っている衛星ミマスから見える土星もなかなか壮大で、これは単なる空想でなく、実際にその場ではありうる景色でしょうから、ますます宇宙旅行の夢は膨らみます。

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同上。 「月世界基地の風景」
この本の発行はアポロ計画での有人月面着陸から3年後の時代ですが、人類初の月面着陸という前代未聞の偉業の興奮がまだ冷めやらないといった時代の空気を感じるイラストですね。


考えてみれば、地球上で唯一人間だけが「宇宙への好奇心」を持つ特異な生物であります。宇宙の謎、人生の謎、形而上学的なものへの関心など、自分や自己の属する種の存続にかかわる知恵とはかけ離れた知識に関する興味を人間だけが持つのは何故か?なぜ人間だけが余計な£m識を求め無駄な″D奇心に突き動かされるのでしょうか? 単純に考えれば生物界では抜きん出た巨大な頭脳がそれを可能にしているわけですが、ここでは他の視点から少し考察してみます。

人間はなぜ無駄な知識を求めるのか? その合理的な理由のひとつには、「生命を脅かす天敵から逃れる」ことと「食料の安定的な確保」という、地球上の全ての生物に共通する最大の難関をほぼクリアできたのが人間だけだからで、それゆえに「すでに重大事項は解決してしまったために余計な文化を発展させる余裕が生まれた」という解釈もあるかと思います。しかし、私はもっと別の理由があるように思っています。

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映画「地球は青かった」広告 『映画情報』国際情報社 昭和37年(1962年)より
ソ連の宇宙船スプートニク1号による地球の周回に成功したのはこの雑誌の発行年の前年で、この時代(1962年)はまだアメリカのアームストロングによる月面着陸より7年前ですから、ガガーリンはまさに前人未到の宇宙へ繰り出した英雄そのものなのでしょう。


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同上。映画「地球は青かった」のレビュー記事。

宇宙への好奇心というのは余計な≠烽フではなく、もし人類にとってとても重要なものであるとしたら、どういう見方ができるでしょうか。人間活動は今や地球の生態系さえ影響を与えるレベルにありますから、別の見方をすれば、「地球という母体から生じた人間という自らの器官によって、地球は自己管理のシステムを構築している」ような気がします。人間の思考や行動は、地球という意識体にとっての意図的な誘導でもあるように思います。宇宙への好奇心もまた、そうした地球意識にとっての関心事なのかもしれません。

とはいえ、宇宙開発は、軍事的利用価値や、気象衛星、カーナビなどのような生活の利便の拡大という側面もありますし、宇宙への好奇心が人間社会に全く寄与しないとは思いません。むしろ古来から人間は宇宙を、航海ではコンパス代わりに、農業では暦のかわりに、政治では予言書のかわりに、とさまざまな用途で利用してきました。そうした意味では、宇宙への好奇心はそもそも余計な≠烽フであるという前提が間違っているという指摘もあると思います。しかし、人間の宇宙への好奇心の一番の理由はそんな微視的なエゴイスティックな価値ではなく、「私という存在が生じた原因は何か?」という謎に対するひとつの有効なアプローチであるから、といえると思います。突き詰めれば、最終的には、その答えを握っているのは宇宙であり、宇宙を知ることなしに本当の意味で自分を知ることも出来ないことに本能的に気づいているからこそ、人は宇宙という究極の謎に魅せられ続けているのではないかと感じます。なぜなら、我々人間は、肉体も精神もすべてこの宇宙にある素材で構成された宇宙存在でありますから、宇宙を知ることは最終的には己を知ることに繋がります。人間は地球の器官であると同時に宇宙の器官でもありますから、もっとマクロな視点では、人間存在は宇宙が宇宙自身を知ろうとする欲求により生じた器官であるともいえます。

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「火星人の饗宴」
『別冊 笑の泉 世界艶笑怪奇読本』笑の泉社 昭和33年(1958年)より
この時代は月どころかまだソ連のスプートニク1号の打ち上げの3年前ですから、宇宙が完全なる未知の世界だった頃ですね。まぁ、今も宇宙に関しては謎だらけですが。この記事では、当時はまだまだ未知の惑星であった火星の様子を想像力豊かに描写したイラストで紹介しています。この雑誌はあくまで娯楽雑誌ですから、当然科学的な考察に基づいたものではありませんが、このようなSF的好奇心にまかせて描かれたうさん臭い記事のほうがむしろ読んでてワクワクしますね。


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以下、パノラマイラストが続きますが、そこに描かれている火星人はトビラの文章によれば、17、8世紀頃に西洋人が想像した様々な火星人の姿をイラストにしたものだそうです。画面中央のステージに見えるタコ形宇宙人は古典的ながら典型的な火星人のイメージですね。火星人=タコ形、というイメージはすでに広く定着していて、吉田戦車さんの『火星田マチ子』『火星ルンバ』もタコ形火星人が活躍するギャグ漫画として思い出されます。火星人=タコ形のイメージのルーツはSFの父、H・G・ウェルズの作品『宇宙戦争』のようです。タコ形はウェルズの独創ではなく、当時の天文学の成果を元にした推論から来ているようですね。

参考サイト
メモ火星人=タコ形のイメージの源流を解説したページ(国立科学博物館)

宇宙人の侵略を描いた古典的SFというだけでなく、後にオーソン・ウェルズのラジオ番組でこの小説を放送したところ、本当に火星人が地球に侵略してきたと勘違いした大衆がパニックに陥ったという事件もあり、そうした諸々の経緯がH・G・ウェルズの想像した火星人のイメージが強烈に人類の共同幻想として定着した所以なのでしょう。

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上記のイラストの部分。

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宇宙人というより、ヒエロニムス・ボスの描いた地獄の悪魔たちのような寓意的な姿の宇宙人。左下の小さい宇宙人は妖精風というか、ピクミンっぽくて可愛いですね。

以下に、タコ形宇宙人のイメージの元になったとされるH・G・ウェルズ著『宇宙戦争』の中で、火星人の特徴を説明している箇所を引用してみました。たしかに、この描写通りに挿絵を描くとしたらタコっぽい感じになるのもうなずけますね。

火星人どもはとうてい考えもおよばない、この世のものとはとうてい思われないしろものだった。直径が四フィート(=約1.2メートル)もある、でかいまんまるい胴体──むしろ、頭──をしていて、そのそれぞれの胴体の正面に顔がついていた。顔には鼻の穴がなく──実際、火星人はなんら嗅覚を持たないらしかった。しかし、一対のたいへん大きな黒い目があって、すぐその下に肉ぶとのくちばしのようなものがあった。この頭または胴体といったもの──わたしにはとうていなんというべきかわからないが──の後ろは、ぴんと張った太鼓の皮のような一枚板になっていて、あとで解剖して耳だとわかったが、地球の濃密な大気のなかではほとんど役にたたなかったにちがいない。口のまわりには、十六本の細長いほとんど鞭のような触手がひと群れになって生えていて、それぞれ八本づつのふたつの束になって並んでいた。それらの束は、あの著名な解剖学者ハウズ教授によって、以後、適切にも手≠ニ命名された。わたしがはじめて火星人を見たとき、彼らはその手を使ってある程度楽々と動きまわれるものと想像していい理由があった。
(略)
人間から見ると不思議に思えるかも知らないが、われわれのからだで大きな部分を占めている複雑な消化器官は、火星人には存在しなかった。彼らは頭であり──常に頭だけだった。内蔵というものはまるでないのである。(p173~174)

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『宇宙戦争』H・G・ウェルズ 井上勇:訳 創元推理文庫 1969年


上記の「火星人の饗宴」のトビラの画像中にある文章にオカルト界の巨人、スウェデンボルグの名前があがっていて、記事に微妙にマニアックなこだわりが感じられますね。エマニュエル・スウェデンボルグ(1688〜1772年)は、生前はダビンチと並び称されるほどの天才的な学者として尊敬を集めていましたが、死後に発見された『霊界日記』によって、その後の評価はガラリと変わり、学者としての功績よりはオカルティストとして周知され、賛否の別れる奇人めいた印象がついてまわることに。しかし、彼の霊界探訪はそれまでのオカルティズムになかった斬新な視点で描かれており、その思想的な背景を含めて、その後のオカルティズム、主に心霊主義に決定的な影響を与えました。丹羽哲郎の霊界の概念もほぼスウェデンボルグの見聞した霊界の構造を元にしてますし、ほぼ全てのオカルト関係で言及される霊界の概念はスウェデンボルグの霊界見聞記の影響下にあるように感じます。また、メジャーなところでは、彼の思想は後年ヘレン・ケラーの心の支えとして彼女にかなりの影響を与えました。いろんな意味でただ者でない人物でしたが、ここでは画像の文章で触れられている、スウェデンボルグが「火星人に会った」とされる内容について、少し説明したいと思います。

スウェデンボルグは霊界探訪の人というイメージが強いですが、実は太陽系のほとんどの惑星にも行き来していて、その見聞録も残しています。太陽系惑星のほとんどには地球人と同等以上に進化した精神や文明を持つ住人がいるという彼の話は、一見現代の天文学の基礎的な常識からも外れたもので、反射的に否定してしまいがちですが、よく読んでみると、スウェデンボルグは霊的なレベルにある階層に存在する惑星での体験を記しているのであり、物理的な実在としての惑星を見聞してきたとは一言も書いていません。例えば、火星の「霊」と交流したということを書いているので、いわば、神秘主義の視点で見た宇宙論であります。

火星の霊たちは我々の太陽系の諸々の地球から来ている霊たちの間で最良の者たちである。(略)火星に住む者たちの言葉は我々の地球に住む者の言葉とは異なっており、すなわち、それは調子の高いものではなくて、ほとんど無音であって、内的な聴覚と視覚へ近道をして入り込み、それでそれはさらに完全で、さらに思考の観念に満ちており、かくて霊と天使との言葉にさらに近づいているのである。その言葉の情愛そのものもまた彼らにあってはその顔に表され、その思考は目に表されている。なぜなら思いと言葉とは、また情愛と顔とは、彼らにあってはひとつのものとして働くからである。彼らは考えることと言うことが異なることを、また欲することと顔に表現することとが異なることを極悪のことと考えている。彼らは偽善とは何であるかを知らず、偽りの口実と詐欺との何であるかも知らない。
「火星の地球または遊星、その霊たちと住民」p68〜70より引用

『宇宙間の諸地球』エマニュエル・スウェデンボルグ著 柳瀬芳意訳 静思社刊 昭和33年(1958年)


霊的な視点でみた火星の状況をスウェデンボルグは描き出していますが、にわかには信じがたい内容でもあります。しかしながら、真偽を抜きにすれば、なかなか含蓄に富んだ面白い内容だと思います。現代では、少なくとも太陽系には地球人と同等の知性を持った生物はいないと考えるのが常識になっていますが、もしかしたら、この宇宙は我々の認識できる宇宙だけでなく、人間の五感では感知できない異次元の宇宙も多数重なりあって存在しているのかもしれません。そうした階層の異なった次元にある宇宙では、普通に火星人も金星人も暮らしているのではないでしょうか。いきなり話がぶっ飛んできましたが、まぁ、オカルトを含め精神世界は真偽をあれこれ考えるものではなく、信じるかどうかだけが意味を持つ世界なので、信じたほうが人生が面白くなるなら信じてみたいような気もします。

自分の目で確かめたこと、体験したことだけしか信じない、としてしまうと、この世界はとたんにマッチ箱のような小さい世界になってしまいますし、そもそも自分の見聞を軸にするにしても、それが必ずしも真実を解釈しているとは限りません。思うに、この世界の真実を探求する場合、人間に染み付いた思考法、「正しいか?間違っているか?」という考え方が根本的におかしいのではないか?という気がします。正しいことを求めるのは良いことのように信じられていますが、真理を探究するために人間が手にしている「言葉」や「数学」などのツールが、思っているほど完全な道具ではないことが現代のアカデミックな成果でもあきらかになってきていますし、おそらく、人間は合理主義的発想で究極の真理に到達することは不可能なように感じます。神秘主義は、合理主義では掴みきれないこの世の真理をなんとか掴もうとする非合理的な手段でありますが、非理性的なロジックを多分に含むので、扱いが難しいツールでもあります。しかし、実は人間社会は、合理的な秩序だけでなりたっているものではなく、例えば恋愛感情などは音楽や映画など娯楽芸術の主要なテーマですが、恋愛ほど非合理な感情はありません。人を好きになることは、予測も計算もできないオカルト的な現象です。また、性に対する文化も、生物としての人間にとって最高に興味深いものであるにもかかわらず、今だに社会は性≠どのように扱ってよいのか試行錯誤しているのが現状です。性や恋愛はしばしば秩序ある社会システムから逸脱するものですが、排除することもできない重要なものでもあります。

現代社会が、とくに共産主義国でなくても、宗教やオカルトなどの精神文化を忌避する傾向があるのは、それが非合理的な世界を扱う文化であるからです。非合理ゆえに、なかなか合理主義の手法では管理が難しい。精神世界は、例えば仏教では「悟り」の体験を通して、日常的意識を逸脱した精神状態を体験し、その意識状態から世界を再解釈する重要性を指摘しますが、これも別の角度から見れば、オルダス・ハクスリーティモシー・リアリーなど、ヒッピーカルチャーで流行したドラッグによる「ハイ」になる体験、インディアンの呪術的儀式で用いられる幻覚作用のあるサボテン(ペヨーテ)の服用なども、同様に人をそうした非日常≠ヨ誘うことでこの世の真理を知ろうとする試みのひとつです。しかし、秩序ある社会はそうした拡大された意識を管理する手段がないため、社会の構成員はできるだけ目覚めて欲しくない≠ヘずであり、ゆえに覚者≠嫌う傾向があるように思います。そもそも覚者と単なるアウトローは凡人の目からは外面的に区別がつきませんから、社会にうまく取り込むのはかなりやっかいであると思われます。

LSDなどの麻薬による意識の覚醒は60〜70年代のアメリカのヒッピー文化、ニューエイジ運動などでは「インスタント禅」などと呼ばれていましたが、精神修行をともなわずに一気に薬で意識を覚醒させても、悟りどころか薬物依存体質になってしまって自己破壊に繋がりかねません。薬物という物質頼りで精神世界の真実に近づくのには危険が伴うでしょう。映画『ルーシー』でも薬物による悟りをSFチックに興味深く描いてましたが、やはり薬に頼るのではなくヨーガなり瞑想なりで自力で脳内麻薬を分泌させるのが自然ですしベストな気がしますね。そういえばそのような社会と精神世界の対立構造については、社会学者の宮台真司さんが講釈をしていた動画をたまたま見て面白かったのでちょっとご紹介します。

近代社会では麻薬を禁止しました。これはいくつかのファクターがある中でおそらく重要な事は、我々の感覚が開かれすぎると、精妙に出来上がった社会の複雑なシステムのかみ合いと両立しないわけです。逆に言えば、もし社会が原初的な段階にあって、もっと単純であれば、我々がもしトランス状態になって感覚が開かれて、あらかじめフォーマットの中に書かれていないようなふるまいをしたとしても、それは社会が受け止める事ができるわけですよね。これほど左様に、我々の社会は科学的かとは全く別の、社会からの要求として、我々の感覚が「あらかじめ予想可能な範囲の中で生じなければいけない」という、ある種の要求からして、超常現象は「ない」どころか、超常体験なるものも「存在しない」、シンクロニシティも体験することなどありえないと、されています。体験として生じうるそうしたものについて、我々の社会は事実上封印してしまっている。しかし、封印したとしても、体験は起こってきてしまうワケです。シンクロニシティを体験してしまったり、ある人間たちがある手順でフック(きっかけ)を用意すると神の声が聞こえちゃったりするし、ある浮遊という現象を体験しちゃったりするんです。

(超常現象の否定や、麻薬の禁忌などは)体験の領域が広がりすぎないように(社会が)封印した。
しかし、単にそれが「無い」という話になっていると、ちょっとしたときにソレを体験するわけですよ。そうすると、それがフックとして「効きすぎて」ね、絶対性を信じ込んでしまったり、超越性を信じ込んでしまったりすることがあるような気がするんです。

宮台真司・談

TV動画「超常体験が絶対性や超越性を信じるきっかけになる」より


オカルトや宗教などひっくるめて、精神世界的なもの、超常現象などは現代社会の一般通念では嘘、勘違い、空想、ファンタジーという扱いであり、社会の一般常識としては「真実ではない」としているように感じますが、社会学者の宮台真司氏はその理由について上記のような解釈をしています。近代社会がオカルトを否定したがるのは、麻薬を禁じている理由と似ていて、我々の感覚が開かれすぎると、精妙に出来上がった社会の複雑なシステムのかみ合いと両立しないから、というものです。もし社会が原初的な段階にあって、もっと単純であれば、シャーマンが神の声を聞いたと主張しても、それを受け止める土壌が社会にあるのですが、現代の科学を基本とした合理主義というか、理性的なシステムの中では、そうした非合理性は否定してしまったほうが物事がスムースに運ぶということであります。そういう意味では、私たちの「体験の領域」は、知らず知らずのうちに社会システムの制約の中で許容された範囲に限定されているということになります。体験の領域が広がりすぎると理性では収集がつかなくなるのであり、理性によって構築された社会においては、それは最大のタブーになる、というのが宮台氏の説ですが、なかなかの慧眼だと感服しました。

彼自身指摘しているように、だからといって神秘体験に執着しすぎて妄信すると、社会との軋轢を生じたり、精神的に疲弊したりしますから、バランスは必要ですね。とはいうものの、そのバランスとやらも、客観的にジャッジしてくれるモノサシがあるわけではないので、結局自分のさじ加減でしかありません。なので、やはりそうしたものを信じるかどうかというのは最終的には己の直感的な判断になります。個人的には、その場合たいていは面白そうだとか、楽しそうだとか感じる選択肢を選んでおけば間違いないように思います。なぜなら、楽しくなさそうな方を選んだらハズした場合に後悔しますが、楽しそうなものを選んでハズしても自分を納得させやすいからです。

後悔度の高いのは「正しそう」な方を選んでハズした場合です。「正しいと信じてたのに!」という怒りに似た裏切られた気分を味わうことになります。正しい事というのは判断が難しいですし、今自分が考えていることは正しいのかどうかすら断言するのは困難です。しかし、楽しいかどうかはリアルな実感として感じるものですから「自分は今楽しいかどうか?」に疑問の余地はありません。ゆえに、楽しい方を常に選ぶ、というのはけっこう賢い選択法だと思います。正しさは自分だけの領分では決定しずらく、だいたいは複数の他者が決めるものです。しかし、楽しさは自分が主体的に感じる絶対的な体験なので、間違いはありません。私は正しい。というテーゼは危ういですが、私は今楽しい。という感覚は誰も否定できない真理です。正しさを基準にするから争いが起こるのであって、もしも楽しい≠基準にする社会があれば、けっこう平和にまとまるのではないか?と最近思います。正しさがぶつかり合うと戦争になりますが、楽しさがぶつかり合うとお祭りになります。実に平和的であります。

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武田雅哉著『桃源郷の機械学』(作品社 1995)より。中国の幼き天才オカルティスト、江希帳(こうきちょう)による火星人の想像図。1916年に刊行された齢10歳の江希帳の著書『大千図説』という奇書では易学などの中華思想を母体にした摩訶不思議な大宇宙の構造を図版を交えて考察しているようで、とても面白そうです。江希帳は三歳で文章を綴り、五歳で経書(儒教の文献)に注釈をしたという逸話のある神童で、そのような才気溢れる幼い頭脳が垣間みた異次元の宇宙図鑑が『大千図説』だということで、とても興味深いものがあります。独自の切り口で中国文化を研究されている武田雅哉先生の『桃源郷の機械学』には、火星以外にも聞いた事もない奇妙な惑星や宇宙人の図版が多く紹介されていて凄く面白いです。また、まだ未読ですが、河出文庫『中国怪談集』(中野美代子、武田雅哉編)でもこの奇書が紹介されているようなのでそのうち読んでみたいです。

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『科学大観』第19号 原子力・宇宙旅行特集 昭和34年(1959年) 世界文化社
火星に向かうブリキのおもちゃのようなケバケバしい宇宙船がレトロフューチャーな感じでイイですね。


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同上。「火星人の宇宙訪問」と題するユニークな記事があったのでご紹介します。火星を舞台にしたSF小説というと、ついH・G・ウェルズの『宇宙戦争』が真っ先に思い浮かんできますが、実はその前にドイツの天文学者ラスウィッチなる人物が火星探検をテーマにした空想小説を書いていたという興味深い記事です。面白い記事なので関心のある方はぜひクリックして読んでみてください。



天文系ソフト

ペンStellarium
「Stellarium」というフリーソフトがあるのを最近知りました。PC上で美麗な星空をシミュレーションできる無料のオープンソースプラネタリウム。ウィンドウズやマックなど様々なプラットフォームに対応したソフトです。私の環境では古いバージョンのものしか動作させれないのでアレですが、無料とは思えないほど充実したアプリなので、使いこなせると楽しそうですね。

ペンGoogle Earth
お馴染みグーグルアースですが、地球のほかにも月や火星もグリグリ動かせるようになっていて、仮想の宇宙旅行が楽しめます。オカルト好きの方などは、日夜、月や火星の人工物っぽい謎の地形を探索しておられる方も世界中にいるようで、それもそれで楽しみ方のひとつだと思います。私もついでにグーグルアースで見つけた火星の面白い地形をいくつか並べてみます。

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とてもアートな雰囲気の地形があったのでスクリーンショットをとってみました。シュルレアリスムの画家イヴ・タンギーの絵画のような雰囲気が面白い。

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なんか蟻地獄っぽいものが並んでいる妙な地形を発見。巨大な穴っぽいこの黒い部分は何なのでしょうね。

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中央あたりに、水が流れた跡のようなシミが見えます。何らかの液体が地中から染み出てきたように見えますが、これも謎めいてますね。
posted by 八竹彗月 at 22:19| Comment(0) | 宇宙
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