2015年02月17日

秘境探検

もはや現代ではコンピュータが国の中枢から一般庶民まで浸透し、地球規模のコミュニケーションツールとなっていますね。計算機の歴史となるとソロバンなどまで遡ってしまいますが、現代のコンピュータの直接のルーツは第二次世界大戦時のアラン・チューリングの研究が基礎になっているといわれていますから、まだ100年にも満たない新しいテクノロジーなんですね。

インターネットはもちろんパソコン無しには成立しないものですし、通信網は文字通り網の目のように世界に張り巡らされています。そこで思うのは、かつてトンデモ論のような扱いで提唱されていたガイア仮説で、かように脳内のニューロンのごとく日々張り巡らされていくネット回線は、比喩を通り越して、むしろ不気味なほど「地球という知的生命体」のリアリティを感じさてくれる、ということです。

では、かつて人類の夢とロマンの対象だった地上の楽園、シャンバラエルドラドは、現代ではトゥームレイダーなどのゲームの中だけのお伽噺になってしまったのでしょうか。一見この世界から、科学やテクノロジーによって、秘境も妖怪もあらゆる迷信も消え去ってしまったかのように思いがちですが、よく考えてみると科学の発展に伴って昔の人よりも「現実」を生きているような錯覚をしているだけで、人間の中身は迷信深い中世の人々とそんなに変わっていないようにも思えます。何かを解明したり発見したりすることは、同時にそれ以上の何かを失ったり、解明されていない領域がハッキリしたりすることでもあり、ソクラテスのいうように、「無知の知」、人間は科学の進歩によって自らの愚かさをより具体的に知っていくというプロセスを歩んでいるのかもしれません。

地球の裏側の情報までも瞬時に手にすることができるインターネットというツールによって「情報をすべて手中にしている」ような錯覚にふと陥ることがありますが、現代においても未踏の地はいくらでもありますし、どんなに宇宙について知識を得ようとも隣近所の路地裏でさえ、踏み入れていない場所はシャンバラと等しく依然として未知の世界であり続けるのだと思います。

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幕末に描かれた世界地図の複写。左下に肥前長崎と発行元の住所らしき文字があるので九州で発行されたもののようですね。いい具合に不正確な感じが味わいがあります。アメリカ人やオランダ人などに混じって小人国、一つ目国などガリバー旅行記ばりのいい加減な世界諸国の紹介図版などがたまりません。オーパーツで有名なピリ・レイス地図を思わせる妖しさがいいですね。インドが「天竺」と表記されてる所など魅力的なポイントが多い地図であります。ちなみに、戦前は横書き文字を右から左に逆に読む、というのを念頭に入れておかないと「イタリヤ」の場所で赤面することになります。

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左から「女人国」、「一眼国」、「小人国」の国民の図。幕末あたりの日本人の知識レベルからすると、ここまでファンタジーな国が世界に本当にあると信じていたとは思えませんが、モンゴル帝国の戦士みたいなアメリカ人が描かれていたりと相当にアバウトな知識で描かれてますから、もしかすると意外に信じてたのかもしれませんね〜 おそらく女性だらけなのであろう「女人国」が気になります。そこは天国なのか地獄なのか。

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「ハダ(肌)白シ、セイタカ(背高)シ」。モンゴルの戦士みたいなアメリカ人の図。

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「万国地誌略 巻二」菅野虎太:著 養賢堂蔵版 東京書林:発行 明治7年
世界の風土や人種などを図版入りで紹介している本。


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同上。世界のいろいろな人種の違いを紹介している図版のようです。「アメリカ人」の記述には、背が高いというここと、「赤い肌」であるということが書かれてます。図版ではアメリカ人は天狗のような風貌をしてますが、西洋人の肌を「白い」ではなく「赤い」と昔の日本人は認識していたところがあるので、天狗のイメージの起源は西洋人をはじめて見た日本人の印象が元になっているという有名な説を裏付けているような気もしますね。図版の「巫来由」はマレー、「以日阿伯唖」はエチオピア、「高加索」はコーカサス、「亜米理加」はアメリカですが、「莫古」は蒙古でしょうか?

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同上。「熱帯鳥獣の図」とありますね。動物園のレギュラーメンバー勢揃いな感じですが、なぜか妙にうさん臭い印象をいだかせる妖しいタッチに味わいを感じます。

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同上。上部の絵は、どう見ても山伏みたいな格好ですが、アザラシらしき動物といっしょにいるので、多分エスキモーなのでしょうね。下の蛇使いといい、情報の少なさゆえの想像力の暴走が愉快です。文章などは現代の感覚からするとかなり差別的なのですが、人権思想自体がここ数十年で急に発達した新しい概念ですから多分当時の感覚ではなんでもない表現だったのでしょうね。こうした面も含めて歴史の経過とともに、情報や技術だけでなく、思考を支える概念そのものの変化も読み取れる部分があるのも古書の愉しみですね。

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「輿地誌略 三篇上」内田正雄:編纂 修静館 明治15年10月

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同上。「ギゼーの大石塚」。ギザの大ピラミッドのことですが、ピラミッドを「大石塚」と呼称するセンスが凄く新鮮ですね〜。いかに大きいかを馴染みのある建造物と比較している図ですが、ピラミッドの比較に東寺の五重塔を並べるビジュアルのミスマッチ感がたまりません。こういうシュールで変なイメージを発見するのが古書蒐集の醍醐味というか快楽を感じる瞬間です。

こういった本の面白さは、当時の情報の不正確さを楽しむところにありますね。誇張や妄想と現実の境目が曖昧な部分の面白さなわけですが、単純に笑うのではなく、実は現代人も100年後には同じようにリアリティを不正確に認識していることを未来人に笑われるのではないか、と想像すると、複雑な気分になります。


posted by 八竹釣月 at 00:00| Comment(0) | 古本
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