2022年04月23日

道すがら春スナップ

スマホで最近取った道すがらのスナップを並べました。3G廃止に伴いようやく3月からガラケーからスマホに機種換えしたのですが、それをきっかけに、目についた景色をメモ替わりに撮るのが楽しみになってきました。


外では待ち合わせの時くらいしか使ってなかったガラケー時代とは違い、さすが時代のスタンダード、スマホの便利さを今頃堪能しているところです。カメラはオリンパスのSP-590UZしか持ってなかったので、出がけによく持っていくのを忘れたり、忘れずに持っていくにしてもいつも持ち歩くバッグに入れるとかなりかさばるので、外の写真を撮る機会はそんなになかったのですが、スマホにカメラが付いているので気軽にスナップ写真を楽しめるようになり、毎日がちょっと楽しくなりました。以前は、よく見事な夕焼け空やたまたま迷いこんだ路地にユニークな昔の木造建築などを見つけても指をくわえてアテにならない脳みその印画紙に焼き付けるのみだったのですが、今後はそういうチャンスにも対応できるようになりそうです。

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スナップ写真だけでなく、音楽を聴いたり、ネットを楽しんだりと、パソコンを持ち歩いているような便利さがありますね。私はかなりの方向音痴なので、初めての場所に行くときはマップを印刷して持ち歩いてたのですが、スマホならその場でマップを参照でき、またGPSで現在地まで表示されるので格段に分りやすくなりました。

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連日の報道などではウィルスだとか戦争だとか、暗いニュースばかり流れるので、ともすれば現代は暗黒時代であるかのような錯覚をしがちなところもありますが、身近な等身大の日常の中にある面白さや幸福感を意識的に感じていきたいものです。

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すっかり花見の定番、ソメイヨシノは散ってしまいましたが、バトンタッチするように八重桜、ツツジと開花していき、まさに春のバトンリレーを見ているようで楽しい季節ですね。その後は藤や牡丹のシーズンで、しばらくは春の余韻が続きそうです。桜前線の終着駅、北海道ではそろそろソメイヨシノの開花時期のようですね。時間と懐に余裕があれば、南から北へ向かう桜前線を追いながら日本縦断という贅沢な旅など面白そうですね。

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気軽にスナップ写真を撮れるのは良いのですが、やはりカメラ機能はオマケ的な扱いなのか、あるいはまだ使い方に慣れていないからなのか、デジカメと比べると撮った写真はコントラストが甘く、モヤッとした感じの写真になるので、載せた写真はフォトショで補正してあります。


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ほとんど雑草の定番みたいなところもあるタンポポですが、春を知らせる先発選手みたいなところもあって、そこはかとなく風情を感じますね。

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デジカメで撮る写真ファイルには、画像データのほかにEXIFとかJFIFとかTIFFなど、さまざまな情報を記録したデータも自動的に埋め込まれるようになっていて、撮影日時、カメラの機種、露出やシャッター速度、カラープロファイルなどが記録されています。後から整理するのに便利なデータではあるのですが、撮影場所の位置情報などを記録するような機種もあり、個人情報保護の観点から、デジカメやスマホで撮った写真をネットにアップロードする時に気をつけましょうという話もよく聞くので、ちょっと慎重になってしまうところもありますね。まぁ、人気ミュージシャンとか、ベストセラー作家ならいざ知らず、そこまで過敏に考えることでなさそうですが、一応EXIFなどのデータを写真データから削除する方法を調べました。EXIF情報削除に関してはけっこういろいろ方法があるようですが、個人的にはアプリにドラッグするだけで詳細情報を削除してくれるImageOptimというアプリが簡単でよさげですね。ウィンドウズ、マック、リナックスなどの各OSに対応しているようです。今回の記事は、このアプリで詳細情報をファイルから削除したりしながら使い勝手を試すついでに、アプリを使用した写真で記事にしてみました。

メモ参考サイト
EXIFなどの個人情報を含む詳細データを画像ファイルから削除するPC用のフリーソフト。デジカメやスマホから画像のオリジナルデータをPCに持ってきて加工する場合に必要になります。ちなみにスマホで撮った写真をスマホから直接メールやSNSに投稿した場合は、自動でEXIF削除とweb用にサイズ調整をやってくれるようになってました。私が使っているのはタダで交換してもらった京セラのBASIO4です。さすが最近のスマホはちゃんとそのあたりは考慮されて作られてるんですね〜 デスクトップがMACなのでiPhoneにしようかと思ってたんですが、タダの誘惑でBASIO4に。しかし、思ってたより分りやすく使いやすい感じで今は気に入ってます。ストレージの拡張もマイクロSDカード(SDXC)で512GBまで可能だったので、せっかくだからMAXまで拡張しました。せっかくだから〜せっかくだから〜(せっかくだからのテーマ)京セラといえば、数ヶ月前から京セラ創業者にしてカリスマ実業家、稲森和夫氏の思想に感銘を受けていたところでしたので、これもシンクロニシティ的なものを勝手に感じています。ジョブズや松下幸之助、そして稲森さんといい、ずば抜けた起業家は自己啓発的というよりももっと宗教的な、人間としての根源を見つめてるような視座を感じる思想を持っていて惹かれるところがあります。誰もが欲しがるものや便利なものを提供することが商売の基本ですから、エゴ的に利益優先の考えの人よりも、世界を便利により良くしたいという公益を考えられる人のほうが結果的に成功しやすいのかもしれませんね。

ついでなので上記でふれた「せっかくだからのテーマ」を含む、変なゲーム「デスクリムゾン」の伝説のOPのリンクを貼っておきます。ニコ動で人気実況者のキリンさんがこの初代と続編の実況を昔されていて、これがまた傑作です。たまに無性に見たくなり、繰り返し視聴させてもらってます。

どんどん本題から離れていきますが、さらに「せっかくだからのテーマ」を作曲者の渡辺邦孝さんご本人が演奏している動画もとても良いのでご紹介します。伝説の○○ゲー「チーターマン」もそうですが、ゲーム自体はアレなのに音楽はけっこう素敵だったりというのはよくありますね。

ImageOptimのMACでの使用方法を解説しているサイト。


posted by 八竹彗月 at 11:25| Comment(0) | 雑記

2022年04月04日

宇宙的エデンの園

220404_apple.pngチャレンジする宇宙

ネットで見かけたマザーテレサの名言にこういう言葉がありました。いわく
「神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。」
というものです。ネットで見かけるソースのわからない名言にはけっこうフェイクが混じっているので、この言葉が本当にマザーのものかは断定しにくいですが、最近よく思っていたことをうまく言語化されているので、目にとまりました。今回はこの名言を肴に雑談をしようと思います。

人間は誰しも成功者に憧れるものですし、金銭的な裕福さに限らず、精神的な幸福を得るといったことも含め、広い意味で人生の成功者たりえたいと願うものです。ですが、現実はどうもそういう願いに寛容でなさそうで、世間的に成功者といわれる人間はいつの時代もごくわずかであります。成功者とまではいかなくとも、とりあえず生活が安定して人間関係に問題の無い人生を望みたいものですが、それこそ成功者でも到達出来ない難関であり、実際に成功者ほど人間関係の苦労は人並み以上にあったりします。この世で最も幸福な状態は、もしかしたら成功者になることではなく、慎ましくても人間関係が良好な平凡な幸せを獲得することなのでしょうか。

ですが、宇宙的な法則、老子のいうタオ的な、もっと端的にいえば神が人間に望む人生とは、常に変化とチャレンジと冒険にみちた人生にあるような気がしています。平凡な幸せを求めたりそれを維持しようとしたりするような安定嗜好や保守的(※)な精神はタオ的な流れに反するのかもしれません。老子の思想では、無為自然が説かれますので、一見保守的な思想に見えますが、本質は見かけの常識に捕われない、人間の尺度を超えた宇宙的な自由に価値を置いているのであり、宇宙的な(つまり自他ともに争わず競わない、世界と一体化した境地)法則においては、現状維持は流れに反するものかもしれません。生々流転し常に変化し続ける総体が宇宙でありますから、「現状維持」というのはそうした運命を支配する全体的な流れに抵抗するもののように思います。なので、この世界では、一見リスクに満ちて危なそうな「チャレンジ」よりも、現状維持を保つほうが莫大なエネルギーを必要とします。そして、チャレンジする者には、リスクを上回るメリットと報酬が得られることが多く、現状維持を選んだ場合は、現状維持を拒む見えない力(つまり現状維持はそれ自体が反タオ的なので、流れる川に抵抗して必死にその場に留まっている感じ)によって、なぜか維持が困難になるような現象がたびたび起こります。

博物館や美術館などは、過去の遺物を未来に遺すためのもので、そういう意味では現状維持の側ですが、それは別に悪ということではなく、ただ維持する事には多くのエネルギーがいるというだけです。人気のアイドルなどのコンサートにはものすごい勢いで資金が集まりますが、過去の遺物を保存する機関は、国の補助金などの公的な支えなどがないとなかなか維持出来ません。良い悪いではなく、そういう所からも、新しい娯楽や、テクノロジー、発明など、チャレンジ精神が含まれる事物には、少々のリスクと引き換えに多くの人々の関心やお金などのエネルギーが集中していくようになっていることがわかります。

(※)ここでいう「保守的」は政治イデオロギーの保守主義のことではなく、守りを優先する傾向を指す一般的な意味で使用しています。

220404_apple.png人生の法則と霊界の話

宗教や神秘主義的な考えのひとつには、この世は死後に行く霊界の居場所を決めるための試験場だという思想があります。死後に行く世界、幽界(アストラル界)や霊界は、この世と逆に、想いがダイレクトに反映される世界で、夢も願いも簡単に叶う世界だといわれてます。そのかわり、精神優位の世界なので、似た者同士が集まりやすく、安楽ではあるけど変化に乏しい世界だともいわれています。これは、スウェデンボルグをはじめとして、多くの神秘主義者がいっていることですが、私も最近はなんとなくそんなものかもしれないと思っています。

もしそうであるなら、この世でチャレンジすることに大きな価値がある理由もそういうこと≠ネのでしょう。つまり、チャレンジすることは、いろいろな経験値を積むことですから、イコール魂の成長になり、霊界での居場所も、前世よりも高度な世界に行けるようになる、といったようなことなのでしょう。そういう意味では、平凡でそこそこ幸せな人生というのは、魂的にいうと学びの少ない人生ということになるでしょう。

インドの聖者、ヴィヴェーカーナンダの言葉に「幸福よりも一層多くを教えてくれるものは不幸である。富よりも一層多くを学ばせてくれるのは貧乏である。また、内面の火をかきたててくれるのは、賞賛よりも攻撃である。」という一節があります。もちろん、不幸よりも幸福を得たいのが人情ですし、神様も人間が不幸であるより幸福であってほしいと望んでいます。そもそも自らの分け御霊である人間が受ける苦痛は神自身の痛みでもあるのですから、不幸な人生よりは幸福な人生を送ってほしいと思っているはずです。不幸というのは、最大の幸福の境地に至るためのもので、より高くジャンプするために一旦後ろに下がって助走距離をとるようなものかもしれません。

不幸というのは過去の行いや前世のカルマなどが現象化したものという面もあり、そもそもこの世に生を受けている時点で、前世で刈り取れきれなかったカルマを持ち越しているという考えもヒンドゥー教などの思想にありますね。人生においては、誰しも思い通りにならないことが起きて当然なのでしょう。合気道開祖の植芝盛平との親交でも知られる宗教家の五井昌久氏がいうには、不幸というのは過去のなんらかのカルマを清算するために起きている現象だと指摘しています。不幸を消すには、不幸が起きた時に「ああ、これで過去のカルマがひとつ清算された!神様ありがとうございます!」と感謝しなさいといっています。これは自虐ではなく、もし不幸において不幸を悲しんだり抵抗したりすると、そのことが次のカルマを生成しまうので、逆に不幸に対しては感謝の念で反応することで悪いカルマをプラマイゼロにできますよ、という意味です。五井さんは、不幸というのは自分の中にある過去の悪い因縁が消えていく姿≠ニして現象化していると解釈しています。これは五井さんだけでなく、東洋の宗教思想全般によく見られる考えでもあり、おそらく真理でしょう。

チャレンジすることは、新しい魂の境地を開拓する事と同義で、人生を豊かに有意義なものにするためには必須ではありますが、先の見えない道を突き進むには少なからず恐怖との戦いがあり、簡単ではないですが、怖くてしょうがないのは最初の一歩だけで、歩みはじめてしまえば意外となんということもなかった、ということも多いです。経験上、神はそうしたほんのちょっとの勇気に、何百倍もの利子をつけて報いてくれるところがあります。逆に安楽な状態を必要以上に維持しようとすると、すごくパワーが要ったり、仲がいい人ほど引っ越ししてしまったり、ちょっとしたことで仲違いするなどの事象が起きやすいですね。

多分、チャレンジとは、自分で自分の運命のサイコロを振ることなのだろうと思います。チャレンジすべき時期にチャレンジしないでいると、現状維持を壊すような状況が起きやすいのも、その運命のサイコロを宇宙的な外部の力で無理矢理振られることになるからでしょう。この世界にはチャレンジする者に味方するような見えない力がはたらいているのかもしれません。自分でチャレンジという名のサイコロを振らないでいると、宇宙的な運命の力が勝手に自分のサイコロを振ってしまい、その場合は、自分で振った場合よりも面倒くさい試練がやってくるケースが多い気がします。先にチャレンジという名のサイコロを自分で振ってしまったほうが、降って湧いたような災難は少なくなるような感じがします。自分の運命は自分で切り開けという宇宙的な助言のようなものなのかもしれませんね。

じっと寝ている間さえ、私達の住んでいる地球は秒速約460m(ジェット機の約2倍)で自転しており、その地球も太陽系の中で秒速28kmで公転しています。さらに、太陽系も銀河系の中で秒速217kmで回転しており、銀河系もまた近隣の銀河団の引力や宇宙の膨張などの影響で宇宙の中を猛スピードで移動しています。逆にミクロの世界にしても、分子は振動し、原子も電子が猛スピードで動き回り、原子核内部も中性子と陽子が激しく運動しています。電子などニュートリノ等の素粒子も最終的には極小のヒモの振動であるといわれておりますから、この世界はどこをどう切り取っても何らかの運動をしていて、どこにも静止している場所は無いことになります。そういう意味ではこの宇宙は常に変化することがノーマルな状態であり、鏡の国のアリスにあるように、同じ場所に止まるには全力で走らなければならないようになっているのでしょう。



220404_apple.pngエデンのスケール

先日読んだネットの記事にあったものですが、我々の宇宙の中央値、つまりマクロとミクロの中間はおよそ1mmほどのスケールの世界であるという説がありました。1mm前後のスケール感の世界というと虫のスケール感です。ゆえに、そのことがこの生命の惑星である地球上において、虫こそがもっとも種類も数も豊富で繁栄を極めている理由なのではなかろうか、というユニークな考察がありました。人間の背丈はおよそ平均1.5〜2メートル程度でしょうから、ざっくりと1メートルくらいのスケール感の世界が人間の世界だといえます。まぁ、宇宙スケールの中央値ですから、人間の普段認識する世界もほぼ中央値のようなものです。

以前からずっと気になっていたのは、この世界はマクロになると星のように球体ばかりになり、ミクロになっても原子のように球体ばかりの世界になることです。人間の認識しているスケール感での生物や鉱物など様々な自然の形態の驚くべき多様性とくらべると、マクロもミクロもどうも単調な気がして、子供の頃はそういうところに漠然と不思議さを感じていました。科学的な視点で考えれば、人間世界では微弱で磁石にも負ける程度の重力は、マクロになるほど影響が大きく現れるようになり、その力は物体の中心にむかってはたらくために最も安定した形状、つまり球体になるわけですし、ミクロの場合も原子核をブンブン回る電子は量子論の確率的な振る舞いにより物理的な理由で球体に見えます。また電子そのものもほぼ完全な球体であるとインペリアル・カレッジ・ロンドンの研究チームによって観測されたようです。

別の視点から考えれば、人間の知覚しているこの世界をこれほどまでに多様性にあふれた楽園にするためには、宇宙はこれほどまでに巨大な場を必要とするのかもしれないですし、また素粒子ほどまでに極小の素材があってこそ、人間世界の多様性が実現できているのでしょうね。

オカルト雑誌などでよく見る数多ある宇宙人の目撃例では、ほとんどが人間程度のサイズ感で、小さくてもチンパンジー程度、大きくても2、3メートル程度でおさまるサイズ感であるのも、いかにも人間の想像力に収まる範囲の宇宙人、という感じでインチキ説を後押しする面がありますが、もしかすると、そういうスケールの範囲でしかこの宇宙では知的生物は発生しないということであれば、そういうサイズ感で宇宙人が目撃されるのはむしろ当然であるのかもしれませんね。そう考えると、嘘っぽく思えていた宇宙人の目撃例のいくつかは、本物の可能性もあるかもしれず、ロマンを感じるところです。

記事では、前述のとおり宇宙のスケールの中央値は1ミリメートルのあたりで、ちょうど虫のスケールであり、地球上で最も多様な種を保持する虫こそが宇宙に祝福された最適な生物なのではないかという考察でしたが、虫のスケールですと知性や霊性を獲得するための脳の容量が不足しそうにも思いますし、他の惑星では事情が変わってくるにしろ、現実にこの地球上では人間だけが最も知的(高度に抽象的な概念を理解できるという意味)な活動を可能としていますから、虫よりひとまわり大きな人間スケールの1〜2メートルあたりが宇宙の恩恵を最も受け取りやすいサイズ感のようにも思えます。人間より大型の恐竜のような、数メートルのスケールになってくると神経系の伝達が遅くなるので機敏な活動ができなくなったり、身体の維持に摂取エネルギーのほとんどを持っていかれたりするため、知的活動に支障がでてきそうですし、やはり人間の生きているスケールは、びっくりするほどちょうどよく、宇宙の豊かさを最も享受でき、それこそ宇宙におけるエデンの園のようなスケールの世界に我々は生を受けているのでしょうね。

メモ参考サイト


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posted by 八竹彗月 at 03:30| Comment(0) | 精神世界