『街』との出会い
最近はゲームをする機会もめっきり少なくなってますが、ゆとりができれば最新の高スペックのゲーム機で緻密なグラフィックの話題作で遊んでみたいですね。今はゲームを自分でプレイする機会は減りましたが、そのかわりゲーム関連でいえば、とりあえずは昔プレイした思い出深いゲームの実況などを見つけては楽しむことが多くなりました。とくに大好きだったバイオ4&5や、クロス探偵物語、サクラ大戦1&2、EVEシリーズ、FF10、ひぐらし&うみねこのなく頃になどは、好きな実況者さんが取り上げてくれたりすると毎日の楽しみが増えてうれしくなります。サウンドノベルの大傑作『街 〜運命の交差点〜 』(チュンソフト)もそうした作品のひとつです。
『街』は実写映像をメインにしたビジュアルで構成されているのもユニークで、ゲームはドット絵かアニメ絵かポリゴン、みたいな先入観が支配していた当時はとくに珍しかった記憶があります。当時の自分も『街』はまったく眼中になく、実写ゲームというだけでハズレの予感しかなく、当たり前のようにスルー対象の作品でした。『街』との出会いは偶然で、仕事帰りに寄った深夜のコンビニでした。弁当と一緒に、何かゲームでも買おうという気分で、アクションやRPGのような集中しないと遊べない作品ではなく、まったり進めれるゲームが何か欲しいな、という気持ちで手に取ったのがサウンドノベルのハシリである『弟切草』(PS版)でした。とはいえ、『弟切草』は私に合わなかったのか、あまりハマれずその夜は序盤まで遊んで中断。しかしそのままでは釈然としないので、『弟切草』に収録されていた『街』の体験版をふとプレイしてみようと何の気無しに思ったのでした。今にして思えばそれがまさに私のゲーム体験における「運命の交差点」だったのかもしれません。
『街』は8人の主人公が渋谷で過ごす五日間を描いた物語ですが、体験版の『街』ではその中の一日分をプレイできます。実写のゲームだしということで期待はせず、体験版だしすぐ終わるだろうと始めてみたのでした。最初に選んだのは「オタク刑事」のシナリオだったと思います。主人公の新人刑事、雨宮桂馬(中の人はあらい正和さん)は、ゲーム好きでパソコンオタクという設定ながら刑事コロンボみたいな感じの味のある刑事っぽい雰囲気のファッションで、その愛嬌のある風貌もあって一目で親しみをもちました。序盤から一気に引き込ませる展開がほんと見事でしたね。渋谷駅前の交差点にあるビルに組み込まれた巨大モニター、オーロラビジョンに、いきなり爆破予告を匂わせる奇妙な暗号文が表示され、それを警邏中に偶然目撃した桂馬はあこがれの先輩女性刑事の栞さんと共に事件の謎に巻き込まれていく、というものです。これは面白くないわけがない!と即座に直感させる序盤のツカミにやられました。
その他の主人公もそれぞれ異なった背景を持ったクセのある面白いキャラとシナリオでしたので、深夜で次の日も仕事だというのに、止め時に迷う程ハマりこんでしまいました。最初は漠然と実写にハズレ臭を感じていたものの、その先入観はプレイしたとたんにほとんど一瞬で消し飛んだのでした。青ムシ役の人や、木嵐さんなど、脇役の名演怪演も素晴らしく、ほれぼれする演技が目白押しの作品でしたね。牛&馬の一人二役を演じきった松田優さんの演技も天才的で、ほとんど静止画でアフレコも無いのに、顔を見ただけで牛か馬かの違いが一発でわかるくらい明確に演じ分けられていて感銘を受けました。牛尾も馬部も、髪型から服装から頬の傷まですべて外見はまったく一緒の設定ですから、想像以上に難易度の高い演技力が求められる役だと思います。松田勝さんが舞台裏を語っておられるサイト(下に貼ってあるリンクを参照)を読むと、想像通り役作りは大変だったみたいで、撮影中はいつも牛と馬のふたりの人格を自分の中に住まわせていなければならないので精神的にしんどかったそうですね。
体験版は一日分とはいえ、想像以上にボリュームがあり、それは嬉しい誤算でした。面白いゲームは、止め時が難しいので体力と気力が続く限りずっと遊び続けてしまうことがありますが、限度を超えて面白いゲームは逆に永遠とこの世界の中で遊んでいたいという気分を誘い、早々にクリアしてしまうことを避けたくなるため、むしろ断腸の思いで一気に進めずにあえて中断して次の日に楽しみを残すような遊び方になりますね。
続きが気になりすぎて、体験版で『街』の一日をクリアするとすぐに『街』の製品版を探して即購入したのを思いだします。クリアしても、しばらくは『街』のあの楽しくて切ない余韻がずっと残っていた気がします。最初とくに好きだったシナリオはオタク刑事と七曜会でしたが、歳をとるにつれてシュレディンガーの手や迷える外人部隊の味わい深い哲学と悲哀の描写になんともいえない魅力を感じるようになってきます。(牛&馬などの他のシナリオもとても面白く好きですが、先に上げたシナリオはどれも独特の『街』ならではの味があり、また時間がたつにつれて初プレイ時と今では印象が変わったシナリオでした)『弟切草』を買わなければ『街』をプレイすることもなかったわけですが、事前に欲しくて手に入れたものよりも、とくに期待せずに衝動買いしたものとか、偶然の予期せぬ出会いをきっかけにハマった作品は、どこか運命の出会いのような気がして特別な愛着がわきますね。
ウィキペディアをみると『街』の8本のシナリオはメインライターの長坂秀佳さんだけでなく、複数のライターさんがかかわっていることがわかります。長坂さんが関わっているのは「オタク刑事」「七曜会」「シュレディンガーの手」「迷える外人部隊」の4つのようで、いわれてみるとたしかにその4つはとくに、独特のケレン味と含蓄のある個性的な哲学で娯楽性を醸し出すノリが特徴的なストーリーで、どこか通底するものを感じますね。
『街 〜運命の交差点〜 』のファンアート描いてみました。
似てないキャラとか、描き漏らしたキャラもけっこういますが、そこはまぁ賑やかしということで大目に見てください。
「これだ!」の人、木嵐袋郎
『街』はむちゃくちゃなダイエットをテーマにしたものや、モテモテのプレイボーイに降り掛かる自業自得の災難をテーマにしたシナリオなど、楽し気なドタバタコメディものから、シリアスで重いストーリーまでバラエティ豊かです。そして、その8本のシナリオどれもが魅力的で、どれもが捨てがたいお話であるのも、考えてみればスゴイことですね。さらにスゴイのは、それぞれがまったく異なる背景をもった主人公たちの物語が互いにたまにシンクロしたり、ひとりの主人公の行動が別の主人公の展開に影響を与えたり、複数の脇役が異なるシナリオをまたいで活躍したりと、全体がとても複雑で緻密な構成になっているところですね。
シナリオの重さでいえば、『街』の中では比較的大人しいシナリオである「迷える外人部隊」がヘビーな話ですが、「シュレディンガーの手」もそういったシリアスさにホラー色まで加味した最凶の重量感のあるお話で、最初はちょっと苦手な印象がありました。しかし、今振り返ってみてみると、「シュレディンガーの手」の魅力がジワジワと心の中に広がってきます。
ダンカンさん演じるテレビドラマのプロットライター市川文靖を主人公としたシナリオ「シュレディンガーの手」。寝てる間に何者かが書いて用意された俗悪な自分名義のシナリオをテレビ局に売る事で表向き成功している男が主人公の市川です。ストーリーは、眠りから覚めるといつの間にか出来上がっている謎のドラマ脚本は誰が書いたのか?という謎を追っていくことで話は進んでいきます。市川は文芸雑誌で純文学でデビューした作家ですが、文学では食べていけないために生活のためにテレビ向けの脚本を生業とするようになっていきます。なので本来は人の崇高な部分に訴えかけて感動を喚起するような良心的な傑作を生み出したいと思っているので、自分で書いた記憶の無い自分名義の低俗なドラマがヒットしていくことにやりきれない葛藤と嫌悪感をいつも感じています。その対価として高級ホテルの一室に住み込んで金銭的には何不自由のない生活を手に入れてはいますが、心の中は常に煉獄であり、その魂の苦痛を和らげるためにいつも睡眠薬を常飲しています。
このお話では、作中劇であるドラマ「独走最善戦」の担当である「テレビ太陽」のプロデューサー、木嵐袋郎(こがらしふくろう)とのやりとりが実に感動的に描かれており、味わい深く心に響くものがあります。序盤の重く陰鬱なホラー展開をひっくり返すほど中盤からの木嵐とのからみは素晴らしい展開で、この脚本を書いている作家の本音とも思える「魂の叫び」を感じたものでした。もしかしたらキャリアの長い大御所の長坂秀佳さんですし、ただプロ脚本家としてのテクニックだけで書いているという可能性もあるかもしれない、と思いつつも、それはそれですごいことでもあります。ちょっとそこが気になったこともあり、長坂秀佳さんについてざっとウィキペディアを読んでみると、意外なことが判明して感慨深いものを感じざるを得ませんでした。
「シュレディンガーの手」で実に印象深い役であった木嵐袋郎プロデューサーについて。『街』の原案者、長坂秀佳さんのウィキに、「特捜最前線」からの長年親交を続けてきた無二の友人がテレビ朝日のプロデューサー、五十嵐文郎(いがらしふみお)さんであるとの記載があります。あきらかに木嵐のモデルっぽいですよね。案の定「五十嵐文郎」のウィキでは、この『街』での木嵐役は五十嵐さんがモデルであり、市川は長坂さん本人がモデルであるという情報も記載されてました。
とても好きなシーンのひとつに、市川文靖がウケ狙いのヒット作ではなく、芸術性で人を感動させうる良心的なドラマ脚本で勝負したいという熱意を思い切って木嵐に打ち明けるシーンがあります。いつもヘラヘラとゴマをするだけだった木嵐がいつになく真剣にその情熱に応えるという感動的なシーンです。あたかもご本人の実体験とか創作活動に対する作家の本音を代弁させているように思えるシーンです。当時のその印象は当たっていたみたいで、長坂さんの実際のエピソードに、似た経緯がありました。長坂さんは、脚本業を一年間も中断してホテルに缶詰になって小説作品を書き上げた過去があるそうです。初応募した『浅草エノケン一座の嵐』と題したその本は見事に江戸川乱歩賞を受賞し、小説への希望を感じたものの、何人もの批評家の辛辣な意見にとても意気消沈し苦々しい経験をしたとのこと。こうしてみると「シュレディンガーの手」での主人公市川の発するセリフやその想いや感情など、思ったよりも長坂さんの体験がけっこう反映されてたんだなぁ、と感じました。だからこそ、あの市川と木嵐の魂を震わすような情熱的なやりとりの描写ができたのだな、と改めて感慨に耽ります。
TIPSの魅力(市川編より)
『街』にはテキストの要所要所に補足が必要な本文中の用語を解説する「TIPS」というシステムがありますが、これも『街』の大きな魅力のひとつですね。単調な用語解説は少なく、それ自体で楽しいヒネリのある解説文であることがほとんどです。ときには哲学的に人生を語るシリアスなものや、おふざけ的にウソ情報を解説したり、TIPS内だけで語られる本編の裏設定など、TIPSももうひとつの『街』というか、一見ただの用語解説のシステムのように思わせながら、実は本編と同じくらいの重要な要素になっているのが画期的なアイデアだと感服しました。
TIPSは、8人のキャラごとにシナリオに応じたテイストのノリで書かれているのも楽しく、プレイしているうちにTIPSの解説を読むのも楽しみになってきていることに気付きます。心に残るTIPSもたくさんあるのですが、今回は市川編にスポットを当てた記事ですので、市川編「シュレディンガーの手」に出てくるTIPSの中からグッときたものをいくつか以下に引用しました。(グレー文字は私のコメントです)
「愛」
科学的には脳内分泌物が人間に愛≠感じさせる。それはLSD等の薬物が愛他心や多幸心を増加させるのを見ても明らかだ。人は脳からこんなわずかな物質を分泌させるために右往左往する。しかしそれでも愛≠ェなければ人は生きていけない。
(寸評:市川編はこういったどこかニヒリスティックなヒネリのあるシリアスで哲学的な感慨深いTIPSが多いのも魅力ですね。)
「文学新人賞」
大正末期のユートピア作家「多摩川頓歩」を記念して相談社という出版社が作った多摩川頓歩賞のこと。この賞を登竜門として幾多の作家が文学界にデビューした。ちなみに、この「多摩川頓歩」というペンネームは、台湾のユートピア作家、「タムガー・ワトン・ポー」をもじったもの。
(寸評:原作者である長坂秀佳さんがホテルに篭って書き上げた小説が江戸川乱歩賞を受賞した経緯が元ネタになってますね。こういうウソ情報がたまに紛れ込んでいるのも『街』TIPSの醍醐味。いうまでもなく多摩川頓歩とは江戸川乱歩のことで、そのペンネームの由来がエドガー・アラン・ポーであることをパロった一文ですね。)
「膝枕」
子供の頃、あなたも母親にしてもらったことがあるだろう。そして大人になると、母親以外の人にしてもらえるかもしれない。そんな人がいるとしたら、あなたはその人を大切にしなければいけない。
(寸評:なんともロマンチックなTIPSですが、意外と人間の本質を突いているようでもあり、それをポエティックにサラリと表現する見事なセンスを感じますね。市川編は序盤のホラー展開から、中盤の木嵐との青臭くも熱い展開、そして昔の恋人末永とのすれ違う愛情を描く切ない描写など、プレイするたびに豊穣な展開をみせる贅沢なシナリオでもあることに気付かされ、新鮮な発見をさせられますね。このロマンチックなTIPSも、市川編の物語の意外な包容力を感じます。)
「囲繞(いじょう)」
かこい、めぐらすの意味。われわれは常に何かに囲まれている。たとえば空気。たとえば人。たとえば抑圧。たとえば悪意。たとえば恐怖。たとえば憎悪。たとえば死。たとえば殺意。たとえば欲情。たとえば嫉妬。たとえば絶望。たとえば病。たとえば嫌悪。たとえば孤独。たとえば不信。たとえば愛。
(寸評:厭世的な重いリズムを最後の一言で一気に逆転させる名文にシビレました。用語解説の域を超えて含蓄のある散文詩のような味わいの『街』屈指の名TIPSだと思います。自分にとって最も印象深い一番好きなTIPSです。そういえば「ツィゴイネルワイゼン」というサラサーテの名曲がありますね。ヴァイオリンによる長めのクラシカルな曲なので、序盤の悲壮感のあるメロディだけを耳にする機会が多く、一般にもそういうイメージが強い曲だと思います。ある時気になって最後まで通して聴いたのですが、まさにそのときの印象が、このTIPSを読んで感じた印象とちょうどよく似ていたのでふと思い出しました。「ツィゴイネルワイゼン」は曲の大部分を通じて序盤の悲壮感をひきついだ展開なのですが、曲のラスト近くになると突然急にはっちゃけたような軽快で喜びにみちた演奏になるのでびっくりした覚えがあります。クラシックの著名な名曲というイメージが強かっただけに、そのアヴァンギャルドな構成にグッときたものです。それまでの空気をラストで唐突に一変させるノリというのは、なんとなくパンドラの箱に残った「希望」の寓意を思わせるものがあり、どこかスピリチュアルな深みを感じますね。)
──────以上4本のTIPSは『街 〜運命の交差点〜 』(チュンソフト)の市川文靖編「シュレディンガーの手」より引用
上記のTIPSにも出てくる江戸川乱歩賞のパロディで、長坂さんご自身の乱歩受賞という経験が下敷きになっていたみたいですが、そういえばこの「シュレディンガーの手」というシナリオそのものも、乱歩の影がうかがえますね。市川の左手は経済的な成功者にさせてくれた功労者であると同時に、自分でも毛嫌いする内容の自分の作品を書き上げる悪魔のような存在でもあります。自分の意思に反して従わない市川の左手の謎を追っていくのが物語の主軸になっていますが、なんとなく江戸川乱歩の短編『指』を彷彿としますね。(※確認したところ、本編中ですでに乱歩の『指』への言及がありました。詳しくは追記参照)念のために気になって乱歩の『指』を読みかえしていて気付きましたが、『シュレディンガーの手』のあの切ない余韻を残すラストのピアニストのような手の動きの描写は、もしかしたら乱歩の『指』のオマージュなのかもしれませんね。
他に、「手」繋がりの作品で思い出すのは、手塚治虫の短編『鉄の旋律』ですね。マフィアによって両腕を奪われた主人公がサイコキネシス(念力)で動く鋼鉄の義手を手に入れ、それを操ることによって復讐を決意する話でした。念力とはいえ自分の意思で動かしているはずの義手でありながら、皮肉にもその義手によって自分の意図しない結末をもたらすところが手塚治虫独特の人間哲学を感じて印象深い作品でした。憎しみの心は最終的には自分をも滅ぼすのだ、という手塚先生からのメッセージのようにも思えて、考えさせられる作品でしたね。『鉄の旋律』の義手も最初は自分の身を助けてくれる味方であったはずのものでしたが、いつしか最大の敵になってくところも、どこか市川文靖の物語と重なって興味深いです。
市川文靖の使っていたMAC
まぁ、そんな思い出深い作品『街』ですが、サターン版が出た1998年から数えて、もう20年ちょっと経ってるんですね。たしかに電話ボックスとか、ISBN回線とか、カセットテープ式の録音機とか今はもうなくなってしまったアイテムも散見されますが、今プレイする場合は逆にそういうところも見所になりそうです。むかしは渋谷は通勤圏だったので、休日は渋谷をうろうろする事が多く、馴染みのある光景が舞台になっているゲームというところもどっぷりハマる要因でした。もう何年も渋谷に足を運んでいませんが、ゲーム内に登場したゲーセンとか飲食店など、今はほとんどなくなっているらしく、ちょっと寂しいものを感じます。
『街』に登場する懐かしいアイテムといえば、そういえば市川が仕事で使っているパソコン「Macintosh SE/30」もそうですね。調べてみると当時の値段は日本円で30〜50万円くらい、CPUは16MHz、メモリは最大128Mb、と心もとないスペックですが、これが当時の先端だったわけで、IT関連の技術の進歩の凄まじさを実感します。CPUのクロック周波数は現在はスマホでも約3GHzくらいありますから、20年で当時のハイエンドなPCより200倍ほど速くなってることになりますね。まさに隔世の感があります。
市川文靖の愛機「Macintosh SE/30」
(PS版「街 〜運命の交差点〜」チュンソフト 1999年)

市川文靖が原稿を書くのに使用していたマック。液晶でないモニタとか、フロッピーディスクの挿入口とか、見た目もすでにレトロマシンといった感じですが、骨董的な価値もあるようで、ヤフオクなどでもマニアの間で中古市場でジャンクで2〜3万円、動作品は4〜7万円ほどで今でも取り引きされてますね。置き場所に余裕があれば私も往年のマックをいじって漢字Talkの世界に浸ってみたいものです。
冴えない役者の馬部と、とある女性にプロポーズするためにヤクザの道から足を洗った牛尾の二役を演じた俳優松田勝さんによる『街』の裏話。牛&馬を演じるにあたっての役作りの話など、いろいろ興味深いお話をされています。舞台裏の狐島三次(鶴見淳司さん)は松田さんを兄貴分のように慕ってらしたそうで、撮影の合間にもよく演技や映画の話などで盛り上がったとか、貴重なお話が満載で面白かったです。
件の江戸川乱歩の短編の全文が青空文庫に納められてました。推理ものではなく、ホラーチックな短い幻想小説です。「シュレディンガーの手」のラストで市川の右手の指が跳ねるように動き出す切なくも崇高なシーンの余韻に浸っていたときに、ふとこの短編を思い出しました。市川のあの指の動きは、キーボードを叩いて原稿を書く動作なのですが、それはキーを打つというよりも、音楽を紡いでいるかのようなリズミカルな動きで、まさにこの乱歩の「指」をイメージしているようにも思えますね。長坂さんご自身を最も色濃く投影した『街』のキャラが市川ですし、江戸川乱歩賞の受賞経験もあり、乱歩には同じ作家として浅からぬ想いもありそうです。市川編のラスト、やっと悪魔の左手から自由になって、本当に書きたかった良心的な芸術作品を紡ぎ出す魂の喜びを、乱歩の『指』へのオマージュとからめて表現したのではないか、などと愚考しています。
※追記(2023/1/29)
この江戸川乱歩の短編「指」ですが、ちょうど街の実況動画を見ていたら、実は市川編の中でこの作品への言及がありました。左手に潜む小人が正体を現すクライマックスのシーンでの市川のセリフにこうあります。「驚きの中で、私は小学生のころ読んだ小説のことを思い出した。それは江戸川乱歩の『指』という、やはり<指>が独自に動く小品だったと思う・・・・。」記事では昔にプレイしたときの記憶で書いていたので、乱歩の「指」に言及があったのはうっかり忘れてました。