インドといえば聖者の国。遠い昔から現在まで精神世界をリードする多くの聖者を輩出していて、興味が尽きないです。先日も80年間何も飲まず喰わずを貫いたヨギーが90歳で老衰のために亡くなったとのニュースがSNSのトレンドに上がってましたが、さすがインドというか、なんとも摩訶不思議な事が日常茶飯事に起こってそうな神秘の国ですね。食という本能に関わる欲望を制御するのはそれなりに強固な意志力を必要としますし、生きるための食というより、現代では食は人生の楽しみのひとつでもありますから、これを断つというのは、わずかな期間だけであってもなかなか難しいものがあります。ダイエットは生活系雑誌の定番記事で、「○○○ダイエット!」なるいろんなダイエット法が次から次へと登場しますが、単純な話、食べ過ぎるから太るというだけの話で、食べる量を制限すればそれに伴い必然的に体重は減るはずです。にもかかわらず、ダイエット情報がいろいろ出てくるのは、それだけ食欲を制御するのが難しいということでしょう。一度決心すれば出来なくはない事ですが、この初めの一歩である「決心」ができないのが人間のサガですね。
そういえば禁煙したときも、決断するまでが長くて、決断したら意外とすんなり禁煙できてしまい、もうかれこれ6年が経過しました。下手にパイポなどの中途半端な禁煙法に頼っているうちは全然無理でしたが、何の脈略も無く「もう吸わない」と決意し、そのまま実行したらあっけなく禁煙できてしまいました。いかに決断という「初めの一歩」が大事か、ということですが、様々な場面でこれが実行できれば世話はありません。そうはいかない弱さがあるのが人間でもあり、まぁ、そこは地道に精神を鍛えていくしかないのでしょう。
イスラム教徒は定期的に絶食するラマダンというものがあるのは知られています。食の節制という難関を宗教の戒律で半ば強制的にクリアするわけですが、別の見方をすれば宗教で強制的に健康にしてくれるわけで、優柔不断な人間には渡りに舟な戒律でもあると思います。調べてみると、ラマダンはイスラム暦で第9月の日の出から最終日の日没までおよそ1ヵ月間断食をするというものですが、完全な断食ではなく、決められた時間に一日一食だけ質素な食事を摂れるようです。現代人は、ほとんどの場合1日3食のペースで食料を摂取してますが、そうなると内蔵は毎日間断なく休み無く働き続けていることになります。なので、週に一日でも断食して内蔵を休ませるだけでも、かなり体調が良くなるという話を聞きますね。
多くの人にとって、美味しいものを食べるのは人生の至福のひとときなわけですが、美味しければ美味しいほど、それを食べることを腹八分目で止めれる精神力も必要になってきます。とくに現代は、甘いお菓子やジューシーな唐揚げなど、カロリーが高くて安くて美味しいものが溢れてますから、それゆえに食の誘惑に抗えるだけの食欲を制御する精神力を鍛えるのはけっこう重要かもしれません。
水野南北の小食開運術
江戸時代の占術家、水野南北(1760-1834年)は、食の節制は健康だけでなく、強力な開運効果があることを主張したことで知られ、昨今よく耳にする人物です。南北がそのような思想に至ったのは、身をもって体験した事実を元に確信したものであったようで、そうした彼自身のエピソードはとても興味深いものがあります。
子供の頃から酒や喧嘩や窃盗に手を染め、18歳にして獄中を体験するという、ギザギザハートの子守唄を地でいき、チェインギャングを歌い出しそうな南北の少年時代、出獄した折りに見てもらった占い師から、その顔に「死相が出ている」と言われ、このままだと成人を迎える前に死ぬかもしれないことに恐怖したのをきかっけに、一念発起でお寺に出家して少しでも運気を上げようとしました。しかし死相が見えるほどのかなりヤバヤバな凶相だった南北、あまりに人相の悪い若者ゆえ寺も彼の入門をためらい「1年間、麦と大豆だけの食事を通すことができたら弟子にしてもよい」と、ほとんど門前払いの言い訳めいた条件をつけて南北を追い払いました。そうなると南北は余計に不安にかられ、何が何でも入門したいとの思いで、なんだかんだで1年が立ち、お寺の出した条件を見事に達成してしまいました。いざお寺に出家しようとする南北でしたが、自分の顔に死相を見た件の占い師の言葉が蘇り、念のためにあの時の占い師にまた見てもらったところ、1年間であの時に見えた死相はきれいに消えているといわれ、またそれだけでなく、最悪だった運気までなぜか180度好転してしまいます。この体験から、小食は強力に開運をもたらすという事を確信し、自分を泥沼から救い出してくれた占い(観相学。人相占い)に興味を持ち探究していくことになったそうです。
南北の小食開運法は、その開運に至る理屈もなかなか説得力のあるユニークなものですが、常識的な見地からも小食は健康に良さそうですし、開運に関してもヨガや禅など多くの宗教的な修行でも食の制限は必ず出てきますので、効果はありそうに思います。インドの著名な近代の聖者のひとり、ラマナ・マハルシも推奨されるべき生活態度として、節度ある睡眠、節度ある会話と並んで節度ある食事を挙げていましたね。
小食は普通に健康によいはずですが、前述の80年間不食のヨギーの話のように、精神修行をしている人の中にはときおりそのような完全な断食をしているとされる人の話をたまに聞きますね。人間も生き物なので、食べずに何年も生きているというのは、にわかに信じられないという人も多かろうと思います。SNSなどでは、実際はこっそり食べていてインチキしているんだろうという意見も散見されましたが、件のヨギー、プララド・ジャニさんは10年前の2010年に、本当に何も食べてないのか確かめるためにインドの病院で、医師30人の立ち会いと監視のもとに24時間態勢で15日間観察されたことがありました。結果は、期間中にジャニさんが液体と接触したのは、うがいと風呂の際だけだった、ということで、食事はもちろん一度もせず、トイレにも行かなかったそうです。懐疑的な人は、その期間だけ我慢してただけだろうという見方もするでしょうが、トイレに行かなかったということは、胃腸がカラになる程度の期間は実験前に準備しておく必要があるはずですし、普段こっそり食べてる人がいきなり2週間以上の完全断食にチャレンジするのは相当難しいであろうことも推察できます。
日本人でも不食者といわれている人は何人もいますが、以前俳優の榎木孝明さんが30日の断食をクリアしたニュースが思い出されます。榎木さんに限らず、30日クリアできるレベルの不食チャレンジャーは、そのままずっと食べずにいけそうですが、30日経過した時点でまったく食欲がわかなくても「本当にこのまま食べないで大丈夫だろうか?」とものすごく不安になるようです。気分も体調も良好であっても、長く絶食していて身体に良いはずがない、このまま続けてたら死んでしまうのではないだろうか、という不安によって意識的に止めるケースが多いのではないかと想像します。
ヨガナンダが出会った50年間不食の女性
私は個人的にはジャニさんの80年間不食を信じています。人間にはその程度の潜在能力があると思うからです。ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』の第46章に「断食50年の女ヨギ」というエピソードが出てきます。ギリバラという名の70歳の女性が、50年以上にわたって飲まず喰わずの生活を維持しているとの噂を確かめるためにヨガナンダが実際に彼女の家まで出向くエピソードです。こちらもなかなか興味深いです。彼女も、上述のジャニさんと同じように不食の事実を検証されています。検証を行ったのはインドの貴族、ビジャイ・チャンド・マハターブ大公で、自身の宮廷にギリバラさんを2ヵ月間缶詰にして不食の検証が行われました。一度だけでなく、その後も20日間、3度目は15日間、宮廷の一室に缶詰にされて観察されました。この厳重な3度の観察のすべてのテストをクリアし、彼女は見事に完全な絶食を証明したそうです。なぜ飲まず喰わずで生きていけるのか?についてヨガナンダは「この女ヨギは、あるヨガの技法により、エーテルと日光と空気から宇宙エネルギーを直接吸収して肉体生命を維持している。」と解説しています。また彼女は不食だけでなく睡眠もあまりとらないそうです。
ヨガの思想では、空気というのは、我々が常識的に考えているような、酸素と窒素と二酸化炭素の混合物というだけの物理的な実体だけでなく、霊的なエネルギー「プラーナ」に満ちているとされています。仙人もよく「霞を食って生きている」と俗に言われたりしますが、まさにこの霞、つまり空気というのは、この場合も物理的な実体ではなく、空気と密接に結びついている高次元の霊的なエネルギーのことを指しているのでしょう。中国ではこの空間に満ちている目に見えない精気のようなものを「気」と呼んでいますが、これもプラーナと通じる同じような概念です。気を操る技法が「気功」で、健康法や武術など、広く中国文化に浸透した概念ですね。中国の道教の秘術に、抱朴子などの仙術がありますが、仙道の秘術にはチャクラの概念や先に述べたプラーナの概念など、けっこうヨガと通じる考え方が散見されます。インドから中国に渡った文化は仏教の伝来だけでなく、ヨガに関してもいろんな経路から中国に渡って、道教の神秘思想と結びついていったのでしょうね。
ヨガや禅などの精神修行では瞑想を重視しますが、この瞑想を行う上で重要なのが呼吸法です。呼吸は普段は生命維持のために無意識に行われますが、よほど訓練された人でない限り、無意識に行う呼吸は浅い呼吸で、浅い呼吸ではプラーナを吸収することはできず、瞑想も雑念ばかりで深まりません。無意識の呼吸は肉体維持に必要な最低限の呼吸で、意識的に行うゆっくりした深い腹式呼吸は肉体より高次元の霊体にエネルギーや養分を与えることができるとされています。なので、ヨガでは意識的にプラーナを取り入れるための深い腹式呼吸をするわけです。
ヨガナンダは不食者が取り入れているエネルギーとして空気のプラーナなどのほかに日光を挙げてますが、これも興味深い指摘です。そもそも「食べ物」とは何ものなのでしょう?食べ物とは、元を質せばすべて太陽エネルギーを蓄積した電池であるといえると思います。植物は光合成によって栄養素を作りますが、イモ類などはそのエネルギーを根っこに溜めてイモになります。果物は実にそのエネルギーを溜めます。またそうしたエネルギーを食べる動物も、間接的に植物の太陽エネルギーを取り入れてるわけですから、動物にも太陽エネルギーに満ちています。そもそも人間は太陽を浴びるだけでもビタミンDという栄養素を自力で作り出しており、日光浴は単に気持ちいいだけのリラクゼーションだけではない事が知られています。腐った食べ物を忌避するのは、腐敗による毒素だけでなく、太陽エネルギーが抜けきって生命力を失っていて役に立たないことが直感的に分かるからかもしれません。塩などの無機物は別にして、ほとんどの食べ物は生命の「気」に満ちています。食べ物から生命力が抜けると腐敗していきます。食べ物に蓄積されている生命力とは太陽のパワーですから、食べ物を経由せずに直接太陽からパワーを得ている人がいてもおかしくないような気がします。
人間も動物ですから、最初から不食で生きれるような身体で生まれ落ちてくることはないですが、以上のような考えからヨガなどの訓練により、不食で生きれる肉体に鍛えることも可能なのではないか、と思っています。食べる事は人生の楽しみのひとつですから、わざわざ理由もなく不食に挑戦するのはナンセンスであろうと思いますが、スーパー、コンビニ、飲食店など、普段目に付かない所で莫大な廃棄食料があるという話も聞きます。全ての生命にとって、食べ物は宝物のようなもので、多くの動物は食料を得るために全精力を傾けて生きてます。地球上で人類だけが、食料の持続的な生産と享受をほぼ可能にしていて、それは素晴らしい事で人類の偉大な成果には違いありません。しかし別の視点からみれば、先進国では飢えて死ぬより食べ過ぎで死ぬ人の方が多いようで、これもこれで問題です。私はベジタリアンではありませんが、人間の飽くなき食の欲望の犠牲になって、食べられる事も無く賞味期限切れで捨てられていく食肉を思うと、何のためにこの豚や牛や鳥は人間に身を捧げたのだろうか、とふとセンチメンタルな気分になるのも確かです。感謝していただく、というのは良い心がけに違いないですが、地球上の生き物から無駄に命を奪う事のないように、とくに、食べられることなく廃棄される食肉をできるだけ減らせるような世界にしていきたいものです。近年「どろろ」や「アシュラ」など飢餓の世界を背景にした作品がアニメ化されたり映画化されたりなどリバイバルしていてることも、何かそんな感じの地球生命(ガイア)の意識が訴えてるメッセージのような気がしてくる昨今です。

80年も飲まず食わず? インドのヨガ行者が死去、90歳か 2020.5.26(AFP BB News)
70年断食の印ヨガ聖者、科学者も仰天 2010.5.10(AFP BB News)
不食のヨギー、ジャニさんに関するちょうど10年前の記事。
ラマダーン(ウィキペディア)
水野南北(ウィキペディア)
「南北相法」水野南北著 明治41年 須原屋書店(国立国会図書館デジタルコレクション)
「南北相法極意秘伝集」水野南北著 明治27年 両輪堂(国立国会図書館デジタルコレクション)
小食こそが開運の鍵であるというシンプルで説得力のある思想で昨今注目されている江戸時代の観相学(人相占い)の大家、水野南北の著作。江戸時代の和本はほとんど草書体ばかりですが、これらの本は明治時代に復刻されたものなので、活字で印刷されているため比較的読みやすいですね。拾い読みするだけでも面白い情報がありそうです。
飢えて死ぬ者よりも、食べすぎて死ぬ者のほうが多い(「Daiwa」様より)
不食の人・榎木孝明、4年前に30日間の不食チャレンジ!現在も「10日くらい食べない」(「まいどなニュース」様)