『OZ vol.3』1967年5月発行 編集者:リチャード・ネヴィル ロンドン OZ Publications Ink Limited
オーストラリアのシドニーで創刊された『OZ』は、やがて英国ロンドンに拠点を移しパワーアップしていき、ジョン・レノンまで巻き込む伝説のアングラフリーペーパーとなっていきます。
ジョブズの名言の元ネタになったヒッピーな雑誌『ホール・アース・カタログ(全地球カタログ)』は、日本でも『宝島』『遊』『ポパイ』などに影響を与えたという情報がwikiにありましたが、『ホール・アース・カタログ』と同時代、1970年前後に発刊されていた雑誌『OZ』も、同じくらい(あるいはそれ以上)に伝説的な雑誌として有名です。危ない内容とサイケなデザインが刺激的な雑誌で、ビートルズのメンバーでもあった稀代のミュージシャン、ジョン・レノンとそのパートナー、オノ・ヨーコも愛読者でした。
『OZ』というと日本では1980年代後半に創刊され今も続いている老舗の同名の女性向けの情報誌を連想しがちですが、ジャンルもテイストもまったく別物で、日本のOZマガジンは、その誌名が伝説のアングラ雑誌と何か関係があるのか無いのか気になる所です。『ホール・アース・カタログ』と同じく『OZ』もまたヒッピー向けの雑誌であり、その過激な内容は当時社会問題となりました。社会に悪影響を与え、またはなはだ猥褻だとして裁判沙汰になったことがあり、廃刊の危機に陥ったことが何度もありました。そのため『OZ』の大ファンだったジョン・レノンは救済募金のために「God Save Oz」という曲まで作っています。そこまで大好きか!!!という感じですが、実際に『OZ』を見ると分かる通り、現代の基準で見ても奇抜で斬新なつくりの雑誌で、ジョンが心酔するのも容易に理解出来ます。「God Save Oz」はジョンのソロアルバム『ウォンサポナタイム(Wonsaponatime)』に収録されています。

ジョンは後に映画『エル・トポ』を見て監督のアレハンドロ・ホドロフスキーの作品に惚れ込み、同作と『ホーリー・マウンテン』の配給権を買い取るまで入れ込んだというエピソードも有名ですが、振り返ってみればホドロフスキーのテイストと雑誌『OZ』のノリとはどこか通じるところがありますね。シュールで危険で不道徳で先進的な感じや、グロさと美しさの絶妙なバランス感覚とか。こうしたテイストを非常に好んでいたジョンでしたが、自身の作風にはあまりそういうアングラ感はなくピュアな愛や平和などテーマにしていたのが面白いところですね。自分には出来ないジャンルの創造性に対する憧れみたいな、文系人間が理系の人に憧れるような、そんなひとりのミーハーなファンとして『OZ』やホドロフスキーを愛していたのでしょうか。
60〜70年代の洋雑誌はマニア心をくすぐる名雑誌が多いですね。『EROS』『AVANT GARDE』『PLEXUS』などは垂涎ですが、『OZ』はそれらの雑誌よりもアングラ臭があって、古雑誌マニアにしか通じない例えですが、日本の雑誌でいうと『AVANT GARDE』や『PLEXUS』などを『写真時代』『スタジオボイス』『遊』などに例えれば、『OZ』は『黒の手帖』とか『Jam』とか『HEAVEN』みたいな雑誌の匂いに近い感じですね。植草甚一編集の初期の『宝島』も『OZ』っぽさが濃厚にあって、初期『宝島』は『ホール・アース・カタログ』よりむしろ『OZ』に影響を受けてそうなテイストを感じますね。
雑誌『Avant Garde』ラルフ・ギンズバーグ編集、ハーブ・ルバーリン デザイン
現在の視点で見ると、ふつうに洗練されたお洒落な雑誌、という感じですが、全裸の人文字フォントの写真「BELLES LETTRES」という企画のページが問題となり廃刊になったそうです。この雑誌だけでなく、前身となる『EROS』もわいせつ罪で有罪になったりと、波瀾万丈です。ハーブ・ルバーリンのデザインは、整理された美しさとヒネリのあるアイデアが絶妙で、タブロイド判の『U&lc』という雑誌でも気持ちいいレイアウトデザインで目を楽しませてくれます。時代に翻弄されながらも時代を超えて注目すべき雑誌を生み出したギンズバーグ&ルバーリンの仕事は、グラフィックデザインの雑誌『idea アイデア』の2008年7月号(vol.329)でもけっこうページを割いて作品と解説がありました。
雑誌『Avant Garde』題字 ハーブ・ルバーリン
かっこいいですね〜 タイトルロゴのフォントはルバーリンによるデザインで、後にアバンギャルドゴシックとして有名になりましたね。一見フーツラに似た書体ですが、斜めのラインの角度が全て一定になっていて、文字の間隔をギチギチに詰めれるのがこのフォントの特徴です。
フランスのエロティシズムとシュルレアリスムの雑誌『Plexus』。1966〜1970年まで全37冊発刊されました。1969年に発禁処分を受けたという情報も見かけました。現代の目で見るとエロ雑誌というよりは普通にハイセンスなアート系の雑誌だと思うのですが、当時はそのあたりの基準がけっこう厳しかったのでしょうね。
日本を代表する伝説のアングラ雑誌『Heaven』。佐内順一郎(高杉弾)編集、羽良多平吉デザイン。羽良多さんのデザインは妖しくて神秘的で、それでいてどこか聖なる感じも漂わせていて、テクニックだけでは到達できない深淵なものを感じさせてくれて大好きです。
初期の『宝島』。1974〜1976年頃。この時代は植草甚一責任編集をうたっていて、フォークやら大麻やらオカルトやらと、当時の先鋭的な若者文化をすくいあげて編集していて面白いです。
『宝島』1975年12月号 JICC(ジック)出版局発行 より
イラストレーターのクレジットがないので詳細不明ですが、当時の著名なアングラコミック作家、ロバート・クラム(Robert Crumb 1943~)を彷彿とするヒッピーな感じのタッチがヤバげなアシッド感があってドキドキします。
『Free Press (underground and alternative publications 1965-1975)』表紙 Jean-François Bizot 編 Universe刊 2006年
ヒッピー、サイケ文化真っ最中の1965〜1975年に発刊された欧米のアングラフリーペーパーを縦横無尽に紹介する本。文章ページは巻末のインデックス的なページのみで、ほとんどカラー図版で1ページに1つ大きく当時の雑誌の図版をほぼ原寸で掲載していて迫力がある編集です。日本の図鑑系の編集はなぜか良い紙を使っていながら文章情報主体で図版が小さかったりモノクロ図版主体だったりする感じのものが多い印象がありますが、図鑑系は図版が主体のこんな編集が一番ありがたいですね。
同上『Free Press (underground and alternative publications 1965-1975)』の『OZ』紹介ページ。アングラ誌とは思えないアーティスティックな凝ったビジュアルに一瞬で惹かれました。表紙を見るだけでもグッとくる感じで、ジョン・レノンを心酔させたのもうなづける個性的かつ時代を反映したセンスに惹かれます。他にも『International Times』『Baeb』『Ink』『Other Scenes』『The Seed』『Fifth Estate』『Avatar』『Actuel』などなど、とくに日本ではあまり目にする機会の無い刺激的なビジュアルのフリーペーパーが多数紹介されていて面白いです。
『OZ』は自分にとっても、たまたま持っていた当時のヒッピー向けミニコミ誌などを集めた洋書『Free Press』などで片鱗を知るくらいで、いつか本物をコレクションしたいとずっと思っていた憧れの雑誌でしたが・・・・なんと!!伝説の雑誌『OZ』がネットで全号無料公開されているという情報が!!
英語版のウィキペディアで『OZ』の情報を調べてたら、最後のほうに「デジタルコレクション」という項目があり、そこには「2014年、ウーロンゴン大学図書館は、リチャード・ネヴィルと共同で、Oz Sydney誌とOz London誌のデジタルコピーの完全なセットをオープンアクセスで提供しました。」という記述がありました。「えっ!?嘘!?」と半信半疑でウーロンゴン大学図書館を検索すると、ありました!『OZ』全号のスキャンデータだけでなく、付録のポスターなど、付属アイテムも収録されていて、至れり尽くせりの豪華版です。
この企画には『OZ』に実際に関わった中心的な編集者であるリチャード・ネヴィル氏が全面協力しているので、そうした細かい所まで提供できているのでしょうね。しかしまぁ、オーストラリアの名門公立大学の図書館で、裁判沙汰にもなったアブナイ雑誌が無料公開されているというのが素晴らしいですね〜 日本の大学ではなかなかできない類いのサービスかもしれません。まぁ、アングラ誌といえどもジョン・レノンに曲を作らせてしまうほどの雑誌でもあるので、そうした歴史的芸術的な価値を鑑みて公開されているのでしょう。著名人を心酔させたアングラ雑誌というと、そういえば戦後のSM雑誌『奇譚クラブ』に連載されていた沼正三の『家畜人ヤプー』に三島由紀夫が惚れ込んで、単行本の出版に自ら奔走したという話を思い出しますね。政治的には右翼的な見方をされる三島が、日本人が徹底して卑下される近未来を描いた怪作『家畜人ヤプー』を絶賛する所が面白いですね。どこかジョン・レノンが『OZ』を評価するのと重なる感じがします。天才はイデオロギーなどの些細な表層では判断せず、作品そのものを見通す目を持っているのでしょうね。
デジタルデータだけでなく、実物も機会があれば手に入れたいものですが、上述したとおりいつもお上から睨まれていた雑誌だったためか現存が僅少のようで、現物の入手は困難らしく、古書相場では一冊数万円くらいの価値で取り引きされているともいわれているようです。念のために世界的なオークションサイト「ebay」で『OZ』の相場を調べてみると、日本円換算で数千円〜数万円の間で出品されてました。そんな雑誌がスキャンデータとはいえ無料で合法的に見れるわけですから良い時代になったものです。

(※アドレスが変更されていたためリンクを更新しました。2021/12/14更新)
憧れのサイケな雑誌「OZ」の全容が無料で見れるというのはスゴイ!!!まさに宝の山!
ウーロンゴン大学図書館は、OZの中心的な編集者だったリチャード・ネヴィル氏と共同で2014年からこのサービスを提供しているとのこと。感謝感激であります。研究目的の利用のために公開されていて、商用利用は不可です。権利の範囲については当該ページにてご確認ください。
(※アドレスが変更されていたためリンクを更新しました。2021/12/14更新)
ロンドン版に引き継がれる前の元祖『OZ』(1963〜1969年 )の全容も無料公開されています。素晴らしすぎる!ロンドン版と比べると地味な見た目ですが、伝説の雑誌の全容という意味では見過ごせない魅力があります。
『OZ』は最初はオーストラリアのシドニーで、1963年のエイプリルフールに悪ノリして発行されたものが最初でした。痛烈な社会風刺や政治家や公務員など公的な人物への風刺など政治的に過激な内容だったみたいで、シドニー版も早くも第三号で裁判で有罪に。その後雑誌の中心人物だったリチャード・ネヴィルらが1966年2月にロンドンに渡ったことにより、1967年初頭から『OZ』は英国ロンドンで発行されることになります。モノクロ主体だったシドニー版からうってかわり、ロンドン版は地下出版物でありながらイメージ豊かなイラストやサイケデリックなカラーの印刷が話題を呼び英国でも瞬く間に広く認知されることになります。しかしあいかわらず過激な内容のために何度も強制捜査が入りついにロンドン版も猥褻物と見なされてまたもや裁判に。この裁判によって廃刊の危機に陥ったことで、先に触れたジョン・レノンとオノ・ヨーコが動いて曲を発表し、大きな注目を浴びることになるわけです。
こういった、お上に楯突いてでも自分を通す反骨の出版人というと、宮武外骨もそんなイメージの人ですね。『滑稽新聞』『スコブル』『ハート』など数々の珍奇な出版物で知られる明治期の異色の出版人、宮武外骨(1967-1955)も、政治やマスコミなど巨大権力の腐敗を容赦なくパロディにして批判し、何度も投獄されています。戦後もGHQに目をつけられ検閲や発行停止処分をたびたび受けていたそうで、とにかく権力から常に睨まれている反骨の人というイメージですが、実際に外骨のつくった『滑稽新聞』などを見てると、ユーモア精神に満ちあふれていて、明治時代の『ビックリハウス』みたいなノリで面白く、常にお上と戦っている豪快でデンジャラスなイメージはあまり感じません。まぁ、そこまでの覚悟で作っているから時代を超えた面白さがにじみ出てくるという側面もあるのかもしれませんね。外骨という名前も、自身の創作物にピッタリ合ったインパクトのある、一度聞いたら忘れがたい名前ですが、これがペンネームではなく本名というのもかっこいいですね。役所などで自分の名前を署名するたび「本名でお願いします」と言われて辟易した外骨は「是本名也(これ本名なり)」と彫った印鑑を作ったそうで、そのようなどこまで本気でどこまでが冗談なのか判然としない生き方が外骨という人の魅力ですね。

世間が外骨を本名だと信じてくれないので作った「是本名也(これ本名なり)」の印鑑が見れます。米津玄師さん、最初は絶対芸名だと思ってたら実は本名だったり、世の中にはペンネームにしか見えない本名の人というのは意外といる気がしますが、こんな印鑑を作ってしまうのは外骨さんくらいでしょうね。
反骨というと反射的にかっこいいイメージがあったりしますが、ものの善悪というのはけっこう微妙で、時代とかイデオロギーとか社会の漠然とした空気に左右されるものでもあります。ネヴィルや外骨の主張に客観的な正しさや正義があったのかどうかは当時の状況をよく鑑みて判断しないと解らない部分もあります。まぁ、しかし、そうした思想的な部分よりも、私的にはビジュアル表現や編集技法などの表現者としてのクリエイティビティのほうに興味がありますし、そっちの側面で彼らに興味があります。
思想的なものは難しい、というか、客観的な正解のない場合が多いので、面白い表現というのは、しばしば世間の良識を超えたものである場合も多く、そうした表現が誰かを傷つけてしまうこともよくあります。誰もが納得するような表現は存在せず、かといってあまりに神経質になると何も表現できなくなってしまいます。かように表現の問題というのは正解を求めようとするととたんに八方ふさがりになって迷宮に迷いこんでしまう難しい問題でもあります。だからこそ、あんまり真剣に考えずにノリでやってしまって、後は成り行きにまかすのが、一見いい加減にみえるものの、とりあえずの最善であるようにも思えます。
なんというか、社会の問題の多くはバランスの問題で、重要な問題ほどどちらが正しいかというのは容易に判断できる簡単なものは無く、そもそも世界というのはそういうふうに出来ていて、単純な正解がでないようになっているのでしょう。神の目線では、人間たちが協力してより良い考えを四苦八苦して出させる過程が重要で、具体的にどういう答えを出すかはあまり重要ではないのでしょうね。
ネヴィルも外骨も、思想的な視点で解釈すると、言いたいことを世間やお上に抑えつけられながらも戦い続けて来た苦悩と反骨の人という印象で捉えがちですが、編集者、表現者としての視点で見ると、穏便な日常を犠牲にし、権力に楯突いてでもどうしても表現したいものがある、というのはよく考えてみるとある意味とても幸福なことでもあるようにも思います。人生をかけてでも訴えたいものがある表現者というのはそう多くはないですし、そういうものがあるというのは、彼らにとって編集というのは、ただ生活のための仕事としてではなく、どこか天から授かった使命というか宿命というか、そんな部類のものであったのでしょうね。そう考えると、彼らの戦いも、苦労を相殺するくらいの創造する快楽があったから続けてこれたのでしょうね。