
バブル時代といわれた1980年代頃は日本中が好景気で浮かれていたような感じでしたが、その反面、ロス疑惑や豊田商事などの殺伐とした事件やら、デザイナーズブランドのファッションのブームやら三高(理想の結婚相手の条件。高身長・高学歴・高収入のこと)などが流行語になったりなど、なにかと拝金主義というか物質至上主義のような所があった時代でもあったと思います。ドラマでは『男女7人夏物語』など「トレンディ・ドラマ」と呼ばれるバブル時代のライフスタイルを根底とした理想のお洒落な恋愛を描いたドラマが続々と作られて消費されていましたが、そういう時代だからこそなのか、多くの人が素朴な人情話に飢えはじめてきたちょうどいいタイミングで爆発的に流行ったショートストーリーがありました。「誰もが必ず涙する感動話」というふれこみで日本中を席巻し、未見ですが映画まで作られたのだとか。これはご存知『一杯のかけそば』という物語で、原作者は栗良平という作家さんのようです。最初は作者本人の体験に基づく実話かと思われていましたが、実際はフィクションであり、タモリさんらによるアンチの言論や、また作者が後に詐欺行為を繰り返していたことが発覚したりなどで急速に『一杯のかけそば』ブームも下火になったようです。
しかしながら、その話は感動話の定石のようなよく出来た物語で、たしかに重箱の隅を突こうと思えば突けはしますが、普通にグッとくるお話ではあります。流行しすぎたせいで、いつしか「感動の押し売りみたいで不愉快」みたいな、理不尽なバッシングもあったそうですが、これもブームの終焉にありがちなパターンですね。「不愉快」に思う人も、多分このお話自体が不愉快なのではなく、流行しているせいでいつもこの話の話題が耳に入り、まるで自分が説教されているような気分になってしまったことへの反発みたいなものなのでしょう。つまり、ブームそれ自体に対する不満ということかもしれません。
ググれば物語の概要を紹介しているサイトはいくつかヒットするので、ここでは省略しますが、簡単に説明すれば2012年の紅白歌合戦でも話題になった美輪明宏のヒット曲『ヨイトマケの唄』とよく似た話です。細部の設定は異なりますが、極貧の家庭で育った少年が、その境遇を恨むことなく、貧しい中でも精一杯愛情を注いでくれた親に感謝し、世間の偏見に負けずに立派な社会人に成長するという骨子は通底するところがあります。『一杯のかけそば』は1989年の作、『ヨイトマケの唄』は1966年の作ですから、美輪さんの唄の方が23年も先に作っていたことになりますね。私の場合は、先に知ったのが『一杯のかけそば』の方だったので、後で『ヨイトマケの唄』を知ったときは「『一杯のかけそば』によく似てる」という印象を持ちました。とはいえ、やはり『ヨイトマケの唄』は、母親の苦労とか世間の偏見に堪える描写が具体的に描かれている分、ビジュアルが想像しやすいドラマになっていて、そのあたりはさすがリアルに波瀾万丈の人生を歩んで来た美輪さんらしい才能を感じるところですね。
こうした物語、つまり「貧乏暮らし」「親子愛」「偏見との戦い」を経て、ラストに立派に育った晴れ姿を描いてカタルシスを与える物語というのは、筋書きが読めていてもついつい涙腺が刺激されてしますね。ある意味、ベタな展開なのですが、むしろ変に難しく作り込まずに、このくらいベタな方がストレートに感動を表現できるもののようにも思えます。もっと端的に言えば、「逆境にめげずに正しくたくましく成長していく理想の人間の姿」という構造は面白い物語には必ずといっていいほど見られるパターンで、それは、ヒーローを描いた物語とも言えそうです。いわゆる神話学でいうところの「英雄神話」の類型を感じさせるものがありますね。古来から英雄はいつの世でも人間の永遠の憧れであり、また人生の目標でもあります。悪人と戦って勝利するだけがヒーローなのではなく、自分の運命、逆境に打ち勝つことこそが根本的なヒーローの条件にも思えます。ゆえに、これからどんな世の中になっていくにせよ、そうしたヒーローを描く物語は人が人である限りいつまでも求められるテーマであるように思います。
そういえば、数年前にネットで話題になったタイの通信会社のCMも、そういう感じの話で良かったですね。ご存知の方も多いと思いますが、貧しい家の子が病気の母親を救いたい一心で薬局から薬を万引きし、店から逃げ出した所を店主に捉えられるシーンから始まる三分のCMです。たった三分であるにもかかわらず長編映画にも負けないくらいの巧みな演出とストーリーに感動します。このCMでは、貧しい生まれの子が、ただ立派に成長したというだけでなく、幼い頃に受けた恩を返すという粋なオチを付けているところがまた秀逸です。とてもドラマチックですが、実はこの話はアメリカで実際にあった実話を元にしているのだとか。今でも世界のどこかで誰かを救っているそんなヒーローたちがリアルにいるのだと思いますし、そう考えているだけで心が暖かくなってきますね。

『一杯のかけそば』全文(PDF) (「緑井レディースクリニック」様のサイトより)
『ヨイトマケの歌』(YouTube検索結果より)
数年前にネットで話題になった件のタイのCMに関する記事(「カラパイア」様より)
【日本語字幕】世界中が涙したタイの感動CM(YouTubeより)

折り鶴だけに特化したマニアックな折り紙の本『折り鶴』(長谷川正勝著 昭和49年発行 グラフ社)という本を古書市で見つけました。どれも折り鶴のバリエーションのみで構成されているのですが、それゆえに創意工夫による数々のバリエーションの妙味が味わえて、ページをめくる快感を覚えるなかなかの一冊でした。この本は江戸時代後期の『秘伝千羽鶴折形(ひでんせんばづるおりかた)』に掲載されたものをアレンジした作品集で、折り鶴の奥深さに感嘆させられます。

五羽の鶴 『折り鶴』(長谷川正勝著 昭和49年発行 グラフ社)より

十羽の鶴 『折り鶴』(長谷川正勝著 昭和49年発行 グラフ社)より
これら驚異の折り鶴、どれも1枚の紙を折って作られていて、いろいろと面白い折り鶴を次々に紹介しています。もちろん、折り方の解説もついていますので、根気が有れば実際に作ることも可能になっています。気分がノったらいつかチャレンジしたいですね。

八羽の鶴 『折り鶴』(長谷川正勝著 昭和49年発行 グラフ社)より

九十七羽の鶴(原題「百鶴」ひゃっかく) 『折り鶴』(長谷川正勝著 昭和49年発行 グラフ社)より
中でも97羽の鶴を折った「百鶴(ひゃっかく)」という作品が圧巻ですね。普通に百羽近く折るだけでも大変そうなのに、それぞれの鶴が繋がった状態で折っていくのは何かの苦行めいていますが、それゆえに完成の歓びも大きそうですね。これを作れたら、いつも気の遠くなるような過酷で地味な作業をさせられることで印象的だった『FNS地球特捜隊ダイバスター』のAD小田君の気持ちが理解できそうです。
『秘伝千羽鶴折形(ひでんせんばづるおりかた)』より。この本は1797年(寛政9年)京都の吉野屋為八によって初版が発行されました。折り鶴49種を集めた書で、現存する世界で最も古い遊戯折り紙の本だそうです。
同上『秘伝千羽鶴折形』より、五羽の鶴(葭原雀 よしわらすずめ)のページ。

『秘伝千羽鶴折形』の原書を公開されているページ(「折紙探偵団」様より)
江戸時代の折り紙教本『秘伝千羽鶴折形』の現物の一部(全62ページ中17ページ分)を公開されています。全ページ公開予定のようなので更新が待ち遠しいですね。
『秘伝千羽鶴折形』に収録されている折り鶴の完成作品を展示しているサイト(「紙との会話」様より)
こうして様々な折り鶴のバリエーションが並んでいると壮観ですね。ラーメンズのコント『日本の形』を彷彿とする感じですね。『日本の形』ではそのまんま折り紙がテーマの回がありますが、『秘伝千羽鶴折形』の折り鶴バリエーションを見てると、むしろ「箸」がテーマの回のアクロバティックな割り箸アートに通じる面白みがありますね。
ラーメンズ『日本の形』「箸」(YouTube検索結果)
『日本の形(THE JAPANESE TRADITION)』のコントの中で「箸」が個人的に一番好きです。この作品はDVDが出てるので、そのうち手に入れて高画質であのアクロバティックな箸や折り紙をじっくり鑑賞したいですね。

アレイスター・クロウリーといえば、20世紀を代表する魔術師ですが、ある人は「世界で最も邪悪な人物」だと言い、またある人は「世界で最も偉大な魔術師」であると言ったりと、極端に賛否の別れる怪人で、つかみどころがない人でありますね。ムッソリーニでさえクロウリーの存在を恐れて国外追放処分にした、というエピソードは有名ですが、変態エロ親父でなおかつ麻薬常用者でもあったりと、悪名高いところはあるものの、ヘビーメタルやロックなどのポピュラー音楽のアーティストには崇拝者も多く、良くも悪くもけっこうな影響を与えてますし、児童文学のミヒャエル・エンデの作品『はてしない物語』など何かと現代文化に与えた影響を垣間みる機会は多く、深入りしたくなくてもしばしば目に入る神秘家のひとりであります。クロウリーは、整理されていなかった諸々のいにしえの魔術を再構築して実践的な体系を造り上げたりなどオカルト界での貢献は大きく、その思想はなかなかに奥深く興味深いところがあるので、一概に避けて通れないところもあります。が、そのあたりの話は今は置いとくとして、今回はその20世紀が生んだ怪人クロウリーと日本との接点をテーマにちょっと語ってみようと思います。
明治34年6月29日の朝、クロウリーは、観光名所でも有名な神奈川県鎌倉の長谷(はせ)の高徳院浄泉寺にあるいわゆる「鎌倉大仏」を見物していたそうです。外国人観光客のド定番な観光地にいるクロウリー、というミスマッチがなんとも微笑ましいものを感じますね。しかしこの大仏の圧倒的な存在感にはかなりの感銘を受けたようです。クロウリーは案内人に「近くの僧堂に住み込んで修行したい」とも伝えたようで、けっこう本気で感動していたとのこと。そうしたことから仏教自体にも興味をもったみたいですね。日本滞在期間は短いものだったそうですが、鎌倉の他には江ノ島、日光、長崎、それと吉原にも足を伸ばした形跡があるようです。そこはやはり「汝の欲する所を為せ」といった彼らしく、やはりエロに対する探究心はどこに行っても正直に発揮してしまうのでしょうね。セックスのパワーを利用した性魔術の開拓でも知られるクロウリーですが、吉原探訪はオカルト研究の探求心からなのか、単なるエロ的なものからだったのか気になる所です。
性魔術というと、字面からして怪し気で、けっこうヤバそうな雰囲気満点ですが、まぁ、エロとオカルティズムの結びつきというのは、そう突飛なものでもなく、性的なパワーを上手く利用して解脱を目指す修行法というのはタントラ・ヨガや仙道の房中術などかなり昔から実践されてきたところもあるので、意外と効果がありそうな気もしますね。ドラッグを利用した行法よりはまだ健全かもしれません。仙道などでは、性行為や自慰などで無闇に精液を浪費することを戒めていますが、現代でもネットでしばしばオナ禁による開運法がまことしやかにささやかれているのと同じで、やはり性には尋常ならざるパワーが秘められているのはたしかだろうと思います。
閑話休題、クロウリーは相当な偏屈な人物であったのは確かなようで、意図的に悪魔的な振る舞いを楽しんでいたフシもあり、それは幼い頃にキリスト教系の厳しい学校でひどいイジメにあっていたことがトラウマとなってアンチキリスト教的なベクトルとして魔術に関心をもっていったのではないかともいわれてますね。そんなクロウリーですが、自伝『アレイスター・クロウリーの告白 (The Confessions of Aleister Crowley)』(本邦未訳)の中で日本について語ったとされる言葉が意味深でなかなかに興味深いものを感じます。
私は、比較的にいって、日本をほとんど見ていない。私は日本人をまったく理解しなかったから、したがってあまり好きではない。日本人の貴族性が、どういうわけか私のそれとそぐわないのだ。日本人のもつ民族的傲慢には腹が立つ。私は日本人を中国人と非好意的に比較してみた。ちょうどイギリス人のように、日本人も絶縁的特質と欠点を有している。日本人はアジア人ではないのだ。まさに我々イギリス人がヨーロッパ人ではないように・・・
────────アレイスター・クロウリー
彼は「日本人はアジア人ではない」と言及していますが、これなど後の世に米国の国際政治学者サミュエル・ハンティントンが著作『文明の衝突』(1998年)で日本文明について言及していた説(世界を8つの文明に分け、日本を単一の文明圏とみなした)を連想しますね。自らを黙示録の獣と称したりなど、スピリチュアル的にはヤバヤバなオーラを発散している怪人なので、あまり近づきすぎるのは危険ではありますが、このクロウリーによる日本人評、けなしているようでいて逆説的に最大の賛辞のようでもあり、こうしたツンデレ具合がまた憎めないところでもあるんですよね。
※この記事を書くにあたって雑誌『トワイライト・ゾーン』(1987年3月号 KKワールドフォトプレス刊)のクロウリー特集の中の記事「奇人クロウリー・エピソード大全」(長尾豊・文)を参照しました。

一般に三島由紀夫といえば、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内での演説の後に割腹自殺という壮絶な最期を遂げたことで、その文学に対するイメージ以上のインパクトを社会に与えたように感じます。三島と同じく、芥川龍之介にしろ太宰治にしろ川端康成にしろ昭和の有名な文豪がこうも次々に自決による最期を遂げているのは、何か因縁めいたものを感じざるを得ないですね。そうした例をみていると、知性は人を幸せにするとは限らないものだ、という想いが過ります。先日古書店でなにげなく手にした三島の本のなかに、三島自身が自殺について思う所を述べたエッセイがあり、ちょっと興味深かったので買って読んでみました。
そのエッセイは1954年12月に発表された『芥川龍之介について』という小論です。「私は弱いものがきらいである」ではじまるそのエッセイの中で、三島は自殺についてこう述べています。
私は自殺する人間がきらいである。自殺にも一種の勇気を要するし、私自身も自殺を考えた経験があり、自殺を敢行しなかったのは単に私の怯懦(きょうだ=臆病で気の弱い事)からだと思っているが、自殺する文学者というものを、どうも尊敬できない。武士には武士の徳目があって、切腹やその他の自決は、かれらの道徳律の内部にあっては、作戦や突撃や一騎打ちと同一線上にある行為の一種にすぎない。だから私は武士の自殺というものはみとめる。しかし文学者の自殺はみとめない。
──────三島由紀夫『芥川龍之介について』より抜粋
「芥川龍之介について」 『三島由紀夫選集・15 鍵のかかる部屋』に収録 新潮社 昭和34年
エッセイのテーマは芥川龍之介の自殺に関する内容ですが、後世の私たちからすると、実に興味深い内容になっています。芥川龍之介は遺書の手紙に自殺の理由を「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」と記したそうです。天才作家らしいというか、なんとも曖昧で理解しがたい面はあるものの、実際にリアルに苦しんでいる人の苦しみの理由というのは、本質的にそういった、自分でも説明しがたい漠然とした、それでいて自然災害のようにリアルに襲いかかってくる恐怖なのかもしれません。三島がボディビルをはじめるのはこのエッセイが書かれた次の年、1955年(昭和30年)からですが、すでに文章からはマッチョ的というか、「強さへの憧れ」を感じますね。
三島は芥川の文学を後世に立派に残る日本文学≠ナあると高く評価しながらも、「芥川は自殺が好きだったから、自殺したのだ。私がそういう生き方をきらいであっても、何も人の生き方にとがめ立てする権利はない。」といささか投げやり気味に突き放しています。後に自らが嫌った「文学者の自殺」の系列に自分も加わる事になるわけですが、歴史の時系列を俯瞰して見れる立場の現代の私たちからすると、なんだか皮肉なものを感じてしまいます。しかし、よく読むと武士による切腹などの自殺は認める、とも書いています。三島の自決は、文学者として自殺したのではなく、まさしく武士としての最期だったのかもしれませんね。なにかこの辺りも因縁めいていて、複雑な気分になります。
自殺を嫌悪していた三島も、「死」それ自体には、ある種の美意識を持っていましたが、そういえば三島の友人でもあった澁澤龍彦の雑誌『血と薔薇』にも篠山紀信撮影による三島のヌード写真がありましたね。それは『聖セバスチャンの殉教』と題して、無数の矢に射られて殉教する聖セバスチャンの姿を描いたグイド・レーニ(Guido Reni、1575 − 1642)の絵画作品を三島の裸体に置き換えた写真で、死とエロスの緊張感ある拮抗を見事に表現しています。聖セバスチャンの殉教は三島も自身の小説で言及したこともあるお気に入りのモチーフだったようですね。
実際は聖セバスチャンは絵画に描かれているように、矢に射られて死んだわけではなく、無数の矢に射られても九死に一生を得たそうで、瀕死のセバスチャンをイレーネという女性が助けて介抱したようです。このあたりブッダを助けたスジャータの逸話を連想しますね。セバスチャンが亡くなったのは、その後キリスト教徒であることがバレて時の皇帝の怒りを買い、何度も殴打されたことが死因とのことです。当時のローマではローマの神々への信仰が主体だったようで、そうした社会におけるセバスチャンの存在は人々を迷わす邪悪な異教徒であるという認識だったのでしょうね。


「聖セバスチャンの殉教」モデル:三島由紀夫 撮影:篠山紀信
『血と薔薇』創刊号(澁澤龍彦責任編集)天声出版 昭和43年10月発行 巻頭グラビア「男の死 LES MORTS MASCULINES」 より
三島の死にについてはオカルトめいた裏話もあって、そうした面でも興味をそそるところがあります。政治イデオロギー的には全く正反対の美輪明宏さんとも懇意におつき合いしていた三島ですが、美輪さんはその霊能力で、当時から三島の自殺の匂いを事前に察知していたという逸話が有名ですね。映画化もされた三島の作品『憂国』は、後に政治結社「盾の会」を創設するまでになる三島の政治的なイデオロギーが全面に出ている作品でもありますが、この作品の執筆中におかしな事が頻繁に起こったそうです。書いた後に読み直して気に入らない部分を書き直そうとするのですが、なぜか不思議な力が働いているかのように書き直す事ができなかった、と美輪さんにもらしたそうです。美輪さんの当時の霊視によれば、三島の背後には226事件に参加した将校の霊が見えたとのことで、そうした日本の行く末を案じて無念のうちに他界した霊たちが三島を指導していたのではないかということです。心霊的な霊能力に関しては、私も半信半疑なところもありますが、霊能力というのも、ある種の具体化した直感でもあると思いますし、無いとも言い切れないところではあります。実際に美輪さんはその霊能力で若い頃は霊障のある人を除霊したりなども何度もしていたようですし、実際そういうことが出来てもおかしくないような神秘な雰囲気がある人ですから、なんとなく納得させられてしまうところがありますね。何よりそうしたオカルト的な能力以前にその歌や音楽をはじめ、その芸術家としての存在感に前々から惹かれていたこともあって、三島の霊視の話も、何か真相に迫るヒントのひとつとして受け入れてもいいのかな、などと思っています。

聖セバスチャン(ウィキペディア)
【画像】グイド・レーニ画『聖セバスチャンの殉教』(ウィキペディア)
美輪明宏が語る天才作家・三島由紀夫(「テレビ朝日」様のサイトより)

ここ数年ゲームはあまりしてませんが、むかしハマった大好きなゲームのひとつにファイナルファンタジーX(FF10)があります。いうまでもなく名台詞名シーンがてんこ盛りの傑作で、ナンバリングタイトルの中ではじめて舞台設定を引き継いだ続編が作られたほどの人気を博した作品でもあります。ゲーム中に使われる音楽も、どれもむちゃくちゃ良いですよね。この作品中にでてくる最も好きな台詞をあえてひとつ挙げるなら、ブラスカがアーロンにはなったこの一言。
「私のために悲しんでくれるのはうれしいが、私は悲しみを消しに行くのだ」
う〜ん、胸にこみあげてくるものがある名台詞ですね。いちおう説明のために、この台詞の背景となるエピソードをざっくり言いますと、召還師ブラスカは、破壊と殺戮を繰り返しながらスピラ(劇中の舞台となる世界)を破滅に導く魔物シン≠倒すために旅を続けているのですが、そうした旅の終盤で交わされる会話で発せられた台詞です。以下多少のネタバレを含みますので、今後FF10をプレイする予定のある人は読まずにスルーしていただいたほうがよりFF10を楽しめると思います。まぁ、もう20年も前の作品ですし、こういう記事を読む方はすでにFF10をプレイ済みだとは思いますが、念のために一応エクスキューズを入れておきます。
彼らの旅の目的は命と引き換えにシンを倒す技(究極召還)を修得することです。召還師というのはFF10の世界での特殊な職種のひとつで、召還獣と呼ばれる霊的な聖獣を高次元からこの世に呼び出して物質化させ、そうすることで聖獣を自分たちの仲間として戦かわせることのできる能力を身につけた人たちの称号です。ゲーム的にいうと、ある条件を満たした場合にのみ使えるチート的な能力を持った用心棒が召還獣です。召還獣の概念はFFシリーズに通底する伝統ですが、今までゲーム的なお約束で何となく存在していた感のある召還獣が、その成り立ちなどの設定を含めてFF10では細かく練られているのも良かったですね。
ひとつの寺院には一匹の召還獣が祀られていて、試練を通過した召還師にその力を貸してくれる、という感じで、初プレイ時は、次の寺院ではどんな召還獣がゲットできるんだろう、というワクワク感でいっぱいだった記憶があります。そうした寺院巡りの旅の道中には様々な魔物が現われて襲ってくるために、旅そのものがデンジャラスなのですが、そこで助さん格さんよろしく腕利きの用心棒アーロンとジェクトのふたりがブラスカの旅のお供をしています。召還師ブラスカとそのボディガードであるジェクトとアーロンの一同は究極召還を得るための目的地、ザナルカンドにようやく着いたところで、アーロンは今まで覚悟を決めて抑えていたはずの心が揺れます。いくら世界の平和のためでもそのために生死を共にして旅をしてきた盟友ブラスカが死ぬのは嫌だ、とアーロンがブラスカに旅を止めるように懇願するのです。まさにそのシーンで出てくるのがこの上記の台詞です。FFXで一番好きなキャラはアーロンなんですが、シブいおっさんキャラのアーロンの若い時期のこの青臭さとのギャップなど、人に歴史ありって感じでなかなか味わい深いシーンです。
この世界ではシンを倒すということは、人々の悲しみの原因を消すことと同じです。プレイ当初は、どうせ倒してもまた蘇るシンを、命がけで倒す旅に志願する召還師たちの気持ちというのがいまいちピンときませんでしたが、このブラスカの言葉でなんか納得してしまいました。世界から悲しみを無くす仕事、それはある意味世界で最も貴い仕事で、まさにブラスカをはじめとする大召還師というのは英雄の中の英雄という感じですね。そうした歴史上シンを倒した召還師達は大きな像が造られ各地の寺院で英霊として祀られていますが、たしかに、このスピラという世界に住む住民にとってはシンを倒すというのはそれだけのスゴい偉業であることでしょう。
ブラスカは劇中ではあまり描かれてませんが、普段は物腰の柔らかい真面目な物静かな紳士で自己主張の少ないキャラだけに、あの固い信念に裏打ちされた、優しくて、そして力強い台詞にはグッときました。このブラスカの娘ユウナが後に父の遺志を引き継いで蘇ったシンにまた立ち向かうというのがメインストーリーなのですが、主人公ティーダとその父ジェクトの関係といい、主人公もヒロインもいろんな形でそれぞれ父親の影響を受けて今がある、という描き方をしていて、本当によく出来たシナリオだなぁ、とつくづく感心しました。
ジェクト 「なあブラスカ、(旅を)止めてもいいんだぞ」
ブラスカ 「気持ちだけ受け取っておこう」
ジェクト 「わ〜ったよ!もう言わねえよ!」
アーロン 「いや、俺は何度でも言います!ブラスカ様、帰りましょう!あなたが死ぬのは・・・嫌だ」
ブラスカ 「君も、覚悟していたはずじゃないか」
アーロン 「あの時は・・・どうかしていました」
ブラスカ 「私のために悲しんでくれるのはうれしいが・・・私は悲しみを消しに行くのだ。「シン」を倒し、スピラを覆う悲しみを消しにね。わかってくれ、アーロン」
「ファイナルファンタジーX」(スクウェア・エニックス 2001年)
FF10が大好きなのは、やはり主人公ティーダと父親であるジェクトとの不器用な親子関係の妙味にあるのかもしれません。子供の気持ちなど塵ほどにも考慮せずワガママ放題で傲慢にも見える親父、しかし実際は、息子の成長を陰ながら見守りいつでも力になりたいと思っていながらも照れくささが先んじてしまって息子をからかい、そして嫌われてしまう不器用な父親です。この父親像というのが、先頃他界した自分の父とダブってしまい、物語にドップリとはまって共感してしまうところがありました。ティーダは幼い頃、父ジェクトによくからかわれ泣かされてしました。幼いティーダがグズると決まってジェクトは「泣くぞ、すぐ泣くぞ、絶対泣くぞ、ほら泣くぞ!」と追い打ちをかけてイジメてくる嫌味な親父です。しかし実際のジェクトは自分の息子をイジメて楽しむ毒親だったわけではなく、小さな事でメソメソして泣き出す息子を見て将来が心配でたまらず、これから対峙するであろう社会という名の大海の波に負けない強い男に育ってほしいという願いが根底にあってしたことでした。しかし素直な愛情表現がとことん苦手な元来の不器用さが、あのような意地悪とも取れる不器用なやりかたになってしまったのですね。
この世に生まれるという事は、つまり魂がいまだ未熟だから修行のためにこの世に生れ出るのだ、という説があります。老若男女、みんな自分と同じ未熟者。そう思えば、他人の行いも「あの人だってこの人だって私と同じ未熟者」として許してあげようという気になります。人は一生かかっても魂を完成させることはなかなか困難で、だから何度も何度も輪廻して千回万回と生まれ変わり、未熟さをひとつひとつ克服していくのでしょう。そういえばFF10の世界観も意味深で、スピラという世界自体がシンの登場によって千年もの間、破壊と再生を繰り返す輪廻の輪にはまり込んでいますね。そのスピラ自体が繰り返す「死の螺旋」を止めるのがブラスカの娘ユウナなのですが、まるでFF10は世界を覆う死の輪廻を止めることによって世界を涅槃に導く物語、というような、仏教的な世界観が見え隠れしているようにも見えてきます。
仏教では、はてしなく生老病死を繰り返す苦の世界であるこの世から解脱し、輪廻することのない完成された魂(仏性)を獲得する事で涅槃(ニルヴァーナ)に至ることを目指します。FF10では、シンは「人間の罪が具現化した怪物」として描かれ、シンという名も英語のSin(=罪)からきているようですね。このシンがスピラを死の輪廻に縛り付けている張本人なわけですが、ユウナたちによってシンを倒した後には罪の輪廻から解き放たれ「生きる自由」を千年ぶりに獲得した世界に到達します。輪廻しない平和な世界、まさに涅槃の暗喩のようにも思えてきますね。またFF10での物語が召還獣をひとつ獲得するごとに各属性魔法への未熟さを克服していく寺院巡りの構造をベースに組み立てられていますが、これも宗教的な悟りに至る修行の工程の暗喩とみれなくもないですね。
私の父もジェクトも、素直に他人に愛を伝えられない未熟者で、自分の非を絶対認めない頑固者でしたが、居なくなってしまうと、むしろそうした未熟さ至らなさが逆に無償に人間らしい愛おしさとして感じられてきます。いや、もしかすると、すべての他人には未熟さというのは無く、それを「未熟」であると判断してしまう自分自身こそが本当の未熟者なのかもしれません。ただ他者の未熟さは自分の未熟さが投影されているだけで、もし自分が真に未熟さを克服したならば、全ての人は自分の魂を完成に導くために必要不可欠な教師でしかないことに気づくのかもしれませんね。現にティーダは、あれだけジェクトを憎みながらも、結果的に今の自分が立派に生きているのはジェクトの存在と導きがあってこそだったということに気づきます。ティーダが勇気を出して口にしたジェクトと交わす最後の言葉「はじめて思った。・・・あんたの息子でよかった」が胸に刺さりますね。──────などと書いていたらまたFF10を最初からプレイしたくなってきました。

FF10「私は悲しみを消しに行くのだ」のシーン(YouTube)