2018年02月27日

電氣ノ世界(1)随想

「電気」に対する関心はけっこう以前からありましたが、それは科学としてではなく、神秘のエネルギーといった不思議な畏敬の混じったものでした。おそらく、子供の頃、コンセントをイタズラして感電した経験(ちょっとビリビリしただけの軽度のもの)も影響してるような気もしますが、「電気」という言葉自体が持つシュールで、どことなく鋭さと、危険さ、あるいは、浅草名物「電気ブラン」に見るように、「モダン」の意味が込められた昭和な響きでもあり、明和電気、電気グルーヴなど、テクノ系カルチャーを象徴する言葉でもありますね。まぁ、言葉にしずらい感覚なのですが、とにかく電氣な感じ≠ノ惹かれます。電気という言葉も、電気の気を旧字の「氣」にすると、さらにロマンあふれる感じになってグッときます。

電気(でんき、英: electricity)とは、電荷の移動や相互作用によって発生するさまざまな物理現象の総称である。

「電気」ウィキペディアより


180226_denki01_01.jpg
高圧放電による空気中やガイスラー管の発光現象(1898年)
「図説 発明狂の時代」レオナルド・デ・フリーズ著 本田成親訳 JICC出版局 1992年 より

電氣感≠フある音楽というと、YMOの「磁性紀」は、なんというか、電氣楽園といった感じの雰囲気があって好きです。なんとなくヤバげな陽気さというか、危ない遊園地みたいな、妙に歪んだパラダイス感が凄い曲ですね。YMOといえば、まだシンセサイザーの黎明期だった頃に、どでかい箪笥を積み上げたような機械の箱にプラグを抜き差ししながら演奏している姿にはものすごいインパクトがありました。戸川純、上野耕路、太田螢一の3人組ユニット「ゲルニカ」も、産業革命による戦後復興を成し遂げる架空の戦後日本をテーマにしているような感じのレトロかつ電氣な感じの曲を多く発表していて面白かったですね。電磁石への想いをテーマに歌うという異色の「磁力ビギン」など、未来派音楽っぽいノリが素晴らしいです。そのものズバリ「電力組曲」というのもありましたね。ゲルニカはフルオーケストラでの重厚な演奏をメインにして別世界の郷愁感を表現しましたが、あえてシンセなどの電氣楽器を使わずとも電氣っぽい雰囲気は十分表現できるものなのだなぁ、と感心しました。

るんるんYMO「磁性紀」
フジカセットのCMの映像がものすごく良くて、あのCMを収録しているDVD「Visual YMO the Best」もゲットしました。ほんとにYMOというのは日本の80年代カルチャーを象徴するカリスマですね。テクノブームの主導的牽引だけでなく、音楽のみならず、ファッションやグラフィックデザインなど、当時の文化のあらゆるところにその影響が垣間見えます。

るんるんゲルニカ「磁力ビギン」
YMOメンバーだった細野晴臣が主催するレーベル『YEN』からデビューしたレトロで未来派でドイツで産業革命な感じのカルトなユニット「ゲルニカ」。80年代のカルトスター、戸川純のかかわったプロジェクトの中で、個人的にゲルニカが一番好きです。太田螢一の歪んだレトロ趣味と、上野耕路の類い稀な音楽センスが見事に結晶化した夢のユニットですね。

るんるんStereolab「Spark Plug」
ついでに「スパークプラグ(点火プラグ)」という、電氣な感じのタイトルのステレオラブの逸品。名盤「Emperor Tomato Ketchup(トマトケチャップ皇帝)」からの曲で、すごくいい感じです。

180226_denki01_03.jpg
CDのコレクションを漁ってたら電氣な感じのジャケットが出てきたのでついでにこちらも紹介します。ヴィンテージなピンナップガールの左脇にピンクの帯になにやら妖しい図版が。上のほうにHot Airとか小さく書いてあるので、温風器か、あるいは冷却装置かなにかの構造図なのでしょうか。連なるドーナツ型のコイルにたくさんの矢印が絡み付いているイメージが奇妙で、脇のレトロガールと絶妙なコンビネーションを見せていて、グラフィックデザインとしてもただならぬ個性的センスを感じます。昔のアングラなCDのジャケットアートは、こんな感じの屈折したアート趣味が炸裂しているものがよくありますね。このCDは、90年代にコアなマニアの間で話題になったStock, Hausen & Walkman(ストック・ハウゼン&ウォークマン)なるサンプリングを多用した音のコラージュを特徴とする3人組ユニットのアルバム「Giving Up」です。現代音楽の大家、カールハインツ・シュトックハウゼンとは何の関係もありません。音はノイジーな実験的なノリですが、レトロでモンドなテイストがあり、妙な味わいもあって、独特な個性を感じます。

るんるんStock, Hausen & Walkman「Schweitzer」
だいたいほとんどのアルバムで、中身の半分以上は一発ネタっぽいいかれた感じの短い曲が締めているのですが、こういった味のある曲もたまに混じっています。何か出てくるかよくわからない箱の中に手を入れてクジを引いてるような感じになってくるのがストック・ハウゼン&ウォークマンのアルバムです。

そろそろ音楽の話はこの辺りにして、今回は電氣のビジュアルイメージをテーマに、古本コレクションなど紹介しつつアレコレ語ってみたいと思います。電氣、それは目に見えないながらも現代生活に欠かせない重要なエネルギーでありますが、あえて電氣をビジュアルでイメージすると、ニコラ・テスラのあの衝撃的なテスラ・コイルの放電現象などの、あの放電の花火のような稲妻が思い浮かびます。あとは変電所とか、電柱などでよく見る白いセラミックの蛇腹っぽいアレとか、すごく電氣っぽいフォルムだと思ってます。アレでは伝わらないので調べてみると、アレは碍子(がいし)という名前のようで、電線を絶縁するための器具のようです。蛇腹っぽく見えるのは、円形の碍子をいくつも重ねているからで、この数が多いほど送電線に流れる電圧が高いということになるようです。高圧電線からは有害な電磁波も周囲に放たれ、人体の健康や、作物の生育などにも影響があるようで、電氣の利便性と危険性は表裏一体というところでしょうか。しかしまぁ、よく考えてみれば、薬も量を間違えれば毒になりますし、食べ物も必要以上に摂取すれば病気を引き起こしますから、厳密には良い面だけの存在というのはこの世には存在しません。この世界のあらゆるものは、そのモノ自体は良くも悪くもなく存在していて、全ては扱い方次第なのでしょうね。

180226_denki01_02.jpg
参考写真がないかと散歩中にデジカメで撮ったスナップの中から探してみたら、碍子の写ってるものがいくつかありました。一時期よく電線を撮ってたのですが、碍子は電線の魅力を支える名傍役ですね。

180226_denki01_02b.jpg
こちらも碍子を写したスナップ。

180226_denki01_02c.jpg
これも碍子がいい味だしてますね。

メモ参考サイト
碍子(がいし)(ウィキペディアより)

テスラ・コイルのダイナミックな放電の図。(ウィキペディアより)
激しい放電の側で平然と読書をするニコラ・テスラ、有名なシーンですが、つくづくシュールな絵面ですね〜

180226_denki01_06.jpg
「電力」岩波写真文庫90 岩波書店 1960年 第4刷 表紙
この碍子の林のごとき壮観な変電所の写真が圧巻です。電氣感バリバリな感じが素敵です。まさに電氣楽園というか、まぁ、楽園と呼ぶにはかなりデンジャラスな感じの威圧感を感じる光景ですが、それもまた電氣の魅力でもありますね。ちなみに、この写真は南川越変電所を写したもののようです。見てるだけで強力な磁界に巻き込まれそうですね。

180226_denki01_04.jpg
同上。高圧送電線を紹介するページ。線画のように空間にそびえる数本の腕を持っている無骨な塔、見ていると、鉄塔同士が送電線を使ってあやとりをしているような感じがしてきます。

180226_denki01_05.jpg
同上。変電所の変圧器などの写真。ビリビリきそうな感じですね〜

180226_denki01_07.jpg
「子供電氣學」山本忠興著(小学生全集第58巻)興文社 昭和4年(1929年) 
小学生向けの学習読物の全集のうちの一冊ですが、大人が読んでもためになるくらいに内容は充実しています。トビラページのタイトルロゴが昭和モダンな雰囲気があってイイですね。

180226_denki01_09.jpg
同上。当時の家庭用電気器具を見開きで紹介しているページ。メカメカしい金属製品が標本のように並んでいる感じが素敵ですね。深緑のインクがまたシュール感を出していてぐっときます。

180226_denki01_08.jpg
同上。「電氣」づくしの目次が壮観ですね。文字量の多い本ですが、電氣感のあるメカニックな感じの図版も多く楽しい本です。

ほかに、電柱や電線、テレビなどのアンテナなども、電氣の妖しいイメージをかき立てるアイテムです。あの、いろいろな怪し気な形状をしたアンテナは、どこからともなくやってくる目に見えない電波を受信する装置でありますから、世界のどこかでは、この世の発信者の存在しない異世界からの情報をキャッチしてしまってるのかもしれない、などと、とりとめのない空想をしてると、不思議な気分になってきます。まさに、そうした空想をかき立てる余地を感じるところが、アンテナというオブジェの魅力でもあります。電波という、空中を飛び交う不可視の情報をチャッチするアンテナという存在には、どこかミステリアスな魅力があり、いい感じのアンテナを街中で見つけたときに運良くカメラの持ち合わせあれば必ずパチリとやってしまいます。以下、自前のスナップ写真の中からいくつかそういったアンテナ美を感じるものをチョイスしてみました。

180226_denki01snap_04.jpg

180226_denki01snap_05.jpg

180226_denki01snap_06.jpg

昨今、現代生活の必需品となったスマホなどの携帯型電話機の普及により、あちこちに電波を中継するための基地局に立てられている鉄塔を見かけるようになりましたが、あの鉄塔もマグリットの絵を見るときに感じるのと似た妙なぞわぞわ感があって惹かれますね。

180226_denki01snap_03.jpg

180226_denki01snap_01.jpg

180226_denki01snap_02.jpg

幻聴や妄想などは俗に「電波」と言われてたりもしますね。90年代あたりから言われだしたサブカル的な流行語でしたが、うまく現象を言い表してる便利さもあるためか、すっかり定着してしまった感があります。こうした俗語の定着も、電氣という奇妙なエネルギーへの恐れのようなものが無意識にあるためなのかどうか、気になるところです。妄想の類いには、しばしば「国家権力から脳波を盗聴されている」とか「隣の家から毒性の電波攻撃を受けている」とか、電波や電氣に関するものが多い印象がありますし、10年以上前に「スカラー電磁波」による攻撃から身を守るためという理由で白装束に身を包んだ某団体が世間を騒がせた事もありましたね。人魂もUFOもプラズマが原因だと主張する某教授とか、アメリカはプラズマ兵器で人工地震を世界各地で起こしている、といったプラズマ陰謀論のようなものなど、なにかと電氣に関連するさまざまな現象や物理的な力について、事実なのか妄想なのか区別のつきにくい様々な憶説、言説が無数にあります。こうしてみると、今やあらゆる現代文明の利器が電氣を頼っている時代でありながら、なおも電氣というものに、原始人が恐る恐る手にした火と同じような畏れがあるような気がしますし、そうした言説の背後にあるのは、そのような電氣への謎めいた神秘や畏れなのかもしれませんね。

180226_denki01snap_07.jpg
散歩中にふと空を見上げたら電線がいい感じだったので思わずシャッターをきった一枚。夕暮れの太陽を反射してきらめく電線が奇麗ですね。
posted by 八竹彗月 at 01:10| Comment(0) | 古本

2018年02月03日

アニメ『いぬやしき』感想

『いぬやしき』なんとなく見始めて、第1話からぐいぐい惹き込まれて一気に最後まで見てしまいました。ロボット老人という設定の妙は、なんとなく大友克洋&江口寿史の『老人Z』を思い起こしますが、物語自体のテイストはまったく別物で、原作が『ガンツ』の作者ということもあって、ナンセンスな設定を用いながらリアルな現代社会の風刺や、生きるとはどういうことか、人生にはどんな意味があるのか、などの哲学的な問いを、壮絶なアクションをはさみながら畳み込むように描いていて、最後まで飽きさせません。

冴えないサラリーマン・犬屋敷 壱郎(いぬやしき いちろう)は、犬の散歩中に宇宙人のUFO墜落現場に居合わせてしまったせいでいったん死亡してしまいますが、宇宙人も良心が傷んだのか、そのままにはせずに急いで出来合いの機械パーツを使って元とそっくりの機械人間として蘇らせます。身体のパーツが全部入れ替わっていますが、心は元の犬屋敷壱郎のままです。しかし、オリジナルの人間の犬屋敷壱郎≠ニは部品が全て違うのだから、この犬屋敷壱郎だと思い込んでる「心」も、もしかしたら入れ替わった機械が犬屋敷壱郎をシミュレートしてるだけで、本当の自分ではないのではないか?という実存的なジレンマに壱郎は苦しむ事になります。このあたりの哲学的なテイストは、物質的に別のモノでそっくりに組み立てられた「自分」は、本物の自分なのだろうか?という問いを投げかける「ガンツ」と通底する部分ですね。

主人公壱郎は、自分は元の「人間・犬屋敷壱郎」なのだ、という確信を得たくて、人助けなどの人間らしい″s為をしながら、人間としての実感を取り戻そうと生きることになります。時を同じくして、同じ場所でUFO事故に巻き込まれたもうひとりの主人公である高校生、獅子神 皓(ししがみ ひろ)も、壱郎と同様の機械の身体を得ます。彼は壱郎と正反対に、人を殺すことで自分が生きているという実感を確かめようとして、無慈悲な殺害を淡々と繰り返していきます。冴えない初老の男でありながら正義の心をもった壱郎と、他人への共感能力に乏しいイケメン高校生が巻き起こす殺戮、という明快かつユニークなコントラスト。明快な設定と激しいアクション&哲学的テイストというのは作者の持ち味なのでしょうね。そうした「ガンツ」から引き継がれた持ち味に、人間愛や家族愛などの情緒的な部分も丁寧に描いたことで、とても魅力的な作品に仕上がっていますね。

機械によって超人的な能力を手に入れたふたりの人間が、その能力をまったく対照的な目的のために行使するユニークさがこの作品の背骨になっていて、正義の老人、壱郎の人助けのエピソードは弱きを助ける必殺仕事人っぽいノリで王道のヒーローもので楽しいです。方や皓(ひろ)のエピソードは、愛に飢えた孤独な少年が、身近にいる母や恋人や幼なじみだけを心の支えに、大事な彼らを守ろうとして結果的に利己的な殺害を繰り返すという、切なくも殺伐としたものです。彼の犯した冷酷な殺人の数々を考えると、同情の余地はないはずなのですが、一方で、皓(ひろ)の狂おしいまでの寂しさや人恋しさが伝わってもくるので、彼のキャラを自分はどう扱い、どう評価したらよいのか悩みました。ある意味、皓(ひろ)は壱郎の闇の部分であり、壱郎は皓(ひろ)の光(理想)を象徴する存在なのでしょうね。壱郎だけのエピソードでまとめあげてもよかったのではないか、とも途中ふと思ったりしましたが、エピソードを重ねるごとに、皓(ひろ)という冷酷さと繊細さを持った、生きる事にとことん不器用なキャラがどうも憎みきれない感じになってきて、見ているうちに、「ああ、そういえば壱郎もまた、皓(ひろ)と同様に、不器用にしか生きれないキャラだったな」ということに気づき、彼をからませるその意図になるほどと合点がいったのでした。

今回は「ガンツ」と違って、宇宙人は裏方というか、最初の「事故」以来どこかに去ってしまって物語には出てきません。なので、より人間描写や社会風刺を掘り下げて描写していて社会派SFっぽいノリもあって面白かったです。ラストはとても考えさせられますね。ネタバレになるので書きませんが、同じ立場だったら自分ならどういう選択をしただろうか?と考えずにはいられない秀逸な結びでしたね。

メモ参考サイト
ウィキペディア『いぬやしき』

『いぬやしき』公式サイト
posted by 八竹彗月 at 18:24| Comment(0) | 雑記