2016年05月31日

浪漫鉄道

電車血があつい鉄道ならば…

列車は「旅」の象徴であり、旅は「人生」の象徴であります。そういうイメージも手伝って、列車というのはいつもどこか叙情と哀愁を感じる乗物という印象があります。私は鉄道に詳しくはないので鉄道オタクを自称するレベルにはいないのですが、最近昔の汽車の写真を集めはじめていて、鉄道マニアの人の気持ちがなんとなくわかるような気がしてきました。そう鉄道とはロマンそのものなのです。

160601-sensei1930.jpg
戦前の児童雑誌『センセイ』(幼女の友社 昭和5年[1930年])より 

ちなみに、電車と汽車の違いですが、「電車」はパンタグラフと呼ばれる部分から上方に張られている架線から電力を受け取って走るタイプのことで、「汽車」とは主に「蒸気機関車」を指しますが「ディーゼル機関車」など電車以外の列車を含む総称でもある、ということです。また、電車というと、なんとなく電気機関車の略称のように思い込んでいたのですが、厳密には区別されている言葉のようで、普段何気なく使っている言葉も意外と一筋縄でいかないものですね。

メモ参考サイト 「鉄道豆知識」

160531-t-j01.jpg
860型 タンク機関車 1-B-1型 (明治26年[1893年] 製造:鉄道作業局神戸工場)国産1号機。英国人技師リチャード・フランシス・トレビシックの指導により我が国初の蒸気機関車が製造されました。

160531-t-j02.jpg
C51型加熱テンダー機関車のお召列車牽引 2-C-1型(大正8年[1919年] 製造:川崎車両、三菱造船など)C51型は扱いやすく、パワーもあり、よく走る、とても優秀な機関車だったそうで、旅客車両としてだけでなく、お召し列車(おめしれっしゃ=天皇、皇后、皇太后が使うために特別に運行される列車)にもしばしば使われたそうです。

160531-t-j03.jpg
8550型 テンダー機関車 1-C型 (明治32年[1899年] 製造:スケネクターデー社)九州鉄道が主な舞台だったそうで、その無骨な外観通り、牛のようにのっしのっしと尻を揺らしながらスタートするが速度が乗ると俄然パワフルな走りを見せてくれたそうです。

160531-t-j04.jpg
弁慶号テンダー機関車 1-C型 (明治13年[1880年] 製造:米国ポーター社)威勢良く北海道を走っていたそうです。カランカランと優雅な鐘が鳴るユーモラスな機関車として親しまれてきたようですが、可愛らしい外見に似合わず200馬力を超える当時としてはなかなかのパワーもあったそうで、北の大地の開拓に大いに貢献したようです。


血があつい鉄道ならば
走りぬけてゆく汽車はいつかは心臓を通るだろう
同じ時代の誰かが
地を穿つさびしいひぴきを後にして
私はクリフォード・ブラウンの旅行案内の最後のペーシをめくる男だ
合言棄は A列車で行こう だ
そうだ A列車で行こう
ぞれがだめなら走って行こう

時速一○○キロのスピードでホーマーの「オデッセー」を読みとばしてゆく爽快さ!
想像力の冒険王! テーブルの上のアメリカ大陸を一日二往復目 目で走破しても
息切れしない私は 魂の車輪の直径を
メートル法ではかりながら
「癌の谷」をいくつも越え捨ててきた

血があつい鉄道ならば
汽車の通らぬ裏通りもあるだろう
声の無人地域でハーモニカを吹いている孤独な老人たち! 木の箱をたたくとどこからともなく這い出してくる無数のカメたち
数少ないやさしいことばを預金通帳から出したり入れたりし 過去の職業安定所 噂のホームドラマを探しながら
年々、鉄路から離れてゆく

寺山修司「ロング・グッドバイ」より抜粋


160531-t-n01.jpg
足寄森林鉄道 44号(昭和17年[1942年] 製造:国鉄釧路工場)

160531-t-n02.jpg
C型アプト式タンク機関車 形式3900 (明治25年[1892年] 製造:英国エスリンゲン社)横川-軽井沢アプト区間で最初に使用された。


160531-t-n03.jpg
1C型テンダー機関車 形式7750 (明治26年[1893年] 製造:英国ネルソン社)黒磯-福島の勾配区間で使用されたそうです。



電車A列車で行こう

列車は人生という名の旅を分かりやすく象徴する乗物ですから、列車をテーマにした音楽も叙情に満ちたものが多いですね。また、近代社会を代表するスピードの象徴でもあり、メカニックなフォルムのクールさから、モダンなイメージもまた加味されて独特の味わいがあります。そういうわけで、列車をテーマにした曲を個人的な好みで選んでみました。

るんるんSteve Reich「Different Trains 1 (America - Before The War)」
るんるんSteve Reich「Different Trains 2 (Europe-During the War)」
るんるんSteve Reich「Different Trains 3(America-After the War)」
以前スティーブ・ライヒをテーマにした記事でも書きましたが、汽車をテーマにした音楽の中で最も好きな曲はこれです。ミニマル音楽の巨匠スティーブ・ライヒによるミステリアスな質感の汽車幻想。弦楽器が実に巧みに汽車の動きや線路のうねりを表現していて凄いです。サンプリングされた短文のリピートや汽笛が異次元なシュール感を醸し出していて絶品であります。楽曲「ディファレント・トレイン」は、第二次世界大戦の前後の不安感を3部で構成した作品。第1部は戦前のアメリカ、第2部は戦中のヨーロッパ、第3部は戦後のアメリカがテーマです。はじめて聴いたスティーブ・ライヒの曲というのもあって個人的に思い入れがあります。

るんるんTom Waits「Downtown Train」
黄昏の酔いどれシンガー、トム・ウェイツらしい哀愁漂う汽車のロマン。曲もかっこいいですが歌詞もまた渋くて素敵!列車は、閉じこもった小さな日常から、果てしない未知の世界に連れて行ってくれる人生の導師(グル)なのかもしれませんね。「洋楽和訳 (lyrics) めったPOPS」様による歌詞の和訳

るんるんAnita O'Day「Take The 'A' Train」
アニタ・オデイの軽快でムーディーな歌唱が心地いいですね。曲はジャズの有名なスタンダードナンバー「A列車で行こう」です。
「Groovy Groovy ~and all that jazz~」様による歌詞の和訳

るんるんMeade Lux Lewis「Honky Tonk Train Blues」
アメリカのピアニスト、ミード・ルクス・ルイスの1927年の大ヒットナンバー。ホンキートンク(Honky Tonk)とは意図的にくだけた調子外れなノリを味わいとするアメリカのカントリーミュージックのジャンルを指すようです。

るんるんMartin Denny「Burma Train」
「ビルマ・トレイン」と題するマーティン・デニーらしいエキゾチック感たっぷりの曲。

るんるんThe Doobie Brothers「Long Train Running」
アメリカのベテランロックバンド、ドゥービー・ブラザーズの1973年の大ヒット曲。なんとなくどこかで聴いたことある曲だと思います。歌詞は人生の無情さを列車に例えて歌っていて哀愁を感じます。「洋楽歌詞を和訳じゃ。」様による歌詞の和訳



電車花電車

花電車といえば、派手な装飾を施した路面電車のことで、主にお祭りや重要な記念日などのスペシャルな日でしか運行されないため、なかなか見る機会はありません。とっくに廃れた風習だと思っていたのですが、現在でもごくたまに運行しているようで、チャンスがあればまだまだ見れる機会はありそうです。ということで、絵葉書コレクションの中から、シュールな様相を偲ばせる往年の花電車をご紹介します。

160531-t-h01.jpg

160531-t-h02.jpg

160531-t-h03.jpg

160531-t-h04.jpg

160531-t-h05.jpg

160531-t-h06.jpg

160531-t-h07.jpg
posted by 八竹釣月 at 11:36| Comment(0) | コレクション

2016年05月20日

キモノ・ファンタジア(その六)

優雅な着物美人が並んだ古い婦人雑誌の折り込みページをいくつかご紹介します。どれも戦前の雑誌のものですが、切り取られた状態で手に入れたものなので詳細は分かりません。アールデコなグラフィックデザインと、洋装と着物が混在した昭和初期のレトロな雰囲気がどこか幻想的ですね。

160520-kimono-01.jpg
「流行と経済の夏衣装」全図

160520-kimono-02.jpg
「流行と経済の夏衣装」左部分

160520-kimono-03.jpg
「流行と経済の夏衣装」中央

160520-kimono-04.jpg
「流行と経済の夏衣装」右部分

160520-kimono-05.jpg
「春の流行行進曲」表

160520-kimono-06.jpg
「春の流行行進曲」裏

160520-kimono-07.jpg
「秋の流行を代表する外出着姿」表

160520-kimono-08.jpg
「秋の流行を代表する外出着姿」裏

160520-kimono-09.jpg
「調和美を見せた初夏の服装」表

関連ページ
キモノ・ファンタジア(その1) (その2) (その3) (その4) (その5)
タグ:着物 古本
posted by 八竹釣月 at 07:23| Comment(0) | 古本

2016年05月15日

昭和7年「現代裁縫教科書」

昭和7年(1932年)発行の『現代裁縫教科書・巻三』(吉村千鶴:著 東京開成館:発行)より、昭和モダンな可愛らしいイラストをご堪能ください。

160515-saihou-01.jpg

160515-saihou-02.jpg

160515-saihou-03.jpg

160515-saihou-04.jpg

160515-saihou-05.jpg

160515-saihou-06.jpg

160515-saihou-07.jpg

160515-saihou-08.jpg

160515-saihou-09.jpg

160515-saihou-10.jpg
posted by 八竹釣月 at 19:16| Comment(0) | 古本

2016年05月13日

星の翁・野尻抱影

160513-houei-01.jpg

野尻抱影(のじりほうえい 1885〜1977年)といえば、宇宙に興味を持ってその世界にハマっていくと必ず出会う名前であります。天文学者ならぬ「天文文学者」を名乗る無類の天文民族学者でありエッセイストとして知られた人物で、準惑星「冥王星」の日本名の名付け親としても有名です。また、"しょこたん"ことタレントの中川翔子さんの親戚にもあたるそうですね。

160513-houei-03.jpg
「星座の話」野尻抱影 偕成社 昭和38年(1963年)

160513-houei-04.jpg
同上 巻頭図版より

日本を代表する天文ロマンな著名人というと宮沢賢治や稲垣足穂が真っ先に思い浮かびますが、野尻抱影という名は多少本気で星に興味を持たないと出会えない名前なのだろうと思います。私も恥ずかしながら日本を代表する星の翁とも言われた野尻抱影の名を知ったのは最近のことです。星に関する古書を集めていると何度も目にするようになり、次第に野尻抱影その人自身に興味がわいてきた次第です。

160513-houei-05.jpg
「星座春秋」野尻抱影 研究社 昭和9年(1934年)より
上は中国の南宋時代(1127〜1276年)に作成された天文図の図版。漢字表記の星図には独特のオリエンタルなロマンチシズムを感じますね。下は「昴(すばる)」の和名でも知られるプレアデス星団近辺の空の図。昭和初期の本なので、右から左に読む逆綴りの横書きがレトロでムードがあります。


奇しくも野尻抱影(1885〜1977年10月30日)と稲垣足穂(1900〜1977年10月25日)は1977年の10月に五日違いでお二人とも星になってしまわれました。稀代の編集王・松岡正剛がその雑誌『遊』の臨時増刊号で「野尻抱影・稲垣足穂」のふたりの追悼号をさっそく同年12月に発行しています。さすがは正剛さんです、日本の偉大なるふたりのスターマンが時期を同じくして星に還るというこの象徴的な「事件」を形に残すという素晴らしい仕事に感服します。

160513-houei-07.jpg
雑誌『遊』 稲垣足穂・野尻抱影追悼号 工作舎 昭和52年(1977年)
松岡正剛の独特の編集センスで、感覚的でありながら理性的に編集される記事や図版を、羽良多平吉の素晴らしいアートディレクションでビジュアルに魅せてくれます。全編夜空をイメージさせる濃紺のインクの一色刷り。荒俣宏、高橋康雄からあがた森魚、赤瀬川原平まで寄稿者のメンツもツボを心得ています。


野尻抱影の「天体愛」ともいえる嗜好は趣味人というだけでは収まらぬなみなみならぬ深い愛で、さすが人生を星に捧げたスターマンといえるでしょう。その天体愛を野尻抱影自身が語った「月刊ポエム」でのインタビュー記事を抜粋します。

ぼくの星に対する態度といったら、皆さんとまるで違いますよ。どう言ったらいいかわからないんだが、つまり惚れ込んでいると言ったばかりじゃあ足りない。星が美しいものであるということは皆さんよくご存知なんです、不思議だということもご存知だと思う。でもぼくは、美しいのでも、不思議なのでも、皆さんの考えていらっしゃるのとまったく違うんです。
たとえば去年(=1976年)、風の強かった夜明けに、珍しく夜中に目がさめたらオリオンが出ていた。オリオンがちょうどぼくの視界ぎりぎりいっぱいに出ていた。視野の上から下までオリオンがいっぱいに出ていた。それを見て、よくぼくを70年も仕えさせたものだなあと思ってね。ぼくは星に仕えたなんていっぺんも思ったことなかったのに、そのときはそう思ったですねぇ。それがほんとのぼくの性根でね。説明したってわかりっこないな。星に夢中になるっていうのはこんなもんだろうと、だいたいをわかってくれればいいけれどね。自分でもわからない。みんな星をただロマンティックだとか言っている。そうではなく、もっと真のものとの結びつきです。もう頭を下げてもいられないし、むりやり科学者ぶっているのでもないし。だから話しづらいんですよ。

160513-houei-08.jpg
野尻抱影「(特別インタビュー)星を仰いで九十年」 (『月刊ポエム』8月号「特集=星の詩学」 すばる書房 1977年)


70年代の雑誌『ポエム』8月号からの記事ですが、ちょうどこの年、昭和52年(1977年)の10月30日に他界し野尻は自らが星となってしまわれました。老衰とのことで齢93、星に抱かれての大往生だったようです。冥王星の名付け親として語られる機会が多い野尻ですが、この雑誌のインタビューで、冥王星の名付けに関する経緯も詳しく語っていて興味深かったです。

それから冥王星っていう名ね、あれはぼくがつけた名です。プルートーね、あれを初めて発見したトンボウというアメリカの天文学者に、日本から行った天文学者が、日本でもあれに冥王星っていう名がついていると言ったらひどく喜んで、その日本の字を紙に書いてくれと言ったそうです。志賀(直哉)さんが、あるとき、親戚が来ているからきみ何か話をしてくれよというので、じゃあ面白い話をしましょうと言ってまず冥王星の話をしたら、その座にいた志賀さんのいとこの海軍大佐かなにかの人が「冥王星っていうのはあなたが発見なさったんですか」。(笑)発見したんじゃありません、あれを発見したのはトンボウっていう名のアメリカ人で、それをイギリスの女の子がその名前は地獄の王様プルートーがいいと言ってプルートーという名がついた。地獄の王様だから日本語に訳せば冥王で、初めは地王星という名をつけようとしたが、それもおかしい。それから幽王としようかと思ったらあれは東洋史に出てくる王様の名前だから冥王がいいだろうというので、ぼくは冥王星という名をつけて雑誌へ発表した。それが起こりで、ぼくが発見したというのではないんです。それについては立教大学の総長をしていた人が、冥王といえば日本の閻魔(えんま)様のことだ、そんな縁起の悪い名はだめだからほかの名をつけようという。そこで統一会議というものが起こったときにとうとうぼくが勝っちまったけれど、その時まではあれは活字としては発表されてなかったんだ。だけれども、もう三省堂とか東京堂あたりから出ている本にはみんな、冥王星を使っていた。それから中国へも電報が行って、中国でも冥王星と名をつけた。


160513-houei-06a.jpg

160513-houei-06b.jpg
「星座の話」野尻抱影 偕成社 昭和38年(1963年)より
ちょうど今頃の夜空の星図です。


160513-houei-02.jpg
posted by 八竹釣月 at 02:40| Comment(0) | 宇宙

2016年05月03日

【洋裁】たのしい子供服・1961

昭和36年(1961年)発行の「装苑別冊・たのしい子供服のスタイルブック」(文化服装学院出版局 昭和36年9月25日発行)から可愛らしいファッションの画像を選んでみました。

160503-soen1961-01.jpg

160503-soen1961-02.jpg

160503-soen1961-03.jpg

160503-soen1961-04.jpg

160503-soen1961-05.jpg

160503-soen1961-06.jpg

160503-soen1961-07.jpg

160503-soen1961-08.jpg

160503-soen1961-09.jpg

160503-soen1961-10.jpg

160503-soen1961-11.jpg

160503-soen1961-12.jpg
タグ:少女 古本 洋裁
posted by 八竹釣月 at 00:48| Comment(0) | 古本