2024年01月31日

漫画「マッドメン」とデマ神について

マッドメンと楽園

パプアニューギニアと日本を通底する太古の神話世界を現代に蘇らせた諸星大二郎先生の傑作『マッドメン』は、とても感銘をうけた作品のひとつです。当時の現代思想の流行だった構造主義を取り入れたストーリーテリングも見事ですが、そうしたアカデミックな小難しさなどを微塵も感じさせずにスリリングで娯楽性豊かな物語を紡ぎ出す諸星先生の並外れた力量に感服したものです。

先進国からの食料援助を先祖の霊や神から与えられる招神信仰と混同していくカーゴカルトのエピソードや少数民族に伝わる文化がキリスト教徒の布教によって消えていくことの問題提起など、文明の格差から起きる様々な問題に切り込むエピソードも興味深いものがありましたね。題名の『マッドメン』は、最初はMADMEN(狂人)の意味だと思ってましたが、実際はMUDMEN(泥人間)のことで、祖先の霊をあらわす泥の仮面を被った男たちを指す言葉のようです。

こうした神話の世界に生きる現地人の姿は、科学文明の視点では未開ということになるのでしょうが、科学がいまだに手を付けるのに難儀している理性を超えた世界、霊や精神の世界の深遠を見通す感度は、彼らのような野生の中で生きている人間のほうが鋭いものを持ってそうな気がしますね。彼らの、見えない世界と普通に同居して暮らしている様は神話的でもあり、我々人類が最終的に求めている理想郷の根本的な要素がそこにあるような気もしますね。マッドメンを読んでいると、太古の神話の世界に暮らしていた人間の子孫たちの生活が垣間見えてくるような錯覚に陥ります。人類がいまだにずっと追い求めている楽園というのは、実はもうすでに地球から与えられた自然の中に存在しているのではないか、という気分になってきますね。

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左から『完全版 マッドメン』諸星大二郎著 ちくま文庫 1991年
『マッドメン・シリーズ@ オンゴロの仮面』諸星大二郎著 秋田書店 昭和56年(1981年)
『マッドメン・シリーズA 大いなる復活』諸星大二郎著 秋田書店 昭和57年(1982年)
チャンピオンコミックス版のジャンル名「神秘ロマンコミックス」というネーミングもイイですね〜

ユニバース25の話

そもそも我々人類が人工的な安楽な社会に暮らせるているのも、ここ百年程度のごく最近の時代に急激に整った環境にすぎず、人類の進化の歴史の中では安楽な環境こそが不自然であるともいえるのかもしれません。だから、先進国ほど餓死で死ぬより食べすぎが原因で死ぬ者のほうが多いという時代になっているのでしょうし、身体を動かさないで楽に生活していると逆に寿命を縮めてしまうのでしょう。全ての生命は、人工的な環境ではなく過酷な自然環境で生き抜けるような身体システムが出来上がってしまってるので、楽な環境ほど身体に悪いということになります。なんとも皮肉な問題に現代人は向き合っているような感じですね。一頃ネットで話題になった風変わりな実験「ユニバース25」など、そういった生命のジレンマをうまくあらわしてましたね。

ユニバース25とは、アメリカの動物行動学者、ジョン・B・カルフーンによって1968年に行われたマウスを使った社会実験です。天敵を排除し食べ物も豊富に与えられるような人工的な理想的環境でマウスを飼育したらどうのような個体の変化が起きるかを観察した興味深い実験です。詳細はネット記事やYouTubeの動画でもたくさんあるので、そちらを見ていただくとして、ざっくりいえば、理想的な環境に置かれたマウスは、一定以上増えると急に生殖に関心がなくなっていき、異常行動が増えていき、子供を作らなくなり、そして個体数が減っていきやがて自ら全滅してしまいます。同じ実験を25回くりかえしても全て同様の結果となった、というところからユニバース25と俗に言われるようになったみたいです。まるで現代の人類の行く末を暗示するような実験で、理想の環境は個体にとっては理想であっても、種としての観点からは最も異常で最悪な環境であるということでしょうか。

メモ参考サイト


デマ神、疑似生命体、ラブクラフトの話

話を『マッドメン』に戻して、この作品のエピソードでしばしば描かれる「デマ」と呼ばれる原初の人間は、とても印象深く、そして謎めいていて、読後もなんとなくこのデマ≠ニは何ものなのかがずっと気になっていました。諸星先生の描くデマ神の姿が骸骨人間のような禍々しくも神秘的な造形であるのも、光と愛に満ちた感じのいわゆる西洋の神とのコントラストを感じさせるものでしたね。これは原初の人間が神からバナナと石をあたえられたとする神話からの発想なのでしょう。バナナを食べた者の子孫がバナナと同じく寿命がきたら死ぬ存在、つまり人間となったという神話が描かれていますが、時系列はよくわからないものの、バナナでなく石を食べた者の子孫は石のように死ぬことの無い永遠に生きる存在「デマ」となったということも後半で言及されてましたね。デマ神が骸骨っぽい顔なのは、石のように永遠に生きるヒト型の存在というイメージで骸骨っぽい感じに諸星先生がイメージしたのかもしれないですね。

バナナを食べた者の子孫が人間で、石を食べた者の子孫は不死の神的な存在「デマ」になったという話は、妖怪ハンターシリーズの第一話で言及される我々人類を含む動物などの目に見える生命体と対を為す邪悪な霊的存在、ヒルコなどの「疑似生命体」との対比や、「生命の木」で言及される隠れキリシタンの文書「世界開始の科(とが)の御伝え」で描かれる、善悪を知る木の実を食べた者(アダムとエバ。この木の実を食べたことにより人は寿命があって死ぬ存在となる)の子孫である我々人間と、生命の木の実を食べた者(じゅすへる。これを食べたことで不死となる)の子孫である不死の一族の対比などを連想します。近年の代表作「栞と紙魚子」シリーズでは、クトゥルフ神話のオマージュがよく出てきますが、ラブクラフトが作り上げた暗黒神話「クトゥルフ神話」も、そういえば正統な表向きの進化論のうえで存在している人間を含む地上の生命とは別個に、太古に地球を支配していたが今は地底や海底などに封印されている別系統の邪悪な神々(旧支配者)との邂逅を描く物語でしたね。

そういう意味では、そうした正統な進化とは別の流れで、光と影のように対になって我々の世界と重なって存在する異次元の生命「疑似生命体」を扱う妖怪ハンターシリーズのモチーフは、とてもクトゥルフ的なアイデアといえますね。当時の諸星先生がそれを意図していたのかどうかは分りませんが、意図的であるにしても当時はまだクトゥルフ神話どころかラブクラフトの名前さえも知る人ぞ知るという時代でしたから、どちらにしても諸星先生の類い稀なセンスと才能に感服するばかりです。調べてみると、日本で最初にラブクラフトを紹介したのは江戸川乱歩で、自著『幻影城』の中のエッセイ『怪談入門』の中でラブクラフトを紹介しているようです。(『幻影城』は持っているのですが、どこに置いたかわからなくなってしまったのでネットで調べました。後で確認して相違点があれば加筆します。乱歩の著作権は切れているので青空文庫にあるかな〜?と思って確認しましたが、2024年1月現在まだ『幻影城』は未登録のようですね。)

妖怪ハンターの連載が1974年の少年ジャンプではじまりますが、当時ラブクラフトの翻訳といえばめぼしいのは創元推理文庫の『ラブクラフト傑作集』の全二巻(初版1974〜76年)くらいだったような気がします。後に創元社からこの傑作選をベースに1984年以降にラヴクラフト全集全7巻+別巻2巻が発行され、この頃には読書家からだいぶ認知されてきたような感じですね。(日本でのラブクラフトの紹介については下記引用を参照)荒俣宏が学研のユアコースシリーズ『世界の恐怖怪談』でラブクラフトの短編をいくつかダイジェストで紹介したのが1977年で、私はこの『世界の恐怖怪談』ではじめてラブクラフトを知り、荒俣先生の指摘するように作家名の妙な魔力にやられて当時比較的入手しやすかった創元推理文庫版の傑作選全二巻を書店で取り寄せして、ドキドキしながら書店からの連絡を待った覚えが有ります。

しかしまぁ、諸星先生がそれ以前の1974年当時にラブクラフトの影響を受けて妖怪ハンターを描いていたのだとすれば、かなりスゴイですね。ウィキペディアによれば、ラブクラフトの情報は1950年前後あたりから少しずつ日本に紹介されていったような経緯ですが、実質的にラブクラフトが日本の読者の注目をあびるようになるのは1980年代以降で、ブームになったのは1990年代以降という印象ですね。

日本において
いち早く江戸川乱歩が注目しており、探偵小説雑誌『宝石』に1949年に連載していたコラムにて彼を紹介している。また西尾正は探偵小説雑誌『真珠』1947年11・12月合併号に『墓場』という短編を発表しているが、この作品はラヴクラフトの『ランドルフ・カーターの陳述』を翻案したものであった。ラヴクラフト作品の最初の翻訳は、『文藝』1955年7月号に掲載された『壁の中の鼠群』(加島祥造訳)である。水木しげるも影響を受けており、1956年にラヴクラフトの『ダニッチの怪』の翻案漫画『地底の足音』を発表している。1980年代になると、ファンであった菊地秀行や、編集者として紹介を後押しした朝松健などが、作家になって影響を受けた作品を発表し始める。



それにしても、水木しげる先生も影響を受けていたのは存じてましたが、1956年にすでにラブクラフトの翻案マンガを描いていたとは!水木先生も単なるホラーやファンタジーの漫画家というだけではなく、生粋のオカルティストでもあったんだろうな〜と想像します。私自身はちゃんとラブクラフトを読んでないのですが、ホラー作家なのにラブクラフトという、直訳すれば「愛の職人」みたいな感じのファンシーな響きに、逆にゾッとする禍々しさとカッコよさを直感的に感じたのを思い出します。そうした感覚は、後に荒俣先生も「作家名は中身を読む前から面白くなきゃダメなんです。ラブクラフトみたいに」と書いていて、「そうそう!」と思わず相づちをうったものです。

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『ラヴクラフト傑作集1』H・P・ラヴクラフト著 大石尹明訳 1974年 創元推理文庫
『ラヴクラフト傑作集2』H・P・ラヴクラフト著 宇野利泰訳 1976年 創元推理文庫



神話の中のデマ神

デマ神は善とか悪とか、美とか醜とか、そういった二元的な価値観の生じる以前の、混沌としたパワーそのものを象徴している感じで、どこかグノーシスの神「アブラクサス」のような善悪を超えた生命力を象徴しているような雰囲気が気になってました。たまたま古本市で手に取った本にデマ神に関する記述があったので思わず購入したことがきっかけでこの記事を書こうと思い立った感じです。その本で説明されているデマ神に関する記述は以下のようなものです。


熱帯地方で、芋類と果樹類を作物とする原始的形態の農業を行っている民族の間には、イエンゼン(※1)によって「ハイヌヴェレ型」(※2)と名付けられた独特なタイプの神話が見出される。後でまた問題にするこの神話の大きな特徴は、原初の時に自分の身体から人間の食物となる植物を生じさせた存在が、その主人公となっていることだ。この「ハイヌヴェレ型神話」に登場する存在の多くは、人間の祖先で、地上で生活したとされている。しかしかれらは、世界のはじめに出現して、その活動によって世界と人間の生活を、今日見られるようなものに造り定めたとされているので、その意味では明らかに、神と呼んでもすこしもおかしくない存在だ。イエンゼンは、これらの熱帯の農耕民の神話に登場する独特のタイプの神的存在を、デマ神と呼ぶことを提案している。デマというのは、次に問題にするニューギニアの原住民のマリンド・アニム族が、自分たちの神話に出てくるこの種の神的存在を呼ぶのに使っている呼名である。

『天地創造99の謎 世界の神話はなぜ不滅か』成蹊大学教授・吉田敦彦(※3)著 サンポウ・ブックス 産報発行 昭和51年 p66


※1 イエンゼンとはドイツの民俗学者アドルフ・イエンゼン(Adolf Ellegard Jensen 1899-1965)のこと。
※2 ハイヌヴェレ(ハイヌウェレ)型神話とは、殺された神の死体から作物が生まれたとする世界各地に見られる食物起源神話の型式の一つ。
※3 ちなみに著者の吉田敦彦氏の肩書きはこの本の発行当時は成蹊大学教授ですが、現在は学習院大学の名誉教授とのことです。


デマは原初の人間であり同時に食用の植物をもたらす神でもあるというのがユニークですね。聖書的にいうと、いわばアダムであり同時にエホバでもあるような存在がデマ神なのでしょう。「マッドメン」では、デマ神は世界のはじめに人間を造った神(正確には太古の昔にデマが人間を地から掘り出した≠ニ「マッドメン」では書かれています)ということになっていますね。物語ではデマ神は登場回数は少ないものの、世界観のキーになるようなシーンで登場して秘密の一端を語る重要なキャラになっています。後半では、デマ神はひとりではなく、複数で地底に村のような共同体をつくって生活しているような描写がみられるので、はじめに登場するデマが名乗っている「デマ・カカラ」というのは彼自身の固有名詞なのでしょうか。

「マッドメン」の中で、瀕死のコドワを蘇らせるために人間の生首が必要だということでナミコは悩んだ末に自分の首をさし出そうとしますが、それをデマ神は止め、「だれの首をとる必要はない わしの首をやろう」と申し出ます。ナミコの覚悟に感じ入って自分の首を生贄に差し出すデマ、さすが超越者らしい究極の慈悲心ですね。描写の違いはあれ、アンパンマンが空腹な者に自分の頭を食べさせるシーンをなんとなく彷彿としますね。デマは続けてこう言います。「太古の昔 初めて地底のデマの国よりやってきて人間たちを掘り出した このデマ・カカラの首だ だれよりも強い力を持っているぞ」


題名のイメージについての雑感

神話学では、デマ神はハイヌヴェレ型神話に登場する独特の存在として分類されているようなことが件の本には書いてありますが、このハイヌヴェレ(ハイヌウェレ)型神話というのは、殺された神の死体から作物が生まれたとする世界各地に見られる食物起源神話の型式の一つを指すようです。それによると、デマ神は人間の祖先であると同時に、人間に食料となる植物を与える神でもあり、また夜空に光る地球の衛星、月もデマ神が変化した姿でもあるとされているようです。


イエンゼンによれば、これらのデマ神を主人公とする神話では一般に、月は重要な宗教的意味があたえられている。(略)イエンゼンはこのように、デマ神を主人公とする神話では、月は普通自分の身体から食用植物を発生させたデマ神が変化したものと見なされ、神話の主人公のデマ神と同一視されていると主張している。

『天地創造99の謎 世界の神話はなぜ不滅か』成蹊大学教授・吉田敦彦著 サンポウ・ブックス 産報発行 昭和51年 p67

デマはマッドメンでは比較的地味な描かれ方をしてますが、月もデマの変化した姿だというのは、けっこう壮大ですね。ちなみにこの引用元の本、産報から1976年に発行された『天地創造99の謎 世界の神話はなぜ不滅か』は、後に大和書房から『天地創造神話の謎』(1985年)、『世界の始まりの物語 天地創造神話はいかにつくられたか』(1994年)と2度改題して発行されていたようです。

本棚を探してみたら、知らずに『天地創造神話の謎』も買っていました。中身は同じ内容ですが、前書きや後書きがあったりなかったり、装丁や本文デザインが異なるなど、若干の相違はあります。中身が同じとはいえ、タイトルの響きや装丁の印象は『天地創造神話の謎』のほうがアカデミック感があって、ちゃんとした本っぽいですね。初出は『天地創造99の謎』のほうですが、こちらはカッパブックスみたいな感じの新書のシリーズものの一冊なので、カジュアルな印象ですね。中身が同じでもタイトルやデザインで中身の信憑性や信頼性の印象がけっこう変わるものだなぁ、という一例として興味深いものを感じます。

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(左)『天地創造99の謎 世界の神話はなぜ不滅か』成蹊大学教授・吉田敦彦著 サンポウ・ブックス 産報 昭和51年
(右)『天地創造神話の謎』学習院大学教授・吉田敦彦著 大和書房 昭和60年
後年の改題バージョンのほうは肩書きが学習院大学教授になってますね。


そういえば諸星先生の代表作『妖怪ハンター』も当時の担当編集者に勝手に命名された題名で、諸星先生本人はずっと不満があった、という話がありましたね。先生がもともとどういうタイトルにしたかったのか気になりますが、たしかに稗田礼二郎が妖怪を捕まえる話などほとんど出てきませんし、そもそも妖怪をテーマにしてるわけでもなく、描いているのは民族学的な伝奇ファンタジーですから、原作者としては「安っぽいタイトルをつけやがってー!」という不満がでてくるのは痛いほど理解できます。まぁ、でもそうした事情をしらない読者からすれば、そのくらい敷居を下げたほうがとっつきやすいだろうという編集側の判断も理解出来ます。なにせ初出は少年ジャンプですからね。後にはこのシリーズの副題として『稗田礼二郎のフィールド・ノートより』のような民族学風のサブタイトルがつけられるようになっていきましたが、これも諸星先生のささやかな抵抗だったのかもしれませんね。

誰しも人生なにかしら思い通りにいかないことは必須で起こりますが、よりにもよって後々代表作に育っていく作品のタイトルが原作者の承認もないまま他人に決められてしまったというのはキツかっただろうなぁ、と察します。客観的に見れば、「妖怪ハンター」という題名はキャッチーな引きがあって、難しそうなタイトルにするより親しみがあって個人的には好きですが、全てのクリエイターにとっては自分の作品のタイトルくらい自分でつけたいと思うのが人情ですから、結果的に売れたんだから良いだろうと本人が納得できるかどうかは別問題でしょうね。商業的にくだけたタイトルにするにせよ、やはりそこは諸星先生との話し合いの中ですり合わせて決めるのが最善だったでしょう。とはいえ掲載誌は週刊誌なので、そうするスケジュール的な時間がとれなかった、などの、それができなかった理由も、何かあるのだとは思いますが。諸星先生と比較するのは畏れ多いのですが、自分も遠からず似たような経験があるのでこういうエピソードには作家に同情的になってしまいます。

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『妖怪ハンター』諸星大二郎著 JUMP SUPER COMICS 集英社 1978年
後ろの文庫版は集英社文庫の2005年に発行されたものです。









posted by 八竹彗月 at 10:50| Comment(0) | 漫画

2023年09月27日

「手のひらを太陽に」とアンパンマンの話

「手のひらを太陽に」は、幼稚園とか小学校の音楽で習う定番の歌なので、漠然と懐かしい童謡というイメージがありますね。または、大人が子供に歌わせたがる説教じみた理想論が込められた退屈な歌、というイメージの方もいるかもしれません。私はひねくれた子供だったので、後者のイメージでとらえていて、とくに好きでも嫌いでもないものの、特別意識して聞くような音楽ではない、と思い込んでいて、いつしかその曲は記憶の底に沈殿していって忘れかけていました。まぁ、えてして子供の教育に良さそうな歌ほど子供は無関心なものなので、そういう意味では普通の子供だったともいえるでしょうか。

ですが、つい先ほどなんとはなしにネットを徘徊していたら、やなせたかしの話題についての書き込みが目にとまり、「手のひらを太陽に」の作詞者がやなせたかし氏であるとの情報がありまして、「え?そうだったんだ!」という軽い驚きがありました。

子供の頃は、とくにひっかかることのない毒にも薬にもならない曲というイメージを不遜にも思っていましたが、今、あらためてその歌詞を噛みしめながら聴くと、なんて奥深い詩なんだろう!と驚かされます。その驚きの半分は、作詞者がやなせたかしであると知ったせいで、そこに深い意味があるはずだ、と意味を見いだそうとするからなのかもしれませんし、作詞者がとくに興味のない人物であったなら、深く考えることなく子供の時の印象のまま、とるに足らない歌で終わったかもしれません。そうした面ではご都合主義なところもありますが、運命というものはそのようなもので、人生のあちこちにそういった種が都合よく撒かれているようなフシがありますし、ここは素直にいいきっかけとして受け止めればいいのかもしれません。

メモ参考サイト

この歌は、一見単純な歌詞のように表面上はみえますが、そのシンプルさの中に、全ての生命への賛美と愛を通して、やなせさんによる幸福論や人生論をうかがわせる哲学が込められていて感慨深いです。歌詞の世界に入り込んでその世界観をじっくり味わってみると、じつに味わい深いものを感じますね。幸福というものは、特別な豊かさや勝利や成功といった一部の人だけの特権のようについ思いがちなところがありますが、実際は、誰しもが当たり前と思っている日常の中に幸福は潜んでいて、それに気付くことが幸福というものの本質であります。誰しも、漠然とそういうことは分っていつつも、なかなかそうした考え方は忙しない日常の中で混濁してしまいがちになりますが、こうした歌などをきっかけに「ああ、そうだ、そうだったんだ」と心を軌道修正してくれますね。

この歌の生まれた経緯ですが、1961年にテレビのニュース番組の構成をしていたやなせさんが番組内の今月の歌として自身で作詞し、知り合いのいずみたくさんに作曲してもらい、宮城まり子さんに歌ってもらったものが「手のひらを太陽に」の初出のようです。この歌が生まれるきっかけとなる制作秘話も実に興味深く、以下ウィキペディアから引用します。

当時のやなせは仕事は順調だったものの、劇画の時代に付いて行けず、先行きに不安を感じていた。夜中、眠くならないように暖房を消して一人で仕事をしていて、筆がとまったときに電気スタンドで手を温めていると指の間がきれいに赤く見え、子供のころに懐中電灯で手を照らして真っ赤に見えて面白かったことを思い出した。こんなにも落ち込んでいるのに血は元気に流れていると励まされたような気がして、歌詞の一節が思い浮かんだと述懐している。


なんとも興味深いエピソードです。そんな切ない不安な状況の中で、この曲の発想を得たんですね。素朴な歌詞のようでいて、どこか永遠のきらめきを感じさせる魂に響く作品である理由が分った気がします。「手のひらを太陽に」は、クリエイターのテクニックだけで生まれた作品ではなく、血肉の通った実体験から生まれた作品だったからこそ、時代を超え、言葉を超えた何かを感じさせる作品となったのでしょうね。

そういえば、往年のバンド、チューリップの名曲『心の旅』は、デビュー以来ヒットに恵まれず、これが売れなかったら田舎に帰ろうという背水の陣の中で作られた曲だったようですし、武田鉄矢の海援隊のヒット曲『母に捧げるバラード』(※1)も、鳴かず飛ばすの中、これを最後にもう音楽はあきらめようという気持ちで、上京を許してくれた母に対する感謝を歌にしたものだというエピソードを思い出します。名曲というのは、しばしばそうした苦境の中で生まれるものなのかもしれませんね。音楽だけでなく、ゲーム界のビッグタイトル『ファイナルファンタジー』も、これが売れなければ会社をたたむしかないという覚悟の中で、最後の夢という意味で『ファイナルファンタジー』と名付けられたという話(※2)も有名ですね。誰しも望んで苦境を味わいたいとは思わないですが、苦境の中でしか見えてこない本質的なものと出会うことが人生の価値でもあるのだろうと思いますし、そもそも人生とはそういう仕掛けになっているのでしょう。

「手のひらを太陽に」の、どんなとるに足らないと思えるような小さな虫でさえもこの地球に縁有って同居している仲間なのだ、というメッセージは、まさに聖者の教えの多くに見られる真理に通底するものですね。「手のひらを太陽に」は生きとし生けるもの全てへの共感を歌ったとても精神性の高い曲だったのだなぁ、と、あらためて長年の迷妄が晴れたような気持ちになりました。

命ある全てのものは友達なのだ、という心のあり方が全ての人間の共通認識になった世界というのは、まさに地上の天国でしょうね。便利な技術によって物質的、肉体的には、日進月歩で安楽な生活が可能な世界になってきましたが、どれだけ裕福になっても家族や友人や周囲の人々との円満な人間関係がなければ心は地獄です。しかし、心のあり方が「手のひらを太陽に」の歌詞のような、分け隔てのない愛に満ちていれば、今居るこの場がそのまま天国になるような気がしますね。そうして考えてみると、アンパンマンという、お腹がすいた者に自分自身の頭を食べさせる究極の慈愛をもったヒーローを生み出したやなせ先生らしい歌だなぁ、とあらためて感心するのでした。自らの頭(アンパン)を困っている者のために差し出すアンパンマンの姿は、キリストが最後の晩餐で、寓意的にワインを「これは私の血だ」、パンを「これは私の肉だ」と言って、弟子たちと共に食事をするシーンを彷彿とします。また、アンパンマンは、「頭」というアイデンティティの根幹となる人体で最も重要な器官を最初に与えようとしますが、これなどは、仏教やスピリチュアリズムでよく言及される「エゴの放棄」を暗示しているような奥深さを感じますね。

アンパンマンが生まれた経緯も、やなせさんの従軍経験が背景にあるそうで、「人生で一番辛いのは食べられないこと」という思いからきたもののようです。アンパンマンがヒットする以前は無名の作家だったこともあり、空腹に悩む日々もあったそうで、当時のやなせさんが思う人間の不幸の最初に「空腹」があったようです。そうした経緯から、敵を倒すこと以上に、空腹で困っている人を助けることが本当のヒーローなのではないか、という着想からアンパンマンが誕生することになったようです。私がアンパンマンの話を知った最初は、人助けのためにまず自分の頭部を食べさせるというショッキングかつシュールな設定に、不条理ギャグのような発想の面白さがあってインパクトをうけたものですが、実際はそうした奇をてらったインパクト勝負のアイデアではなく、やなせさん自身の人生経験に根ざした人類愛が根底にあって生まれたヒーローであることを知ると、また別の意味での親しみを感じることになりました。

閑話休題。「手のひらを太陽に」の世界は、斜に構えて見ればきれいごと≠ナす。しかし、理想というのはつまりはきれいごとなのであり、そして理想がなければ人間は目標を持つことも希望を感じることもできません。この歌のように、ここまで素直に臆せずにきれいごと≠描ききることは意外と難しいもので、ついついカッコつけたくなって、不必要にヒネリをいれたがったり、言葉を装飾してしまいがちなものです。まぁ、装飾された耽美な文学的な詩も大好きなので、そういうものを否定するつもりはないのですが、この詩のように、素直にストレートに物事を表現する創造力って、どこか原初の言葉の力のようなものを感じさせるものがあって、そういう才能に恵まれたやなせ先生の創造性に憧れますね。



※1 『母に捧げるバラード』〜
最後の曲になるかもしれないので、最後は母への感謝の曲にしたい、という思いを歌にした、というエピソードがありますが、語りの部分はできたものの、曲調のアイデアが全く浮かばず、冒頭の「今も聞こえるあのおふくろの声〜」の部分は、同じ母への想いを歌ってヒットした美輪明宏さんの名曲『ヨイトマケの唄』のメロディをアレンジしたものだそうですね。言われてみれば『ヨイトマケの唄』でも「今も聞こえるヨイトマケの唄〜」と、表現もカブってますね。後年武田さんは直接美輪さんにそのことを謝罪したそうです。美輪さんは武田さんのその潔さに「逆に尊敬しちゃった」ともらしたそうで、微笑ましい決着となってよかったですね。調べてみると『ヨイトマケの唄』のほうも苦境の中から生まれた曲で、美輪さんが同性愛をカミングアウトしてから低迷していた時期に起死回生となった曲のようです。




※2 最後の夢という意味で『ファイナルファンタジー』と名付けられた〜
名付けのエピソードは諸説あるようですが、中でもこれが一番ぐっとくるエピソードですね。ちなみに私が実際にプレイしたFF(ファイナルファンタジー)は、未クリアも含めて7、8、9、10、10-2、12、13です。この中で10が一番思い入れがあります。次に8が好きですね。10はシリーズ初のフルボイスというのもありますが、東南アジアっぽい舞台と、個性的ないくつもの寺院を巡って旅するという観光気分に浸れる楽しさにハマりました。ストーリーも「死」とは何かを考えさせられる哲学的なもので、生者と死者が普通に共存している不思議な世界観はマルケスなどの南米文学の世界を思わせる見事なものでしたね。ミニゲームのブリッツはあまりやってませんが、ハマれば楽しそうですね。8は、それまでマップ移動などでは2〜3等身のキャラが定番だったRPGもののイメージを払拭し、普通の自然なリアリティのある頭身でイベントもマップ移動も全て通していて、世界観への没入をより深めてくれました。ストーリーも学園ものということで楽しいシナリオでした。ミニゲームのカードゲームも面白かったですね。このミニゲーム、途中でルールが変わっていくのは困りましたが、新しいルールは面倒なので無視して最初のルールだけで遊んでました。



メモ参考サイト


posted by 八竹彗月 at 16:43| Comment(0) | 雑記

2023年08月30日

『クロス探偵物語』を延々と語る会

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探偵とミステリー


漫画でもゲームでも探偵もののドラマってむかしから大衆を惹き付ける人気のジャンルですね。ほぼ必ずなんらかの他殺事件が起きるストーリーであるにかかわらず、少年雑誌でもよく取り上げられるジャンルでもあるのは、やはりかつて江戸川乱歩が児童向けの探偵小説に力を入れて人気を博した影響がかなり大きいのでしょうね。現代の名探偵というと、コナンが突出した知名度ですが、人気がありすぎて、アニメ版は1000話を越え、原作コミックスも99巻出てるようなので、コナン少年のまわりでは毎日1件以上の事件が起きてることになりますね。まぁ、それを言えばサザエさんもドラえもんやルパン三世も歳をとらない設定なので、そういった長寿作品に共通する事情による世界観の破綻は必然的に生じることなので、野暮な詮索はやめておきましょう。言いたいことは、それくらい探偵とかミステリー系のジャンルは現代の日本では根強い人気なのだなぁ、ということです。

ミステリーの多くは殺人事件を扱っているので、読んでいて明るい気分になることはないですが、謎が解き明かされていくパズル的な知的快感や、犯人に追われたり、追いつめたりするスリル(※1)など、刺激的な面白さがありますね。最近は精神世界に関心が移っていることもあって、好んで読んだりすることは少なくなりました。とはいえ、探偵小説は事件のスリルや推理のパズル的な面白さだけでなく、夢野久作の『ドグラマグラ』、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』、中井英夫の『虚無への供物』といった日本三大奇書を含む異端文学の宝庫でもあるので、単純に避けて通れない興味深いジャンルであります。

そうしたこともあり、とくに新青年系の昭和の探偵小説には古書マニア的にそそるところもあって、本棚に並べたい欲を刺激するところがあります。ミステリーものを楽しむことにはスピリチュアルな面では漠然と後ろめたさがありますが、つい引き込まれてしまうところがありますね。実際の探偵はけっこう地味な仕事だとも言われますが、フィクションにおける探偵というと、都会の闇にまぎれて生きるダンディな一匹狼的、というようなイメージ(フィリップ・マーロウとか神宮寺三郎的な)があり、ダークヒーローとはいかないまでも、スーパーマン的な肉体的なヒーローとはまた違った頭脳で悪を成敗する知的ヒーローといったかっこよさがありますね。

ゲームの中の探偵というと、今回テーマにあげた『クロス探偵物語』の黒須剣とか、『EVE』シリーズの天城小次郎、『御神楽少女探偵団』の御神楽時人が個人的に好きなゲームの中の探偵です。とくにEVEシリーズで小次郎の育ての親である桂木源三郎がすごく好きで、初代の声が納谷悟朗さんというのもあり、とびきりシブくてカッコイイ典型的な理想の探偵像を描き出しています。『EVE ZERO』の序盤で空港に迎えにきた小次郎の運転する車に乗った源三郎が無遠慮に葉巻をくゆらせ『この香りを楽しまずに死ぬなど愚かなことだ。おお、これぞまさにロメオの香りだ』と納谷悟朗さんのあの超シブイ声でつぶやくシーンがあります。これで急に葉巻に興味がわいてしまって、ちょうど懐具合も羽振りが良かった時期でもあったので、ロメオの葉巻(ロメオ・イ・ジュリエッタ)を味わってみたことがあります。

今はもう何年も煙草は吸ってないのでけっこうむかしのことになりますが、これが本物の煙草の味と香りなのか!と感動した思い出があります。ロメオは英国の有名な政治家、ウィンストン・チャーチルの愛用の葉巻でもあるそうです。有名ブランドの葉巻は一本で普通の煙草がワンカートン買えてしまう値段なので、ロメオは数本程度吹かした程度です。同じ時期に澁澤龍彦に憧れてパイプ煙草も挑戦しましたが、パイプは普通に喫煙するのにもテクニックがいるので、舌を火傷しながら苦戦した思い出があります。パイプ煙草は葉巻とはまた違った喫煙の醍醐味があり、葉巻よりは安価に楽しめるので一時期ハマってました。そういえばパイプもまたシャーロックホームズを連想する探偵アイテムですね。

閑話休題。中学時代に江戸川乱歩にハマって、その流れでむかしは推理クイズ系の本をよく買ってました。まだ金田一少年もコナンもなかった頃ですが、角川映画では金田一耕助シリーズが新作が出るたびに話題になっていたこともあり、また、松田優作のドラマ『探偵物語』などの影響で、子供にも「探偵かっこいい!」というムードがあった気がします。他に乱歩の少年探偵団シリーズをドラマ化した番組もうっすらと記憶に残っていて、内容はほとんど忘れてしまいましたが、オープニングのクレジットで二十面相だけ演者のクレジットが「?」になっていたのが個人的にすごくグッときました。二十面相はドラマでさえ正体を明かさない、というニクイ演出により、本物の二十面相が出演しているかのようなファンタジックな空想をふくらませていました。実際に二十面相を演じていたのは俳優の団時朗さんとのことですが、今年の3月に逝去されていたようで、調べていてびっくりしました。ご冥福をお祈ります。


※1 犯人に追われたり、追いつめたりするスリル〜
スリルといえば不朽の名作、ウィリアム・アイリッシュの『幻の女』をふと彷彿としました。『幻の女』は、最初とくに情報もなくインスピレーションで手に取った作品でしたが、ドキドキするほどのスリルとサスペンス感に引き込まれた思い出があります。妻殺しの無実の罪で死刑を宣告された男と、裁判に不審を感じて男の無実を証明するために走り回る刑事の話です。男が妻を殺害したとされる日時には、男はバーで知り合ったゆきずりの幻の女≠ニデートしていたため、その女を見つければアリバイが証明されるわけですが、ほとんど手がかりの無いためにすんなり見つかるはずもなく、意外な展開をしていきます。死刑執行までのカウントダウンで章立てがされているのも臨場感があってドキドキしながら読み進めた覚えがあります。だいぶ前に読んだきりなので内容はすごく面白かったという印象以外はあまり覚えてませんが、古い作品ながら未だにミステリー系のアンケートで上位にランクインする名作のようですね。いずれ読み直すか映画化されたものを見るかしてみたいです。江戸川乱歩は、まだ本邦未訳だった頃に、この作品を原書で読んで感服し、すぐにでも翻訳すべし!と絶賛したそうですから、『幻の女』の日本での人気は乱歩の影響もそうとうあるんでしょうね。


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学研ユアコースシリーズ『ルパンからの挑戦状』(昭和49年)と『ホームズからの挑戦状』(昭和48年)
凝った編集の推理クイズの本です。表紙の素敵な絵は笠間しろう氏。笠間氏の絵は線に独特の色気があって憧れます。中の本編ではたくさんの個性的なイラストレーターが挿絵を担当していて、絢爛豪華です。


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小学館の学年雑誌『小学三年生』(昭和52年10月号)のふろく『すい理クイズブック・あなたは名たんてい』
表紙の絵は、山根あおおに先生の描く名探偵カゲマンと永遠のライバル、怪人19面相のツーショット。

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異端の探偵小説を並べた本棚の一角です。新青年系の作家は怪し気なオーラがあってたまりません。背表紙を眺めているだけで異空間に誘われるようなトリップ感がありますね。


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『EVE ZERO』(ゲームビレッジ 2000年 プレイステーション)


メモ参考サイト


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クロス探偵物語の話

個人的に推理ゲームのベスト3は、上記にあげた『EVE barst error』『御神楽少女探偵団』と、今回のテーマである『クロス探偵物語』です。ベスト3といっても、ゲーマーと言えるほどプレイした作品数はそれほどでもなく、PS3以降のゲームは遊んでないのでほんとに個人的な好みです。また、『ひぐらしのなく頃に』、『うみねこのなく頃に』も好きですが、推理ものというには変格すぎるので、外して考えました。

というわけで、やっと本題の『クロス探偵物語』(開発:ワークジャム シナリオ:神長豊 美術:玉置一平 サターン版が1998年、PS版が1999年発売)ですが、『クロス探偵物語』といえば作画の玉置一平さんの素晴らしい表現力(※2)を抜きに語れませんね。今でもアドベンチャー系は立ち絵と背景の組み合わせが多いイメージがありますが、クロスでは現代の基準でみても各話ごとに書き下ろしのキャラ込みのグラフィックが贅沢なほど多く、それだけでなく細かいモーションもそこかしこにあり、またキャラの服装も季節やシチュエーションに応じて変化があり、そのとてつもない労力に頭が下がります。おかげでシナリオの没入度を高めていますが、限られたスケジュールの中での作業なのでさぞや大変だったことでしょう。現場スタッフにそうとう細かい注文をつけられてたくさん描かされたのだろうな〜などとブラックな現場を邪推してましたが、当時のゲーム雑誌の記事を読むと、玉置さん自身、この作品にノリノリだったようで、自分から細かいグラフィックを提案してジャンジャン描いていたというようなことが書いてありました。そうなると余計に出るはずだった続編がポシャってしまったのが残念でなりませんね〜

オープニングはピチカートファイヴの『大都会交響楽』に乗せて人物紹介のグラフィックで構成され、期待感を高めてくれます。ゲーム音楽というジャンルがまだマイナーなイメージだった頃なので、リアルタイムに人気のポップアーティストだったピチカートファイヴが起用されてたこともメーカーの力の入れようが伝わってきます。本編の音楽も印象深い曲が多いですね。本編の音楽は、伝説のフォークグループ、「五つの赤い風船」の元メンバーだった東祥高(あずま よしたか)さんによる見事なもので、聞くたびにクロスの世界に浸れます。そういえば忘れてならないのが、エンディング曲。ショパンのピアノ曲「夜想曲 第2番 変ホ長調」というチョイスがニクイですね。余韻があって素晴らしい演出でした。

システム的な部分では、読み込みのタイムロスを劇的に軽減した「マッハシーク」と名付けられた高速データ読み込み技術もウリでしたね。読み込みのタイムロスは、とくに当時はなにげに微妙なストレスをプレーヤーに与えていたゲーム全般における問題点のひとつでしたが、クロスではそうしたストレスを見事に解消したことも地味ながら秀逸な点でしたね。

※2 玉置一平さんの素晴らしい表現力〜
ゲームのグラフィックというと、アニメ調のものが多い中で、あえて青年漫画系の写実に寄せたタッチの玉置さんを起用したところもクロスにハマりこんだポイントでした。時流に左右されない個性的な表現力がすばらしいですよね。雑誌のインタビューでも神長さんがそこのところに言及していましたね。


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セガサターンユーザーのためのゲーム雑誌『GREAT SATURN』(1998年4月号 毎日コミュニケーションズ)。表紙は発売されたばかりのEVEシリーズの新作『EVE The Lost One』の主人公、杏子(左側)とコンパニオンの夏海(右側)のツーショットです。右の記事は『EVE The Lost One』の記事より、天城小次郎のプロフィールカット。

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『クロス探偵物語』の音楽担当の東さんが所属していたフォークグループ「五つの赤い風船」のLPとCD。大ヒットした「遠い世界へ」が代表曲ですが、下町情緒あふれる「えんだん」も泣ける名曲ですね〜


メモ参考サイト
MVがかっこいいですね〜

演奏者は違いますが『クロス探偵物語』のエンディング曲に使われたショパンの名曲です。

『クロス探偵物語』の経歴が抜けていますね。クロスは音楽アルバムとして出なかったからでしょうか。



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第1話「名探偵登場」の話

ここからは各エピソードの感想などを書いていこうと思います。不必要なネタバレはなるべく避けるつもりですが、多少はネタバレを含みますので、気になる方はクリアしてから読んでいただければ安全かな、と思います。プレイする予定のある方はサターン版ではなくPS版を強くお勧めします。

黒須剣といえば声優、草尾毅さんの声でおなじみですが、最初にリリースされたサターン版では黒須剣のパートはテキストのみで声無しだったそうですね。草尾さんのクロスの演技はやたら秀逸なので、声無しバージョンが想像出来ません。第1話は黒須剣の活躍の拠点となる冴木探偵事務所に就職するまでを描きつつちょっとした事件をも解決するチュートリアル的なシナリオです。ゲームの多くはアクションにしろアドベンチャーにしろ序盤はつかみとしての面白さをキープしつつ、基本的な遊び方やキャラ紹介などをいかに退屈させずにプレイさせるかが大事なところですが、この最初の難関をクロスは実に巧みにクリアしているところも名作と呼ばれる理由のひとつですね。

交通事故で逝去した父の残した2億円の生命保険金により、かつて父と住んでいたアパートで何不自由の無い独り住まいをしていた主人公の黒須剣。彼は高校を卒業して冴木探偵事務所で働こうと決心します。この父の事故死は不審点が多く、この謎を解くことが探偵としての剣の当面の目的となるのですが、結局この肝心の謎は続編に持ち越されるので最後まで明かされぬままです。犯人は最初から存在しているお馴染みの人物であることが本格推理もののセオリーですから、なんとなく父の部下で剣の味方であるように描かれている大川さんが実は黒幕では!?と邪推しています。でも続編が期待出来ないので謎が謎のままで終わりそうなのが残念です。

この最初のエピソードでは、冴木事務所に来た高飛車な女子大生の依頼を、冴木の不在をいいことに就職する前に剣が勝手に解決してしまいます。普通はこういう非常識な行動をする人物を雇おうとは思わないはず(※3)ですが、なぜか冴木は怒るどころか才能を評価して剣は見事探偵として雇われることに成功します。冴木先生の海のように広大なおおらかさと寛大さがうかがえますね。剣は事件を独断で解決するまで憧れの冴木先生の顔すら知らない状態なのがナンですが、まぁ、冴木達彦が高名な探偵とはいえ、秘密を扱う職業柄、顔写真をおおっぴらに公開してなかったとしても変ではないのかもしれません。勝手に冴木を神宮寺三郎のようなダンディなちょい悪系のおじさまをイメージしていた剣は、温和な普通のおじさん顔の冴木にショックを受け「わかった!ジジイの面(めん)をつけて変装してるんですね!」と顔の皮を剥ごうとします。このシーンはなかなか笑える名シーンのひとつですね。

第1話はチュートリアルでもあるので、画面(キャラの各部位、頭や服や背景のアイテムなど)をポインタでクリックするとクロスがコメントするという仕組みや、事件の謎に近づくと現れる文字入力などが出てきます。女性キャラの胸をクリックするとマニアックなおっぱいへのこだわりを披露する剣の秘められた内面の声を聞けるのも楽しい部分ですね。あと、笑いをとるためにだけに時々現れるナンセンスなコマンド(第2話ですが、「尾行」をクリックすると「クンクン・・・このかすかな臭いは・・・そりゃ微香だっつうの!」とか)などはEVEシリーズを彷彿としました。

そして事件のキーワードを入力させる文字入力ですが、『クロス探偵物語』では、かなり限定的でマニアックなキーワードを入力させる場面が多々あるので、最初からその単語や雑学情報を知らない人は絶対に当てられないものもあり、クロスの実況をいろいろ見てますが、音(ね)を上げて攻略サイトを見てしまう実況者さんをたまに見かけます。私は運良く、というか、世代的には知ってる率が高いキーワードばかりだったので普通にクリアできましたが、何度も再プレイしているうち、「もしワザと間違えるとどうなるんだろう?」というのが気になり、文字入力でわざと何度も間違えてみたことがあります。結論からいうと、間違えるたびに剣がちょっとずつヒントを出してくれるようになり、それでも間違えると最後には勝手に答えを言ってくれます。数えてないですが、だいたい10回くらい間違えると正解を勝手に言ってくれます。なので、文字入力に関していえば、絶対詰まることは無く、答えを知らなくてもクリアできるようになっていました。上手く出来てるな〜と感心しますね。昔のゲームは不親切で鬼畜難易度の作品も多々ありますが、『クロス探偵物語』はそういう意味でも時代を先んじたユーザビリティを感じます。

鬼畜難易度といえば、H・R・ギーガーがグラフィックを手がけたことで話題になった知る人ぞ知る『ダークシード』(セガサターン ギャガ・コミュニケーションズ 1995年)という作品を思い出します。あまりに無茶な難易度の不親切極まりないゲームのため、付属の説明書にクリアまでの攻略法が全部書いてあるというめちゃくちゃなゲームでした。(しかも攻略を読んでもクリアするのはけっこう手こずったです)システム的な面は難がありまくりの作品ですが、シナリオやグラフィックは独特の世界観があり、現実世界と重なって存在する異次元の裏世界と行き来する設定などは、サイレントヒルの世界観を先取りした見事なアイデアだったと思います。むかしゲーム屋さんの100円ワゴンでゲットした記憶がありますが、さきほどアマゾンで検索してみたら5000円近いプレミアがついていました。今頃何がきっかけで注目されてるのか謎です。有名実況者さんがプレイ動画でもあげているのでしょうか?たしかにツッコミどころが多いので、実況向けにはいいネタになりそうなゲームです。

※3 非常識な行動をする人物を雇おうとは思わないはず〜
事務所の社員でもない赤の他人が事務所への依頼を勝手に受けて勝手に解決し報酬まで受け取ろうとするという、考えてみれば剣はかなりの非常識な行動に出てます。しかし、序盤の友子のセリフ「また、あんたなの?」から察するに、これ以前からたびたび冴木の留守の間に事務所に来て冴木への弟子入りを懇願していたことがうかがわれます。当然友子はそのことを冴木にも伝えていたでしょうから、冴木も自分に弟子入りしたがってる黒須剣という青年がいるということは事前に知ってた可能性は高いでしょう。「ゆがんだ名門校」のエピソードの序盤では、剣の父が警視庁きっての敏腕刑事であったことを冴木は当たり前のように言及していたことからも、最初から黒須という姓からピンときて剣の素性を把握していたのかもしれません。そういう背景を含めて考えれば、剣に多少非常識にみえる行動があっても、伝説のスゴ腕の刑事の息子に興味を持ち、むしろ剣の探偵としての資質や能力がいかほどのものなのかが気になり、それを見極めたいがゆえにあえて剣の勝手な捜査を放置していたのでしょう。依頼者と打ち合わせ中の剣の前に突然現れて助け舟を出す冴木のシーンからもそれがうかがえます。最初プレイしたときは、事件解決後に冴木から送られてきたなぞなぞFAXが推理力を試す試験というのはどうなのか?と思ってましたが、むしろ本当の試験は女子大生の依頼を解決した時点ですでにクリアしており、FAXのなぞなぞは剣の歓迎会をするためのたんなる余興にすぎなかった、というのが真相なのでしょうね。冴木が剣の弟子入りを「弟子を取らない」というポリシーを曲げてまですんなり認めたのもおそらくそのような事情からなのかな、とフト思いましたので、追記しました


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雑誌『GREAT SATURN』(1998年4月号 毎日コミュニケーションズ)より。
『クロス探偵物語』の企画、監修、シナリオを担当した神長豊氏のインタビューコラム。

メモ参考サイト
どうも現在はゲーム業界を引退しているとのこと。現在はキャンピングカーの制作販売を行う会社を経営してらっしゃるようです。もはやクロスの続編は叶わぬ夢ですが、せめて剣の父を殺めた黒幕は誰だったのか?とか、当時構想してらしたアイデアだけでもお聞きしたいところですね〜

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第2話「疑惑」の話

推理ゲームの中ではけっこう爽やかな青春ものっぽい触感のある『クロス探偵物語』ですが、事件そのものはけっこうヘビーだったり、グロかったり、シチュエーションとしてきわどいもの(SMとか制服フェチとか)の言及などもところどころあったりします。それでもなお爽やかさが印象として残るところが不思議ですが、これは剣や友子やマークなど、飄々として爽やかな主要キャラたちのイメージによるものなのでしょうね。玉置一平さんのすばらしさは、主要キャラだけでなく、チョイ役のキャラにも手を抜かず、ちょっとしか出番の無いキャラでもものすごいインパクトがあって、クリア後でもすぐ思い出せるくらい濃いキャラをたくさん表現しているところですね。

先の第1話で印象的なちょい役キャラは、いかにも怪しそうな当て馬キャラの石井(アンガールズ♀エのある依頼人の女子大生の元ボーイフレンド)ですね。この第2話でもショートカットの美少女、広川千絵里ちゃんを何度もナンパしてくる変な不良3人組がインパクトありましたね。とくにセリフの無い背後の赤い髪に黄色いサングラスの男がシュールで独特の存在感があります。「ヒロスエのパンツ」に釣られる不良グループというシチュエーションが時代を感じますね。喫茶店にいるモブキャラまでいちいち妙に凝っていてすごいです。この後のエピソードでもいい味を出している脇役がてんこ盛りで、玉置さんの並々ならぬ才能を感じます。

このエピソード(※4)では、警察に自殺と処理された銀行員の男の母親が、冴木事務所に息子の死にどうしても納得がいかず、他殺であることを証明することを依頼にやってくるところから始まります。この事案も剣が冴木から調査を任され奮闘するシナリオで、銀行員の男が当時世間を騒がせた「完全自殺マニュアル」(鶴見済著 1993年 太田出版)らしき本に書かれている通りの方法で自害したという状況が提示され、なにかと当時としては時代を反映した描写が多い印象がありますね。

調べてみると元ネタになったこの本は100万部を超えるミリオンセラー(※5)を記録したそうです。ゲーム内で友子はこの本を「ああ、あの悪趣味な本ね」と否定的に一蹴しますが、件の元ネタの著者、鶴見氏によれば、どんなに苦しい状況でも強く生きることを求められる社会の風潮に異議を唱え「いざとなれば自殺してしまってもいいと思えば、苦しい日常も気楽に生きていける」ことを提唱するのが目的である、というのがこの本の本旨のようです。とはいえ中身は自殺マニュアルですから、案の定否定的な意見が多く、マスコミからもバッシングされました。そうした批判的な状況とは裏腹に、実際にこの本が発売された年とその後の2年間は自殺者の総数は減少していたらしいです。著者の意図した結果を生んだのだとしたら、まぁ、良かった部分もあったのかもしれませんが、とはいえ人によっては劇薬みたいなものですから個人的に思うには、安易に手にとるのはおすすめできない本には違いないです。

実際に自殺するとどうなるかを直視することで逆説的に自殺する気をなくさせようという、この本の本旨が本音なのかどうかは置いておいて、こうした不道徳と一般に解釈されることが蓋然的な本は、なんらかの肯定的な意味付けをしないと社会に受け入れられないために、実際は扇情的にショッキングな表現を見せたいだけの表現であっても世間的反発を避けるためにエクスキューズとして肯定的な意味付けがされることはままありますので、判断が難しいところです。仏教における密教も秘密の教えだけあって一般人がみればとんでもない危険な教えがありますが、件の本もそういった扱いの難しさはあるだろうと思いますし、一部の人には薬になっても、一般には毒であるのかな、と思います。

ほかに考えられるのは、この本の中身は一種のレア情報の集積でもあるので、深刻な意味ではなく、ただ珍本奇本的な意味で読書マニアが手に取った、というのもあるかもしれませんね。スピリチュアルな観点では、自殺するとこの世でクリアすべき課題が来世に持ち越されるので、来世の人生がどんどんハードモードになりますよ、ということはよく聞きますね。確かめようのないことですが、人生を諦めずに人生を良くしていくためにがんばってみようとする助けに少しでもなるならば、そういう思想を受け入れてみるのもアリかと思います。ブッダが悟ったように、この世はそもそも全ての生命が必ず何らかの苦を体験するような世界なのですから、縁合って同じ時代に同じ世界に生きている人間同士、互いに助け合って少しでも安楽で幸福な状況を作り上げていきたいものです。というか、人の生きる意味というのは、互いに助け合いながらこの世を天国に近づけていくことなのかもしれません。

閑話休題。このエピソード「疑惑」では、クライマックスに探偵ものではお馴染みの、容疑者を全て集めての謎解きタイムがあります。金田一少年やコナンなどでもよく見るフィクションにおける探偵ものでは、お約束のシーンですね。しかし現実的に考えると、かなり妙な場面でもありますよね。絵面としては徐々に追いつめられる犯人の反応や、推理を分りやすく見せるための王道シーンではありますが、実際には関係者すべてに推理を披露する必要はないですからね。関係者全員が探偵の推理ショーにスケジュールを合わせて集まれるかどうかもけっこうハードルの高い条件のようにも思えますし、探偵の推理タイムに集合かけられた時点で犯人が意気消沈してしまって推理途中に白状してしまったら推理の段取りが中途半端なまま犯人が警察に拘束されてしまう、なんてこともありそうです。また、このエピソードのように、みんなが衆人環視の状態で息子の恥ずかしい性癖をバラされるとなると依頼者の気持ちはどうなるのか?(※6)とか、余計な想像をいろいろしてしまいそうになります。こういうのは意地の悪い野暮な詮索そのものではありますが、ネタ的な意味で考えてみました。こうした詮索をつきつめていけば、探偵の推理ショーを台無しにすることをテーマにしたギャグ漫画とかのアイデアとして使えるかもしれませんね。気分がのったら4コマ漫画とかで、数種類の推理ぶちこわしパターンをオチにしたものを描いてみたいものです。

※4 このエピソード〜
この第2話は、被害者が遺した手帳のアドレス帳に書かれた名前と電話番号から容疑者を絞り込んでいくシーンや、容疑者宅への張り込みや尾行など、クロスの全エピソード中もっとも探偵っぽい行動が多いシナリオで、剣の行動を通してプレイヤーに探偵になったかのような気分を疑似体験させてくれます。ストーリー的には地味なエピソードであるものの、プレイヤーをもっとも探偵っぽい気分にさせてくれるシナリオでもあり、次のシナリオに繋げるモチベーチョンを否応なく高める見事な構成に感服します。

※5 100万部を超えるミリオンセラー〜
90年代あたりの時代は、露悪趣味なサブカルチャーが流行った時代でもあり、『悪のマニュアル』(1987年 データハウス)とか、『危ない1号』(1995年 データハウス)や、『ザ・殺人術』(ジョン・ミネリー著 1993年 第三書館)をはじめ、あのインテリ御用達の文芸評論誌の『ユリイカ』(青土社)まで『悪趣味大全』と銘打った増刊号を1995年に出しているほど悪趣味がブームでした。ハッキングをテーマにした雑誌『ハッカージャパン』(白夜書房)の創刊も1998年でしたね。
根本敬さんの全盛期も90年代前後ですし、電波系という言葉もサブカル界隈で流行ってましたね。特殊翻訳家*下毅一郎さんが殺人鬼に関する雑学本で著書を発表していたのもこの頃ですね。また、美術やクラシック音楽などをテーマに分冊百科方式のシリーズを刊行していたことで有名なディアゴスティーニのシリーズでもこの時代には世界の殺人鬼を毎週紹介していく『週間マーダーケースブック』(1995年〜1997年 ディアゴスティーニ)という悪趣味なシリーズを刊行していました。振り返るとこの時代、かなり悪趣味≠ェブームだったことをうかがわせます。
カルト教団によるテロ事件があったのもそういう時期でしたし、日本全体として何かと業の深い時代だったのでしょうね。鶴見氏の『完全自殺マニュアル』もそうした時代背景の中で出版されたわけで、特別奇をてらって出版されたわけではなく、悪趣味ブームに乗って出されたものなのでしょう。しかし、悪趣味ブームとはいってもサブカル界隈の話なので、さすがに自殺を教唆しているともとられかねない件の本はそうした時代の中でさえ目立ってしまい、マスコミにバッシングされ、『クロス探偵物語』でも引用されるくらいに社会現象化してしまうことになってしまいました。

※6 依頼者の気持ちはどうなるのか?〜
被害者の務めていた銀行の同僚や上司がこの場面では集まってましたから、さすがにその場で被害者の性癖を暴露するのは、まだ探偵としての場数の少ない剣の暴走っぽい印象もうけましたね〜 それはそれとして、クロスのウィキをなんとなく読んでたら、このエピソードに登場する依頼者の高松洋子とその息子であり被害者の春彦はモデルがあるということで、初耳だったので驚きました。往年の大ヒットドラマ「ずっとあなたが好きだった」(TBS 1992年)に登場する佐野史郎さん演じる冬彦が春彦のモデルで、お母さんの野際陽子さんが春彦の母のモデルのようですね。キャラの顔を似せてないので気付きませんでしたが、たしかに冬彦と春彦という名前や、お金持ちのボンボンでマニアックな性癖の持ち主というところ、母親が厳しそうな和服の女性、などなど共通点が多いですね。

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雑誌『GREAT SATURN』(1998年4月号 毎日コミュニケーションズ)より。
『クロス探偵物語』のレビュー記事。発売前のサンプルロムから第2話を紹介しています。

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雑誌『GREAT SATURN』(1998年4月号 毎日コミュニケーションズ)より。


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第3話「ゆがんだ名門校」の話

クロスでの好きなエピソードのひとつです。第3話「ゆがんだ名門校」、第5話「紺碧の記憶」、第6話「タランチュラ」の3本は個人的に好みのシナリオです。というか、クロスをクリアしたプレーヤーなら好きなエピソードとなるとだいたいこのラインナップになるのではないでしょうか。この3本にはグロシーンがところどころあるのがちょっときついところですが、この3本はどれもクロス探偵物語の世界観を体現した甲乙つけがたい面白いシナリオですよね。

「ゆがんだ名門校」では2話に登場した不良にからまれていた千絵里ちゃんの母校、女子校の「エリス女学館」が舞台で、女生徒ばかりの秘密の花園で巻き起こる連続怪死事件の調査が今回の剣のミッションになります。ここから女性キャラの中でクロスファンに人気の高い高梨まゆなちゃんが登場します。まゆなは日本一有名な推理作家、高梨呂秋の孫娘というブルジョワ女子ですが、文武両道の正義感の強い利発な女の子で、千絵里と共にこの後のエピソードにも引き続き登場して花を添えることになります。

このエピソードに登場するキャラもまた個性派揃いで楽しいですね。チンピラ刑事の林田とか、明らかに某女優をモデルにしたのであろう保険医の松井泰子(※7)とか。中でもエリス女学館の学長、大野玉代のキャラがインパクトありすぎて夢に出そうな迫力があります。その有無を言わせない高飛車なおばさんキャラの大野に剣もタジタジで、彼女とのやりとりはとても面白かったですね。学長室でのコマンドで「つき合って」というのをクリックすると剣に指差されて「お前がつき合え!」とプレーヤーが怒られたり、「スリーサイズ」を聞こうとすると「死んでも聞きたくない!」と剣にキレられます。こうした推理とは無関係な部分にも遊びがあるのがいいですよね。

他にイイキャラというと、エリス女学館の理事長でもあり、高名な推理作家の高梨呂秋の後輩でもある頑固者のスキンヘッド老人、中村も印象深いですね。中村老人のボディガードが北斗神拳でも使いそうな胸に七つの傷のある男だったり、忍者のような身体能力の家政婦がいたりなど、3話目も絶妙にシュール感のある印象的なチョイ役も豊富なすばらしいエピソードですね。

本筋の推理にしても、事件の発端となるふたりの教師の死因がどちらもガンで亡くなるのですが、もし意図的な殺人なら、どうやってターゲットをガンにしたのか?という疑問が残ります。この難攻不落にも思える怪事件を、大野学長や刑事の林田の捜査妨害とも思える限定された行動条件と、数日という短い期間に犯人とそのトリックを暴き出さなくてはならないという、とてもスリリングなシナリオで、プレイヤーもこの3話目くらいから一気に『クロス探偵物語』の世界に引き込まれていきます。

ここでの文字入力のキーワードは犯人がターゲットを意図的にガンにするためのトリックのキーになるワードで、一見難易度が高そうに見えますが、何周もしてると、保険医の松木泰子との会話の中で何度もキーワードが出てくることに気付きます。ちゃんと事前にヒントが会話の中で何度も出てくるので注意深くプレイしていれば意外とすぐ気付いてクリア出来そうなパートかもしれませんね。

犯人が冷酷な殺人を続けた動機が明らかになってくると、やはりそれなりに犯行に駆り立てるだけの背景があることが分るので、犯罪に手を染めるのは間違った選択だとは思いますが、間違いを犯してしまった犯人にも同情的になりますね。このエピソードで犯人の用いたトリックは、けっこう斬新な不可能犯罪のアイデアに思えます。もし元ネタが無く、このトリックがクロス探偵物語のオリジナルのアイデアなのだとしたらかなり凄い発想だな、と思いました。

※7 保険医の松井泰子〜
名前と顔から容易に女優の松雪さんがモデルだな、というところまでは気付いたんですが、どうもその先があったようで。『名探偵保健室のオバさん』(宮脇明子 1996年 集英社)という漫画を原作にしたドラマが元ネタみたいですね。今頃になってそれを知りました。件の女優が主人公を演じていたみたいで、眼鏡も髪型も元ネタはそこからみたいですね。(たしかにそっくり! Google画像検索)


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雑誌『GREAT SATURN』(1998年4月号 毎日コミュニケーションズ)より。
発売延期のお知らせの記事。画像は「ゆがんだ名門校」からのキャプチャーで、ここは剣が校内を調査してるシーンですね。美女3人組のあんなところやこんなところをクリックすると剣がうれしそうに反応してくれるユーモラスな場面です。

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第5話「紺碧の記憶」の話

第4話「依頼者」は、ただシナリオを読み進めるだけのパートで、プレイヤーが推理するところはなく、ティーブレイク的なエピソードなので、とくに語ることはないため飛ばして第5話「紺碧の記憶」について語ろうと思います。

このシナリオは、『サクラ大戦』などアドベンチャーものでよくある夏のバカンスパートです。夏!海!水着の女子!といったサービスシーンを盛り込んだ華やかなエピソードで、賑やかで楽しい雰囲気に包まれながら和やかにスタートします。

このエピソードから日本一有名な推理作家という設定の高梨呂秋先生が登場します。呂秋先生も想像してたよりも温和なキャラでしたね。脇役もルパン三世の出来損ないみたいな刑事が印象的でした。高梨呂秋の名推理にいちいち反応して頬を赤らめながら「はぁぁ〜素晴らしい!さすがは呂秋先生!」とつぶやくシーンが印象的でしたね。日本の警察が所持している拳銃はスミス&ウェッソンのJフレームリボルバーということですが、このルパン刑事のピストルはちゃんとワルサーp38になっていて、細かいユーモアに頬が緩みます。ルパン刑事のジャケットの色が初代ルパンの青緑なのもツボでした。

このエピソードで事件の舞台になるのは断崖絶壁に立てられたホテルという、これまたミステリーものの古典にありそうな既視感の舞台でわくわくしました。友子の姉で人気モデルの美麗さんが伊豆のゆきが浜≠ナCMの撮影をしているいうことで、美麗の水着が見たくてたまらない剣は夏休みの休暇にゆきが浜を強引に提案します。ちょうどまゆなの祖父、呂秋先生の別荘が伊豆にあるということで、剣、友子、千絵里、まゆなの4人は高梨家の執事の太田の運転する車で伊豆に向かうことになり、呂秋の別荘で豪勢な食事を堪能します。先に伊豆に来ていた美麗の宿泊しているのは断崖のホテルなので、興味半分にホテルを見にいくことになった剣と美麗と友子は呂秋に借りた車でホテルに向かうことになります。そしてこのホテルで事件(※8)が起こることになるのでした。

ここではホテル内の探索が今までのエピソードにはなかった3Dダンジョンのパートになっていて、プレーヤーを退屈させないための仕掛けを次々に出してくる制作者の熱意が伝わってくるような感じがして、クロスの世界により深く没入していきました。剣や友子のいる最中に犯人があざ笑うようにCMの撮影スタッフが次々と凶刃の犠牲となっていく連続殺人事件、一刻も早く犯人を暴きこれ以上の犠牲を食い止めねば!という状況がスリリングなエピソードです。

このエピソードで忘れてはならないキャラは美麗さんのマネージャーの笠村さんでしょう。いかにも当時のバブル時代の業界人をカリカチュアライズしたキャラですが、嫌みなところがなく憎めないキャラですよね。藤田嗣治感のあるおかっぱ頭と丸めがね、額のホクロ、真っ赤なシャツに真っ青なネクタイという、当時流行っていたパーソンズとかKファクトリーなどのデザイナーズブランドを思わせる派手なファッションに身を包み、どんなシチュエーションにおいても妙にポーズを決めたがる超個性派キャラで、陰惨な事件の渦中において、ちょいちょい安らぎを与えてくれる味わいのあるキャラでした。

まゆなが剣にゆきが浜≠フ名称の本当の由来を話すラストシーンがロマンチックでしたね。まゆなもまた剣に惹かれていることを匂わすシーンですが、千絵里が剣にベタ惚れであることをふまえ、親友の気持ちを裏切ってまで剣にアタックすることもできずに、葛藤し、想いを押し殺そうとしているようなニュアンスも絶妙に表現していて、いじらしくも切ない感じの名シーンでしたね。


※8 ホテルで事件〜
ホテルの客の中でひとりだけ誰とも交流せずすぐ自室に篭ってしまう謎めいた人物、若林が最初に犯人だと疑われるという序盤の展開は、『かまいたちの夜』のヤクザ風の男、田中一郎を彷彿としますね。田中も室内でもサングラスを外さず誰とも交流せずに人目を避けている怪しい人物で、かまいたちでもしょっぱなからうさん臭い雰囲気を出していた人物ですよね。えてしてこういう怪しすぎる人物はフィクションの世界では絶対犯人ではないので、逆にプレイヤーがそういう人物を最初にノーマークにしてしまいがちです。また、必要以上に人目を避ける人物は、別の誰かの一人二役などのなんらかのトリックが疑われがちですが、クロスでは、そういうプレイヤーの思惑を見越した秀逸な展開で、若林というキャラの意外な使い方をしていて「やられた!」と思いました。


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第6話「満月の夜に」の話

第4話「依頼者」は選択肢の無いサウンドノベルといった毛色の違うパートでしたが、このエピソードも、オフィスビルの3Dダンジョンの中をパズルを解きながら最上階を目指してひたすら昇って行く異色のエピソードでしたね。シナリオ的には単調で、セキュリティのために仕掛けられているいくつかのパズルもほとんど作業っぽくて、正直面倒くさいパートですが、途中途中にクリアには関係のないユーモラスな小ネタがちりばめられていて、それが面白いものばかりなので、それがクリアまでのモチベーションになった感じでした。オフィスで偉い人が座ってそうな高価な椅子を見つけた剣が、自分と美麗さんのオフィスラブを妄想して一人芝居をはじめる場面は最高でしたね〜


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第7話「タランチュラ」の話

最終話だけあって、分岐がいくつもある実に凝ったシナリオでしたね。奇術でいう「マジシャンズ・チョイス」の仕掛けをシナリオ分岐で表現したような感じで、奇術で行われるようないわゆる予言のトリックをストーリー仕立てにしたシナリオになっていて、ほんとうに見事なシナリオでした。

この最終話に来て初登場のキャラ、マーク・スペンサー(マーク・レイマン)が主役を食うような勢いで颯爽と登場しますが、おそらく続編ではマークは剣と組んで大活躍する予定だったのでしょうね。続編が出ないのが返す返すも残念でなりません。

森の中にポツンと建てられた鹿鳴館と呼ばれる屋敷に招待された剣をふくめた11人が、次々に姿を見せぬ謎の殺人鬼モンスター≠フ餌食になっていきます。殺される順番が偶然にしか見えないような事件が連続して起こるエピソードですが、モンスターは殺人が起こるだいぶ前から屋敷の中に殺害する人物の順番を予言したアイテムを残していることが後に発覚します。殺人のトリックもさることながら、なぜモンスターは偶然に思える犠牲者の順番を前もって予知できたのか?という謎が最後まで残る不思議なシナリオです。この最後の謎は、すべての分岐をクリアすると、エンディングの後にマーク・スペンサー(声・井上和彦)がいつもの美声で全ての謎を解き明かす解答編の隠しシナリオが出現するという仕組みです。

最終話にふさわしい見事なシナリオですが、ただいくつかのトリックのうちのひとつは当時信じられていたサブリミナル効果がキーになっているものがあり、当時は違和感はなかったのですが、今の視点でみると再現性の低いトリックでしょうね。当時思われていたほどサブリミナルの効果については実際にはまだ解明されきっていない部分が多く、追試実験ではあまり効果は期待出来なさそうな微妙な結果も出てるようです。とくにゲーム中で行われたようなサブリミナルによる誘導は実際には再現はかなり困難だと思われます。

サブリミナルの研究は19世紀半ばからあったそうですが、1957年9月から6週間にわたって行われたとされる有名なポップコーンとコーラの例の映画館での実験の話が刺激的な内容であったことから一気に認知されるようになりました。しかし、例の有名な実験は後に懐疑的にみられるようになっていきます。データの信頼性を含め、実験自体が実際に行われたかどうかもはっきりしていないようで、その真偽が取沙汰されていますね。ただ、まったく効果が無いわけでもないらしく、今後の研究が待たれるところです。

『クロス探偵物語』の発売される2、3年前あたりは、地下鉄サリン事件で日本中大騒ぎしていた頃で、そうした中、犯行を指示した某教団の教祖の顔が著名なTVアニメで一瞬挿入されていたということが発覚してマスコミの話題にもなりましたね。サブリミナルにどこまでの効果があるのかは未解明にせよ、意図しないメッセージを刷り込む手法は公的な放送メディアのあり方としてはアンフェアなことには違いなく、放送メディアにおける国内基準としてサブリミナル的な手法を禁じる旨をNHKが1995年に、民法が1999年にそれぞれが明文化する運びになります。そうした流れでサブリミナルという言葉が90年代後半は一般にも一気に注目されるようになりますが、そうした背景を含めてみると「タランチュラ」のエピソードにおける例のトリックも、そうした時代のタイムリーな空気を感じますね。

他には赤緑色覚異常の蘊蓄も興味深いネタでしたね。色覚異常のほとんどは男性であるというのもクロスのプレイで初めて知りました。調べてみると、先天色覚異常は日本人男性の20人に1人(5%)、日本人女性の500人に1人(0.2%)とのこと。原因は女性の場合X染色体のふたつともが色覚異常の遺伝子を持つ場合に色覚異常になりますが、男性にはX染色体はひとつしかないために発症率が女性より格段に高くなってしまうということのようです。

こうしていろいろ振り返ってみると、『クロス探偵物語』、時代を反映しつつも、時代を超えようというチャレンジ精神に満ちた名作ゲームのひとつといえるでしょうね。ということで、今回は大好きな思い出深いゲームのひとつである『クロス探偵物語』について、思いの丈を存分に語らせていただきました。ご清覧ありがとうございました。


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雑誌『GREAT SATURN』(1998年4月号 毎日コミュニケーションズ)より。
『クロス探偵物語』の開発メーカー、ワークジャムのオフィスを直撃インタビュー。質と量を見事に両立させた功労者、グラフィック担当の玉置一平さんの制作中の裏話が興味深いですね〜



メモ参考サイト



posted by 八竹彗月 at 23:54| Comment(0) | ゲーム

2023年08月04日

最近見た映画の話

ここ最近久しぶりに立て続けに映画鑑賞したので忘れないうちに感想でも残しておこうと思い立って、見た映画の中から面白かったものをピックアップしてレビュー記事のようなものを書いてみることにしました。

映画鑑賞といってもDVDですが、そういえばここ最近映画館に行ってないですね〜 直近ではアニメ映画の「アシュラ」(2012年)を映画館で見たのが最後なので、かれこれ10年くらい足を運んでいませんね。昔はイメージフォーラムのシアターで寺山修司の実験映画やブラザーズ・クエイのクレイアニメなどを見たり中野の怪し気な映画館でジョン・ウォータースの『ピンクフラミンゴ』を見てトラウマになったりと、そこそこ行動的でしたが、ここのところは自宅で見られるDVDなどのコンテンツも豊富なこともあってか映画館から足が遠のいています。よほど気になる作品があれば別ですが、やはり自宅でのんびりくつろいで見れるDVDが性に合ってるようです。今ではサブスクが主流のようですが、毎月見たい作品があるわけではないので、自分的にはレンタルやセルのDVDで見るほうが安上がりです。何年も全く映画を見なかったり、ふと気まぐれで一気に何本も見たりするような感じなので。レンタルビデオといえば最近はめっきり店舗数も減って、残った店も規模が小さくなってしまい、古い名作映画やマニアックな作品は直接DVDを買うとかしないと見れなくなってきましたが、話題作や人気作くらいはさすがにおさえてあるはずなので、逆にハズレを引くことも少なくなったと思えば良いのかもしれません。ということで、さっそくレビューに移りたいと思います。


ハッピー・デス・デイ
(2017年/アメリカ/クリストファー・ランドン監督)

インパクトのある不気味なお面の宣伝アートにビビりますが、レビューを読んでる限り、スプラッタもグロもなく、ホラーというほど怖くはなく、笑えるシーンすらあるとのことで、めっきりホラーが苦手になってしまった昨今の私でも問題なく見れそうなので見てみました。怖くないホラーというと、それってつまり面白くない映画ということでは?となりがちですが、この映画の場合は、怖いお面を被った殺人鬼という、「ホラー映画のお約束的な外形を踏襲したループもののSF青春映画」といった感じのユニークな作品でした。

自分が殺される1日間を何度もループする主人公のツリーですが、そのうちどうせ殺されるんだから何をやってもリセットされるんだし無茶苦茶やっちゃってもOKなのでは!?ということに気付いたツリーは、真昼のキャンパスのど真ん中で全裸で闊歩したりなど、SNSで炎上する方々のやりがちなことに挑戦しはじめます。ループもの作品を見ていていつも思う「自分だったらどうするだろう?」というのを様々な角度で実践してくれている感じが面白いですね。ひぐらしなどの往年のループものと違い、ループのスパンが一日と短いため、頻繁にループするのが新鮮で面白かったです。死ぬたびに毎回若い男のベッドで目覚めるのですが、ループするたび受け答えがちょっとづつ変化していくのが笑えますね〜 何度も殺されてるうちに慣れてきたのか不気味な殺人鬼に正面から物理攻撃で反撃していくところが新鮮ですね。この強い女性と意外と弱そうな殺人鬼という取り合わせもユニークで楽しかったです。

一応、死ぬたびに前回の死のダメージが蓄積されていくようで、無限に蘇れるわけじゃないらしいことに気付いた主人公は本気になって自分を殺した犯人をつきとめようと推理しはじめます。そうしたミステリー的な謎解きの面白さもあって、最後まで飽きずに一気に見れました。美術に関してはお面に力を入れてるくらいで、他はいかにも低予算のB級感があって芸術性は無い作品ながら、気負わず気軽に楽しめる娯楽作品としてはなかなかの作品だと思いました。殺害される瞬間は見せないなど、ホラー耐性のない層への気配りにも好感です。ループを通して主人公の内面的な成長を描いているのが良かったですね。ホラー関連では、最近話題の「ヴァチカンのエクソシスト」も面白そうですね。70年代にヒットしたウイリアム・フリードキンの『エクソシスト』は、マイク・オールドフィールドの素晴らしいテーマ曲も手伝って個人的に印象深い作品ですが、単なるホラーを超えて、善と悪との戦いという抽象性の高い哲学的な部分を具体的にビジュアルに表現したところが琴線にふれました。


イップ・マン 完結
(2020年/香港/ウィルソン・イップ監督/ドニー・イェン主演)

イップ・マン・シリーズは多いですが、やはりドニー・イェンのイップ・マンは格別ですね。ブルース・リーの師匠であったイップ・マンを主人公に据えたカンフー映画『イップ・マン 序章』(2008年)のヒット以来、数々のイップ・マンの映画が作られましたが、ドニー・イェンの演じるイップ・マンは『序章』『葉問』『継承』ときてこの4本目の『完結』で最終作になります。

今回はガンに冒され余命少ないイップ・マンの晩年を描いています。息子との親子愛を軸にした物語で、息子の留学先を見つけるために渡米するイップ・マン、すでにアメリカで成功しているブルース・リーとの交流を描くシーンも多く、今作も興味深いシナリオとなっています。数あるバトルシーンも見事で、キレのあるカンフーアクションは見ていて気持ちいいですね。

イップ・マンは実在の人物ですが、映画は史実に忠実であるより娯楽性を重視してほぼオリジナルストーリーになってます。ブルース・リーとアメリカで再開するエピソードもおそらく創作だと思いますが、まぁ、過去の偉人たちと同様に、いろんな尾ひれがついて神格化されていく過程をリアルタイムで見届けているようなところもあって面白いですね。

香港に残してきた息子の面倒を友人のポー刑事(ケント・チェン)に頼み、渡米したイップ・マンは、毎晩10時に自宅に来てもらっているポー刑事に電話を入れるのですが、このポー刑事がすごくイイ味の役者で、すごく惹かれました。ドニー・イェンの他のイップ・マン・シリーズにも出演していますが、このポー刑事役のケント・チェンはウィルソン・イップ監督の下積み時代にとても良くしてくれた恩人でもあるそうです。香港のイップ・マンの自宅で電話番をしているだけの地味な役所ながら、その人間味溢れる魅力的な演技に癒されました。

そういえば、ジャッキー・チェンの『蛇拳』『酔拳』の師匠役で知られるユエン・シャオティエンも素晴らしい存在感の役者でしたね。ジャッキーの演技と同等くらいにこの方の演技もほれぼれして見てました。師匠役をこなすだけあって香港映画界で初の武術指導をした人物でもある達人のようです。wikiによれば、武術指導というと、とくに彼の活躍していた時代は体罰当たり前みたいな風潮だったそうですが、シャオティエンは弟子や役者を殴ったりして教えるようなことは一切なかったそうで、そういう面でも周囲の人から尊敬されていたそうです。香港映画には、日本にはあまり見ないこういうタイプの味わいのある役者がたびたび出てくるので楽しいですね。

実際のイップ・マンの人物像も、やはりユニークで実直な方だったようですね。

表情だけを見ても、歳をとるたびに味わい深い素敵なイイ顔になっていきますね。

ジャッキー・チェンの『蛇拳』『酔拳』の師匠役の人。


カンフー・ハッスル
(2005年/中国、アメリカ/チャウ・シンチー監督・主演)

事前情報無しで、ジャケットの紹介文程度を斜め読みして勢いで借りた作品でしたが、思いのほか面白く、個人的にはかなりの掘り出し物でした。強い男になりたいということが行動原理の主人公のシン。強さに異常に憧れる原因は幼い頃のイジメ体験でした。唖者の少女がいじめられているのを助けようと、覚えたてのカンフーでガキ大将グループに喧嘩を売るがあっさりやられてしまい、屈辱的な仕返しをされたというトラウマがシンにあります。そのトラウマが冷酷非道なギャング団に憧れて不良の道を突き進むきかっけになったのでした。

とある貧民窟となっているボロアパート(といってもどことなく世界遺産「福建土楼」を思わせる凝った建築の貧乏長屋で、建築としても面白い造形です)に恐喝に出向くシンとその相棒でしたが、そこはただのボロアパートではなく、カンフーの達人たちが住んでいるとんでもないアパートだった!というのが序盤です。ここから凄まじいトンデモ展開をしていくのですが、さすがは『少林サッカー』で名を馳せた監督だけあって、『少林サッカー』の上を行くトンデモ展開と、ベタながらも心がキュンとするペーソスが実に巧みに構成されていて、心地よい笑いと感動を体験させてくれました。

男塾を実写化したような中二病全開のシュールで痛快な数々のバトルシーンは圧巻です。クライマックスの大技「如来神掌」のとてつもない壮大な奥義は、前代未聞の最高の迷シーン(褒め言葉)でした。感動と笑いを同時に感じさせてくれる希有な作品でとても楽しかったです。


ブータン 山の学校
(2019年[日本公開2021年]/ブータン/パオ・チョニン・ドルジ監督)

世界一幸福度の高い国として知られるブータン。そのブータンの僻地にある電気も通っていないヒマラヤ山脈の標高4800メートルにある実在の村ルナナ。そこに赴任することとなった現代っ子の教師ウゲンの視点で、短くも濃密な村人たちとの交流を淡々と描いている作品です。主人公のウゲンはオーストラリアに渡ってミュージシャンになりたいという夢があったので寒村への赴任は乗り気ではなく、最初はふてくされて村人にも不遜でぞんざいな対応ばかりしていましたが、村での生活に慣れ、村人の優しさに触れていく中で、心を開いて村のためにがんばるようになっていきます。

まずびっくりするのは街から赴任先に行き着くまでに8日もかかるところです。この序盤の描写から「いったい国内移動に8日かかる村とはどんな僻地だろう?」という興味で画面を追っていくことになります。途中途中で、通過する村の名前と標高が字幕で出るのですが、標高が高くなるたびに村人の数は減っていき、人口0人という村も出てきてあっけにとられます。人口0人の村よりも標高が高い村に目的のルルナがあるのですが、この序盤の山登りの描写も好きな場面です。

日本から地球の裏側であるブラジルまで飛行機で1日弱という現代において、自国内の村まで8日もかかるというのがものすごいですよね。アフリカの道路も舗装されてない僻地などは、ジープなどで移動したりなどはテレビの旅番組などで見かける映像ですが、高地の僻地となると、車も走れない山道を歩かないとらならず、橋もかかってない川をそのまま横断したりなどで、「なるほど、これでは8日かかるのも無理はない」と思わせるリアリティのあるシーンが続きます。山での遭難避けのおまじないで、石を積み上げて神に祈るシーンがありますが、これなどはFF10の序盤でビサイド村の山の頂上にある奇石に旅の無事を祈るシーンを思い出しました。神に道中の無事を祈るという習慣は、昔は全世界どこにでもあった習慣だと思いますが、ルルナに住む人は、山を上り下りするたびにこうした習慣を続けているわけで、人類の多くが忘れ去ってしまった文化が生き残っているというのも感慨深いものを感じます。

ルルナに着いてさっそく第一回目の授業の日に寝坊して、山の学校のクラス委員の少女、ペムザムちゃんに起こされるシーンがありますが、彼女がこれまたとてもチャーミングで、彼女の清涼でイノセントな微笑みにハッとさせられました。とくに彼女が大活躍することはないのですが、彼女の存在はこの作品をラストまで興味を持続させる重要なモチベーション的な存在で、広告美術にも微笑んでいる彼女の写真が使われていますね。

物語としては、特別な起伏があるわけではないシナリオながら、それが逆に厳しくも美しく壮大な自然の映像美を際立たせていて癒されます。淡々と寒村の日常を描いているわけですが、日本での一般的な日常とは全く違う異世界でもあるわけで、寒村ルルナでの日常には、今の自分の置かれている日常の有り難さと共に、今の自分に何が欠けていいるのか、ということも教えてくれるようなところがあって、壮大な自然を見ながら、人間の進むべき方向は今のままで良いのだろうか?もっと別の方向はないのだろうか?など、いろいろと考えさせられる映画でした。自然に回帰したいという思いもあるものの、引き換えに現代の便利な文明を捨てれるか、といえばそこまでの覚悟はなかなか難しいわけで、世の中そう簡単にいいとこ取り≠ヘできないものなのだなぁと映画を見ながら感じていました。

物流に乏しい村なので、火をたくにも薪などではなくヤクという牛の仲間のフンの乾燥したものに火をつけて使います。貴重な労働力でもありミルクを与えてくれたりなど生活の多くを支えてくれているヤクはこの村では神聖な動物で、家族同然に飼われています。村人の全てがヤクに捧げる歌まで作って歌うところなど、もののけ姫のような世界観がそのまま息づいている感じが興味深かく、心が洗われるような清涼感のある作品でした。


まだ見ていないけど気になってる作品
『黒薔薇の館』と『非現実の王国で』の話

まだ見ていない気になってる作品をあげるとすれば、今の所パッと思い浮かぶのは、深作欣二監督、美輪明宏主演の『黒薔薇の館』(1969年)と、アウトサイダーアートの筆頭、ヘンリー・ダーガーの自伝的映画『非現実の王国で』(2004年・アメリカ)です。『黒薔薇の館』は、『黒蜥蜴』のヒットに続いて作られた作品で、これまた丸山明宏時代の美輪さんの耽美な存在感がすごそうなのでぜひそのうち見たいですね。『非現実の王国で』は、ヘンリー・ダーガーへの興味もさることながら、トム・ウェイツがテーマ曲を歌っているというところも興味を惹かれました。アウトサイダー・アートが90年代のアートシーンの話題だった頃に、その特異な創作スタイルと人物像によって一気に注目をあびたのがヘンリー・ダーガーでしたね。ダーガーはひとりの偏屈で人間嫌いな低所得層の掃除夫としてひっそりとした毎日を送っていましたが、仕事を終えて自室に戻ると退屈な毎日に抗うようにコツコツと壮大な物語を構想して描きつづけていました。

ダーガーの晩年は階段を上がるのも困難になってきたためアパート暮らしを断念し老人施設に転居したそうですが、転居して1年も待たずに死去。アパートの自室に残された持ち物は生前のダーガーに捨ててくれと頼まれた大家でしたが、その膨大でユニークな作品に魅了され、捨てずに大切に保存し、あえて世に出すことでダーガーの希有な才能の真価を問いました。この世を旅立ったとはいえダーガー本人にしたら「捨ててくれ」と大家に言うほどなので、おそらく自分の作品は黒歴史のようなものだったのでしょう。それが死後とはいえ世間に向けて自分の作品が発表されてしまうというのは、あの世でダーガーがどう思っているのか気になる所です。黒歴史が白日の下にさらされた羞恥に悶え苦しんでいるのでしょうか?あるいは、外見上は地味で寂しく終えた自分の人生でたったひとつ残された自分が生きていた証(あかし)が世界中に認められた幸運に歓喜しているのでしょうか?

アウトサイダーアートが注目を集めてから、ダーガーの展覧会は日本でも何度かありましたが、ダーガーの日本版の画集が出た時期あたりに私も都内のギャラリーで催されたダーガー展に足を運びました。横長の大きな模造紙いっぱいに描かれたサイケデリックな非現実の王国で舞うように戦う少女たちの姿を描いた作品群は圧巻でした。『黒薔薇の館』と『非現実の王国で』、どちらの作品も中古DVDを手に入れて見るしかなさそうですが、そこそこプレミアがついているので決断に迷う所です。見たい!というボルテージが高まってきた頃合いを見て手に入れて鑑賞したいと思います。
posted by 八竹彗月 at 12:20| Comment(0) | 映画

2023年06月07日

【音楽】寝図美よこれが太平洋だ【邦楽】

ふと聴きたくなったJ-Popや懐かしのフォークなど、今回は和物に限定して好きな曲を適当に選んでみました。

中山さんの曲は総じてノスタルジックでファンタジックな楽曲が魅力的ですね。アコーディオンが印象的な、アコースティックな独特のグルーヴが心地いいですね。

異世界に誘われるような不思議な雰囲気がいいですね。レミ街(れみがい)の音楽は個性的で実験的なテイストでありながら、ちゃんと気持ちいい耳に残る音楽になっていて素敵ですね。

荒削りなようで説得力のある独特の個性的な歌唱が魅力ですね。魂の奥底にある言葉を必死で掬いとって歌っているような、むきだしの詩情にぐっときます。
最近座頭市の映画を10本くらい立て続けに鑑賞してました。中でも印象的なテーマソングがこの曲でした。時代劇というより戦隊ヒーローものっぽいノリの良さがクセになりますね。「死んだ奴らに〜子守り〜・・・・(約3秒)・・・子守う〜〜たぁ〜〜!」という放送事故ギリギリの異様に長いタメも印象的で、ぜひともカラオケで熱唱したくなります。

加藤和彦や高橋幸宏をはじめ、錚々たるメンバーが在籍していたサディスティック・ミカバンド。「タイムマシンにお願い」が有名ですが、この2曲も大好きでよく聴いてます。バンド名が怪しい感じですが、調べてみるとジョン・レノンのバンド「プラスティック・オノ・バンド」をもじったもののようで、初代ボーカルのミカさんの料理の包丁使いがあまりにサディスティックだったことに由来している、とのことです。サディスティックな包丁使いというものがどんなものか想像つきませんが、その場の勢いでつけた適当なネーミングなのでしょうね。変に考えすぎるとカッコイイバンド名にしようという意識が働きすぎて馴染みづらいネーミングになったりしがちだと思いますし、バンド名やペンネームなどは適度にいい加減なのが良いのかもしれませんね。

婦人倶楽部は佐渡島の主婦たちによる謎のユニット。佐渡島をテーマにしたご当地ソングながら、ピチカートファイブ感のあるお洒落なポップスがユニークですね。ユニット名はおそらく昭和初期に刊行されていた懐かしの婦人雑誌「婦人倶楽部」からとっているのだと思いますが、そうしたレトロ感もぐっときますね。

激しさの中に暖かい優しさがあって、泉谷しげるの曲は聴いてると励まされる名曲が多いですね。名曲「春夏秋冬」や「眠れない夜」はあまりにも有名ですが、他にも人生の悲哀を歌う「春のからっ風」「白雪姫の毒リンゴ」や、Loser(泉谷がロックを歌うために作ったバンド)の演奏による「ハレルヤ」「野生のバラッド」「翼なき野郎ども」等々のメッセージ性のある激しい曲など、ふと聴きたくなる曲が多いです。

「ロックンロールは鳴り止まないっ」をはじめて聴いたときは衝撃をうけました。以前はサブカル感のあるイメージでしたが、アニメ「悪の華」や「進撃の巨人」の曲など、なにげにメジャーな貫禄も出てきて、の子さんの才能には底知れないものを感じますね。

デビューはアイドル的な女優でしたが、音楽はけっこうこだわりのある個性的なアルバムを多く出していてすっかり風格のある歌手というイメージですね。「ロマンス」は、カーディガンズの大ヒットアルバムのプロデュースで知られるトーレ・ヨハンソンのプロデュースのアルバム『I could be free』(1997年)からのシングルカット曲で、代表的な名曲ですね。「コトバドリ」やビートルズのカバー「I Will 」なども、アコースティックな中にヒネリのあるアレンジが気持ちいいですね。

ご存知芸人のAMEMIYAさんのヒット曲ですが、ちょうど冷やし中華の食べたくなる時節ということもあり、ふと聴きたくなって検索してみると、いつの間にか凝ったMVも公開されてて面白かったです。とある場末の中華料理店で起きる家族問題がどんどんディープになっていく中、いつの間にか世界の民族紛争を憂うところがシュールでイイですね。歌が凄くうまいので、単なるコミックソングというレベルを超えた何かを感じるところがあって、たまに聴きたくなる曲です。あれだけ冷やし中華を歌い上げながら最後は冷やし中華を注文しないところがビデオならではオチが利いてて面白かったです。

セラニ・ポージは往年のセガのゲーム「ルーマニア」のための企画ユニット。私はこのゲームは自分ではプレイしてないんですが、たまたまゲーム実況を見ていて知りました。変なお嬢様、シロカゲレイコの強烈なキャラがインパクトあって面白かったですね。ルーマニアというのは国名ではなく、ルーム(部屋)+マニア≠フ造語で、ゲーム内容は主人公ネジくんの住むアパートの部屋で生活を覗き見る神様となって、ネジくんの人生に微妙に介入していく個性的な作品です。曲はゲームのへんてこなノリからは想像出来ないお洒落な感じで、そういうミスマッチ感も逆に良いですね。

メモ参考サイト

この曲もそうですが、「夜が開けたら」や寺山修司作詞の「カモメ」など、浅川マキの歌唱は、70年代の新宿の薄暗いジャズ喫茶の隅にある椅子に座って聴いているような気分になりますね。

あがた森魚の傑作アルバム『噫無情(レ・ミゼラブル)』より。吉田拓郎や井上陽水など70年代のフォークブームはその後の日本のポピュラー音楽シーンに多大な影響を与えることになる多くの個性的なミュージシャンを生み出しましたが、そうした様々な個性の中でもひときわ異彩を放っていたのがあがた森魚と三上寛だと思います。70年代フォークといえば、怒れる若者の叫びとか、反戦や社会批判などをテーマとしたプロテストソングのイメージがありますが、あがた森魚はその中でひたすらレトロ情緒をテーマに、大正ロマン、鉱物幻想、乙女の浪漫など虚構性の高い独自の宇宙を展開していてユニークでしたね。

遠藤賢司といえば怒れるフォークシンガーというイメージですが、こうした毒気の無いのんびりした感じの曲もいいですね。はっぴいえんどの細野晴臣、鈴木茂、松本隆との豪華セッション。遠藤「ベースの人いいですか?」細野「いいですよ」。演奏前の和やかな雰囲気や、演奏中のアドリブ、笑い声など、その場の情景が目に浮かぶような曲で、エンケンの曲の中でも「満足出来るかな」「夜汽車のブルース」と並んで大好きな曲です。寝図美(ネズミ)というのは遠藤賢司の飼っていた猫の名前です。ガンバの冒険っぽい情景が目に浮かぶシュールで暖かい詩に、ウクレレの長閑な感じが癒されますね〜
posted by 八竹彗月 at 03:37| Comment(0) | 音楽