2015年03月03日

大正浪漫な雛祭り

大正時代の少女雑誌「少女世界」から、タイムリーな雛祭りのイラストを中心に、叙情的で可愛らしいページをいくつか選んでみました。

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「少女世界」大正7年(1918年)3月号 博文館 画:村田米四 題:蝶々

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「爪の垢」 画:佐藤三重三
あか子さんは、きれいな着物をきることが大好きです。ちょっと叔母様の家へお使いにゆくのでも、顔を洗って、リボンをかけて、着物を着かえて出かけます。叔母様はあか子さんが、おめかしをして来たのを見て、「まあ、あかちゃん、きれいにして来たのね、ちょっとそっちを向いてご覧なさい。耳の後ろに垢がたまっているじゃありませんか。手はどうなの?出してごらんなさい」とおっしゃいました。あか子さんの手の指は、爪が長くのびて、その間に黒い垢がいっぱいたまっていました。叔母様はそう言われてから、あか子さんは日曜日ごとに、きっと爪をきることにしました。

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「あたたかな日」 画:吉田秋光
桃の花がさいて、野には暖かい春の光がかがやいております。初子さんは、柔らかな芝生の上で、歌の本をよんでおります。ふみ子さんも、そのそばできいております。

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「雛まつり」 画:田代秀雪
三月三日は雛まつりです。桃子さんは緋毛氈(ひもうせん。赤いフェルトのこと)の雛壇にお内裏様をかざっております。それから矢大臣、左大臣、官女に五人ばやし、つぎつぎに飾られてゆく雛壇は、どんなに美しくなることでしょう。

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お人形遊びと雛まつり
(1)は「いらっしゃいまし」と言ってお辞儀をしているところ。
(2)は、お人形にお辞儀をさせているところ。
(3)は、雛壇にお雛様をかざっているところ。
三月は楽しい月です。三日は雛の節句ですから、どこの家でも皆、お雛さまを出してかざります。また時候もだんだん暖かになりますから、お休みの日には、野外へ遊びに出る者もあります。写真の(4)と(5)は、少女の郊外散歩であります。


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「桃のお節句」 画:佐藤三重三
楽しみにして待っていた桃のお節句がきました。それに今日は日曜日なので、雛子さんには嬉しいことが重なってきたわけです。雛子さんは朝からお姉さまにお手伝いをしていただいて、可愛いお客さまたちをお招きするお支度に忙しうございました。夕方から、お友達の皆さんがおあつまりになりました。内裏様や五人囃の奇麗にならんだ赤毛氈の雛壇には、色美しい菱餅や白酒の瓶や、いろいろの御馳走が供えてあります。室咲きの桃の花が可愛い雪洞(ぼんぼり)の灯に、うつくしく照らされている前に、可愛いお客さんたちが、両手をお膝にのせて、おとなしくお座りになったところは、お雛様よりもきれいでした。

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「お重箱の中」大井憲康

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連載企画の題字周りを飾る可愛いイラスト
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2015年02月24日

キモノ・ファンタジア(その四)

古き良き日本、といった感じですね。当時より生活レベルは現在のほうが格段に上でしょうし、実際現代人がその時代にタイムスリップして暮らしたらおそろしく不便であろうことは想像に難くないですが、戦前の日本に残っていた有形無形の「美意識」のような部分にはとても惹かれますね。写真や文献という媒介物でしか知ることのできない時代には、ついつい理想を投影しがちでありますが、逆にいえば、そうした空想を受け止めて現代に潤いを与え返す役割が「過去の世界」にはあるのだと思います。

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タグ:着物 古本
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2015年02月22日

キモノ・ファンタジア(その三)

戦前の婦人雑誌に掲載されていた風雅なキモノ美人の写真をピックアップしてみました。どれも本誌からグラビアページだけ切り離されていたものをバラで入手したものなので、雑誌名や発行年などの詳細は不明です。

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関連記事
キモノ・ファンタジア その1 その2
タグ:着物 古本
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2015年02月20日

木星

「ワイン・・・」
「何がよろしいですか?」
「ジュブレ・シャンベルタン・・・2001年物だ。僕の友人のナポレオンが愛用してたやつ・・・」
「はぁ?」
「ねえ・・・・ジュピターには何時に着くの?・・・・木星には何時に着くんだ?木星には・・・・」

映画「蘇る金狼」ラストシーンでの松田優作の台詞です。松田優作演じる主人公朝倉が離陸直後の飛行機の中で搭乗員に問いかけるこの謎めいた台詞の余韻を残しながら映画は幕を閉じます。この台詞はまさに作品の画竜点睛といいますか、この台詞によって自分にとって忘れられない作品として記憶に刻まれる事になりました。原作の大藪春彦の小説が刊行されたのは1964年(昭和39年)、映画の公開は1979年ですから、2001年モノのジュブレ・シャンベルタンなどこの時点では存在しません。おそらく「2001年」というのはスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」のオマージュで、「人類が宇宙旅行を可能にしている時代」を意味する象徴的な年ということなのでしょうね。で、存在しないワインを要望するこの奇妙な前振りが次の「ジュピターには何時に着くの?」の台詞の奇怪さをいっそう際立たせ印象づけてます。ある意味、映像表現に匹敵するくらいの魔力を持った凄い台詞だと思います。映画自体も、真面目なサラリーマンという表の顔と、魔王のように野望を抱く裏の顔を持ったユニークな主人公の数奇な生き様を描くハードボイルドな物語で、とても面白いです。この映画の影響なのか、木星という天体にはひときわミステリアスなイメージをいだいています。そういうわけで、今回は木星について語りたいと思います。

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「科学クラブ」特集・星と宇宙の観察 昭和33年 2月号 発行:東雲堂
冥王星がまだ惑星扱いだった頃なので「9つの惑星」となってますが、準惑星という扱いになったのは2006年以降ということなのでけっこう最近の話なんですね。


新月木星石(ジュピター・ストーン)
鉱物に興味のある方ならご存知だと思いますが、下の画像は虎目石(タイガーアイ)を球体に研磨したものです。色合いや模様が木星っぽくて、眺めていると宇宙のロマンを感じます。他にもいろいろな鉱物の丸玉で太陽系をつくったら面白そうですね。青い石なら天王星っぽいですし、赤っぽいものは金星や火星に見立てられそうです。

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新月太陽になり損ねた惑星
太陽系の8つの惑星の中で最も巨大な星が木星で、「太陽になり損ねた惑星」という異名も、なんとなく「無冠の帝王」的でちょっとカッコいいですね。木星は立派な衛星をたくさん従えているので、見た目の風情も小さな太陽系っぽい雰囲気ですが、もし木星があと80倍重かったらホントに太陽のように燃え盛り輝きまくる恒星になっていたそうです。地球以外に生物が存在する可能性のある太陽系内の星は火星が有名ですが、他に土星の衛星タイタン、エンケラドス、木星の衛星イオ、エウロパなども期待できるそうです。なかでも木星の衛星エウロパは生命の可能性についてかなり期待されており、とてもワクワクする星です。生命を育む星まで従えているとなると、ますます太陽になり損ねた星らしい風格を感じますね。

「生物がいる可能性が高い太陽系内の星」 その1 その2 その3

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「気象天文図鑑」保育社 昭和26年

新月お前(地球)の背中は俺(木星)が守る!
人類は地球上でしか今のところ生きていけない宿命ですが、いかに地球が生命の進化に適した星とはいえ、巨大隕石などがぶつかったりすると人類はおろか一気に生態系そのものが破壊されてしまったりします。恐竜の絶滅の原因として隕石の衝突が原因であるという説もありますが、そういった避けようのない外部からの脅威というのは地球規模の懸念材料ですね。とはいっても、地球はいろいろな好条件により、比較的宇宙からの脅威から守られていますから、人類が誕生するくらいの長い間大きな宇宙的な脅威もなくやってこれたともいえそうです。まず、地球は大気の層が厚いので小さな隕石は地上に落ちる前に燃え尽きてしまいますし、衛星としては破格の大きさの月も、地球の盾となっています。さらに、木星の存在もけっこう有り難く、木星の強力な引力にひっかかった隕石などは軌道を変えられたり、木星に引き寄せられて衝突したりするので、その分、地球の安全に貢献しているといわれていますね。あの木星のシンボルともいえる巨大な人間の目のような大赤斑が、外部からやってくる敵にニラミをきかせているような感じで頼もしいです。

新月木星のメロディ
木星な気分(?)にひたれる音楽など。

るんるんホルスト「惑星」より「木星(Jupiter)」
木星アニキのテーマ曲といえばまずコレでしょう。カッコイイですね〜
そういえば、この不朽の名曲に歌詞を付けて表現した平原綾香の曲が近年ヒットしましたね。クラシックに歌詞をつけて歌ったものというと、パッヘルベルのカノンに歌詞を付けた戸川純の曲「蛹化(むし)の女」とか、ショパンの「別れの曲」をもとにしたシャルロット&セルジュ・ゲンズブールの「レモン・インセスト」や富田靖子の「さびしんぼう」などありますね。バッハの「G線上のアリア」もスウィートボックスのヒット曲「Everything's gonna be alright 」がありますし、あとベートーヴェンの「運命」をダンスミュージックにアレンジしたウォルター・マーフィーの「A Fifth Of Beethoven」も面白かったですね。

るんるんケプラーの惑星音階
ヨハネス・ケプラー(1571〜1630)といえばケプラーの法則などで有名なドイツの天文学者で、天文学の発展に偉大な功績を残した事で知られていますが、惑星をメロディとして表現するというユニークな試みもしています。ホルストのような音楽家としてのイマジネーションで作曲するようなアプローチではなく、いかにも科学者的な作曲で、太陽から惑星までの角速度の比を音に置き換える、といった手法で作曲されているようです。なので、音楽というよりは、惑星が実際に声を出して唸っているような、「惑星の鳴き声」みたいな奇妙な印象をうける音になっていて面白いです。
ケプラーの惑星音階のMIDIデータを公開されているサイト「音楽研究所」

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「気象天文図鑑」保育社 昭和26年

るんるん木星の音
NASAのボイジャーが記録した木星から発せられる電磁波を可聴域の音に調整したもののようです。荘厳でダイナミックな、まさに宇宙から何かの啓示を発しているような神秘なものを感じますね。
posted by イヒ太郎 at 03:10| Comment(0) | 宇宙

2015年02月17日

秘境探検

もはや現代ではコンピュータが国の中枢から一般庶民まで浸透し、地球規模のコミュニケーションツールとなっていますね。計算機の歴史となるとソロバンなどまで遡ってしまいますが、現代のコンピュータの直接のルーツは第二次世界大戦時のアラン・チューリングの研究が基礎になっているといわれていますから、まだ100年にも満たない新しいテクノロジーなんですね。

インターネットはもちろんパソコン無しには成立しないものですし、通信網は文字通り網の目のように世界に張り巡らされています。そこで思うのは、かつてトンデモ論のような扱いで提唱されていたガイア仮説で、かように脳内のニューロンのごとく日々張り巡らされていくネット回線は、比喩を通り越して、むしろ不気味なほど「地球という知的生命体」のリアリティを感じさてくれる、ということです。

では、かつて人類の夢とロマンの対象だった地上の楽園、シャンバラエルドラドは、現代ではトゥームレイダーなどのゲームの中だけのお伽噺になってしまったのでしょうか。一見この世界から、科学やテクノロジーによって、秘境も妖怪もあらゆる迷信も消え去ってしまったかのように思いがちですが、よく考えてみると科学の発展に伴って昔の人よりも「現実」を生きているような錯覚をしているだけで、人間の中身は迷信深い中世の人々とそんなに変わっていないようにも思えます。何かを解明したり発見したりすることは、同時にそれ以上の何かを失ったり、解明されていない領域がハッキリしたりすることでもあり、ソクラテスのいうように、「無知の知」、人間は科学の進歩によって自らの愚かさをより具体的に知っていくというプロセスを歩んでいるのかもしれません。

地球の裏側の情報までも瞬時に手にすることができるインターネットというツールによって「情報をすべて手中にしている」ような錯覚にふと陥ることがありますが、現代においても未踏の地はいくらでもありますし、どんなに宇宙について知識を得ようとも隣近所の路地裏でさえ、踏み入れていない場所はシャンバラと等しく依然として未知の世界であり続けるのだと思います。

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幕末に描かれた世界地図の複写。左下に肥前長崎と発行元の住所らしき文字があるので九州で発行されたもののようですね。いい具合に不正確な感じが味わいがあります。アメリカ人やオランダ人などに混じって小人国、一つ目国などガリバー旅行記ばりのいい加減な世界諸国の紹介図版などがたまりません。オーパーツで有名なピリ・レイス地図を思わせる妖しさがいいですね。インドが「天竺」と表記されてる所など魅力的なポイントが多い地図であります。ちなみに、戦前は横書き文字を右から左に逆に読む、というのを念頭に入れておかないと「イタリヤ」の場所で赤面することになります。

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左から「女人国」、「一眼国」、「小人国」の国民の図。幕末あたりの日本人の知識レベルからすると、ここまでファンタジーな国が世界に本当にあると信じていたとは思えませんが、モンゴル帝国の戦士みたいなアメリカ人が描かれていたりと相当にアバウトな知識で描かれてますから、もしかすると意外に信じてたのかもしれませんね〜 おそらく女性だらけなのであろう「女人国」が気になります。そこは天国なのか地獄なのか。

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「ハダ(肌)白シ、セイタカ(背高)シ」。モンゴルの戦士みたいなアメリカ人の図。

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「万国地誌略 巻二」菅野虎太:著 養賢堂蔵版 東京書林:発行 明治7年
世界の風土や人種などを図版入りで紹介している本。


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同上。世界のいろいろな人種の違いを紹介している図版のようです。「アメリカ人」の記述には、背が高いというここと、「赤い肌」であるということが書かれてます。図版ではアメリカ人は天狗のような風貌をしてますが、西洋人の肌を「白い」ではなく「赤い」と昔の日本人は認識していたところがあるので、天狗のイメージの起源は西洋人をはじめて見た日本人の印象が元になっているという有名な説を裏付けているような気もしますね。図版の「巫来由」はマレー、「以日阿伯唖」はエチオピア、「高加索」はコーカサス、「亜米理加」はアメリカですが、「莫古」は蒙古でしょうか?

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同上。「熱帯鳥獣の図」とありますね。動物園のレギュラーメンバー勢揃いな感じですが、なぜか妙にうさん臭い印象をいだかせる妖しいタッチに味わいを感じます。

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同上。上部の絵は、どう見ても山伏みたいな格好ですが、アザラシらしき動物といっしょにいるので、多分エスキモーなのでしょうね。下の蛇使いといい、情報の少なさゆえの想像力の暴走が愉快です。文章などは現代の感覚からするとかなり差別的なのですが、人権思想自体がここ数十年で急に発達した新しい概念ですから多分当時の感覚ではなんでもない表現だったのでしょうね。こうした面も含めて歴史の経過とともに、情報や技術だけでなく、思考を支える概念そのものの変化も読み取れる部分があるのも古書の愉しみですね。

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「輿地誌略 三篇上」内田正雄:編纂 修静館 明治15年10月

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同上。「ギゼーの大石塚」。ギザの大ピラミッドのことですが、ピラミッドを「大石塚」と呼称するセンスが凄く新鮮ですね〜。いかに大きいかを馴染みのある建造物と比較している図ですが、ピラミッドの比較に東寺の五重塔を並べるビジュアルのミスマッチ感がたまりません。こういうシュールで変なイメージを発見するのが古書蒐集の醍醐味というか快楽を感じる瞬間です。

こういった本の面白さは、当時の情報の不正確さを楽しむところにありますね。誇張や妄想と現実の境目が曖昧な部分の面白さなわけですが、単純に笑うのではなく、実は現代人も100年後には同じようにリアリティを不正確に認識していることを未来人に笑われるのではないか、と想像すると、複雑な気分になります。


posted by イヒ太郎 at 00:00| Comment(0) | 古本