2016年07月23日

【洋裁】1965年、夏の子供服

半世紀前の雑誌「ひと夏中のママと子供の服」(『婦人倶楽部』6月号付録 講談社 1965年)より、昭和レトロな夏の子供服をご紹介します。洋服の色やデザインはもとより、モデルの髪型や印刷の風合いまで、60年代テイストあふれる感じで、写真を眺めていると過去にタイムスリップするような感覚がありますね。

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表紙のおねえさんがアノ人にそっくりだな、と思って奥付を調べてみたら、やっぱり中村玉緒さんでした。若いですね〜

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カラーページ 相番号(25)〜(48)の作り方 PDF

一色ページ 相番号(86)〜(120)の作り方 PDF
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2016年07月12日

銀河鉄道操縦マニュアル


電車天駆ける列車のロマン

私の感じる宇宙への興味は、主に三つあります。ひとつはオーソドックスに、宇宙創成の謎や、恒星や惑星やら彗星のロマンなど宇宙の仕組みに関する天文学的な興味。二つ目にUFOや異星人などに関する謎や、シュタイナーやスウェデンボルグなどに見られる宇宙のオカルティックな解釈などの神秘学的な興味。三つ目には、稲垣足穂や宮沢賢治などの描く天文ファンタジー、今回のテーマでもあるSFや文学的なロマンとしての芸術的興味です。宇宙は、人間の思考の領域を遥かに超えた「壮大」そのものの暗喩でもあり、また壮大そのものの実体でもあります。また、人間の感覚で言えば無数と言っていい膨大な星の数ですから、そこには当然無限の多様性、無限の可能性があるでしょう。宇宙という途方も無く大きなキャンバスには、今もあらゆる可能性が描かれている最中です。創作のテーマとしては、これほど可能性に満ちたテーマもないでしょうね。そういうわけで、今回は、ふとしたきっかけで読みはじめた宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』をテーマに語ってまいります。

松本零士の漫画『銀河鉄道999』は、宇宙を旅する列車という叙情的なSFストーリーでしたが、言うまでもなくアイデアの元になっているのは宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』です。999(スリーナイン)号はC62蒸気機関車をモチーフに描かれているようで、そうした松本零士版銀河鉄道の強烈なイメージの影響からか、宮沢賢治の元ネタの銀河鉄道もしばしば蒸気機関車のような外見で描かれます。現代人にとっては宮沢賢治よりも先に松本零士の999を先に触れているケースもあるでしょうし、最初からそういう先入観で宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読むものですから、もう当たり前のように蒸気機関車のイメージで銀河鉄道を想像しながら読み進めることになります。本の挿絵などでも銀河鉄道はしばしば蒸気機関車の姿で描かれますが、いろいろ調べていくと、実は蒸気機関車ではなくディーゼル機関車か電気機関車がモデルであるという説を目にしました。『銀河鉄道の夜』で最も重要な存在である銀河を巡る列車ですが、実際その外見に関する描写は詳細には書かれておらず、具体的にどのような外見の汽車なのか?というのは、たしかに気になるところです。まぁ、999の影響もあって蒸気機関車の銀河鉄道というのはもはや定着したイメージになっていますし、見た目的にも蒸気機関車風のフォルムのほうがロマンチックですから、怪我の功名、結果オーライという感じでしょう。

漫画ファン、SFファンのみならず、鉄道マニアからも支持され日本中に大ブームを巻き起こした松本零士の『銀河鉄道999』。主人公の鉄郎とメーテルが乗車する宇宙列車は、蒸気機関車型の999号の印象が強いですが、他にもユニークなデザインの機関車がたまに出てきます。111〜999号までちゃんとビジュアルや運行経路などの設定があり、また銀河鉄道全体の路線図の設定もあるようで、そうした細かいこだわりが世界観に深みを出していますね。

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『銀河鉄道999』のモデルになったC62型蒸気機関車。

鉄郎「えーっ これがうわさの あの999(スリーナイン)号・・・・!?」
メーテル「そうよ 驚いた?」
鉄郎「だって こんな旧式な列車だとは・・・・!?」
メーテル「大丈夫よ鉄郎。耐エネルギー無限電磁バリヤーに守られた超近代化宇宙列車なんだから。みかけが心やすまる大昔の蒸気機関車にしたててあるだけ。中身は近代的だけど、外側は昔のままのSL。二度と帰らないお客のためには、こんな型の列車じゃないとダメなの」
鉄郎「二度と帰らないって・・・・? ぼくは機械の体をもらって必ず帰るつもりなんだよ。必ず!」
メーテル「そうだったわね。いいわ、そのうちわかるから」(p51〜53)

『銀河鉄道999 第1巻 〜タイタンの眠れる戦士〜』松本零士著 少年画報社 1977年


蒸気機関車が宇宙を飛び回るわけですから、それなりの設定がないとSFとしての説得力がでませんので、松本零士氏は999号にはじめて主人公ふたりが乗り込むシーンで、このようにメーテルの口を借りて、汽車が宇宙を飛べる理屈を説明しています。では、元ネタの宮沢賢治の元祖銀河鉄道は、どのような仕組みで動いているのでしょうか?賢治のほうはSF(サイエンスフィクション)ではなく、ファンタジーであり、童話ですから、本来はそのような細かな設定は無くても問題はなく、賢治自身もそのような設定をするのは冗長だと感じていたためか、最終的な決定稿の物語の中には説明がありません。しかし、実は推敲の段階では賢治はちゃんと銀河鉄道の動作する仕組みを想定していました。


電車銀河鉄道の謎

賢治の『銀河鉄道の夜』は、現在本になって読まれている物語に行き着くまでに、4度も書き直され、その過程で、銀河鉄道の仕組みについて語る謎の声の描写は、最終的にカットされています。現在知られている『銀河鉄道の夜』は、第三稿と最終形の第四稿のふたつのバージョンが元になっているため、出版社によって『銀河鉄道の夜』のストーリーに微妙な違いがあります。青空文庫で新潮文庫と角川文庫のふたつのバージョンの『銀河鉄道の夜』が読めますが、新潮バージョンは第四稿の最終形が元になっており、角川バージョンは第三稿のストーリーを元にしています。そのため、角川バージョンでは、銀河鉄道の仕組みについて書かれている興味深いシーンを読むことができます。まず新潮バージョンから件のシーンを見ていきます。

「それにこの汽車石炭をたいていないねえ。」ジョバンニが左手をつき出して窓から前の方を見ながら云いました。
「アルコールか電気だろう。」カムパネルラが云いました。
 ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすすきの風にひるがえる中を、天の川の水や、三角点の青じろい微光の中を、どこまでもどこまでもと、走って行くのでした。

青空文庫(底本:「新編 銀河鉄道の夜」新潮文庫、新潮社)



銀河鉄道の推進原理が気になった主人公のジョバンニが親友のカムパネルラに話をふるのですが、「アルコールか電気だろう。」というあやふやな答えが返ってくるだけで、第四稿ではそのまま物語は進んでしまいます。次は角川バージョン。ジョバンニの疑問に、どこからともなく聴こえる謎の声がとても興味深い回答をします。

「それに、この汽車石炭をたいていないねえ」ジョバンニが左手をつき出して窓から前の方を見ながら言いました。
「アルコールか電気だろう」カムパネルラが言いました。
 するとちょうど、それに返事するように、どこか遠くの遠くのもやのもやの中から、セロのようなごうごうした声がきこえて来ました。
「ここの汽車は、スティームや電気でうごいていない。ただうごくようにきまっているからうごいているのだ。ごとごと音をたてていると、そうおまえたちは思っているけれども、それはいままで音をたてる汽車にばかりなれているためなのだ」
「あの声、ぼくなんべんもどこかできいた」
「ぼくだって、林の中や川で、何べんも聞いた」
 ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすすきの風にひるがえる中を、天の川の水や、三角点の青じろい微光の中を、どこまでもどこまでもと、走って行くのでした。

青空文庫(底本:「銀河鉄道の夜」角川文庫、角川書店)


謎めいた「セロのようなごうごうした声」が、銀河鉄道の謎に迫る興味深い事を言っています。セロというのは楽器のチェロの事。この声の主は、後に出てくるブルカニロ博士という重要キャラですが、どういうわけか最終形の第四稿でブルカニロ博士の登場シーンは全てカットされてしまったために、この意味深な台詞も最終形ではカットされています。第三稿までに登場するブルカニロ博士は、物語にわかりやすい理屈を与えるキャラでもあるので、多分賢治はそれを無粋に感じて、不思議そのもののムード感を出したかったのかもしれませんね。しかしながら、私が『銀河鉄道の夜』に魅かれるのは、人間ドラマよりも、むしろ銀河鉄道というロマンの塊のような存在そのものの魅力によるものなので、当該の謎の列車、銀河鉄道の秘密を知る唯一の人物が最終稿で消されてしまったのは惜しい気がします。まぁ、おそらく賢治は逆に人間ドラマのほうを際立たせたかったのでしょうね。

それにしてもこのセロのような%艪フ声の語りは絶品です。主人公は当然の疑問として銀河鉄道がどのような仕組みで動いているのか気になってカムパネルラに尋ねますが、カムパネルラもよく分かっていません。そこでカムパネルラの代わりにセロのような%艪フ声が説明します。「ただ動くように決まっているから動いているのだ」と。一見説明になっていないような説明ですが、よくよく噛みしめると深い言葉です。そもそも私たち人間も、どうして生きているのか、何のために存在しているのか、そんなことすら知らずに、「ただ生きるように決まっているから生きているのだ」とは言えないでしょうか?答えが存在しないのではなく、この世界にはソレを説明する言葉が無い、ように思えます。「動くように決まっているから動く」、動力がどうのという機械的なモノなのではなく、生き物のように自分の意思で動いているとでも言いたげなユニークな回答です。あるいは、陰陽師の式神のように、動くように決めた主人の意志こそが動く理由であるような。この宇宙列車は物質的な実体ではなく、霊的なマテリアルで出来た、思念で動く列車であることを示唆しているのでしょう。

セロのような%艪フ声は続けて言います。「ごとごと音をたてていると、そうおまえたちは思っているけれども、それはいままで音をたてる汽車にばかりなれているためなのだ」。とても深遠な謎めいた台詞です。実際に汽車が音を立てているのではなく、汽車は音を立てて走るものだという思い込みによって、音が聴こえているにすぎない、と説明しているわけですね。賢治は熱心な仏教の信仰者でもありましたが、謎の声の台詞には、どこか仏教的なロジックを感じます。こうした唯識的な考え方は仏教思想の根幹にあり、般若心経でもお馴染みですね。

電車銀河鉄道の宗教観

物語の後半では、「あなたの神とわたしの神、どちらが本物なのか?」という興味深い会話や、南十字星を具象化した十字架や賛美歌「主よみもとに近づかん」やハレルヤのかけ声などキリスト教的なモチーフが出てきますが、カムパネルラが消えて狼狽するジョバンニを慰める博士の言葉からは、諸行無常や色即是空を感じる「空」の哲学を感じます。本当≠セとされている事は昔と今では変わっているが、今の本当≠ェ正しいというのでもなくて、ただ昔の人がそれを本当≠ニ信じたように、今の人も今の本当≠信じているにすぎない、といったような興味深い思想が語られます。このセロのような%艪フ声の主、つまりブルカニロ博士は、銀河鉄道の一連の旅を「私の考えを人に伝える実験」と言っています。博士の想念を材料に組み上げられた結界の中を異動するための唯一の乗物が銀河鉄道だったのかもしれません。そうして考えていくと、ブルカニロ博士の正体というのは幻影を操る仙人か魔術師のような存在のように思えますね。

電車神話の法則

この『銀河鉄道の夜』物語全体の構造は、世界の英雄神話に共通する構造をもっていることにも気づきます。いわゆる「神話の法則」に、この『銀河鉄道の夜』も合致しているのですね。神話の法則というのは、最近話題になっているようで、一言で言うと「面白い物語」に共通する構造のことです。古来から伝わる神話ストーリーの骨組みに添った展開をするシナリオに、人は「面白い」と感じる、という隠された法則性を指摘していて、逆に言えば、この法則どおりに物語を書けば面白くなる、という重宝な法則のようです。

名作といわれる物語や売れている作品の多くにこの法則に準じた共通する構造があるのはたしかで、SF映画の傑作「スターウォーズ」も、表面的には未来的なスペースオペラですが、物語の骨格はアーサー王伝説などの英雄神話であり、その神話的な構造に未来的な設定を肉付けして作られた、という話は有名ですね。20年くらい前にも、「ドラゴンボールの設定にはオイディプス神話の構造がみられる」等の指摘をしている精神分析学関係の本を読んだ事がありますから、けっこう前から知られていたノウハウなのかもしれません。そういえば、子供の頃に読んだ漫画入門の本に、物語の作り方の一例として、似たようなものがありました。桃太郎などの昔話を骨格にして、そのままキャラや舞台を未来に変更した設定をするだけでユニークなSFストーリーが作れます、という感じの手法だったと思います。似たようなノウハウが昔からあったということは、意外とストーリーテリングの常道なのかもしれません。神話や昔話など、時代を超えて残っている物語には、それなりに人を引きつける普遍的な力が潜んでいるのでしょうね。

とはいっても、神話の法則も万能ではなく、実際に大事なのは根幹となるアイデア、今回の場合は「宇宙を走る汽車」というような秀逸なアイデアだと思います。マニュアル的に物語を作るための方法論というよりは、アイデアを生かすような物語を考える時の参考書みたいな使い方が良さそうです。

ちなみに神話の法則で言われる物語の型は以下のようなものです。数字は物語の流れの順番です。このような構造を持つ物語は人の琴線に触れ、面白いと感じさせる力があるそうです。どの項目も必須というのではなく、ひとつかふたつ抜けるパターンもあります。

「神話の法則」おける物語の型

1.日常の世界
2.冒険へのいざない
3.冒険の拒絶
4.賢者との出会い
5.第一関門突破
6.敵との戦い・仲間との出会い
7.最も危険な場所への接近
8.最大の試練
9.報酬
10.帰路
11.復活
12.帰還



電車宇宙への郷愁

銀河鉄道の旅は、宇宙がまるで遊園地のようで、万博のパビリオンのように星座を具象化させた感じの観光名所が次々に現れるところが楽しいファンタジーです。盛り込まれている教訓や哲学もユニークかつ普遍的です。しかし、この作品が読み継がれる一番の要因はなんといっても、「宇宙を走る汽車」という、並の人間にはなかなか思いつかない突拍子も無いアイデアのインパクトによるものだろうと思います。空を飛ぶ列車の鮮烈なイメージは松本零士によって引き継がれ、さらに壮大な世界観をもって描かれましたが、よく考えてみれば、銀河鉄道というアイデアは、実に松本零士が好きそうなアイデアであったとしみじみ感じます。「宇宙戦艦ヤマト」「キャプテン・ハーロック」などでみられるように、松本零士氏は、宇宙をたんに未来的な舞台としてではなく、人間の回帰すべき故郷のようなノスタルジックな世界として描く特異な感性を持っていますから、宇宙を駆ける汽車というイメージは、さぞや心を鷲掴みにされるほど好みのイマージュだったのでしょう。

賢治の銀河鉄道では、車内でジョバンニは知らないうちに緑色の切符を手にしているのに気づきます。途中で知り合った鳥捕り≠フおじさんは、その切符を見て驚き、こう言います。

「おや、こいつはたいしたもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでもかってにあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行けるはずでさあ、あなた方たいしたもんですね」


ジョバンニは、何の対価も無しになんとなく最高の切符をゲットしてしまっていますが、面白いことに999でも鉄郎は銀河鉄道の無期限のパスをメーテルから無償で受け取っています。鉄郎が貰ったオリオン、プレアデス経由の地球とアンドロメダとの往復パス、本当に羨ましい気持ちになった覚えがあります。機械の身体をタダでくれる星に行くというのが鉄郎の旅の目的なのですが、無期限の銀河鉄道のパスで優しい美女と宇宙旅行が出来ること自体が機械の身体うんぬん以上の幸運です。おそらく鉄郎は、メーテルと汽車に乗り込んだ時点で機械の身体などどうでも良いと内心思っていたに違いありません。目的地に着いてしまえばメーテルとはお別れなんですから、むしろ永遠にゴールの無い旅こそ最高の至福なわけです。999では暗に、旅の本当の至福は旅自体であり、そこにはゴールすること以上の価値があるという松尾芭蕉的な旅の哲学を描いているのかもしれませんね。

あまりストーリーに絡む機会はないもののチョイ役というには存在感ありすぎの謎の車掌さんもいいキャラですね。顔が影のようになってふたつの目だけがギラギラ光っているだけという不気味な外見ながら、けっこう気さくないい人で、その正体はいつも気になってたんですが、意外にかなり詳細な設定がされてるようですね。実はアニメも漫画もちゃんと通して見ていないので最近コミック版を少しずつ読んでるところです。イメージでは架空の惑星に停留して事件が起こる、という感じの連作の印象があったのですが、火星や土星の衛星タイタンや冥王星など序盤では普通に実在する惑星に停留しているのが意外でした。タイトルの999は、1000のひとつ手前ということで、大人を1000に例えて子供以上大人未満、青春の終わり、という意味が込められてるそうです。

そんなこんなで、汽車のかっこよさにも目覚めかけているところでもあり、以前に汽車をテーマにした記事もその勢いで書いてみましたが、汽車の世界も調べていくと、想像もしなかったような不思議な格好の機関車がたくさんあるものでびっくりします。そうした中で、ぜひとも銀河を駆け巡ってほしい懐かしのレトロ機関車たちを独断と偏見で四つほど選んでみました。

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イギリス国鉄 2C1形 ドワイト・D・アイゼンハワー
1935年から活躍した流線型が美しい機関車。


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フランス国鉄 232・U・1形 特急・急行旅客用
最高速度時速140Km、4000馬力。1949年製造。蒸気機関車が主流であった時代の最新型高速蒸気機関車として登場。レトロフューチャーな感じの、いかにもスチームパンクSFにでも出てきそうなかっこよさです。


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西ドイツ国鉄 06形
1939年製造。弾丸のような無骨でシンプルなフォルムがかっこいい急行旅客用蒸気機関車。蒸気機関車とは思えないSFチックなフォルムですね。最高速度時速140Km。ドイツで製造された最も大型で強力な蒸気機関車ながら、2両試作されただけで終わったようです。


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チェサピーク・オハイオ鉄道 490号
単眼ライトが魔物っぽくてミステリアス。ウルトラマンの兜のような面構えが不思議なムードを出しています。これもまたシビれるかっこよさですね。



電車宇宙と霊界

宮沢賢治の描く銀河鉄道による宇宙の旅は、さまざまなアトラクションに満ちていて楽しいのですが、全編を通じて、楽しさと同時に悲しさや淋しさが、音楽の低音と高音のように、まさに宇宙的なハーモニーを形成しています。銀河鉄道で旅する宇宙というのは異界そのものであり、多くの研究でも指摘されているように銀河鉄道の旅は死後の世界の旅であり、宇宙は冥界の象徴として描かれているという説があります。カムパネルラの描写などにみられるように、むしろ賢治はあからさまに銀河鉄道をそのようなものとして描いていますし、私もこの説に異論はありません。

神秘学や密教などでは、死後の世界は大きく3つに別れていて、魂の霊的な進化とともに「幽界」→「霊界」→「神界」という順に昇っていく、とされています。信じるかどうかは置いておいて、オカルト的にはそう考えられている、というくらいに思ってください。で、死んで最初に行く世界、「幽界」は、この世の物質的なものとあの世の非物質的なものの中間の物質で出来ていて、想念がそのまま実体化するような世界だとされています。『銀河鉄道の夜』で、ブルカニロ博士がジョバンニに明かした銀河鉄道の旅の秘密、「私の考えを人に伝える実験」となんとなく重なるような気がしませんか? 銀河鉄道が旅していた空間は、宇宙であると同時に、この現世的宇宙と重なり合って存在する幽界の宇宙なのではないのか? 想念が実体化する空間、幽界の宇宙であるからこそ、鳥がお菓子になったり、南十字星はキリストの十字架だったりしていても、おかしくないのかもしれませんね。
posted by イヒ太郎 at 01:20| Comment(0) | 宇宙

2016年07月04日

七変化

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散歩してると、たまに見かける不思議な花が無性に気になったので撮ってみました。同じ個体から様々な色や形の花が咲くという摩訶不思議な、そして可愛らしい花です。後で調べてみると、この花はランタナ、和名を「七変化(シチヘンゲ)」と呼ぶということがわかりました。七変化、たしかに、まさしく不思議な性質をそのまま言い表していて、ストレートながらなんとなく忍者っぽいユーモラスなネーミングでもあります。

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というわけで、近くの公園で撮影した七変化の写真を並べながら、あれこれと雑談してみたいと思います。

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七変化の花言葉は『厳格』『合意』『協力』『確かな計画』。花言葉というのは、花に想いを託して相手に向けるメッセージで、あえて言葉でなく花に語らせるというのが優雅ですね。花言葉というのは西洋が起源で、かなり古い風習のようですが、はじめて花言葉が本にまとめられたのが19世紀初頭のようで、実質このあたりから、行き当たりばったりでなく、それぞれ花に固有のキャラ付けがされてきたのでしょうね。モノに宿る象徴性を読み解く文化は、西洋魔術の自然魔法、万物照応論などに見られ、万物は、動物、植物、天体、方位、数字など、すべて固有の意味と象徴によって結びついているという考え方がありますが、もしかすると花言葉も、そうした西洋のオカルティズムの影響から発生したものなのかもしれませんね。


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万物照応というと、数字に秘められた象徴を駆使して世界を読み解こうとするカバラ秘術の「ゲマトリア(数秘術)」とか興味があります。歴史上の有名人の名前を数字に変換して演算してみたりすると、その隠された意味があらわになる、という話をよく聞きますね。歴史的な事件事故の起こった日付などをいろいろ足したり掛けたりして意味を探ろうとするのは陰謀論でよく見かけるお馴染みのもので、基本的には眉唾でみていますが、さりとて全く無意味だとも思っていません。「偶然」というのは、ただ人間の認識が追いつかないものであるにすぎず、すべての事象には秘められた意味があり、なんらかの象徴によって互いに影響し結びついているという発想は惹かれるものがありますし、もしかするとそうした思考法にもなにがしかの真理が含まれてそうな気もします。最近では、もっとライトな感じの数秘術「エンジェル・ナンバー」が流行っていますね。いろいろそのあたりの話も書きたいところですが、あまり話が逸れるのもなんなので元に戻します。

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七変化(ランタナ)は、それほどレアではないので公園の植え込みや住宅街などで見かけますし、ご存知の方も多いと思いますが、日常に潜むこうした身近な不思議にふと気づくたびに、地球という博物館が出してくるアイデアあふれる生命の多様さに感動します。植物は、その本来の機能、大地に酸素を供給するとか、蝶などの虫にエサを与えるとか、そうした事のほかに、おそらく、いや確実に「人間を楽しませるため」という目的性も持ってますね。花は、その美しさ可愛らしさゆえに、人間の生存にとってさして必要不可欠でもない花までもが好んで保護育成され、人間が美しいと感じるということがそのまま種の存続に役立っています。

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人間が現在のところ地球の支配者ですから、人間に好かれるという要素は地球上の生命にとって意外に重要な生き残りの鍵になっているのでしょう。環境の変化で絶滅しそうになる個体も、人間がそこに憐憫を感じれば無理矢理にでも環境が保護されます。コアラは動物として競争力がとことん弱く栄養豊かなエサがある場所では生き残れなかったのか木の上に昇り栄養が少なく毒もあるユーカリを体内で解毒して生きています。養分の少ないユーカリしかエサを獲得できなかったっために体力維持のために一日20時間近くを睡眠に当てるというコスパの悪い生き方をしています。しかし、「可愛い」と人間に感じさせる容姿を持っていたために現在では人間によって全力で保護される生き物になることができました。キャベツも、あのように葉っぱが内側に重なっていては光合成がうまくいかないので、植物としての進化は失敗しているものの、人間に「おいしい!」と思われたために大量に栽培される種となりました。

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地球上の生命は、少なくとも人間が生命体のヒエラルキーの頂上にいる間は、人間にどう思われるか?という事が非常に大事な要件になっているように思われます。だからこそ、人間は人間のみの狭い視野でなく、地球規模でのマクロな視点で環境を扱っていく責任がありますね。よく「人間は地球のガン細胞だ」という厭世的な意見を耳にすることがありますが、人間がちゃんと地球が望む役割を果たしていけば、地球という一個の生命体の脳細胞として機能することになりますから、地球に好かれるように人間は謙虚に自然と向き合うことが大事なのでしょう。

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宇宙論において最も魅力的な考え方に「人間原理」があります。宇宙は人間が観測することによって存在しているという、科学というより哲学っぽいニュアンスを感じる不思議な説ですが、上記の話のように、現在の地球がすでに物理的にも人間原理で説明できそうな状況になりつつあるのが面白いと思います。人間原理というのは、宇宙を人間中心に考えるので、いかにも非科学的なイメージをもってしまいがちですが、そもそも科学というのは人間の知覚しうる範囲で世界を把握する技法なので、演繹的に宇宙を科学的に捉えていこうとすると最終的には人間原理に行き着かざるを得ないのかもしれませんね。

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posted by イヒ太郎 at 18:28| Comment(0) | 雑記

2016年07月02日

野尻抱影『星座めぐり』

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生涯を星と共に歩んだ宇宙的ロマンチスト、野尻抱影(のじりほうえい 1885〜1977年)。最近何かと気になっている人物です。今回はその野尻抱影の42才の年に書かれた戦前の宇宙ガイドブック『星座めぐり』をご紹介しつつ、それを肴に日頃感じている宇宙のロマンについてあれこれ語ってみようと思います。

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野尻抱影『星座めぐり』 研究社 昭和2年(1927年)発行
夜空のような濃紺のクロス(布)に金文字が星のきらめきのように印刷されていてとてもムードがあります。


冥王星の和名の名付け親としても有名な野尻抱影ですが、冥王星がアメリカの天文学者クラインド・トンボーによって発見されたのが1930年ですから、実にこの本が出た3年後に冥王星が発見されたことになります。冥王星が発見されていない時期の野尻抱影の著書という意味でも面白みを感じる本です。内容は当時の最新の天文学による入門書であり詳細な図表も多い資料集でもありますが、そうした理系的な知識だけでなく、星に関する古今東西の詩が引用されていたりという、野尻抱影らしい天体愛あふれる本になっています。

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中扉を飾るロックウェル・ケントのシュールな版画。

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はしがきの一部。

はしがきで抱影は「単に愛読書というだけでは言い足りない。漫然と頁(ページ)を繰っているだけでも楽しい、という本が誰にもある。」として、そうした溺愛の書として当時42才の抱影氏が挙げているのがケルビン・マクレディ著『ア・ビギナーズ・スターブック(A beginner's star-book)』です。『星座めぐり』は、日本版の『ア・ビギナーズ・スターブック』を作りたい!という想いから作られた本であるとはしがきに書かれていて、抱影氏がそこまで愛する『ア・ビギナーズ・スターブック』とはどんな本なのか、とても気になり調べてみると、なんとネットで全ページ閲覧できるサイトがあり、興味深く拝見しました。見てみると、たしかに、構成やレイアウトがソックリです。

参考サイト
メモ『A beginner's star-book』Kelvin McKready著 1912
野尻抱影が溺愛した星の本、『A beginner's star-book』の全容。見開きの端をクリックするとページをめくれます。

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馬頭星雲と目次の見開き、旧字体の漢字がロマンチックです。

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馬頭星雲とはよく名付けたもので、ほんとに馬の首のような形が面白いです。宇宙の星々や星座はギリシャ神話からとれらた名前が多く、また中国でも織り姫と彦星の話のように寓話的な物語と結びつけられていて、昔から天空の星々というのは人類にとって、ただの光る点ではなく、ロマンチックな絵巻物のようなイメージで受け取られてきました。実際の夜空はペガサスやサソリやクマなどがリアルに具象化してるわけではなく、星の位置を覚える手がかりとして星を繋げてイメージ化していったのだと思いますが、しかし宇宙というのは人間の想像を超えたレベルの巨大さで、無限の可能性そのものです。馬頭星雲は、まさにそのような神話の世界のようなイメージがそのまま具体的に宇宙に具象化している感じで、果てしないロマンを感じます。馬頭星雲は諸星大二郎の傑作『暗黒神話』でも、壮大な宇宙的知恵とパワーを象徴する感じで描かれていて、この作品の影響で馬頭星雲にはとても深遠なものを感じるようになりました。『暗黒神話』は、現代日本を舞台にした伝奇ファンタジーで、日本全国を股にかけて主人公が自らの出生の謎を解いていく旅を描いた物語です。単行本1冊で、よくこれだけ壮大なテーマを描ききったものだとつくづく諸星先生の天才ぶりには驚愕します。

参考サイト
メモハッブル宇宙望遠鏡による超鮮明な馬頭星雲(NASA)
恐るべしハッブル宇宙望遠鏡! ここまで鮮明だと逆に馬の首っぽく見えなくなってきますが、それにしても壮大で美しいですね。

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左はアンドロメダ座の渦巻き銀河。

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左はおおぐま座の渦巻き状銀河。右は毎月の月ごとの星図を解説した章の扉。毎回章扉には星に関した詩が添えられていて、理系文系ひっくるめた幅広い好奇心で星を愛した抱影氏らしい構成が楽しいです。

銀河の形は、こうした螺旋状のほかにも棒状、楕円状、球状、といろいろありますが、やはり渦巻きのカタチをした螺旋状銀河が一番「宇宙っぽい」イメージがあってカッコイイですね。我々の属する銀河も渦巻き状で、これが壮大なスケールで今もリアルにものすごいスピードで回転しています。銀河という視点で見れば、地動説どころか太陽も絶え間なく銀河のまわりを公転していて、とてもダイナミックです。その速度たるや秒速217km(マッハ638)というのですから凄まじいです。(ちなみに地球が太陽の周りをまわる公転スピードは秒速30kmほど)そして我々の銀河も近隣宇宙の大規模構造のひとつとされるグレートアトラクターと呼ばれる重力場に秒速1000kmで引きつけられているといわれています。宇宙に存在するすべての物体は、さまざまなスケールの階層において、それぞれにダイナミックな運動をしているので、厳密な意味では、この宇宙には静止している箇所はマクロからミクロまで、どこにも存在しないことになります。去年の今日と、今と、来年の今日は、宇宙空間の中で考えると、とてつもなく隔たった別の空間ということになります。・・・・と、まぁ、このように、ちょっと宇宙視点でモノを考えるだけで、不思議なトリップ感覚になるので楽しいですね。

参考サイト
メモ銀河系に対する太陽系の動きをシミュレーションしたアニメーション(YouTube)

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先の章扉の詩の拡大。吉田一穂(よしだいっすい)の天体ロマンあふれる素敵な詩。

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太陽系惑星一番の人気者、土星のページ。

実際に人気の惑星ランキングをやっているサイトでも土星が案の定一位でした。星っていってもしょせんは球体ばっかり!と思いきや、この輪っかですよ。太陽系一のカッコよさ。個人的には太陽系一巨大なマンモス惑星、木星のファンですが、土星は次くらいに好きです。土星の衛星も木星に継いで豪勢で、タイタンなどは生命の存在する可能性も真剣に議論されていて興味深いです。イラストで海王星や天王星を描いてもただの青い丸ですが、土星を描けば一発でそれが星であることが伝わります。イレギュラーでありながら星のアイコンでもあるというその圧倒的存在感!望遠鏡でナマの土星を見てみたいです。ランキングを見てみると、上位にはやはりキャラ立ちした惑星が並んでいます。やはり何か特徴的なカタチをしているとか、面白い模様があるとかすると強いですよね。火星は・・・まぁ、とりあえず近所だから親しみがわくという感じのランクインでしょうか。火星は、身近であるだけでなく、人面岩とか、人類火星移住計画のウワサなど、ミステリアスなネタにもよく出てくるので、そうしたアドバンテージがランクを上げているような気がします。

参考サイト
メモ最新土星画像(NASA)
土星探査機カッシーニによって撮られた美しく鮮明な土星。この特徴的な輪ですが、厚みは1kmにも満たない激薄とのこと。

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ジャコビニ彗星。1905年出現時の写真。

ユーミン(松任谷由実)の曲で「ジャコビニ彗星の日」という大好きな曲がありますが、この曲で歌われているのはジャコビニ流星群のことのようです。歌詞にジャコビニ流星群の到来が予測されてた日付「七十二年十月九日」がそのまま歌われているのがとても印象的な曲です。「"シベリアからも見えなかったよ"と、翌朝弟が新聞拡げつぶやく」と、実際には盛大に予測が外れて観測できなかった事まで歌詞に盛り込まれているのが天文マニア的にもそそる曲なのではないでしょうか。ジャコビニ流星群は10月8日から10月10日前後の、主として夕刻に見られる、突発的な流星群で、ジャコビニ彗星から放出される物質によって起こる流星群である、とのこと。歌詞で歌われている「光る尾を引く流星群」というのは、よく聴いてみると、主人公の想像の中の光景で、実際に見た光景ではないことがわかります。出現するかどうかは気まぐれで、毎年見れるとは限らないジャコビニ流星群を、電話もなかなかよこさない彼氏のそっけなさに重ねているのでしょうね。このあたりの詩的なヒネリや情景描写の巧みさはさすがです。ユーミンの影響で到来の予想を外してしまった1972年10月9日がジャコビニ彗星を最も象徴する日付として記憶に刻まれることになったのが皮肉ですね。

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旧字体で書かれる天文知識にロマンを感じます。

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「月面の噴火口を想像した模型」とキャプションがつけられています。実際よりデコボコツンツンしていて、SFチックなムードが想像力を刺激します。

1968年のアメリカのアポロ7号によって人類がはじめて地球を離れ月面に降り立ちましたが、この本が出た時代はその40年以上前です。月は望遠鏡で見ることしか出来ない時代ですから、今よりもロマンあふれる星だったのでしょうね。今でも月面にUFOがいるとか人工の地形や物体が見つかったとか月の内部は空洞だとか、いろいろ想像力を刺激する噂が絶えないですが、それもまた、月がいまだに人間にとって関心が尽きない天体である証拠なのかもしれません。

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「別篇 星座・星名辞彙」扉。ここにも吉田一穂の詩が引用されていますね。

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上記の吉田一穂の詩を拡大してみました。

時に激しく荒ぶる海では、自分の位置を見失わずにいるために、いつも静かに天空で我々を見下ろしている星々が頼りです。そうした激動する海と絶対の不動心で居ます天空の星との対称を詠っているような詩ですね。ラストの二行、横転する「港」、逆さにひっくり返った「灯」が、どこか激しいアクシデントを匂わす不安感をかきたてます。全体に逆三角形に文字列が調整されていたりと、実験的で面白い表現のなかなか凝った詩ですね。

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「別篇 星座・星名辞彙」に収録された中から、面白そうな星座名を拾ってみました。「印度人座」がインパクトありますが、これは現在でいう「インディアン座」という星座のようです。


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黄道と太陽と地球の関係図

この図は、惑星と黄道の関係を示した図で、占星術を解説したものではないのですが、黄道の概念は星占いの基本になっているので興味半分で貼ってみました。星占いに登場するお馴染みの十二星座は、黄道(太陽の見かけ上の通り道)に重なる星座が元になっています。現在は占星術でいう十二星座が決められた時からだいぶ時がたっていて、歳差運動(地球の地軸の傾きの変化)により、現在はおよそ一個分ほど星座がズレているそうです。昔から占星術的な解釈などで見る星座の性格が当たってるような気がしなくて、占星術は全く信じてませんでしたが、自分の星座よりも一個前の星座の性格を見てみると意外に思い当たるフシが多く、「ああ、そういうことか」と妙に納得している昨今です。
posted by イヒ太郎 at 11:32| Comment(2) | 宇宙

2016年06月22日

キモノ・ファンタジア(その八)

戦前の婦人雑誌の綴じ込みカラーページをいくつか選んでみました。当時の独特な印刷の風合いがノスタルジックな着物美人をご堪能ください。

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「一揃(ひとそろい)三十圓(えん)の初秋向和洋服の流行」全図

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「一揃(ひとそろい)三十圓(えん)の初秋向和洋服の流行」右半分

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「一揃(ひとそろい)三十圓(えん)の初秋向和洋服の流行」左半分

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「大懸賞商品 越後十日町 ちぢまぬ明石」

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「初夏の流行オンパレード」

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「私の好きな新春のお支度」

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「春の帯姿」
タグ:着物 古本
posted by イヒ太郎 at 04:36| Comment(0) | 古本