2016年11月05日

書道

晴れ「ばらかもん」

ふとしたきっかけで最近アニメをよく見てます。「僕だけがいない街」、「モンスター」などのサスペンスな感じや、「さよなら絶望先生」、「化物語」のようなアートな感じの作品など、いろいろと刺激になりました。そんな中で、シナリオ的にとくに大事件が起こるわけでもない、のんびりした感じの癒し系の作品も、心が洗われるような感じで、けっこう良いものですね。「ふらいんぐうぃっち」「ぎんぎつね」など、そうしたヒーリングな気分に浸れる良作ですが、中でもとくに惹かれたのは、書道をモチーフにした「ばらかもん」という作品でした。

主人公にして書道家の半田清舟(はんだせいしゅう)は、自分の作品に目の前でケチをつけてきた書道業界のお偉いさんを衝動的に殴り倒してしまい、頭を冷やして反省させるために書道家の父親のすすめで長崎県五島列島に送り込まれる、というのが物語の出だしです。ストーリーは主にこののんびりした漁村での村人とのふれあいをメインにして進んでいきます。心優しい邪心のない人々とのふれあい、というのは、それだけでユートピアの必須条件なのだなぁ、としみじみ感じるのと同時に、そうした人間ドラマの中で書道とは何ぞや?という部分がさりげなく描かれていて、けっこう勉強にもなります。この作品の最大の魅力は、島に着いた主人公半田に懐いてどこでも付いてくるようになる無邪気な少女なる≠フキャラ力によるところが大きいですが、今回はこの「ばらかもん」をきっかけに、書道がマイブームになりつつある近況を中心にあれこれ語ります。

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禅師としてだけでなく書家としても高名な良寛(1758~1831年)の書。まったく読めませんが、とてつもなく美しい字であることだけはビンビン伝わってくるのが不思議です。草書に興味があるので追々勉強していきたいです。




晴れ書道という芸術について

先日ぶらりと出かけた古本市で、中古の書道具を並べてるブースがあり、いつもは素通りするところですが、書道に興味がわいている最中だったので、たくさんの筆や硯などを手に取っていろいろ鑑賞してしまいました。興味が無いときに見るとただの「習字の道具」でしかないのですが、興味を持って見ると、コレクター心をくすぐる風流なデザインのたくさんの書道具に惚れ惚れしてきます。そういえば、書道のための筆というのは一度も買ったことがないなぁ、ということに思い当たり、いい機会なので直感的にピピッときた手頃な値段の筆を衝動買いしてみました。これはおそらくばらかもん効果≠ナす。あの作品を見てると、自分でも書道への衝動≠感じて、何か筆で字を書きたい衝動にかられます。

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上の竹の柄の筆、見た目の風流な感じにやられました。墨を含んだ状態でしたがちゃんとほぐせました。下の筆は未使用のものです。なかなか貫禄のあるフォルムだと思います。筆に使われる毛も馬、狸、豚、イタチなど、様々あるのは知ってましたが、柄の材質も様々で、想像してたよりもいろんな形の筆があって目移りしてしまいました。

せっかくの筆も書かなければただの飾り物になってしまうので、熱の冷めないうちに書道してみました。遊び半分で書いたので、たいしたものではないですが、書きたいように書くというのは、けっこう楽しいです。他の筆記具と違い、筆は力の入れ加減次第で線の太さがとんでもなく自由にコントロールできるため、ハマるとものすごく気持ちいいです。余裕ができたら風情のある彫り物のある硯とか、味のある焼物の水差しなどを手に入れて、書道家気分に浸ってみたいですね〜

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自分でもよく理解していないあこがれの草書に挑戦してみましたが、やはりいきなり上手くは書けないですね。

以前は書道というと、学校の習字の時間を思い出して、上手に字を書く事、くらいの漠然としたイメージしかなく、あまり芸術としての観点でみることはなかったのですが、ここ数年、「草書体」のかっこよさに惹かれていて、よく書道関連の古書を集めたりしていて、「書もまたそれ自体芸術なのかもしれない」という漠然とした思いが培われていきましたが、そうした矢先に見たアニメだったこともあり、「ばらかもん」はけっこう惹き込まれて見てしまいました。

思えば、美輪さんの書いた達筆な文字に感動したのが書道(主に草書への興味)に惹かれるきっかっけで、書いてある文字が読めないのに、それが美しい字であることだけがビンビン伝わってくる不思議さを感じたものでした。「美輪明宏 文字」で画像検索すると美輪さんの超絶上手い手書き文字の画像が出てきます。美輪さんの時代はどうだったのか分かりませんが、明治くらいの尋常小学校では楷書ではなく、いきなり行書(楷書と草書の中間くらいの崩し字)で文字を教えていたらしいですね。美輪さんのような習字のお手本のような奇麗な字も憧れますが、そうした上手さだけが「書の美」ではなく、「ばらかもん」を見てて思ったように、究極には、「自分の字を愛して、自信をもって書いた字」、誰にも真似できない味わいのある字、というのも、また「美しい字」といえるのだと思いました。

そういえば、昔なにかのトークで黒柳徹子さんが寺山修司の字を「字がお上手ですよね」と言っていたのを見た時、「え!?」と思ったことがあります。寺山修司は「徹子の部屋」に登場したこともあり、その時のビデオだったのかもしれませんし、寺山と親交のあった女優高橋ひとみとのトークで出た言葉だったのか忘れましたが、「字が上手い」=「奇麗な字」という先入観があった頃なので、なんで徹子さんは、寺山のあの子供が書いたような字を上手いと言ったのだろう?と不思議に思ったものです。その時のひっかかりが、書の上手さとは「奇麗に整っていること」だけでは量れない世界であることをおぼろげに感じた最初だったように思い出します。たしかに、今あらためて寺山修司の字を見ると、寺山だけにしか書けない寺山的に完璧なバランスで書かれた奥深い味わいを感じます。筆跡に思想が宿っているような、妙な魔力を感じる字ですね。この寺山の字の魅力を当時から当然のように理解していた徹子さんも、なかなかの強者です。

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寺山修司の色紙。残念ながら直筆ではなくレプリカです。寺山修司の展示会イベントで手に入れたものだったような気がします。「百年たったらその意味わかる」と、意味深な言葉が書かれていますが、これは寺山が晩年に監督した最後の映画「さらば箱船」のクライマックスで狂女が絶叫する台詞です。映画は、南米文学の金字塔、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』を原作に、寺山流に大胆にアレンジした作品ですが、原作者からの了解が得られず映画に『百年の孤独』のタイトルが付けれなかったとのこと。さぞや寺山は悔しかったろうな、と想像します。おそらく寺山は、マルケスの作品の内容もさることながら、詩人の感性で「百年の孤独」というタイトルの壮大でシュールなイマージュ、とくに「百年」という単語にビビビッときたように想像してます。おそらく「百年の孤独」というタイトルがついた作品を撮りたいがために手がけた映画だったのではないか、などと個人的には邪推しています。

「ばらかもん」では、序盤で主人公はお偉いさんに「まだ若いのに型にはまった字を書くね。手本のような字というべきか、賞のために書いた字というべきか・・・君は平凡という壁を乗り越えようとしたか?」と強烈な批判を受けます。続いて「実につまらん字だ」との一言がトリガーとなって半田はお偉いさんを殴ってしまいます。最後の一言は批評ではなく中傷ですから、どのような権威をもってしても言ってはいけない言葉には違いありませんが、それに対して暴力という手段で返答してしまった半田もまたやってはいけない手段≠使ってしまった、という感じですね。

しかしまぁ、「君は平凡という壁を乗り越えようとしたか?」という質問は、心にズシンと響きますね。芸術はすべからく、様式や伝統と、まったき自由な表現とのせめぎ合いで、前衛表現は、様式あってこその前衛であり、前に立つモノが存在しない前衛などありえません。マルセル・デュシャンもトリスタン・ツァラも先立つ伝統があってはじめて壊す≠ニいう表現が可能だったのであります。自由とは、不自由さを知っている者にしか到達し得ないのですから、そういう意味では前衛芸術にとっても伝統というのは大切な存在であります。芸術にとって、伝統と前衛は、水と油の関係ではなく、コインの裏表のような関係なのかもしれません。館長の言葉に戻ると、平凡が悪いということではなく、平凡に違和感を感じながら、そこから飛び出そうとせず保身にまわることがいけないのでしょうね。別の角度からみれば、古典をふまえた伝統的な手法をマスターしていた半田だからこそ、自分自身その伝統に囚われていることに気づき、「平凡という壁を乗り越えよう」としていながら、ずるずると先延ばしにしている自分に腹が立っていたのかもしれませんね。

「ばらかもん」で描かれる主人公の半田が辿る書の旅は、見た目に整った奇麗な保守的な書道から、想いそのものが字となって現われてくるような激しい前衛書への開花という感じです。書道ってこんなに自由でいいんだ!というメッセージがひしひし伝わってきて、書道への興味がふくらみました。




晴れ前衛書道家・上田桑鳩

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私の芸術指針は人間と自然の融合にある。例えば美しい石を削ってそこにすばらしい美しさが出現してもそれはあくまで人為として残る。だから私は石でも名山名花にそっくりだというだけでは満足しない。ありのままの美しさをもとめる。ただ買って眺めるだけでは単なる趣味になってしまう。自分でさがし、持ち上げ、みがくところに美の追求がある。草原に自分の作品をほうっておいてもその自然と融合するもの、そんなものがしたいのだ。
─────上田桑鳩

雑誌『国際写真情報』昭和38年 国際情報社


この記事を書くきっかけになったのは、ちょうど昨日古本屋で手に入れた雑誌です。手に取ったその雑誌は、昭和38年に発行されたグラフ誌「国際写真情報」というもので、とある愛石家の書道家を紹介している写真が石好きの私の心をグッと掴んでしまいました。家に戻って記事を読んでみると、石だけでなく、書道家としても面白い人なので興味がわいて調べてみると、書道界の大御所のようで、いろいろ面白い逸話のあるユニークな人物でした。書道家の名前は、上田桑鳩(うえだそうきゅう)(1899〜1968年)という人で、前衛書道の第一人者です。身近な所では、今でも本屋の店頭で見ることができる「日本経済新聞」の題字を書いた書道家でもあります。記事を読んでいると、芸術家としての哲学がしっかりした方であるのが伝わってきます。とても含蓄のある事を言っておられるので、桑鳩の言葉のほうも抜粋してご紹介して行きます。



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今日に生きていることの中には、地理的には日本に、時間的には今日ただ今、生きていることを考えねばならない。明日は今日と違い自分自身の内容も変わり、従って変わった内容の作品ができる。自分にも他人にも一切マネをしない、ただ一人の人間の関連であるが、常に変わってくる。これが真理ではないか。この真理を追究するのが私の在り方だ。これを世間では一概に前衛と言っているが、真理主義と言って欲しい。
─────上田桑鳩

雑誌『国際写真情報』昭和38年 国際情報社 p34



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ややもすると前衛芸術家と自称する人は古典を無視しがちだが、これは間違っている。伝統の中にあって伝統を無視するのは馬鹿げている。親の遺産を既製だからといって川に捨てるようなものだ。ただこれら古典などの伝統の精神を単なる形式でなく内容的に現代の地点から把握せねばならない。そして力と鍛錬によって古典を生かし、そこに人間の生命力を吹きこまねばウソだ。思いつきだけでは、長い時代にたえて生き続けることはできない。それは流行歌と同じである。われわれは社会に生きているのだ。今日の社会には今日の社会の欲求がある。読めなければならない条件の場合は読める字を書かなければならない。主義にたおれてはいけない。人間は社会に奉仕する義務がある。だから私には具象、半具象、抽象のすべてがある。
─────上田桑鳩

雑誌『国際写真情報』昭和38年 国際情報社 p38



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人間と自然が一体になる。これが芸術の真髄ではないか。人間はどうしても外側のものにわざわいされがちだ。自然には作意がない。だから私は自然物をあこがれる。それで石を愛する。
─────上田桑鳩

雑誌『国際写真情報』昭和38年 国際情報社 p40


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雑誌『国際写真情報』昭和38年 国際情報社 p36-37
桑鳩の作品を紹介するページ。抽象画を思わせる絵画的な書ですね。文字というものに深く入り込み、文字そのものが直接作家に語りかけている声を代弁しているような、文字と書家がアドリブでセッションしているような、そうした音≠感じる書ですね。


上田桑鳩にまつわるエピソードで最も有名なのが1951年に日展に出品された『愛』という作品に関連するものです。当時から前衛書は存在していて、新しい潮流として書道界もブームだったそうなのですが、権威ある日展の書部門という保守的な世界で、どう評価してよいのかそうとう混乱があったようです。そもそも『愛』といいながら、書かれているのは「品」にしか見えません。桑鳩は、孫がハイハイする様子を見てインスピレーションを得て制作した、とのことですが、さすが前衛書の大家、フリーダムですね〜 感服します。日展側はこれを馬鹿にしていると受けとって激怒しますが、当時すでに評価の高い気鋭の書家であったため、単純に無視もできず、双方にらみ合いの対立となり、最終的には桑鳩は日展を去ることになりました。

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上田桑鳩『愛』 1951年

調べて行くと、「ばらかもん」の書道監修をしていた原雲涯さんも、上田桑鳩の結成した奎星会(けいせいかい)の主催する書道展で何度も受賞歴があり、同会の会員でもあるようで、ひとかたならぬ関係のある書道家のようです。────ということで、今回もなかなか面白いシンクロニシティでした。




晴れ明治時代の草書の教本「草書淵海」

よく古書市で昔の書道の教本を資料がてら集めてたのですが、雰囲気のある筆も手に入れたことなので、見て楽しむだけでなく、実際に教科書として使っていきたいです。そうした草書の教本のコレクションの中から、最近手に入れた明治時代の和本をご紹介します。

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太田聿郎:編「草書淵海」明治13年(1880年)
明治時代に発行された文字の崩し方の教本。同じ字でも書家によって崩し方が異なるのが草書の難しさでもあり面白さでもあります。この本では、同じ字を著名な書家の複数の崩し方で並べた辞典のような体裁です。

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「神」の崩し字。神々しいですね〜 旁の「申」の中棒の伸ばし方でセンスが出そうですね。文鎮替わりにページを押さえているコインも明治時代のもので、一円銀貨、通称円銀≠ナす。

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面白い形してます。道教のお札のような呪術的なフォルムが魅力的です。

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いわば書道のお手本を編集した教科書みたいな本なのですが、書それ自体が美を指向している芸術であるために、こうして文字を並べただけの見開きもアート作品のような面白みを感じますね。

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流れるようなリズム感がたまりませんね。
posted by イヒ太郎 at 01:44| Comment(0) | 芸術

2016年10月30日

北斗七星

史記天官書(しきてんかんしょ)によれば中宮は天極星なりとあり。これ北極星にして天帝と称し、その周囲にある星は皆天帝を守るもので、これらを総称して紫宮(しきゅう)というのであるが、紫宮の外側にあって警戒の任にあるのが北斗七星である。これを北極紫微宮(ほっきょくしびきゅう)というので、天の朝廷で各星は皆官職に見立ててある。これら各星の変化が国家人類に影響すること大なるので、支那では天変の有無はよく調べたものである。
────(中略)────
人間は皆、前世においては天の五帝の子で、北斗の諸星(しょせい)から財物を受け得てこの世に生まれ来たもので、いずれも五帝の気を受けたものである。五帝は木火土金水の徳を備えたもので、人間は皆この徳を受けているものであるというにあるらしい。

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『三世相運勢鑑』龍澤慎作:著 誠文堂 昭和3年(1928年) p28


ここ数年、北斗七星に惹かれています。宇宙に関心が湧いて来た関係で興味がでてきた星座(正確にはおおぐま座を構成する一部であり星座ではないのですが)です。何か強烈な神秘を感じるので、時折北斗七星について調べたりしています。北斗七星は柄杓の形に例えられるように、名前も柄杓を意味する「斗」の文字がはいっています。北斗七星というと大ヒットした漫画『北斗の拳』が思い浮かびますが、そちら系からの関心ではなく、オカルティズム的な面での関心があります。しかし、あらためて『北斗の拳』で言及されている北斗七星について思い返してみると、意外に古代の星辰伝説に基づいた根拠のあるものだということに気づかされます。

漫画では、主人公ケンシロウが使う拳法の流派「北斗神拳」、それと対をなすような「南斗聖拳」のふたつの流派がでてきます。以下にもご紹介する中国の星辰伝説『生の星と死の星』でも、北斗七星は死をつかさどり、南斗六星は命をつかさどる、という説がでてきますが、漫画でも北斗と南斗は陰陽の関係で対比されてますね。北斗七星の柄の端から二番目の二等星ミザールの傍にあるアルコルは見る時期によって明るさが変化する変光星という特殊な星で、肉眼で見えたり見えなかったりすることから、「見えると死ぬ」とか、逆に「見えないと死ぬ」とかいう迷惑至極な迷信があったそうですが、『北斗の拳』でも、見えると死や敗北を意味する不吉な星「死兆星」というのが出てきます。漫画では北斗七星を構成する星ではなく、北斗七星の側で輝く青い星として登場するみたいですが、多分そうした伝説を元にした設定でしょうね。と、まぁ、そんな感じで、今回は、そうした北斗七星への個人的な関心を軸にして、中国神話で描かれる摩訶不思議で諸星大二郎チックな星辰伝説をいくつかご紹介していきます。

北斗と豚

 唐の開元(かいげん)といった時代に、一行(いちぎょ)上人という高僧があった。天文や暦の学者である上に、仙人となる術にも通じていたので、時の天子玄宗(玄宗=唐の第9代皇帝)もたいそう敬われて、天師という号をもさずけられていた。
 ある時、一行が住んでいた渾天寺(こんてんじ)という大寺へ、ひとりの老婆が訪ねて来た。王婆という名で、一行が貧しかった頃、たいそう親切にしてくれた人なので、喜んで迎え入れると、「せがれが、人殺しのお疑いを受けて裁判が長引いています。どうぞお上人のお力で助かるようにしてくだされ」との頼みである。一行も、これには困って、「国のおきては、わしが口添えしたとて、とても曲げさすことはできぬ」と断った。老婆はすっかり失望して、「情け知らず。恩知らずの坊主め」などとののしって帰っていった。

 そのあとで、一行はしばらく考えこんでいたが、やがて寺の一室に、大きなかめをすえさせて、それから二人の寺男を呼び、「この町の向こうの角に、荒れ果てた庭がある。そこへ出かけて、隠れていよ。すると、昼から日の暮れまでの間に、やってくるものがあるから、頭からこれをかぶせて、ひとつ残らず捕らえてくるのじゃ」といって、大きな布袋を渡した。
 寺男が、いいつけどおり、荒れ庭へ行って隠れていると、果たしてどこからともなく、異様なものが七匹入り込んできたので、すかさず布袋をかぶせた。中からは、ぶうぶう豚のなく声が聞こえた。引きずって寺に帰ると、一行は七匹とも用意の大がめの中へ押し込めて、木蓋をかぶせ、どろで封じてしまった。

 明くる朝、玄宗の使いがあわててやって来て、至急のお召しでござると伝えた。御殿へ上ると、玄宗は心配そうに、「天文博士の申し出たのでは、北斗七星が昨夜にわかに見えなくなったとのこと。何か不吉な知らせではあるまいか」と言われた。
 一行は衣の袖をかき合わせて、「それは由々しき一大事でござる。昔、魏(ぎ)の時代に、けいわく星(火星)が消え失せたという話はござるが、北斗七星が消え失せたとおは聞き及ばぬ天変。おそらく、人を殺したという無実の罪で、お裁きが暇取っておる者があり、そして、それを天帝(=神)が怒られておるに相違ございませぬ」と答えた。
 玄宗は驚いて、早速王婆のせがれを牢屋から放たせた。一行は渾天寺に帰ると、すぐ大がめの封を取りのけた。豚は一匹一匹と飛び出して、空へ登って行った。
 その夜、天文博士が、御殿へまかり出て、「ただいま、北斗七星がひとつ、空にあらわれました」と申し上げた。玄宗はほッとして、「ありがたや、天帝のお心がとけはじめたと見ゆる」といった。
 それから、毎夜ひとつづつ北斗の数が増して、ついに七つの星が出そろい、玄宗もようやく安心した。

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『星の神話・伝説』野尻抱影:著 白鳥社 昭和23年(1948年)


一行は、夜空に昇って輝く前、昼間の北斗七星は、豚の姿になって下界で遊んでいることを知っていて、その居場所までも何かの秘術で知り得たのでしょうか。それとも、直接に北斗七星を豚に変えてしまう術を使ったのでしょうか。どちらにしても、一行上人の術は星すら下界の俗世に現出させるわけですから、そうとうに強力な仙術ですね。

この不思議な伝説には実在した皇帝、玄宗が登場するところなど、嘘か誠か判然としない独特のムードが楽しいですね。玄宗皇帝は唐代の名君でしたが、後年あの絶世の美女にして稀代の悪女、楊貴妃を溺愛して国を乱すこととなりました。諸星大二郎の『諸怪志異』シリーズの第1巻『異界録』に収録されている「幽山秘記」は、この玄宗と楊貴妃の運命的な出会いをテーマにした見事な小品で、好きなエピソードです。漫画は、ふたりが出会う百年前に起きた不思議なエピソードを描いていて、神仙が身近な存在であるかのような古代中国の悠然とした空気感を見事に表現しています。

三国志でも死期を悟った諸葛孔明が北斗七星を祀ることで延命を図るというシーンがあります。北斗七星は、死をつかさどるというネガティブな見方もされてきた反面、同時に人間界の栄華盛衰を操るそのパワーはあらゆるアクシデントを防ぐ力があるとされ、その力にあやかるために熱心に祀られてきたりもしたようです。中国の伝説でも、北斗七星についての評価はまちまちで、南斗六星との対比では陰の役割を果たしますが、単体では天帝(神)の乗物に見立てられたりもしてます。また、先にご紹介した神話『北斗と豚』にあるように、豚に例えられる例もあります。

これはこの神話だけに唐突に出てくるアイデアではなく、宋の時代にいた徐武功(じょむこう)という北斗七星を信仰している男が、北斗信仰のために豚を一切食することはなかったという伝説を野尻抱影が『星の神話・伝説』の中で紹介していました。伝説の内容はこうです。ある時、徐武功は冤罪で法廷に引き出され、いよいよ死刑判決がくだろうとするやいなやいきなり雲行きが変わり豪雨になり雷鳴が鳴り響いたそうです。法廷にはどこからともなく七匹の豚が現われ、不当な裁判を糾弾するかのように法廷前に一斉にうずくまったとのことで、それが原因で徐は無罪放免となった、とのことです。日頃の信心のおかげで、北斗七星の化身である七匹の豚によって命を救われた、というお話です。

中国の北斗七星信仰は日本にも伝わり、京都大覚寺の勅使門には北斗七星が刻まれています。これを祀ると天災地変を未然に防ぐことができる、とされていて、厄除けの星々として信仰されてきたようです。中国の北斗七星信仰などの星辰信仰が日本に伝わったのはかなり古い時代で、聖徳太子所用とされる国宝「七星剣」(大阪、四天王寺蔵)などからも、その影響がうかがえます。七星剣は名前のとおり北斗七星の意匠を取り入れた刀剣で、中国の道教思想に基づき破邪のパワーが宿っているとされているようです。

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江戸時代につくられた木彫りの北斗七星。京都、本覚寺、勅使門の蟇股(かえるまた)

七人の和尚

太宗(たいそう。北宋の第2代皇帝。976〜997年在位)の時代に、七人の和尚が、どこからともなく西京に現われて、酒を飲み歩くこと二石(にこく。約360リットル)に及んだ。同時に北斗七星が空から光を消したので、さてそこの七人は北斗の精に違いないと、太宗が召して酒を飲ませようとしたが、たちまち姿を隠してしまい、その夜から再び北斗が輝き出たという伝説もある。
 こういうふうに、中国には、星が人になったり、動物になったりする伝説は珍しくない。有名な水滸伝の百八人の豪傑が、伏魔殿を破って八方へ飛び散ったのは、天こう星、地さつ星の生まれ変わりとなっているが、これも北斗七星のことである。

『星の神話・伝説』野尻抱影:著 白鳥社 昭和23年(1948年)



神話などでは、自然の事物万象がしばしば擬人化されますが、ユング的に解釈すれば、人間の内面ではさなざまな外的な事物が個人的な意味を付加されて無意識に溜め込まれますし、逆に言えば、日常で出会うリアルな他人すらも、それを目撃した時点で内面では私的に意味付けされた象徴的な存在に置き換わるわけです。なので、見方を変えれば、現実世界で出会う人も、神話の世界と同様に、実は個人的に意味のある象徴であり、なにかの概念や理想が擬人化された存在である、ともいえると思います。そういう観点でみれば、現実世界では、神話のように誰かが「私は○○の化身である」などという種明をしたりしない世界というだけで、実体は神話と同様に、様々な象徴や概念が形をとって人やモノとして存在している世界でもあるような気がしてきますね。次に紹介する神話『生の星と死の星』でも運命を象徴する北斗七星や南斗六星の化身としていかつい大男たちがあらわれます。

生の星と死の星

 昔、管輅(かんろ)という人があった。彼はいろんな術に通じて、過去のことでも未来のことでも、はっきりと知ることができるのであった。
 五月のある日、南陽の野原を歩いていると、一人の少年が、田の中で麦を刈っているのを見た。管輅は少年の顔を見ると、思わず悲しそうな吐息をして通り過ぎた。
 少年はそれを怪しんで、管輅に声をかけて、「どうしてあなたは、そんな悲しそうな吐息をおつきになるのです」と尋ねた。管輅は少年の姓名を聞いた。少年が、「姓は趙(ちょう)、名は顔(がん)と申します」と答えると、管輅は言葉を続けて、「実はお前さんは二十歳をこえないうちに死ぬことになっておるのだよ。それが気の毒で、覚えず吐息をついたのじゃ」と言った。これを聞くと、趙顔はおどろき恐れて、たちまち管輅の足下に身を投げながら、「それは大変でございます。どうかわたくしの命をお助けください」と、ひたすら哀願した。しかし管輅は、「いや、気の毒じゃが、人間の寿命は、天のつかさどるところで、わしの手ではどうにもならぬのじゃ」と言い捨てて立ち去った。

 趙顔は、身も世もあらぬ気持ちになって、大急ぎで家に駆け戻った。そして父にそのことを話すと、父も非常に驚き悲しんで、「それは本当に一大事じゃ。そうしてもその方にお願いするよりほかはない」と言って、わが子といっしょに馬に乗って管輅の後を追っかけた。十里(=中国里での換算で約5km)ばかり駆け続けると、やっと管輅に追いついた。親子は馬から飛び降りて、彼を伏し拝んで、一所懸命に命を長くしてくださいと願った。
 管輅はとうとう可哀さに負けて、「それでは、家に帰って清酒を一樽と、鹿の肉を一斤ほど用意して置いて貰いたい。そしたら卯(う)の日にわしが訪ねて来て、なんとか工夫をしてみるから」と言った。親子は非常に喜んで、すぐに家に帰って、言いつけられた通りの支度をして、ひたすら管輅が来るのを待ちわびていた。
 卯(う)の日になると、管輅がやって来た。そして趙顔にむかって、「お前さんが麦を刈っていたところの南に、大きな桑の樹があって、その下で二人の男が碁をうっている。で、お前さんは、そっとその側に歩み寄って、酒を杯についで、肉を並べておくのじゃ。そしたら二人は、その酒を飲んで肉を食べるだろう。杯の酒がなくなったら、またついでおくがいい。そのうちに二人が、お前さんのいるのに気がついて、何物じゃ、何しに来たと尋ねるに違いない。その時お前さんは、口をきいてはいけない。ただ黙ってお辞儀をしていなくてはならぬ」と教えてくれた。

 趙顔は教わった通りに、大きな桑の樹のところに行ってみると、果たして二人の男がその下で碁をうっていた。趙顔は静かにその側に歩み寄って、鹿の肉を並べ、酒を杯についだ。二人の男は、碁に夢中になっていたので、趙顔がやって来たことにも、酒肴を並べ立てたことにも、まるで気がつかなかった。しかし酒があり肴があるのは目についているので、誰が持って来たかということなどは考えないで、碁をうつ手があきさえすると、杯の酒を飲んでは、鹿の肉を口に詰め込むのであった。趙顔も黙々として、しきりに杯に酒をついだ。
 しばらくすると、一局が終わった。二人の男ははっとわれに返って顔を上げた。と、見知らぬ少年が自分たちの側に立っていたので、北側に座っていた一人が非常に腹を立てて、「お前は何物じゃ。何用があってここに来た?」と叱りつけた。しかし趙顔は、管輅の教えを守って、ただうやうやしくお辞儀をするだけで、なんとも返事をしなかった。

 しばらくすると、南側に座っている男が、北側に座っている男に向かって、「他人の酒を飲み肴を喰らった以上、知らぬ顔をしているわけにもいくまい。なんとかしてお礼を言わなくては、あまりに無情に過ぎるね」と言い出した。北側に座っている男は、これを聞くと、困ったような顔をして、「しかし文書はもう決まってしまって、たやすく改めるわけにはいかぬではないか」と言った。南側に座っている男は、「まぁ、そう言わずに、その文書を貸しておくれ」と言って、北側に座っている男から文書を借りて、ぱらぱらと繰り広げていたが、趙顔の名を記したところに来ると、ぴたりとそこに目をつけた。文書には、趙顔の命は十九歳となっていた。男は、「よし、これを改めることにしよう」と言って、筆を取り上げて、十九をひっくり返して九十にした。趙顔はこれを見て、心の中でしめたと思った。南側に座っていた男は趙顔の方を振り向いて、「お前の命を延ばしてやったよ。九十歳までは大丈夫だよ」と言った。趙顔はもう嬉しくてたまらないので、むやみにお辞儀をして、大急ぎで家に帰って来た。

 管輅は彼からその話を聞くと、「うまくいってよかった。これで安心だろう」と言った。趙顔は、「あの二人の方は一体どなたでございます」と尋ねた。管輅はにこりと笑って、「北側に座っていたのは北斗星で、南側に座っていたのが南斗星じゃ。そして南斗星は生を注し、北斗星は死を注するのじゃ」と語った。
 親子の喜びはひとかたではなかった。そして趙顔の父はやがて絹と金を持ち出して、「おかげさまで、息子の命が助かりました。こんな嬉しいことはございません。これはまことにつまらぬものではございますが、ほんのお礼のしるしにお納めください」と言った。しかし管輅はそれらの品には手も触れないで、飄然として立ち去ってしまった。(『捜神記』)

『中国神話伝説集』松村武雄:編 伊藤清司:解説 現代教養文庫八七五 社会思想社 昭和51年(1976年) p24-29


紙に書かれた文字、「十九」を「九十」にひっくり返すというところが、不思議感をかきたてて面白いです。神的な世界の掟で、寿命文書の文字自体を書き直すのはNGらしいですが、そこですでに書かれた文字を魔法の筆でひっくり返すことによって寿命を延ばしてやった、ということですね。星の化身が持っている筆だけあって、ただ字を書くだけでなく、書かれた字さえ動かしたりできるのでしょう。そういえば和風なビジュアルと世界観が秀逸だったゲーム『大神』では、空間に文字を書くことができる「筆しらべ」という技を使いながら物語を攻略していきますが、そのシュールな絵面を、この神話を読みながらふと思い出しました。

メモ参考サイト
ゲーム「大神」より、森羅万象を操る神業「筆しらべ」の一覧(CAPCOM様)
見たいサムネールを選ぶと不思議な「筆しらべ」の技がムービーで再生されます。

南斗六星は射手座の中に含まれる6つの星で、北斗七星と対をなすように6つの星を繋ぐと柄杓形になります。『生の星と死の星』では、全ての人間の寿命が記載されているノートみたいなものが出てきますが、そういえば水木しげるの短編などでも、こうした人間の寿命を操作する妖怪のような霊的な存在を描いた作品がありますね。近年だと「デスノート」なども連想します。それはそうと、北斗と南斗の精が碁をうっているというシチュエーションが面白いこのお話、諸星大二郎の『諸怪志異』シリーズを読んでいるような気にさせるお話ですが、それもそのはず、『諸怪志異』は清代の『聊齋志異』からだけでなく、このお話が収録された『捜神記』などからもアイデアを得て描かれてます。

そういえば、このお話で北斗の男と南斗の男が碁に興じてましたが、この「碁をうつ」というシチュエーションも、考えてみると意味深です。碁は、白石と黒石を使い方眼状の交差点に石を置いていきますが、これは見た目にも星座のような感じです。碁はただの遊戯というよりも、運命を占う寓意もありそうです。ルールは単純ながら、数学的にみると囲碁はチェスや将棋と較べても格段に複雑だそうで、ウィキペディアによれば「盤面状態の種類は、チェスで10の50乗、シャンチー(象棋)で10の48乗、将棋で10の71乗と見積もられるのに対し、囲碁では10の160乗と見積もられる」とあり、見た目の単純さに似合わずものすごい複雑なゲームのようで、まさに神々の遊びにふさわしい風格を感じたりしてきます。日本でも、かつて相撲は宗教的な神事でしたし、勝ち負けを白星黒星と呼ぶところなど、運命と星の関係性というものを、古くから人間は感じとっていたのかもしれませんね。

上記の中国の伝説でもそうですが、中国神話の特異なところは、多くの神話がそうであるような「むかしむかしあるところに」というアバウトな時代背景ではなく、いつ、どこで、だれが、という明確な設定で書かれているものが多いことですね。神話学者松村武雄氏いわく、「中国には、神話が少ないのに対して、伝説は極めて多い」とのことですが、なるほどと思いました。たしかに神話というよりは伝説、昨今ブームにもなった都市伝説のテイストに近い感触が中国神話の面白さのような気がします。

都市伝説というと、昨今ではMr.都市伝説の関暁夫さんが思い浮かびますが、映画にドラマにと大ヒットした『新耳袋』という怪異集もブームになりました。中国の古典的怪異譚『聊齋志異』など、中国版の『新耳袋』という感じで(むしろ時代的に『新耳袋』のアイデア元、江戸時代に書かれた『耳袋(みみぶくろ)』は『聊齋志異』の影響がありそうです)人々のうわさ話を集めてつくった本です。都市伝説特有の、うさんくさいけどもしかしたら本当にあったかもしれないような、嘘と真実の境のあいまいな、微妙で絶妙なリアリズムが独特で面白いです。『聊齋志異』の場合は、中国らしく、不思議な術を使う仙人や道士が日常に普通に出てくる話が多く、異次元世界を垣間みるようなトリップ感があって楽しいです。

メモ参考サイト
江戸時代の都市伝説集『耳袋』の現代語訳サイト、『耳袋』様
奇妙な話や珍奇なエピソードが満載で面白いです!きちんと構築された物語よりも、このような風変わりな随筆のほうが、江戸時代の空気感をリアルに感じますね。情報網が今ほど発達している時代ではないですが、だからこそ都市伝説の本来の「現実と非現実の狭間」をさまよう異世界感覚あふれる時代でもあったのだと思います。うさん臭い話がまことしやかに街中を闊歩していて、そういう時代では、まさに黄昏時の物陰に妖怪が普通に小豆を研いでいてもおかしくないのだろうなぁ、と感じます。古典という敷居を感じさせるようなものではなく、けっこう惹き込まれる面白い奇談が多ですが、星に関する話では、巻之一(013)の「ちかぼしのこと」や巻之四(011)「木星が月を抜けた狂歌のこと」がありました。

古代中国の数ある不思議伝説の中では、「河図洛書」がとても気に入っているのですが、これもまた、関心の理由を振り返って考えてみれば、魔方陣を数字でなく点を線で結んでいるビジュアルが星座をイメージさせ、ミクロコスモス的な幻想をかき立てるせいなのかなぁ、と思ったりします。そうしてみると、以前サイコロのコレクションにハマったことがありましたが、これも数字を点であらわすビジュアルが星座のイメージと重なります。そう考えて行くと、なんとなく、個人的なマイブームも運命的な気がしてきますが、よくよく考えてみれば、宇宙とは、これすなわち「全て」と同じような意味の存在ですから、最終的に全て宇宙と関係しているように見えるのは、当然といえば当然なのかもしれません。この世界には、宇宙と関係のないモノなどひとつも存在しないわけですから。

私たちは、無意識のうちに、いつもの日常と、天空にひろがる大宇宙が別の次元のもののように感じてますが、鼻をかんだりカラオケを歌ったりするのも今現在この宇宙で起きている確実な現象のひとつであります。そのように、常に私たちは宇宙と関連していることは事実で、昔の人は、そういう感覚がよりリアルだったために、天空の星座と人間世界の運命との対応を理論化して占星術を考え出したりしてたのでしょうね。そういう観点でいえば、占星術というのは「当たるかどうか」以前に、その発想の根底はとても合理的であることが見えてきます。もともと天文学の黎明期は星占いのような側面があり、国や人の栄華盛衰は何らかの形で星に現われているという発想から、星を観測することで運命を知ろうとしていましたが、これは現代人が思うほど突飛なことではないような気がしています。宇宙と人体が無関係なはずはありませんし、私は確実に何らかの照応があると思っていますが、占星術はその照応を正しく把握していないために予測を外すのでしょう。とはいえ、「運命」というものを、文字通り「運任せ」にして諦めず、「運命」もまた人間の手で制御可能な自然現象として扱う古代人の思想はとてもワクワクします。

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「河図洛書」。「周易本義」より
posted by イヒ太郎 at 11:24| Comment(0) | 宇宙

2016年10月14日

もののけ姫と動物神

唐突ですが、一番好きな宮崎駿作品は「千と千尋の神隠し」です。しかし、この項ではべつに「千と千尋の神隠し」を論じたいわけではなく、「千と千尋の神隠し」の次に好きな「もののけ姫」について書いてみたいと思います。「もののけ姫」の面白いところは、神がイノシシやオオカミという物理的な存在として動物の姿で描かれるユニークさです。人間よりもヒエラルキーの高い聖なる動物としてイノシシやオオカミなどが描かれていて、見ているうちに、そうした概念を共有している古代社会にある種のユートピア的なものを感じます。あの世界では、イノシシやオオカミなど野生の動物が神になったりする世界ですから、つまりはちょっと森に入れば聖なる存在に物理的に出会える可能性があるわけで、そうしたところが「もののけ姫」に惹かれるところですね。

ところで、人気のブログのジャンルに「海外の反応」というのがありますが、それ系のとあるブログで、世界各国の外国人による宮崎駿作品への感想が紹介されていました。そこに「もののけ姫」についての気になる興味深いコメントがひとつありました。

「もののけ姫」のクライマックスでは、森の主であるシシ神を殺しその首を狩るというシーンがでてきますが、その気になったコメントは、この「神殺し」についてのコメントです。「なぜ神を殺すのか?」というものですが、たしかに、あれは日本人の目からも普通にショッキングなシーンであり、だからこそあの作品の力強いメッセージが生きてくるのだと思いますが、たしかに、いったいどのような宗教観から神殺しという発想がでてくるのか?というのは、とくに外国人からは興味のある部分なのだろうな、と感じました。

「もののけ姫」での神殺しは、人間と神を対立構造ととらえたうえで、文明と神話、あるいは科学と宗教との相克を象徴しているような印象で、いかにもリベラリストの宮崎駿監督らしい切り口です。神殺しは、主人公の本意ではなく、鉄を作る村を治めるエボシの意志であり、それを後押ししているのは天朝、つまり国家権力であります。国家による神話世界の破壊が神殺しであり、宮崎監督は、あくまで神殺しを否定的に描いているようにみえます。ここで殺される神は、一神教の神ではなく、ひとつの森を治める八百万の神々のうちの一柱でしょうから、西洋的な視点からは精霊、自然霊に類する存在が近いのかもしれませんね。

神は崇高な存在ですから、ついつい「神殺し」は絶対的な悪なのだ、という条件反射的な思い込みが現代人にはあり、私も、そうした部分にはなんの疑問もなく、「もののけ姫」での宮崎監督の神殺しの意味付け(神殺し=聖なる存在への冒涜、というような)に、納得してしまっていたのですが、今日たまたま読んでいた岡本太郎の「日本の伝統」という評論文に、ハッとするような考えが述べられていて、「神殺し」の意味、神を殺すとはどういうことなのか?を、もう一度考え直してみたくなったのが、この記事を書くきっかけになりました。以下、該当部分を引用します。

 狩猟民族にとっては、獲物は激烈な闘争の相手であり、敵です。ところが彼らはそれを糧にして生きているのです。獲物がないということはただちに飢であり、死を意味します。彼らは全存在をそれにゆだね、かけている。だからこそ獲物は彼らにとってまた神聖な存在、つまり神なのです。
 彼らの生存をおびやかし、直接危害をあたえる凶暴な動物か、あるいはそれをとって食べなければ生活できない、つまりそういう危機をはらんだものこそ、宗教的に神聖視されるのです。
 彼らはつねに犯すべからざる神を殺す。逆にいえば犯すゆえにこそ、それはまた神なのです。
 ちょっと今日の常識では分かりにくいかもしれません。だがじじつ、考えてごらんなさい。ぜったいに犯されることのない、そんな心配もないものならば、おそれることも大事にすることも、したがって神聖もへったくれもありません。犯されるという前提、その危機のうえにあるから、犯してはいけないものとして神聖な存在があるのです。
 しかもさらに原始社会では、それを食うということはもっとも神聖な儀式なのです。

岡本太郎「日本の伝統」(『日本教養全集 15』 角川書店 昭和50年[1975年])P209より


殺されるゆえに神聖なのだ。ということですが、ユニークで、しかもとても合点のいく考えですね。人間の、というより生きとし生けるもの全てが背負っている業のようなものを感じます。獲物は食べられるためにいったんは殺されますが、食べられることで別の生命として生きることになります。食べ物は、食べる前は他者≠ナすが、食べたとたんに、かつて他者≠ナあったモノが自分そのもの≠ノなります。食べ物とは、未来の自分の血肉であり自分そのものなのだなぁ、と思うと、食卓に並ぶ食べ物も、縁あって出会った神聖な客人のような気がしてきます。

そういえばアメリカ先住民、インディアンの神話でも、バッファローは獲物であり同時に神でもある神聖な動物として描かれますね。『神話の力』のなかでジョセフ・キャンベルはバッファローにまつわるインディアンの神話を紹介したあとに、その意味を興味深く解説しています。

動物に対するインディアンの関係は、動物に対する私たちの関係とは対照的です。私たちは動物を、より低い生物と見なしています。聖書には、私たち人間が支配者だと書いてあります。さっきも言ったように、狩猟民族のあいだでは、動物はいろいろな意味で人間よりまさっています。あるポーニー・インディアンからこう言われたことがあります───「万物の始まりにおいて、知恵と知識は動物と共にあった。創造神ティワラ、つまり<天上の一者>は、人間に直接語りかけることはなく、ある種の動物を遣わし、『私は動物を通して自分を表す』むねを人類に告げさせた。だから、人間はそれを動物から、そして、星や太陽や月からも、学ばなくてはならない」と。

ジョセフ・キャンベル、ビル・モイヤーズ著『神話の力』(飛田茂雄訳 1992年 早川書房) p152より


殺されて食べられる側にいる豚や鳥などの動物は、たしかに私自身、ともすれば彼らを殺すという罪悪感を払拭したいがために弱肉強食という自然観で自分を納得させ、「弱い存在」として見ようとするクセが知らず知らずについていたように思います。しかし、そういった彼らを見下すような考えに立たつよりも、古代人やインディアンの考えのように、神聖なる存在としての動物、という視点のほうが、より調和的な思想のような気がしてきます。そもそも「弱さ」というものを劣った属性として考えてしまうことも先入観でしかなく、かつて「美しさとは弱さです」と太宰治がいったように、弱さ、儚さ、脆さ、というのは美≠際立たせる属性でもあります。ジョセフ・キャンベルの引用したポーニー・インディアンの言葉はとても奥深いですね。偉い学者や先生の言うことばかりではなく、犬や猫や雲や風など森羅万象が人を導く教師であるという考えは、途方もなく謙虚で、しかも壮大な、究極の思想だと感じます。そういう視点で物事をみれる心の状態こそが悟りのような境地なのかもしれないですね。
posted by イヒ太郎 at 18:51| Comment(0) | 精神世界

2016年09月24日

フレンチポップ集

ふと聴きたくなったレトロなフレンチポップをいくつか選んでみました。

るんるんMichèle Richard「Dou Da Dou」
ロマンチックなスキャットコーラスがムーディーで素敵です。心地よい幻想の異空間に誘(いざな)われるような曲ですね。1971年の曲のようです。60〜70年代の超レアなフレンチポップを集めた2005年発売のコンピレーション「Dou Da Dou (The Unlimited French Lost Catalogue)」で知った曲です。レアなうえに名曲揃いのコンピなのですが、中でもこの曲がとくに好きです。不思議な異世界に連れて行かれるようなムーディーな雰囲気が素晴らしい。

るんるんFrance Gall「Zozoï」
「夢見るシャンソン人形」などで知られるフランスギャルの曲です。主に活躍していたフィリップスからの移籍後の曲だからか、普通のベスト盤には収録されてないレア曲のようです。これも上記のコンピレーション「Dou Da Dou」で知った曲です。ブラジリアンな感じで、ノリノリでカッコイイです。グルーヴ感あふれる演奏とフランス・ギャルの可愛らしい声、気持ちいいナンバーですね。それにしてもZozoiってどんな意味なんでしょうか?

るんるんMaryrene「Cette Fille N Est Rien Pour Lui」
いかにも60年代のフレンチポップらしい感じの曲。シリアスな雰囲気が途中から雲が晴れたように明るい曲調に変わるところがドラマチックで面白いです。

るんるんOlivia「Les Yeux Doux」
1966年のフレンチポップ。お洒落でユーモラスな雰囲気のラブソングです。

るんるんSophie Makhno & Colin Verdier「Obsessions 68」
演劇っぽい感じの不思議な風合いの曲です。ゴダールの映画にありそうな男女の哲学的な会話が歌詞になっていますね。

るんるんCharlotte Gainsbourg「Plus Doux Avec Moi」
るんるんCharlotte Gainsbourg「Ouvertures éclair」
シャルロットとデュエットしているおやじの声はもちろん実の父、巨匠セルジュ・ゲンズブールです。セルジュ・ゲンズブールが女性シンガーをプロデュースすると決まってこのようなセクシーな掠れ声になりますが、こうした個人的な演出のこだわりを貫くところも天才らしいワガママさを感じますね。日本においてもカヒミ・カリイをはじめ、昨今ではdaokoボンジュール鈴木など、ゲンズブール節も時代を超えて引き継がれる歌唱スタイルのひとつになってきている感じがします。

るんるんJane Birkin「Yesterday Yes A Day」
ジェーン・バーキンの1978年のヒット曲。アンニュイな歌唱とアコースティック・ギターの優しく包みこむような音色に癒されます。作詞作曲はセルジュ・ゲンズブール。英語の歌詞ですが、いつものセクシーな歌唱のせいかフレンチポップにしか聴こえないところが面白いです。

るんるんPetula Clark「Dans le temps (Downtown)」
ペトゥラ・クラークの1964年の大ヒット曲「恋のダウンタウン (Downtown)」。英語バージョンが有名ですがこれはフランス語バージョンです。

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posted by イヒ太郎 at 23:19| Comment(0) | 音楽

2016年09月02日

古いブリキ缶

ちょっとした小物入れに昔のお菓子や薬などのブリキ缶などを使ったりしています。実用的な面よりは、部屋にレトロなアクセントを加えてくれる面で活躍してくれています。今回はそうした感じで現役活躍中のブリキ缶のコレクションをいくつかご紹介します。

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「馬印青色ゼンマイ」の缶。蓄音機に使われるゼンマイが入っていた缶のようです。青地に赤いペガサス(天馬)という奇妙な配色がシュール感をいっそう高めています。

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今はとりあえず柘榴石(ガーネット)の原石を入れてます。

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鉱物や化石などを飾っているキャビネットに一緒に置いてみました。

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戦前の「ホドヂン錠」のブリキ缶。虫よけの王≠ニいうキャッチコピーがありますが、以下の広告からわかるとおり、ヤブ蚊などの虫除け剤ではなく、衣類の虫除け剤のようです。

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同上の側面と中。今のところボールペン入れにしてます。

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昭和9年(1934年)の婦人倶楽部の付録の裏表紙に掲載された「ホドヂン錠」の広告。左隅にこの「ホドジン錠」の発売元が書かれていて、「金星商会」とあります。稲垣足穂的な天体ロマンな感じのカッコイイ会社名ですね。

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こちらも戦前の婦人雑誌に掲載れた「ホドヂン錠」の広告。

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ベビーパウダー「シッカロール」の缶。明治39年(1906年)に発売開始された和光堂を代表するロングセラー商品で、パッケージデザインも時代ごとに興味深い変化があってコレクター心をくすぐります。

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同上の側面。中身はそのまんまベビーパウダーを詰め替えて使用しています。

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こちらは紙箱製の「シッカロール」。上の缶とほとんど同じデザインに見えますが、よく見ると婦人の髪型が微妙に異なっています。下記のサイトによればこちらの紙箱は戦前のもので、上のブリキ缶は戦後(昭和20頃)みたいですね。

参考サイト
メモシッカロールの歴史(NTTコム「ニッポン・ロングセラー考 vol.88」)

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森永ミルクキャラメルのお馴染みの伝統的な黄色のデザインですが、ブリキ缶バージョンはちょっと珍しいような気がします。商標登録の文字が逆読みなので戦前のものでしょうね。調べてみたら森永ミルクキャラメルの歴史は明治時代にまで遡るそうで、思ったより古くからある歴史のある商品なんですね〜

参考サイト
メモ森永ミルクキャラメルの歴史

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明治の粉ミルクの缶。少女の絵柄が可愛い。絵の少女の持っているのも同じ缶で、その缶にも同じ少女が描かれ、無限の入れ子構造を想像させます。そうしたちょっとした不思議感も見所です。

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アールデコなデザインの「ビクトリヤ」のブリキ缶。文字が右から左への逆読みでアールデコというと昭和10年前後あたりのものでしょうか。「保温腰衣附」とありますが、どんな商品が入っていたのかちょっと見当がつきません。「ビクトリヤ」というと昔の婦人雑誌の広告で、布製のナプキンなど生理用品の広告を見たことがあるので、そういう系の何らかの婦人用のエチケット用品のたぐいが入っていたのかもしれません。

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同上の側面。凝ったデザインがいい味出してます。

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森永のクッキー詰め合わせ「クララ」の缶。

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同上。側面。

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こちらも薔薇をあしらった砂糖の缶です。

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「NAPOLEON」というブランドのレコード針のケース。

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インド製の固形水彩絵の具セットのようです。フタに描かれたモンドな感じの「見ざる聞かざる言わざる」のイラストが雰囲気だしています。「見ざる聞かざる言わざる」というと、日光東照宮などで知られる「見ザル、聞かザル、言わザル」の「三猿」が思い浮かびます。「見ざる聞かざる言わざる」は、語呂が良いこともあって、いかにも日本発祥だと思い込んでましたが、古代エジプトやアンコールワット遺跡にも見られるモチーフのようで、意外にも外国から伝わったものだそうです。なぜインドの雑貨にこのモチーフが使われているのか気になって調べてみたのですが、いい勉強になりました。
posted by イヒ太郎 at 05:16| Comment(0) | コレクション